ほんとうの宗教とは何か :ひろさちや

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私はいままでに宗教に関する本を何冊か読んではみたが、「宗教とはなにか」という基本
的なことが、よくわかっていなかった。この本を読んで、宗教とはそういうことなんだと、
すっきり腑に落ちた感じがした。
この本は、「ほんとうの宗教」とは、どういうものなのかを、非常に解りやすく解説して
いて納得感が多かった。これほどわかりやすく宗教の本質を説明している本は、他にはな
いのではなかろうかと私には思えた。


はじめに
・日本人は宗教、あるいは宗教的なものが大好きですが、ただ宗教音痴なもので、うまく
 宗教と付き合えない、あるいは宗教をうまくコントロールすることができないのです。
・動物には宗教は必要ではなく、人間だけが宗教を必要としています。
・宗教は恐ろしいものです。下手をすると、宗教の故に戦争になったり、人が迫害され、
 殺される目にあいます。
・オウム真理教事件のときに、日本人は宗教のこわさを知ったはずです。いや、じつはそ
 れ以前に、天皇を現人神とする国家神道のこわさを日本人は知っているべきだったのに、
 宗教音痴の日本人はほんとうの宗教は何かを知らなかったためにインチキ宗教の国家神
 道に騙されて、何百万人という日本人が無謀な戦争の犠牲になって死んでしまったので
 す。

宗教とは何だろう?
・わたしが考える宗教の定義は何か。それは「わたしたち人間の生き方を教えるもの」で
 す。あるいは「人間らしく生きるにはどうしたらよいかを教えるもの」です。
・わたしなりに宗教を定義し分類すると、次の五つに分類することができます。
 @ホンモノ宗教
 Aニセモノ宗教
 Bインチキ宗教
 Cオドカシ宗教
 Dインポテ宗教
・ホンモノ宗教というのは、わたしたちに人間としての生き方を教えてくれる宗教のこと
 です。本物の仏教、本物の神道、本物のキリスト教などは、ホンモノ宗教の典型です。
・ニセモノ宗教とは、典型的な例は国家神道です。国家神道とは、天皇をトップにいただ
 いた臣民が守るべき道で、明治政府によって「大教」の名前で全国民に強制されました。
 明治政府が国民を国家の都合に合わせて操るためにつくった道、それが国家神道です。 
・インチキ宗教は、別名を「御利益信仰」と言います。「この宗教を信じると、病気が治
 りますよ」「わが教団に寄付すると、幸せになりますよ」というふうに、御利益をエサ
 に信者を獲得するような宗教のことです。
・オドカシ宗教は、人々の恐怖心を利用した宗教のことです。たとえば、俗に言う葬式仏
 教
。親の葬式をちゃんとやってあげないと、死んだ親は浮かばれない、祟られる、とい
 った迷信的な恐怖心に便乗して、お坊さんはお金を儲けています。
 ただし、じつのところ、葬式は仏教とは関係ありません。葬式は習俗、あるいは行事で
 あって、宗教とは関係がないのです。
 葬式仏教はオドカシ宗教と同時にニセモノ宗教といえます。
・インポテ宗教は、宗教的な救済力を失った宗教、あるいは、もっと単純に、パワーを失
 った宗教のことを指します。本来の仏教はホンモノ宗教ですが、今の日本の仏教はイン
 ポテ宗教に、私には思えます。
・人間とは何か。わたしの考える人間、それは「宗教を持っている存在」です。宗教を持
 つゆえ、人間は人間たりうる。わたしはそう思います。
・動物+宗教=人間
・人間−宗教=動物 
・戦後の日本、とりわけ池田勇人が首相になった1960年以降の日本は、エコノミック・
 アニマルの道をひた走ります。所得倍増計画とそれに続く高度経済成長、さらにバブル
 経済と、日本人はひたすら金を追い求める動物になってしまいました。何はともあれお
 金のことが問題になり、給料がいいとか悪いとか、株価が上がるとか下がるとか、経済
 が成長できるかどうかとか、そんなことばかりが世間の話題に上ります。まさにエコノ
 ミック・アニマルの世の中です。
・宗教は人間を「不完全なものである」「弱いものである」「愚かなものである」ととら
 えています。
・明治時代から昭和の戦前まで、日本では、天皇を現人神にした。生ける神。人の姿を備
 えた神。この世に人間の姿で現われた神。それが現人神です。
・でも、天皇が神であるはずがありません。のちに天皇自身、「人間宣言」をして、自分
 は神ではなく人間であることを宣言していることからも、それは明らかです。
・じつは大日本帝国憲法でも信教の自由はありました。となると、現人神を頂とする国家
 神道を強制できなくなってしまう。そこで、明治政府は国家神道は「大教」で、それは
 宗教ではなく「臣民の道」であるとして、国民に押しつけたのです。宗教としてはニセ
 モノです。
・どこでどのように宗教を学べばよいでしょうか。小学校や中学校で宗教教育をするなど、
 極めて危なっかしい。よいことはひとつもありません。
・そもそも義務教育は、戦争の技術を国民に教え込むためにつくられたものなのです。義
 務教育の原点は兵士教育、軍人教育であることをまず知ってください。
・それは昔の話じゃないか。時代が違う。今の学校なら宗教教育もできるのではないか。
 そのように考える人もいるかもしれませんが、内実は今も大して変わっていません。兵
 士教育、軍人教育をするかわりに、今は産業兵士を育成する手伝いをしています。経済
 の成長、発展の”戦力”になる人間を養成しようとしています。そんなところで宗教を
 教えることができますか。無理です。
・国民に義務を課しているのは国家です。その国家というものは、わたしたち国民から
 「何かしらを奪うもの」と、わたしは認識しています。納税の義務はわたしたちから財
 産を奪う。兵役の義務はわたしたちから命を奪う。そして義務教育はわたしたちから魂
 を奪う。それが国家の本質のひとつです。
・学校では道徳は教えるでしょう。でも、宗教は教えないし、教えられません。わたした
 ちから魂を奪うことをしている学校で宗教を教えられるはずはないのです。
・宗教はどこで学ぶものなのか。それは家庭です。宗教は家庭にしかない。
・そもそも家族とはなんでしょうか。パキスタンなどでは一族郎党のことを家族というの
 です。パキスタンの隣の国、インド北部なども同様に一族郎党を家族ととらえます。ヨ
 ーロッパでもわりにそうです。
・ところが、日本人は同居人だけを家族と考えている。日本人では今や、家族が崩壊して
 しまったのです。これでは「人間らしい生き方」に触れる機会を持つことはできません。
・学校では画一的な生き方を押しつけられ、学力の競争を強いられ、成績がよい子供が褒
 められる。会社員になっても、同僚や他社の社員との競争を強いられ、会社にどれだけ
 貢献したかを問われ、評価され続ける。利益を求め、お金を求め、その会社の発展や成
 長を担うことを期待される。そして政府は、国家の発展と成長ばかりを求める。そこに
 は宗教心のカケラもありません。暗澹たる気持ちになります。
・じつは現代において宗教戦争はありません。宗教が戦争をしているということはひとつ
 もないのです。日本人が宗教戦争だと思っている戦争のほとんどは政治絡みの戦争です。
 宗教は関係ないか、利用されているだけなのです。
・歴史をさかのぼれば宗教戦争は確かにありました。中世の十字軍とイスラム教諸国との
 戦争は宗教戦争といえます。十字軍がイスラム教徒に対して、いかに虐殺の限りを尽く
 し、いかに人倫にもとることをしたかイスラム教徒は今でもよく覚えています。イスラ
 ム教徒から見ると、十字軍はまさに「悪魔の軍団」にほかなりません。
・宗教というと結婚式や葬式、クリスマス、あるいは坐禅などを思い浮かべる人もいるか
 もしれません。しかし、結論からいうと、これらは宗教とは関係がありません。結婚式、
 葬式、クリスマスは習俗、あるいは行事、坐禅は文化現象ともいうべきものです。
・日本における結婚式は古来、習俗です。神道とも仏教ともキリスト教とも関係がありま
 せん。教会や神社、結婚式場が宗教を利用しているだけです。
・葬式も、やはり習俗です。 
・坐禅はまさに禅宗の本質じゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。で
 も、坐禅も、本質的には禅宗とは関係ありません。あれは坊主のジェスチャーと言って
 もいい。世間へのポーズですね。
・日本人はどうも宗教と習俗を混同しているように感じます。 
・宗教は、一面では怖いものですし、害毒を社会に流しています。しかし、日本人は宗教
 の怖さや害を認識できていません。 
・仏教は「小欲知足」を教えます。欲望を少なくし、足るを知ることで幸福は得られると
 説きます。
・しかし、世間一般ではこうは考えません。欲はさらなる欲を生み、際限がありません。
 この欲を満たすためにがんばることを、世間では「向上心がある」などと評したりしま
 す。 
・資本主義社会という世間も、これと同じような考え方をするし、同じように回っていき
 ます。資本主義の世の中では経済的な?栄は”正しい”のです。
・個人も社会全体も、とても小欲知足ではありません。ということは、仏教の小欲知足の
 教えは、今の日本社会にあっては「害」です。欲を少なくしましょう、なんて言ってい
 たら経済は発展しませんから。
・経済優先の社会をつくっている限り、生きとし生けるものすべて幸せは訪れないでしょ
 う。経済が成長したり、国や企業が発展したりするには、自然が破壊されたり動植物が
 殺されたりすることを避けられないからです。
・となると、経済優先社会、あるいは資本主義社会において、仏教はやはり害の部分があ
 ると言わざるをえません。世間の価値観を基準にすると害になってしまうのです。
 
宗教の根本を考えてみよう
・「わたしは神様を信じています」という人がいますね。「わたしは仏教を信じています」
 という人もいます。でもこれ、じつは不遜なことなのです。おこがましい、と言っても
 よいでしょう
・もし人間が神や仏を「信じる」のなら、神や仏はその人の家来のような存在になりませ
 んか。 
・宗教の基本は「信じる」ことではなく「信じさせてもらう」ことです。神であれ、仏で
 あれ、絶対者が私を信じさせてくれる。それが宗教です。信じるのではなく、信じさせ
 ていただく。それが宗教の本質です。
・キリスト教の「信じよ、さらば救われん」とは、どういう意味なのか。それは「救われ
 る者は必ず神を信じられるようにつくられている」ということです。
・明治時代から昭和の戦前まで、日本人の命は天皇のものでした。国家神道はわたしたち
 国民を臣民として、天皇の従属物にしたのです。こんなバカな話はありません。これは
 明らかにおかしなことですが、子供に対して所有権を主張するのも、やはりおかしなこ
 とだとわたしは思います。
・わからないことは考えるな。仏教、とくに禅ではそのように教えます。
・妄想とは、人間がいくら考えてもわからない問題を考えることです。あるいは考える必
 要のないことを考えることです。
・キリスト教でも同じように教えます。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日、
 自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」
・未来は神が決める、人間はその日を生きろ、とキリスト教は説いているのです。
・仏教も同様です。「過去を追うな、未来を願うな」。
・未来はどうなるかわからない。わからないことは考えても仕方がない。未来は神や仏の
 領域。神や仏が考えておられることを人間が考える必要はないし、考えてはいけない。
・そもそも宗教における原理主義とは何かと言えば、神や仏の超越者によって示された絶
 対的な原理に忠実に生きようとする考えであり、姿勢です。宗教は本来、原理主義だし、
 原理を外してしまったら、それはもはや宗教ではないといえます。
・原理主義のもっとも適切な反対語は「ご都合主義」です。世の中の都合に合わせて適当
 に、あるいはうまくやっていこうとする。それがご都合主義で、原理主義とはまるで反
 対です。
・現代社会は、だいたいにおいてご都合主義で動いています。典型例は「政治」です。た
 とえば、日本国憲法の解釈。第九条などは解釈をそのときどきでずいぶん変えてきまし
 た。日本の政治家は状況に応じて「解釈改憲」をやっているのです。まさに自分たちの
 都合によって。
 
宗教は「人生の問題」に関わる
・「人間の生き方を教えるもの」、あるいは「人間らしく生きるにはどうしたらよいかを
 教えるもの」、それが宗教であるとすると、宗教は生活の問題には関わりません。宗教
 は人生の問題に向きあっているのです。
・迷いの本質は「どっちでもいい」「何だっていい」です。だから、迷うのです。
・では、迷った場合、どうしたらよいか。それは、デタラメに決めてみることです。「デ
 タラメ」というのは、サイコロを振って、その出た目のとおりに従うことです。
・宗教が向きあっている「人生の問題」とは、どんなものでしょうか。仏教では、世間か
 ら抜け出したところにある普遍的な問題「四苦八苦」を人生の問題ととらえていると考
 えてよいでしょう。四苦八苦は仏教の根本苦を表しています。
・四苦とは「生老病死」のことです。「生まれる苦しみ」「老いる苦しみ」「病む苦しみ」
 「死ぬ苦しみ」。これが四苦です。
・あとの「四苦」は「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」のこと。
・愛別離苦は「愛するものと別れる苦しみ」
・怨憎会苦は「怨み憎んでいる者に会わなければならない苦しみ」
・求不得苦は「求めるものが得られない苦しみ」
・五蘊盛苦は「肉体や精神に生じるあらゆる苦しみ」
・四苦八苦に直面して問われるのは「どう生きるか」「何のために生きているのか」とい
 うことです。
・人生の問題は「生き方の問題」でもあります。どう生きるか、その生き方が問われます。
・また「人生の問題」には正解がないと考えてください。「生活の問題」なら、何かしら
 の正解があるかもしれないけれど、人生の問題にはない。どう生きるのか、それには正
 解はないということです。逆に言えば、人生の問題はすべての道が正解である、と言っ
 てもよいでしょう。
・問題を解決するには知恵が求められます。その知恵には「人間の知恵」と「宗教の知恵」
 に二種類があるとわたしは考えています。
・人間の知恵は生活の問題を解決する知恵と思ってください。その意味では、人間の知恵
 は「生活の知恵」、あるいは「世間の知恵」と言ってもいいでしょう。
・デタラメに決めるということは仏様に決めていただくことです。仏様にお任せすること
 です。 
・アドバイスなんかしなくていいのです。話を聞いて、一緒に困って、悩んで、苦しむ。
 それが大事なことなのです。
・自殺の問題、不登校の問題、貧困の問題・・・世の中には、いろいろな問題があります。
 そうした問題の中には人生の問題も少なくありません。そうした問題を世間の知恵や生
 活の知恵で解決しようとしないほうがいい。世間の知恵や生活の知恵を発揮しないほう
 がいいとも言えます。人生の問題は、人間の知恵ではなかなか解決できないのです。
・「人はそのままがいちばんいい」これは仏教の真髄です。 
・自分が今ある、そのままでいい。それを信じることです。
・人間にとって大事なことはジタバタしないことです。思うようにしようとしないことで
 す。 
・相談を受けた人は、親身になって聞いて、親身になって言葉をかけてあげることです。
 それが宗教の教えていることです。
 
宗教と道徳はどう違うの?
道徳の特徴のひとつは「強い人が弱い人を縛ったり、痛めつけたりする」ことです。
・「ウソをついてはいけない」。この教えも道徳ですね。しかし、政治家はしょっちゅう
 ウソをついています。公約違反などは茶飯事です。その政治家が「道徳教育を強化すべ
 きだ」と言ったりします。あげくに「道徳を教科に格上げしよう」などと言い出します。
・「道徳は時代や場所によって違うし、変わりうる」という特徴もあります。
・「脚下照顧」という禅の言葉があります。これは「自分の足元を見なさい」「自分の存
 在基盤をしっかり考えなさい」ということです。道徳に振り回されることなく、主体的
 に生きているか、足元がふらついていないかを問うているのです。
・般若心経には「すべては空である」と書かれています。空とは「こだわるな」というこ
 とです。「あるがままに受け止めよ」「価値づけするな」「意味づけするな」というこ
 とです。それが仏教の教えです。
・今のままがすばらしい。今を生き現状を見つめ、そこから始めるのがよいのだ、という
 のが仏教の教えなのです。
・道徳は表面や結果を重視しますが、宗教は内面、心の内を重視する。これも両者の大き
 な違いです。 
・道徳は強い者の味方で、時間や空間に制約されています。道徳なんてクソ食らえ、とわ
 たしは思うし、庶民であればそう思うべきものです。ひと言で言えば、道徳はじつにい
 かがわしいのです。
・国家権力は道徳を常に必要としています。強者が弱者をしばりつけておくには便利な道
 具だから当然です。道徳を教科に格上げしようという動きがありますが、これも当然の
 ことです。国家権力としては国民を都合よく操りやすくなるからです。
・「これは国民としての義務である」「このように生きるのが日本人としての正しい道で
 ある」「日本人であるなら、これこれのことを果たすべきである」・・・そんなことを
 学校で教えたがっているのです。じつにいかがわしいですね。
・道徳教育はクソ食らえ、です。庶民はそう思ったほうがよいのです。
・道徳よりもっと理性的で、人々に共通性 を持った指針になるものはないかと考えて、
 構築された思想が倫理であり、それが倫理学という学問になりました。
・人類が求めている普遍的な真理が倫理で、地球的規模での時間と空間は超えていると言
 えます。そう考えると倫理は地球的規模の思想です。
・日本人は法律というものを過大評価しているように思えます。法律は絶対的な存在では
 ありませんよ。人間が考え、つくった便宜的な規範です。当然、万能ではありません。
 
宗教心を失った日本人
・一神教(すなわちユダヤ教、キリスト教、イスラム教)では、「神と私」という縦の関
 係が強くあります。他人はどうであれ、神と自分との契約によって行動します。
・「ほかの人はどう考えるだろうか、周りの人はどんな行動を取るだろうか」。そんなこ
 とを考えがちな日本人とは大きく違う行動原理です。
・バブル経済が崩壊して以降の日本は、経済状況がかなり厳しくなりました。そうした中
 では、職種によっては二人の人に仕事がひとつしかない、という状況も起きています。
 この場合、二人とも働いて、それぞれ労働時間を半分にして、給料も半分にするのは
 「パンを半分に分ける」ことと同じです。しかし、現実の日本では、一人をリストラし
 て、残った一人に仕事を与えています。どうしてこういうことが起こるのか。それは
 「今の日本人に宗教心がないから」、もっと言えば「今の日本に宗教がないから」にほ
 かなりません。
・「衣食足りて礼節を知る」という諺がありますね。しかし、どうもこの諺は間違いのよ
 うです。正しくは「衣食足りて心すさぶ」とか「衣食足りて人を蹴落とす」などといっ
 たところでしょう。「知る」という言葉を生かすなら「衣食足りて競争心を知る」でし
 ょうか。残念な国になってしまいました。

宗教心のある暮らしへ
・何かを食べるとき、おいしいものを食べるより、もっとずっと大事なことがあるとわた
 しは思っています。それは「おいしく食べる」ことです。
・豊かになって、食べ物も飲み物も有り余るようになった。その結果、食べられない分量
 まで注文して残してしまう。あげく言い争って、気まずくなる。これも「衣食足りて心
 すさぶ」の一例です。
・宗教をいくら学んでも、宗教心をどんなに持っても、おいしいものを食べることはでき
 ません。ただし、食べ物をおいしくいただくことはできるようになります。宗教を学ぶ
 ことで、おいしくいただけるようになるのです。
・わたしたちに人間の生き方を教えるもの、人間らしく生きるにはどうしたらよいかを教
 えるもの、それが宗教であると、わたしは考えています。人間らしい生き方とは、利益
 をむさぼる人生、どうやったら儲けられるかを考える人生、得することを考える生き方
 ではありません。効率を追求する生き方でもありません。
・あなたができる範囲で構わないから損をしなさい、と宗教は教えています。
・ところが今は、こう思える人がずいぶん少なくなりました。すぐに文句を言ったり、契
 約を取りやめたり、場合によっては、損害賠償を請求したりする人が増えました。でも
 「ちょっとくらい損をしてもいい」と思うだけで、生きやすくなることはずいぶんある
 ものです。