「人生案内 :五木寛之

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 この本は平成10年に「夜明けを待ちながら」というタイトルで書かれた本である。
当時はちょうどバブルが崩壊して、大不況に突入した頃であったと記憶する。経済不況
により自殺者も急増し、真剣に自分の人生について考える人が増えた時期でもあったよ
うに思う。それから10年。少し上向きかけたと思われた経済が、再度大不況に、それ
も百年に一度起こるかどうかといわれるほどの大不況に突入している。そして、この大
不況によって失業者が急増し自殺者も急増している。
今回の大不況は米国のサブプライムローン問題が引き金になったと言われているが、そ
れはアメリカ型市場原理主義の崩壊でもあると思われる。10年前に書いたこの本の中
で、五木氏はアメリカ型市場原理主義を日本にそのまま導入されたら、たいへんなこと
になるのではと、とても心配していたが、まさにその心配が現在、現実のものになって
いる。五木氏は、この本の中で「もはや頼れるものはなにもない。友人も会社も国家も
頼れなくなる」と書いているが、ほんとにそんな状況になってきている。大きく荒れ狂
う経済不況の中で、我々庶民のできることは少ない。自分ではどうにもならないことが
襲ってくる。なんとかしてほしいと思っても、政治家や政府は旧態依然の茶番を繰り返
すだけである。こんな状況の中で我々のできることといったら、自分に人生について、
その意味をしっかり見直し、自分にとって何が一番大切なのかを見極め、周囲に惑わさ
れず、自分の足をしっかり大地につけて、踏ん張るしかないのではないだろうか。

自殺について
・人生というものを、まず生きるということから考えるだけではなくて、死ということ、
人間は死ぬ、必ず死を迎えなければならないという前提で考えるのです。
・人間というのは、おぎゃあと生まれた瞬間から死に向って一歩一歩歩いていく旅人の
 ようなものだ。
・「死」というものをきちんと見据え、そこからあらためで人間の生を考えるというこ
 とが大事なのではないか。
・「以下に死ぬか」ということを考えることが、逆に、「いかに生きるか」ということ
 につながるのではないか。
・人生というものはたしかにひどいものだ、絶望的なものだ、と。だけど、だからとい
 ってそれを投げ出してしまうほどではないと思う。
・生きるということは、本当はそれだけでものすごい大変なことなのです。しかも矛盾
 に富んだものなのです。
・人間は生きるために、自分より弱い植物とか動物なんかを食物として摂取しながら自
 分の生命を維持しているわけだから、他の命を犠牲にして自分が生きているというこ
 とを考えると、生きること自体がものすごく残酷で、なんという弱肉強食の世界なん
 だろうと、つくづくそれは考えます。
・泣きながら人間は生まれてくるのです。で、泣きながら人間は送られて死んでゆく。
 死というものが行く手にちゃんとあるんだということを考えれば、何もそう急ぐこ
 とはないと思います。
・昔の人間はいろいろな雑菌とか寄生虫とか、そういうものと一緒に同居して住んでい
 た。だから多様な免疫力というものが構成されて準備されていたのだけれども、今は
 そういうものがどんどん様々な科学的な清浄作用によって退治されていったために、
 人間が非常にシンプルな免疫力しか持つ必要がなくなったのではないか。そのために
 免疫の全体的な、大きな有機的なつながりが失われてきたのではないか。
・生を考えることにあまりこだわりすぎるから、かえって自分の存在というものがすご
 く透明で希薄に思えるんじゃないかというふうな気がします。
・自殺しなくても人間は死にます。かならず死ぬのだから。それもそんなに先のことで
 はないかもしれない。そ のことを考えれば、死のほうから逆に生を考えるというふ
 うな発想の転換から、自殺についても、もっと新しい発見が出てくるんじゃないかと
 という感じがしてなりません。

生きる意味
・人間というのは、元気に生きていて、申し分のない生活をしていても、ときどきなん
 ともいえない気分に襲われることがよくあります。そういったときに、どう対処する
 かというのは、とても大事なことなんじゃないでしょうか。
・まずひとつは、できるだけ楽しいこと、明るいことを考えようとします。それも大し
 たこと、立派なことじゃなくていい。
・気持ちを切り替えていろんな身のまわりのくよくよすることを思い出さずに、できる
 だけ楽しいことを考えてやり過ごすという方法をとります。
・人間に生きる力を与えてくれるもの、それは大きな輝かしいものであると同時に、ぼ
 くたちが日常どうでもいいことのように思っている小さなこと、たとえば、自然に感
 動するとか、夕日の美しさに見とれるとか、あるいはあの歌は懐かしいなと言って、
 そのメロディを口ずさむというふうな、ぼくたちが日常なにげなくやっている生活の
 アクセサリーのようなことが、じつは人間を強く支えてくれることがありうるんだと
 いうことなのです。
・人間、ひとつのことで、それさえつかめば生きていく大きな力になる、というものは
 なかなかないものだというふうに思います。
・人間は夢を追って、青い鳥を探し、幾山河を超え、そしてさまざまな苦難や失敗の後
 に、ようやく、幸福の青い鳥などというものは、自分たちの身近なつつましい生活の
 なかにあるんだということに気づくときがくる。
・世の中にはそんな絵に描いたようないいことばかりはないんだ、人生にはなんともい
 えないつらいこともある。そして、青い鳥のように、それだけをつかまえればすべて
 うまくいくというようなものは世に中にはないのだ。人間は青い鳥を見失った後、自
 分の手でひとりひとりの青い鳥をつくらなければならないんだ。
・ぼくたちは、物理的に水分が必要です。ビタミンも必要です。食物をとらなければな
 りません。ほかの弱い生物たちを犠牲にして、ぼくたちは植物を食べ、動物を食べて
 います。空気も必要、水も必要、太陽の光も必要、熱も必要、石油も必要、ありとあ
 らゆるのものを寄せ集めて、ぼくたちはやっと生きている。それだけじゃなくて、ぼ
 くたちは精神的な存在ですから、生きていくためには、物だけでなくて、希望とか、
 勇気とか、信念とか、信仰とか、いろいろなものが必要です。一番必要な愛というも
 のもあります。そういうこと全部をぼくたちは、オギャアと生まれたその日から、無意
 識のうちに、延々と目に見えないこの全宇宙、全地球上、全地下まで張り巡らしたそ
 の根からくみ取りながらいきているわけです。
・このことを考えてみると、軽々しく、「生かされている自分」などと言えないことに
 気がつきます。人間というのは、生きているつもりでも、自分だけで生きているので
 はない。一個の人間として生きているのであるが、一個の人間とが生きるために、自
 分の気がつかないところで、けなげなまでの大きなエネルギーが消費されながら、ぼ
 くたちは今日一日生き、明日一日生き、そしてあさって一日生きていくのです。そう
 思えば、自分の命というものを自分の意思で放棄するということなんかとてもできな
 い。それはすごくわがままで、勝手なことなのかもしれないな、と思えてきます。
・人間はだれしも充実した人生を送り、世のため、人のために尽くし、そして輝く星の
 ように生きたい、それが望ましいことなのでしょうが、現実にはピラミッドの真ん中
 から下に生きる人たちのほうが多いんじゃないでしょうか。
・しかし、平凡に生きる人も、失敗を重ねて生きる人も、世間の偏見に包まれて生きる
 人も、生きているというところにまず価値があり、それ以上のこと、どのような生き
 たかということは二番目、三番目に考えていいことなのかもしれない。
・ぼくたちは生きているということだけで価値がある存在なのです。生きているという
 ことは、それだけで、必死で努力しているということであり、自然によって生かされ
 ているということであり、たくさんのものに支えられて奇跡的に生きているというこ
 となのです。
・ぼくたちは日々悩みながら、迷いながら、そして、迷い悩む中で、ちょっとしたこと
 に励まされながら生きている。今日は大したことのように思えたことが明日はなんで
 もない、とまらなことのように思えるといううふうな変遷を繰り返しながら、生きて
 いくのです。ひとつのものだけを求めるのは無理があります。

悲しみの効用
・「プラス思考」という言葉がひとしきり言われましたが、安易なプラス思考というの
 は単なる楽観主義にすぎないと私はいい続けてきました。本当のプラス思考というの
 は、究極のマイナス思考のどん底から、どういうふうにして伸びていこうか、立ち上
 がっていこうかという、そういう覚悟が決まったときに見えてくるものではないだろ
 うかと思うのです。
・明るさと暗さ、笑いと涙、あるいは悲しみと喜び、こういうものは、たとえば男と女、
 父と母、昼と夜、そのどちらが大事かとは言えないように、背中合わせに重なってい
 て、片方を知る人間こそが片方を知る。夜の闇の暗さや濃さを知っている人間だけが、
 朝の光や暁の光を見て、朝が来たと感動できるのではないか。あるいは、日中の激し
 い炎天の中で生きつづけてきた人間だけが、黄昏がおりてきて、やさしい夜が訪れて
 くることの喜びを知ることができるんではないか、そんなふうに思ったりします。
・人間的な悲しみのなかからこそ本当の人の心を解きほぐすユーモアというものが生ま
 れてくるのだ。ただ明るいだけ、おもしろいだけのところから生まれてくるユーモア
 は本当のユーモアではない。
・ぼくたちはいま、あらためて大事なものをもう一度、ちゃんと見定める必要がありは
 しまいか。泣くということもその泣き方によっては人間にとって非常に有効な役割を
 果たすのかもしれない。悲しみを知るということによって、逆に人間が生きていく上
 での喜びというものをつかみ取ることができるのかもしれないのです。
・今、ぼくたちはどちらかというと大変乾いた、そして人間的な感情というものをむし
 ろ忘れてしまった時代に生きている。感情というのは大事なことなのですが、むしろ
 今は感情的というと、短気な人とか、すぐにヒステリーを起こすことの人を「あの人
 は感情的でいけない」などと言っています。では感情がまったくない人間がいいのか。
 無表情でプラスチックのお面をかぶったような人間がいいのか。
・ぼくたちは悲しいときには本当に身をよじって悲しみ、喜ぶときには本当に胸を張っ
 て喜び、そして泣くときにはちゃんと泣き、笑うときには大きな声で笑う、そういう
 感情的な人間の姿をもう一度取り戻す必要があるのでないかと思うのです。
・ただ、簡単にあの人は暗いとか、そして自分で泣きたくなったときに、安易にいろい
 ろな楽しいことに気を紛らわせることでそこから抜けよう、抜けようとして生き方は
 はたしてどんなだろうか。ぼくたちは自分が悲しいと思ったときには悲しみをまっす
 ぐに逃げずに受け止めて、そして心から悲しむ。本当に悲しむときに悲しめないこと
 こそ、むしろそれは不健康なのではないかと考えるのです。

職業の貴賎
・人間の社会には、こうあるべきだとか、本来こうなんだとか、そういう建前というも
 のがあっても、現実にはそれがそうでないということはある。人間の社会というのは
 もともとそういう矛盾とか不条理とかに満ちているものだ、というふうに思ったほう
 がいいのです。
・この民主主義というなかで人間が平等であるということを、ぼくらはなんとなく頭か
 ら楽天的に考えすぎているけれども、平等というのは、はじめからそういうものとし
 てあるのではなく、自分たちが闘ってかちとっていくものなのだ。自分たちが平等を
 つかむのだ。つかまえなければ平等なんてものは、放っておいたらなくなるのだと、
 そういう危機感を持っているほうがいいのではないかというふうに、ぼくは思います。
・傍目も羨むような立派な肩書きの名刺を持っていて、氷のような冷たい家庭のなかで
 孤独に生きている人もいるし、人の幸せ不幸せというのはすぐにはわからない。
・人間はある程度長く生きて、その決算をみなければ、先のことはなかなかわからない。
・世の中の人たちは階級的偏見を持っている、持っていて当たり前だ、というふうに覚
 悟しておくと、そのなかで、そういう偏見をまったく感じさせないで、ひとりの人間
 として自分を扱ってくれるような友だちなり恋人なりと出あったときに、感激するん
 じゃないですか。ぼくはそういうふうに思うのです。
・世の中や人生というのはそんなに美しいものでもなければ絵に描いたような幸福なも
 のでもないのです。
・人間は永遠に求められないものを求めて、あがきながら生きていく。それがやはり現
 実なのだろうと思う。
・人生というのは、そんなにやさしいものではなく、厳しいものであり、残酷で不条理
 なものである。しかし、そのなかで、なんとか自分は生きていく、そして自分が本当
 の何かを見つけるのだ、と決めたときに、それはむしろ良い脳内ホルモンが心身に充
 ち満ちてくるのであって、安易なプラス思考ではぜんぜんだめだ、というふうにぼ
 くは思います。

受験と就職
・かつては、オピニオン・リーダーといって、若い人たちの意見や希望をみんなその人
 に託する時代があったけれども、ぼくはそういうリーダーに自分の物の考え方や思考
 を託するのは、それ自体が自己責任の放棄だという感じがしてしかたがありません。
・百人いたら百の人生観があり、千人いたら千の世界観がある。それはひとりひとりば
 らばらだけど、自分の人生観なり世界観あり、目標なり生きがいなり、そういうもの
 をつかまえて生きいかなければいけない。
・お上、政府、お役所、国家、そういうものにまかせておけば、なんとなく安心だ、大
 きな会社を頼りにし、その樹の枝の下で暮らしていれば、なんとかやっていける、と
 いうのが全部ご破算になる時代が、これから来ると思う。
・強いやつはますます強くなり、弱い人間はますます痛い目にあうという、なんともい
 えない残酷な弱肉強食、適者存在の時代に入ってくるのだろうと思う。
・市場原理の世界とはどんな世界か。有能なもの、大事なものは残るけど、そうでない
 ものは捨てられるという世界です。
・明日くる時代というものは、人間の社会というより、むしろ猛獣の社会のような、ジ
 ャングルの社会のような、すごく野蛮な時代が一歩一歩、ぼくらの目の前に近づきつ
 つある、というふうに思います。

夢と年齢
・老いというのは何か。よく「夢と希望さえ失わなければ、永遠に青春だ」というふ
 うな言葉で言われたりするけれども、それはやはり口あたりのいい、調子のいい言葉
 です。そういうふうに考えたい、そういうふうな心構えで生きていきたい、という気
 持ちはぼくらにもありますよ。だけどね、いくら頑張ったって老化は老化なのですね。
・人間というのは遺伝子というものを与えられて生まれてくるように、その人の人生観
 とか生活観とか、思想とか信念とか、ものの考え方の傾向とかいうものを、ある程度
 は与えられてくるものなのです。
・努力する気持ちというのは何か。私は、努力するということもひとつの体質だろうと
 いう気がするのです。つまり、変な話だけれども、世の中には努力をするのが大好き
 な人もいる。努力というのがいやな人もいる。これは生まれつきのたちなのです。努
 力が好きな人に生まれた人は、怠惰な日々を暮らすことに耐えられない。
・生きることも死ぬことも、心の中で自分が思い描いて、こうしたいと思っていること
 があったら、どしどしそのことをやっていくべきだし、そのことによって社会的な刑
 罰を受けようが、人生においてものすごく損をしたり遠回りしたりしようが、それは
 自分で責任を負えばいいのだ。
・あまりにも若い頃に早く幸せな季節をすごしすぎた人間は不幸である。それは何かと
 いうと、人間のクライマックスってあるでしょう。それを十代の前半とか二十代のは
 じめあたりで体験してしまうと、その人間は、あとの生活はそこそこ幸せなのに、ど
 うしても「あの頃」というものとくらべて、つまり輝きに満ちたかつての日々とくら
 べると、今の生活が灰色に見えてしまうのだ。

自己責任
・こういう時代の中で、今、はっきりしていることは、自分以外のものを頼りにするこ
 とはできない、ということです。会社も頼りにならない。たとえば上役や先輩も頼り
 にならない。それどころか自分の学歴とか肩書きとか過去のキャリアも頼りにならな
 い。組合も頼りにならない。そしていろいろな形の社会保障も、ひょっとしたら頼り
 にならないわけですね。もっと極端に言うと、国家も頼りにならないのではないか。
 こういう時代に入ってくる。
・自己責任というのは、そういう時代なのかもしれない。どういうことかというと、不
 信の時代にですね。つまり、何かを信頼してそれにおまかせするという時代がかつて
 あった。国家を信頼して国家に自分の命をあずけるという時代が。でももう、それが
 できなくなったということなのです。
・市場原理というのは、つまり強いやつが勝つという原理なのですよ。走るのが速い人
 間が勝つ、遅い人間は脱落する、脱落するだけでなく食われてしまう。ぼくはこれは
 人間的な論理ではと思います。
・ヨーロッパの市場原理というものが今までずっと維持できたとか、あるいは正常に働
 いてきたとするならば、そこにはひとつの歯止めがあったからです。キリスト教とい
 う宗教観みたいなものが市場原理の背後に控えている限り、弱肉強食という猛獣に世
 界に転落する一歩手前で人間は踏みとどまることができるであろう、と、こういう信
 頼感があっての市場原理なのです。
・これを、いわゆる一神教的な、そういう宗教観というものが社会の中に定着していな
 い、非常にばらばらで恣意的にしか働いていない日本の今の社会にそのままあてはめ
 ると、どういうことになるかといえば、やはりぼくは、すごく難しいことになってく
 るんじゃないかという気がしてならないのです。
・稼げ、貯めよ、施せ。この三つが三位一体になって働いているはいだは、なんとか人
 間の域にとどまっていられると思うのです。しかし、多くを施せという、この根本に
 あるものは「愛」で、隣人愛という思想なのですが、それをぽろっと外してしまって、
 多く稼ぎ、多く貯めろ、それが善である、というような、三位一体ではない市場原理
 というものをこの日本の社会に持ち込んでしまったならば、これは凄いことになって
 いくんじゃないかな、というふうにぼくはいろいろ心配しているんですけどものね。
・これからの資本主義は、新しい資本主義といっていいと思うのです。新しい資本主義、
 新しい自由主義、新しい市場原理、そういうものを後ろで支える精神、歯止めになる
 もの、それをわれわれはなんとかして探さなければいけない。
・国家に対する信頼も失われた。そして、物の豊かな社会を作っていけばいいのだ、先
 端技術を磨いていけないいのだ、という信頼もなくなってしまった。そういうなかで、
 グローバル・スタンダードを強制され、強いものが勝つという市場原理の世界に投げ
 もまれて、われわれは一体どういうふうにやっていくんだろうなと。
・これからは自己責任というのをたんに市場の経済の原理だけでなく、やはり子供の教
 育はやらなければ仕方がない。自分の健康は自分で守らなければ仕方がない。自分の
 財政、貯金というのは自分で工夫してそれを失わないようにしなければならない。自
 分の職場というものは自分で築き上げていかなければならない。自分の人生観という
 ものを、たとえば哲学者とか、あるいは思想家にまかせることもできない。心の安心
 というものを、お寺とか教会にまかせればいいか。これもできない。精神的な、人生
 の目的とか、そういうものもやはり自己責任でかんがえなければいけない時代になっ
 てきた、そういうことなのでしょうね。
・自己責任というのは、自分の体、経済、職業、人生観、政治観、あるいは心のやすら
 ぎを、そういうことを全部ひっくるめて自分で考えなければ、他人を頼りにしてはや
 っていけない時代に入ったな、ということです。

意志の強さ・弱さ
・意志の力というのは、自分の意志を鍛えれば強くなるか。それは鍛えれば強くなるだ
 ろう、と思うのです。鍛えれば強くなる。習慣づけて頑張れば強くなる。だけど、意
 志を鍛えるということを自分に課して、倦まず弛まずそのことをやっていくというた
 めには、まずすごい意志の強さが必要だということです。
・変な言い方ですが、人間というのは不平等に生まれてくる。いかに憲法が平等な権利
 とか、そういうことをうたっても、人間が生まれてくることに関しては不平等です。
 人間が生まれてくるときには、自分がどんなに努力しても、自分の両親を選択するこ
 とはできない。
・風を待つ気持ち。風に吹いて欲しいと思う気持ち、風が吹いたら走るぞという気持ち。
 それでやはり風を待つ。やがて風が吹き、潮の流れが動きだすとヨットは走る。

覚悟ということ
・人を押しのけてでも自分の我がままを通すというか、強引な、エゴイスティックな人
 間が最終的には生き残っているところがあって、自分が生きて無事に母国に引き揚げ
 てこられたのは、帰ってこられなかった人たちを、たくさんの人たちを押しのけて突
 き飛ばして、その人たちを踏み台にして生きてきたという、うしろめたさがどこか心
 の中にある。
・本当は、そうであってはいけない。人間はあくまで人間なのだから、みんなでかばい
 あいながら、ハンディキャップのある人も、弱い人も、心優しい人も、手をつないで
 生きていける社会をつくっていこう。これが人間らしい人間なのだけれども、これか
 ら先の社会というのは明らかに市場原理、つまりは強いやつが勝つという、それが露
 骨に出てくるような世の中になってくる。
・友だちに期待するな、恋人に期待するな、学校の先生に期待するな、親に期待するな、
 社会にも期待するな、国会にも期待するな、人間はひとりで老いていき、そして死ん
 でいく存在なのである、この人生は束の間である、ということを覚悟せよ。
・自分にも期待してはいけない。自分に期待していますか?その気持ちがある限りは、
 まだ甘い。自分に期待しないと思うところから、それにもかかわらず自分はこれがで
 きたという喜びが生まれる。

深夜の友人への手紙
・人間というのはいろいろな性格、いろんな星の下に生まれてくるので、教育とか躾に
 よって変えられる部分もあれば、人間にはどうしても変えられない部分もあるのです。
 にもかかわらず、多様な人間の生き方を認めずア画一的に、例えば昼と夜があったと
 しても、あるいは春と秋があったとしても、そういうものを認めずに、一年中同じ、
 夏でなきゃいけないと言われることは、とても苦しいことではないでしょうか。
・同じように、今の時代の全体がそういうふうに少数の心優しい人々と、あるいは弱い
 人々、あるいは、繊細な神経を持っていて、人一倍敏感な傷つき易い心を持っている
 人たちの存在をなかなか認めたがらないような時代だからこそ、この人たちは仮面を
 かぶって自分を守らなければならない。しかし、仮面をつけて自分を守って生きてい
 くのは限界があります。そこかでその闘いは破綻するし、ひょっとしたら投げ出して
 しまうことになるかもしれません。
・本当の絶望にうちひしがれている人間、もうどうしようもないんだ、と諦めきっている
 人間、この痛みは自分以外の誰にもわかってもらえないんだ、と自分の殻の中に閉じ
 こもっている人間、そういうぎりぎりの立間の人に、もしも何か役に立つことがある
 とすれば、それは「がんばれ」という励ましの言葉でなく、その人の心の痛み、苦し
 みとか、あるいは絶望、そういうものに対して自分は何の手助けもできないんだ、と
 痛いほど感じて、大きなため息をつく。あるいは黙ってその人の顔を見つめる。極端
 な例を言えば、そばにいて涙をぽろぽろ流しているだけ。相手の手のひらの上に自分
 の手を重ねてじっとしている。何を言わない、いや、言えない。むしろこういうこと
 のほうが、人間の孤独な苦しみを少しでも受け止めて軽くすることができるのではな
 いか。
・人間にできることとできないことがあって、できないことがあると知ったとき「悲」
 という感情が目覚めてくるのではないか・
・他人の苦しみを、ぜんぶ自分がかわって引き受ける事など出来ない。本当に絶望して
 いる人間に言葉ひとつで希望を与えることなどできない。こういう人間の無力さとい
 うものを知った上で、それでも黙っていられない、だからといってその人のそばを離
 れていくには忍びない、そういうときは、ぼくたちはただうなだれて深く大きなため
 息をつくだけです。そばにいて無言で涙を流している。こういう感情を「悲」と言う
 のだろうと思います。「悲」という感情こそ、今この近代社会の中で無意識のうちに
 みんなが求めている感情だろうと考えることがあります。
・人間は自分の存在を認めてもらうことによって、生きる力をあらためて見出すことも
 できる。そして人間の手で、自分のつらいところや痛いところをさすってもらう、あ
 るいは、てのひらをのせてもらうだけでも、自分の痛みが少し鈍くなる気がする。
・近代というものは、できるだけ合理的で乾いた世界を追求してきた時代だろうと思い
 ます。それはたしかに新しい光だった。古い時代のジメジメした義理人情や、家族関
 係や、閉ざされた社会のいやなものを、すっきりと洗い流してくれる希望でもありま
 した。しかし、今、その近代がひび割れた乾ききった世界をつくりだしている。ぼく
 だちの身のまわりには、まだ古い封建的なものがたくさん残っており、それを近代で
 克服しなければどうにもならない点もある。本当の困難は、その近代と前近代との両
 方を同時になんとかしなければならない現実にあるのかもしれません。