日本の常識を捨てろ!:落合信彦

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この1冊でわかる世界経済の新常識2019 [ 熊谷 亮丸 ]
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この本は、今から30年近く前の1996年に書かれ購入したものだ。本棚の奥に埋もれ
いて、捨てようかと思ったが、捨てる前にもう一度読んでみようと目を通してみた。
30年近くも前というと、ひと昔もふた昔も前で、内容が古過ぎるのではと思ったが、読
んでみると、意外と今の時代にも通じるものが多い。ということは、30年前の平成初期
の時代と、間もなく新しい元号「令和」に変わる今の時代とは、それほど大きく変わって
いない、つまりある面においてはほとんど進歩がなかったとも言える。
この本の中では30年前も官僚や国会議員、そして国会の劣化を嘆いているが、内容こそ
違うが今もまったく同じだ。さらには日本国民自体も、30年前から「精神が貧しい国民」
と言われ続けてきたが、今の世の中を見ると、それは今もあまり変わっていないような気
がする。日本人は価格には敏感だが、本当の価値には鈍感な国民なのだ。値段が高いもの
が価値があるものと思っている。テレビ番組が劣悪なのも変わっていない。表現の自由だ、
これがバラエティだと言いながら、まるで「国民を一億総白痴化するつもりなのか」とい
いたいほどである。
さらには隣国との戦争責任問題、30年前も従軍慰安婦問題などで韓国から「日本は謝っ
ていない」と言われていたが、30年経った今も、まったく変わっていない。30年経っ
てもまったく変わっていないということは、韓国が悪い、日本が悪い、と言う前に、根本
的なところに何か食い違いがあるのだということに気がつかなければならないのだろう。
アジアからの留学生や技能実習生の問題にしても、その処遇については30年前から問題
になっていたのに、未だに30年前とほとんど変わっていない。受け入れる国としては恥
ずかしい状態のままだ。
この本は、当時の若者を読者対象に書かれたものであるのだが、当時の現状と今を比較し
て見ることができて、この30年間、日本社会がいかに停滞してきたのかがわかる本でも
ある。停滞というと経済の停滞ばかりが取り上げられるが、停滞しているのは経済ばかり
ではない。政治も、そして我々一般の国民も、社会全体が停滞しているのだと、あらため
て感じ、なんだか心が重くなった。どの年代になっても、やはり人間として少しでも上の
レベルを目指して日々努力を続けなくてはと、つくづく思い知らせれた内容であった。

はじめに
・かつて住専問題がクローズアップされたことがある。政府は国民の税金を使って乗り切
 ろうとした。しかし、なぜそれだけの金を使わなければならないのかをハッキリとわか
 る日本語で説明しなかった。さらには、金を借りまくって状況が変わったので返せなく
 なったという経営者失格の人種たちの刑事事件も追及しなかった。また国会での証人喚
 問という茶番劇もわれわれは見せつけられた。一体、あれは何だったのだ。図体だけは
 一人前に成長したが、頭も心も空っぽの悪ガキが互いに責任をなすり合っているような
 醜態は、日本の恥の集大成とさえ言える。
・これから日本人はこれまでの日本的考え方や璋子気を捨てて、まったく新しい状況にア
 ジャストせねばならない必要性に迫られている。住専問題は言うに及ばず大和銀行の事
 件についても、また厚生省の薬害エイズ事件にしても、これまでの日本的常識はもはや
 今日の世界では通用しないことが明らかになった。そんなものはもはやクソの役にも立
 たないのだ。
・これからどうすればいいのか。まず言えることは、世界に通用する基礎知識を身につけ
 ることだ。本当の知識を得るためには、50パーセントは書籍などから得られるが、あ
 との50パーセントは経験しかない。
・自分のきちんとした目的意識を持つということも大切だ。ある国へ旅をするのだったら、
 確固たるなんらかの目的を持って行くこと。
・くだらないテレビ番組ばかり見て、ゲラゲラ笑っていたら、5年後、10年後にも、自
 分はまったく変わっていない。人生というのは投資なのだ。自分が投資した分だけ必ず
 返ってくる。ならば自分に投資することだ。
・人間生まれてくるときは、皆それぞれ違った境遇で生まれてくるが、ただひとつだけ皆
 に平等だというのは、時間を与えられているということなのだ。その時間をどう使うか
 に人生はかかっている。    
・何がチャンスなのかということは、知識を持ったうえで、よく見ればわかることだ。そ
 の国に行って、「ああ、ここはこういう国なんだ」ということを把握して、知恵を働か
 せることが必要なわけだ。
・中国はあくまで全体主義国家だ。そういう国は政府の考え方ひとつでどうにでもなる。
 ある外資系企業が気に入れなかったら、即日営業停止にもできる。そういう目に遭った
 企業は山ほどある。
・中国はあくまで人治国家、つまり、コネ社会だから、まずコネを作ることから始める。
 公安の幹部にコネを付けて、あとは外交部の誰かを引っ張り込めば、もう大丈夫、すぐ
 商売ができる。    
・チャンスを生かせるかどうか、見極めができるかどうかで、人生は全然違ってしまう。
 アンテナを磨いておけば、チャンスは見える。そして、偉大な人物に出会ったときでも、
 その人のすごさを理解することができる。  
 ち止まるときがくる。失うものがあるなどと思うな!そう思ったら防衛的になってしま
 って小市民になり下がってしまうのだ。  
・時間というものを絶対に無駄にするな。人間は否が応でも、1日生きるごとに死に近づ
 いているわけだから、その死に至るまでのプロセスで、人生を謳歌しなければならない。
 人生を謳歌するというのは、自分の与えられた才能を極限まで開かせる努力をして、人
 間として生まれてきた目的をそれぞれが遂行することなのだ。  
  
貧しい国・日本の現実
・日本が経済大国と言われるようになって久しいが、それは決して日本が世界に受け入れ
 られたということではない。日本人はこの点で、大きな錯覚に陥っている。
・われわれ日本人が肝に銘じなければならないことは、世界が日本を理解してくれてとい
 うような甘い期待は捨て、逆に日本が世界を理解していかなければいけないということ
 だ。
・価値観とか、考え方、判断基準など全部のものに、世界共通のバロメーターというもの
 があって、これを常識・コンセンサスと呼ぶが、この「世界の常識」を日本人はまった
 くと言ってもいいほど理解していない。日本は、外交においても、政治においても、最
 近では金融界、そして個々の日本人においても、この「世界の常識」とのギャップがあ
 まりにも大きいために、国際的な恥をかくケースが多い。
・言ってみれば、非常に鈍感だということだ。ちょっと美人だけれどもすごく鈍感な女で、
 男たちは表面的にはちやほやしているけれども、心の中では軽蔑していることに気づか
 ない女みたいなもので、精神ブスなわけだ。これからは、日本人は精神ブスになっては
 いけない。自国の事情ばかり主張する前ににほんと世界との常識の違いを認識する必要
 がある。ここから始めなければ、いつまでたっても日本は世界から相手にはされない。
・どうしてもその根底には、「日本人閉鎖性」というものが見え隠れする。そしてこの閉
 鎖性が日本を駄目にしている。   
・日本人の閉鎖性は随所に顔を出すが、特に人種差別的な部分に顕著に現れている。たと
 えば、東南アジアの人が日本で部屋を借りようとすると、なかなか貸してもらえる物件
 がながい。黒人の場合はもっと深刻だ。ところが、白人になると意外に歓迎される。偏
 見による人種差別だ。  
・現実には、日本の奨学金を貰って日本に来ている留学生が多いのに、故郷に帰るころに
 は、日本を憎むようにさえなってきている。国を代表して来ている彼らは、頭もいいし、
 国際感覚も持っている。日本の学生と親交を深め、国際政治などについていろいろなこ
 とを話し合いたいと思っているのに、日本の学生はアジアからの留学生に近づこうとは
 しない。  
・日本は長い間、ぬるま湯につかってきた。しかし、いまやそこから抜け出す必要性にせ
 まられている。だがそれは容易なことではない。冬の寒い日に、暖房のきいた部屋で布
 団にくるまって寝ていると、なかなか外へ出たくないというのとまったく同じことだ。
 冷たい外に出ると、風邪を引き、肺炎を起こしかねない。
・日本人には面倒なことには近寄らないという風潮があって、自分から積極的に行動しよ
 うとはしない。その状態に慣れきってしまっている。が、いまこそわれわれをがんじが
 らめにしている、閉鎖性を捨て去らない限り、二十一世紀の日本はない。
・日本という国は、諸外国からあまり重要に考えられていない、ということに早く気づい
 て、そこからスタートしていけばいい。日本人は、井の中の蛙的なメンタリティでしか
 動いていないということもわかっている。まず、日本の常識的考えを捨てて、世界を見
 なければならない。日本の考え方で見たら必ず間違う。極端は言い方をすれば、日本の
 考え方とは逆に考えろということだ。      
・政治家も、外交官も、すべて日本の内側ばかり見ているといことがわかる。日本は世界
 に貢献しているというけれど、実際は何もしていないじゃないか、というようなことが
 だんだんわかってくる。  
・とにかく、「何だ、おまえ。自分の国のことも知らないで外国に勉強しに来たの?」と
 言われないために、日本の文学や歴史、ひいては政治ぐらいは頭に入れておかないとい
 けない。「平家物語」、「源氏物語」「徒然草」あたりは、質問されたときに説明でき
 るくらいの知識は持っておくべきだ。それから、歌舞伎などの日本独特の文化について
 もある程度の知識を持つようにしないといけない。  
・歴史的に見て、日本人がいちばんバイタリティを持っていたのは、1960年代の後半
 から70年代にかけての高成長の時期だった。アメリカに追いつき追い越せという目標
 があった。ところが、80年代になると、日本は追いついたと高をくくり、そして、金
 至上主義に走った。拝金主義が横行し、バブルが到来。それが突然崩れたら、残ったも
 のは何もなかった。成金は金がないと何もできない。
・政治家や官僚が、国家や国民のために尽くすという理念からはずれて、自らの利益のみ
 に走った。企業も利益追求のみに走り、その企業が持つ本来の社会的役割を忘れてしま
 った。   
・私だったら、自分の子供を東大に入れるよりも、心の大きな、おおらかで、人が涙を流
 したら、その涙を拭いてやれるぐらいの器量を持った人間にしたい。東大を出て、冷た
 い官僚になるより、涙のわかる人間になったほうがはるかにいい。東大を出て大蔵省に
 入って銀行局長になった人間が、どれだけ中身のない人間かを、われわれは先の住専国
 会証人喚問の時、見せつけられたではないか。
・建て前の教育だけを重視し、真の”教育”をないがしろにしたため、いかに多くの血も
 涙もない連中が、大学という巨大動物園から作りだされたことか。   
・教育が金儲けのための一大産業に成りあがっているのも日本の特徴のひとつだ。世界の
 どこを見ても、これほど予備校や進学塾の多い国はない。予備校と進学塾がなくなった
 ら、日本は少しまともな国になると思う。人間が住む国になる。いずれにしても、世界
 の識者だとの多くは、このままいけば日本は没落に一途をたどるとみている。  
・国が凋落するときは、いっぺんにバタンとはいかない。ボディブローが少しずつ効いて
 きて倒れる。  
・国によって評価は異なるが、いまの日本人を見る世界の平均的な評価は「非常に働き者
 だが、人間性がない」というようなことになる。この評価はあながち間違ってはいない。
・日本人は民主主義、民主主義とよく言うが、では、本当の民主主義が日本にあるのかと
 いう疑問も絶えずつきまとっている。   
・金さえやればという日本人に染みついてしまった体質は、恥ずかしい限りだ。日本人が
 見逃してはならないことは、「富を持っている者には責任がある」という点だ。富には
 責任がつきまとうということを日本人は忘れている。いまの日本は、金を世界中に多く
 与えてはいるけれど、責任というものはまったく自覚していない。ただ、あらまけばい
 いという感じだ。これではいくら援助をしたとしても無駄弾になってしまうし、尊敬さ
 れることはない。その場だけはチヤホヤされるけれども、本当はバカにされていること
 に気づかない。そのうえ、有償やヒモ付きの援助がやたらと多い。
・こういう状況を、一般レベルから認識しておかなければいけないのだが、いまの日本は
 この一般レベルからおかしくなってしまっている。高校生がどうしてシャネルのような
 ブランド物を買うのか。ブランド物というのは自分の二本の足で立って、社会的地位を
 上りつめた人が着るとバシッと決まるのだが、親の脛をかじっている高校生が着ていて
 も何の意味もない。金の使い方を知らないとううことだ。これは日本政府とまったく同
 じだ。ODAをばらまくメンタリティと、ブランド物を買いあさるメンタリティは同じ
 だ。
・もうひとつ、日本人の「高ければいいもの」という意識にも問題がある。日本の物価が
 高すぎるということもあるが、高ければいいもの、安ければ悪いものという、値段でし
 か商品の善し悪しを判断できない日本人の悲しさ。ブランド志向と同じで、バブルの時
 にその絵の本当の価値も知らずに世界の絵を買いまくったのが日本人だったが、それに
 よって、世界の絵の値段を極端に吊り上げてしまった。そして、結局は日本人がババを
 掴まされた格好になった。いま売ろうとしても当時の値段ではとうてい売れない。これ
 もバブルの時にアメリカの不動産を買いあさった日本企業と同じだ。
・絵にしても、不動産にしても、フランスで買ったお城にしても、値打ちがわかってから
 買うわけではないから、外国人から見たら日本人はなんておかしな人種なんだろうとい
 うことになる。まず、最高値をつけてしまってから買うわけだから、他の国の人たちは
 皆呆れたし、これによって、”異常な日本人”のイメージを確立してしまうことになっ
 た。    
・皮肉な英国作家が、「本当にシニカルな人間はとはどういう人間かというと、あらゆる
 ものの値段は知っているけれども、価値をまったく知らない人間だ」ということを言っ
 ている。その言を借りれば、いまの日本人というのは最もシニカルな人間ということに
 なる。価値はまったく知らなくて、値段ばかり気にしている。「これ、いくらしました。
 これ、高かったでしょう」だけではあまりに情けない。  
  
真の日本を知るため海外へ飛び出せ
・企業戦士などとおだてられて、会社のために全力を尽くすという会社人間の時代はもう
 終わった。これからの世代を担う若者は、古い日本の殻に閉じこもってはいけない。だ
 いいち、退屈きわまりないではないか。だから、私は若者にはなるべく海外に出かけて
 行って、その国の生活の実態を見てきてほしいと思っている。 
・観光旅行では意味がない。フル・ムーンの夫婦ならともかく、生きのいい若者が単なる
 上っ面だけの観光旅行に行くなどあまりにももったいなさすぎる。旅行会社お商業主義
 に乗せられる時代をそろそろ終わりにしなければならない。同じ金を使うなら自分の身
 にらなるもののために使うべきだ。たとえば、パリに行ったら、ベルサイユ宮殿の見学
 に時間を費やすよりはパリの下町を散策したほうがおもしろい。下町の人たちの生活を
 見てみることのほうが、はるかに意義がある。  
・要は、角度を少し変えてその国を見るということだ。たとえば、なぜフランスは世界の
 反対を押し切ってまで核実験をしたのだろうか。その角度からフランスの経済を見たり、
 一般フランス人と話したりすることによって、答えの一部はある程度感じることができ
 る。フランスの場合、軍事産業がもともと盛んで、軍事関連会社が非常に多い。そうい
 う会社の従業員の服装や雰囲気を見るだけでも、彼らが生活に余裕があるかどうか、ど
 んな生活をしているかなどわかってくる。  
・旅行会社主催のツアーはまったく面白みがない。せっかく高い金を払って外国へ行って
 も、人とのつながりや広がりがない。  
・日本にはチップ制度がないから、あまり気にしないが、外国ではチップ生活している人
 もいるということを忘れてはならない。特にアメリカの場合がそうだ。ベッドメーキン
 グするメイドたちは基本給しかもらっていないので、あとは全部チップに頼らざるを得
 ない。ドアマンだったら、毎回タクシーに乗るたびにチップを渡す必要はない。たとえ
 ば、二日間いるとしたら、最初の日に2ドル渡しておけば、あとは全部やってくれる。
・外国の場合は大抵チップが必要だと思ったほうがいいが、もし、チップの制度があるか
 ないかわからない国に行ったときには、ホテルのマネージャーに、「チップはどうなっ
 ているんですか」と聞いてから必要だったらやればいい。それから、ホテルのレストラ
 ンの場合は、サービス・チャージがつくからチップは必要ない。   
・さらにも最も基本的なことは、水だけは飲まないこと。特に、東南アジア、アフリカ、
 中南米、アラブ、中東。ヨーロッパでも、ホテルの水が飲めるのは、ドイツとスイスぐ
 らいだし、北アメリカでは、カナダとサンフランシスコぐらいのものだ。その他の場所
 では、水道の水を飲んだら一発でやられる。水道水は危険なもののひとつで、これでぶ
 っ倒れたら、旅行は面白くなくなってしまうし、日程も損してしまう。私は昨年、ベト
 ナムに行ったときに、ちょっと油断してしまった。朝起きて歯を磨いたときに水道の水
 でうがいをしただけなのに、赤痢のような状態になってしまった。
・近頃は、テレビでよく旅行番組を放送しているが、あれもよくない。どんな食べ物が出
 てきてもリポーターは美味しいとしか言わないし、ハエがブンブン飛んでいるような所
 とか、不衛生な所は絶対に映さない。テレビを見た感覚のままで旅行するとがっかりす
 ることになる。 
・フランスのベルサイユ宮殿などは、宮殿内にトイレがひとつもないので、トイレに行き
 たくなったら大変なことになるが、そういうことは、テレビでは絶対に言わない。旅行
 するときは、腹をすかせておくということと、水をあまり飲まないということを頭
 に入れておかないと、急にもよおして慌てることになる。
・アメリカで生活しているうちに、日本という国は何と小さな国なのだろうと実感させら
 れていったものだ。いまの日本人は、井の中の蛙状態に入り込んでいる。これだけお金
 があって、これだけ経済大国になっても、世界は日本のことを何とも思っていない。首
 相の名前すら世界の誰もが知らない国、日本。
 
知識武装こそ危険を回避する最大の武器
・街を歩くときには、目立つポシェットやバッグにパスポートや所持金を全部入れておく
 ことは絶対にご法度。まず現金は百ドル以上は持ち歩かないこと。それから、パスポー
 トはホテルのセイフティ・ボックスに残りの現金と一緒に預ける。これはホテルに着い
 たら真っ先にすることだ。そして、万が一盗難に遭ったときに備えて、クレジットカー
 ドの番号は必ずメモしておくこと。それでも、盗難やトラブルに巻き込まれてしまった
 ら、すぐに日本大使館に連絡するか、ホテルのフロントに頼んで地元の警察を呼んでも
 らったほうがいい。
・とにかく、日本にいるようなつもりで、いつどこにいても安全だという意識は外国に行
 ったら捨てなければいけない。
・世界を旅行するときには、人間性善説を信じ込んでいてはいけない。性善説を信じるこ
 とはいいが、いったん外に出たら、狼の群れの中に入っていく子羊と思わなければなら
 ない。注意をしすぎるということはないのだ。日本人は日本国内があまりに安全なため
 に、危険を意識する習慣が欠けている。その逆に、外国人は常に危険の意識を持ってい
 て、何かが起きたときにはすぐ対応できるように日頃から訓練されている。
・ニューヨークのダウンタウンで食事をしているアメリカ人のおのぼりさんたちでさえ、
 女の人は必ず自分の足の間にハンドバックを挟んで食べている。ひったくられる危険性
 が高いから、傍らに置くことは絶対にしない。日本人は外国に行ってもついしがちなこ
 とだが、周りに人がいてもバッグを横に置いたり、置いたままトイレに行ったりしてし
 まうが、この感覚は絶対に外国では通用しない。どうぞ、持って行ってくださいと言っ
 ているようなものなのだ。 
・ある商社マンの奥さんが着任早々、一人でセントラルパークに出かけていった。彼女に
 しれみれば、昼間ということもあって、新しい国に来たのだから散歩でもしてみようと
 思ったのだろう。日比谷公園や新宿御苑を小春日和に散歩する感覚で出かけていったの
 かもしれない。ところが、彼女は何人かの男に襲われ、車に引きずりこまれて、サウス・
 ブロンクスに連れていかれた。そこでヤク漬けにされたうえに、毎日輪姦が繰り返され
 た。1週間後、セントラルパークを全裸でフラフラ歩いている彼女が発見されたが、そ
 の時には完全に気がおかしくなっていた。また、新婚旅行でハワイに行ってそこでレイ
 プされた女性がいた。その後彼女は日本に帰ってきて子供を産んだが、その子は夫の子
 ではないことが明らかになった、という事件もある。
・確かに被害者は哀れだが、私に言わせれば、責任の半分は本人にあると思う。あまりに
 も日本の感覚でいたということだ。感度も言うようだが、日本をいったん出たら、考え
 方をすべて変えなければならない。
・世界をそれほど甘くはない。警戒心が薄いから、どうしても日本人はつけ込まれる。さ
 らには、日本人は金持ちというイメージが強いから、いろいろなところで金を吹っかけ
 られる。それに対して日本人はあっさりと言われるがままに払ってしまう。
・外務省は公式に発表していないが、年間に相当数の日本人が海外で行方不明になってい
 る。両親が、子供が帰ってこないからと外務省に問い合わせても、その頃には痕跡すら
 ない。以前は日本の女性が、パリからマルセイユを経てベイルートで競にかけられ、中
 東か西アフリカに売られるというルートがあったが、最近は、香港ルートで売られてい
 るらしい。
・外務省は、海外旅行をする人たちに、そういう事実があることを公表しなければいけな
 い。アメリカの国務省は、「あの国へ行くんだったら、ここに気をつけろ」と必ず言う。
 日本ではそういうことを言わないので、旅行者がとんでもない危険地帯に無防備で入り
 込んでしまったりする。香港に行って、アバディーン地区なんかに行くバカがいるが、 
 あそこは世界の犯罪者の溜まり場で、物見遊山で行くような所ではない。日本の若者は
 海外に出ると急に勇ましくなって、危険地帯に自ら入り込んでいく者が多い。本人は肝
 試しぐらいのつもりだろうが、実に馬鹿げている。
・アメリカが銃社会だから、アメリカに行ったときに、銃を購入しようとする日本人もい
 るが、そういう馬鹿なことをしてはいけない。これは、危険を増幅させるだけだ。
・これからの一般旅行者がいちばん注意しなければならないのは、無差別テロだ。テロは、
 場所も選ばないし、時も選ばないし、そして相手も選ばない。個人の地彼では防ぎよう
 がない。だから、これに巻き込まれたら本当に不幸としか言いようがない。ところがお
 かしなことに、マーフィーの法則ではないが、旅行をよくしている人ほど、事故や事件
 には遭わないで、初めて旅行したというような人が逆に事故に遭ったりする。
・これからの時代は、大がかりなテロが予想される。世界にはいくつかの狂信的グループ
 があるので、各国ともそれらのグループには目を光らせている。ところが、日本はテロ
 などとはおよそ縁遠い国家と、国民も官憲も高をくくっていたので、何の準備をしてい
 なかった。そしてその結果が、オウムの一連の事件を引き起こした。事件が起きてから
 政府は慌てだしたが、もっと早くからテロ対策を検討しておかなければならなかったは
 ずだ。それが、日本は世界一安全なのだから、テロなど起こるわけがないと日本的常識
 で考えていたからどんでもないことになってしまった。オウム以外にも、これから日本
 でテロが起きる可能性は多々ある。オウム事件を真似するようなおかしな人間が必ず出
 てくるし、狂信者はいつの時代にもいる。だからこれからは、テロに遭った場合、どう
 自分を守るかということを考えねばならない時代となる。たとえば、銃声が聞こえたら
 床に伏せるとか、異臭を感じたら息を止めてその場からできるだけ早く離れるとかいっ
 た、ごく簡単なことも意識しておく必要がある。 
・日本人は、日本にテロが起きないのは当たり前だと思っているが、そんな保証はどこに
 もないということを私は言い続けてきた。別に不安を煽ろうというわけではなく、日本
 だけが特別だということはありえず、テロの可能性は世界のどこにでもあるということ
 を言いたかったのだ。
・ベルリンの壁の崩壊、ソ連邦の解体を誰が予想できたろう。世界は絶えず動いていて、
 何が起きるかわからない。そして、日本だって決してその例外ではない。私はベルリン
 の壁崩壊以後の余波というのが東に押し寄せてきて、最終的には日本にやって来ると思
 っている。中国が分裂して難民が押し寄せてくるかもしれない。飢餓地獄の北朝鮮から
 難民が押し寄せてくるかもしれない。そして最後に、日本が一大ケイオス(混沌)の尻
 ぬぐい役というババを引かされるかもしれない。
・そういうことは起こらぬにこしたことはないが、起こりえないことが起きているのが今
 日の世界だ。ベルリンの壁崩壊という大地震の余波は東に進み続けてきた。その間、そ
 の余波の影響を受けなかった国は一国もなかった。日本だけが例外ということはありえ
 ないのだ。バブルの崩壊は、そういう意味ではいいレッスンになったかもしれない。な
 ぜならば、バブルが弾けるなど日本人のほとんどが思っていなかったからだ。
・テロには二つの目的がある。一つは、国家や、政府の方針を変えようとするもので、
 要人暗殺などがその例だ。歴史を振り返れば、ケネディが死んだためにアメリカはあれ
 だけ変わってしまったし、サダトが死んだために中東情勢も大きく変わってしまった。
 そして、ラビンが死んだためにどうなるかは、これからはっきりしてくる。一本の大木
 が倒れると歴史が変わってしまうのだ。テロのもうひとつお目的は、混乱を起こし民心
 を揺さぶることにある。この種のテロはオウム事件のように、無差別に行われ、ターゲ
 ットを選ばない。誰でもがそのターゲットになる可能性がある。どちらにしても、テロ
 というのは、マイノリティがその目的を達成するための最大の武器なのである。

日本が世界から信用される日
・日本は世界の成金で、精神的には非常に貧しい国だと、たびたびヨーロッパの指導者か
 ら指摘を受けてきたが、いっこうに改選される気配はない。同じアジアでも、シンガポ
 ールの場合は、指導者が自国の心の貧しさを憂える見識がある。しかし、こういうこと
 を指摘する政治家が日本にはいない。残念ながら、日本は精神的にだけではなく、政治
 的にも貧しい。そういう貧しさが、世界との大きな差があるところで、日本の嫌われる
 理由になっている。ところが、バカな日本人は、「売春しようが、何をしようが自由だ
 し、勝手じゃないか」と言う。しかし、それでいいのか。自由だからといって、国家や
 国民に恥をかかせる自由はない。もう一度、自由とうものを、個人個人が噛みしめて考
 えるときが来ている。自由の意味を日本人がはき違えている間は、日本は貧しさから脱
 却はできない。
・とにかく今日の日本の政治は、”政治”などというきれいな言葉が通用しないレベルに
 まで歪みきってしまった。本来、国を司る政治というのは、国民のために奉仕し、国の
 運命の舵取りをするものだ。村山というおじさんが、総理大臣になりたいために、いま
 までの原理原則を全部投げ捨ててしまったことによって、政治までも滅んでしまった。
 原理原則なんか守っているのはバカらしいという風潮が広がり、上から下まで全国民の
 常識になった。こういう現実をわれわれは見せつけられてきたわけだから、「信念を持
 て」なんて言っても、「何を言っているの」ということになってしまう。信念を持って
 何の得があるのか、という損得の問題になってしまう。上がおかしくなれば、下もおか
 しくなる。 
・日本の文化に精通しているイギリスやフランスの人たちが共通して持っている日本観に、
 「日本は恥の文化」というのがある。日本人は恥を知る民族だと。ところが、現在の日
 本人には合わない。なぜかといえば、いまの日本は恥を売り物にしているし、恥を売り
 物にして出てくる奴までいるからだ。ひと昔前の日本には彼らが言うことも当てはまっ
 たかもしれないし、少なくとも夢や希望があった。たとえば、明治維新の志士たちのほ
 うが、いまの日本の若者たちよりもはるかに国際的だったし、大きな目標も持っていた。
 国が貧しかったから、なんでも欧米のものを吸収しようと、それ以上のものを作ってや
 ろうという気構えがあった。
・官僚も高度成長の時まではよかった。輸出を奨励して、日本の国内だけを考えていれば
 よかったのだが、もうその時期は終わってしまった。世界は180度変化したのに彼ら
 官僚にはその新しい世界に順応するだけの能力も気構えもなかった。
・古い意味での官僚はもう通用しなくなってきている。世界がこれほど変わってしまった
 今日、古い体質のままでは絶対生きてはいけない。自分の体をもてあました恐竜が周囲
 の環境に順応できずに滅びてしまったのと同じだ。そして、われわれはいま、日本の歪
 み、非常にいびつな国の形をもう少し真剣に考えなければいけない時期に来ている。
・政治というのは、地平線の彼方を見て、何年か後には必ずこれが必要だからと、国家・
 国民のことを考えて行わなければならないし、そういうことが見える政治家がいまこそ
 必要な時なのだ。
・何年か前、マドンナ議員とやらが大量に選出されたことがあった。彼女たちのキャッチ・
 フレーズは、「台所感覚の政治」だった。しかし、台所感覚で政治をやられたらたまらな
い。これだけグローバルな時代になれば、台所感覚で世界に対応していけない。そのあ
たりに、感覚のずれがある。この感覚のずれは、日本が依然として村の感覚で物事を判
断している結果だ。そのうえ、「おいらの村」というのは、世界中から注目を集めている
と思い込んでいる。
・日本の場合、インテリというか知識階級の言われる人たちも日本の情勢判断を見誤って
 おり、常識から外れている人が多い。残念なことに、本当の日本の立場や外国と日本の
 差をきちんと理解している日本人が非常に少ない。一刻も早く、「おいらの村」の感覚
 から抜け出さないかぎり、世界との距離はいつまでたっても縮まらない。
・日本が過去の歴史の中で犯した過ちに関して、なぜ謝り続けるのか、いつまで土下座外
 交を続けるのか、と言う日本人が多い。どうしていつまでも謝り続けなければいけない
 のか?答えは簡単だ。誠心誠意謝るまでだ。それは、世界に通用する本当の謝り方をす
 るということだ。たとえば、戦争責任問題に関しても、官僚が作ったわれわれ日本人で
 すらよくわからない曖昧な日本語での謝罪文を天皇や首相がいくら読んでも、謝られた
 ほうには日本が謝罪したという実感は決して湧かない。謝ればいいというものではなく、
 謝り方が問題なのだ。相手が納得できるように謝らなければ、これはら百年たっても日
 本は謝り続けなければならない。
・「戦争責任」という意味において、ドイツも日本も同じ立場にあったが、ドイツは自ら
 の罪を認めてきちんと謝罪すると同時に、行動でも示しているので、戦争被害を受けた
 国々から「謝れ」と言われ続けることはない。ユダヤ人を始めとしてナチの犠牲となっ
 た人たちをきちんと調べて、賠償金を払っているし、現在でも犠牲者探しは続けられて
 いる。ところが、そういうことを日本はまったくやっていない。逆に、ついこの間まで、
 従軍慰安婦なんていなかったと言っていたぐらいだ。そういい無神経な日本の対応は、
 被害を受けた人や国にしてみれば、「日本は本当に謝っていない」ということになって
 しまう。
・「日本も原爆を投下されました」と韓国、中国、フィリピンの人たちに言ったとしても、
 「われわれは原爆の何十倍も被害を受けたんだ。おまえらだけが、被害者という勲章を
 貰ったようなことを言うな」と言い返されてしまうのがおちだ。
・まず、日本は加害者だという意識を持つことが必要だ。そのうえで、われわれも原爆を
 落とされたと言えば、世界は耳を傾けてくれる。ただ単に、日本は原爆の唯一の被害国
 だといくら言っても、誰も聞いてはくれない。特に、アジアにおいては。だから、日本
 が戦争で与えた被害の悲惨さというものをまず認識する必要がある。そして、それに対
 するきちんとした謝罪を物心両面でする。 
・いまだに取り残されている問題も多い。従軍慰安婦問題はその最たるものだ。私は何度
 も韓国で彼女たちと会ったが、子宮をめちゃめちゃにされて、子供を産めない体になっ
 たり、元従軍慰安婦ということで身内からだけでなく、社会からもシャット・アウトを
 くらって暮らしている女性たちばかりで、人生を破壊された人ばかりだった。
・先の村山内閣は「国民の寄付を集めよう」とバカなことを言いだした。そして、集まっ
 たお金は、アジアの若い人たちが日本に留学できるように、アジア青年基金にしようと
 いうことになった。賠償金が支払われべきなのは、戦争の犠牲になった従軍慰安婦たち
 本人であって、彼女たちはアジア青年基金というような遠大な構想を望んではいない。
 人生の残された時間が少ない彼女たちは、いまお金が欲しいのだ。それなのにどうして、
 こういう発想に行き着いてしまうのか。これは、そのまま従軍慰安婦だった人たちの主
 張を受け入れてしまうわけにはいかないという強い圧力が、日本国内の一部にあるから
 だ。あくまで戦争責任を認めたくない人たちもいる。こういう国内事情に振り回されて
 いては、いつまでたっても本当に謝ったことにはならない。
・私がアジアの各国を取材して実感することは、われわれが考えている以上にアジアの人
 たちは日本に対してとても神経質だということだ。戦争で実際に日本から被害を受けた
 彼らは、いまだに日本を怖がっているところがある。本心から日本人が、「私たちが戦
 争なんか二度と起こさない」と言っているにもかかわらず、「いや、また起こすかもし
 れない」と日本人を信じていない。だから、日本発の記事に関しては非常に敏感だ。ど
 うしてそんなに神経質なのか、日本人には理解できないだろうが、やらた側にしてみれ
 ば、もう二度と太平洋戦争のような悲劇を繰り返したくないと身に染みて感じているの
 だ。  
・もう一度、日本は加害者だという立場に戻って物を考え、どうしたら被害を受けた人た
 ちや国々に本当に許してもらえるのかということを考えなければならない。そうしない
 限り、日本は次の世代でもまた誤り続けなければならないし、本当に信用されることも
 ない。  
・近隣諸国でさえも、「日中友好」「日韓友好」と言葉だけが先走っている感じで、日本
 は本当の友好関係を打ち立てている国はない。アジア、中東、アメリカ、ヨーロッパの
 いずれの国々も、本当に日本を信用しているから付き合っているわけではない。はっき
 り言って、日本には金があるから付き合っているだけだ。信用してはいないが、金のあ
 るうちは日本にも使い道があると考えている。
・日本は長い間、「小切手外交」を続けてきた。この小切手外交もただ善意から金をばら
 まくならまだ救いはあるが、日本の場合、援助と交換に日本の企業をその国に進出させ、
 日本企業の利益を優先させようとする。要するにヒモ付きの援助ということで、ここに
 日本の汚らしさが出てくる。援助を受ける側は背に腹はかえられないので、援助は受け
 るが、日本のやり方には不満を持っている。
・まだ日本が金持ちのうちはいいが、もし貧乏になったときに、無条件で援助の手を差し
 伸べてくれる国があるかと聞かれたら、いまの時点で私には自分を持って挙げられる国
 名はない。

世界を動かす宗教・民族・人種
・アメリカやヨーロッパでは、教職者・聖職者の力は大きい。イスラム教の世界ではさら
 に強大なものだ。日本では聖職者と言っても、ピンと来ないかもしれないが、日本人の
 感覚で清貧に生きる牧師をイメージしていてはどんでもない。
・イスラム教では、自らが人減爆弾となって敵に突っ込み、一気に死んだ場合には、すぐ
 に天国に行けると信じられている。最悪でも健康なままに死ねれば天国に行ける。とこ
 ろが、イスラム教の教えの中で、いちばんよくない死に方は、体をバラバラにされても
 まだ生き永らえていて、それから死ぬという形で、その場合は天国に行けないとされて
 いる。
・対テロリストのメンバーはこのことを知っているから、テロリストを捕まえると、まず
 耳を削いだという。そうすると、いままで口を閉ざしていたテロリストはしゃべり始め
 た。耳を削がれ、指を切られ、鼻を削がれ、体がバラバラになる。それでも生きている
 ということは、彼らにとっては最も恐ろしいことなのだ。この宗教的恐怖が彼らの唯一
 の恐怖なのだ。宗教的恐怖という話は日本人の感覚では理解しにくいだろうが、彼らの
 中ではとてつもなく大きな問題なのだ。
・それからもうひとつ日本人は軽視しがちだが、各宗教には決して犯してはならないタブ
 ーというものがそれぞれにあることを忘れてはならない。たとえばイスラエルなら、日
 本人も大勢行っている所のひとつに「嘆きの壁」があるが、ここに行ったときはユダヤ
 教の帽子を絶対に被らなければいけない。「嘆きの壁」の手前にその帽子が置いてある。
 「私はユダヤ教とは関係ないからそんな帽子を被る必要はない」などと、言ってはいら
 れない。それから、礼拝は男と女が絶対に別の場所で行う。こういう基本的なことは覚
 えておかないと不必要なトラブルに直面することが多々ある。
・ところが日本人はそんなことは何も知らないので、神聖なるものをいとも簡単に犯して
 しまう。やたら、写真を撮りたがり、勝手にいろいろな所に入りたがる。もし、「嘆き
 の壁」に頭を叩きつけて必死に祈っている人たちに、レンズを向けてシャッターを押し
 たら、非常に嫌がられる。これはユダヤ教に対する冒涜にあたるからだ。
・いくら原始的な宗教でもそれを信仰している人たちにとっては、自分の命よりも大切な
 ものなのだから、馬鹿にして笑うことなどもってのほかなのだ。日本の場合、歴史をひ
 もといても、宗教のために命を投げ出すというケースは数少ない。織田信長と最後まで
 戦った一向一揆、島原の乱にまで発展した苛酷な弾圧と戦ったキリシタンたちなどわず
 かな例しかない。「宗教が命よりも大切だなんてアホらしい」と日本人は思いがちだが、
 世界の他の国々では全然違うということを、しっかりと認識しておかないと大変なこと
 になる。
・オウム真理教というのは日本にとって最大の恥のひとつだったが、その中でもいちばん
 大きな恥というのはインドでの蛮行だろう。インドの旅行した麻原たち一行は、釈迦が
 最後に悟りを開いたという場所に行き、立ち入り禁止の柵を越えて中に入り、皆で座禅
 を組んだ。神聖な地を汚された村人たちは烈火のごとく怒り、警察が出動して彼らを追
 い払った。この事件が報道されたとき、宗教団体としてはあまりに無知で無節操な行為
 に、私は言葉を失った。ただ、オウムだけではなく、日本人にはこれに近い失敗を起こ
 しかねない危険性がある。あまりに、宗教に無関心すぎる。せめて、その国やその土地
 の宗教ぐらいは頭に入れておくようにすべきだ。
・グアテマラは多民族国家で、先住民のインディオが多く暮らしている。いまだに写真を
 撮られると、魂を抜き取られるという迷信を彼らは信じているから、カメラを向けられ
 ると、皆が肩を寄せ合って縮こまる感じになる。世界の民族のなかには写真を撮られる
 のを極端に嫌がる民族もいるということも頭に入れておかなければとんでもないことに
 なる。皆が皆、日本人のように目立ちたがりでカメラを向ければ馬鹿のひとつ覚えのよ
 うにVサインを送ってくるわけではないのだ。だから、所かまわず無神経に写真を撮る
 ということだけは絶対にやめることだ。こちらには何の悪気はないのだが、相手の気持
 ちを逆撫でしていることがあるということだ。その土地その土地に、侵してはならない
 ことが多々ある。
・宗教対立と民族対立、そして人種問題の三つは、人間自身が変わらない限り永遠に解決
 できない問題かもしれない。世界の紛争地帯を見てみると、やはり民族か宗教の対立が
 原因になっている。宗教的な対立といえば、中東、インドなどで紛争が絶えないが、同
 じキリスト教徒でもプロテスタントとカトリックが反目しあう北アイルランドのような
 所もある。
・一歩間違えれば大変な火種になる可能性はそこらじゅうにあるということだ。いったん
 火がつけば、どちらかを叩き潰すというところまでいってしまう。こういう対立を回避
 するためには、しっかりした指導者や政治家が出てくることが第一の前提条件であろう。
 民族の存続のためには、戦うのではなく、民族の違いをお互いに認め、一緒に暮らして
 いくということが唯一最善の道だということを説ける哲学的な政治家が出てこなければ
 だめだ。
・かつて、ジョン・F・ケネディが、「世界にはいろいろな違いがある。このいろいろな
 多様性をお互いに寛容の心をもって、一緒に生きていけるような安全な世界でなければ
 ならない」と言った。そのようなことを言った政治家は彼が初めてだった。ケネディは、
 政治的にも、社会的にも、文化的にも、人種的にも、そして宗教的にも、多様性を認め
 ることが各民族の存続のためのたったひとつ残された道と信じていた。
・多様性が認められていなければ、アメリカの人種問題などすぐに火がついて、国を八つ
 裂きにしてしまうような大問題となってしまうだろう。白人と黒人、ロス暴動の時の韓
 国系住民と黒人など対立の火種はそこらじゅうに転がっている。 
・これから西暦2000年にかけてアメリカでは白人よりも有色人種の人口が多くなる。
 これに対して、白人は強い危機感を感じている。今後、よほど政治の舵取りがうまくい
 ないとアメリカにとっては大問題へと発展する危険性がある。  
・極東地方のロシア人は日本と同じアジア系だが、サンクトペテルブルグにいる金髪で青
 い目の人間も同じロシア人だ。こういう人たちがうまく融合して生きていかなければな
 らないところに、大国というか、多民族国家の一つの難しさがあり、政治家の求心力が
 問われる点でもある。宗教対立、民族対立、それに人種問題というのは、日本人の日常
 にまったく関係ないので深く考える機会がほとんどないが、この三つが世界を動かして
 いるということをもう一度考える必要がある。
 
超閉鎖的な日本のマスコミ
・大蔵省同様、外務省も大改革が必要な時に来ている。まず、できることから始めること
 だ。たとえば、外交官の採用方法。外交官試験を受かった人だけというのはやめて、商
 社マンとか外国をよく知っている民間人をどんどん登用すべきである。大学を出て、外
 交官試験に受かって外務省に入った者に本当の外国はわからない。修羅場をくぐり抜け
 ていないから、喧嘩もできない。外交とは一種の喧嘩なのだ。いまの世の中、テレビや
 新聞を通して世界で起こっていることはだいたい知ることができる。しかし、知ること
 と理解することとはまったく違う。たとえば、われわれはベルリンの壁の崩壊を見たし、
 ソ連の崩壊も目の当たりにした。ところが、それらの意味やインパクトをしっかり理解
 している人間は何人いるだろうか。 
・マスコミの影響が大きいことは言うまでもないが、そのマスコミの現状たるや悲惨の一
 語につきる。マスコミが国民を先導するところがあるので、マスコミの感覚のズレが微
 妙に国民に影響を及ぼしてしまうからだ。
・テレビというのは、二十世紀の発明の中で原爆以上の力を持っていると言える。たとえ
 ば、ベルリンの壁を崩壊させた原動力となったのがCNNだったというような状況を見
 ると、テレビの持つ影響力の強さを認識せざるをえない。世界のどこにいても、リアル
 タイムで映像は送られてくるわけだから、なにものにも代えがたい影響力がある。特に
 子供たちにとっての影響力は計り知れないものがある。
・考えてみれば、電波というのは国民の共有財産なのだ。それをいま、どうしようもない
 連中が握ってしまったから、テレビ番組の質は非常に悪くなってしまったと断言できる。
 世界中のテレビを見てきて、最もテレビの質が悪いのは日本だ。とにかく日本のテレビ
 はひどい。バラエティと言えば聞こえはいいが、なんてことはない。覗き見主義の、た
 だの内輪受けだ。
・たとえば、正月番組にしても、バカな芸能人が自分たちで遊んで喜んでいるのを放送し
 ているだけだ。それを見てヘラヘラ笑っている国民というのもわからない。制作側が非
 常に安易で、アイデアも貧困だからこういうタレントのキャラクターに頼った番組作り
 になる。
・はっきり言って、いまのテレビというのは、バカが作って、バカが出演して、バカが見
 るようになっている。ときどき、キラリと光る珠玉のような番組もあるが、そういう番
 組はすぐ消えてしまう。余りにもレベルが高すぎて、視聴者がついていけず、視聴率が
 よくないからだ。
・かつて、アメリカの放送コンサルティング・カンパニーが、世界中のテレビ局の調査を
 したが、番組内容が最も優秀で充実しているのはイギリスのBBC放送という結果を出
 した。そして、NHKは世界で一番巨大なテレビ局ということだった。その世界で一番
 大きなテレビ局が作る一番退屈なドラマが、日曜日の大河ドラマというコメントがつい
 ていた。1年間ややるには息切れして堪えられない。大河ドラマや朝の連続テレビ小説
 がこれだけ国民に根づいているということは、日本がなかなか国際化できないというこ
 とだ。
・私はその国の国民がいちばん楽しんでみているものを見ると、その国のレベルがわかる
 と信じている。標準的な日本人は、毎朝NHK連続テレビ小説を見て、日曜日の夜には
 大河ドラマを見ている。いかに退屈でマンネリ化したものが好きな人種がよくわかる。
 エキサイトメントなどとはまったく関係のない世界に浸っているわけだ。
・かつて放映された「おしん」は、いまでは中国を始めとして、イラン、イラク、ベトナ
 ム、ミャンマーなどの国々でも放映されている。しかし、放映されている国を見ると、
 皆、専制国家で、おしんを通じて、国民に我慢を強いるわけだ。そして、こういう貧し
 さに耐える姿こそ立派な美徳だと、体制側が意図して国民に見せているのだ。
・その逆に、イスラエルやアメリカやヨーロッパの民主国家などでは、放送しても笑われ
 るだけだから、絶対に放送しない。こういう国の事情の違いというものが、テレビの内
 容に大きく影響している点は興味深い。   
・もともと頭が悪い連中だからこういう番組しか作れないのだろうが、プロデューサーデ
 ィレクターはいったい何の目的でこういう番組を作っているのか理解に苦しむ。
・電波というものは国民の共有のものだ。だから、この電波を使って、勝手にそういう俗
 悪番組を垂れ流しているということは、ひとつの犯罪と言ってもよい。私は、テレビの
 番組自体に関する倫理委員会を国会が設けるべきだと思っている。なにしろ、これだけ
 テレビには影響力があるのだから、特に子供たちのことを考えると、もう少し番組の中
 身が検討されるべきだ。なにもテレビを規制しろと言っているのではない。せめて、世
 界に笑われたり、眉をひそめられたりしない、テレビを目指そうということを言ってい
 るのだ。 
・何かしようとすると、新聞やテレビが、表現の自由の侵害だとか言って、ギャーギャー
 わめきたてる。しかし、一番怖いのは、くだらない番組ばかり流していると、「くだら
 ない番組はけしからん」と、それを口実にマスコミ規制が行われることだ。
・やはりマスコミの背金というのは大きいということだ。だから、自由、自由と言うけれ
 ど、自由以上に、その三倍の責任がのしかかっているということを、マスコミ自体が自
 覚しなければならないのだ。
・日本の新聞の最悪なところは、記者クラブという温床だ。ここで、すべての記事が作ら
 れる。競争の原理を完全に放棄している。だから、スクープなんてありえない。そして、
 少しでも抜け駆けでもしようものなら、つまはじきにされてしまう。つまり、村八分を
 食らうということだ。
・日本のマスコミを代表する大新聞は、これほど閉鎖的で融通が利かない。その彼らが政
 府に規制緩和云々を主張しているにだから、ブラック・ジョークと言わざるを得ない。
 マスコミというのは、本来オープンなものにはずだ。しかし、日本の常識では超閉鎖的
 なのが当たり前らしい。だから日本の新聞は面白くない。閉鎖状態にある記者クラブで
 貰った記事を社に持ち帰って、各社同じ記事を載せるのだから当然だ。時には社説まで
 皆似ている。
・「社会の木鐸」という意気込みもなければ、正義と真実を追うという気概もない。会社
 の名と名刺だけにのっかって生きる。さらに言えば日本の新聞は、大きな問題について
 は、どこかが記事にするまでは互いに様子を窺っている。一社がやり始めたら、各社と
 も徹底的にやりだす。特に防衛能力のない人間だけを徹底的に叩く。水に落ちた犬を殴
 っているのと同じだ。ある意味で社会的いじめとも言える。ついでにもうひとつ、日本
 の新聞は世界の情勢にも非常に疎い。新聞社がテレビ局を持っているということも大き
 な問題点だ。アメリカだったら、まず独占禁止法に引っかかる。
・大昔から人間社会は、いろいろなハンティキャップを持つ人間をすべてかかえてきた。
 ところが、近代化が進むにつれて、彼らを異分子として排除していくようになった。精
 神病院、刑務所へと収容していった。そして、社会に従順な人間だけが、正常と呼ばれ
 るようになった。映画「カッコーの巣の上で」は、こういう近代社会に対する大きな疑
 問を投げかけている。鉄格子の向こうにいるから異常で、こちら側にいつから正常とい
 う論理は間違っているのではないかと問うているのだ。正常と言われる人たちのひどさ、
 正常の基準というのはいったい何なのかということをこの映画は語っている。また、真
 に自由を求める人間にとって、管理化された近代社会は恐ろしく生きにくいということ
 も主張している。
・問題は、この名作を日本のテレビが放送していないということだ。あさましいまでに視
 聴率を優先する日本のテレビ局がなぜ放送しないのだろうか。それは、クレームが来る
 のが怖いからだ。精神病の人たちに対する思いやりとか愛情があるけでは決してない。
 単に保身から来ている結果だ。
・講義を受けるのが怖い、とうのは雑誌も同じだ。そして、抗議を受けることを恐れるあ
 まり、マスコミ自らが言葉狩りに走っている。記事の内容が差別的なあればまずいが、
 日本が昔から使ってきた言葉をいちいち取り上げて差別的表現だということにしてしま
 っては、そのうち日本語は世界で最も表現力のない言葉になってしまうだろう。テレビ
 も雑誌も含めて、日本のマスコミは、臭いものには蓋をしろ的姿勢で、一人一人が受け
 身姿勢になっている。言ってみれば日本は、政治家からマスコミまで皆が保身に走って
 いるのだ。
・失うものなど何も持っていないはずなのに、いったい何を失うことを恐れているのか、
 聞いてみたいものだ。人間が失うもので、命の次に大切なものは、誇りと名誉だと私は
 思っている。誇りと名誉を持っていなければ、他に失うものは何もない。たかが地位を
 失うということなど、どうでもいいことだ。ところが現状は、皆が地位を失うという幻
 想に怯えて保身に走っている。裏を返せば、自信がないということだ。一億総自信のな
 い国家だ。

本当にいいものを知るということ
・日本には悪しき習慣というものがたくさんある。人々はそれにかんじがらめに縛られて、
 自分たちがいかに馬鹿げたことをやっているのか気がつかない。その代表的な例が、ホ
 テルや結婚式場による完璧なコマーシャリズムに乗ってしまった「日本の結婚式」だ。
 二人の幸せを本当に考えるなら、大金をかけて盛大に行なう日本流の結婚式はいらない。
 二人のことは二の次で、家族の面子や世間体ばかりを考えているから、いったい誰と誰
 が結婚するのかぼやけてしまう。
・だから、私が勧めたいのは、結婚するのだったら、二人だけで外国に行って式を挙げ、
 そのまま旅行して帰ってくればいい。重要なのは結婚式ではなく、これから先二人がど
 う歩んでいくのかなのだ。もし、日本で結婚式をするんだったら、会費制にして、親し
 い友人だけを集めてパーティをすればいい。親戚とは必要ない。
・結婚式以外にも、日本の悪しき習慣はたくさんある。葬式の香典返しもそのひとつだが、
 身内を失った人がなぜ他人にそれほどまで気を使わねばならないのか。世界の常識では
 まず考えられないことだ。 
・それから、毎年恒例の年賀状。一時、虚礼廃止と騒がれた時期には年賀状も数を減らし
 たが、結局、元に戻ってしまった。毎日会っている人にどうして年賀状が必要なのか。
 それから、御中元と御歳暮なども、デパートなどのコマーシャリズムの犠牲になってい
 るにすぎない。 
・それからバレンタインデー。本来日本には関係ないものなのに、チョコレート会社が仕
 掛けたコマーシャルに皆が乗せられてしまっている。ホワイトデーも同じで、本当の意
 味がわかっている人などまずいないだろう。
・それと同じことはクリスマスについても言える。クリスマスはいまや若者にとっては最
 大の年中行事と言ってもいいほどの盛り上りを見せている。クリスマス商戦にまんまと
 乗せられ、男たちはその年流行のプレゼントを買い、クリスマス・イブのディナーやホ
 テルを予約するのに奔走する。クリスマスの意味などどうでもよくて、男は可愛い彼女
 とベッド・インすることだけを考え、女はブランド物のプレゼントに期待をかける。ク
 リスマスというのは、キリストが生まれた日だから、これを祝うのではなく、敬虔な気
 持ちで祈念する日なのだ。セレブレーションではなくて、コメモレーションなのだ。
・もともと、日本人には宗教観念が薄いという傾向がある。ところが、日本人が宗教にこ
 だわらないということは、諸刃の剣でいい面もある。なぜかというと、いままで日本経
 済がこれだけ発展してきたのは、やはり日常の生活が宗教に縛られなかったというとこ
 ろにある。 
・これだけ簡単にコマーシャリズムに載せられてしまう国民は他の面でも乗せられやすい
 ということだ。先の戦争で当時の権力に乗せられ、”一億総玉砕”に突っ走ったのも当
 然だったのかもしれない。
・日本国内では通用していることも、他国へ行ったら通用しないこともたくさんある。た
 とえば、日本人の騒々しさはイギリスでは嫌われる。日本人というのは二人では騒がな
 いが、三人以上になると大きな声でギャーギャー騒ぎ出す。イギリスのホテルのロビー
 では、皆がひそひそ話をしている。日本にいるつもりで大声で話をしていたら、まずホ
 テルから追い出される。いちばん困るのは、アルコールの入ったときのラウドネスとい
 うか喧噪・騒がしさだ。飛行機の中で酔っぱらって騒いでいるのは日本人だけだし、酒
 が入って女性乗客やスチュワーデスに言い寄って逮捕されるような恥知らずもいる。 
・新幹線の車内などで大声で長々と話をしている連中の話は聞きたくもないのに耳に入っ
 てくるのは困るのだが、大した話はほとんどしていない。特に緊急を要する話でもない。
 静かに眠ろうと思っている人たちにはたまらないことだが、こういう連中は人の迷惑な
 ど考えてはいない。せめて座席を離れて乗客のいない所で話そうという気もない。最近
 の日本人にはマナーというか、他人を思いやるということが欠けている人間があまりに
 も多すぎると思うのは私だけではないだろう。
・飛行機や電車の中で子供が騒いだり泣いたりしていても、知らん顔をしている母親や、
 ホテルを走り回っている子供を注意するマネージャーを睨みつけたりするお母さんがい
 る。「子供のすることだから仕方がない」と言うかもしれないが、それは大きな間違い
 だ。大部分の日本人は、子供は可愛いものだと思っているかもしれないが、それも違う。
 子供というのは、ルソーが言ったように、「気高い野蛮人」なのだ。ソーシャル・コン
 トラクトも知らないし、社会のルールも知らない。それを教えていくのが親の役割であ
 り、教育なのだ。
・日本の場合、子供は悪魔ではなく天使だと考えている。何をしても子供がしていること
 なのだからしょうがないということになる。そういう空気の中で育った子供がそのまま
 大人になっていくと、何でも自分の思いどおりにできると錯覚してしまう。図体だけは
 大きいがメンタリティは子供のままのとっちゃん坊やができあがってしまう。一般社会
 はもとより、政界や官界にそういうとっちゃん坊やがいかに多いことか。だから、人間
 というのは社会的動物だということを、まず子供の時から教えなければいけない。人様
 に迷惑をかけてはいけないということを、私たちの世代には子供の時から教わってきた
 が、いまの親は子供を恐れているのか、そういうことを教えない。勉強を教えるだけが
 教育ではないということを、もう一度見直す必要がある。
・残念ながら、多くの日本人は本当にいいものが何かということがよくわかっていない。
 値段がいくらということはわかっていても、その価値というものがわからない無知でシ
 ニカルな人間が多すぎる。物の価値がよくわからないから、値段が高いものが価値のあ
 るものだと幻想を抱いてしまっている。 
・自信がないから自己主張ができない。だから、議論していても、議論の構築の仕方に自
 信が持てないから、すぐに感情に走ってしまう。私はアメリカ人や中国人とよく歴史的
 な事柄について、ホットな議論をするが、そういう時によく嫌みを言われることがある。
 「おまえは日本人じゃない」と。私はニッと笑って、「いまえの考える日本人というの
 は、どういう日本人なんだ」と聞き返す。すると、「曖昧で、何を言われても黙ってい
 て、自己主張しないのが日本人だ」という答えが返ってくる。私はそういう日本人ばか
 りではないと反論するのが、残念ながらそれが世界一般に考えられている日本人像のひ
 とつなのだ。

世界に通用する自己主張の仕方
・日本人の英語というのは、きれいな英語を使う人もいるが、感情が入っていないから棒
 読みになる。そのいい例が、元首相の中曽根や宮沢の英語だ。彼らの英語はまるっきり
 感情が入っていない棒読みだ。日本人というのは、感情移入が下手な人種だとよく言わ
 れる。伝統的になるべく感情を押し殺して、自分自身を表に出さないというスタイルと
 とってきたためなのだろうが、これからはそんなことは世界には通用しない。これから
 の日本人は感情を表に出して、いい意味での自己主張をどんどんしていかなければいけ
 ない。
・日本社会では、幼稚園・小学校時代からずっと「皆と仲良く」という教育が行われてき
 たために、日本人にとって自己主張するということは最も不得手なことになってしまっ
 た。皆と違う行動をとったり、違う意見を言ったりすると、「あいつはおかしい」とす
 ぐレッテルを貼られてのけ者扱いにされてしまう。
・しかし、アメリカでもヨーロッパでも、世界の国々の教育は、基礎知識の上に創造力、
 そして自分独自の考えを持ったしっかりとした社会人を作り出すことを目指している。
 極言をすれば、皆と違うようになるように教えるわけだから、二本とはまったく逆を目
 指している。
・「俺はこう思う」、「私はこう思う」と自分の意見を明確にしなければいけない。そし
 て、それが自己主張につながり、その意見の交換のなかからさまざまなアイデアが生ま
 れ、真のコミュニケーションが成り立っている。
・日本人は論戦というのが非常に下手で、すぐに感情的になってしまう傾向がある。相手
 の欠点を感情的にあげつらうだけの論戦を交わしても無意味だ。「あなたの考え方のこ
 ことが間違っていると私は思う。現実はこうじゃないですか」と、きちんと理論づけて
 いくと、相手もそれにきちんと反論してくる。つまらないことで議論してもしようがな
 いので、議論というものはもっと国際的に戦わさないといけない。国家のために論戦し
 ていると思ったらいくらでも激論になっても遠慮することはないのだ。
・日本人の場合、それ以前にマナーの問題がある。基礎的なマナーも知らないとなると、
 せっかくレストランに招いてくれた人に大きな恥をかかせることになる。私はフランス
 の高級レストランで、スープをそばみたいにすすったり、フォークや、ナイフで音をた
 てている日本人のおじさんたちを何度か目撃したが、スープの飲み方のマナーぐらいは
 知っておくべきだ。食事の基礎的なマナーは、話題以前の問題だ。次は会話の中身につ
 いてだが、仲がいい同士ならともかく、初対面の人とかあまりよく知らない人との場合
 には、宗教と政治の話は避けたほうがいい。宗教と政治の話はタブーということだ。
・政治ならその国のいちばんの問題は何かぐらいは知っておくべきだ。韓国や中国に対す
 る戦争責任問題などの発言ももう少し慎重になされるべきで、そうすれば、余計なトラ
 ブルは避けられるはずだ。心の中では何を考えようが、間違っても相手の神経を逆撫で
 するようなことは、絶対に発言してはならない。本当の国家利益を考えたら、中国や韓
 国ともうまくやっていかなければいけないのだから、問題発言をした連中は、土下座し
 まくってもいいくらいだ。問題発言のたびに日本が嫌われていき国家利益が損なわれる
 という現実を考えれば、彼らの発言は国家反逆罪に匹敵するとさえ言える。言っていい
 ことと、悪いことの区別は子供でもわかる。別に洗練性や研ぎすまされたセンスなど必
 要ない。言ってはいけないことは、おのずとわかるはずだ。
・国際性云々という言葉は日本人ほど使いたがる民族はいないのだが、実際には、日本人
 ほど国際性がない民族はいない。  
・ユダヤ人のジョークに「世界にありえないもの」というのがある。「アメリカ人の哲学
 者、イギリス人の音楽家、ドイツ人のコメディアン」が世界にないものだというのだが、
 私はそこに、「日本人のプレイボーイ」を付け加えたい。本当のプレイボーイというの
 は、カッコよくて女にはモテるけど、同時に頭も良くて、非常に洗練された人間のこと
 を言う。日本人のプレイボーイはちょっとイメージが違う。本当のプレイボーイの最大
 の武器はルックスではなく知性であり、ユーモアのセンスだって、キラリと光っている。
 
情報の価値を知り、情報を生かす
・日本とイスラエルとはよく似ている。両国とも戦略的深さに欠け、そして、天然資源が
 ほとんどと言っていいほどない。ところが、日本とイスラエルには決定的な違いがある。
 イスラエルという国は、情報と知識で国を固めているのに対して、日本は、情報と知識
 はタダと思っている。
・ほとんどの日本人は情報はタダだと思っている。それを裏付けるように先進国の中で、
 総合情報局がないのは日本だけだ。水と空気と同じように、情報も日本人はタダと思っ
 ているということだ。
・情報は大きな武器だ。そしてその情報は知識を生み出す。そして、それに経験を重ねて
 いくと、向かうところ敵なしとなる。 
・日本には公安と防衛庁の情報部があるのだが、そのメンバーが言うには、政権のトップ
 に報告しても情報がリークされるだけで危険だから、情報を与えないということだ。日
 本のトップに情報が行かないということは、非常に危険なことだ。
・私は15年以上前から言っているのだが、日本にも本当の意味での綜合情報局が必要だ
 し、それ以前に情報の価値を知る政治家が多く出てこなければならない。 

自分自身のレベルアップのために
・私は無知なほど不幸なものはないと確信している。いいものを知らないのだから幸せと
 は思えない。人間は知恵を得れば得るほど悲しくなるし、真理を知れば知るほど悲しく
 なる。しかし私は、そこには同時に言葉では表せないほどの充実感があると思っている。
・いまの日本はこの話の洞窟のようなものだ。そして、そこに住む日本人は外の太陽や空
 気に触れようとしない。世界を見て、世界を知れば、いかに洞窟が窮屈で閉塞感状態に
 陥っているかがわかるし、日本の政治やマスコミの活動がいかにお粗末な村感覚で運ば
 れているかもわかる。 
・まともなメンタリティを持った人間がいまの日本のテレビ番組を見たら、ただ呆れ返っ
 てしまう。朝から、誰が結婚したとか離婚したとか、誰と誰が付き合っているとか、そ
 んなことは放っておけばいいいことなのに、延々と貴重な電波を使って流している。し
 かし、視聴者は嬉々として見ている。外の世界を知らず洞窟のメンタリティしか持って
 いないからだ。
・常に自分のレベルアップを心がけ、毎日ひとつ上のレベルを目指すという努力を積み重
 ねていけば、三年後、五年後にはまったく内容の違う人間になっている。どんなに小さ
 なことでもいいから自分自身の励みになるような目標をセットすることもいいことだ。