ひ弱な男とフワフワした女の国日本 :マークス寿子

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この本が書かれたのは、もう10年以上も前になるが、今読んでもまったく違和感がな
く読めてしまう。ということは、この長い年月を経ても日本社会の抱える問題はほとん
ど変わっていない。別な言い方をすれば、ほとんど改善されていないということになる。
この本でも書かれているように、日本社会がこれほどまでに腐敗してしまった大きな原
因は、日本社会における「お金第一主義」という価値観からきているのは確かなようで
ある。
価値観が多様であることが豊かさの根幹であるはずなのに、今の日本社会はすべてがお
金の価値基準だけで計られてしまう画一化された価値観のみとなってしまっている。こ
んな多様性のない画一化された価値基準しかない社会では、いろいろな歪みが生じたり、
ろいろな事件が起こるのも仕方がないのかもしれない。
昔の日本には、もっと多様化した価値基準があったように思われる。それがアメリカか
ら押し寄せた大量生産消費の文化によって、すべてが破壊されてしまった。それまで日
本が脈々と受け継いできた日本的生き方が、ことごとく破壊されてしまった。
アメリカ的文化を受け入れることによって、確かに日本社会は経済的には豊かにはなっ
た。しかし、精神的にはとても貧しい国になってしまった。
この本を読むとそのことがつくづく思い知らされ、残念でならない。

食いものにされた福祉
・福祉を食いものにすることが、これまで日本であまり目立たなかったひとつの理由は、
 日本では福祉が、よその国、たとえばイギリスなどと比べるとはるかに軽んじられて
 いたことにある。ところが、高齢化がすすみ、さらに日本も豊かになって福祉予算が
 ふやさて、しかも、ここのところつづいている不況によって、建設関係や金融関係の
 経営状態が悪くなってくると、うまい汁が吸えるのは福祉関係だということになって、
 汚職が福祉の領域に広がってきだのだろう。
・今後、日本が福祉に力を入れれば入れるほど、残念ながら福祉の分野での汚職は広が
 るものと思われる。そういう事態を防ぐためにも、今度の汚職を原点として受け止め
 ておくことが大切である。

汚職は犯罪でない?
・日本の女性が理想の相手として、「三高」の男を求めているというのは、広く知られ
 ていることだが、岡光元事務官は背が低いということを除けば、高学歴、そして厚生
 省からの相当の給料ということで、かなりいいほうに属する夫であったにちがいない。
 それなのに、早い出世と安定した収入だけでは満足せず、岡光夫人はそれ以上のもの、
 夫の力以上のものを求め、夫の尻を叩いたように見える。
・妻が自分の欲望を実現するために、夫の尻を叩き、夫も妻にいいところを見せようと
 したのであろうが、ここまで日本の女性の地位が高くなったというべきなのか、それ
 とも悪ずれしてきたというべきなのか。どちらにせよ、妻の夫に対する支配力がなん
 ともおどろきである。
・女性の地位が高くなるのはとてもけっこうなことだが、それを自分の能力や働きで示
 すのではなく、夫におねだりしたり、圧力をかけて自分の欲しいものを手に入れよう
 とするところに問題があるのだ。そして、夫のほうも得々とそれに応えるというとこ
 ろも、新しい現象ではないかと思う。
・飢えているわけでもなく、それどころか誰が見ても普通以上の生活をし、犯罪の必要
 など少しもないように見える人たち、しかも高い教育を受けた人たちが、自分の愚か
 な欲望のために収賄という犯罪に手を染める。そして、夫婦ともにそれを犯罪とは考
 えていない。私はそこに、この汚職事件の奇妙さ、不気味さを感じる。

腐敗に寛容−背後にあるお金第一主義
・日本の社会に存在する汚職の根は深く、絶えることなくつづいていて、いまさら目新
 しいものではないともいえる。
・最近の日本では、みんなが中流で、お金に不足して生活に困っている人は少ないのだ
 から、多額のお金をもらったりあげたりすることは、もうそろそろやめてもいいので
 はないか。そうしないと、せっかくの祝うべき結婚も、悲しむべき葬式も、すべてお
 金で勘定することになってしまう。その結果、いくらお金をくれたからこっちはいく
 ら返すというように、お金の勘定で人の心がはかられている気がしてならない。しか
 も、こうした風潮は、最近のお金第一主義の社会であって、ますますひどくなってい
 るような気がする。それが、汚職に寛容な風土を作り出しているのではないかと思う。
・腐敗はたんに役人や政治家だけの問題ではないのである。私たちが日常のつきあいの
 なかで、こうしたことをやめないかぎり、いくらでも腐敗は再生産されていくであろ
 う。
・友だちの結婚でも、あるいは家族の結婚でも、すべてにお金がからんでくるというの
 は、ちょっと他国では考えられないことなのだ。イギリスでももちろん、人々は結婚
 のお祝いや病気の見舞いをあげる。しかし、ものをあげるのが普通である。
・現在の日本では、お金という象徴的なものを使ってやりとりすることで、相手の地位
 を評価したり、ときには相手の心がけまで評価するのが一般的になってしまった。お
 金をたくさんくれた人は自分の結婚を祝ってくれたが、すこししかくれなかった人は
 あまり喜んでくれていないのではないかというような評価のしかたが、汚職を生み出
 す背景にありはしないだろうか。

ゆきすぎた交際制限−なぜ常識がはたらかないのか
・マニュアル人間ばかりがいる今日の日本で、コーヒー一杯でもいちいち上司に許可の
 ハンコをもらいに行くということになったら、日本のマニュアル人間化というのはも
 っとすさまじいことになって、自分でものを考えられない人ばかりを生み出すことに
 なる。
・何が汚職につながるのか、何が汚職を引き起こすのかを、自分で判断できないような
 人間を公務員にしてはならないのである。
・汚職問題について私がおどろくのは、これは、こうした槍玉にあがる人たちだけの問
 題ではなくて、社会全体のなかに、お金のやりとりや、ものの贈与にたいする抵抗感
 が何もないということが、じつは問題なのだと考える人が少ないことだ。
・さらに、日本の社会では、当然だれもがもっているべき常識というものが、どうも働
 いていないらしいことである。常識のある人がいなくなってしまったということなの
 かもしれないが、そのような常識を養う方向に社会がすすんでいないように見える。
 このことがじつはいちばん大きな問題なのである。

あくなきブランド信仰−大量消費のしかけ
・おねだりはともかく、きりなくものを欲しがるのは、最近の日本の女性の特徴で、止
 められないものらしい。その底にあるのは、中流意識だと思う。この中流意識は、バ
 ブル経済によってとくにかきたてられたものあるが、じつはそのずっと以前、つまり
 戦後の経済復興のなかで生まれてきたものである。
・中流というのは非常によいものだという感覚がいまの日本人のなかにある。これがみ
 んなを平均化したり平等化したりする、よいこととして理解されているわけだが、ほ
 んとうにそうだろうか。中流意識は多くの面で、ほんとうの豊かさや成熟とは逆には
 たらいているのではないか。
・ヨーロッパではふつう、シャネルの品を持つ人はお金持ちだけ、高価な毛皮を着るの
 はお金持ちだけ、と考えられている。ところが日本では、それは困る。それではよく
 ないと考えられているらしく、ごく一部の金持ちしか買えない品物を、中流でも手に
 入ることができるようにするのだ。つまり、昔だったら上流に人しか持てなかった
 ものを、みんなが持てるようにひきずりおろす。ほんとにいいものやほんとに高価な
 ものに対する「ひきずりおろし」という形で中流化がおこなわれているのではないか
 という感じがする。
・もともとブランド品というのは、ヨーロッパではクオリティの良さで買われているの
 に、日本人が飛びついたとたんに、どんなにいいブランド品でも安物と同じになって
 しまう。だれもが持ちたがるために、クオリティが失われてしまうのだ。
・日本で、たとえば東京あたりで、さもなければ、防寒のためでなく毛皮を着ている女
 性は、バーやクラブのような夜の仕事をしている人に多い。さもなければ、そういう
 高価な毛皮とまったく縁のなさそうな、あきらかに急にお金が入ってきたというよう
 な人たちが毛皮を着ていることが多いので、見るからに不釣り合いである。これもま
 た、毛皮のイメージを引き下ろしている。
・自分のライフスタイルに合おうと合うまいと、あるいはそれを使う機会があろうとな
 かろうと、まわりの人と調和しようとしまいと、自分にお金があるということを示す
 ためにだけ、毛皮やシャネルが身につけられてしまうのである。

ピー商品の横行−情報あって知恵なき中流化
・お金さえ払えば何をしてもいいというのではなくて、キャビアを食べる人、シャンペ
 ンを飲む人にはそれなりのライフスタイルがある。それを壊してはいけないというの
 ではないが、壊し方にもそれなりのやり方があると思う。たんにお金があるからとい
 って、何をやってもかまわないというと、そんなものではない。ものにはルールがあ
 ってはじめてそれを壊すことに意味があるのである。ルールを知っていて壊すおもし
 ろさは、また別のことである
・ニセモノやまがいものを持つぐらいなら、流行などに関係なく、本来の機能をきちん
 と備えているだけのシンプルなドレスなりバックを持てばいいと思うのだが、そうい
 うもの、基本的なものが、いまの日本にはないのである。着る機能からいっても不十
 分で、いい加減なコピー商品にすぎないような、中途半端で、結局は「安物買いの銭
 失い」になるようなものを買ったり使ったりするのが中流化だと思っている人がなん
 と多いことか。
・いってみれば、中流化というが、決して中流ではなく、みんな貧しくしてきたように
 思えてならない。お金は使っているかもしれないが、実際に買ったものはすべて良く
 もなく悪くもなく、中途半端でみすぼらしいものばかりになってしまった感じがする。
・流行させる側の意図は売れればいいのであるから、すぐ飽きがくる安物をたくさん買
 ってもらえば、高いものをひとつ売るよりも、儲けの効率としてはずっといいのかも
 しれない。しかし、それに引っかかってしまった消費者の側は哀れである。このよう
 なことになったのは、消費者の側のほんとうの意味での知恵のなさ、生活基盤のない
 ことこそが、中流化の大きな落とし穴なのである。
・自分の生活にいちばんふさわしいものを自分で見つける、あるいは使うという心構え
 よりも、みんなやっていることに従っていれば自分も中流なのだという、身のまわり
 の流れにフワフワと流されていく生き方、自分の生活は自分でつくるという原則のな
 い消費生活が、中流意識の底にあるのではないか。

レッテルの問題−中流化社会の落とし穴
・日本人のほとんどが中流だという意識は、結局みんなが同じという意識につながって
 きて、それは、「出る杭は打たれる」「何ごともほどほどに」という古くからの教訓
 と一致している。自信を持って貧しさを誇ってもいけないが、お金があって使えるか
 ら、芸術家のパトロンになろうとか、慈善活動をしようとか考えるのも、謙譲の美徳
 に反するからいけないというように、みんな枠からはみ出さないようにして仲良くや
 っていきましょうということになってしまう。
・だから、みんなで渡れば怖くない式に、みんながそろって何かをやるのはかまわない
 が、自分だけひとり抜きん出て、自分というものを指し示してはいけないと、自我を
 顕示しないで抑圧してしまうことになる。自分でやっていることを世間に誇示する、
 自分とはこういうものであって他の人とは違うんだと自分の独自性を示すことは、決
 していいことではないと考えられる。
・ほんとうに贅沢な食べ物、グルメ料理とは、限定された人にだけ供されるものである
 が、今の日本では、グルメを流行になっていて、だれでもどこに行っても、適当な値
 段で手に入るようなものが、グルメ食品として売られている。
・大量消費を目的とする品物のなかには、ほんとうの贅沢品はない。そういうものを手
 に入れるためには、べらぼうに高い値段を払わなければならないのだが、日本ではそ
 こまでお金を持っている人、あるいはお金を払いたいという人がいないために、質を
 適当に水増しして薄め、値段も下げて、中途半端なところでブランド品と称したり、
 グルメ食品と宣伝して、それにみんなが飛びついている。みずからを中流と信じる人
 たちは、それさえ手に入れれば安心だと考えているらしい。

伝統あっての流行−日本人に個性はあるのか
・衣服でも化粧品でも、大企業が、大量消費、大量購買をねらって、個性的という言葉
 を使っている。ここでは、個性的という言葉は、逆に非個性的を意味するといっても
 いい。
・日本ではほんの少しのちがい、ちがいともいえないほどのちがいや差をもって個性的
 というらしい。
・みんなが平等化し、同一化し、集団化している社会、みんなが同じことをやりたいと
 考えているなかの個性なのである。みんなが同じものを買って、同じような服を着て、
 同じような化粧をしながら、そのなかで個性うんぬんというわけだから、何かほんの
 少しのちがいをつけることが個性的ということになってしまう。ほんとうの個性でも
 なんでもないことを、個性的という言葉で形容しているにすぎない。ほんとうに個性
 的というのは、一見して他のものとちがいがわかるもので、それと同じものが二つ、
 三つ、それ以上存在したら、もはや個性的でもユニークでもないのである。
・日常、堅実な生活を送っているイギリス人は、多少のボーナスが入ったからといって、
 それで流行の衣服やアクセサリーを買うことはないといっていいだろう。ボーナスで
 家族旅行をしたり、新しい家具をかったりするにちがいない。自分の生活からかけ離
 れたものを買っても、自己満足意外に意味が無いし、自分の属する社会のなかで受け
 入れられないと知っているからである。社会のルールや伝統をよく心得たうえで、み
 ずからの衣食住をふくめた生活を設計していくから、そこからかけ離れた流行に飛び
 つくことは、めったにない。

ルール違反の個性の主張−無知ほど恐ろしいものはない
・流行で着るものというのは、たいていはそのシーズンしか着られないものである。お
 金があって、流行のものを着て、使い捨てにしてしまえるような人が着るなら問題は
 ないが、日本では、お金のない人に流行を売るように工夫する。そのために、材料も
 製造もできるだけ安く、手間を省いて大量生産する。その結果、安っぽくてチャチな
 流行ものが、やたら道を歩いているということになる。街はうす汚く、もの欲しそう
 になる。

厚化粧のロボット−没個性を生む自信のなさ
・日本の女性の厚化粧は、ここのところ毎年ひどくなってきている。日本国内にいて日
 本の女の人の顔だけを見ていると、あまり気がつかないかもしれないが、イギリスに
 行くと、イギリスの女性がいかに化粧をしていないかということにびっくりする。逆
 にイギリスに何年かいて、日本に帰ってくると、日本の女性がいかにていねいに化粧
 をしているのかにおどろく。

文化の屋台骨はしつけ文化の屋台骨はしつけ−まずは伝統を見直せ
・かつての日本の生活のなかに残っていた、さまざまなしつけ、たとえば、下駄や靴を
 きちっとそれえるとか、朝と晩の挨拶をするといった習慣が、日本人の生活のなかに
 折り目正しさや礼節や行儀のよさを生み出し、これが日本文化を支える大きな底力に
 なっていたと思う。
・ところが、こういうものを全部捨ててしまっておいて、やれ海外に行くから海外のマ
 ナーを習いたいとか、外国でディナーのときに何をどのように使うか、それだけを学
 びたいとかいうのは、じつに滑稽なことである。
・どこの社会においても、その国の礼儀、マナー、行動様式、規範、公衆道徳などは伝
 統として残っているのであって、海外から来る人がそれに従うのはとてもいいことだ
 が、かならずしもそれを知らないで従わなくても恥ではない。ところが、自分の国の、
 自分の社会のしつけや生活様式や公衆道徳やマナーを知らなかったら、それはたいへ
 ん恥ずかしいことである。
・イギリスの貴族−誇りを維持するのは容易ではない
・現在のイギリスにおいて、階級というのは、貧富の差とも権力ともほとんど関係がな
 い。かつて階級が文字どおり、上が下を支配する制度として機能していたのとは異な
 り、いまでは階級は政治経済的な支配関係とはかかわっていない。王制のあるいずれ
 の国においても、国王(女王)の役割が名目的になっていると同様に、制度として貴
 族制も名目的と考えてよい。

品数だけは豊富−味音痴を生む冷凍食品
・それにしても、日本の家庭料理は、いつから料理屋みたいに品数をそろえなければな
 らないということになってしまったのだろう。イギリスでは、お客さまを招いたとき
 でも、家庭料理を出すのがふつうである。テーブルクロスを掛けたり、お皿を変えた
 りして、すこしだけ気どって、その家の一番評判のいい料理を、奥さんが一生懸命作
 って出す。
 ところが日本では、デパートで加工品を買ったり、冷凍食品を活用して、できるだけ
 たくさんのお皿を並べましょうというのが、お客さまの歓迎の方法らしい。
・日本の主婦が買う冷凍食品の八割が味つけまでされた完全な加工品である。なんとも
 恐ろしい話ではないか。自分の家族の食べる物くらい、自分で味つけで、自分の好み
 の形や色あいで用意したいではないか。メーカーの手で何もかも、何万人、何十万人
 という人を対象に「一般向け」に味つけされた、よくも悪くもない無難なものを、み
 んな同じ皿で、同じテレビを見ながら毎日食べていたら、日本国民はそれこそ、みん
 な同じ思考方法をもち、同じ行動をするロボットになってしまうであろう。
・三度の食事というのは、たんにお腹を満たし、栄養をとるためだけのものではない。
 そこには、つくる楽しみ、つくる人に感謝の気持ち、味わってもらうことに対する喜
 びの気持ちがあって、それが親と子のつながり、家族のきずなになり、たとえ一人暮
 らしをすることになっても、生きていく張り合いになる。それを知らない、乾いた砂
 粒のようにバラバラの人間関係を生み出すとしたら、冷凍食品の害は大きいといわな
 ければならない。

人生にリプレイはない−日本の若者のゆくえ
・最近では、座ってテレビで見れば、それだけで自分はものがわかったのだと思ってい
 る人が、とても多いような気がする。テレビやビデオやコンピュータは、たしかに老
 人にとってはいい面もある。老人は体力も、瞬時に判断する能力も衰えているので、
 自分で体験することができる範囲は限られてくるから、映像を見て、新しい知識を得
 たり、刺激を受けるのはいいことだと弁護することはできなくないが、若い人の場合
 には、そうはいえない。
・現代という時代は、現実とのかかわりを持つのはつらいし、面倒くさいから嫌だと思
 えば、それなりに生きていける時代である。現実とのかかわりがもたらす痛みを感じ
 ることは避けたいが、映像のなかで見るぶんにはさしつかえないという人は増えてい
 る。自分が起こした犯罪をビデオに撮って、それを楽しむというような人が出現して
 いることも、もっと深刻に考えていいのではないか。
・現実と虚構のちがいをもっとはっきりつかんで、ビデオやテレビを楽しむことを、あ
 くまで一時の息抜きにしないと、現実と虚構がますます接近してしまって、虚構の中
 に生きていることを、いっそう現実と思うようになってしまうのではないか。このよ
 うな混乱におちいる若者が増えているのが心配である。

タダほど高いものはない−イギリス人は警戒する
・イギリス人が日本人と付き合うときに困るのは、日本人の友だちや、あるいは友だち
 ほどではなくても知り合いが、日本から訪ねてきてやたらものをくれることである。
 そのものが、ほんとにこちらが必要とするものだったらまだしも、実際にはそうでな
 い場合が多い。

タダのものだらけの日本−失われた潔癖さ
・イギリス人が結婚式に行くのは、友だちや家族や知人の結婚をほんとうに祝うためで
 ある。だから、結婚式にお金を持っていくということはない。それなら、結婚式のお
 祝いはどうするかといえば、その新夫婦が欲しいもののリストをつくって、それをお
 祝いをしてくれる友だちにまわす。その中から、自分の予算にあったもののところに
 印をつける。そして、それを買って結婚式の前に新夫婦のところに届けるのである。

公共施設の充実−イギリスでは無料があたりまえ
・イギリス人にしてみれば、高速道路や美術館が無料だというのは当然のことであり、
 みんなの利益になるものは、そのために税金が高くなってもしかたがないと考える。
 みんなが広く利用する公のものは、できるだけ無料であるべきである。しかし、個人
 の利用する特殊なもの、おいしいものを食べるとか、特別な洋服を買うことに関して
 は、お金のある人は自分で払えばいいし、ない人は買わなければいい。イギリスでは、
 多くの人がこういう考えに徹しているような感じがする。
・日本で消費税を3パーセントにするか5パーセントにするかで、あれだけの議論が起
 こるとしたら、消費税をすべて一律にかけるのではなくて、基本的にはかけないとい
 う方法をもっと議論すべきではなかったか。それが考えられなかったというのは、ま
 だまだ税率が低かったからかもしれない。
・日本では、税金を安くして、公に利用するものを有料にし、そのぶん一人ひとりが、
 なんとかしてタダのものを手に入れたいと考えているのではないかと邪推したくなる。
・タダでもらえるものならなんでももらって、そのためにかえって荷物が増えてしまっ
 たり、子供の悪い見本になったりするのはもうやめにして、必要なものを必要なだけ
 買って、そのぶんきちんとお金を払うという習慣を身に付ける必要があると思う。

コマーシャル化する人生の節目−このごろの冠婚葬祭
・結婚式とは、本来、家族や友だちや、あるいは何人かの自分の勤め先の人たちをよん
 で、自分たちはこうして結婚しました、今後もよろしくといい、一方、出席する人た
 ちは、これから一生懸命やってください、むずかしい人生だけれども、いつまでもお
 幸せに、とお祝いの心をあらわすためにするものであろう。
・ところが、最近の結婚式では家族や友だちは隅に追いやられえしまって、自分の勤め
 ている会社の取引先の人のような、それこそ親も家族も見たことも聞いたこともない
 ような無関係の人たちがやってきて、長々とつまらないスピーチをする。そういう人
 たちは、それを宣伝のいい機会だと考えて、自分の会社の宣伝ばかりをする。
・そういう人たちが中心になると、結婚式の祝辞も、イベントがらみ、パフォーマンス
 がらみになり、ほんとうのお祝いの気持ちや、お祝いの機会はどこかへ押しやられ、
 自己宣伝の場と化してしまうのである。

外出好き−イベント化した休日
・正月はもちろんのこと、日曜日でも祝日でも、日本人はなぜ休日を家で楽しむことが
 できなくなってしまっただろう。近所を散歩したり、本を読んだり、友だちと会った
 りして時を過ごせなくなってしまったのはなぜだろう。
・毎日の生活が、イベントとかパフォーマンスといった、お金がからんだものに乱され
 てしまい、自分の食事を、自分で考え、必要なだけつくって、必要なだけ食べるとい
 う習慣が希薄になってしまったのではないか。
・もちろん、何があったほうが、何もない人生よりもよっぽどおもしろい。しかし、何
 かあるということは、イベントを意味しない。何もない人生はない。たとえば、毎日
 毎日の生活の中で、散歩をするのも、本を読むのも、新聞を読むのも、話し合いをす
 るのも、そのやり方によってはとても楽しい生活になるのだが、いまの日本人はそう
 いうことを忘れてしまっているのではないか。
・このままいったら、子供たちは、テレビであれ、盛り場であれ、何か騒がしくやって
 いなければ気がすまないような、そんな落ち着きのない、まじめにものを考えられな
 いような人間に成長していくのではないか。

食べ物が人生最大の関心ごと−ニセ科学が長寿を保証?
・日本のテレビや雑誌には、食べ物や料理をあつかった番組や記事が多いのにおどろく。
 この世に食べ物以外関心ごとがないのかと思われるほど、飽きずにグルメ番組や食べ
 物の特集をやっている。
・最近の日本では、すぐに食べ物のことを話題にして、食べ物がまずいとかおいしいと
 かということが、あたかも人生のいちばん大きな問題であるかのようにいうのである。
・外から見ると、日本人は飢えているのではないかと思うほど、食べ物食べ物といい、
 実際に食べ物を口に運んでいる。
・日本では、子ども若者も老人も、自動販売機や売店がどこにでもあるせいか、あるい
 は列車の車内販売が頻繁にあるためか、何かというと、飲んだり食べたりしている。
 それは個人が豊かな証拠かもしれないが、しかし、心理的に見れば、貧しい証拠のよ
 うにも思われる。
・食べ物は、まったくパーソナルなものである。だから、食べ物をやたら公開してどう
 のこうのというのは、自分のさまざまな秘め事をみんなに見せるような感じで、やは
 り私には納得できない。イギリス人だったら、栄養学者に塩分を盗ったら長生きでき
 ませんといわれても、私はどうしても卵に塩をかけて食べるのが好きなんです、寿命
 が短くなってもいいから塩をかけておいしく食べたいというだろうと思いし、私自身
 もそう思う。

料理もパフォーマンス−自分の舌が信じられないのか
・最近では、友だちが来ても、友だちの家に招かれても、料理が出ると、まずみんなが
 評論家にでもなったように、うーんとうなって、うん、いいねとか、おいしいとかい
 い、さらに、これはちょっと塩がきき過ぎているなどという。このソースのベースは
 なんですかと訊くと、作ったほうもまた、いや、これはこうこうで、と先生ふうに解
 説をする。
・食べ物を素直に楽しむのではなく、みんなが評論家になったように解説してみたり、
 これは酢と砂糖の混ざり具合がちょうどいいなどという。そんな解説がなぜ必要なの
 かさっぱりわからないのだが、食べ物に対する素直な喜びをそこなうものである。し
 かし、お起きの人はそのようには考えらしく、招かれたら出されたものをいちいち解
 説して、なぜおいしいと感じるのかを説明しなければならないと考えているようだ。
・おいしいものを素直に喜び、皿をカラにし、満腹を楽しむだけでは十分でないとは、
 なんともわずらわしいことであろう。
・長寿の食べ物をはじめとして、食べることがこのように演技化されたり、見世物化さ
 れたりすることは、日本の生活ではかつてなかったことであろう。人間の舌や自然の
 食欲を信じられなくなっているようで、悲しいことである。

ボランタリー活動−生きがいにはうってつけ?
・子育てをおえてから、あとの30年、40年、何を生きがいにするか悩む主婦や、定
 年退職してからの20年をどうやって時間を費やすか真剣に考える男たち、いや、そ
 れだけでない、大学入学を目的に、18歳まで必死に受験勉強をつづけてきて、大学
 に入学したとたんに生きる目的を失ってしまう若い人、これら大勢の人が「日本的」
 としかいいようのない、しかし、それなりに深刻な悩みを抱いている。そういう悩み
 をもつ人びとが、人は何のために生きるか、という古くからの問題を、哲学的なもの
 としてではなく、毎日の生活のなかで、具体的にどうしたらいいか悩み、答えを求め
 ている。

ボランティアのあり方−阪神大震災の教訓
・忘れてならないのは、ボランティアはあくまでもボランティアであって、主体となっ
 てはいけないということである。自分たちが主になってやるのではなくて、ボランテ
 ィアだからこそできることをやるのである。
・ボランタリー活動というのは、各人の生活の中で余っている時間を使ってやるという
 のが本来のかたちであるから、それ以上のことは、他の専門家にまかせなければいけ
 ない。この場合、専門家は、政治家であったり役人であったりするわけだが、もし仮
 に、政治家や役人がその義務を果たしていなければ、そういう人たちに、これとこれ
 をしなければいけませんよといって圧力をかけたり、あるいは提案をすることもボラ
 ンタリー活動のひとつなのである。
・ふだんから助け合いの態勢をとって、自分ができることを人のためにやっているから
 こそ、大災害のときにやるべきことがわかるのである。だが、普段はなにもしたくな
 い、助け合いなんかなるべく避けたいが、大災害のときだけ駆けつけたいというので
 あれば、この人たちは、ボランタリー活動をイベントや行事のように考えているので
 はないだろうか。残念ながら、そういうかたちのボランタリー活動は、マイナスにな
 ることもあるのではないかと私は思う。

親の無責任−援助交際やいじめを招く
・イギリスでは13歳まで子どもを、子どもだけで家の中に残しておくと犯罪扱いにさ
 れる。原則として親でなくても、緊急処置のとれる16歳以上の大人が一緒について
 いなければいけないという法律があり、子どもだけで長時間いてはいけないとはっき
 り決められている。
・イギリスでは、子どもを残して何時間も親がいなくなってしまうと、かならず近所の
 人が様子を見に行ったり、一晩中親が帰ってこないような場合には、すぐに警察に連
 絡して保護してもらう。
・親たちは、子どもの寂しさやみじめさをお金で償おうとする。パートで稼いだお金で
 子どもにゲームや自転車を買ってやり、それが豊かな生活だと考えたのである。

真剣さに欠ける親や先生−まず生き方を教えよ
・援助交際という名の女子中高生の売春が問題になっているが、親が注意すると、子ど
 もは自分が好きなように自分の体を売って何が悪いんだと答えるという。そのような
 子どもの言い分けに対して、親は返事ができないのだろう。自分の好きなことをや
 って、だれに迷惑をかけるわけでもないのだからいいではないかといわれると、親は
 それに反論できなくて黙ってしまうらしい。
・自分勝手なことをやって、それでだれにも迷惑をかけるわけじゃないからいいじゃな
 いかというのは、30歳以上の人がいうことでる。自分で好きなことをやって、その
 結果として、自分のマイナスになることについてもプラスになることについても、自
 分で責任をとるというなら、それはそれでいい。
・エイズにかかったり、麻薬問題にかかわったりしなくても、子ども時代に「お金を欲
 しければ体を売ればいい」テレクラをすればお金も得られ、男にチヤホヤされて嬉し
 い」というような安易な考え方を身につけてしまうこと自体が問題ではないだろうか。
 「だれにも迷惑をかけない」どころか、知らず知らずに本人が精神的にゆがんで、卑
 屈な生き方をするようになるのではないか。
・ブランド品を買うためにお金が欲しい子どもたちは、親にお金をねだるのは心配をか
 けることになるからしたくない、だから援助交際でお金を手に入れるといい、親は、
 子どものすることは子どもの自由だ、子どもを束縛したくない、といい顔をする。双
 方ともに、その場しのぎのごまかしで、無責任である。

見せかけの前向き−忘れてはいけない過去
・過去のいろいろな場面でやられてきたように、何かの理由でよその国から責められた
 り求められたりした場合、日本はお金だけ払ってすませようとする。お金を払うのだ
 から、日本人は過去のことをほんとうに悪かったと思っているだろうと、よその国の
 人は思うだろう。一方、日本の側では、お金があるから払うことは払うが、納得しな
 いまま払ったり償ったりすれば、今度は日本人の胸の中に、あのときになぜお金を払
 わされたんだ、なぜお金を出してしまったんだという後悔がずっと残るだろう。
・お金でやさしさを買うとか、お金さえ払えばみんなが受け入れてくれるという考え方
 は、もうやめるべきだ。お金でごまかしてはいけない。言葉じりだけで謝ってはいけ
 ない。もし謝るなら、ほんとうに自分が悪いということを自分のなかで確認して、こ
 れだけ悪かったのだから、こういう償いをしようという覚悟をもって謝るものでなけ
 ればいけない。そうでないなら、自分は悪くなかったという、信念をもって謝らない
 ほうが、ずっと国際的にも受け入れられるし、理解されるだろう。

人まかせの子どもの食生活−母親は何をしているのか
・自動販売機で売られている清涼飲料水のような飲みものは、砂糖や人工甘味料の入っ
 ているものが多い。イギリスの子どもたちは清涼飲料水が一般的に好きではない。そ
 れは、小さいときから、親がつくる紅茶を飲んでいるからである。親が子どもに紅茶
 を与えるとき、小さいうちは、ミルクと紅茶を半々くらいにし、砂糖を入れないで飲
 ませる。だから、子どもたちの舌はこれに慣れて、甘いものを拒否するのである。
・もちろん、イギリス人はケーキをよく食べるから、紅茶の中に砂糖を入れないという
 のは、理屈にかなっていることなのであるが、それにしても、子どもたちが甘い飲み
 物を嫌い、甘すぎるお菓子を避けるのは、親の育て方にあると思う。イギリスの母親
 は、ケーキも自分でつくることが多い。子どもたちがお金で買うものに、もっと母親
 が目を光らせて、どういうものは食べてもいい、どういうものは飲んではいけないと
 いうことを、はっきりさせなければならない。
・いまの日本では、ビスケットもアメもチョコレートもアイスクリームも、近所の店で
 買える。そして、それを買う程度のこづかいを子どもたちは持っている。そういう社
 会で子どもを育てる場合、以前よりもっと管理をきびしくやる必要があると思う。自
 分の欲望をコントロールできない小さな子どもたちが、欲望に負けて、いつでも飲ん
 だり食べたりしてはいけないということを、頭の中に叩き込む必要があるのではない
 か。
・このことは、たんに子どもを威圧的に抑えるということではない。人間も動物の本能
 を備えていて、欲望をなかなか抑えられないものだとしたら、小さいときから欲望を
 コントロールするような方法を、親が子どもに教え込む以外にない。そして、こうい
 うことが、生活の基盤をつくることなのではないか。

タバコの煙おかまいなし−飲む、打つ、買うは女の常識?
・日本のレストランなどで、ものを食べながら、人の迷惑を考えずにタバコを吸ってい
 る女性のほとんどが、お金もあるらしいし、高等教育もうけているらしいのに私はお
 どろく。無知や無教養なのではない。着ているドレスは流行のもので、髪型や化粧か
 らいっても、いい生活をしていると思われる。話している内容も、ビジネスや映画の
 話で、失業者でもホームレスでもないように見える。そういう人たちが、平気でタバ
 コの害をまき散らしている。
・ほんとうに、日本人はなぜこんなタバコを吸うのかと思う。それも、女性の多くは、
 ほんとうにタバコが好きで吸っているのではないように見える。タバコを吸っている
 ときよりも、手に持っているときのほうが多いからだ。だから、カッコいいと思って
 吸っているのではないかと思う。
・手に持って、タバコから煙をたちのばらせているのは、まわりの人たちにいちばん迷
 惑になる。タバコを吸うならまだしも、火を消さずに灰皿におきっぱなしにして平気
 な人が多いのも日本である。イギリスで食事に招かれたり、いいレストランで食事を
 するとき、食事のあいだにタバコを吸うという非常識な人はいない。これは、人のた
 めに吸わないというよりも、タバコを吸いながら食べたのでは、ものの味がわからな
 いからだ。
・日本の女性のタバコで最近目立つのは、歩きながら吸っている人がふえたことである。
 もちろん、男性もいるが、なぜこんなに女性が歩きながらタバコを吸っているのだろ
 う。
・男と同じようにタバコを吸うのが、女の権利を拡張することだと勘違いした場合も
 あるかもしれない。しかし、歩きながらタバコを吸うのは、よほどタバコに飢えてい
 るか、ニコチン中毒になっているにちがいないと思いたくなるほど、若い女の子が歩
 きながらタバコを吸っている。
・最近の日本の女性雑誌や、女性に人気のある小説、エッセイを読んでいると、女も男
 も同じように、「飲む、打つ、買う」という、三つのことができるようになったと
 いって喜んでいる文章が目についた。「飲む、打つ、買う」が男女同権のサインだな
 どと信じる女性がいるとはなんとも滑稽な話だが、ほんとうにそう信じている女性が
 多いようである。
・それらをすべて悪いとはいわないが、自分で自分の欲望をコントロールし、自分の生
 活様式をつくっていかなければ、かならず問題が生じるであろう。カード買いものを
 しまくり、借金がかさむとか、母親がパチンコにのめり込みすぎて、子どもを自動車
 の中におきっぱなしにするといったニュースがときどきあるが、最近の日本では、自
 分をコントロールできない人が増えているように思われる。消費の欲望だけが異様に
 育って、歯止めがきかなくなっているのである。

浮ついた生活−イギリスで暮らす日本人女性
・海外に来ている日本人の女性は、独身の人たちはもちろんのこと、家庭の主婦まで、
 イギリスで浮気をしたいという。ホンモノの恋をするのは、傷つくからいやだ、ホン
 モノの恋をした場合には、相手のいやなところもみなければならなし、受け入れなけ
 ればならない、そこまではやりたくないけれど、浮気ならしてみたい、日本人の夫は
 確保しておいて、イギリスの男性と浮気をしたいという。

若い人材が危うい−やさしいだけでは通用しない
・日本人の男性も女性も、みんなひじょうにやさしい人たちだということはよくわかる。
 人に反論しないように、議論しないように、あるいは怒らせないように気をつかって
 いるということもよくわかる。
・やさしいだけで生きていられるのは、日本人だけのことである。これからの若い人た
 ちは、日本国内だけに住んでいれば済むという状況ではなくなってきている。否も応
 もなしに世界の中で、ほかの人たちと一緒に活動しなければならない。そして、若い
 人たちのあいだにも、心の中では、外国へ出て仕事をしたいと思っている人たちがた
 くさんいるのではないか。そうだとすると、世界ではやさしさだけでは通用しない
 ということを、できるだけ早く勉強してもらわなければならない。
・海外旅行をして、買い物をしてくれるだけだったら、だれもいやなことはいわない。
 お金を落としてくれるのだから、みんないいことしかいわない。しかし、お金を抜き
 にして裸で付き合うとなると、いやなこともいわれるし、不当に侮辱されることもあ
 ろう。あるいは暴力をうけることもあるだろう。そのときに、自分で反論ができ、自
 分で自分の身が守れるようにならなければならない。人を頼りにするのではなくて、
 自分で自分を守ることを勉強しなければならい。

日本人はどう生きていく−21世紀に向けて
・日本の社会や若い人たちのなかで、理性の役割があまりにも軽視されてきたことに、
 その「ツケ」がいま、まわってきているような気がする。それと同時に、個人のモラ
 ルがあまりにも無視されてきたことも、いまの状況を生み出した大きな原因である。
・援助交際という言葉で語られている、中高生の売春が問題になっているが、そこで強
 く感じるのは、「売る」側も「買う」側も、恥というものを知らない人があまりにふ
 えてしまったことだ。お金をくれれば何をしてもいい、身体も売る。中高生からはじ
 まって官僚にいたるまで、お金をもらうためなら、自分の地位も悪用するし、流すべ
 きでない情報も流し、なんでもするように見える。
・ほんとうに日本は、あらゆるところで、お金だけが評価の基準になってしまった。お
 金のためだったら何をしてもいいという風潮が、社会のすみずみまでいきわたってし
 まったように思われる。
・お金はたしかに必要だし、残念ながら、生活のなかでお金が占めている部分はとても
 大きい。しかし、お金だけが世の中のすべてではない。人間の価値はお金とは違うと
 ころで評価されるのだ。お金はなくてもすばらしい人はたくさんいるし、お金を使う
 ことだけが人間の生活のすべてではないということを、子どもたちに教えていかなけ
 ればならない。
・恥をしらない人たち、お金のためならなんでもやる人たちが、マスメディアの表に出
 てきたり話題になったりするような社会で、まともなことをいうのは、何か気恥ずか
 しいという雰囲気さえある。だから、大人たちも、まともなことをいうと若い人の人
 気がなくなるから、まともなことをいわないでいようと思っているふしがある。そん
 ななかで、まともに生きる人は、明らかに少数派になっている。
・いまの社会風潮に逆らうのはとてもむずかしいことだが、愚直といわれても、まじめ
 すぎるといわれても、いまの社会風潮を変えていくことが必要なのだ。
・個人の主張は、18歳か20歳の大人になるまで、考え方の基本が教えらて、さらに
 自分で自分の生活を支える基盤ができている人が、はじめてできることなのである。
 10歳や12歳の子どもが、これはいや、あれはいやといったときに、親はそれを子
 どもの権利だといって全部受け入れのであろうか。もし真の個人主義を育てたと思う
 なら、大人になるまでのあいだに、是非の判断ができ、それを主張できるような教育
 をしておかねければならない。
・そこが、いま完全に間違っている。一人前の生活もできない。自分の生活の面倒も見
 られない、社会の一員として認められてもいない人たちに、個人の選択権などという
 理屈をつけて、勝手な主張をさせ、あれは個人の権利だなどといっている。
・個人を大切にするというのは、大人の、自分の足で立っている人が、自分の意見をは
 っきりいって、それをいい加減なところでは譲らないことだ。
・いまの日本人は集団主義という馴れ合いの社会のなかで、どちらに行ったらいいかわ
 からなくなっている。そんな中で将来を見るとしたら、自分の生活を自分でさだめ、
 自分の意見をきちんと言える個人を育てていく以外にないと思う。そうして個性のあ
 る人たちが育ち、その人たちが社会の原動力となるであろう。
・強い個性を育てるためには、まず個人を大切にしなければならない。そして、それは
 子どものわがままを聞くということとはちがう。大人になっても、まだ子ども程度の
 考え方しかできない、自立していない人の考え方を、そのまま黙って通すのではなく、
 それにたいして真っ向から議論することが、大事なことである。
・そして、ほんとうに個人主義を育てていこうと思ったら、あるいは個性を大切にしよ
 うと思ったら、意見を言う人、自分を主張する人、それがそのときの流れに逆らい、
 少数意見であっても、そういう人を尊重することが大切である。その一方で、あるこ
 とを主張した人は、プラスもマイナスも含めて、その結果を引き受けなければならな
 い。
・自己主張する人は、いいときも悪いときも、いいことも悪いことも、自分の責任とし
 て負っていけるのでなければ、自己を主張してはいけないのだということを学ぶ必要
 がある。個人主義の原則というのは、よくも悪くも、自分のいったこと、したことに
 責任をとるということである。
・現在、個人主義とエゴイズムが混同されるようになったのは、いい結果が出たときは
 個人主義の結果とし、悪い結果となったときは、家族や会社やグループや日本社会が
 助けてくれるのではないかと期待するためのように思われる。
・個人主義というのは、一人ひとりが、担いうる能力と責任を持ったとき、はじめて社
 会の制度として、あるいは主義として成り立つものだというところに、もう一度たち
 かえる必要がある。そうでなければ、いつまでたっても他人に頼って、そのくせもう
 一方ではわがままで、自分のエゴだけ押し通すような人間が再生産されるという結果
 になるだろう。これでは、ひ弱な日本人から抜け出せない。