依願退職 :高任和夫

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筆者が退職を決意したきっかけは、駅での立ちくらみだったとのことだ。実は、私も似た
ような経験がある。東京で単身赴任生活を送っていたころ、筆者と同じように飲んだ帰り
に駅のコンコースで、突然一時的に意識を失ってしまった。幸い意識はすぐに戻ったが、
顔から倒れたらしく、顔のこめかみの当たりに擦り傷ができており、メガネのフレームが
ぐんにゃりと曲がっていた。手にも擦り傷ができていた。そんなふうに一時的にでも意識
を失うようなことは、生まれた初めての経験だった。それ以来、自分の身体に自信を持て
なくなり、筆者のように退職の決意はできなかったが、お酒を飲むことに非常に慎重にな
った。
生活パターンが徐々に夜型から朝型になったのも筆者と同じだった。それまでは、床に着
くのは夜11時や12時が当たり前だったが、夜遅くまで起きているがだんだん辛くなっ
てきた。今は床に着くのは夜9時から10時頃になっている。代わりに、それまで早起き
苦手だったのが、6時前には起床するようになった。朝、早く起きるようになって感じる
のは、それまでより一日が長く感じることだ。特に、車でどこかに出かける時は、朝早く
出発することはいいことが多い。渋滞前に目的地に着けるし、帰りも渋滞に遭う前に帰っ
てこれる。それに気持ちの面でも余裕が持てる。
自分の人生の残り時間について意識するようにもなった。自分には、あとどれくらいの時
間が残されているのか。しかもそれが、すべて自分が自由になる時間ではない。残された
時間はそれほど多くはないのだという気持ちが、次第に大きくなってきた。自分に残され
た時間は意外に少ないのではないのか。これから先は、時間が一番貴重なのではと思うよ
うになってきた。

この著書の中で、筆者が入院した時の感想が書かれた部分がある。それは、よく入院経験
者から「朝、病院の窓から外を眺めていると、会社へ通うサラリーマンがぞろぞろ歩いて
いるんだな。ああ、おれも早く会社に行きたいなと思ったね。まさに身を焼かれる思いが
した」という話しを聞いていたが、それは実は会社への忠義を示す男たちのフェクション
ではあるまいか、ということである。私も40代半ばに一度、そして昨年に10月に二度
目の点滴だけで生かされるという入院経験をしたが、そのような「早く会社に行きたい」
などという思いが募ったことは一度もなかった。点滴の瓶をぶらさげての生活だったが、
本を読み、疲れてきたらまどろむ。そして若い看護師さんに手取り足取り世話をされて、
まさに天国だった。このままずっと入院でもいいとさえ思った。私はやはり、会社人間と
は無縁の人間だったかもしれないとつくづく思えた。

この本が書かれたのは、いまから17年ぐらい前の2002年頃のようだ。当時は、バブ
ルが崩壊し、山一証券をはじめ、銀行なども次々に倒産していって間もない、暗い世相の
時代だった。今では、内容的に古い部分もあるが、それでもいまなお、この本から学べる
ことは多い。いつの時代でも、サラリーマンが会社を退職してからの人生を、どのように
生きるか、ということは、永遠とも言えるテーマである。

はじめに
・まことに転職や退職について考えることの多い年だった。その理由の一つは、1997
 年11月の金融・証券会社のあいついでの倒産だった。これまでの常識では、つぶれる
 はずのないあった企業が倒産した。
・私は96年12月に27年あまり勤めた会社を退社し、もの書きの生活に転じた。まわ
 りを見渡してみると、かつて会社人間だった先輩、隣人たちは次々とリタイアの時期を
 迎えており、また団塊の世代と呼ばれ続けてきた人たちにとっても、その時期は刻々と
 近づいている。いやそれどころか、倒産やリストラ、出向や転職によって、転機はどん
 どん早まっている。その中で会社人間のありかたも変わりつつある。
 
辞表提出ーある商社マンの人生
・たちくらみがきっかけだった。電車から飛び降りる。少し、くらっときた。変だなと思
 う。だがそのまま階段をあがる。平気だった。乗り換えのため、今度はエスカレーター
 でおりる。また、くらっとした。そのとき初めて、危なかったなと思った。だから、エ
 スカレーターを降りると、五、六歩あるいてコンコースの柱に手をかけた。寄りかかり、
 休もうとしたのだ。だが、そこで意識を失った。
・だれかが呼んでいる。若いが落ち着いた男女の声がする。自分がどこにいるのか理解す
 るまで、何秒かかかった。コンコースの床に寝ていたのだ。女性がガーゼとバンドエイ
 ドで、傷ついた目のまわりを手当てしてくれる。「明日病院にいって、縫ってもらいな
 さい」と二人が言う。嘘みたいな話だが、前に入院していた病院の医師と看護婦だった。
・何針か縫ったが、眼に異常はなかった。おおげさに絆創膏をはり、数日なんとも説明の
 しようのない恥ずかしい日々を過ごしたが、これきりならたぶん小さな事故の一つとし
 て忘れ去ったにちがいない。そのようにやりすごせなかったのは、何日かあとに女房が
 小さな新聞記事を見つけたからだ。青ざめで指さす箇所を見ると、私が転倒したのと同
 じ駅のホームである人が倒れ、運悪く線路に落ち、電車にひかれ重傷を負ったとあった。
 原因は立ちくらみ。その人はあちら側に落ち、私はこちら側に落ちた。それだけのちが
 いだった。
・いったい、酒のためにどれほどの時間を費やしているのだろうかと考えたのは、その数
 日後のとても寝苦しい夜だった。転倒のあと精密検査をした。血液のさまざまな指数は
 いつもながらほめられたものではないものの、脳や心臓に異常がなかったことは、その
 検査で確かめられている。そんなことを思い出しながら、1年のうちに、酒のために使
 う時間はどれほどだろうかと考えたのである。
・医者は週二日はあけろ、それもできれば連続してあけるのがいいなどというが、飲み過
 ぎた翌日は喉がかわく。土曜の朝のビールなど、格別な味がする。晴れた日は公園に行
 って、缶ビールを飽けてぼんやりするのもいい。休日の早目の晩酌の味もなかなか捨て
 がたい。だから、開けてもせいぜい週に一日、それも日曜日になんとか、だ。  
・それでは、飲むのにどれほど時間を使っているのか計算してみた。すると、私は週7日
 のうち2日を酒を飲むために使っていることになる。酒にそれだけ使っているなら、会
 社で使う時間はどれくらいか計算してみると、週7日のうちまる3日は会社のために使
 っているという計算になる。そして、寝るために使う時間は2日。つまり通勤して、会
 社に行って、寝て、それだけで5日を使っている。それに加えるに、酒の時間が2日あ
 る。足して7日。1週間7日は、これでおしまい。要するに、仕事と酒、そして寝る。
 あとは、何もなし。
・ふと思うのだが、サラリーマンって会社関係の人以外にだれの顔を見ているのだろうか。
 一杯飲み屋の女将かバーのママを除くと、ニュースキャスターなのだ。だからキャスタ
 ーの条件としては、話し相手になってくれるかもしれない年齢層であること、ちょっと
 美人で賢そうな感じを与えること(感じが大事で、賢すぎてはいけない)、そして自分
 の言いたそうなことを代わりに言ってくれることが要求される。トーク番組に出るタレ
 ントも同種類だ。大事なことは、彼らはサラリーマンが顔を見て話を聞いてくれる唯一
 の部外の人だということで、だから彼らは親近感と、ある種の権威を持つに至っている
 にちがいない。政治家よりも、学者よりも、専門家よりも。これはなかなかすごいこと
 で、たぶんこんな時代はこれまでなかっただろう。
・サラリーマンの、いわば自由時間と計算してみると、わずか、週10時間!これをどう
 使うか。休日出勤する人や、平日にもっと残業をする人は、これがなくなる。ゴルフを
 やると、これが消える。いやいや、何をしなくても、週168時間のうち10時間なぞ
 は誤差の範囲内だ。ちょっとぼんやりすごしていれば、すぐに消える。
・それを、貧乏生活の主婦のように、なんとかやりくりし、わずかでも時間を増やし、本
 を読み、文章を書く。それが私の1週間であり、1月間であり、1年間であったのだ。
 映画はまれにしか見られない。美術館、博物館なぞ、この数年いっていない。年に1度
 小旅行にいくことができれば幸運だ。中年はかぎりなく退屈な動物なのである。
・酒をやめることに決めた。医者は少々なら飲んでもかまわないといい、悪友たちは意志
 が強いとからかうが、なんのことはない。少々の酒など飲みたくもない。それほどまで
 に、私は酒が好きなのだ。  
・酒をやめてみると、酒以上に時間を使っていたもう一つのもの、すなわち会社生活をい
 つまで継続するという難問に再び直前しなければならなくなる。だが、それは理の当然
 というべきだ。禁酒のきっかけが時間を考えるということであれば、思いはいま残され
 ている時間、つまり人生そのものに及ぶ。
・禁酒すると、人はその見返りに、何を手に入れることができるのだろうか。金が残るか
 どうかについては、説が分かれている。ケチな人はきちんと残すようにいわれるが、私
 の知っている3人のしまり屋さんは、1億円ちかくを貯めたり、あるいは家を2軒持っ
 たり、アパートを1棟所有したりしている。3人とも普通のサラリーマンである。酒を
 飲む。つまり貯める人は酒なんか飲んだって貯め、五十にもなれば、その程度の資産は
 形成するのだ。これが私には不思議でしようがない。
・私の場合は酒をやめても資産は残らないが、時間だけは多少ふえた。1週間単位でみる
 と、飲酒のための丸1日に相当する時間と、さらにもう1日に相当する準酒時間とを手
 に入れたのだ。当然、ライフスタイルは変わることになる。完全朝型への切り替えだ。
 毎日4時前後に起き、小1時間散歩し、1時間か2時間、書き物をしてから出社する。
 夜は付き合っても1次会だけだから、9時か10時には床につける。
・最も困ったのは、悪友たちとの付き合いで、それまで激しく飲んでいた人ほど寄り付か
 なくなる。同性のみならず女性も例外ではなかった。飲酒中は私のことをやかましいと
 か酒乱だとか批判していたくせに、飲まなくなると付き合ってくれなくなるのだから、
 なにがなんだかわけがわからなくなる。しかし、得るものがあれば失うものだってある
 のだ。やむを得ない。  
・休日は、もちろんひたすら書く。月に60時間から100時間は書く時間ができた。だ
 が、酒をやめたぐらいでは、まだまだ時間が足りないのだ。時間の不足、それも慢性的
 な不足に、会社にはいって以来27年あまり、ずっと悩まされてきていたのだ。
・時間への危機感が、とぎれることなく続いてきた。私はこの危機感を定年まで、あるい
 は近ごろやたらに身近になってきた死が訪れるまで、いだき続けねばならないのだろう
 か。そして、それはいったいなんのために?50歳を目前にして、私は激しく悩みはじ
 めた。
・私は30年近い会社生活の大半を、かなり仕事熱心な社員として過ごした。会社人間と
 いうよりは仕事人間だったと思っているが、ともかく仕事に誇りを持ち、仲間にも恵ま
 れて、孤独を感じたことはあまりない。早期退職するなどとは、30代の後半になるま
 で考えもしなかった。
・生まれは1946年、終戦の翌年である。東北の田舎ということもあるが、のんびり育
 った。人と競争して生活したという記憶はあまりない。大学は法学部に入った。勉強は
 あまりやらず、一度司法試験を受けたが、簡単に落ちた。この試験は、酒が飲めず女に
 ももてない奴が受かるんだと、くやしまぐれに思ったのを覚えている。
・就職は大学の学生課に相談にいき、初老の事務員に商社を勧められて入った。求人難の
 時代で、あまり苦労はしなかった。商社というところがなにをするものなのか、まるで
 知らなかった。
・審査部というところに配属されたが、だれも審査なんて何をするところかわからない。
 もちろん私もわからず、会社の扱っている商品で知っているのは「コケシ印の缶詰」く
 らいだった。それが取引先企業の与信審査をやれというのである。つまりこの企業には、
 どれだけ金を貸したり、掛けで売って大丈夫かを判断するである。それで簿記の勉強を
 しなければならない。財務分析も必要だ。信用調査というのも、かじった。 
・仕事ががぜんおもしろくなったのは、4年後に広島に転勤してからである。同じ審査の
 仕事でも、本店での抽象的な仕事から、現場の仕事に移ったのが大きかった。
・家にいるのは月にほんの数日なんてこともあった。べつに苦労だとは思わなかった。2
 人の子どもは女房が育てた。4年後ふたたび本店に戻るのだが、仕事は不良債権の処理
 が中心になった。それで失望したかというと、そんなことはまったくない。
・債権回収の仕事では暴力団と向き合うこともあったが、そんなときの張り詰めた感じは
 きらいではなかった。肌がヒリヒリと粟立つくらいの現場には、独特の味がある。だか
 らといって、体力勝負なのではない。さまざまな知識が要求される。法律一つとってみ
 ても、和議だとか会社更生法などというものを知らなければならない。登記簿謄本を読
 むのだって、それなりの訓練がいる。簿記や会計の知識が要求されることも多い。
・取引先が会社更生法を申請して倒産したときなどは、損を少なくするためにあれこれ手
 を打つのだが、さらに一歩踏み込んで、管財人を送り込んでその会社を再建しようとい
 うこともあった。それにしても、いったいなぜそんなに仕事が好きだったのだろう?一
 番大きな理由は、それがきわめて職人的な仕事だったからではないかという気がする。
・人間の分類として、農耕民族が狩猟民族かと分ける方法があるが、職人や商人いう分類
 にも捨てがたいものがある。私の地の中には、どうも職人的なものが入っているようだ。
 その反対に、ものを右から左に動かす商人の仕事にはさほど興味を感じない。これは商
 社マンとしては致命的に困ったことで、途中で会社を辞めるに至った本当の原因はこれ
 かもしれないのである。そして、この職人的な仕事というものは、たとえ30歳そこそ
 こでも、知識や実務経験があれば人に尊敬されるのである。地位や肩書によって判断さ
 れるのではない。   
・もっともこの職種は、社内権力とはずいぶん遠いところにある。それが不運といえば不
 運だが、権力の近くにいることが幸福とかというと、それはかなり疑わしい。権力自体
 を求めるようになると、人は狂う。それにいまの時代、社内権力を得たという経歴は、
 その後の人生でなんの役にもたたない。
・私に転機が訪れたのは、1984年が始まったばかりの雪の舞う夜だった。だが、その
 とき私は、自分の人生が変わることになるなんて、これっぽっちも思わなかった。
・「商社の与信管理の手法について、ウチの雑誌に連載しないか」しかし、いっこうに気
 がのらない。なぜかというと、私自身がその手の本をほとんど読まなかったからだ。
 「商社を舞台にした小説なら書いてもいいですよ」口がすべったとしかいいようがない。
 ところが編集者は、私の思いつきを受けたのである。それも、連載ということで。なぜ
 受けたのかは、いまもって謎だ。 
・私は学生時代に、20枚ほどの短編小説を1本だけ書いたことがある。地方の新聞の懸
 賞小説に応募したものだが、それが受賞したのである。賞という名のついたものをもら
 ったのは、あれが最初で最後だが、おおげさなものではない。毎週受賞者が出る賞だ。
・それから約1年半にわたる苦しみの日々が始まる。なにせ月に1回30枚の原稿を、
 16回連載することになるのだ。それも素人が・・・。いまなら二の足を踏む仕事を、
 はずみで受けてしまった。 
・勤めのある身だから、書くのは土日中心になる。当然、夏休みも正月もない。ただひた
 すら没頭する。徹夜して白々と明けた空を何度見たことか。心身ともに疲労する。それ
 でもなぜ続けられたかというと、そのとき私は上司とソリが合わなかったのである。
・サラリーマンが上司に恵まれるのは、一生を通じて2割か3割である。その割合を、努
 力して広げることのできる人は出世する。それが会社の仕組みというものだ。それは取
 りも直さず、いやな上司と合わせるという努力を意味する。なにかを殺さなければ、到
 底できるものではない。私にはそれができなかった。 
・その上司は債権管理などという泥臭い仕事をきらい、もっと派手で大向こう受けする成
 果を部下に求める人だった。いま考えてみれば、それほど特殊な人ではない。商社では
 ありふれた人だった。いや、商社に限らない。たとえばバブル期には、あちらこちらに
 このような人がいただろう。 
・それでも、経済的に見返りがあればだったかもしれないが、1年半という長い間、休日
 すべてつぶしてやるほどの報酬はなかった。小説を書くというのは、とてつもなく安い
 労働なのである。であるのに、本ができてからじつに多くの人にたかられた。一番平均
 的でおかしかったのは、銀座につれていけという強要だった。本を買ってくれた上での
 ことかというと、たかるような人はそうではない。本を持ってこい、読んでやる、そし
 て銀座に連れていけ、である。
・人は本を出す経済利益を、ほぼ20倍誤解している。百万円しか入らないところを、1
 千万円ではない。2千万円入ると誤解するのである。本を1冊出せば、家が建つと思っ
 ている。別荘が買えると思っている。まして銀座に連れて行くことなど、なにほどのこ
 とがあろうか、というわけだ。
・もうやめた。書くことは。こんりんざいやめた。気の合わない上司は去った。さあ、仕
 事に生きるぞ。サラリーマンとして幸運な時期がめぐってきたのだ。仕事をやって、お
 金を稼ぎ昇進しようではないか。女房もいう。あなた、もう書くのはやめて。書かなく
 ても、なにも困らないよ。それより、二人の息子と遊んで。
・ところで、素人がはじめて小説を書く場合、自分のよく知っている世界を書けとはよく
 言われることだ。私が書いたのも、かねて熟知している商社を舞台にしたものだった。
 たぶんこの本を読んだからだろう。私が法律や会計、あるいは会社の再建などに詳しい
 に違いないと信じ込んだ人がいた。伸び盛りのベンチャー企業の経営者だが、仲介者が
 いてお付き合いが始まった。
・じつに魅力的な男だった。もともとは量販店の社長なのに、メーカーの仕事にも興味を
 持って、次から次へと事業を拡大していた。そして、それにともなって人材を求めてい
 た。日に日に大きくなっていく会社を管理できる人とか、事業の展開にともなって発生
 する法律上のトラブルの解決をまかせられる人、それから自分の会社やこれから買収し
 ようとしている会社の財務的な評価ができる人を求めていた。
・私に手伝えといったのは、もちろん買いかぶりである。そして、それを助長したのが、
 あの本だった。まことに予想外のことだが、私は二つばかりの発見をした。自分では不
 良債権の処理などという限られた仕事を淡々と、だがおもしろがってやっているだけだ
 と思い込んでいたのに、その仕事も見る人が見れば別の光が当たるのである。もう一つ
 は、専門職的な仕事を15年もやっていれば、このような経営者にも評価されるなにも
 のかが、知らず知らずのうちに蓄積するのだという発見である。
・よくゼネラリストとスペシャリストという区分が言われ、そのくせ会社はなんだかんだ
 いってもゼネラリストを評価していたが、会社の外ではスペシャリストを求めているの
 だと知ったのだ。逆に言うと、会社の内部の、あまり高くはない評価とはまったく違う
 評価が、会社の外にはあるのだということを発見したのだ。
・ともあれ、このときほど迷ったことはない。このまま会社で、定年までサラリーマンを
 してやっていくかどうか。所属している部署は傍流だから、たいした出世は望めない。
 ただ安定はしている。一方、ベンチャーの経営の一翼をになえれば、サラリーマンとは
 比べものにならない充実感があるにちがいない。うまくいけば、大きな富を得ることだ
 って可能だ。だが、倒産の可能性もないわけではない。それに、オーナー経営者だから、
 衝突して追放される危険はいくらでもありそうだ。40歳なる前だった。
・年齢的にもいいタイミングだった。このまま会社にいて同じ仕事を続けても得られるも
 のは少ないだろう。15年の蓄積とは、逆にそのような限界をも意味していた。しかし、
 私は転職しなかった。金儲けというものや、事業の経営というものに、本当は興味を持
 っていないのかもしれないという懐疑を、どうしても否定できなかったのである。だが、
 そのときのことを振り返ると、私はしばしば自己嫌悪に陥る。
・私は所詮は臆病なのではあるまいか。小心で、冒険心に欠け、グズで、優柔不断で、サ
 ラリーマン的で、まことにいやな男なのである。その経営者といっしょに働けば、どれ
 ほど楽しかったろうか。そう思って後悔することは数えきれないほどある。まだ40歳
 である。しかし、もう40歳でもある。なぜ決断しなかったか。そのとき踏み切れなか
 ったことは、私の心の傷となって長い間残っている。 
・不惑とは40歳の異称で、四十にして惑わずというくらいだが、私の場合は迷いっぱな
 しの40代だった。サラリーマンが40歳になっても、そのままサラリーマンであり続
 けるということは、けっこうしんどい時代なのである。  
・私の場合は、まずもって書くということが癖になってきた。まるで麻薬みたいなものだ
 が、これもまた一種の蓄積だろう。小説、しかも連載小説なんかはたくさんだが、エッ
 セイというものが、無性に書きたくなってきた。読むのも好きで、たとえば向田邦子の
 ものはほとんど読んだ。
・そんなときに、新聞社がコラムを書かないかといってきた。週に1本、四百字で2枚。
 それを3カ月やってみないかというのである。私はまたも、編集者とか記者の、大胆で
 不思議な思いつきに唖然とする。
・私は突然コラムニストになった。もっとも苦労したのは、週に1本ネタを拾うことであ
 る。常にメモ帳を持って、なにかヒントになることがあったら、すかさず書き留める。
 歩いていて見たもの、酒を飲んでいて聞いたこと、それをメモする。
・痛感させられたのは、それまでまともにモノを見ていなかったということだ。ぼんやり
 と町を歩き、ぼんやりと人の話を聞いていた。それは、しっかり見たり聞いたりしてい
 れば書けるかというと、そうもいかない。何かを感じなければいけない。あるいは、な
 にかを考えなければならない。その上で、それを一気に読める文章に仕上げなければな
 らない。見る、聞く、感じる、考える、書く、だ。
・マロリーワイスというものがある。優美な響きをもつ言葉だが、病気の名前である。正
 確にはマロリーワイス症候群という。胃と食堂の接合部が裂け、大量に吐血する。洗面
 器いっぱいといっても、それほど誇張ではない。43歳の1月の深夜に吐血し、救急車
 でかつぎこまれた。
・この病気の原因はストレス、過労、または過飲だという。後厄で、ただでさえ危険な年
 齢なのに、二足のわらじで不摂生を続けたのがたたった。動脈瘤破裂のほかに、胃癌や
 胃潰瘍の疑いもあった。飲食を禁じられ、水一滴飲めない。数日間、点滴だけで生きて
 いた。 
・私はそれまで入院したことはないが、経験者からさまざまなことを聞いていた。最も一
 般的なのは、「朝、病院の窓から外を眺めていると、会社へ通うサラリーマンがぞろぞ
 ろ歩いているんだな。ああ、おれも早く会社に行きたいなと思ったね。まさに身を焼か
 れる思いがした」しかしその感想は、実は会社へ忠義を示す男たちのフィクションでは
 あるまいか。そう思ったのには根拠がある。それ近い精神状態になったのは最初の2日
 だけで、3日目からはスッパリ割り切れたからである。長年の会社人間の体質が、いつ
 の間に変貌してしまっていた。それを痛感させられたのは衝撃だった。 
・入院中は、退屈するということがなかった。本を読み、やがてまどろむ。これがなんと
 もいごこちがよい。それに病院というところは、あたりまえだが身柄な拘束されている。
 飲みに出かけるわけにはいかない。散歩すらできない。歩きまわれるのは病院内だけで、
 それも点滴の瓶をぶらさげた棒を押して歩くのだが、これがあまり楽しくはない。その
 光景を見慣れた人にはいいのだが、そうではない見舞客などは、いまにも死にそうな患
 者を見るような目で見る。ぎごちなく顔をそむけたりする。
・やがて退院しても、すぎに会社には出なかった。さらに3週間、自宅で療養した。つご
 う6週間の休職である。まとまった休みを取ったのは、学生のとき以来だ。私は自由と
 いうものをたっぷり味わった。 
・間もなく、私は国内審査管理室長というものになった。中間管理職というものは、なっ
 た当座の数カ月はそれなりに新鮮である。だが、やがてつまらなくなる。仕事に対する
 意欲は、次第に薄れてくる。事件の処理などというものは、自分が当事者になってやる
 からおもしろいし、問題の本質もわかるというものだ。受け身で報告を受けているので
 はなにも楽しくない。それに下手に口をはさめば、部下に嫌われる。職人とは、そうい
 うものだ。
・室長になって部下も増えたが、それ以上に増えたのは、社内会議である。まじめに出た
 ら、一日が会議でつぶれるほどの量がある。室長になって、読む書類もいやに増えた。
 読んで心が躍るということは皆無だ。現場かは、ひたすら離れていく。  
・中高年の管理職に再就職のクチがないのは当たり前なのである。現場感覚を喪失し、特
 定の企業の中でしか通用しない感覚と論理ばかりが肥大化したやつを雇う企業のあるは
 ずがない。会議と書類とで、自分が日に日に腐敗していくのがじつによくわかる。
・有能な部下たちはおもしろい案件は譲ってくれない。いきおい私の回ってくるのは、不
 動産がらみの不良案件か、架空取引などである。しかも、バブル崩壊このかた、事件の
 性質がとても悪くなった。土地がらみの商売が、人間の欲望を際限ないものにした。日
 本人が変わった。  
・我慢しながら裁判所に通い、欲のかたまりの債務者と交渉する。彼らはありもしない難
 癖をつけてくる。突然背後から刺してくる悪徳弁護士だっている。私は実際に裁判所に
 訴えられもした。 
・一方、50歳という年齢には、ある種の恐れが伴う。なにごとかに熱中し、その腕を磨
 き、成果をあげられるのは、あと10年ほどではないかという生理的な予感がある。小
 説作りには体力、気力ともに要求される。そして、好奇心や情熱という面倒なものも。
 そのいずれかが失せたら、もう書けなくなるのではないかという恐怖である。
・40代はキョロキョロ過ごしたが、50歳を前にして、天命のようなものを感じた。少
 なくとも、「五十にして天命を知った」と思うことにした。
・人には何度か転機というものが訪れるとつくづく思う。私のようにもっぱら不良債権の
 処理なんかやってきた人間に対してだって、これだけあったのだ。
・私の会社生活は、さまざまなものを蓄積しながら、自分が本当にやりたいものはなにか
 を探し続けたきた人生のようだ。それを発見するのにだいぶ手間がかかったが、それも
 資質というものだろう。やむを得ない。
・辞表は、ほとんど何の感慨もなく書くことができた。あえていえば、前に入院したとき
 の解放感に似た気分を味わった。 

「職業多段階時代」を生きる男たち
・ある在京テレビ局の情報システム部主任に転じた小西さんは、山一証券が自主廃業を発
 表した1997年の11月には、その山一のシステム管理部に勤めていた。
・小西さんのようなタイプは外資系へいって、10年か15年じゃんじゃん稼いで、50
 歳くらいで引退する。それから海辺に家を買って、自分で食べるものは自分で作って、
 夕陽を見ながらワインを飲む。そういう生活をするのが夢ではないか。口では日本の終
 身雇用は終わりだとか、実力主義になるんだとかいうが、いざ自分がその選択の立場に
 なると、むちゃ怖い。雇用の構造は変わりつつあるが、個人の意識はなかなか変わらな
 いということか。外資系の生活も魅力だけど、その反面、いつクビになるかわからない。
 偉くなれるとはかぎらない。仕事の壁の他に英語の壁もある。それに第一、日本の企業
 だって、年功序列終身雇用はなくなって、変わるところは変わっていくだろう。変われ
 ない企業は、たぶん淘汰される。
・外資系にいった人たちには、冷たさを感じている人も少なくないという。歓迎会なんか
 はなく、「また、どっかからきたよ」、「おまえの席、ここね」でおしまい。日本人を
 使い捨てのローカルスタッフとして雇う意識があるかぎり、有能な人材は定着しないだ
 ろう。転職があたりまえの時代になっても、あるいはまた、職場の人間関係がわずらわ
 しいといっても、しょせん日本人は会社に温もりを求めるということなのだろうか。 
・手に職をつけろとは、よくいわれる。とくにこの不況の時代である。さまざまな資格に
 挑戦いている人も多いようだ。だが、水をさすわけではないが、資格によって食べてい
 けるというのは、案外少ないのである。 
・これは資格の問題ではない。会社の実務を通じて能力を深めていったのだ。サラリーマ
 ンは、企業の中で専門性を獲得することができるのである。これを軽視してはならない
 だろう。
・どのような専門性を身につけようと、ビジネスの世界で仕事というものは、人のネット
 ワークの中で行うしかないということを忘れてはならないだろう。
・当時、山一の長期債は、投資適格内では最低ランクの「Baa3」。これより下がると、
 「投資不適格」の烙印を押されてしまう。それがうあ、愛知証券経済研究所の森山さん
 の危機感をあおった。当時再建問題は、山一証券の企画室の4,5人が事務局となって
 担当していたが、格付けの影響がピンとこないらしく、これといった再建案も公表され
 なかった。そこで、格付けの影響と題するレポートを作り、事務局に提出した。最低限
 でもBaa3を維持しないと、会社として存続しえないということから、今回は真剣に
 やってくださいと、自発的に経営陣に対して意見具申した。 
・サラリーマンは第三者から、自分の仕事をあれこれいわれるのを本能的に好まない。事
 務局、あるいは経営陣から逆恨みされて、損を増す危険がある。
・森山さんはかなり突っ込んだ抜本策を提示した。たとえば、海岸店舗を多数閉鎖し、人
 員を大削減する。そして、外資系と提携する、など。長年の格付け会社との接触から、
 格付けを据え置いてもらうには、この程度のものは提示しなければならないと感じたか
 らだ。
・しかし、役員たちも、事態を深刻には受けとめていなかった。認識が甘かっただけでな
 く、なにかあればお上が助けてくれるという気持ちと、相場がいつか好転してくれると
 いう神風頼みみたいなところがあった。
・森山さんと山一の経営者たちとの違いは、外の風に当たっていたかどうかだ。経営者に
 とっての「外」とは、大蔵省と総会屋だけだったのではないか。いや、それとて正確に
 は「外」ではなく、「内」あるいは「上」というべき存在で、そのような一体感に満ち
 満ちた時代が長く続いていた。  
・森山さんは自主廃業決定後、1週間は仕事が手につかなかった。意味もなく机の引き出
 しの書類の整理をはじめ、ふと自分はいま何をしているんだ、と我に返ったりした。
・再就職の誘いは、あちこちからきた。しかし、サラリーマンはもうたくさんだった。
 「五十近くなって、一年生からやり直すのはさすがにしんどい。漠然と、農業にいこう
 と思った。奥さんの実家は盛岡で、両親が農業をしている。森山さんは小四の娘がいる
 が、東京のマンションは売り払って、盛岡にアパートでも建てて、かたわらで農業をや
 る。最低限の生活ができればいいいと思った。
・今回、山一の自主廃業で明らかになったことの一つに、再就職に関しては、子会社によ
 っては親会社より売れ行きがいいという興味深い現象がある。経済研究所は、その典型
 的な例だった。また山一証券の内部でも、エリートコースに乗った人より、そうでない
 人のほうが売れ行きがいいという事実は、方々で見たり聞いたりした。たしかに、「内
 務官僚」と呼ばれるエリートは、会社あってのものであり、ほかの企業風土の中で通用
 するものではない。ただ、困ったことに、大会社ほど内務官僚が幅を利かしがちなのだ。
・組織内部の評価と、外部の評価が必ずしも一致しないばかりか、食い違っていることを
 示している。自分が理不尽にも、会社で低く評価されていると感じている人は、耐えて
 腐っているよりは、別天地に挑戦してみてはどうか。腐ってゆくことを軽視してはなら
 ない。腐る人は30代半ばで腐り始め、腐敗の進行は自分で意識しているよりも恐ろし
 く早く、40歳ともなれば仕事に対する意欲を喪失する。サラリーマンの死なのである。
 なんとか耐えて、考か不孝か定年まで勤め上げても、精神の回復は困難だ。おまけに老
 後は長く退屈だ。そんな厄介な時代なのだ。会社の自分への評価は、急には変わらない。
 だが、外の世界はとてつもなく変わっている。  
・新会社(株)森山事務所は98年2月に営業開始した。会社の就業規則は、いまだにな
 いという。
・起業家というものは、これと決めたことについて、なかなかしつこい。簡単に飽きない
 し、あきらめない。好きなこと、得意なことだから、長い間できるのだといえるし、粘
 着力のある性格、体質だからできるのだともいえそうだ。  
・また起業家は、時代の風向きを見るのに敏感でもあるだろう。いったん成功を収めたと
 しても、たえず次のビジネスチャンスをうかがっている。もうこれで十分ということは
 なくて、骨のズイまで貪欲なのである。サラリーマンとして生涯を終える人と起業家と
 では、どうもそこらへんの資質が違っていそうである。  
・森山さんは引退後は百姓をやりたいという。かたわら、コーヒー専門店の喫茶店をやっ
 て、のんびりできる場所を空間を、忙しい人々に提供したいそうだ。  
・岡田さんが支店長として秋田に着任したのは、山一証券が自主廃業を発表数するひと月
 あまり前だった。十かが函館、奥さんの実家は青森という。  
・岡田さんが同期の仲間から聞いた面接風景とは、このようなものだった。「あなたはな
 にをやってきたんですか」「ずっと営業をやってきました」営業って、なにをやってき
 たんですか」「こういうことをやってきました」「それしかやらなかったのですか」
 「どういうことですか」「英語は話せますか」「いいえ」「パソコンはどうですか」
 「いいえ」「たとえば、こういうことはできますか」「そういうことはやったことがあ
 りません」「じゃあ、なにもしていなかったのと同じやないですか」で、結局不採用に
 なって帰ってくる。  
・人は実は、解雇されて失業者になるのではない。ハローワークへ通って、はじめて自分
 が失業者の群れの中の一人だと実感するのである。そしてそこから、遠くて長い、もう
 一つの人生が始まる。その転換点は、50代や60代とは限らない。その始点は、確実
 に早まっている。 
・いままでなにをやってきたか、そして、希望する会社ではなにをやれるのか、なにがや
 りたいか、それお5分以内でアピールできなければ、不合格になる。 
・一つの会社に定年まで勤め、あとは穏やかな老後を過ごすという雇用のスタイルは、い
 ま60歳以上の世代を最後に、過去のものになりつつある。また、長時間労働、精神的
 拘束、通勤地獄、単身生活などは、もう若くない40歳以上の人々から精彩というもの
 を奪っている。つくづく40歳というのは曲がり角で、そのあたりで人生の再設計を試
 みるのは、とても大事なことのように思われる。
・むかし航空機事故に遭ったサラリーマンたちが、きりもみ飛行状態の機中で、手帳など
 に遺言をしたためたが、そのほとんどは家族へ宛てたもので、会社への遺言はなかった
 ということを、私は思い出した。  
・山一証券に社長表彰を5回も受けた元営業課長の土井さんは、島根県邑智郡石見町の第
 三セクターへ就職が内定していた。トップ営業マンの農村への転身である。町は農林漁
 業の振興センターをつくるべく、温泉施設や宿泊施設に9億5千万円を投じ、さらに池
 や周辺の整備も含めると、合計30億円のプロジェクトを推進しつつあった。
 標高370メートルの地であるため雲海が見渡せ、そのハーブ園には年間13万人ほど
 の人が訪れるらしい。土井さんはその運営母体である株式会社香の村(仮称)の支配人
 に就き、ゆくゆくは野菜農業を始めたいと思っていた。 
・相場を相手にするということは、とてつもなく疲れるものだとは、この取材まで私のよ
 うな部外者はよくわからなかった。毎日1時間おきに集計されるノルマに追われ、疲れ
 果てた仲間と居酒屋へいく毎日で、家で夕食を食べたことはないという。そして、毎夜
 のように夢を見て、汗をびっしょりかいて起きてしまう。もちろん相場が下がった夢も
 見るが、上がって欲しい株が上がった夢もよく見る。そして会社へいき、がっかりする。
 私にはふっくらと円満に見えたのは、実はストレス太りなのだった。
・土井さんは迷い苦しんだ。お金のことである。石見町は年収6百万円という破格の条件
 を提示してくれた。だが、32歳で1千万円を超える年収を得ていた。どうしても落差
 は大きい。まず困ったのは、前年の収入を基準にしてかかってくる税金、社会保険の負
 担が大きいことだった。サラリーマンはその最中も、辞めた後も、税金に苦しめられる。
 土井さんに提示した月給は36万円である。そのうち22万円はそれに消える。残りは
 14万円である。 
・ところで、土井さんに石見町行きを決定的に断念させたのは、実をいえば税金ではない。
 自社株を買うために会社から6百万円を借りていたが、人事部から、8年にわたって返
 済せよという命令がきたのだ。月5万円に相当する。月給の残りは9万円。これでは親
 子5人の生活は困難だ。
・よく大競争、大転職の時代などと言われる。しかし雇用とか職業の面に着目するなら、
 「職業多段階の時代」とでも呼ぶのが相当なように私は思われる。まずもって若者の思
 考や行動のパターンが、変わってきていることである。まだ終身雇用の幻想にとらわれ
 ている中高年の人には理解しがたいことだろうが、若者はいまやそのようなものをはな
 から信じていない。彼れはすでに職業というものを多段階にとらえているのである。
・私が長い間勤めていた総合商社は、常時就職人気の上位に入る会社だが、90年代にな
 ると、2年や3年勤めただけで、簡単に会社を辞めてしまう若者が現れだした。大卒3
 年目までの離職率は、1994年3月卒で4分の1を超えたという報道がある。新入社
 員の4分の3が転職希望を持っているという報道もある。
・では、彼らの転職行動に賛成するかというと、正直なところそれは複雑だ。私はまだま
 だ「石の上にも3年」という我慢の処世術を捨て切れない世代なのである。事実、会社
 に入って私も我慢したのだ。それが、ある意味ではプラスになったと思うからだ。だが、
 だからといって、マイナスになったことはないのか。失ったものは大きくないのかと問
 われると、なんとも答えようがないのである。 
・大企業のみならずそこそこの規模の会社は、ついこの間まで定年退職者に再就職の世話
 をしていた。関係会社に入れるとか、得意先に引き取ってもらうとかによって。それが、
 世話をやかなくなった。というより、できなくなった。関係会社の採算上の事情もある。
 プロパー社員の積り積もった反感も大きいだろう。一方、たとえ幸運にも世話をしても
 らっても、60歳代の前半で、お役御免になる。だから、人もうらやむ大会社に入った
 とて、いまや安泰ではないのである。備えのない中高年は、職業多段階時代に対応でき
 なければ失業者になる。 
・いやいや、なにはともあれ定年まで勤められれば幸運なほうだ。会社の倒産、リストラ
 によって、いつ放り出されるかわかったものではない。また、そういう異常事態はなく
 とも、ある都銀などでは同期入行250人のうち、50歳になっても銀行に残れるのは
 10人に満たないというのが常態になっているのである。
・では、このような時代にあって、サラリーマンはどのように身を処せばいいのだろうか。
 会社を起こした森山さんのケースは、「修業独立型」とでも呼べるものではないか。だ
 が、これはじつは別に新しいものではない。江戸時代の商家や職人には、類似のシステ
 ムがあった。いわゆるのれん分けがそれだ。人はある技能を身につけると独立する。こ
 の当たり前のことが高度成長とともに失われ、1億総サラリーマン化となったのではな
 いだろうか。
・アメリカでは、フリーエージェントと称する独立事業者が2千5百万人いて、全就業者
 の2割にも達するという。リストラを実施した大企業が、いったん解雇した人材をアウ
 トソーシングしたのが原因の一つと見られている。倒産や解雇、早期退職などによって、
 わが国でもこの自己発見型はますます増えてくるだろう。
・この職業多段階時代をのりきるには、外の風に当たっても耐えられるだけの蓄積を、ど
 れだけ持つかが鍵だということだった。考えてみればサラリーマンの不幸は、会社を辞
 めてもよそに同じような条件で就職できないことにある。その閉鎖性を山一の人たちが
 打破できれば、その自主廃業の社会的意味は大きいだろう。
・失業率の上昇が、声高に報じられる毎日である。それつえいいにくいのだが、職業多段
 階時代とは、実はそう悪いものではないのではないか。頭や手に職をつけ、どこでも通
 用する人間になる。さまざまな会社に勤め、あるいは独立する。一人の人間として、誇
 りを持つ。素晴らしいことではないだろうか。
 
会社を辞めるための準備運動
・1997年の自殺者は、2万4千人である。前年より6パーセントほど増えている。自
 殺者が、交通事故死のほぼ倍になるというのは記憶に値する。もう一つ。男1万6千人
 に対して、女は8千人。男のほうが倍なのである。これはなにを意味するのだろうか。
 あれこれ考えさせられる。
・職業別に見てみると、1位の自営業者に次いで2位なのは管理職なのである。しかも前
 年よりも8パーセント増えている。その人数は5百人をこえる。職場の軋轢から自殺し
 た人の報道に接すると、なにも自殺なんかしなくてもいいだろうにと思う。所詮サラリ
 ーマンにすぎないんだから、組織から出ればいいだけじゃないか、と。 
・それが、そう簡単ではないのである。組織を出て、どこにいくのか。警察庁の発表によ
 れば、この年警察が捜索願を受理した家出人は8万6千人である。受理したのがそれく
 らいだから、実態はもっともっと多いだろう。だが公表の数字だけでも自殺者の3.6
 倍の人が家出している。全体では前年比若干増加だ。しかし、ここでも増えているのは
 管理職で、17パーセントの急増だ。その数670人。組織から出ても、いく場所がな
 いのである。家にも帰れない。よって、家出する。
・私はあるときを境に、サラリーマンが群れるのを嫌うようになった。それまでは完璧な
 会社人間だったのに、40歳に近づくにつれて、日夜群れて会社のことばかり話してい
 るサラリーマンに違和感をいだくようになった。義理で付き合うのは、もともと好きで
 はなかったが、ますます苦痛になってきた。
・ところが、である。最近あちこちで、群れるのは人の重要な本能であるらしいという論
 文を見かけるようになった。人間には個体を維持するための「食本能」環境に適合する
 ために群れで生活する「群れ本能」、そしてこの両者をつなぐ「性本能」の三つの本能
 があるというのだ。性欲と群れる欲望をつかさどる神経は、脳細胞のもっとも根源的な
 部分にあるとかいう論文もどこかで見た。
・なんのことはない、群れることは人間の本能であったのだ。なにも恥ずべきことではな
 いのである。これを言葉を変えれば、ヒトは群れから離れて生きるのは困難だというこ
 とを示している。ヒトとは、そのような生き物なのだ。これをまず認めよう。自立とい
 うこと言葉がはやりだが、孤立とは違う。
・退職や転職は、群れからの離脱である。ほかにいき場所がなければ、自殺したり家出し
 たりする。それがいやなら、会社以外の群れを用意しておかなければならない。
・団塊の世代の父親は、必ずしも会社人間のタイプではなかった。まぎれもない仕事人間
 でありながら、剣道は有段であったり、囲碁をやらせれば相当の実力があったりする。
 俳句に凝って、くろうとはだしの人も少なくない。仕事とは別のなにかを持っていた。
・企業が決定的に仕事いちずの人間を重用したしたのが、いま退職を迎えつつある世代が
 現役のときだ。みずから無芸無趣味を誇る人さえ現れた。このような人々の方向転換に
 は苦労は多いだろう。ただ、年金を受かられ、それなりの退職金も得られる世代だ。し
 のぐことができる。  
・団塊の世代の場合は、経済的にはより深刻だ。住宅の取得コストがちがうし、年金だっ
 て当てにならない。さらに、過当競争を生き抜いてきただけに、還暦世代よりも仕事い
 ちずだ。倍加しているといってもいい。
・さらに不況の時代である。不況というのは困ったもので、「会社のために」という正論
 がなにとりも優先しがちだ。だが、ここ30年のサラリーマンの生活を振り返ってみる
 と、日本人はいつだって国や会社の経済の好不調と、自分自身の幸不幸とを重ね合わせ
 すぎてきた傾向がある。職があって、収入が安定しているのにこしたことはないが、人
 はパンのみにて生きるにあらずというではないか。
・バブル期に大いにもうかったとき、人はそんなに幸福だったのだろうか。あのとき、サ
 ラリーマンは会社一辺倒で、正気の沙汰とは思えないことをいっぱいやった。
・不況のときには「会社のために」という幼稚な正論を押しとおそうとする権力者が幅を
 きかす。会社への忠誠心コンクールだ。そして、競争となればなんと言ったって団塊世
 代の本性だ。とても別の群れさがしどころではない。 
・私は会社の経営者というのは、二十四時間働けばいいと思っている。経営とはそういう
 ものだ。それゆえに高給をはみ、人事権を持つ。ちなみに、高給をはまず、人事権もな
 いが、作家だって二十四時間働いている。自営もまた、そのようなものだ。だが、労働
 者はそうではない。契約にしたがって働けばいいのだ。そこを勘違いして、役員が8時
 にくるからといって、慢性的に7時半に出社することはない。だいたい、そんなに早く
 きて、いったいなにをするというのだ?まして、自分が早くくるからといって、部下に
 もそれを強要するのは論外だ。部下の面倒を見ることができないのに、それは思い上が
 りというものだ。
・いつかは会社を離れなければならないと、サラリーマンならだれだって頭ではわかって
 いる。まして不況ともなれば、その時期は早まりこそすれ遅くなることはないと知って
 いる。そして、いざ転職となれば、いまの会社の仲間とは別れねばならないし、転職先
 で腹を割って語り合える仲間を作るには時間がかかる。
・一方、群れるということは、ヒトの根源的な欲求である。とすれば、不況のときこそ、
 会社から離れた新しいサロンを作らねばならない。すべてはわかりきったことなのであ
 る。そう、サラリーマンはなんだって知っている。知っていながら、父親の世代がやれ
 たことができないのである。
・消極的で、受け身で、臆病で、無芸無趣味で、面倒くさがり屋で、ひまができたら一人
 で酒を飲みながら本でも読んでいたほうがいいという、やや鬱病的会社人間でも、なん
 とか付き合えるのは、そう、隣近所である。しかし、いまどき近所付き合いは無理だと
 いうのが世論である。
・会社のOB会の類が、窮屈なのは、昔の上下関係が影を落としているからなのだ。年を
 取るにしたがって、お互いにわがままになったり、頑固になったり、偏屈になったり、
 あるいはまたその全てを備えたりするが、若いうちから付き合っていると、苦笑してそ
 れを受け入れてることができる。
・サロンを引っ張れる人の資質は、
 ・第一に好奇心がきわまて旺盛な人である。興味のあることなら、ノミのように鋭く深
  く追求する。
 ・第二に、棟梁の資質がある。人をたべねる才がある。
 ・第三に、骨惜しみするということがない。なげやりにならない。そして、事務をまる
  ごと引き受ける。
 ・第四に、女性の友がいっぱいいること。
 
家族との平和条約
・われわれの世代は、60年安保とか70年安保があったけれども、すうっと通り過ぎて
 しまった。それで、戦後民主主義というものを振り返って、勉強しなおしたかった。高
 度成長というものがなんであったのか。少し考えてみたいという気分がある。人は老い
 てくれば、自分の生きてきた時代に興味をもつのだ。ただ、人間、なにかに打ち込める
 のは70歳まで。
・老後の生活設計を、自分で確かめてみたくなったのではないか。金銭感覚については、
 私の数倍すぐれた人だ。そんな人は、自分で確認しなければ、気が済まなかったのでは
 ないか。夫というものは、家に入るに際して、自分の家を他人の家だと思って、静かに
 様子を見ることから始めたらいい。
・長い間夫婦だったから、改めてなにもいわなくてもわかるのだとは、考えないほうがい
 いというのである。夫は会社へいき、妻は家にいた。子供ができ、成長もし、巣立って
 いったからといって、二人が何十年というもの、別の世界の住人であったことはまちが
 ない。そこを誤解してはいけない。まさに、夫婦生活のやり直しなのである。
・ということは、実は妻という存在が赤の他人であるのを再発見することから、すべては
 始まるのだろうか。たぶん、そうだろう。では夫たちは、家に入ってなにを発見し、な
 ににたじろぐのか。あんがい、それは共通しているのだ。
・ひょっとしてあなたは、会社にいって仕事をしている間、妻は家にいて、家事をやって
 いるものだと思い込んではいないだろうか。はっきりいって、それは誤解なのである。
 あなたはまず、妻というものがほとんど家にいないという事実にショックを受けるだろ
 う。仕事を持った妻なら、仕事と家事とでそれなりに忙しいのはわかるが、専業主婦だ
 って忙しいのである。 
・ある調査では、妻の交友関係や電話を細かく監視する夫が2割ほどいるということだが、
 これは妻の浮気を心配するというよりは、私には孤独な夫の悲鳴が聞こえる。そういえ
 ば、妻にくっつくて行動するぬれ落ち葉なんていやな言葉もあった。
・女たちは、ネットワーク作りに年季が入っている。まず子供の学校のPTA仲間という
 のがある。子供はとっくの昔に卒業しているが、仲間の団結は持続しているのだ。それ
 から地域の仲間というものがある。自治会なんかで親しくなるのだ。それと、趣味の集
 まり。ネットワークは次々に広がっていく。まるで蜘蛛の巣みたいだ。
・男たちが会社一辺倒で生きているうちに、女性は独自の世界を作り上げてしまっている。
 企業は男社会だが、それ以外はすべて女社会なのだ。それがくっきりと別れた構図にな
 っているのがいまという時代の特徴だ。企業をリタイアした男たちが、女社会に入り込
 むのは、ほとんど困難だ。まず、それを覚悟しなければならないのである。
・それでは、家に入った夫は、妻に無視されるのだろうか。無視?それならまだいいほう
 だ。いじめられるのである。1998年に東京都が出した「女性に対する暴力に関する
 調査」というのがある。なんでも身体的な暴力を夫から受けたことのある女性は33パ
 ーセントにのぼるというのだ。「平手で打つ」が18パーセント、「押したり、つかん
 だり、つねったり、小突いたり」が21パーセント、「立ち上げれなくなるまで、ひど
 い暴力を振るう」だとか「首を絞めようとする」、「包丁などの刃物を突きつけて脅す」
 なんてものあるらしい。精神的暴力の調査もあって、「何を言っても無視する」が44
 パーセント、「交友関係や電話を細かく監視する」やだ「だれのおかげで、おまえは食
 べられるんだと言う」がそれぞれ20パーセントほど。たまげた、とはこのことだ。
・ところでこの報告書、実態をあらわしているんだろうか。大いに疑問だ。少なくとも私
 の友人知人には、こんな暴力夫は一人もいない。私がいいたいのは、その逆の場合であ
 る。妻が夫に揮う身体的暴力のことはよく知らないが、会社を辞めて家に入ったとき、
 ほとんどの夫たちは精神的暴力を感じるのではないか。あるいはいじめにあうといって
 もいい。
・そもそも、妻が権力をにぎるというのは、少しばかり妙なことである。働いてお金を稼
 いでくるのは夫なのである。 給料が自動振り込みになって、妻が勝手にお金をおろせ
 るようになったものだから、夫の権威が下がったのだという、もっともらしい説がある。
 そうかもしれない。だが、それ以上に、夫が「家庭内で妻の手助けなしにはなにもでき
 ない存在」になったことに、最大の原因があるのではと、「妻の手助けなしにはなにもで
 きない」私は思うのだ。考えてもみればいい。そのような夫を、妻ははたして尊敬する
 であろうか。会社へいっているうちはまだ言い訳がきき。だが、退職すれば、そうはい
 かないのである。
・男の古典的な勘違いの最たるものは、女性は家事がきれいではないという手前勝手な信
 仰だろう。誤解である。女性の十中八、九は、家事がきらいなのである。それも、大っ
 嫌いなのだ。嫌いだが、それが仕事だし、ほかにやる人がいないから、しかたなしにや
 る。「手伝え」といったって、夫は連日仕事で忙しい。本当は、なにをしているのか、
 わかりゃしないのだが。 
・会社を辞めたら、もう猶予はきかない。夫にも、それ相応の家事をやってもらおう。い
 ままでの償いの分も含めてだ。たいがいの女性はそう考えているのではないか。しかし、
 そう理解すると、さまざまな女性の反応というものがわかってくる。
・家に入ってこのかた、私は家事を手伝わない夫への不満を、あちこちの主婦からずいぶ
 ん聞かされてきた。専業主婦でも、不満をいう。聞いていて、同性として喉まで出かか
 る言葉がある。「専業主婦なら家事をやるのは当たり前ではいか」男としてはきわめて
 まっとうな意見である。だが、いったんそれを口にしたときの危険を本能的に感じて、
 私は黙ってうつむくのである。その意見は、たぶん会社の論理というものなんだろう。
 女の論理とは、「きらいなものはきらい」なのだ。
・かくて、家に入った男と女の摩擦は絶えない。いっしょに住むのがいやならば、別れる
 のも手だと思う。なにも一生添いとげるばかりが能じゃない。自宅なんか売却処分して、
 財産は二つに分け、勝手に暮らせばいい。しかし、別れればいいかというと、そう簡単
 ではない。家事が大好きという奇特な後釜を見つけないかぎり、問題は解決しないので
 ある。     
・しかし、なんで女は女が好きなんだろう?たぶん、男は退屈なのにちがいない。第一教
 養が低い。話すことといったら、野球がゴルフ。他になにもない。いつだったから、津
 軽三味線の人間国宝の話になったとき、私は正直に「知らない」といったら、「ワー、
 シンジラレナイ」と軽蔑された。こんなことがしょっちゅうある。男に積極性がないの
 も、もの足りない原因だろう。なにせ男は疲れている。女は元気である。
・女はとにかくよくしゃべる。いいっ放しである。人の話は、総じて聞かない。そのくせ
 気まぐれに、「男性ももっとしゃべればいいのに。黙っているからストレスがたまるの
 よ」なんていう。しかし、そういわれても困るのだ。男というものは、会社では明瞭に
 話す訓練ができていない。というより、自分の意見はなるべく明らかにしないで生きて
 きたのだ。上司が反対の意見を述べたとき、すぐにそれに乗れるような曖昧さを残して
 おかなければならない。それが処世術というものだ。だから、急にしゃべれといわれて
 も、なにをしゃべったらいいのか見当がつかない。それに加えて、多弁なやつはろくで
 なしだと男たちは思っている。沈黙を貴ぶところがあるのだ。まして、オバサン相手に、
 うっかりしゃべるのは危険だ。話すなら、しっかり矛盾がないように整理整頓してから
 話さなければならない。でないと、みもふたもなく否定される。罵倒される。あげけら
 れる。 
・女が女を好きな背景には、どうも男を尊重するという意識の欠落がうかがわれる。尊重
 するもなにも、男と女は別の世界の住人になってしまっていたのだ。
・ずいぶん前かもしれない。というのは、ある還暦老人が「男に尽くすなんて、演歌の中
 だけのことだぜ」と、それはもうさっぱりと割り切った口調でいうのを聞いたことがあ
 る。「生まれてこのかた、男に尽くす女は見たことがありません」と、淋しいことをい
 ったのは、会社の後輩である。この男はまだ若いのに、女性には優しくしてもらいたい
 という、私と同じ甘えと愚かさがある。彼は松田聖子と同年だが、ちょうどこのあたり
 の年齢を境にして、女性はわがままで自己中心的な顔を隠さなくなったという有力な学
 説がある。そういう女たちに優しさを求めるのは、八百屋で肉を求めるようなものだ。
・女性の側の本音はどうかと思い、38歳の、それはもう才色兼備としかいいようのない
 既婚の女性に、「男につくす気になったことがありますか」と訊いてみたことがある。
 彼女は美しい顔を崩してケケケと笑って「一度もないわね」と答えたものだ。バカ尋問
 を過度に軽蔑する。つまるところ、男につくす気のある女なんて、もはや天然記念物の
 ようなものなのだ。人間国宝だ。だからそれに当たった男は、運命を天に感謝しなけれ
 ばならない。その逆に、当たらなかったからといって、運命を呪ってはいけない。それ
 が普通なのだから。
・これはアルコール依存症の治療の研究の中から生まれたものだが、アルコール依存症の
 かげには、彼らを叱ったり励ましたりする妻などの共依存者と呼ぶべき人がいて、その
 ような人がいるかぎり、アルコール依存者は飲むことをやめないそうだ。妻によりかか
 り、自分でけじめをつけないからだというのだ。あまり耳慣れない言葉だが、今日の病
 的な現象を考えるうえで、重要な概念とされているらしい。 
・アルコール依存者をささえる妻は、ではなぜ共依存者と呼ばれるか。それは自立できな
 い男を救おうとすることで、自分自身のむなしさから逃れようとするからだ。なんと、
 妻もある種の依存者というわけだ。アルコール依存症と仕事依存症には、非常に多くの
 共通点があると指摘されているのが、仕事中毒の男につくす妻もやはり共依存者である。
・では男が支え甲斐がなかったり、あるいは自立している場合はどうか。むなしい妻は、
 関心のすべてを子どもに向け、アダルトチルドレンができあがるという。では夫が家に
 入って自立しない場合はどうなるのだろうか。妻は夫を自立させようと叱咤激励したり、
 あちこち連れて歩いたりして(いわゆる濡れ落ち葉状態)、その結果夫はやはり自立せ
 ず、妻も夫にはりつくということになるのだろうか。
・どうやら夫というものは、妻にかまってもらえないくらいがちょうどいいのではないか
 と、私は思うにいたるようになった。いままでは土日くらいしかかまってもらわない生
 活をしてきて、それが60とか50になって会社を辞めたからといって、毎日たっぷり
 かまってもらおうというのは、いささか虫がよすぎるというものだろう。だいたい不自
 然だ。なによりも共依存の関係になりかねない。家事にしたって、適当にやるくらいが
 ちょうどいい。私の女房は、「家が汚くて死んだ人はいない」という。それも堂々とい
 う。思わず私は威厳に打たれて、そうだな、いないよな、と同意してしまうのである。
・そういえば、日本の離婚率がまだ低いのは、夫婦がバラバラに生活しているからだとい
 う説がある。外国の映画を観ていると、夫婦がパーティーに出る出ないで喧嘩をする場
 面にでくわすことがある。日本では、こういうのはあまりないなと思ってホッとしたり
 する。日系企業で働くアメリカ人が、女房ぬきで男だけで遊べるってのは、こんなに楽
 しいものかと喜んでいるのが見たこともある。それはそうで、夫同士が仲がいいからと
 いって、妻同士が仲がいいとはかぎらない。私の見聞では半々だ。 
・夫と妻は、適度な車間距離を保つのが賢いやりかただと、私はようやく学習したところ
 だ。そう、車間距離とは、われながらいいえ妙だ。まして家に入って間のないビギナー
 である。衝突事故には気をつけねばならない。 
・夫が自分の流儀を妻に強いたり、妻の性格を変えようとするのは理不尽きわまりないこ
 とだ。また、その逆もそうである。ほかのだれか、たとえば自分の息子や娘、あるいは
 長年の親友にも要求しないことを配偶者に求めるのは、あきらかに間違っている。しか
 も中高年になって突然に。
・「リタイアした人の8割は、愛人を欲しがるそうですよ」と脅かした後輩がいる。妻に
 相手にされないため、だれかから優しい言葉をかけてもらいたいからだという。だが、
 どうだろう。愛人というのは、面倒なものではないだろうか。けっしてお金だけの問題
 じゃない。
・しかし、女友だちというのは必要だ。やはり、男と女はちがうのだ。いま振り返るに、
 現役時代に女友だちを作っておかなかったことは、生涯の不覚だった。あれほど女性が
 あふれている職場にいながら、なんとしたことだ。 
・「いい女」の条件をあげれば、次のようなものであろうか。
 ・第一に、話していて楽しい、年増のお姉さんがいい。若い女性が好きで、お話しした
  いなら、キャバクラとやらにいくにかぎると、後輩が教えてくれた。そこには話し相
  手になってくれる娘がいっぱいいて、オジサン、オジィサンが娘を周囲にはべらせて
  すこぶるご機嫌だという。陰湿でも嫌らしくもなく、あっけらかんと明るいらしい。
  早い時間にいくと、割安だということだ。一度、ぜひ行ってみたい。
 ・第二に、たけだけしくないこと。どんなに美人でも、たけだけしいのはいやだ。美人
  系には、その顔だちからは想像もつかない、鬼のような女がいると聞く。がいして生
  意気で、わがままだともいう。男にちやほやされることに慣れているから、そうなる
  のであろうか。そういえば、わがままな性格というのは、年をとっても絶対に直らな
  いのではありまいか。むしろ、ひどくなる。辛辣になり、たけだけしさをくわえる。
  なぜわかるかというと、私がわがままだからだ。わがままな中年女を見分けるのは、
  実はそう難しくない。整った顔立ちや可愛らしさにだまされず観察すると、ひどく悪
  相になる一瞬がある。ちなみに、いい男は美人なんかとは結婚しないという、格言の
  ある国がある。
 ・第三に、貪欲でないこと。年をとってなお貪欲である人は、見ているだけで疲れる。
  うまく年をとるコツは、欲を一つ一つ捨てていくことだ。そう心がけようと思ってい
  る。
 ・第四に、人に愛されたことがあること、そして人を愛したことがあること。多分これ
  が一番大事だ。
・自分で作ってみて、なんで男は料理を敬遠するのか、私はたちどころにさとった。失敗
 するからである。それも、何度も失敗する。で、自分に腹を立てる。でも、どうして腹
 を立てるのだろうか。
・企業社会において、男は中高年になると、めったに仕事で失敗することがないからだ。
 失敗しても、その責任をだれかに転嫁できる。ヤツ当たりすることができる。それで精
 神は安らかになる。失敗を認めざるを得ないケースがおきても、自分自身に対する言い
 訳は完璧にできる。指示が曖昧だった上司を非難すればいい。中高年サラリーマンはし
 たたかなのである。そんなことのできない者は、とっくに会社を去っている。あるいは
 また、もはや失敗するような仕事など与えられていない。
・料理を作るとき、男は自分と向き合わざるを得ないのだ。失敗は失敗として認めなけれ
 ばならない。これが苦痛なのだ。むしゃくしゃするのだ。これはそもそも料理というも
 のを、たかがラーメンなどと軽んじるところに原因があるのではないか。では、料理を
 覚えるコツはなにか。以下、ビギナーの率直な感想である。
 ・第一に、まず道具と材料のありかを、しっかり覚えること。妻は妻の流儀で、道具と
  材料の置き場所を決めている。それがじつにわかりにくいのだ。そして、どんな場合
  でもそうなように、男にはそれがわかりにくい。それで嫌気がさして、料理をやめた
  男はかなりの数にのぼるのではないかと私は推測している。台所は会社ではないと割
  り切ること。矛盾と不合理に満ち満ちている。いや、会社だってそうか。 
 ・第二に、料理は5回は失敗すると覚悟すること。ラーメンを作るのだって、5回は失
  敗する。それがあたりまえだ。覚えたと思っても、また失敗する。なにせ一年坊主な
  のである。完璧を期してはいけない。そして、妻の冷笑に耐えること。
 ・第三に、できるだけ簡単な料理本を買うこと。料理は妻に習うのがいちばんだが、そ
  れに適しない妻も少なからずいる。適しない夫も、もちろんいっぱいいる。あるいは
  妻とはできるだけ共同作業をしないほうがいいという哲学もある。
 この三つのことを心がけて1年やってみれば、それなりのおとはできるようになる。そ
 れに自分の好きなものを作るのは、けっこう息抜きになるというものだ。  
・ただ困るのは、料理というものは、自分一人だけのために作る気にはなりにくいという
 ことだ。一緒に食べてくれて、うまいとかまずいとか言ってくれる人がほしいのである。
・人口の対部分が農家であった時代には、嫁は一家の重要な働き手であって、主婦の仕事
 だけやっていたわけではない。商家の嫁も同じだ。下層の武士階級では、妻は手内職に
 忙しかったようだ。上層の武士階級では、妻は働いていなかったから、これを専業主婦
 とすると、専業主婦は既婚女性の1パーセントもいなかっただろう。専業主婦は豊かな
 家計だけが持てたものだったのである。戦前の日本でも、専業主婦はほとんどいなかっ
 た。既婚女性の専業主婦率がピークに達したのは、95年度の国民白書によれば、70
 年代のことで、4割になったと推定される。その比率はその後低下しているものの、現
 在でも3割と高い。つまり、専業主婦が大量に発生したのは、高度成長期以降だ。夫は
 会社で働き、妻は家事や育児をする。そういう役割分担が明確になり、日本株式会社は
 走り出したということだ。 
・つまり、専業主婦のいる家庭は、団塊の世代にとって、ごくあたりまえのライフスタイ
 ルとして、出発点から刷り込まれていたのだ。そして、団塊の男たちが学校や会社での
 長年の競争に疲弊しているいま、団塊の専業主婦たちは育児から解きはなたて、家事は
 電化で楽になり、そのエネルギーを全開させて活動してるようにもみえる。
・職場をもっともっと女性に解放しなかったのは、男たちの一大失敗ではなかったろうか
 と、私は思っている。エネルギーあふれる女性に会社の一翼をになってもらい、男はも
 っと会社以外の場所に重心を移せばよかったのだ。
・経済感覚のしっかりしている女性が銀行の経営者なら、何千億円とか何兆円の不良債権
 は作らなかったのではないか。第一ケチな女性なら、暴力団や総会屋に何百億円という
 単位で気前よくプレゼントしたりはしない。そりゃあ、なかには浪費家の女もいれば、
 悪い男に貢ぐ女もいることだろうが、それだってタカが知れている。ついでにいえば、
 女性の総理大臣なら、外国の諜報機関にいた女性と親しくなったりはしないはずだ。
・女に仕事を譲ったって、男にはやることはいくらでもある。アマゾンにいくのだ。チベ
 ットの山に登るのだ。生け花、ガーデニング、陶芸をやって感覚を磨くのである。ヨガ、
 社交ダンス、ゴルフで体を鍛えるのである。麻雀、競馬でバク才を磨くのだ。究極は宗
 教活動だ。なんぼでもある。
 
会社を辞めることを怖れるな
・人は簡単に、終身雇用制度は終わったという。だが、終わりがあれば、始まりがある。
 始まったのはなにかというと、「職業多段階時代」なのである。まずもって、史上例の
 ない長寿社会が到来した。この時代に悠々自適の生活を送れるのは、よほど経済的、精
 神的にできた人だ。仕事をしてこなかった人は、やはり仕事をしたくなる。だから、も
 う一つ仕事が必要だ。加えて世はリストラの時代である。それに、倒産だってある。大
 証券、大銀行だってつぶれる。 
・どうやら、たった一つの会社では、人生、間に合いそうにない。かつては、あまった金
 は銀行に持っていけば、なにがしかの金利がついたが、いまは雀の涙ほどもつかない。
 小金の運用にも知恵を絞らなければならない時代だが、ないやら職業もそれに似てきた。
 難儀なことだ。
・まずもって、時間は有効に使わなければならない。日本のホワイトカラーの効率の低さ
 はつと指摘されるところだが、つまらない仕事で忙しがるのはやめることだ。なにより
 も会社内部に、役員向けの、自己宣伝の仕事はやめる。それは会社内部の考かであって、
 職業多段階時代には役に立たない。外で通用する実力とはなんの関係もない。 
・次に、自分がその仕事になにも寄与することができそうにもないときは、さっさと身を
 引くことが大事だ。有効な発言などできそうもない会議は出ない。読んでもわからぬ書
 類、稟議書や報告書は、すぐに次のセクションに回す。判断の基準は、自分の専門性だ。
 専門外のことは知ったかぶりをしないのだ。
・年をとり地位が上げれば上がるほど、省事を旨としたい。単なる自己満足で仕事をやら
 ない。熱闘苦悶型はやめる(中年でこれをやると、本人は気分がいいが、他人には見苦
 しいだけだ)。つとめて残業はしない。仕事の付き合いで酒は飲まない。たった20日
 くらいの有給休暇は全部とる。 
・どうもサラリーマンは、ある年齢以上になったり、ある地位以上になると、”人事”が
 好きになるらしい。権力と呼ばれるものの現れだろう。その世界に首までどっぷりつか
 っていると、つき物がついたように、人格さえ変わってくるだろう。用心がいる。なに
 より怖いのは、心身ともに充実しているときに、人事などという業病にとりつかれて、
 時間を浪費することだ。多段階の時代への準備ができなくなるのではないか。
・人事は業病だが、もう一つ、とく40歳以上の人々がかかる病気がある。この病気は会
 社のみならず、あらゆる組織に浸透しているように見える。「ひねもすのたり病」とい
 う。 
 ・ひがみの「ひ」
 ・ねたみの「ね」
 ・文句の「も」
 ・すれっからしの「す」 
 ・のぞきの「の」。あるいは、のどかの「の」
 ・単純の「た」。短気の「た」でもいい
 ・悋気、吝嗇の「り」
・出る杭は打たれるという。では、出ない杭はどうか。「地中で腐るんだよ」と、恐るべ
 き真理を教えてくれたのは、電話会社の友人だった。どう腐るのか。私の見るかぎり、
 ほぼ例外なく「ひねもす病」にかかる。組織の中で不遇なと、「いま耐えているのは、
 その日がきたときに腕をふるうためだ」という人がいる。そう思いたい気持ちはわかる
 が、重度の「ひねもす病」は治るのであろうか。同じ職場では、たいへん困難ではない
 か。どうせ職業多段階時代なのだ。脱出方法を考えたほうがいいのではないか。 
・会社の中にだって、ジイサンの暇つぶしの相手はいやだ、と嘆いている人はいくらでも
 いる。OBは自分と話してくれるかどうかで、いいやつ、悪いやつを区別するから困る、
 といった男もいる。どうしてオジサンはみんな頑張るんだ、というOLもいる。もっと
 もきらわれるのは、会社ではさんざん権力をふるったくせに、退職して急に仲間を求め
 る男。そういう人こそ、用もないのに会社にくる。まことに見苦しい。そういうことを
 たっぷり見聞きしていると、小心な私としては元の職場に足を運べない。
・昔のことだが部長代理に昇進したとき、社外の仲間がお祝いをしてくれたことがあった。
 もの書き、音楽会社の人、アナウンサーなど、さまざまな人がいたが、なぜかカタギの
 サラリーマンは一人もいなかった。そのとき、部長代理とは、どの程度えらいのかと訊
 かれた。「なにもえらくありませんよ。しがない中間管理職です」そう答えたら、それ
 では、ということで、会社の序列を訊かれた。「従業員の位は、上から部長、次長、部
 長代理、課長、課長代理、ヒラとなります」ところが、みなさん、これがさっぱり理解
 できないのである。要は、興味がないのである。いや、それどころではない。だいたい
 社名すら、本気で記憶する気がないのだ。ナントカ商事だってナントカ物産だって、ど
 うでもいいのだ。あのときのことを思い出すと、会社の肩書きなんかを気にするのは、
 本人と妻くらいのものだと納得できるのである。いや、妻だって本音は、収入は気にす
 るが、肩書きなんかは気にしないかもしれない。だいいち、夫の肩書きを気にかける妻
 なんて、気味が悪くてしかたがない。  
・仕事上の付き合いにすぎなかった縁は、仕事を辞めることによって接触は途絶える。離
 れていくだおると予測した人は、ほぼ離れていく。予想外のこともある。いくら親しい
 つもりでも、酒飲み友だちというのは、だんだん疎遠になっていく。とりわけ、飲みな
 がら仕事やゴルフの話くらいしかしなかった人とは疎遠になっていく。その逆に、こち
 らがビジネスの付き合いだと割り切っていたつもりでも、長続きする関係というものも
 ある。不思議なものだ。
・年を取ってくると、会社の仲間の集まりのほかに、同窓会などの案内が多くなる。でも、
 人は老いるとどうして同窓会に出たがるのだろうか。これはちょっとした謎だ。「ある
 一定の時間と空間を共有していたから」といったって、それははるか大昔のことである。
 それあら30年、40年と時間がたてば、かつて純真無垢な少年少女も世俗のあかにま
 みれて貪欲になり、根性はひねくれ、金に汚くなり、地位を追い求め、名誉を欲し、
 「ひねもすのたり」人種になり、いまや見る影もなくなるのではありまいか。「そんな
 人は、同窓会には出てこないですよ」と教えてくれた人がいた。「お互いに飲み込むの
 です」。相手の欠落を許容するというのだ。そうかもしれない。
・さて、同窓会で元気いいのはだれかというと、これはもう圧倒的に女性陣である。母親
 としての役割からは解放され、妻としての役割はとうの昔に辞退していて、すこぶる元
 気なのである。嫁いで遠方にいった人でも、はるばる出てくる。なにせ実家がある。そ
 こに泊まればいいだけだ。実家がなくなった人は?ホテルに泊まればいいのである。そ
 れも、おおっぴらに。
・男で元気がいいのは、自営の人だ。税理士、工務店、電器屋、寿司屋、八百屋などなど。
 地元に根づいて、みな社長だ。学生の時勉児湯ができず、小さくなっていたような気が
 するが、いまではお互いに社長、社長なんて呼び合ってご機嫌だ。昔優等生のサラリー
 マンが、上場企業の部長の名刺なんかを出しても、「ほう部長か」でおしまい。なにせ
 相手は社長なのである。
・停年とは、そうなる前に想像し、期待していたよりは日常的なものなのか。しかし、完
 全に日常の中に埋没し去ったとき、それは単なる余生でしかなくなってしまう。余生に
 ならないようにすることが、これからの自分の課題であろう。  
・退職して5ヶ月になるが、正直なところ、人が言うほど生活の変化の実感がない。仕事
 がなくなったことによる虚脱感もないし、生活が変わったという感じがない。ずっと以
 前から今のような生活をしている感じである。むしろ、だんだんと自分の気の向くこと
 をやって自由な生活を楽しむことへの意欲が湧いてくるようなこの頃である。自適生活
 をいよいよ楽しみ、軌道に乗せよう。
・読書量が減った、というのもそれである。会社を辞めれば、いくらでも本が読めると思
 っていたのに、それがそうはいかない。なぜかというと通勤時間がなくなったからであ
 る。読書は通勤電車の中で集中的にやるというのが、私のようなサラリーマンの長年の
 習慣になって、身にしみついていたのだ。
・昼寝というのも共通体験である。昼寝でもなんでもいいから、細く長く生きたほうがい
 いんですよ。あまり欲張らないほうがいいんですよ。神様はなんでもかんでも許される
 わけがありません。昼寝をすると夜早く寝られなくなり、夜更かしをする。そのために
 朝起きるのが遅くなり、午前中の時間がなくなる。そして午後また昼寝をすると、午後
 の時間もなくなる。ということは、一日がなくなるということですよ。
・理窟からいえば、食後すぐに運動するのはよくない。理想は、食後横になってとろとろ
 ひと眠りするのがいい。食物が胃に入ると消火作業のため血液が腹部に集まり、頭の血
 液が少なくなり、眠くなる。必要以上に働く動物は人間だけだとなにかで読んだことが
 ある。縄文人はそんなに働かなかったというのも読んだことがある。いや、もっと素直
 にいえば、眠りたいときに眠ることができるのが、サラリーマンを辞めた最大の幸福だ。
 私は自分なりの時間配分を考えることにした。
・とにかく単調な生活である。自堕落になろうと思ったら、いくらでもなれる。朝から雨
 を眺めながらビールを飲もうと勝手なのである。晴れれば、ウィスキーのポケット瓶を
 持って、公園にいったってかまわない。
・朝、駅の構内で、段ボールにすわって3、4人のホームレスが、ワンカップや焼酎で酒
 盛りをしている。その横を通勤客が足早に歩く。長年、通勤客の群れの中にいて、おれ
 もいつの日か、あの輪の中にいるのだろうかと想像し、誘惑と嫌悪とを同時に感じてい
 たものだった。  
・嫌悪を感じるうちはまだいい。だが、やがて嫌悪感は薄らいでゆき、誘惑ばかり強くな
 ると、いったいどうようことになるのだろうか。そう思った日々の果ての転職である。
・私のような意志薄弱な人間は、生活のリズムを作っておかないと危ない。私の友人、知
 人はそれを知っている。1年半やってきて、おぼろに見えてきたことがある。まず、自
 分なりの規範がないと、生活がちっとも楽しくないということがある。時間が自由にな
 ることをいいことに、遊びほうけていると空しさが残る。それも大いに残る。ホームレ
 スの中に入っても、きっとそうだろう。仕事中心の生活の中に、ときおり遊びを入れる
 のがいい。
・1時間半、つまり90分というのが、からだのリズムの一つの単位だということを発見
 した。ワープロを打っていても、そのくらいで疲れてくる。本を読んでいてもそう。睡
 眠も、90分かける何単位かで目覚めると、頭がすっきりする。
・早寝早起きが性に合っている。朝4時前後に起きるように努めている。ひと仕事してか
 ら散歩し、朝食を食べ、少しウトウトする。夜は9時から10時の間に寝る。
・もちろん生活のパターンが変わっていないことはないのだ。少なくとも、物理的に会社
 にいくことはなくなったのだから、大変化といってよい。まず満員電車に乗らなくなっ
 た。これは大いに助かる。筆舌に 尽くしがたいとは、このことだ。会社生活の中で、
 最も苦痛なことの一つがこれだった。行きもつらいが、帰りもつらい。一杯飲んで帰る
 とき、床にすわりたくなることが数限りなくあった。
・次に、無駄を省けるのも、とても助かる。会社勤めは、必要がないと思っていても、会
 わざるを得ない人、出ざるを得ない会議、読まざるを得ない書類が、うんざりするほど
 多かった。
・また、私は実務家だから、抽象論、正論をいう人々と付き合うのが苦痛だった。そんな
 ときは、誇張なしに、人生の徒労を感じた。統計的にいっても、サラリーマンが一番苦
 労するのは、会社の人間関係なのだから、それがなくなっただけでもストレスはだいぶ
 ちがうはずだ。
・それから、寝たいときはいつでも寝られる。これはまさに至福のときである。いきたい
 ときに、どこでもいける。なんてのもある。もっとも、大したところはいっていないが。
・豊かさには、お金がいっぱいある豊かさと、時間いっぱいある豊かさとがある。それに、
 夫婦2人だと、生活費はそんなにかからない。女房は家計簿なんてつけたことはないが、
 たぶん月に20万円もあれば、食っていけるだろうという。ぜいたくな旅行にいったり
 すれば、それはいくらあっても足りないだろうが、別にそんな希望もない。安宿を数カ
 所見つけてあるから、海や山を見たくなれば、そこへいけばいいだけだ。
・たまにはうまいものを食べたいと思うが、高価なディナーにはあまり魅力を感じない。
 1人1万2千円の寿司屋にいきたいとも思わない。松茸に1万円払うのはばかげている
 と思う。それは交際費の世界のことだ。それに高いものがうまいとはかぎらない。納豆
 と魚のひらき、あさりのみそ汁に白瓜の浅漬けでもつければ、もうそれで満足だ。原稿
 料がちょっと余分に入ったとき、市場の寿司屋にでもいけば、いうことない。
・衣類だって、新しいものを買わなくとも、それなりにタンスに入っている。交際費とい
 うのも、半隠居の身となれば、あまり必要ない。義理で付き合うのは、原則してやめた
 のだ。冠婚葬祭だって出ないときめた。会社へいかないというのは、日常的にわけのわ
 からな金が出ないということだ。タクシー代だってかからない。バー通いは、もうずい
 ぶん前にやめた。
・これまでの会社生活や取材の中で、再就職先を探す多くの人と会い、希望する条件を聞
 いてきたが、ずいぶん高い要求をするものだというのが正直な感想だ。1千5百万円は
 もらっていたから、1千万円はほしいだとか、1千万円もらっていたから、せめて6百
 万円はほしいとみなさんおっしゃる。まあ、それぞれの事情はあるのだが。だが、会社
 を離れて稼げる金額など、タカがしれている。よほど特別の才能があって、何日でも徹
 夜できる若さがないかぎり、よそは高給では雇ってくれない。
・それに、お金というのは、たくさん稼げばうれしいという面はあるが、私の体験でいう
 と、月々決まった金額の給料の名目で振り込まれてくるのもいいが、原稿を1本書いて、
 1万円とか2万円いただくのも、けっこう充実感があるものなのである。 
・定年退職して、植木職人などになったりする人が少なくないようだが、あの人たちも私
 と同じように、1日働いて1万円とか2万円稼ぐのだろうと思うと、共感をいだいたり
 して、どうです、これから1杯やりませんか、なんて声をかけたくなる。やはり、なに
 かを作って、そしてそれが目に見えて、しかもなにがしかのお金をいただけるというの
 は、金額の多寡にかかわらず楽しいものなのである。
・隠居という制度があった昔の人は、われわれより人生を楽しむことができたのではない
 だろうか。伊能忠敬は50歳をすぎて隠居し、好きな測量に熱中することができた。だ
 が、今の時代は50歳になったからといって、いきなり隠居というわけにはいかない。
 みずから生活費を稼がなければならない。そのうえ住宅ローンや子女の教育費がまだか
 かるという人も多い。いまの人生というものは、まことにメリハリが利いていない。
・昔の智慧深い人は、人生をいくつかにくぎって、それぞれの段階にふさわしいすごし方
 を考えていたようです。インド哲学などは、一生を学生期、家長期、林住期、遊行期に
 分けていた。わが国でも、生計(養われる十代)、身計(身を立てる二十歳代)、家計
 (家を保つ30から40代)、老計(子供のことを考える50歳代)死計などと、こま
 かく分けて考えていた。そもそも、現役と隠居という概念があったうえでのことである。
 この知恵が、戦後雲散霧消したことが、不幸の始まりだったのではないだろうか。
・終身雇用制度の中に秘められていた会社いちず主義が、人の精神を偏狭なものにした。
 全生活を会社、というより上司に捧げる狂燥を社員に強要した。そこまでしばられては、
 人は他の生き方を探すのは容易ではない。 
・そもそも、まともな神経を持った人が、40歳、50歳を過ぎて、なお会社のために一
 生懸命働けるものだろうか。私はそれを疑う。創業者ならわからないでもない。会社の
 ためではなく、自分の夢を追求するエンジニアの場合もあり得るかもしれない。だが、
 普通のサラリーマンが、そのように働くには、ある種の狂気が必要だろう。人とは、も
 ともと、そのような構造にはなっていないのではないか。それゆえ隠居という制度があ
 り、インドや江戸期の賢者たちは、さまざまな知恵をめぐらしたのではないか。
・では、40、50を過ぎたら、さっぱり隠居すればよいか。しかし、諸事情からなかな
 かそうはいかないだろう。であれば半隠居して、きたるべき隠居に備えるのがいいので
 はないか。  
・まずは足るを知るということ。際限のない欲望追求をやめる。ものに執着しない。それ
 から、楽に生きるということ。義務、役割から離れれば、楽に生きられる。また、老い
 を楽しむこと。いまの時代もてはやされているように、若いというのがいいのではない。
 楽しみとして、自然、読書、旅、人などを挙げる人も多い。
・日本と違ってアメリカには、シニアを年寄り扱いする雰囲気はまずない。いずれ快適な
 は 敬を集めるし、社会から大切に扱われる。日本とアメリカとでは、シニアというものに
 対する歴然とした価値観の違いがあるのだ。
・私たちはみな、人生のバックナインに立つ。そのときの最大の難問は、実はお金でも、
 地位でもない。自分が本当はなにをやりたいのか、それをつかむことだ。これまでの社
 会では、決められたことをキチンとやるのが「いい子」とされた。学校でも会社でも、
 ずっとそれをやっていると、自分が本当はなにをやりたいのか、わからなくなってくる。
 皮肉なことに優等生ほど苦労する。
・郷里の仙台に帰る楽しみの一つに、学生のときに遊んだ仲間と盃を交わすことがある。
 学生当時の仙台には、駅の近くにX橋という俗称の橋があり、その周りが小規模の歓楽
 街になっていた。美人姉妹がやっている赤提灯があり、私たちはよくその店にいりびた
 った。 
・人は長じれば生計や子育てのために、働かなけれなならない。しかし長い年月がすぎ、
 それらの義務から解放されるようになると、若い頃に志したなにごとかをやろうとする
 傾向があるのではにか。若い頃に志したことを、年老いてやろうという場合には、その
 情熱が曲りなりにも何十年という長い間、地下水脈のように継続していたからなのだろ
 うか。長く続いた情熱であれば、困難も克服できるというものだから。
・一方、年老いて急にはじめたことが身につかないのにはわけがある。つまり、なにごと
 も最初は下手だから、そうそうおもしろいはずがない。それでも我慢して2年、3年続
 けられるかもしれない。だが、それ以上になると根気が持たない。だから、停年退職し
 てつけ焼き刃の趣味に生きるということは、いうほど簡単ではないのである。人は結局、
 転職などの転機を迎えたとき、若いころから温め続けていたなにものかのところに帰っ
 ていくのが幸せなのだろうか。あるいはまた、こうもいえそうだ。帰るべきなにものか
 を見つけた人は幸せだ、と。 
・次の世代のために、なにをバトンタッチするか、それがおれたちの務めではないか。年
 寄りをいたわり、席をゆずれば、人は仏になる。働けなくなった老人を、働ける老人が
 世話をする。公園の清掃を障害者の人々とやること。それはつぎの世代の人に確実に伝
 わる。
・私たちはそれぞれのやり方で社会に出て、ほぼ30年がたった。しかし、30年という
 歳月は存在しなかったようである。あるいはまた、ほんの一瞬であったように感じられ
 る。その間、私たちは何を得て、何を失ったのか。そう考えると、頭はもうろうとして、
 思考は停止する。何も得なかったし、何も失わなかったように思われる。
 
起業家から学ぶ
・不況になれば、たいがいの人は元気を失う。とりわけ中高年男性ほど、その程度はひど
 い。ある意味で当然だ。男というものは、会社が発展し、それに伴って出世し収入が上
 げれば、それでけっこう幸せと感じる単純な動物なのだ。私もそうだった。状況が正反
 対になれば、男たちは落ち込む。家族に対する責任感が、急に肩に重くのしかかる。
・女は、ちょっと違うのではないか。つねづね漠然と感じていた。「男性は会社のために
 仕事をする。女は自分のために働くのよ」ある年配のキャリア・ウーマンから、そうい
 われて、愕然としたことがあった。はっきりしていることは、会社をしっかり利用しつ
 つ(悪い意味ではない)会社には囚われないことだ。もちろん出世などには価値を置か
 ない。
・埋没しなければ、目は会社の内部だけでなく、外の社会にも向く。男たちは、まだまだ
 会社に囚われずぎなのだろう。社外にネットワークを広げ、50歳にして起業するなど
 という芸当はなかなかできない。
・リストラされて起業した人には会えなかった。起業には準備や心構えが必要で、外的な
 要因だけで、おいそれと起業できるものではないのだろう。それから、起業家には、腕
 に覚えのあるエンジニアが多いかというと、そうでもなかった。むしろ圧倒的少数派で、
 いわゆる文系が多かった。私が会った起業家は、普通のサラリーマンが、みずからの意
 志で会社を辞めたケースが多数を占めた。
・「大きな組織は、創造性を殺す」15、6年も勤めていれば、会社の全貌や自分の将来
 性が、はっきりとみえてくる。大きな組織ほどたちはだかる壁は厚く、無力感も強い。
 会社を辞めて、それまで溜まった2千枚の名刺が何の役にも立たないと知って愕然とし
 た。
・「男には夢がないだけではなく、事業構想力もない」リスクを避けて生きる。この風潮
 が、世に蔓延している。みながみな、いい大学やいい会社に入るのは目指す。そして、
 サラリーマンになったら、リスクを避けようとする。人は自立心を持たず、社会は活気
 を失う。このような国は滅びるのではないか。
・だが、サラリーマンがいやだからといっても、進むべき道を独りで見つけるのは容易で
 はない。安い時給のアルバイトで、その日暮らしをするのがやっとだろう。フリーター
 の増加はその現れだ。 
・そのように生きていくかは、しょせん、自分で解決するしかない。リスクをとる生き方
 を懸命に避けてきても、その付けはいつかは回ってくるということになるだろう。
・企業を志す人の資質とは、
 ・第一は、やむにやまれぬ自立の意志。これがない人は、たぶん起業家に向かない。
 ・第二は、革新への挑戦心だ
・金儲けのためだけの起業家に、私は会わなかった。起業家たちは、サラリーマンのとき
 に学んだものを、起業の基盤にしていた。サラリーマンとして知識を得、体験を積み、
 問題意識を育んで、そして企業したのだ。会社は、いまや終身雇用を保証するものでは
 なくなった。しかし、意欲のある人にとっては、孵卵器の役割を果たす時代になったの
 である。
・人は、どこに仕事場を得て仕事をしようと、自分を100パーセント活かせるところも
 なければ、まったく活かせないところもない。すっかり安心なところもなければ、その
 逆もない。だからトライ&エラーを何度か繰り返した後、ここが自分に向いていそうだ、
 と思うところにしっかり陣取って、納得のくように思い切り闘い、その結果を「これで
 よかったんだ」と自分にいい聞かせるしかない。  
・トライ&エラーなどやってみなくても、いまの会社勤めに納得できる人は、ずいぶんと
 幸せである。もちろんそんな人は会社を辞めることはない。しかしいまの会社勤めに全
 然納得できていない人は、ここにいなければ生活していけないと思うことはない。サラ
 リーマンの多くはそう思って会社を辞めずに耐えているように見えるが、一回限りの人
 生、それではもったいない。