「ほどほど」の効用 :曽野綾子

「ほどほど」の効用 安心録 (祥伝社黄金文庫) [ 曽野綾子 ]
価格:616円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

アラブの格言 (新潮新書) [ 曽野綾子 ]
価格:734円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

流される美学 [ 曽野綾子 ]
価格:972円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人間になるための時間 (小学館新書) [ 曽野綾子 ]
価格:777円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

生身の人間 [ 曽野綾子 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人間の愚かさについて (新潮新書) [ 曽野綾子 ]
価格:777円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

老いを生きる覚悟 [ 曽野綾子 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

靖国で会う、ということ [ 曾野 綾子 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

身辺整理、わたしのやり方 [ 曽野 綾子 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人生の収穫 [ 曽野綾子 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

不運を幸運に変える力 [ 曾野 綾子 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

私を変えた聖書の言葉愛蔵版 [ 曽野綾子 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

納得して死ぬという人間の務めについて [ 曽野 綾子 ]
価格:1000円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

夫の後始末 [ 曽野 綾子 ]
価格:1000円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人間にとって成熟とは何か (幻冬舎新書) [ 曽野綾子 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

誰のために愛するか (祥伝社黄金文庫) [ 曽野綾子 ]
価格:680円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

曽野綾子の本音で語る人生相談 (だいわ文庫) [ 曽野綾子 ]
価格:734円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人生の醍醐味 [ 曽野 綾子 ]
価格:928円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

老年を面白く生きる [ 曽野 綾子 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

老いの僥倖 (幻冬舎新書) [ 曽野綾子 ]
価格:885円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人間にとって病いとは何か (幻冬舎新書) [ 曽野綾子 ]
価格:842円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

愛と死を見つめる対話 旅立ちの朝に [ 曽野綾子 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人間の分際 (幻冬舎新書) [ 曽野綾子 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

60歳からの新・幸福論 [ 曽野綾子 ]
価格:1490円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

思い通りにいかないから人生は面白い [ 曽野綾子 ]
価格:1028円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

引退しない人生 (PHP文庫) [ 曽野綾子 ]
価格:648円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

完本戒老録 自らの救いのために (祥伝社文庫) [ 曽野綾子 ]
価格:648円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

人生の原則 [ 曽野綾子 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

夫婦、この不思議な関係 (Wac bunko) [ 曽野綾子 ]
価格:1007円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

(154)人生の値打ち (ポプラ新書 154) [ 曽野 綾子 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

心に迫るパウロの言葉 (新潮文庫) [ 曽野綾子 ]
価格:594円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

死ねば宇宙の塵芥 (宝島社新書) [ 曽野綾子 ]
価格:756円(税込、送料無料) (2019/9/9時点)

「大きな夢を持って」とか「高い目標を掲げて」それに向かって全力で努力する。確かに
素晴らしいことだ。しかし、その夢や目標が大きすぎたり高すぎたりすると、そこから不
幸が始まるような気がする。夢や目標は、努力すれば必ず叶えられるというものではない。
むしろ叶えられない場合が圧倒的に多いのではないだろうか。叶えられないとき、清々し
く諦められるといいが、現実はそう簡単ではない。それがトラウマになって以後ずっと苦
しむことが多い。それを考えると、何ごとも「ほどほど」がいいように思える。
生きていると、いろいろなことがある。心が折れそうになる時もある。そんな時、この本
を読むと、少し心が癒されるような気がする。

まえがき
・嘘はその瞬間の厳しさを逃れるためだし、さぼるのは何とか息切れせずに生涯を終える
 ためである。そお卑怯さを自分にも他人にも許さないと、最終的に生きていけない。
・「ほどほど」とは、それがかなりうまく行った場合の、むしろ褒め言葉だと思う。卑怯
 さも、バランス感覚も、諦めも、思い上がりも、謙虚さも、すべて中庸を得ていない、
 と、「ほどほど」にはならない。
・「ほどほど」は凡庸さの結果ではあるが、実が意外にも、凡庸ほどむずかしいことはな
 い。

誰もが「自分」の主人公になれる
・気楽に人の下に立てる人は、むしろ静かな自信を持つ人である。古い言葉で言えば、
 「一芸に秀でた人」であり、当世風に言うと「自分の世界を持っている人」だ。
・別にアカデミックではなくても生きていかれるのだ。さらに正直に言うと、アカデミズ
 ムを振り回す割には、実はそれほどの才能も知識もなさそうに見え、退屈で権力志向の
 強い人にもたくさん会った。だから大学が無条件でいいところだなどとは思えないので
 ある。
・今までの私の観察では、自分が勲章がほしくて仕方がない人ほど、勲章制度に反対を唱
 える。権力主義者の一つの裏返しの表現のように思える。
・私は、人間は容易に悪くも狡くもなれるのであり、それは「一国の支配者から庶民まで
 例外ではない、と思っている。
・人は皆、自分の持ち場と特技で働くことだ。自分の働きだけが本物で、他人の仕事はた
 いしたことはない、と思うことほど嫌らしいものはない。
・地位にある人に対する恭しさは、その人がそのポストに留まる限りのことである。部下
 がお辞儀をするのは、上役のその人の人格に対してではなく、自分の月給を払ってくれ
 る会社の機構に対してなのである。

「ほどほど」に生きる知恵
・やはり年をとって体の衰えを感じる頃から、勤勉とか、向上心とかに対する一種の「お
 かしさ」も「おろかさ」もわかって来るのである。しかしこうした複雑な心理を理解す
 るのは、人間の限度を見極められるようになる中年以後に、挫折と死に向かう自分の姿
 を知った時からなのである。それよりも前の人間は、どこか若さを頼んで思い上がって
 いるから、長い視点も持ち得ないし、自分のいる位置もわからない。人間の心の重層性
 もとうてい読めないし、心の揺れ動く陰影も見つけられない。
・社会というものは、基本的に人のことは正当に評価しないものなのだ。だから努力した
 ってそれをわかってくれる人は少ないし、怠っていたって、その人の力量に大体近いく
 らいには評価してくれるものなのである。
・怠け者は、実際と評判の落差を気にしない。というより大体同じくらいだと認めている
 から、いつも心理的に余裕がある。しかし努力家は、絶えず人の目を意識している。つ
 まり見栄っ張りの傾向に傾く。しかし世間の評判は多分常に彼の期待以下にしか見えな
 いから、彼はいつも不幸で、その結果、彼の性格まで幼稚に見えて損をする。
・世間が自分をどう評価するか、ということが気になってならない人というのは、やはり
 本質的に自信がないのだ。
・今の私は自然体で生きているような気がする。失敗したときは首をすくめて、人間だか
 らこういうこともあるさと自分に言い聞かせる。怒られたらゴメンナサイと本気で謝り、
 それでも相手に与えた心の傷は癒えるのに時間がかかるだろうから、ひたすら時が過ぎ
 るのを待つ。しかし心の底には、いやいや、そのうちに相手も私も死んじゃうんだから
 必ず解決する、という思いもないわけではない。態度は悪いが、こうなれば、うつ病に
 も不眠症にもならない。つまり私は世の中と自分の不備を、受け入れたのである。
・最近恐ろしいのは、理想が実現できない世の中は間違っている、という思想である。理
 想は基盤なく先行するものではなく、現実の足がかりの中にあって見るものだろう。そ
 こで初めて、足元がしっかりした理想は、部分的にせよ現実のものとなり得るのである。
・日本経済が当分大丈夫だ、っていう新聞の論調が出たら、これはもしかするとすぐコケ
 ルんじゃないかと思って財布の紐を引き締め、間違いなく今年は大地震がある、という
 占師の予測があったら、今年は大丈夫だな、って思えばいいんだ。
・何もかも律儀にやっていると、人の流れに呑まれてひどい目に遭うそうです。万事、い
 い加減に受け止めてれば、そんな深刻なことにはならない。
・暑さ寒さに強くなること。清潔でも不潔でもいられること。何でも食べられること。大
 地に寝るのを嫌がらないこと。最低限の語学力を身につけて一人で旅ができること。人
 を見たら泥棒と思えること。自分をあまり厳密な道徳性で縛らないこと、などが私を今
 まで小さな危機から救ってくれた。
・人生は決して完全な形で生きているのではない。常に「ベターな形と思われるもの」で
 生きるほかないのだと思うと、私は自分に甘くなった。そして自分にいい加減になると、
 やっと私は他人のことも厳しく見なくなるような気がした。
・人は過労では死なないような気がする。過労が苦労になるとき、人は死ぬのだ。だから
 いい加減に生きるべきなのだろう。「いい加減」という言葉は、「ちょうどよい加減」
 ということだから、本来はすばらしい言葉なのである。
・人間は皆いい加減に生きていくのである。それが人生のおもしろさなのだ。子供を厳し
 い規則で育てようと思う教師ほど、子供の才能や才覚を伸ばさない。 
・社会主義が、その支持者が期待するほど伸びなかったのは、徹底した管理体制の中で、
 産業が自由競争を体験せず、結果的に体力をつけられなかったからである。それと同じ
 で、管理教育は結局子供の体質を強くしない。あらゆる産業も、そして才能も芸術も、
 あらゆるものが保護主義・管理主義の下では決して自主的に強くなれないであろう。
・それにしても人生は皮肉なものだ。豊かになればなるほどいい、というものではない。
 人間の体は一定の量しか、食べ物を必要としない。しかも年を取るほど、量は要らなく
 なる。人間は長寿になればなるほど、理性的に食糧を適切に減らしていくことを覚えな
 ければならないのである。 
・もし地球上の人たちが、適切に食べ、適切な衣服を用い、適切な面積の住居に住もうと
 いう自制の精神を持ち合わせてれば、地球上の飢餓、エネルギーの配分などの問題は、
 かなり解決されるだろう。そして二十一世紀を幸福に生き抜くかどうかの知恵は、この
 自制が可能かどうかにかかっているような気さえする。
・人間は多かれ少なかれヒビの入った茶碗に似ている、とそういう人々は考える。無理を
 すると割れてしまう。だから穏やかにやれることだけをやり続けても救済に道には向か
 っているのだ。優柔不断は私の好みでもあった。私は何でも、潔いことより、生温いこ
 とに人間的なものを感じる。
・私は努力をしないのではないが、運命に強硬に逆らうことをどうしても美しいとは思え
 ないたちだった。むしろ諦めることにうまくなり、限定して与えられたものの中に楽し
 さや静かさやおもしろさを見出して行くほうが好みにあっていた。これは善悪の問題で
 はない。生き方の趣味の問題であった。人間は基本的に運命に流されながら、ほんの少
 し逆らう、というくらいの姿勢が、私は好きなのであった。
・完全を、最高を求めてはいけない。だいたいの希望に沿っているという所なら満足しな
 ければならない。またそのくらいのほうが長持ちして無難であろう。

「逃げたい」と思ったときにできること
・人間は誰でも、いつでも間違える。しかし、今は正しいと思うのだからしかたがない。
 過半数の人から、受け入れられなくてもいい。それが間違いだとはっきりわかる日まで、
 顔を上げ、胸を張り、自分の署名のもとに、その考えをさらすべきである。その程度の
 勇気もなしに、一体何ができるというのだろう。勇気などという言葉も今では時代遅れ
 だ。潔いなどという言葉も今ではめったに聞かれなくなっている。しかし人間の生活に
 この二つがないと、香りがなくなる。
・恐らく真の勇気というものは、ものごとを理想主義ではなく、冷静な現実の姿という形
 で見極め、その後に、その現実のデータをもとに理想を描くものなのである。つまり私
 たちはまず第一に、あやふやで、中途半端な現実に直面し、「よくも悪くもなくてよく
 も悪くもある」私たちをとりまくこの現世を認識しなければならない、という勇気であ
 る。
・この世で誰一人として、完全に幸福だ、などといえる生活をしている人はいない。いま
 の日本人も、健全な感覚を持った人なら誰でも、自分の生活に悲しみと不安を持ちなが
 ら、同時に、抱き合わせのように与えられているささやかな安らぎや小さな幸福に満足
 しなければならないのかな、と考える。
・アフリカは脱落者の慰めの土地であった。ヨーロッパで、あるいはアメリカで、あるい
 は日本で、人生に失敗した者は、アフリカへ来れば心が休まる。ここは悪意のある俗物
 からは遠い遠い土地なのだ。すべての意図的な声は大自然が吸い取ってしまうから届か
 ない。一切の矛盾も、まやかしも、自己弁護も、超越している。ここには小刻みな時は
 ない。一生は永遠にぶら下がっているだけである。
・私には死と共に持っていこうと思う友人の秘密が幾つもある。私はその人と親しいと言
 わず、その人のことを語らないから、友情が続いてきたという実感がある。
・自分の子供がかわいくてたまらない話など投書するな。グルフの話なら誰でも興味を持
 つと思うな。下手な歌をカラオケで聴かせることは罪悪に等しいと思え。自分史をやた
 らに人に配るな。自分がひまだからといって気楽に他人に手紙を書くな。アンケートに
 は必ず返事が来るものと思うな。信仰の話など気楽に人にするな。自分のかわいがって
 いる犬や猫なら客もかわいいと思ってくれるだろうと思うな。自分の苦労話を他人が感
 動すると思うな。こういう教育が現代ではあまりにも欠けているのである。
・最悪の人間関係は、お互いに人の苦しみには関心がなくて、自分の関心にだけ人は注目
 すべきだと感じることである。反対に、最高の人間関係は、自分の苦しみや悲しみは、
 できるだけ静かに自分で耐え、何も言わない人の悲しみと苦労を無言のうちに深く察す
 ることができる人同士が付き合うことである。
・人間は決して平和だけを希求する動物ではない。人間はあらゆることで、人を殺す。興
 味ででも、恐怖ででも、報復のためでも、人間の本性の中には、生み育てる本能と、殺
 す本能とがどちらも組み込まれているという実感を持つ。その現実を、貧しさや異文化
 の中に実際に見たことのない人だけが、平和は語り伝えられるし、それで解決が可能だ
 と思う。
・私たちは人並な運命や物質が与えられないからと言って、決して文句を言ってはならな
 いのである。要は、あるもの、与えられたものを、どう使うかだ。

余力を「残す」生き方のすすめ
・何かを捨てなければ、何かを得られない。失礼をしなければ、自分の時間がない。年を
 取るということは、切り捨てる技術を学ぶことでもあろう。そしてそのことを深く悲し
 み、辛く思うことであろう。ただ切り捨てることの辛さを学ぶと、切り捨てられても怒
 らなくなる。
・自分がつぶれるほどの仕事を抱え込むのは、決して利口とはいえない、と思う。誰でも
 病気になれば、傍が迷惑する。しかし自分を守れば、どこかで失礼、つまり何かを切り
 捨てていることになる。
・諦めることなのだ。できることとできないこととがある。体力、気力の限度がある。諦
 めて詫びる他はない。それだけに、一瞬でも、人や家族に尽くせる瞬間があったら、そ
 れを喜んで大切にしなければならない。人間は必ず、どこかで義理を欠いて公海と共に
 生きる。 
・貧しさに脅えれば、死にたいという欲求が減じるというからくりが、わりと早くからわ
 かったのである。誰かを当てにするのではなく、自分一人しか自分を生かす者はない、
 という状況に自分を追い込むことしか、このどん底の気分を奮い立たせる方法はなかっ
 た。心の病気の治療代と思えば収入が減ることも仕方がないのではないか、と思う。人
 間はただで、病気を治すことなどめったにできはしないのだ。
・人生では余力を残すということが必要である。とにかく強い外部の力に耐える能力を残
 しておく、という思想は大切だが、その配慮は一般に放置されている。もちろん単価を
 安くするためと、軽量化のためにはそうするほかはないだろうが、埃もない、平坦な、
 自然の影響を受けないところでしか耐えられない人も物も、実にうすっぺらで魅力がな
 いのである。
・最善の結果などというものは、そうそう世間で得られるものではない。だから私たちは、
 次善を選ぶ。次善を許さない発想の社会というものは、私にはかえって恐ろしいのであ
 る。 
・人は不得手な部署にも移らねばならない。そうしないと、組織が硬直する。そして人は
 不得手だと思う場所で、意外な才能を発揮することもあるのである。   
 
人生は計算通りにいかないから面白い
・すべての人々は、その受けた教育も、社会的立場も、貧富の差もなく、誰でもがいとも
 たやすく殺す側にまわり、そのような結果について、必ず素早く、弁解の言葉を用意す
 ることができるということだ。
・自分が死んでも、他人を救うことができる人など数少ない。
・革新派、社会主義政党も、政権を取ったら保守政権が見せるのと同じ堕落の道を辿った、
 という例はいくらでもあげられる。だから人間は誰でも五十歩百歩なのだし、肉体的に
 痛めつけられたら、信仰を棄てるくらう朝飯前なのである。    
・辛い目に会いそうになったら、まず嵐を避ける。縮こまり、逃げまどい、顔を伏せ、聞
 こえないふりや眠ったふりをし、言葉を濁す。このような卑怯ににげまくる姿勢と、正
 面切って問題にぶつかる勇気と、両方がないと人生は自然に生きられない、と私は思う
 ようになったのである。   
・逃げることを知らない人は、勇敢でいいようだが、どこか人間的でない。うちひしがれ
 ることを自分に許せない人は、外からみてもこちこちな感じがして近寄りにくい。同様
 にいつまでも逃げている人は、決してことを根本から解決することもできない。   
・幸福に関しても不幸に関しても、人生はおよそ期待するとおり、あるいは想像するとお
 りにはならない。常に現実は予想を裏切り、人間の期待をあざ笑う。
・未来に対する自分の予測など、当たったためしがない、と思うとき、私はたぶん、少し
 は思い上がらずにいられるからである。それはどんなに社会の構造が変化しても変わら
 ない人間性の限界を示すものとして、未来永劫なくならない運命なのだろう。
・つまり地球は、自分の小賢しい知恵では処理できないほど大きな存在だった、と思える
 ようになる。そう思えれば、まずくいっても自殺するほどに自分を追いつめることもな
 いだろう。反対にうまくいってもたぶん、自分の功績ではなくて運がよかったからだ、
 と気楽に考えられるのである。 
・ほんとうは人間は誰もが程度の差こそあれ、例外なくどちらかに偏っていて、誰からみ
 ても、礼儀正しく中庸で賢く、始末のいい生き方をしている人などごく少数しかいない
 のだが、人間は、自分だけはまともで、正しくて、穏当で、目があって、ぼけていない、
 と感じている。柔らかく受け入れて、自分は変わらない、ということは実は至難の技で
 あるらしい。
・人は大体誰もが平凡で、「ろくでなし」で「能なし」である。今までうまくやってきた
 とすれば、運がよかったか、他人が図らずも庇ってくれたからに過ぎない。そう思える
 と、心は実に自由に解き放たれる。視野が広くなり、すねてのことが笑いで受け止めら
 れる。その方が得だと思うのだが。
・人は自分お人生こそ、唯一無二の貴重なものだと考えたがる。だから、そのような人生
 を、自分は語るべきだし、語る価値はあるのだし、人はそれを聞くべきだ、というふう
 に考えたり、行動に移したりする。しかしそれは、甘い考えだ。もちろん人は、どんな
 人でもろくでもないことをする。だから、私もまた、背カンにあるすべての愚行をする
 だろう。しかし得々として自分を語ること。自分の体験なら、すべての人にとって意味
 がある、というように思うことだけは避けたくて、私は今まで自分の心の遍歴をまとめ
 て書いたことはなかった。  

自由な人生、不自由な人生とは
・私はとにかく人と同じことをしないほうが楽だ、と実感していた。流行の考え方、流行
 の生き方は、見ていても辛いのである。群れを外れれば、歩くのは楽なものだ。
・悪い状態、ひどい評判から出発することは幸運だとさえ言える。それより落ちることが
 ないからだ。しかし人はなぜしきりに、評判のいい地点に行きたがる。有名大学に入り、
 いい会社の勤め、名家の息子と結婚したがる。いずれも絶頂というのは落ちるだけの運
 命にある。 
・権威主義はなにより自由を妨げる。相手の気を損ねると怖い、という間は、魂の自由も
 得られそうにない。 
・自由も水も空気も、ただではない。悪評、孤立無援の思い、危険、誤解を受ける恐れ、
 を覚悟しなければならない時もある。それを払って自由を手に入れるか、あくまで人の
 評判を気にして自由を諦めるかの選択は、まったく個人の自由に任されている。 
・お金は自分が稼いで、自分が使う。それが原則である。親からもらったものでも、人か
 らもらったものは不自由なものだ。 
・仕事は辛いもので、労働やいわば生活のためにやむなくするものであり、それゆえに、
 労働時間はできるだけ短くし、時間あたりの労賃も可能な限り高く引き上げて、僅かな
 労働で生活を成り立たせ、後はできるだけ働かないでいたい、という考え方は、その労
 働が未熟であることを示し、同じ労働者でも、その人はアマでしかないことを示してい
 る。 
・旅は本来、不便で、思いどおりいかず、何ほどかの危険や損失を受けることを含み、く
 だびれるものなのである。それを承知して、それでも新しい体験を取るか、それとも、
 そんなにお金がかかってしかもくたびれることはせず、ずっと家にいるか、それはその
 人の選択なのである。 
・生の充実感というものは、人にとって実に大切なものなのだ。それがないと、人間は生
 きていてもどこかに不満を残しているし、死んでも死にくれないような気分になる。
・安全がいいことはわかっているが、安全だけがいいのでもない。昔はこうした、もだし
 難い思いというものをわかってやる親も人も世間もあった。何よりも当人がそうした冒
 険を自分の中に認めていた。しかし今はそうではない。怖いこと、危険なことは一切し
 ない小心なおりこうさんばかりになった。その時、人間性の一部も失われたのだ。
・今世間は、やりたいことをやるのが生き甲斐だ、というようなことばかり言っているけ
 ど、それは多分ほんとうじゃないんだ。だから不満な人ばかりいることになる。したい
 ことじゃなくて、するべきことをした時、人間は満ち足りるんだ。
・不幸を決して社会のせいにしてはいけない、と私は想い続けてきた。不幸はれっきとし
 た私有財産であった。だからそれをしっかりしまいこんでおくと、いつかそれが思わぬ
 力を発揮することがある。しかし社会が悪いからこうなった、という形で不幸の原因を
 社会に還元すると、それは全く個人の力を発揮しないのである。
・神なしで生きられるなら、それでいいのである。しかしそれならその信念を押し通すだ
 けの信念を持ってほしいのです。自分や、自分の家族などが、病気にかかったり、遭難
 して命が危ぶまれたりする時でも、決して否定した神などの祈らない、という決意をす
 べきである。そういう時にもしかして祈りたくなるようだったら、神はいない、など大
 見得を切るものではない。苦しい時に神頼みをする可能性が少しでもあるなら、普段か
 ら神に義理立てておくべきだろう。それが律儀な人間のすることだろう。
・正当防衛でも過失でもなくて、人を殺す時には、人間は一生をそれで終えて当然だ。改
 悛の機会はそれでも充分与えられている。相手の命を絶っておいて、梱した相手が得ら
 れなかったような人生を自分は得ようと願うこと自体、おかしな計算である。

「最悪」とのつきあいかた
・人間もまた集団で自衛しないと個人の安全や生命さえ全うできない。つまり個人の権利
 をいささか犠牲にしてでも集団の権利を考えなければ、生命の安全はもちろん、日常生
 活の便利さえも確保できないことが多い、ということを認識したほうがいいのである。
・道徳的判断をする前に、まず現実を見ることだ。そしてしなやかな心で、既成概念を絶
 えず塗り替えることだ。それこそがほんとうの勇気だろうと思う。
・私たちは自分の生命を守るために、基本的な技術を自ら訓練しなければならない。長距
 離を歩けること、走れること、泳げること、ぶら下がれること、穴を掘れること、火を
 おこせること、綱が結べること、気に登れること、重いものを持てること、船を漕げる
 こと、自転車に乗れること、その他もう少し年齢が加われば、簡単な電気製品の使い方
 の基本知識、自動車を運転できること、などが入る。これらは、どんなことに巡りあっ
 ても、自分の命を保ち、仕事が円滑に行くために必要なものである。
・あらゆる危険を予知できる能力こそ、生きるために基本である。しかし、現代の人たち
 は災害や異常事態の発生を全く信じていないところがある。
・本当の貧しさというものを知らない日本人は、いつまでも、成熟した、母性的、あるい
 は父性的心情に到達しない。よく日本人は、世界的経済大国であると言いながら、豊か
 さを感じられないのはなぜだろう、と言う。その答えは簡単だ。貧しさがないから、豊
 かさがわからないのだ。失業も老境も病気もどこかで保障されているから、それらで苦
 しんでいる人を救う気持ちにもならないし、救われる喜びも知らなくなったのである。
 貧困は悪いものだ。しかし決して悪いだけのものではない。それは人間の原点として輝
 いている。その出発点を知らない我々は、永遠に浮浪する浮かばれない魂にしかなり得
 ないのである。
・私たちはいつも現在の生活をかりそめのことと思って暮らしていなければならない。私
 たちは計画を立て、好みを自覚して、日々を楽しく暮らせばいいのだけれど、そのよう
 な生活が経済的にも社会的にも健康的にも、明日もまた続くという保証はないのである。

潔く生きるということ
・人間がいつまでも生き続けるように見える世界を対象にしていると、私たちは判断をあ
 やまり、大して重要でないものにがんじがらめになる。しかし死の観念と共に生きてい
 ると、多少とも選択を誤らなくて済む。自分のとってほんとうに要るものだけを選ぶよ
 うになる。
・死を前にした人はもはや死以外に怖いものがない。他人の誤解とか、出世とか、勲章と
 か、余分の金とかは、もはやお笑い種であろう。代わりに必要なのは、愛であり、優し
 さであり、許しであり、生きてきたという手応えであり、神との対話である。   
・年をとって醜いと思うのは、自己過信型になるか、自己過保護型になるか、どちらかに
 傾きがちになることである。別の言い方をすると、自分はまだやれる、と思いすぎるか、
 自分は労わってもらって当然、と思うか、どちらかに偏ることである。これは、二つと
 も同じ神経の構造によるのではないか、と思う。 
・老齢になったら、自然に身を引かなければならない。それとなく、皆さまのお目に触れ
 る機会をすくなくしていくのが、死の準備として必要と思う。それは若い人をできるだ
 け立てる、という基本精神とも通じる。それは決して自分の好きなことを全く断ったり、
 不当な遠慮をしたりすることではない。旅行でも、花つくりでも、囲碁・将棋でも、で
 きる範囲の個人の資力・体力でやれることは、なんら差し障りはないのである。しかし
 いつ倒れるかわからない恐れのある年齢に、選挙に立つなどということは、仮に任期い
 っぱい元気でいられたとしても、醜悪なことだ。 
・人間の心の中には、いつも私怨がある。私怨という形で残った強力な記憶と情熱こそ、
 その人だけが生涯使える、唯一無二の私有財産というもので、税務署も取り立て不能の
 隠し財産である。むしろ私怨のない恵まれ過ぎた人生など、薄っぺらで力がなく、不安
 で貧困なものだ。
・幸福でない人だけが希望を持てる。幸福になってしまった人は、それをなくすることだ
 けを恐れるようになる。
・老年は、孤独と対峙しないといけない。孤独を見つめるということが最大の事業です。
 それをやらないと、多分人生が完了しない。つらいことですけど、そうだとうと思いま
 す。だから、孤独が来たとき、何でもないことではないけれども、これはいわば、予定
 された、コンピューターに組み込まれていたことだと思おうとしています。 

ほんとうの愛が現れるとき
・苦しみは願わくもないものに決まっていますが、苦しみを知った時、人は初めて人間に
 なるからです。その意味で苦悩は最大の贈り物だと思う他はありません。

どうすれば自分の「生」に自信が持てるのか
・人間には余裕というものがほしい。上等な話ばかり聴きたがるのは、幼稚な優等生で、
 秀才ほど誰の話でも聴くもんです。
・どんなに心根のよい人でも、病気になる。実はその時が人間の真剣勝負なのである。病
 気をただの災害と考えるか、その中から学ぶ機会とするかは、その人の気力次第である。
・実は、逆境は、反面教師以上のすばらしいものである。しかし逆境を作為的に作るわけ
 にはいかない。だから多少の不便や不遇が自然に発生した時に、私たちはそれを好機と
 思い、運命が与えてくらた贈り物と感謝し、むしろ最大限に利用しることを考えるべき
 なのである。 
・日本人にノイローゼが多いのは、普通の動物が味わうべき生存の危機に出会うことがめ
 ったにないからである。災害でなくても、貧困さえも人間をノイローゼから救う面があ
 る。もちろん心は別の歪み方をするだろうが、今日食べるパンや薯や米があるだけで、
 もう貧しい人たちは輝くような幸福の実感を手にできる。しかし日本人にとって、今日
 食べるものがある、などというのは「当然の権利」であって幸福でも何でもない。人間、
 どうなっても、同じ量の幸福と不幸がついて廻るのかな、と私は最近思いかけているの
 である。
・世間には確かに「いい時に病気になった」と思われる場合がある。その時、その人が病
 気にかからずやり続けたら、まもなく死んでいたかもしれないのだが、病気をきっかけ
 に食生活のでたらめや、勤務時間外にも無理して働いたことを思い出し、生活を改変す
 るのである。病気をしなければ、こういう人は決して生活を改めないのである。

美醜・年齢を越えて自分らしく生きるために
・幸福というのは、所詮、定形がないものなのだ。幸福は客観ではない。幸福は完全に密
 かな主観なのである。だから、人が幸福だと思うことなら、自分も完全に幸福だと思え
 る保証はどこにもないのである。
・その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世で「会ったか」に
 よって計られるように私は感じている。人間にだけでない。自然や、できごとや、或い
 はもっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと私は思うのである。 
・人間の極限の快楽は、「うちこむ」ことにある、と知るようになった。もっとはっきり
 言えば、人はそのことのために死んでもいいと思えるほどのものを持っている時だけ、
 幸福になっているようであった。 
・人は何歳になっても自分を鍛え続けて当然であろう。遊びもするが、辛いことも少しは
 忍び、遊びと働きのバランスをとった生活をする。老人になって引退した後は、遊びだ
 けになる、と考えることが間違った考え方だと私は思っている。 
・日本の老人は、年齢やその優秀な素質の割に自立できない人が多すぎるように思う。そ
 れは、かつての「家」を中心とした考え方のせいで、老後一人暮らしをすることなど計
 画の中になく、必ず長男夫婦と同居することしか計算になかったからだろう。
・健康でいる老人が、老後や遊んでいればいい、ということも、私には納得しがたい。老
 女は、働ける限りは家事をするが、老男は、女房が生きていれば、炬燵に座って何もし
 ない。健康な限り、働かないものは食べてはならない、という原則は人間すべてに適用
 される。その共通の原則を受け入れてこそ、私たちは老いぼれではなく、普通に人間と
 して社会に生きていることになる。  
・人が何と言おうが、それが悪であろうが膳であろうが、醜であろうが美であろうが、歴
 史の長い重い流れの中で、自分自身の人生を自分の好みと責任とにおいて設定し、それ
 を生き抜く。国家と社会と個人に、そのような土性っ骨がないと、日本人のような工業
 生産品様式のクローン人間ばかり増えているのである。 
・醜いこと、惨めなこと、にも手応えのある人生を見い出せるのが中年だ。女も男も、そ
 の人を評価するとすれば、外見ではなく、どこかで輝いている魂、あるいは存在感その
 ものだということを、無理なく認められるのが中年だ。魂というものは、例外を除いて、
 中年になって初めて成熟する面がある。
・人間は誰一人として理想を生きてはいない。理想は持ちながら、現実は妥協で生きてい
 る。我々の生きる現実、対面する真実は、理想にほど遠く、善悪の区別にも歯切れが悪
 く、どっちつかずである。しかしむしろその曖昧さと混沌に耐えることが、人間の誠実
 さと強さというものなのである。それに、あることの醜さを自覚している限り、人間は
 決して本質的には醜くならない。 
・彼女たちが年と共に、決して他人の生き方に引きずられず、それでいて相手の立場に対
 する思いやりを残し、人を裁かず、深い慈悲も悲しみも弱さも居直りもすべてをユーモ
 ラスに自覚した女になっているのを見たとき、私は敬意をこめて、ああ彼女たちはいい
 女になった!と思ったのである。 
・私の考える「成功した人生」は、次の二つのことによって可能である。ひとつは生きが
 いの発見であり、もう一つは自分以外の人間ではなかなか自分の代替えが利かない、と
 いう人生でのささやかな地点を見つけることである。