「ニホン・サバイバル」 : 姜尚中

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 本のタイトルからもわかるように、今の日本社会はとても生きにくい社会であるとい
うことに関しては、筆者も一致した意見のようである。そんな生きにくい社会をどのよ
うに生き抜いていったらいいのかが、この本のテーマである。
 世の中にはいわゆる人生を論じた本はたくさんあるが、ともすると精神論的になりが
ちである。それに比べたら、この本はとても現実的で分かり易い人生論の本であるよう
に思う。人は皆しあわせになりたいと望んでいる。しかし、しあわせになる方法を論じ
るのは簡単ではない。なぜならば人はそれぞれ何にしあわせを感じるのか異なるからで
ある。
 筆者のしあわせになる方法についての結論は、「自分の人格形成」であるということ
らしい。さまざまなことを受け入れ、絶え間なく人格を広げていくことでしか、人はし
あわせになる方法はないのではと。つまり、しあわせになれるかなれないかは自分の人
格の中にあるということである。そして、何事も短い時間のスパンで結論を出すな。長
いスパンで考えろと。しかし、それはとても難しいことでもある。やはり、しあわせに
なるということは難しい。

過剰富裕化社会になってしまった日本。消費を通じてしか自分を確かめられな
い時代

・やっぱり人間は「清貧の思想」だけでは生きていけないということです。ストイック
 に質素倹約を貫くだけでは生きていけない。お金はないよりあったほうがいいと思う
 し。
・最近は自分の欲望に正直でいたいと思うようになりました。もちろん、「人生は金」
 とは思わないけれど、「清貧の思想」でもない。その中間点にお金のあり方があるの
 ではないかと思っています。
・日本が過剰富裕化社会になってしまった点にあると思います。
・つまり、消費によって自分のアイデンティティを確かめようとしているわけです。そ
 のためにお金というものが介在することになります。今はそういう社会なのではない
 でしょうか。

消費行動を通じたアイデンティティの可能性はますます狭められていくのだと
思います。

・私はアジア経済というのは、結局は成り上がりなんじゃないかと思います。急激に裕
 福になったことで、何か歯止めがきかなくなってしまうのです。

新自由主義は自己責任、弱肉強食の社会です。それで勝ち負けの格差がはっ
きりしてしまいました。

・新自由主義は、国家の役割を縮小し、民間による効率やサービスの向上を目指すとい
 う点では確かに能率的です。しかし所得再配分のメカニズムを断ち切って、自由競争
 させることで、結果的に勝者と敗者を生み出してしまう。しかもそれはすべて自己責
 任であるとする弱肉強食の厳しい社会です。
・特に小泉政権になって、それが強く推し進められました。
・今まで日本は「一億総中流社会」なんていわれてきたけれど、このままアメリカ型の
 市場原理主義でいけば、富裕層と低所得者層に二極化がされに進んでいくことになる
 でしょう。
・低所得者層が増加すれば社会は不安定になるし、犯罪が増える可能性があります。結
 局は富裕層の人たちにとっても生きづらい社会になるのです。

豊かであるには「物」ではなく「心」だという意見は、とても陳腐で矛盾に満ちた
ものだと思います。

・「物質的な豊かさは本当の豊かさではない」と言い切る人がいますが、正直言って、
 多くの人にとって、それは空念仏ではないでしょうか。金銭的、物質的に満たされる
 ことをやはりたくさんの人が望んでいます。
・豊かであるには「物」ではなく「心」なんだから精神的な癒しが必要なのだという。
 しかしそれはまやかしです。そういう考え方は人間をトータルにみていないと思いま
 す。
・最近では、精神主義に憧れて南の島で暮らすなど、スローライフ的なものが流行って
 いますよね。それはけっして不毛ではないけど、島で暮らせば、誰でも満足が得られ
 るわけではありません。
・何か日本ではお金の話をすると、下品だとみられるふしがあるけれど、それは間違い
 ですよね。お金の出と入り、そしてお金をめぐる葛藤や人間関係のもつれ、それは人
 間の生活の中で非常に需要な部分を占めています。
・お金というのは、けっして汚いものではない。むしろお金を必要不可欠なものとして、
 正面からもう一度考え直してみることが、これからは必要なのだと思います。

社会に経済的にセーフティネットがあって初めて人は大胆に自由な選択ができる
のです。

・イギリスやアメリカは格差が大きい反面、敗者復活戦が比較的容易な社会のようにみ
 えます。ところがこの新自由主義をそのまま日本に持ってくると悲惨です。潜在的な
 能力を制度的に摘み取られている社会で、自己責任に基づく自由競争をやらされると、
 これはもう過酷です。だから潜在的な能力が生かされる社会にしないと、この先、日
 本はもっと自殺者が増えるでしょう。

民主主義というのは、ばらばらの個では成り立ちません。大切なのは、どうやって
横の連携を作っていくかです。

・民主主義というのは、単なるばらばらの個では成り立ちません。どうやって横の連携
 を作っていくか、それが問題です。
・しかし今の社会は人と人との絆がとても希薄です。地縁関係も職場での人間関係も、
 もううんざりで、それより自分の趣味のほうが大切だと思っている人々が多いのでは
 ないでしょうか。それで自分の中に逃げ込んでしまっている。多くの人が孤立化願望
 を持っているようです。

自由は社会には確実にリスクや不安がつきまといます。それを承知の上で、自由
への決断が必要なのです。

・本来、自由な社会というのは、絶えず社会の中に予測不可能なノイズが入っているも
 のです。そしてそれを内側に取り込んでいくことによって、私たちの社会は、より強
 くしなやかになっていくのです。
・反対にそういう予測不可能な要因を遮断した社会というのは、純粋かもしれないけれ
 ど、ちょっとしたノイズも許さないような狭量な社会、度量の小さい社会になってし
 まうでしょう。

かつて仕事は何か神聖なものだという思い込みがあったけれど、その感覚はもは
や幻想にすぎないと思います。

・たしかに仕事や社会的成功はある種の満足感や豊かさをもたらしてくれますが、それ
 がすべての問題を解決してくれるわけではない。結局は、その人が何を幸せと感じる
 か。これが一番大切なのです。
・仕事というと使命感と結びつけて考えたり、何か神聖なものだという思いが、古い世
 代にはどこかにまだしみついていますが、その感覚はもはや幻想にすぎないのではな
 いでしょうか。充実した仕事をしている人が偉くて、仕事をビジネスとしてこなして
 いる人は何かつならない。そんな思い込みは捨てたほうがいいと思います。

第三次産業就業者が圧倒的に多い今の日本社会では、仕事の手応えを感じにく
くなっているのです。

・昔はなかった新しい職種がどんどん増えているのに、社会における仕事のプレステー
 ジが、あまり変わっていないという問題があります。プレステージを認められていな
 いような仕事に膨大な人が携わっていて、自分の仕事に社会的な価値を見出すことが
 できない人がたくさんいます。
・これからの時代は、むしろ社会的な評価というものは考えないほうがいいかもしれま
 せん。むしろそれとは関係なく、自分が内側からその仕事について価値というものを
 見出せるかどうかが大切だし、また、それを社会が評価していかなければならないと
 思います。

友達を見れば、その人がどんな人かわかります。その人と人間的に同等の友達
しか持てないのです。

・ただ友達というのは、結局、その人の人間的な価値にふさわしい友達しか持てないの
 ではないかと思います。人間の価値というのは、金銭的なことではありません。その
 人が持っている価値観や感受性、さらには志といった人間的な価値です。それと同等
 のレベルの友達しか持てない、ということです。だからその人がどんな人であるかは、
 その人の友達を見れば、手に取るようにわかるし、逆に、もし自分が友達を見て思う
 ところがあったら、それは自分自身の姿だといってもいいのではないかと思います。

本来持っていたはずの安全に対する皮膚感覚が、社会的な不安感の中で過敏に
なりすぎています。

・最近のメディアを見ていて、私が一番気になるのは、犯罪報道の割合が高すぎるとい
 うことです。テレビを見ても新聞を見ても、犯罪に関わるニュースがかなり多くの時
 間を費やしています。私たちの暮らしに関わる重大な問題は、年金にしろ、環境問題
 にしろ、ほかにもいっぱいあるのに、犯罪に関わるニュースが圧倒的に多いでしょう。
 なぜこれほどまでに、私たちは犯罪に過剰な関心を向けるのでしょうか。
・じつは日本の青少年の犯罪件数は昔と比べると減っているのです。若者が起こす殺人
 事件の割合も世界の中でかなり低い。ところがニュースを見ていると、何か日本の青
 少年の犯罪が猟奇化し、それが増殖しているかのような印象です。
・この先の展望のみえない。将来の人生設計というものが不確実になってきている。そ
 ういう不安な状態の中で、安全に対する身体感覚がすごく過敏になってきているよう
 に思うのです。

個別化され、つながりを持ちにくいインターネット。いかに共通の認識を作っていく
かが課題です。

・インターネットは密閉化されたメディアですし、携帯電話などのように、これほど個
 別化されたツールもない。自分の興味のあるニュースだけを各々が見ているうちに、
 ほかの人との共通の認識や問題意識がなくなってくるという危険性が高いと思います。

バーチャルなもので何かを学んだとしても、そこからは学びたいという意欲は生ま
れにくいのです。

・2005年2月に岩手県の葛巻町にある「森と風のがっこう」というところに行って
 きました。国内でも有数の豪雪地帯ですが、そこでは夏には子どもたちが川で魚をつ
 かまえたり、レンガのかまどで火を熾したりしながら自然を学んでいく。実物教育が
 実践されています。そういう教育を学習教育として、小学校のときからやったほうが
 いいと思います。

生きるための知恵を身につけるには、自然界の律動を身体的に熟知することが必
要です。

・さらに自然界の宿命として、人間にはマニュアル化できない現象が起こり得るのです。
 その想定外のものに、マニュアル以外の知識で、どう対応していくことができるか。
 それが本当の意味の知恵だと思います。
・つまり知恵とは生きるための術です。それを身につけるには学校の勉強だけではダメ
 なのです。やはり実物教育によって、生命の誕生から死に至るリズムや自然界の律動
 を身体的に熟知することが必要なのではないでしょうか。

パブリックな価値について目利きする能力や感受性。それこそが本当の知性な
のではないかと思っています。

・若いうちに無駄なことをしなさい。無駄なことをしないと、そうでないものもわから
 ない。
・人生は何が幸いして、何が災いするかわかりません。つまり損か得か、と考えること
 は、じつはあまり意味がないのだと思います。得をしようとして得をしていれば、私
 たちの社会は非常に単純ですよ。でも、善人が必ずしも幸せにならないのと同じよう
 に、得をしようとして得が生まれるわけではないのです。

心のスイッチを切り替えて自分が変われば世界もよくなります。そんなココロ主義
は知性がもっとも嫌悪するものです。

・自分という自我の意識は、他者の主観性と離れては存在することができないのです。
 人間という字は「人の間」と書きますが、他者とのコミュニケーションこそが、人間
 そのものだといってもいいと思います。その中で、自分と世界の関係をどう考えるか、
 それが知性なのです。世界を変えることでしか人間は変わらないし、人間を変えるた
 めには世界を変えないといけないのです。

今の日本経済の足腰は中国に支えられています。自分の経済的な可能性が日中
関係にかかっています。

・第二次世界大戦で、日本人は「アメリカに負けた」と思っても、「中国に負けた」と
 いう意識はないでしょう。でも、抗日戦争を勝ち抜き、人民解放闘争をしてきた中国
 にとっては、自分たちが勝者だという意識なのです。

歴史を知ることは世界で生きていくためのマナーです。それができなければ文明国
とはいえないのではないでしょうか。

・冷戦の崩壊後、世界を動かしているものは「マネー」の力を別にすると、「民族」と
 「宗教」と「歴史」です。

フランスのアラブ系移民による暴動。背景には移民の高い失業率がありました。
・日本では「郊外」というと、一戸建ての家が立ち並ぶ住宅街をイメージすると思うけ
 ど、フランス人にとって「郊外」のイメージはまったく違う。中産階級の人たちはま
 ずそこには足を踏み入れない。貧しい人たちが住み、犯罪が多発する「ゲットー」の
 ような地区です。

紛争をイスラム教のせいにしがちですが、宗教は原因ではなく、あくまで結果なの
です。

・本当の原因は、「宗教が違うから」「価値観が違うから」といった首から上の問題で
 はなく、就職とか生活とか保障とか、もっと首から下のところにあるのです。差別を
 なくし、機会の平等を作って、彼らが未来を考えられるような生活の条件や保障を整
 えることができれば、こうした問題は起こらなかったはずです。
・宗教は「結果」であって、現在起きている紛争の多くは、結局「持てる者」と「持た
 ざる者」の対立なのです。生活、仕事、保障・・・・といった人間の社会的な生活を
 成り立たしめている、下部構造的なものに大半の原因があると私は思っています。
・そうしてグローバル化から取り残されてしまった国が、無謀な軍事行動を引き起こし
 たり、貧しいがゆえにテロに走る人が出てきたりする。
・結局、みんな他者理解が薄っぺらなのだと思います。パリと言えば、コンコルド広場、
 オペラ座、シャンゼリゼ。これしか頭にない人がいます。それでフランスがわかった
 ようにいうけれど、それはフランスの一部分であって、大半はそうじゃない。

徴兵制があれば若者がしっかりするというのは錯覚です。徴兵制のせいで、韓国
社会がいかに疲弊したか知ってほしいと思います。

・むしろ徴兵制が導入されたせいで、韓国社会が何十年にもわたってどんなに疲弊した
 か。韓国の学生たちは日本に徴兵制がないことを知ると、みんなすごくうらやましが
 りますよ。
・何がそんなにたいへんかというと、まず一生のうちでもっとも大切な20代の一時期
 において、一年にせよ、二年にせよ、人生の歩みがまったく遮断されてしまうのです。
 自分の能力や技術を学び、蓄積すべき時期に、完全なブランクができてしまうのです。
・もしも将来、集団的自衛権が認められ、自衛隊が外に出て行くようなことがあれば、
 私は、今の人員では足腰が弱いから、「徴兵制もどき」のものができると思っていま
 す。短期入隊、ボランティア、あるいは企業研修のような形で、軍事訓練を受けるよ
 うになるかもしれない。
・戦争とはまったく無縁な徴兵制というものはありません。徴兵制を布けば、市民社会
 全体がいわば「軍」というものに構造的に結びついていきます。

さまざまなことを受け入れ、人格を広くしていったとき、快・不快や不確実性に左右
されない幸せがみえてきます。

・人格と結びつかない幸せはないというのです。どういうことかというと、幸せを考え
 るとき、多くの人は快・不快の感情とリンクさせているところがあると思うのです。
・やはり本当の幸福というのは、その人の人格と結びついたものじゃないかと思うよう
 になったのです。
・現代社会では、快。不快が幸福の基準になりがちです。
・本当の幸福はそのときの気分によって測られるものではないのです。
・現代社会の特徴として、幸せの求め方が他者志向型になっていることもいえるでしょ
 う。現代社会は「ほかの人がどう思うだろう?」とたえず他人の視線を気にし、みん
 なと同じような行動をとることを幸せと感じる社会です。
・そうした他者志向型の幸せを求めて、いい大学に入って、一流企業に入って、何不自
 由ない暮らしをして、それで満たされる部分も当然あります。でも、それだけでは幸
 福感というものは、あまり得られないのではないかと思います。
・状況がどんなに悪くても、それを受け入れる。それによって自分という容器をどんど
 ん広く、深くしていったときに、初めて不安や不確実、また他人の視線といったもの
 に左右されない何かが手に入るのだと思います。もちろん、これはとても難しいこと
 で、私などいつも反省しているほうです。
・ところで、なぜこんなに「幸せ」ということに、みんながこだわるかといえば、未来
 が不確実だからです。未来が不安で仕方ない。ですから、未来を何とかコントロール
 して、不確実なものをできるだけなくしたいと考えるのでしょう。
・いい就職やいい結婚は、不安になりますが、それが不確実な要因のすべてを除去して
 くれるわけではありません。私たちの社会の中で永続的に確実なものなんてあり得ませ
 ん。
・自分が外側に求めた安全策が機能しなくなったとき、さまざまなものを受け入れなが
 ら、人格形成の困難なプロセスをくぐり抜けてきた人と、そうでない人とでは、対
 応が自ずから違いが出てくるはずです。
・快・不快に左右されない幸せを手に入れるには、自分がいろいろなものを受け入れて
 いくという形で、人間のパーソナリティーを少しずつ強くしていかなければならない
 のです。そうすることよって、人間は初めて不確実性に伴う不安というものを抱きし
 めて生きていけるのではないかと思っています。

今この瞬間を切り取ったら最悪だったとしても、10年のスパンでみると、ダメな
ことばかりではありません。

・「受け入れる」というのは、仕方がないと「諦める」のとは違うと思います。「受け
 入れる」というのは、不幸によって、何か全面的に自分が否定されたり、萎縮したり
 しない、そういう心境です。不幸があった、にもかかわらず、自分には何かが残され
 ているとか、悲しみがありながらも、しかし自分はこらからもしっかり生きていくの
 だという前向きな意欲が大切だと思います。
・だから大切なことは、「もうこれでダメだ」というときはたしかにあるけれど、短い
 時間のスパンで結論を出そうとしないことです。
・さらにいえば、避けられない苦しみや悲しみをどう受け入れるかによって人格が変わ
 っていくとすれば、何を幸せと感じるか、ということも、間違いなく年齢とともに変
 わっていくということです。
・若い頃は、やっぱり何か人より抜きん出たいとか、普通の青年が思うようなことを思
 っていました。でも今思うのは心の均衡です。これがいちばんの幸せ。そして心の
 均衡を得るには、不果実なもの、不安なものを受け入れられるキャパシティの広さが
 必要なのです。
・受け入れる容器が広く、非常に底の深いものになっていったとき、どんな不安にも脅
 かされない心の均衡が得られるのではないかと思っています。
・やはり世の中にはすべて時があって、笑う時があり、泣く時があるし、嘆く時があ
 る。
・何か前のめりになってガツガツしていた時には気づきませんでしたが、そういう時の
 訪れがたしかにあるのだと、最近になって実感し、あらためでこの言葉の真意に胸を
 打たれました。
・人生70〜80年を考えたとき、人の幸福の絶対量はあまり変わらないのではないか
 と思います。ある時には集中的に雨が降る。ある時期にはカラカラになる。でも年間
 の総雨量は、あまり変わらないのと同じです。

「足りるを知る哲学」には、過剰なものには手を出さない、という先人の知恵が
ありました。

・「足るを知らざる者は富むといえども貧し」という言葉がありますよね。足りること
 を知る、ということは、日本の社会では幸せであることの秘訣みたいにいわれていま
 す。これはいってみてば、「ちょぼちょぼでいい」ということです。私はこのちょぼ
 ちょぼの哲学は確かにあると思います。
・このちょぼちょぼの哲学には過剰なものには手を出さないというポリシーがあります。
・私たちの欲望にはキリがないから、行き過ぎはないようにそこに限界を設けようと。
・「足る」ということを自分の人格の中に内面化し得たとき、初めてそれは本当の幸せ
 に結びつくのだろうと思います。