老いの才覚 曽野綾子

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肉体的にも精神的にも老いを感じる年齢になった。もう若い頃のようにはいかなくなってき
た。しからば、これからはどんなふうに生きていったらよいのか。なにか指針みたいなもの
はないのか。そう悩んでいた時に、この本が目にとまった。
これから老いを迎える人間はどうあるべきなのかを、この本は示している。老いの基本は
「自立と自律である」ということである。他人に依存しないで自分の才覚で生きる。自分で
できることは自分で行い、他人に頼らず、孤独と付き合い、人生をおもしろがる。一言でい
うと、こういうことであろうか。
やはり老いの世代を生き抜くにも覚悟が必要みたいである。


高齢であることは資格でも功績でもない
・高齢である、ということは、若年である、というのと同じ一つの状態を示しているだけに
 すぎません。それは、善でも悪でもなく、資格でも功績でもないのですから。

老化度を測る目安は「くれない指数」
・老人とは、一般的に65歳以上の人だとされています。
・とくに女性は皆、自分が人より若いと思いたいようですね。
・私が老化度を測る目安としているのが、「くれない指数」です。
・老化が進んだ人間は、わずかな金銭、品物から手助けに至るまで、もらうことを異常とも
 思えるほど敏感です。

基本的な苦悩がなくなった時代が、老いる力を弱くした
・あらゆる点で守られ、何かあれば政府がなんとかしてくれるだろうと思っているから、自
 分で考えない。してくれないのは政府が悪い、ということになるわけです。
・よく「日本は経済大国なのに、どうして豊かさを感じられないのだろうか」と言われます
 が、答えは簡単です。貧しさを知らないから豊かさがわからないのです。
・格差社会だと言われていますが、日本ほど格差のない国はない。だれでも救急車にタダで
 乗れる国は、非常に少ない。国民健康保険や国民年金、生活保護法がある国など、めった
 にありません。
・これは若者も同じですが、原初的な不幸の姿が見えなくなった分、ありがたみもわからな
 くなった。そのために、要求することがあまりにも大きい老人世代ができたのだと思いま
 す。

戦後の教育思想が貧困な精神を作った
・昔の老人には「遠慮」という美しい言葉がありました。私が小さい頃、母たちの世代はよ
く「お邪魔になるといけないから」などと遠慮したものです。
・かつては、損のできる人間に育てるのが、教育の一つの目標でした。
・人間は見ず知らずの人に恵むということができる。それが人間である証拠です。
・老年も、いくつになっても損をすることができる気力と体力を保つことを目標にするべき
 です。

老人の使う言葉が極度に貧困になった
・漫画やインターネットの情報だけでは、知的人間にはなれません。インターネットで引き
 出した答えより、本を読んで自分で考えて導き出すほうが、独創的な答えが生まれます。

外国の人の会話は実にしゃれている
・私は、自分の財産というのは、深く関わった体験の量だと思っています。若い時から困難
 にぶつかっても逃げ出したりせず、真っ当に苦しんだり、泣いたり、悲しんだりした人は、
 いい年寄りになっているんです。

他人に依存しないで自分の才覚で生きる
・老人であろうと、若者であろうと、原則はあくまで自立すること。年をとるにつれて、な
 おのこと、その重大さを感じるようになりました。自立とは、ともかく他人に依存しない
 で生きること。自分の才覚で生きることです。少なくとも生きようと希うことです。
・生活をするのは自分自身だということを肝に銘じておかなくてはいけません。
・人からどう見えるか、なんて問題ではない。大事なのは、自分をどうやったら生かせてい
 けるか、ということなのです。
・老人といえども、強く生きなくてはならない。歯をくいしばってでも、自分のことは自分
 でする。それは別に虐待されていることでもなければ、惨めなことでもありません。だれ
 にも与えられた人間共通の運命なのですから。

その時々、その人なりのできることをやればいい
・人は、その時その時の運命を受け入れる以外に生きる方法がありません。その範囲の中で、
 自分は何ができるのかを考えるしかない。昔のようにできないと思うと苦しくなりますか
 ら、その時々、その人なりにできることをやればいいのだと思います。
・愛情というのは、手を出すことより、むしろ見守ることだ、と思いました。「してもらう」
 という立場は、以外と当人に幸せを与えないものです。どんなに大変だろうと、自立の誇
 りほど快いものはありません。

自分の能力が衰えてきたら生活を縮めることを考える
・老いて、自分の能力がだんだん衰えてきたら、基本的に、生活を縮めることを考えなくて
 はいけません。

人に何かをやってもらうときには、対価を払う
・自分でできないことは、人の好意にすがるのではなく、労働力を買って自分の希望を達成
 する、ということです。
・人の好意に甘えると、どんどん依存心が強くなります。費用を少し安くしていただいでも
 いいけれど、ちゃんと日当なり、時間給なりを支払うべきだと思います。タダで人をこき
 使ってはいけません。
・誰でも人は何かを得ようとしたら、対価を払わなければならないんです。年寄りといえど
 も、この原則を忘れてはいけないと思います。
・社会がしてくれるものなら、何でももらっておこうというのは、乞食根性になっている証
 拠です。払える年寄りは何歳になっても、自らの尊厳のために払うべきだと思います。

高齢者に与えられた権利は、放棄したほうがいい
・老人は、もう少し自ら遠慮するべきだと思います。
・年を重ねて当然備えているはずの賢さを、社会の中で充分に発揮していたから、老人は尊
 敬を払われていたわけです。

いくつになっても、「精神のおしゃれ」が大切
・いくつになっても、身だしなみに気をつけるのはもちろんですが、それよりも大事なのは
 「精神のおしゃれ」です。男性の場合は、中世の騎士道に通じる勇気と、女性に対する丁
 寧な行動のことです。
・日本人は親がダメで教師がダメで、模範となる老人がいないから、若者の社会性が育たな
 いわけです。
・外国に暮らしている知人が、日本の女の子の服装を見て、「まともな女性が着るもので
 はない。どうぞ襲ってちょうだい、と男にアピールしているようなものです」と言ってま
 した。

自立を可能にするのは、自律の精神
・年を重ねるにつれて、自立の大切さを感じるようになった。
・一般的にはそれは経済上、肉体上の自立を意味します。しかし同時に、自立を可能にする
 ものは自律の精神であるということもわかるようになりました。
・老年は、中年、壮年とは違った生き方をしなくてはいけない。このことをはっきりと認識
 することが、自律のスタートです。

健康を保つ2つの鍵は、食べすぎない、夜遊びしない
・今の私の健康を保つ二つの鍵は、まず食べすぎないこと、夜遊びしないことです。
・食べる量とか睡眠時間とか、自分が抱え込める問題の量とか、すべては自分で見きわめて
 コントロールする。
・自分のことは自分でできるということが幸せだと感じる人は、いくつになってもその年相
 応に若く、そのことがまたさらにその人の若さを支えていくのだと思います。

性悪説に立てば、人と付き合っても感動することばかり
・人間はそのままにしておけば、人間の尊厳を失うほどに堕落することも簡単である。しか
 し信仰によって、あるいはその人に内蔵されている徳性によって、人間を超えた偉大な
 存在にもなれる。
・最初から皆いい人で、社会は平和で安全で正しいのが普通だと信じ込んでいると、あらゆ
 ることに不用心になって、よくて当たり前と感謝すらしなくなる。それだけでなく、自分
 以外の考え方を持つ人を想定する能力にも欠けてきます。
・私たちは基本的に、人を信用してはいけない。生きている限りは、緊張して生きなくては
 いけないのです。私は、最終的に国家さえも信じてはいけないような気がしています。ほ
 んとうのことを言うと、私は年金制度など撤廃して、めいめいで老後に備えたほうがいい
 と思っています。

ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった
・定年後は自分のしたいことだけをして余生を送ればいい、という時代は過ぎ去った気がし
 ます。
・ひと昔前までは、人は死ぬまで働くのが当たり前でした。
・年をとっても働ける限り、再就職するとか、庭で野菜を作るとか、それぞれが何らかの形
 で生産性を保っていなくてはやっていけないと思います。
・体の悪い高齢者を働かすのは気の毒ですが、健康な老年に働いてもらうのは少しも悪くな
 い。死ぬまで、働くことと遊ぶことと学ぶことをバランスよく続けるべきだと私は思いま
 す。

老人になったら、若い人の出る幕を作ってあげるべき
・老人になってからも、昔のように前面に出たがる人というのも困りものです。前向きでい
 い生き方かもしれませんが、人には育てられる時期と育てる時期があります。若い頃は、
 能がなくても年上の人が押し出してくれました。年をとったら、今度は自分たちがそうい
 う立場だとわからなくてはいけない。大局に立って、その時その特の自分の位置を確認し
 ながら、若い人の出る幕を作ってあげるべきでしょう。それが、年を重ねた者の才覚です。

老人が健康に暮らす秘訣は、目的・目標を持つこと
・老人が健康に暮らす秘訣は、生きがいを持つこと。つまり、目的を持っていることだと思
 います。

「何をしてもらうか」ではなく「何ができるか」を考える
・「何をしてもらうか」ではなく、「何ができるか」を考えて、その任務をただ遂行する。
 それが「老人」というものの高貴な魂だと思います。
・老齢になっても、掃除なんかくだらないとかつまらないとか、そういう眼力しか養えてい
 なかったとしたら、情けないですね。老年はむしろくだらない、つまらないと社会から軽
 視されるようなことにこそ、甘んじて働くのが美しい。

料理、掃除、洗濯 日常生活の営みを人任せにしない
・いちばん身近で役に立つのは、料理を作る、掃除をする、洗濯をすることです。つまり、
 日常生活の営みを人任せにしない。生活の第一線から引退しないことです。
・人は男であろうと、女であろうと、基本的に一人で生きていけなくてはならない。少なく
 とも自分のための簡単な食事の用意、衣服の洗濯、部屋の掃除くらいはできないと、人間
 ではありません。

受けるより、与える側に立つと幸せになる
・受けるより与えるほうが幸いである。
・大人になれば、与える側にまわらなければいけません。
・人間は受けもし、与えもしますが、年齢を重ねるにつれて与えることが増えて、壮年にな
 ると、ほとんど与える立場になります。そしてやがて、年寄りになってまた受けることが
 多くなっていく、その時に、人によって受け方の技術に差が出てきます。
・ただ黙って受けるだけなら、子供と同じです。もし、「ほんとうにありがとう」と感謝し
 て受けたら、与える側はたぶんうれしい。
・与える側でいれば、死ぬまで壮年だと思います。おむつをあてた寝たきり老人になっても、
 介護してくれる人に「ありがとう」と言えたら、喜びを与えられる。
「折衷」を許し合える夫婦になる
・五十歳になった時に私が感じたことは、もうこの年になれば人はそれぞれに長い歴史を持
 っている。ということでした。それを改変させようとするのは思いあがりというもの。残
 りの時間はもしかすると短いのだから、その人の生きたいように生きることを承認したい。
 と思いました。
・だから老年になったら折衷を許せる夫婦になったほうがいい、というより便利です。折衷
 というのは、もしかすると偉大な賢さなのかもしれません。

親しき仲にも礼儀あり
・「親しき仲にも礼儀あり」、というのは、友だち関係だけでなく、夫婦や親子の間でも必
 要ですね。家庭は気を許してもいいところですが、だからといって、相手を傷つけるよう
 なことを平気で口にしたり、不愉快さをのべつぶちまけてもいい、というものでは決して
 ありません。

親子においても「リターン・バンケット」の思想が必要
・子供は週に一度、それが無理なら月に一度、それも無理なら春夏秋冬それぞれの季節に一
 度ずつ、それさえも無理なら年に一度は、義務として親を訪ねる。その時、親もできるだ
 け家をきれいに片付け、こざっぱりした衣服を着て、自分の体力と収入の範囲で、心のこ
 もった食事を用意する。そして、楽しい話をする。間違っても、愚痴をこぼしたり文句を
 言ったりするチャンスだと思ってはいけません。

身近な人に感謝する
・人間は、一日だけなら、どんないい人にもなれます。しかし持続するのは、どれほど大変
 なことか。毎日毎晩、顔を突き合わせていれば、お互いにアラも見えます。いつも優しく
 するなどということは、なかなかできるものではありません。
・そうすると、同居していない娘や次男の嫁のほうがいいように思えてきて、同居している
 長男の嫁を疎んじたりする。でも、現実に老人を引き受けているのは、毎日一緒に暮らし
 ている長男の嫁という場合が多いんですね。

子どもの世話になることを期待しない
・何もかもわかろうとするのは、思いあがりのような気がします。「為せば成る」と言う人
 もいるけれど、それも思い上がりです。世の中には、どんな努力をしても報われないこと
 がいくらでもあります。思い通りにならないことだらけです。長く生きてくれば、それが
 わからないはずはないでしょう。
・愚痴をこぼしても、恨んでも、なんともならないのですから、そんなことに時間を費やす
 のはもったいない。子供の不誠実はきれいさっぱり忘れ、一瞬一瞬が明るく楽しくなる美
 しいものに目を向けたほうがいいような気がします。この世ではどんなことも起こり得る
 のですから、いちいち驚かず、ただ憎しみを最小限度に抑えて暮らす方法を考えたほうが
 いい。世の中のことはすべて、少し諦め、思い詰めず、ちょっと見る角度を変えるだけで、
 光と風がどっと入ってくるように思えることもありますから。

お金で得をしたいと思わない
・お金をいい加減に考えてはいけません。人間は弱いものだから、お金がないために無用な
 争いをしがちである。お金に少しゆとりがあれば、親戚や友人たちとの付き合いの中で、
 自分がおおらかな気持ちで損をすることもできる。しかし、お金がないと、だれがいくら
 出したかということに、いつもヒリヒリ神経をとがらすようになってしまう。
・お金は怖いものだと思いなさい。人から理由のないお金を出してもらったりしてはいけな
 い。得をしたい、という気持ちが起きた時は、すでにお金に関する事件に巻き込まれる素
 地ができかけているから用心しなさい。人にすすめられて、何かを買ってはいけない。何
 にお金を出して何にださないか。世間にならうのではなく、自分の好みで決めなさい。
・あからさまな悪徳商法に引っかかったり、途方もない儲け話にころりと騙されたりするの
 は、多くの場合、強欲な年寄りです。
・得をしようと思わない。それだけで95%自由でいられるような気がします。

分相応、身の丈に合った生活をする
・見栄を張って暮らす必要はありません。自分の身の丈に合わせて、好みをほどほどに叶え
 る規模というものがあるはずです。
・若い時は、見栄を張ることもあるでしょう。しかし長い間生きてくると、いくら隠しても
 所詮、その人がどんな生活をしてるのか大体のところはバレるものだから、見栄を張って
 も仕方がない、と気づく。晩年が近づけば、何もかも望み通りにできる人など、一人もい
 ないことが体験的にわかってくる。「分相応」を知るということは、長く生きてきた者の
 知恵の一つだと思います。

必要なお金がないなら、旅行も観劇もきっぱり諦める
・私は、いつでも優先順位をかなりはっきり決めて、行動することを習慣にしています。自
 分にとって何が大事なのかを見きわめて、いちばん大事なことから順序をつけてやってい
 く。だいたい五つくらい決めてあっても、上位の二つくらいできればいいほうです。三つ
 できたら、すごく幸せで、あとはさらりと諦める。
・家庭の経済の基本を根底から揺るがすようなことでないなら、何にお金をかけるかは、そ
 の人の自由。皆、自分の世界の価値観でいいのです。
・原則は、自分の自由になるお金というものを決めて、その範囲内で使うのがいいと思いま
 す。稼いでいない奥様でも、結婚して何十年も経てばもう長年の功労者なのですから、家
 族に「いくらくらいは使わせていただきます」とはっきり言えばいい。自分の稼ぎでも、
 勝手に使ってしまうのは、なんとなく風通しがよくないなら、家族と話し合って家族の納
 得のもとに使うのが、私は妥当な気がします。
・株などに投資をして儲けている人もいるようですが、それは特殊才能ですから、普通の人
 がやるべきことではないと思います。収入は、労働報酬が一番無難です。
・昔は、お金がなかったらほとんど何もできなかったでしょうが、この頃は、自治体の催し
 や企業のイベントなどで、無料で音楽を聴けたり絵画を観ることができたりするチャンス
 が増えてきました。シニア割引も大いに利用し、いろいろ好きなものを探して、積極的に
 楽しむといい、もし本を買うお金がないのなら、図書館で借りるか。古本屋で安く買う。
 そこでは、その人の知恵の問題、才覚です。
・必要なお金がないのであれば、旅行も観劇もきっぱり諦める。何かを得る時は対価を払う、
 という原則を思い出さなくてはいけません。それが出来ない時は、したくても我慢し、諦
 め、平然としていることです。
・老年は、一つ一つ、できないことを諦め、捨ていく時代なんです。執着や俗年と闘って、
 人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密接な関係があるはずです。
 諦めとか禁欲とかいう行為は、晩年を迎えた人間にとって、すばらしく高度な精神の課題
 だと私は思うのです。

義理を欠く、冠婚葬祭から引退する
・収入がすくなくなれば、支出を減らすのが当然です。しかし、食費はあまり削ると、健康
 によくありまあせん。冠婚葬祭くらいから切るのがいちばんいいように思います。
・結婚式であろうと葬式であろうと、もちろん、好きなら行けばいい。賑やかで人に会うこ
 とが好きな人や、お酒が飲めるということになると、俄然張り切る人もいますから。故人
 の話をしながら一杯飲んでこようという元気があったら、レクレーションとして使うのも
 いいと思います。
・とくに75歳以上の後期高齢者は、もう人生の持ち時間も長くないのだし、健康に問題が
 生じでも当然の年齢だから、浮き世の義理で何かをすることからは、一切解放するという
 社会的合意を作ったらどうでしょう。少なくとも、冠婚葬祭からは引退することを世間の
 常識にしてほしいですね。

備えあっても憂いあり、一文無しになったら野垂れ死にを覚悟する
・もし私が、長生きしすぎて一文無しになったら、あらゆる知人や周囲の人にタカります。
 そして冷たくあしらわれて、どうにもならなかったら、その時は野垂れ死にを覚悟するし
 かない。家でも、病院に入っても、絶対に楽に死ねるという保証はありません。死ぬ時は
 皆、野垂れ死にに近いと私は思いますが、野垂れ死にを決意しさえすれば、怖いものはな
 くなるはずです。それに、自分をみてくれる人がだれ一人としていないような薄情なこの
 世なら、もう生きていかなくてもいいじゃないですか。

老年の仕事は孤独に耐えること、その中で自分を発見すること
・他人に話し相手をしてもらったり、どこかへ連れて行ってもらったりすることで、孤独を
 解決しようとする人がいます。しかしそれは、根本的な解決にならない。根本は、あくま
 でも自分で自分を救済するしかないと思います。
・孤独は決して人によって、本質的に慰められるものではありません。たしかに友人や家族
 は心をかなり賑やかにはしてくれますが、ほんとうの孤独というものは、友にも親にも配
 偶者にも救ってもらえない。人間は、別離でも病気でも死んでも、一人で耐えるほかない
 のです。
・結局のところ、人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。家族がいても、生まれてくる時
 も死ぬ時も同じ一人旅です。
・結局のところ、人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。家族がいても、生まれてくる時
 も死ぬ時も同じ一人旅です。
・一口で言えば、老年の仕事は孤独に耐えること。そして、孤独だけがもたらす時間の中で
 自分を発見する。自分はどういう人間で、どういうふうに生きて、それにどういう意味が
 あったか。それを発見して死ぬのが、人生の目的のような気もします。

一人で遊ぶ習慣をつける
・年をとると、一緒に遊べる友達がだんだん減っていきますから、早いうちに一人で遊ぶ癖
 をつけておいたほうがいいと思います。

どんなことにも意味を見出し、人生をおもしろがる
・人間というのは、どんな状況でも足場にしなくてはなりません。孤独なら孤独で、それを
 スダンドポイントにして、自分がおもしろいと思うことをやっていくほかにないのですか
 ら。スタンドポイントと言っても、足場が悪くてよろめくことも当然あるのですが、ふと
 気がつくと、隣に手すりがあったり、手を差し伸べてくれる人がいたりすることもありま
 す。
・時折、常に穏やかでどんなことがあろうと苛立たず、周囲十メートルくらいにいる人全員
 が穏やかな気分にさせる、徳のある老人がいます。「徳性を有する」とは、どういうこと
 か。規定するのはむずかしいですが、一つの目安は、どんなことにも意味を見出し、どれ
 だけ人生をおもしろがれるか、ということだろうと思います。
・最近、分別盛りの中年や世故に長けたはずの老人の中にも、すぐ怒る人が増えてきたよう
 な気がしてなりません。そういう年寄りは、たぶん自分の立場や見方だけに絶大な信用を
 おく幼児性が残っているのでしょう。
・立場を変えれば、だれでも少しは相手のカンにさわるような生き方をしているものです。
 それは、いいとか悪いとかの問題ではなく、ただ生き方が違うだけのことです。
・めいめいが自分の生き方と好みをきちんと確立して、人と同じでないことにたじろがず、
 自分とは違う人も拒絶せず、そして、どんな相手にも生き方にも、どんな瞬間にもどんな
 運命にも意味を見つける、これはもう、芸術家です。

いくつになっても、死の前日でも生き直しができる
・長く生きるということは決して幸せではない。そう思いそうになりますが、しかし、自殺
 はいけない。望んでも長く生きられなかった人たちに対して、痛烈な嫌みです。死の床に
 伏している人など、「あなたの命を買い取りたい」と言いたいくらいでしょう。でも、そ
 れは絶対にできません。苦しみさえも甘受するのが当然だと言えるほど、人生は短くて一
 回きりのものであることを思えば、やはり私たちは自分に与えられた生活を率直に生き抜
 かなければならないと思います。
・人生はどこでどうなるかわからないから、それを待ったほうがいい、ということです。人
 間は、いくつになっても、死の前日でも生き直すことができる。最後の一瞬まで、その人
 が生きてきたい気の答えは出ないかもしれないのですから。

他者への気配りと、忍耐力を養う、老齢になって身につける二つの力
・老齢になって身につける「老人性」に、二つの柱があります。一つは利己的になること、
 もう一つは忍耐がなくなることです。程度の差こそあれ、この二つはだれにでも見受けら
 れます。
・若くても、他者への配慮がなくなったら、それが老人なんですよ。言葉を換えて言えば、
 他者への気配りがあれば七十代でも壮年なのです。
・人によって、老い方も程度も違うでしょう。自分の老いたところを素直に受け止めて、そ
 れにやや軽く抗する。日常生活の中で、そういう訓練を繰り返すのが、私はいいのではな
 いかと思います。

健康を保つことを任務にする
・健康の基本は、やはり食事です。
・私たちの世代は、老後に対する覚悟がまだまだ足りなかったかもしれない。
・もし百歳まで生きてしまうなら、かなり手前から体を保たせることを仕事にすべきです。
 深酒や喫煙をやめ、運動を習慣づけ、家庭で作った料理を食べ、死ぬ日まで自分のことは
 どうにか自分でする、という強固な意志が必要だと思います。

病気も込みで人生、という心構えを持つ
・病気はしないと決心して、あらゆる予防処置をしたほうがいい。しかし病気がない人生は、
 たぶん非常に少ないと思います。そうであれば、「機能と五感が正常であるのが人間だ」
 という発想を変えたほうがいいんですね。つまり病気も込みで人間、いいことも悪いこと
 も込みで人生だ、という心構えをしておく必要があると私は思っています。
・病気は、決定的に不幸ではありません。それはひとつの状態です。病気になると、なかな
 かそうは思えませんが、決して悪い面ばかりではありません。病苦が人間をふくよかなも
 のにするケースはよくあります。

病人になっても明るく振る舞うこと、喜びを見つけること
・聖書の中に「喜べ!」という記述があります。これは、人生に対する命令です。聖パウロ
 は、「喜びを見つけること」が、私たちがほんものの幸福を手にすることのできる第一の
 鍵だと言います。

死に慣れ親しむ
・老・病・死というのは、いかなる時にも厳然たる不合理として付きまとうのだ。
・ほんとうに、人間は運命にあざ笑われています。私たちの予測や思いは、「そういうもの
 でもないんだよ」と簡単に裏切られる。
・私たちの未来はすべてにおいて、一瞬先の保証もありません。
・死は願わしいことではありませんが、必ずやってきます。願わしくないことを超えるのに
 は、それから目を逸らしていては解決できません。死は確固としてその人の未来ですから、
 死を考えるということは前向きな姿勢なのです。
・走れなくなったり、噛めなくなったりすることも、死ぬべき運命に向かっているのだとい
 うことを、ちゃんと自覚したほうがいい。自分がそうなる前から、そうなった時のことを
 考えるのが、人間と動物を分ける根本的は能力の差であることを思えば、私はやはり前々
 から、老いにも死にも、慣れ親しむほうがいいいと思います。
・死を認識すれば、死ぬまでにやりたいことが見えてきます。とにかく死ぬまでにやりたい
 と思うことを明瞭に見つけて、そちらの方向へ歩いて行く。そして、ある日、時間切れで
 死んでしまう。だれでも最後はだいたいそういうものです。しかし、いいこと、おもしろ
 いこと、凄いことをやる人は皆、心のどこかに確実に死の観念を持ち続けいたような気が
 します。
一日一日、「今日までありがとうございました」と心の帳尻合わせをする
・明日、自分の身に何が起こるかわかりません。今日は歩けて、おしゃべりができて、御飯
 が食べられたけど、明日は口が利けなくなるかもしれないし、目が見えなくなるかもしれ
 な い。明日の保証はない、と覚悟する。これは老年の身だしなみなんです。
・常に過去にあった、いいこと、楽しかったことをよく記憶しておいて、いつもその実感と
 ともに生きればいい。これだけ、おもしろい人生を送ったのだから、もういつ死んでも
 いい、ということです。

跡形もなく消えるのが美しい
・死ぬまでにものを減らさなければならない、と思っていました。衣服はあまり買わないよ
 うにしようとか、食器などもこれ以上は増やさないようにしようとか心がけてきました。
・最近、時間を見つけては、写真の整理をしています。残された者は始末するのが面倒臭く
 てたまらないでしょう。
・私は、死んだ後のことは何一つ望まない。自分の葬式も必要ないと思っているくらいです。
 肉体が消えてなくなったのを機に、ぱたりと一切の存在がなくなるようにしてほしい。
 何もかもきれいに跡形もなく消えるのが、死者のこの世に対する最高の折り目正しさだと
 思っているからです。

引き算の不幸ではなく、足し算の不幸を
・あって当然、もらって当然と思っていると、わずかでも手に入らなければマイナスに感じ
 て、不服や不満を言い始める。これを、引き算の不幸と言います。
・今の日本は皆の意識が「引き算型」になっている気がします。豊さであれ、安全であれ、
 すべて世の中が与えてくれるのが当たり前、と百点満点を基準にして望むから、不満ばか
 り募って、どんどん不幸になっていくわけです。
・老人にも大きく分けて二つの生き方がある、と私はよく思う。得られなかったものや失っ
 たものだけを数えて落ち込んでいる人と、幸いにももらったものを大切に数え上げてい
 く人がいます。さまざまなものを失っていく晩年こそ、自分の得ているもので幸福を創り
 出す才覚が必要だと思います。
・一生の間に、ともかく雨露を凌ぐ家に住んで、毎日食べるものがあった、という生活をで
 きたのなら、その人の人生は基本的に「成功」だと思います。

信仰を持つと価値判断が一方的にならない
・神はいないと言う人が多いけれど神なしで生きられるなら、それでいい。しかし私は、神
 という概念がないと、人間という分際を逸脱する気がします。
・私たちは終始誤解されます。五回されるようないい加減なこともやっているわけですが、
 人の評価と自分の思いは絶えず違う。でも、神があれば、誤解されっ放しでもいい。神だ
 けが、私が何をしたのか、ほんとうのことを知っている。いちばん怖いのは世間でなく、
 自分の内心とほんとうのことをしっていらっしゃる「その方」だけなんです。
・本人しかこまかい事情を知っている人はいないのに、知らない他人が勝手に判断したこと
 など正しいはずがない。

神の視点があってこそ、初めて人間世界の全体像を理解できる
・私は決してだれもが信仰を持つべきだ、などと言うつもりはありません。しかし、人間の
 視点だけど、人間の世界が見通せるとはどうしても思えない。私たちは地形を総合的に把
 握しようとするとき、自分の身長だけでは足りず、必ず高みに登ります。それと同じよう
 に、神の視点というものがあってこそ、初めて私たちは人間世界の全体像を理解できるよ
 うな気がしてならないのです。
・若いうちは、複雑な老年を生きる才覚がありません。しかし、多くの人は、年をとって体
 の自由が利かなくなったり、美しい容貌の人が醜くなったり、社会的地位を失ったりして
 いく中で、その人なりに成長します。つまり、少年期、青年期は体の発育期、壮年と老年
 は精神の完成期であり、とりわけ老年期の比重は大変重い。
・私は、孤独と絶望こそ、人生の最後に充分味わうべき境地なのだと思う時があります。こ
 の二つの究極の感情を体験しない人は、たぶん人間として完成しない。孤独と絶望は、勇
 気のある老人に対して、「最後にもう一段階、立派な人間になって来いよ」と言われるに
 等しい、神の贈り物なのだと思います。