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 バルブ崩壊後の日本は、長引く不況からなかなか脱出できず、その原因は今までの日本型経営手法
にあるとして、アメリカ型経営手法に大きく舵を切った。アメリカは完全な市場経済社会であり、所
得格差の激しい社会である。日本も今、アメリカ社会に徐々に近づいている。一億総中流社会と言わ
れたこれまでの日本社会が崩壊し、社会の中核をなしていた中流層がどんどん下流層に流れ落ちて行
くのである。これがどんどん進んで、1割の超裕福層と9割の低所得者層に二極分化されていくので
はないかと言われている。
 そんな社会は決して幸せな社会だとは思えないが、日本がいま向かっているのはそんな社会なので
ある。マスコミなどは「勝ち組」「負け組」などと、面白おかしく煽り立ててきたが、そういう人た
ちは「自分は負け組には入らないだろう」などと思っているからなのだろう。しかし、9割の人はい
わゆる「負け組」に入るのである。
 しかし、もはや後戻りはできないであろう。筆者はこれからの時代は「発想の転換」が必要である
と説いている。9割の「負け組」に入っても、人生を楽しく過ごす工夫をすれば、幸せな人生を送る
ことは可能であると。特に退職後の中高年に一番大切なのは自分の生きがいを見るけることであると
言っており、私もこの点については同感である。しかし、生きがいを見つけるのは、そう簡単ではな
い。筆者の言うように、ともかく一日でも早く生きがいを見るける活動を始めることが重要であろう。
少ない収入でも自分なりの生きがいを見つけ、楽しくそして人間らしく生きる。人は働くために生ま
れてきたのではなく、人生を楽しむために生まれてきたのだから。

まえがき
 ・日本に現れるのは「新たな階級社会」である。それは、一般市民が新興の金持ちに支配され、這
  い上がることの非常に困難な、安全で安心して暮らせる社会とはほど遠い社会なのである。その
  社会では、サラリーマンの給与格差も、急速に拡がっていく。一般のサラリーマンの年収は、グ
  ローバルスタンダードの300万〜400万円にまで下がっていくだろう。いま日本はそうした
  新たな階級社会への道をまっしぐらに進んでいる。
 ・わずか10年前まで、日本は世界に冠たる平等社会だった。それを、ごく少数の新興の金持ちた
  ちが、政治的にも、経済的にも、社会的にも支配する社会に作り変えようとしている。しかも、
  日本文化を根底から崩そうという革命がわずか10年にも満たない短期間で達成されようとして
  いるのだ。
 ・国民は、このシナリオの本質に気づかず、金持ち優遇社会への転換という「構造改革」を圧倒的
  に支持ちつづけているのだ。

第1章 日本経済に起きた「最大の悲劇」
 ・小泉経済政策の根本は緊縮政策だ。財政の無駄遣いをやめさせて、財政収支の黒字化を図る。
 ・緊縮政策は民間経済にも向けられた。問題企業を延命させることはしない。弱い企業は市場から
  退場してもらう。
 ・このような思想が国民に支持された理由は、小渕政権での財政拡大路線への反動があるのだろう。
  「小渕政権のときに、さんざん財政拡大政策を行った。ところが景気は決してよくならなかった。
  だから、あとは痛みを伴う構造改革しかないのだ。」それがマスコミが作った論調だったし、多
  くのエコノミストもそう言ったから、国民はそう信じてきた。
 ・デフレを止めようと思ったら、GDPギャップを解消する、すなわち需給を均衡させなければな
  らない。単純に考えると、それには二つの方法がある。一つは需要を増やす方法で、もう一つは
  供給を減らす方法である。小渕内閣がやったのは、需要を増やす方法で、森内閣や小泉内閣がや
  ろうとしたのが供給を減らす方法だった。
 ・世界恐慌に襲われたアメリカでは、デフレ期には創造的破壊は起こらなかった。破壊だけが起こ
  ってしまったのだ。経済が立ち直るきっかけは、デフレを止めるリフレ政策だった。
 ・日本で起こっていることも同じである。創造的破壊は存在しなかった。過剰債務企業を次々に潰
  し、労働者を企業から「解放」したが、新たな仕事は見つからず、それが失業の拡大となって現
  れてしまったのである。考えてみれば当然だ。企業を潰して、失業者を街に溢れさせる。そうな
  れば、国民は未来に不安を持つ。明日は我が身と考えるのだ。
 ・そのとき労働者はどのような行動をするか。失業に備えて、苦しいなかでも貯蓄を上積みするだ
  ろう。そうなれば消費は減っていく。
 ・経済学では、フィリップスカーブと呼ばれる有名な関係がある。失業率と物価上昇は反比例する。
  つまりデフレが進めば進むほど、失業率が上がっていくのだ。
 ・最初から就職しない若者が増えたのも、いまの中高年サラリーマンが、あまりにも夢のない生活
  をしている影響が大きい。「あんな生活はしたくないよね」というのはフリーターが共通して口
  にするセリフなのだ。
 ・フリーターの仕事は30代になると働き口が減少し、40代になると、さらに絶望的に減る。そ
  うしたときに、フリーターのままで中高年を迎えた彼らの多くは、失業者になってしまうだろう。
  そうなれば、その生活は他の労働者が雇用保険料で面倒みなければならない。
 ・フリーターは大抵の場合、国民年金に加入していなから、高齢者になったら大量の無年金者に変
  貌する。そのとき、生活保護の資金は、当然国民全体の税負担となる。
 ・フリーターの生活を様々な面で支えているのは親たちである。ところが親たちの余命は、ほぼ確
  実にフリーターの彼らよりも短いのである。
 ・現在のフリーターは、長引くデフレ不況のせいで、正社員として復活するチャンスを一度も与え
  られていない。少なくとも一度は景気を戻して彼らに正社員への道を与えないと、不公平である
  ばかりでなく、結局そのツケが社会全体に返ってくるのだ。
 ・子育てをしてみればすぐ分かるように、子どもが小さい頃というのはそれほどお金がかからない。
  一番お金がかかるのは、高校生・大学生のときだ。それにもかかわらず、子どもの小さいときの
  負担を小さくして、一番お金がかかる時期の負担を増やそうとする。
 ・いまお金を握り込んでいるのは金持ちである。一般庶民は所得がないから使えないのだ。だから、
  本当にデフレから脱却しようと、デフレを解消しようと思うなら、金持ちに増税して、一般庶民
  に減税しなければならない。それなのに小泉税制改革は、明確にその逆をやっているのだ。

第2章 日本に新たな階級社会が作られる
 ・90年代後半、日本にはたくさんのIT長者が生まれた。典型は、ベンチャー起業家だ。いまに
  して思えば、単なる思いつきにすぎないようなビジネスに投資家たちが飛びつき、株式の新規公
  開にこぎつけた起業家は労せずして数十億円もの公開益を手にした。
 ・とてもビジネスにならないような浅はかなビジネスモデルが、単に「IT」という言葉を被せた
  だけで、あたかも確実に成功するかのような幻想がふりまかれていたのだから。
 ・ITブームによって、ITの何たるかを知らない経営者や企業、そして一般投資家までが、身銭
  を切ってITに投資し、そして大火傷を負わされたからである。
 ・いまから考えたら、IT革命論は、ほとんど詐欺に近いものだったと言ってよい。ところがIT
  革命のふりまいた政府も学者も何の責任も取らされてはいない。それどころか、彼らには何の反
  省の弁もないのだ。
 ・IT革命については、森内閣のときに、内閣にIT戦略本部が設置されるほど、明らかに国家も
  一体になってITブームを演出した。
 ・言ってみれば、IT革命は国家犯罪だったのだ。だからこそ、これだけ大きな被害を日本経済に
  与えたにもかかわらず、誰も責任を取らないのである。
 ・私は日本経済不振に大半の原因は、資産デフレ、特に地価の下落だと思っている。その理由は、
  大都市商業地の地価がバブル崩壊後の10年で6分の1に落ち込むという激烈な下がり方をした
  ことと、「土地」が日本の金融システムと深く結び付いてきたことである。
 ・よく、バブルのときには、人々は集団的熱狂状態だったと言われる。しかし、それは人々が狂っ
  ていたということでは決してない。バブル期には、一般のサラリーマンまでが6千万円とか8千
  万円といった、いまにして思えばとんでもなく高い価格のマンションを買った。しかし、そうし
  たマンションを買ったサラリーマンも当時から「高いな」とは感じていたのだ。それでも買った
  のは、「来年になったら、もっと上がる」と思ったからだ。特に不動産投資で設けようとしたの
  ではない。単に「来年になったらもう買えなくなってしまう」という恐怖があったから、無理し
  てでも買ったのである。
 ・バブルで悪いことをしたとか、経営を失敗したというより、「借金をして不動産を買った」こと
  自体が責められているのだ。
 ・本格的なデフレが訪れると、必ず弱い企業の淘汰が進み、強い企業による買占めが横行する。そ
  の結果、勝ち組企業による市場の寡占化が進むといのが歴史の教訓なのだ。
 ・世界恐慌期のアメリカで、自動車産業の吸収合併が相次ぎ、ビック3と呼ばれる寡占体制が確立
  したのが典型である。デフレは最も強力な金持ちの道具なのである。
 ・買い占めをしたハゲタカたちは、それだけでは満足しない。彼らは必ずそれを値上げにくる。理
  由は二つある。一つは、現在の地価は逆バブルなのだから、本来の価格に戻すだけで2倍以上の
  価格に跳ね上がる。カネの亡者の彼らが、そんな利益機会を放って置くはずがない。もう一つの
  理由は、買い占めた不良債権をデフレの中で放って置くと、事業はおろか商業地の不動産も経済
  失速で腐ってしまうということだ。買い占めが終わったら、できるだけ早く景気を切り替える必
  要があるのだ
 ・それでは、いつ逆バブルを解消させるか。私は2003年末から2004年3月末の可能性が一
  番高いと思っている。ただ、正確な時期を予想することは、最初から困難である。政府とハゲタ
  カが本気で逆バブルを弾きにきた時が、逆バブルが弾ける時だというのが正確な表現だろう。
 ・逆バブルが解消して、土地の値段が2倍以上に上がり、物価も上昇を始めてまともな金利がつく
  ようになれば、いまの日本が抱えている金融問題のほとんどは雲散霧消する。
 ・日本の中小企業を守りながら金融を再生させる方法は、土地担保主義の金融システムを復活させ
  る以外に方法はないのであり、それは裏返して言うと、でデフレが終結して土地担保主義の金融
  システムが機能回復した瞬間に日本経済は劇的に回復するということだ。それも半端でない勢い
  で回復していくことになるだろう。
 ・インフレターゲットで物価を上げていくと、ハイパーインフレになってしまうという心配の声も
  聞こえてくる。しかし、日本経済がハイパーインフレに陥る危険はきわめて小さいのだ。
 ・過去にハイパーインフレが生じたのは、戦争などの理由で供給力が毀損していて、需要増に対応
  できなかった場合がほとんどである。 
 ・日本にハイパーインフレの可能性があるのは、日銀がヘリコプターマネーで、100兆円単位キ
  ャッシュをばらまく以外はありえないのだ。
 ・80年代以降の世界では、金融危機になり、その後、経済は立ち直ったものの国内企業の多くが
  外資に買収されてしまった。そんな例はたくさんある。ブラジル、メキシコ、イギリス、そして
  韓国。例えばメキシコでは国内銀行がなくなってしまった。全部外資に食われてしまったのであ
  る。それと同じことが、おそらく日本でも起こるだろうということだけなのだ。そして、この混
  乱の勝者はいつも金持ちで、被害者はいつも一般庶民なのだ。
 ・金持ちたちの野望は、不動産や株式を買い占めたたけでは完成しない。彼らの目指しているのは、
  アメリカ型の金持ちの生活だ。豪邸やプールや別荘やリムジンがあっても、それだけでは足りな
  い。彼らは「人間」も支配したいのだ。彼らは、自分専用の運転手やメイドやボディガードが欲
  しい。また、自分が経営する会社では奴隷のように働いてくれる社員が欲しいのである。
 ・デフレのときに犠牲になるのは、いつも「弱者」である。例えば、会社が経営不振に陥って、従
  業員の一部を解雇せざるをえなくなったとき、企業はどうするか。標的になるのは、弱い労働者
  である。
 ・デフレ期に中高年が離職すると、長期失業者になってしまう可能性が高い。仮に再就職できても、
  賃金は大幅に低下する。年収が半額になっても、正社員になれればまだましで、パートやアルバ
  イトの仕事しかない場合も多い。パート、アルバイトになれば、賃金は正社員時代の5分の1と
  か6分の1になってしまう。
 ・正社員として会社に残れたとしても地獄が待っている。デフレのなかで一般社員の賃金は減って
  いく。
 ・戦後の日本の歴史の中で、これだけ経営者が暴走した時代があっただろうか。デフレで労働力需
  給が緩むなかで「文句があるなら代わりはいくらでもいるぞ」という強者の論理がまかり通って
  いるのだ。
 ・中高年より若年層、高学歴より低学歴、男性より女性。社会的弱者ほど、デフレの痛みを受けて
  いるのだ。弱い者がますます弱くなっていく。デフレの痛みだけでそうなるのに、さらにここに
  市場原理の強化が加わる。
 ・いま日本中の企業が、積極的に導入しているのが、成果主義型の賃金体系である。成果主義が強
  化されても、自分の賃金は下がらないと思う人が多いかもしれない。だが、そんなことはない。
  成果主義というのは、ごく一部の人の処遇を思いっ切り高くするためのシステムである。会社が
  支払える人件費の原資は限られているのだから、一部の人に高い賃金を支払えば、残りの人の賃
  金は減っていく。いわゆる「勝ち組」になれるのは多くても1割だ。残りの9割の人たちは現在
  よりも収入が減っていく。それが成果主義というものなのだ。
 ・いま起こっている変化は、サバイバルゲームのようなものだ。これまでの平等社会から一人、ま
  た一人と落ちていき、残れるのはほんのわずか。そして、そのわずかの人たちが、残りの一般庶
  民を奴隷のように使っていくのだ。そして、一度一般庶民層から落ちると、そこから這い上がる
  ことは、孫の代まで困難になる。
 ・いまの小泉政権が行っている「デフレ下の構造改革」が、これまでの平等社会を破壊し、弱肉強
  食社会を作ろうとしているのに、いったい何故国民は小泉改革を支持するのだろうか。
 ・「改革なくして成長なし」というが、国民は本当に経済成長を望んでいるのだろうか。一般の国
  民は、激烈な競争を勝ち抜いて他人を踏み台にしてでも、豪邸が欲しかったり、プールが欲しか
  ったり、召使いが欲しかったりしないのではないだろうか。それよりも、もっとゆったりと人生
  を楽しめるような安全で、安心な暮らしが欲しいだけなのではないだろうか。
 ・デフレの初期段階では、雇用の守られたサラリーマンや年金生活者はデフレのメリットだけを受
  ける。賃金や年金が下がらないなかで、物価や不動産価格が下がるのだから、よりよい生活がで
  きるからである。
 ・もちろんデフレの初期段階でも、デフレの被害者はいる。それは、リストラの憂き目にあった人
  たちや良質な雇用機会を得られなくなった新卒者たちである。しかし、リストラされた人は全体
  からみたらわずかだから、彼らの声は無視される。新卒者は投票に行かないし、高卒者にはそも
  そも投票権がないから政治的にデフレを強要されることもないのだ。
 ・もちろんデフレが進めば進むほど、デフレの被害者は増えていく。リストラの対象となる人が増
  え、賃金が下がり、ボーナスのでない人が増えていく。ところが、社会的に声の大きい人ほど、
  デフレの犠牲になるタイミングが遅いのだ。例えば公務員である。
 ・発言力の強い人が、弱い人への思いやりをなくしている。それが、いまの日本だ。
 ・インフレになったら、金融を締めればよい。そうすればインフレは沈静化する。それは世界中で
  共通に成立してきたごく当たり前の経済原理である。
 ・日本で本格的なデフレが起こったのは、すでに70年前になる。その時の記憶を持っている国民
  はほとんどいない。だから、デフレはインフレよりもはるかに怖いのだということを、きちんと
  経済史を勉強した人以外は、なかなか理解できないのだ。
 ・デフレ下で小泉首相や竹中大臣のような弱肉強食政策を採るリーダーが支持されてしまうのは、
  庶民は自分が痛めば痛むほど、強いリーダー、あるいは「英雄」を求める性格を持っているから
  だ。歴史を見ても、ヒトラーやムッソリーニや濱口雄幸は、デフレ不況のなかから生まれている。
  ナポレオンも、最初は経済で困窮する庶民の英雄だった。庶民の悲しいところは、金持ちについ
  気後れしてしまうことだ。
 ・小泉首相も田中真知子議員も、庶民の代表だと思っている人はいないだろう。彼らは完全に貴族
  階級なのだ。ただ、それでもパフォーマンスをされると、ついつい自分たちの味方だと錯覚して
  しまうのである。

第3章 1%の金持ちが牛耳る社会
 ・逆バブルが弾ければ、日本の景気は劇的な回復に向かう。しかし、景気が回復するといっても、
  一般のサラリーマンはそう喜んでばかりいられない。なぜかといえば、インフレ時代がやってき
  ても一般サラリーマンの給与は、おそらく物価上昇ほどには上がっていかないとみられるからだ。
  したがってインフレ経済への転換は、サラリーマンの生活水準を少しずつ下げていくだろう。
 ・サラリーマンの給料が上がらなくなるのは、弱肉強食の経済システムを導入する「構造改革」が
  原因だ。もし、それがなかったら、インフレ経済への転換で、サラリーマンの給与は物価を超え
  て上がっていくのだ。成長の成果が平等に分配されるからである。日本型システムをアメリカ型
  のシステムに変えてきた結果、インフレ経済ヘの転換によって得られる全体のパイの拡大が、金
  持ちに独占されてしまうのである。
 ・どちらにせよ実質賃金が下がっていくのだから、経済全体のパイが縮小するデフレよりも、パイ
  が拡大するインフレのほうがずっとましなのである。問題は、市場原理の強化という構造変化な
  のだ。この構造変化によって、サラリーマンの「安定」は失われてしまったからである。
 ・かつての日本のサラリーマンは、「休まず、遅れず、働かず」などと揶揄されながらも、真面目
  にコツコツと勤め上げていれば、それなりの給料と雇用と老後が保証されていた。だがそうした
  サラリーマン人生は、もはや過去の幸福な幻想でしかない。
 ・平均的な階層の人たちの収入は日本よりもはるかに低く、その代わりに超のつく金持ちがたくさ
  んいるというのが、いまは資本主義世界のスタンダードになっている。市場原理を主体にした経
  済というのは必ずそうならざるを得ないのだ。
 ・日本でもアメリカのように市場原理のシステムがさらに浸透し、厳しい競争社会になっていけば、
  一部の人たちに富が集中するようになる。そうならざるを得ないことは、日本のサラリーマンも、
  薄々感づいているだろう。ただ、引き算ができないのだ。たくさん取る人が出れば、残りは減る
  のだ。それなのに、みんな心のどこかで、自分だけは収入が下がることはないと思っている。だ
  が、それは悲しい幻想だ。
 ・市場原理は想像を絶する所得格差をもたらす。いまの日本型年俸制が想定する「上2割、下3割」
  といった緩やかな所得格差ではなく、1億円稼ぐサラリーマンが出てくる一方で、年収100万
  円台のサラリーマンが激増していく。日本でも所得格差が100倍というのが珍しくない時代に
  なっていくというのが、市場原理が生み出す成果なのだ。
 ・単に、一般サラリーマンの給与が落ちていくということだけでなく、正社員がじわじわと地崩れ
  して、中流が消失するという形で、所得格差が開いていくのである。それはレーガン政権で市場
  原理が強化されたアメリカで起こったことと基本的に同じなのである。いま日本は確実にアメリ
  カ社会への道をばく進しているのだ。
 ・階級社会のモデルには大きく分けて、アメリカ型とヨーロッパ型の二種類がある。どちらも階級
  社会なのだが、その中身はまったく違う。
 ・「フェアで誰にでも公平にチャンスが与えれられている国」と言われるアメリカが階級社会とい
  うと意外な感じがするかもしれない。たしかにアメリカは形の上では社会全体が全部つながって
  いる。そのことがアメリカ社会の活力になっていることも否定できない。しかし、低所得層がカ
  ネ持ち階級に成り上がっていくのはきわめて困難だ。だから階級社会なのである。
 ・ヨーロッパの社会は貴族階級と一般市民の間が完全に分断されている。どんなに努力しても一般
  市民が上の階層に成りあがることはあり得ない。一般の市民でも、ごく稀に「ナイト」の称号を
  もらうこともあるが、それは例外中の例外で、市民は市民、貴族は貴族という明確な階級の区分
  があるのだ。
 ・ヨーロッパやこれまでの日本には、例えば一生研究にだけ費やす大学教授のように、社会的地位
  は高くて尊敬されるけれども金銭的には恵まれないという例はたくさんあった。そこが、アメリ
  カ社会との大きな違いである。
 ・アメリカというのは、所得と社会的地位が比例する社会だ。だからお金を稼ぐことに成功すれば
  誰でも社会的地位を得ることができる。
 ・一方、大陸ヨーロッパというのは毅然とした階級分断が残る社会だ。一般市民はどんなに努力し
  ても貴族にはなれないから、最初から階級を駆け上がる「成功」をあきらめている。
 ・ヨーロッパの普通の市民にとって、人生の目的は「いかに楽しく人生を過ごすか」ということな
  のである。だから、年次有給休暇は全部消化するし、残業もしない。そして定年年齢を早めて、
  一日でも早くリタイアしようと考えている。
 ・ヨーロッパの庶民の価値観は、ある意味で、江戸時代の日本に近いのかもしれない。江戸時代の
  庶民は、身分制度のせいで武士階級になることなど考えられなかった。しかし、庶民が不幸だっ
  たかと言えばそんなことはない。貧しい暮らしながらも、お祭りには大騒ぎをし、歌い、踊り、
  そして生涯恋をして生きていた。誰も、将来不安に怯えて、ひたすら萎縮するようなことはなか
  ったのである。
 ・日本人は高度成長期まではみんな「エリート」だったのだ。エリートに限っては、世界中、大陸
  ヨーロッパも含め、誰もが長時間労働をしている。就業規則なんて一切無視で、24時間働き続
  けるのがエリートなのだ。欧米と違って、高度成長期の日本は、入社の時点では誰でも社長にな
  れると言われていた。
 ・私は日本人を幸せにするモデルは、大陸ヨーロッパの方なのだろうと思う。これだけ日本人は豊
  かになったのだから、もう馬車馬のように働くのはやめて、多少お金の面ではきつくても、フラ
  ンスやイタリアの一般市民のようにゆとりのある生活を始めてもよいのではなかろうか。
 ・本当の豊かさとは飛行機で世界中を飛び回って土産を買いあさることではなく、田舎のひなびた
  ホテルのプールサイドとかカフェのオープンテラスで、一日ゆったりと本を読んで過ごすことで
  はないだろうか。
 ・日本は構造改革によってアメリカ型社会に変わろうとしている。おそらくもう後戻りはできない。
  アメリカの社会というのは、どんな階層も形式上は一応つながっている。低い階層の出身者もチ
  ャンスはある。だから、ときには、「アメリカン・ドリーム」も生まれるわけだ。だが、実はこ
  うしたアメリカン・ドリームは例外中の例外にすぎない。多くの金のない非白人は、やはり社会的
  地位は低いし、収入も当然低いのである。そうした現実を何とか見返してやろうというハングリー
  精神がアメリカ社会のパワーの源になっているのも事実だが、スタートラインは決して公平では
  ないのである。スタートラインが公平でないうえに、その後の人生も公平とはいえない。
 ・アメリカ社会では、いったん職種を決めて入社してしまうと、職種転換もないし、ポストが上が
  ることも、給料が上がることも原則としてないのだ。社長になりたかったら、最初からエリート
  コースに就職しなければならない。もちろん、そこでは過激な競争が待っており、這い上がって
  いくということは並大抵のことではない。
 ・日本では大企業の社長になっても、せいぜい年収3000万円程度だが、アメリカでは数十億円
  から100億円以上などというケタ違いの年収が得られる。給料が100倍違えば競争も100
  倍痴熾烈になるのは当然だ。日本では人事異動でたまたま社長になったというケースが結構ある
  が、アメリカで社長になるのは権力に強い執着を持っている人間ということになる。アメリカ社
  会は「みんな公平にチャンスがある。努力と才能が報われる社会」と言われる。だが、実はこれ
  が最大の嘘なのである。
 ・アメリカの企業では必ずしも能力や努力が正しく評価されないだけでなく、親が持っている金、
  親が与えてくれた学歴、親が作ったコネクションのほうが、はるかに力を持つケースも多い。
 ・アメリカよりむしろ、かつての日本のほうがずっと平等でチャンスが与えられている社会だった
  と私は思う。貧しい子どもでも、成績が優秀なら努力して東大に入ることもできた。日本は学歴
  社会であると言われるが、かつて高度成長期の頃は「大卒」なら、大体どこの大学でも大企業の
  ホワイトカラーになることはできたのだ。従来の日本企業では入社した時点では全員が将来の社
  長候補である。これはもちろん建前で、実際には社長や役員になれるのはごく一握りなのだが、
  それでもチャンスは誰にでも平等に与えられていた。
 ・アメリカ企業の場合、エリートは最初からエリートとして入社し、そのままずっと出世の階段を
  駆け上がっていく。
 ・新階級社会では、日本人の働き方が大きく変わる。いままで日本人の働き方には大きく分けて二
  つの選択肢しかなかった。一つはパート、アルバイト、フリーターという形で年収100万円前
  後の安い賃金で働く働き方である。もう一つが、正社員のサラリーマンになって、いやな上司や
  いやな顧客に歯を食いしばって我慢しながら、つまらない仕事でも、私生活や家族を犠牲にして
  でも、必死になって働いて年収700万〜800万円をもらうという働き方だ。
 ・しかし、平均的なサラリーマンが年収700万円も800万円ももらっているということ自体が、
  世界的な常識からすれば、ある意味で異常なことだった。欧米の先進国でも、世帯年収が300
  万円から400万円というのがグローバルスタンダードなのである。
 ・だが、いまは世界的にみてもトップレベルの日本のサラリーマンの年収は否応なく、世界の標準
  に近づいていかざるを得ないのだ。
 ・今後の日本社会は「所得の三層構造化」が現実になっていくだろう。1億円以上稼ぐような一部
  の大金持ちと、年収300万から400万円ぐらいの世帯標準給料をもらう一般サラリーマンと、
  年収100万円台のフリーター的な人たちの三層構造だ。
 ・大企業の方針としては、従来のように、一律正社員として採用する時代はすでに終わっていると
  いうことだ。これまでは、学校を出て就職をして、その会社にずっと勤めるというのが、多くの
  国民が考える人生のビジョンだった。だからこそ、良い生活をするためには、良い学校へ進学する
  ればよいということで、生徒や学生は余計なことを考えずに、とりあえず真面目に勉強をしてお
  けばよかったのである。
 ・ところが、いまやすでに、大学や高校を卒業したあと、新卒で就職して、一つの会社に3年間続
  けて勤務する人は、統計上でも4割を切っているのだ。日本社会の安定を支えて「普通のサラリ
  ーマン人生」というのが、猛烈な勢いで縮小していっているのである。 
 ・それでは、正社員の雇用機会が縮小していくと、労働者はどこにいくのか。それは三階層目、す
  なわちパート、派遣社員、アルバイト、フリーターなど、労働経済学でいう非典型労働者が増え
  ていくという変化にほかならない。
 ・かつて中流といわれたサラリーマン層がリストラのたびに低賃金労働者層に落ちていき、新卒者
  は正社員としての就職を経ないままで低賃金層に入っていく。
 ・いままでは大学さえ出ていれば、どんな大学でも一応「大卒」のブランドを得て、「大学卒」の
  給与テーブルに乗れた。だが、今後は一部の限られたブランド校、東大、早稲田、慶応、上智な
  どごく一部の大学だけが、いわゆるエリート層を排出する機関として生き残って、ブランドを持
  たない大学は淘汰されるという時代がやってくるだろう。
 ・これもすでに現実となっているが、今後は住む地域によって土地価格がはっきり二極化していく
  だろう。
 ・高級住宅地とは、東京で言えば、港区の青山、麻布、白金、渋谷区の松潯などのお金持ちの住む
  地域だ。一方で、一般市民しか住んでいない地域の地価は、いまでもまっさかさまに落ちている。
  この傾向は今後も続くはずだ。
 ・高級マンションが人気の都心部は、地価が小幅の下落にとどまり、一方で、郊外など収益性、利
  便性が低い地点では引き続き下落幅が拡大している。不動産という資産分野でも、都心に不動産
  を持つ経済強者たちは、どんどん資産価値を増やす一方で、郊外に住む一般市民たちの資産価値
  は着実に減っていく傾向が明らかになっているのだ。
 ・土地の価格が今後も値下がり続けると、その地域はいずれスラム化していくだろう。例えば住宅
  ローンを払いきれなくなって手放すと、その家は安い価格で叩き売られる。価格が安くなると、
  今度は「低所得層」がその家を買うから、次第にその地域の資産価値が落ちていく。それを嫌っ
  て、ますます人がでていく。そうなると、次第に買い手もつかなくなる。マンションで言うと、
  空き室率が30%を超えると急速にスラム化が進むのだそうだ。
 ・アメリカでは国民皆保険制度がないため、2000年現在で約4000万人もの保険に入れない
  人がいる。低所得層は、NPOが運営する病院で5時間も並んで5分しか診察してもらえないと
  いうことが実際に起こっている。盲腸の手術をするだけで1回300万円も取られるから、手術
  にもいけなくて盲腸で命を落とす者も少なくないという。低所得層にとっては、文字どおり金の
  切れ目が命の切れ目になってしまうのだ。日本がいま向かおうとしている新階層社会とは、まさ
  にそういう社会なのである。
 ・かつては成長企業・成長産業という考え方が成り立ったが、今後はそうした成長企業や成長産業
  とういうもの自体がなくなる。「この業種に入れば必ず成長する」と言えたのは、かつての高度
  成長時代の最大の特長だった。しかし、そうした成長業種があったのは、全員が欲しがる巨大商
  品があったからである。 
 ・外資系企業が日本にずっと腰を下ろしていくことはあまり考えられない。なぜかというと、ごく
  一部の例外を除けば、日本に来ている外資系企業の経営者は二流三流どころが多いからだ。本当
  に有能な人は、アメリカ本土やヨーロッパにいて、日本に来る経営者は二流、三流というのは、
  外資系企業の常識になっている。彼ら日本に来る経営者は中長期的な戦略も持たず、アメリカ本
  社の顔色を見ながら短期の数字だけを上げることだけに腐心している人も多い。
 ・いまの日本は不況で地価は下落している。日本企業や日本の不動産は買い得だからと外資がどん
  どん「日本買い」を進めている。今後、景気が回復したら、たぶんさっと売り逃げるだろう。そ
  して売却益を稼ぐのだ。外資系企業の撤退が加速すれば、外資で働いている社員の多くは居場所
  がなくなってしまう。転職の機会も少なくなっていくから、その結果、いまの外資系のエリート
  ともてはやされている人たちは低賃金層に落ちていくか、あるいは能力や金銭的余裕があるなら
  自分で事業を始めるか、どちらかを選ばざるを得なくなるだろう。
 ・転職を繰り返してステップアップするというワークスタイルも、最近はやりだしたが、残念なが
  らそれも幻想だ。転職市場が整備されていない日本だから不利だというのではない。例えばヨー
  ロッパでも転職を繰り返すことは決して得策っではないというのが常識だ。転職によってステッ
  プアップしていくなんて幻想はもう捨てたほうがいい。というよりも、「ステップアップする」
  という夢自体を最初からあきためたほうがいい。転職が成功できるのは、転職前の会社で実績を
  上げられた人だけだ。いまの会社で芽が出ないから、次は仕事を替えてみようという安易な発想
  で、うまくいくことなどありえないのだ。
 ・あまり収入は期待できなくても楽しい仕事、そういう選択をすべきだ。営業が好きな人も、経理
  が好きという人もいる。人それぞれである。他人に惑わされることはない。ただし、それも20
  代のうちだけだ。いまでもすでに、30代になれば転職できる仕事は相当減るし、40代になる
  ともう絶望的に仕事はなくなる。
 ・私と同年齢の40代でフリーターをやっている知り合いがいる。工場の油仕事という典型的な3K
  労働でさえ、3ヶ月間の試用期間を経てようやくパートタイマーとして採用された。それが40
  代のなんの技術もない男の行く末なのである。
 ・資格取得も、一時ブームになった。これもステップアップ幻想の一つだが、はっきり言おう。確
  実に就職が可能だと保証できる資格などない。資格でメシが食えるのは医者と弁護士くらいのも
  のである。
 ・結局、サラリーマンにとって何が売り物になるのか。資格でも英会話能力でもない。ズバリいう
  と、それは仕事のなかで積み重ねてきたキャリア、実務能力だ。それしか売れるものはない。特
  に手に職を持たないホワイトカラーの場合はそうだ。
 ・せめて真ん中の層に生き残ろうと思ったら、「経理のプロ」でも「苦情処理のプロ」でも「総会
  屋対策のプロ」でも何でもいい。自分ならではといえる売る物を身に付ける。それがつまりキャ
  リアなのだ。
 ・会社の中で人事のローテーションで命じられるままにいろいろは部署の仕事をしてきた、それを
  キャリアと勘違いしてはいけない。売り物になるキャリアは結局、何も身に付いていないのだ。
  特に、日本の会社組織の中では専門性を身につけたプロになれない場合が多い。
 ・会社が言う「成果主義」というのは、いわばお題目にすぎない。何度も言うが、能力主義・成果
  主義が強化されるということは、特定のエリート階層だけが受け取る分け前を増やしていこうと
  いう意味なのである。経営者が本当にやろうとしていることは、エリートに手厚くして、その代
  わり、エリートでない一般社員の待遇をどんどん引き下げていこうということなのである。
 ・実際、すでに多くの企業が成果主義を実施しているが、その成果主義で個人個人の努力や能力が
  ちゃんと評価されているのだろうか。コネ、ゴマスリ、同期の足を引っ張るのがうまい奴ばかり
  が良い目を見てはいないだろうか。
 ・だが、この流れはもう後戻りできない。さらに極端になっていく。エリートばかりが給料や労働
  条件の限られたパイを取れば、その分、エリート以外のパイは小さくなるのは当然なのだ。結果
  として、いまは中間層にいる大部分の人たちは、今後は下の層に落ちていかざるを得ない。すく
  なくとも9割の人たちはズルズルとすべり落ちていく。「負け組」にならざるを得ないのだ。
  その最終的ゴールは、エリートと非エリートの年収格差が「100倍」になることなのだ。

第4章 年収300万円時代の「豊かな」生き方
 ・実は経済的にみたら、日本人は世界に冠たる高額所得者なのである。実際の順位でみても、ルク
  センブルクと日本は世界一をめぐってデッドヒートを続けている。
 ・ビジネスエリートたちの生活は凄まじい。加速を犠牲にして寝る間も惜しんで働いて、いつ競争
  から脱落するか、いつボーナスが激減するか、いつストックオプションが紙くずになるのか、い
  つ株主代表訴訟で訴えられるか、いつクビを切られるかという不安を抱えて、その代償として驚
  くような高収入を得ているのだ。
 ・実はそういう人生はアメリカでもイギリスでもスタンダードではない。普通の感覚からみたら異
  常な人たちなのである。いわゆる「勝ち組」の生き方を目指すということは、そういう生活を目
  指すということなのだ。普通のサラリーマンはそんな生活をしたいとは思わないだろう。むしろ、
  お金はほとほどでよいから、もっと安心してゆったりと暮らしたいと思っているのではないか。
 ・長時間労働をして高い所得を得る日米英、ほとほどに働いてゆったり暮らす大陸ヨーロッパ。個
  人個人が、自分がいかに楽しく生きるか、いかに幸せに生きるかという価値観を中心にしてきた
  のがヨーロッパの人々なのである。
 ・それは、いくら頑張ったところで、貴族になれないというあきらめの境地からきている。そうし
  たある種の「あきらめ」こそがいまの日本人に一番必要なことなのではないだろうか。これから
  日本の一般サラリーマンの実質賃金は下がっていく。下がっていくのに、相変わらず滅私奉公で
  は救われないのではないか。
 ・最近ではコンビニはおろか、スーパーマーケットまでが元日営業している。便利と言えば便利だ
  が、そこで働く従業員のことを考えたらどうだろう。盆も正月もなく働いて、一体家族の団欒は
  どうなっているのだろうか。やはり働く人が、「正月は休もう」と言うべきなのではないだろう
  か。
 ・日本のサラリーマンは、自らのライフスタイルを一部の異常な「勝ち組」たちの生活に無理やり
  合わせようとするのはやめて、ヨーロッパの普通の人たちのような価値観に切り替えたほうが、
  よほど幸福なのではないだろうか。
 ・日本人は不況だ不況だと言いながら、ワールドカップでは、たくさんの人が5万円とか、試合に
  よっては30万円のプレミア・チケットを買った。海外旅行にも相変わらず大勢の人が出かけて
  いる。平均的な日本人の生活のほうが、平均的なヨーロッパ人よりもおそらくずっとリッチなの
  だ。
 ・日本人もそろそろ発想を変えてみるべきではないだろうか。わすか1割の「勝ち組」に這い上が
  り成功して金持ちになるなどという夢のために、自分の人生を犠牲にしてまでも働くという発想
  自体を変えれば、いまの日本では「貧乏」でも結構ハッピーな生活を送ることができるのだ。
 ・いまの日本は、社会資本もそれなりに整備されているし、文化的な基盤もそれなりにある。お金
  を使わなくても幸福に暮らす方法はあるのだ。ただし、それには働き方や生活の上での発想の転
  換が必要になってくる。
 ・知的創造社会への移行で、これからはアイデアやセンスなどが商品の付加価値を決定的に左右す
  る時代になる。そういう社会になればなるほど、会社のあり方、サラリーマンの仕事の仕方も変
  わっていかざるを得ない。そこで求められるのは、従来の常識にとらわれない大胆な発想の転換
  だ。
 ・知的創造社会化が進めば、そこで働くサラリーマンにも、個々人のクリエイティビティ、つまり
  創造性が求められるようになる。例えばマニアに物を売るには、売る側もマニアでなければなら
  ない。物の作り手の側、売り手の側もマニアの気持ちが分からなければモノは売れないのだ。マ
  ニアはマニア以外の人間からすれば、「変」な人にしか見えない。だから、これからは「変」が
  価値になる。
 ・知的創造化への変化はもう後戻りできない変化だ。クリエイティブな人材はそれなりに報酬が得
  られるが、何の創造性も持たない人は、第三階層の人材に置き換えられていくだろう。
 ・新階級社会では、多くのサラリーマンが年収300万〜400万円程度になると書いたが、実は
  その年収400万円を稼ぐのさえ決して楽ではなくなる。特に単純作業やルーティンワークしか
  できない人は正社員にさえなれなくなる。かつての日本企業は組織力重視だったから、そういう
  人にも居場所はあった。だが、今後はアルバイトやパートしか仕事がないとしたら、年収100
  万円台というレベルになるだろう。
 ・「35歳定年説」がある。これは35歳までは豊富な仕事のチャンスがあるが、それを過ぎると、
  仕事になかなかありつけなくなるという意味だ。特に最近増えている派遣社員の世界で「35歳
  定年説」は幅を利かせている。
 ・男女や雇用形態を問わず、新しい仕事に就こうと思ったときの年齢が高くなればなるほど、求人
  の数も種類も減っていくというのは、間違いない事実だ。特に、事務一般職の女性も含めて、補
  助的な業務をしている人の場合には、その傾向がはっきりしている。
 ・それでは、30代以降も仕事が見つかるようにするには、どうしたらよいのだろうか。高い専門
  性を持っていれば転職は可能だとよく言われる。私はその考え方は必ずしも正しくないと思って
  いる。30歳を過ぎてからの転職に必要なのは、幅広い専門性である。あまりに高い専門性を確
  立してしまうと、その職種の需要が飽和してしまったり、新しい技術に置き換えられてしまった
  ときに、就職先を失ってしまうのだ。いわゆる「つぶしが利かない」という状態である。
 ・30代半ば以降に転職を成功させている人たちに共通しているのは、特定の分野に関して幅広い
  知識と経験を持ち、しかも対人交渉能力と変化への柔軟な対応力を持っているということだ。
 ・採用面接でも、20代までは「何ができますか」と問われるが、30代になると「あなたはわが
  社にどんなことをしてくれますか」と問われるようになる。さらに40代になったら、募集広告
  を見て応募するという形そのものが少なくなり、自ら事業やプロジェクトを売り込んでいかなけ
  ればならなくなる。だがそれは、実際には非常に難しいことだ。高い能力と経験のある人にしか
  できないだろう。
 ・世の中に楽しくてお金になる仕事というのは存在しないし、どんな仕事が自分に一番向いている
  かを見つけることも容易ではない。だから、20代のうちはワガママでよい。派遣でもアルバイ
  トでも正社員でも、とにかくいろいろな仕事をしたほうがいいと私は思う。ただ、その目的は
  「勉強」である。様々な仕事を経験するなかで、社員がどのような仕事をしているのかをしっか
  り観察して、一番自分に合っている仕事を見つけ出すのだ。面白くて金になる仕事はない。しか
  し、「いくらかまし」という仕事は必ず見つかるはずだ。そして、その仕事を選んだら、そこか
  らはあまり浮気をせずにじっくり腰を落ち着けて、一生を通じて付き合っていく。それが、「普
  通の人」にとって一番望ましい仕事選びのやり方だと思う。
 ・よい転職先があるかどうかも切実な問題だが、それどころか、否応なく失業させられる危機を誰
  もが感じざるを得ない世の中になってきた。
 ・ところが日本社会は失業しないことを前提に作られてきた。中年男性が会社に行かずに家でぶら
  ぶらしているだけで、世間から冷たい目で見られる。だから、リストラで突然仕事がなくなって
  しまうと、どうしてよいのか分からずに右往左往してしまうのだ。
 ・ただ、冷酷なことを言うようだが、特に中高年ホワイトカラーの場合、失業してからやれること
  は、ほとんどない。あわててパソコン研修に出掛けたり、英会話教室で勉強したところで、就職
  にはほとんど役に立たない。40代を過ぎて、就職するときに武器になるのは、その人がどのよ
  うなキャリアを重ねてきたかということだけだ。民間の人材紹介業者の話を聞くと、共通してい
  るのは、「いままでの会社で管理職しかできない人が、一番売れない」ということだ。
 ・収入が減るばかりか、失業の危機にさえさらされる「新階級社会」では、それこそ「自己責任」
  で自分の生活を防御しれかればならない。
 ・稼ぐ方法としてお勧めしたいのは、ネットを最大限利用することである。
 ・今ほど超マイクロベンチャーがやりやすい時代はない。
 ・これからビジネスを始めようとするときに、「不退転の決意」とか「背水の陣」などと悲壮な決
  意はしないほうがいい。いまは、失敗が当たり前の時代だ。悲壮な決意などしたら、あとの人生
  が続かなくなってしまう。
 ・大手の会社に勤務していて、希望退職に応じたとする。そのとき、早期退職金をフランチャイズ
  に注ぎ込むような無茶はしないことだ。とりあえず小さくやってみて、だめだったらさっさと引
  くというスタンスが、現代に合ったやり方である。もっと気楽に構えて、下手な鉄砲も数打てば
  当たるくらいに、お気軽に考えたほうが、案外、成功するものなのだ。
 ・いまはみなが年末年始とお盆に休むから、行楽地はどこへ行っても満員。せっかく休みをとった
  というのに、疲れに行くだけになっているのが現状だ。しかも、料金だけは呆れるほど高い。し
  かし、みながバラバラの時期に年休をとれば、ゆったりと安い料金でバカンスを楽しむことが可
  能なのだ。
 ・年休は、レジャーのためだけにあるのではない。家族との絆を強めたり、地域活動やボランテア
  に使ったりと、仕事以外の生活の充実に役立つのだ。
 ・私が一番お勧めするのは、ゆったりとリフレッシュするのと同時に、自分自身への投資に年休を
  使うことだ。
 ・会社の生活にどっぷりと漬かっていると、どうしても人間関係が狭くなってしまい、発想も貧困
  になってしまう。一人一人が豊かな発想をしていかなければ、未来を築く力も生まれない。会社
  以外に一生付き合っていけるライフワークを見つけておくことは、老後を豊かに生きるためにも
  豊かな人生を送るためにも不可欠なのである。
 ・今の時代のキーワードを一つだけ挙げれば、「不安」ということになるだろう。9割の人が「負
  け組」になり収入も大幅に減るとなれば、不安はますます強まって当然だ。だが、大切なのはや
  はり人生の価値観を転換なのである。
 ・発想の転換をするにあたっては、「生活のリストラ」が前提条件になる。つまり収入に見合った
  レベルにまで生活水準を下げるということだが、そう言われれば、多くの人は恐怖感を持つに違
  いない。
 ・問題は「生活レベルを落とすのは怖い」という不安感だけである。しかも、何度も繰り返すが、
  いまの日本では少しぐらい生活レベルを落としても健康で文化的な生活は充分に可能なのである。
 ・長い将来のことを考えると、持ち家には意味がある。高齢者になると、新規の賃貸契約を結んで
  くれる家主がなかなかいなくなるからだ。ずっと賃貸派を通してきて、いざ高齢期になったら住
  む家がないというのでは困ったことになる。
 ・「使うために購入するのだから、値下がりしても構わない」と思う人は、いま持ち家を買っても
  よいのではないかと思う。バブルの頃に買ったことを思えば、すでに数倍お買い得になっている
  のだから。ただ、気をつけないといけないのは、変動金利で借りることだけは避けたほうが賢明
  だということだ。
 ・せっかく貯めた貯蓄をどうやって守ればよいのか。まずデフレが続いている限りは、資産運用で
  余計なことはしないほうがよい。絶対に値下がりがしないキャッシュかそれに近い性格の銀行預
  金や郵便貯金を持っていれば十分だ。ほとんど金利がつかないことを嘆いてはならない。金利が
  つかなくても、物価が下がっているのだから、その分、金利がついているのと同じなのだ。
 ・下手に運用しようとして欲がでると、思わぬ痛手を被ることになる。例えば、株式投資信託を買
  うと、買った時点で2〜3%の手数料を引かれ、されに毎年1%程度の信託報酬を取られる。仮
  に株価が横ばいでも、毎年1%ずつ貯蓄が減っていくのだ。
 ・外貨預金を勧める金融機関も多い。国内金利は低くても、例えばニュージーランドドルで預金を
  すれば4%以上の金利がつくから、とても有利なように思えるかもしれない。しかし、高い金利
  のついている国は、その分物価上昇率も高いので、長い目でみるとその国の通貨に対する円の為
  替が高くなっていくので、高金利の分は相殺されてしまう。しかも、金利がつけばそこから税金
  も差し引かれる。されに外貨預金の場合には、出し入れの時に為替手数料を取られるから、決し
  て有利にはならないのである。
 ・国債には1%前後の金利がついている。銀行預金に比べれば、十分魅力的に思えるかもしれない。
  しかし、国債ほど危険な金融商品はない。財政破綻で国債が暴落すると言っているのではない。
  インフレになると、金利が上がる。金利が上がると、低金利時代に発行された国債の価格は下が
  ってしまうのである。
 ・例えば10年満期の国債の価格は、金利が1%から5%に上がると、30%も下落することにな
  る。もちろん、満期まで国債を持ち続ければ、元利はそのまま戻ってくるが、インフレで元利の
  実質価格は小さくなってしまうのだ。
 ・ただし、2003年から発行される変動金利の個人向け国債は別だ。元本が保証されているので
  値下がりリスクはない。国債を買うなら絶対にこちらだ。
 ・一方、インフレ経済に転換すると、土地や株の価格は高くなる。「逆バブル」が崩壊するからだ。
  そのときの価格上昇は急激なものになるだろう。だから、資産管理として、一番良いのは、デフ
  レのときには流動性の高い資産を抱えておいて、インフレ経済への転換が確認されたときに、不
  動産や株式に乗り換えることだ。一番値上がり率の高いのは商業地の地価だろうから、底を打っ
  たら商業地を買い占めるというのが、金持ちの金儲けの戦略としては一番正しい。
 ・次に良いのは、株式を買うことだ。ただ、インフレ経済の転換で金利が上がると、高い金利負担
  に耐えられない企業の破綻が起こるから、デフレ解消後もしばらくは高い倒産率が続くことにな
  る。だから株式投資のリスクは小さくならない。
 ・ここ数年、沖縄県への移住者は毎年2万5千人近くになっている。全国で最も失業率が高く、最
  も賃金水準が低く、高卒者の就職内定率が最も低い沖縄県に移住するというのは、経済原理では
  説明できない。明らかにお金以外のものを求めての移住なのである。
 ・多くの人が、都会の忙しい暮らしと、人が人として大切にされない社会に疲れて、たとえお金は
  少なくてもよいから、もっとゆっくりと、安全で安心できる暮らしをしたいと思っているのでは
  ないだろうか。
 ・田舎に行くと、時間がゆっくりと流れている。少なくとも都会を離れて、農村に行けば、市場経
  済に背を向けて生きることができる。もちろん、農村は刺激は少ないし、生活の利便性は大いに
  犠牲になる。ただそんなことよりも、人間性を守ることの方がずっと重要なのかもしれない。
 ・国民が抱いている不安で、一番大きな不安は「老後の不安」だろう。老後の生活にはお金がかか
  る。しかし公的年金だけではとても足りない。だから、若いうちから個人年金を掛けたり老後の
  資金を貯蓄しておく必要があるというわけだ。
 ・確かに、いまの高齢者のような豊かな生活ができれば望ましいことは事実だ。しかし、そのこと
  に縛られて、過剰に不安になったり、若いうちから無理に生活を切る詰めて貯金ばかりしている
  というのはいかがなものだろうか。
 ・「公的に年金だけで生活ができるか?」と聞かれたら、答えは明らかにイエスだ。モデル年金の
  年額は286万円だ。十分健康で文化的な生活はできるのだ。要は、収入のレベルに合わせて、
  いかに生活をリストラできるかが問題なのであって、初めに消費レベルを固定して考える必要な
  どないのである。
 ・老後生活のためにお金を準備する余裕があるのだったら、老後の生きがい作りのために投資した
  方がよほどましだと思う。老後のために本当に準備しなければならないのは、生涯自分が活躍す
  ることができる場である。会社との縁は定年とともに切れてしまう。だから、どんなことでもよ
  い。一生、自分のことを必要としてくれる場があれば、心豊かな老後が送れる。事業でもよい。
  ボランティアでもよい、研究でもよい、芸能やスポーツでもよい。大切なことは、一日でも早く
  始めることだ。早く始めれば始めるほど、プロとして自立できるチャンスが膨らむ。
 ・夢を語ってはいけない。「いつかできたらいいね」という夢は永遠に実現しないことが多いし、
  いざやってみたら思っていたのと違ったということも多いのだ。繰り返すが、必要なのは「ドリ
  ーム(夢)」ではなく、「タスク(課題)」だ。思いついたらやる。駄目だったら、すぐに別の
  ものに切り替える。
 ・高齢期というのは、年金で生活のベースを作ることができるから、最もリスクをとりやすい時代
  だ。だからこそ、そこで「勝負」できる生きがいを準備すべきなのだと思う。よく「定年退職し
  たら夫婦二人で世界一周旅行をしたい」という夢を聞くことがある。ただ、その経験者の話を聞
  くと、それもすぐに飽きてしまうのだ。世界一周は楽しいだろうが何回も行くわけにはいかない。
 ・普通のサラリーマンなら、会社を辞めたら自然に人間関係がなくなる。海外旅行にも飽きて、で
  はどうするかというときに何もなくなってしまうという人が多いのではないか。齟齬ともなく趣
  味もない老後はあまりに寂しい。時に年金で最低限の生活を支えられていると、少しだけ仕事を
  して、少しばかりのお金を稼ぐという気持ちも起きなくなってしまうだろう。結局、家から出る
  ことが少なくなってテレビばかり観て運動しないから体が弱っていく。やがて寝たきりになる。
  そんな老人ばかりになったら、こんな暗い高齢化社会はないに違いない。
 ・しかも、そんな老後生活も、今後は保証されなくなる。いまの年金財政を考えれば、年金の額が
  減らされるか、年金の支給開始年齢が繰り延べされるだろう。都会のサラリーマンが将来を考え
  て不安になるのも当然過ぎるほど当然だ。だが、その不安も人生の価値観を変えるだけで、相当、
  解消されるはずなのである。
 ・もういままでのように収入が増えていく時代ではない。収入が減っていくのは避けられないし、
  いままでのような「安定」は失うとしても、すでに日本は物質的には十分に豊かなのだ。物は溢
  れるほど持っている。生活のリストラをしても、それほど生活水準が悪くなるわけでもない。そ
  れなのに、「負け組」になる不安に怯えながら毎日走る回るような生活を続けるのか。あるいは
  「勝ち組」になるという幻想を捨てて、自由な時間を余裕を持って楽しめる生活を求めていくの
  か。私は後のほうがずっとまともだと思う。だが、何故か私のようなことは誰も言わないのであ
  る。
 ・人間はたった一度の人生を幸せに暮らすために生きている。こう言うと、当たり前だと文句を言
  われるかもしれない。だが、最近の日本人の生活は本当に幸せなのだろうか。「負け組」になる
  ことを恐れ、何とか「勝ち組」に残ることを目標とした人生は、手段と目的を取り違えていない
  だろうか。
 ・私は、エリート・ビジネスマンは社会の「必要悪」であると思っている。24時間操業で働き、
  ビジネス・ジェットに乗って世界中を飛び回り、月に1〜2回しか家に帰れないほど働く人は、
  社会には必要だ。だが、彼らのようなライフスタイルを全員が踏襲する必要性はどこにもない。
  それを真似ようとするから、暗くなってしまうのだ。
 ・日本経済が悪い悪いと言っても、命まで取られるわけではない。現に日本では、真面目に働いて
  いさえいれば、飢え死にする可能性はほとんどない。むしろ、日本で年間3万人以上の人が自殺
  していることの方が大きな問題だ。
 ・今の日本人は何だかんだ言っても、前後ずっと経済が順調だったから、少しのショックにも耐え
  られなくなっている。例えば夫の賞与が減っただけで、専業主婦の奥さんは「私たちの生活はど
  うなってしまうの」と右往左往してしまう。だが、これからもっともっと大きなショックがやっ
  てくる。それは日本の「安定」を根本から揺るがすアメリカ型の階級社会だ。しかも、9割のサ
  ラリーマンは、「負け組」の方に向かう。そのときに、自分は落伍者だと思うことが、本当に負
  け組になってしまうことなのだ。ほとんど可能性のない階級社会での「成功」をひたすら目指す
  のか、それとも、割り切って自分にとって本当に「幸福」な人生を目指すのか。私は絶対、自分
  にとっての「幸福」のほうを選ぶ。