ひとり旅は楽し :池内紀

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この本を読んで、ひとり旅をする人の性格は、どこか似たようなところがあるような気が
した。「権力とか権威がキライで、イバりたがる人には、なるたけ近づかない。群れるの
も好まない」というのは、自分もまさに同類である。
過去にこだわらない。それはもう過ぎてしまっているのだから。未来にもこだわらない。
それはまだ来ていないのだから。そんな境地になって、これからを生きていきたいものだ。

出かける前
・ひとり旅が自由気ままと思うのは錯覚である。それはひときわきびしい生活条件を自分
 ひとりで引き受けること。一つたりともムダを道づれにはできないのだ。
・「必要なら旅先で買えばいい」それはあてにしないほうがいい。旅先にちょうど必要な
 ものがあるとは限らないし、財布にモノをいわせるのはレクレーションであっても旅で
 はない。少なくても、ひとり旅ではない。ひとりっきりは、人間のムダを省いた最小単
 位であって、財布のムダも含まれている。最小の体位で移動し、持たないものは、はし
 ですませる。それはいわば自分の「生物的健康」をたしかめるようなものなのだ。
・ひとり旅にとりわけ欠かせない必需品がある。無限の好奇心であって、それを自分なり
 に表現する。そのときはじめて旅が自分のものになる。
・旅はするものではなく、つくるもの。誰もがせかせか動きすぎる。あちこち廻りすぎる。
 スケジュールを欲ばりすぎる。たくさん目にするのが、よく見たかのような錯覚がある。
 しかし、どんなにどっさり見て廻っても、人間は自分とかかわりのあるものにしか目を
 向けない。
・のんびりするには知恵がいる。というのは、いまの世の中の構造が、人をせかし、動か
 し、ひき廻して、お金を使わせるようにできているからだ。だから、世の中の仕組みと
 知恵比べするようにして、自分の旅をつくらなければならない。

島に渡ると
・権力とか権威がキライで、イバりたがる人には、なるたけ近づかない。群れるのも好ま
 なかった。
・人の世であくせくしていると副腎機能がやられそうだ。そういえば肩書きに「長」がつ
 く人は、たいてい黄ばんだ顔をしている。

札所をまわる
・一人であれ、連れ立ってであれ、歩くリズムは、ものを考えるのにちょうどいい。

足かクルマか
・新幹線がいい例だが、利用時間が短いほど値段が高くなる。考えるとへんだと思うのだ
 が、ヘンだと思うほうがヘンなのかもしれない。スピード第一の現代にあっては当然至
 極というものなのだろう。だが、それが旅まで及んでくると、話はべつである。せっか
 くのどかな天地にきたのだから、なるたけ自分のペースで、くつろいだ時間をもちたい
 と思うのだが、未知のところだからこそ効率よく廻ろうとする。また迎える方も、その
 ようにお膳立てをして、あちこち引き回すのがサービスということになっている。
・生活条件がきびしいほど、人は創意工夫して狂犬を克服しようと闘うのだろう。

ステッキをお伴に
・旅のお伴のステッキは、歩行を促すためではない。むしろ逆であって、歩行をとどめる
 から意味がある。ふだんならサッサと通り過ぎるところを、ステッキが待ったをかける。
 先っぽでつついてみる。動かしてみる。触れてみる。思わざる発見をする。
・ステッキは手の延長であって、使いなれると手そのものになる。視覚とも一体になる。
 それ以上にステッキをもつと、視覚が日常の何倍も活発になる。長い手に応じて視覚が
 敏感になったぐあいだ。さらにまたそれが五感を刺激してくる。

不便さが宝
・旅先できっとすることがある。駅に降り立つと駅舎を写真にとっておく。ついでに駅前
 風景をパチリ。

宿を見わける
・人の好みはさまざまだから、いちがいにはいえないが、私は「部屋食」というのは好ま
 ない。食べたあと、その場にふとんを敷いたり、ふとんを上げたあと、その場で朝食を
 とるのが、下宿時代を思い出させるらしい。それに旅館だって部屋食を売りものにする
 かぎり、給食システムから抜け出せないのではありまいか。大量の膳を部屋ごとに運ぶ
 には、それだけの人手がいる。忙しいのは朝夕のごくかぎられた時間帯だけであって、
 人手はパートでまかなわれる。パートの人にとって大事なのは、自分の勤務時間内に用
 をすませることである。となれば、なるたけ早く運び込み、なるたけさっさと引き上げ
 たい。客の腹ぐあいや食べ方に、かまってなどいられないのだ。
・どうして玄関に、とてつもなく安っぽいスリッパがズラリと並んでいるのだろう?高級
 と称する宿にかぎって、着くと早々にどうして和服の女性が抹茶を持ち出してくるのだ
 ろう?廊下にはテープが流れている。半で捺したように数奇屋造りの離れと、千坪の大
 庭園と、古代檜風呂とくる。
・わが国の半てんやどてらはフシギな衣類であって、客がぬぎすてたものを、たたみ直し
 と、それだけで新品になる。そういう約束のものらしい。だから着換えをして手にとる
 と、前日の客の残り香らしいタバコやサロメチールの匂いが漂ってきたりする。ときに
 はふとんにも「たたむと新品」の原理が適用されて、シーツや枕カバーが縫い付けにな
 っている。
・いい宿はたしかにある。それはあまりめだたない。複雑な料金表を押しつけたりもしな
 い。ほんにたまにだが「一室の利用人数、曜日に関係なく四タイプ」などとあって、き
 ちんとカッコして(料理と部屋の違いによる)注記している。客は自分のふところぐあ
 いや食欲に合わせて選べばいい。宿は本来、そのようにしてきめるべきものなのだ。
・名旅館との噂のある宿にも泊まったことがあるが、なるほど、いたれりつくせりであれ、
 客に緊張感を強いるのは、やはりいい宿ではないだろう。それに目をむくような値段と
 きている。私はつねづね、啓しても近づかない。
・掃除がゆきとどいていて、部屋が静かで、シーツが洗いたて、一夜の宿りは、それで十
 分だ。食事は通常の料理に、その土地ならではのものが二つばかりつく程度。料金は一
 万円から一万五千円どまり。
・いい宿を知っているのは、ひそかな財産である。固定資産を払わずに、全国に別荘をも
 っているようなものなのだ。

湯のつかり方
・まっ昼間に大手を振ってハダカになれるのは温泉の特徴だ。人がせっせと働いているさ
 なかにハダカになり、かつ湯に浮かんでいる。人の世の営為に反することをしているよ
 うで、ちょっぴりやましさがある。そこのところが、またいいのである。
・温泉のたのしみの一つは、湯から出てからのひとときにある。だからすぐに食事などし
 ないこと。新聞など読まないこと。テレビなどつけないこと。
・露天風呂が一つっきりで、すでに女性がお入りの場合はどうするか。礼儀正しくたのん
 でわきに入れてもらえばいい。この世は男でなければ女であって、いっしょに湯につか
 って、なんてこともないのである。あれこれ騒ぎ立てる輩こそあさましい。見るでもな
 く見ないでもなく、混浴はそんな微妙なところがたのしい。
・湯につかっているのは退屈なものだ。そのくせこの世で、そんなふうに退屈していると
 きほどゼイタクな時間はないのである。そもそもなに不自由なく、大手を振って退屈で
 きるのも温泉の特権であって、なるほど、温泉は特権ずくめだということに思い当たる。
 それに一人で退屈しているのは、いわは自分と二人づれ。文字どおりハダカの自分とこ
 っそり遊んでいる。自分が退屈な生きものであることを納得する。
・人間はやはりサルではない。サルときたら、せわしかくノミをとったり背中を掻いたり、
 へんなところをまさぐったり、やにわに片手でぶら下がりの曲芸をやったりするだろう。
 と思うと、歯を剥きだし合ってケンカをする。じっと退屈していられない。いつもせわ
 しなく、のべつイキり立っている人は、人間よりもサルに近いということになる。

ひとり登山
・動物学者の研究によると、一定の面積のなかの動物が一定の数をこえると、急に生態系
 がくずれてくるそうだ。オス・メスともに不思議な行動をはじめ、意味のなくいじめた
 り、やたらに角付き合ったり、あるいは食べなくなる。拒食症になる。
・行列のできるような山、いくつものグループが鉢合わせをするような山では、似たよう
 な現象が報告されている。人間は動物であって、とりわけ敏感で凶猛な生き物であるか
 らだ。だから私は評判の「百名山」などには出かけない。
・ひとり登山では同じ道を引き返すコースがいい。登るときには気づかなかったこと、そ
 れどころか、何一つ見ていなかったことに気がつく。
・地球温暖化は、ひとごとではない。大寒波がなくなり雪がへったとたん、鹿が幾何級数
 的にふえてきた。以前の五倍とも十倍ともいう。正確な数は誰にもわからない。飢えた
 鹿が花を食べつくし、樹皮をはがして木を枯らす。花がないので虫がこない。虫がいな
 いので小鳥がこない。 山々は静まり返った死の山になった。
・ひとり登山者は沈黙に慣れている。静けさを聞き分ける耳をもっている。おなじ静けさ
 でも死の山の静けさはちがうのだ。花を失い、虫も小鳥にも見捨てられた。半枯れのサ
 サがサヤサヤと音をたてている。その音を耳の奥に聞きとどめた。ひとり登山は、そっ
 と地球を診断している。

身近なところで
・東京は世界でも希な幻想都市というものだ。なにしろ真中にポッカリと、「皇居」とい
 う名のとてつもなく大きな空間がひらけている。そこには白い土塀もあれば玉砂利の広
 場もある。森も、岡も、苑も、堀も、すべて欠けることなくそろっている。その空間自
 体、まさしく大東京のはじまりだし、歴史の生き証人にあたるのだが、しかしながら、
 そこには限られた家族以外、住むのはおろか、立ち入ることすらできない。

留守と言え
・この優等生は樹木のように生きていた。一度発芽すると、そこに根を下ろすしかない運
 命的な生き物のように徹底して会社に忠実だった。背広のエリに、まるでお守りのよう
 に世に知られたマーク入りの社章をつけ、大企業という名の陽光をあびていた。深々と
 根をのばし、隣り合った木々と根元の栄養を争いながら、待っていた。じっと待ってい
 た。はたして自分は何を待っているのか。この点だけは優等生にもわかっていないよう
 だった。 
・逃げ出そう。出てゆこう。手遅れにならないうちに逃げるのがいい。脱走は一つの判断
 であり、また行動だ。動物はもともとウロつきまわるのが本来なのだ。
  生きている事は滑稽なことだぞ 馬鹿者共

糞石のこと
・むかしから同窓会といったものが苦手だった。たまたま同じ年に同じ学校にいたという
 だけで旧交をあたため合うのは、へんだと思うからだし、何の必然性もないのに集まっ
 てワイワイとおうのはコッケイなような気がするからだ。同窓の縁でむつみ合うのは、
 むくもりの残ったトイレに腰かけるような不快感がある。
・過去にこだわらない。それはもう過ぎてしまっているのだから。未来にもこだわらない。
 それはまだ来ていないのだから。
・気がつくと、一つのことに堂々巡りをしているものだ。いつのまにか固定観念を育てて
 いる。見方が狭くなって、何であれ同じふうにしか考えられない。そんな自分を跳びこ
 すためには旅にでるのがいい。ほかの人にもできる仕事は、実のところ、おおかたがそ
 うなのだが、そっくり他人にまかせよう。日ごろの自分をあっさりと跳びこす。

思いがけず
・思いがけないことが起こるのは、旅先であろうと日常であろうと、なんら変わらない。
 むしろ旅先のほうがずっと安全である。なぜなら見知らぬところでは、心身がそれなり
 に緊張している。ふだんより五体が動き、感覚のぐあいが鋭いのだ。何かと目配りをす
 る。ひそかに用心している。足どりが慎重だ。ましてひとり旅のときは、お仲間が寄っ
 かかっていない。自己責任とよばれるものを、まさにわが一身で引き受けている。
・日常がどうして安全なのだろう。ルーチン化した繰り返しのなかで心身が安住している。
 五体がなまくら、感覚は半分かた眠っている。だからこそ近くのコンビニへ歯ブラシを
 買いに出かけて、ちょっとした入口の段差で足をくじいたりする。段をまちがえて転げ
 落ちるのは、ホテルではなく、わが家の階段である。宿では機嫌よくひと風呂あびるの
 に、自宅の風呂場で腰を打ち、全治三ヵ月なんてことになる。日常ほど危険にみちみち
 たところはない。
・そもそも「安全な旅」というのは自家撞着というものではなかろうか。旅の楽しさは、
 好奇心に導かれているあらだ。日常から一歩踏み出る。未来へ向けての一歩であって、
 ほんらい安全の保証はない。保証付きの一歩に未知はなく、それはすでに旅の名に値し
 ない。好奇心がひろがる。おのずとふくらんでいく。よく見るためには、もっと高く上
 がりたいし、深みに下りたい。さもないと、わざわざ出てきた甲斐がない。恋と同じよ
 うに、それは打算ずくでとまらないからすばらしい。

一国一品
・奈良県の飛鳥地方は好きなところだ。石舞台や岡寺や飛鳥大仏のある安居院あたりは車
 が数珠つなぎで入ってくるが、川原寺、橘寺の近辺にくると閑散としている。久米寺ま
 でまわると、たいていひとけがない。 
・私が見た日本の寺のなかでも、久米寺はずば抜けて雄大だ。柱も礎石も、屋根の反りぐ
 あいもゆったりとしていて、男々しく大きい。何ごともちいさく、ちまちまとしたがる
 わが国にあって、珍しい例外だ。ここに祀られている人も、この里をつくった人たちも、
 日常の尺度というものが違っていたのではなかろうか。

旅の土産に
・旅先でご当地の名産とでくわすのはうれしいものだ。津軽の津軽塗、岩手の南部鉄瓶、
 鳴子こけし、秋田の曲げわっぱ。いずれも由緒があって、その道の名人クラスがつくっ
 ている。
・旅先の買い物というのは、どうやら人につられてするもののようだ。お仲間がいて、そ
 のうちの一人が買うと、われもわれもと手が伸びる。心理学者はどのように言うか知ら
 ないが、あきらかに本能の深いところに根ざしている。所有欲なのか、競争欲なのか、
 あるいはもっと微妙な、行動をともにすることをせき立てる衝動。ひとり旅だと、その
 ようなものと縁がない。心が動いてもどこかで醒めていて、財布を取り出すまでにいた
 らない。自分の日常を身につけており、日常の判断がはたらく。旅先の見つけ物は旅そ
 のものと同じく非日常であって、ひたすら旅先の効用に応じており、もしも強引に日常
 にもってくれば、ぜいたくなあまり物である。きらびやかな異物である。