<ひとり死>時代のお葬式とお墓 :小谷みどり

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この本の著者は、お葬式やお墓、死の迎え方など、死の周辺について25年以上研究して
いる人物である。この本は2017年に書かれたものであり、著者のいままでのそうした
研究に集大成であるという。
確かに、お葬式やお墓などについて、これほど詳しく、そしてわかりやすく解説している
著書はあまりないのではないかと思う。お葬式やお墓は、一見身近な存在ではあるが、し
かし実はよくわからないというのが実態ではなかろうか。
というのも、人はいつかは必ず死を迎えるのだが、ひとりの人にとっては、言うまでもな
く、死は一度きりであり、何度も経験できるものではないからだ。さらには、近年の核家
族化によって、身内での死に遭遇する機会も少なくなった。身内に死者が出てお葬式を経
験しても、次にお葬式を経験するまでに何十年も間が空くと、過去の経験の記憶はすっか
り薄れ、いざお葬式と言っても何をどうすればいいのか、そのやり方などもすっかり忘れ
てしまっている。自分の親がいる間は、まだ親に頼ればよかったが、親も亡くなると、も
うほんとに困ってしまう。今やお葬式は、葬儀社なしではまったくできないものになって
いる。自分ですらそうなのに、今度は自分が死ぬ番になってくると、果して自分の子供た
ちは、自分の葬式をどうするんだろうと心配になってくる。
お葬式ばかりではない。お墓についてもそうだ。すでに先祖代々のお墓のある人は、心配
ないだろうが、そういうお墓のない人は、自分の入るお墓の心配もしなければならない。
自分の世代ぐらいまでは、まだなんとか高度成長時代のおこぼれに預かって、なんとか自
分のお墓を持てる人も多いかもしれないが、自分の子供たちの世代を見ると、もはやそん
な余裕はないだろうと思える。
この本を読んで、ほんとの色々なことを考えさせられた。ただ、ぼーっと何も心配しない
でこのまま死んでいければいいだろうが、今の世の中はそんなに甘くはない。自分の死の
始末まで、自分でなんとかできるように準備しておかないと大変なことになりそうだ。こ
れから自分のお葬式やお墓を考える場合に、本書は非常に参考になると思えた。
この本を読んで自分なりに出した結論は、今までのお葬式というのは、見栄や世間体にが
んじがらめされたものだった。これからのお葬式は、ごく個人的なものと割り切っていい
のではないか。身内やほんとに近しい人だけで行ういわゆる「家族葬」でじゅうぶんだと
いうことだった。そしてこのことは、お葬式をやる側だけでなく、参列する側にも言える。
ほんとうに親しかった人以外であれば、仕事で関係があったとか、知り合いだったとかい
うだけの関係で、世間体を気にして参列する必要はないということだ。そしてお墓につい
ては、昨今は樹木葬や共同墓が話題になっているようだが、私自身は、自分が生きた証と
して小さなお墓は残したいというのが今の考えである。
それにしても、同じ日本の中でも、葬祭の順番や火葬場での遺骨の収骨のやり方が異なる
ということを、この本を読んで初めて知った。東日本では火葬してから葬儀となるが、西
日本では葬儀をしてから最後に火葬するという。また東日本では火葬場で遺族は遺骨のす
べて持ち帰るが、西日本では遺骨の一部しか持ち帰らずほとんどは火葬場に置いてくる
「部分収骨」だという。同じ国の中なのに、どうしてこのような違いが生じたのか不思議
だ。

社会が変われば死も変わる
・長生きすると、経済的な不安も大きくなる。厚生年金の全額支給の開始年齢が引き上げ
 られ、定年を迎えても生活費を得る手段がないという人が増えている。2013年には、
 定年を迎えた社員が希望すれば65歳までの継続雇用を企業に義務づけた「改正高齢者
 雇用安定法」が施行された。
・しかし、定年後の「再雇用期間」では、「定年前」の7割程度しかない。それでも仕事
 があればまだいいが、なければ、生活費を捻出するのは大変なようで、世帯主が65〜
 74歳の無職世帯では、1世帯当たり1カ月平均の実収入は21万1千円なのに、消費
 支出は25万8千円もあり、毎月赤字となっている。この赤字分は預貯金や個人年金な
 ど、これまでの金融資産の取り崩しで賄うしかない。老後が長くなれば、取り崩す資産
 が底をつくのではないかという不安を抱く高齢者が増えるのは当然だ。
・こんな状況で、どのくらい時間があるのか、そのための生活資金は足りるのかなど先の
 見えない老後への不安は、社会が長寿化するにつれて、大きくなっている。
・老後に直面する大きな問題のひとつが、「老・病・死」への対応だ。それらについて、
 ・介護が必要になったら、どこでどんな介護を受けたいか
 ・治る見込みのない病気になったら、そのことを知りたいか
 ・余命告知を受けたいか
 ・どこで最期を迎えたいか
 ・どんなお葬式をしたいか
 といったことを、元気なうちに考えておくということである。
・2016年に実施した調査では、「終活(にあたること)」をすでにやっていると回答
 した人は9%しかいなかった。終活という言葉が市民権を得た割には、実際に自分の死
 の迎え方について考える人はとても少ない。
・一方、「時期が来たら行いたい」人は56%いた。だが「時期」とは、いったい「いつ」
 なのだろうか。
・時期が来たら終活しようと思うなら、その時期は、体調が悪くなったときでもなく、病
 名を告知されたときでもなく、元気なうちに考え、家族やまわりの人に意思を伝えてお
 かなければならないのではと、私は思う。
・誰にとっても、いつの時代も自分の死は一度きりだ。死者が増加する多死社会は、個々
 人には直接的には関係ないし、多死社会だから終活に関心を持つ人が増えたわけではな
 い。むしろ、多死社会をビジネスチャンスと考え、異業種参入で顧客獲得競争が激化し
 た企業が、「終活」ブームをけん引してきたといってもいいだろう。  
・生協(生活協同組合)やJA(農業協同組合)が葬祭業を始めたのは1990年代だが、
 2000年以降、一般企業の葬儀や墓の仲介サービスへの参入が目立つ。2009年に
 参入した流通業大手のイオンも、その一つだ。全国一律料金で葬儀をオンラインで仲介
 するネット系の会社も登場している。
・お墓についても、民間霊園が次々と都市郊外に大規模霊園を開発してきたが、散骨サー
 ビスに参入する業者、遺骨をアクセサリーなどに加工したり、あるいは自宅安置のため
 の容器を販売する業者も増えている。
・ここ数年、葬儀や墓地だけでなく、相続や遺言、介護など、終末期以降にかかわる異業
 種を一堂に出展させた市民向けフェアがあちこちで開催されている。葬祭業者と提携し、
 複数の霊園や散骨を一日で回れるバスツアーを企画する旅行社もある。
・そもそも元気なうちから死について考えようという傾向が出てきたのは1990年代以
 降のことで、ここ数年で始まったことではない。それまでは、死んだ後のことは遺族が
 考えるべきであって、死んでいく本人が考えるという発想はほとんどなかった。
・どんな人も自立できなくなったら、誰かの手を借りなければならないが、これまでは、
 人生の終末期から死後までの手続きや作業は家族や子孫が担うべきとされてきた。しか
 し、家族のかたちや住まい方が多様化し、家族や子孫だけでは担えない状況が生まれて
 いる。    
・昨今では、夫婦二人暮らしか、ひとり暮らしの高齢者が半数を超え、高齢者の核家族化
 が進んでいる。2035年には東京では、世帯主が65歳以上の世帯のうち、44%が
 ひとり暮らしとなるという。
・夫婦具二人暮らしか、ひとり暮らしの高齢者は、「別居する子どもに迷惑をかけたくな
 い」、あるいは「頼れる家族がそもそもいない」という問題に直面している可能性が高
 い。 
・介護が必要になっても、妻が介護してくれると思い込んでいる男性は多いが、実際には、
 妻が主な介護者である割合は、全体の18%にすぎない。男性の死亡年齢が上がってい
 ることもあって、介護が必要になるころには、妻も高齢になる。妻が夫よりも先に要介
 護状態になることもある。しかし、夫に介護してもらおうとは考えていない女性は多い。
・こうしたことから、終活への関心の高まりは、自分らしい最期を考えたいというよりは、
 家族のあり方が多様化したことによって、自分であらかじめ考え、備えておかなければ
 ならない時代になったことが大きい。
・2016年のWHOの統計によると、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生
 活できる期間を示す「健康寿命」は、日本人は約75歳と世界一位だった。とはいえ、
 平均寿命はまた10年以上もある。この期間は、ずっと寝たきりではなくても、多少な
 りとも人の手を借りるか、医療や介護のサービスを受けないと生活できないことになる。
・そのうえ、医療が高度化し、延命できる技術は日進月歩で進んでいる。しかし自分がこ
 れからどう生きたいのかを考えたとき、こうして現状は本人が必ずしも望んでいるとは
 限らない。「人は必ず死ぬというのに、長生きを叶える技術ばかりが進化してなんとま
 あ死ににくい時代になったことでしょう」といった言葉もあった。
・欧米では20年ほど前から、患者にとって望ましい死とは何かが議論され、緩和ケアの
 あり方が検討されてきた。
・QOD(クォリティ・オブ・デス)は「患者や家族の希望にかない、臨床的、文化的、
 倫理的基準に合致した方法で、患者、家族および介護者が悩みや苦痛から解放されるよ
 うな死」と定義されている。  
・厚労省が2013年に実施した「人生の最終段階における医療に関する意識調査」では、
 「あなたは、ご自身の死が近い場合に受けたい医療や受けたくない医療について、ご家
 族とどのくらい話し合ったことがありますか」という質問に対し、「全く話し合ったこ
 とがない」人が約56%もいた。
・家族やまわりの人と話し合っておく必要があるのは、必ずしも患者本人の考えと家族の
 意向が同じではないことがあるからだ。「自分は延命治療をしてほしくないが、家族の
 こととなると話しは別だ」という人は少なくないだろう。「死ぬときぐらい好きにさせ
 てよ」という願いは、人生の最終段階における医療のあり方に対するメッセージである
 と同時に、家族やまわりの人に対するものであるのかもしれない。
・延命治療をするかしないかといった人生の最終段階における医療のあり方の選択だけで
 なく、たとえば、患者が人生においてもっとも大切にしていること、残された時間でや
 っておきたいこと、心配や不安なことなども医療者や家族などまわりの人たちと共有す
 るACP(アドバンス・ケア・プランニング)もQODには欠かせない。
・限られた生を、どう全うするか。死ぬときぐらい好きにさせてくれる環境整備には、ど
 んな生き方をし、どんな最期を迎えたいのかという本人の意思があることが大前提とな
 る。私たち一人ひとりがどう生き、どう逝きたいかを考えることが求められるようにな
 っている。   
・同様に、お葬式やお墓について考えておくことも大切だ。自分のことが自分ではできな
 い以上、誰かの手にゆだねるしかないからだ。
 
何が起きているのか
・「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)では、「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の
 定があるものを除く外、死亡又は死産後二十四時間を経過した後でなければ、これを行
 ってはならない」とあり、死後二十四時間以内の火葬は禁止されている。
・朝九時半開始の火葬なら、火葬場へ向かう時間などを考えると、出棺前に告別式をする
 というのは現実的ではない。これが「火葬場の予約がなかなか取れない」「何日も火葬
 を待たされた」という状況を生み出している。正確に言うと、「人気のある時間帯の予
 約が取りづらい」のであって、火葬場の予約が取れないわけではないのだ。もし参列者
 が家族数人で、火葬のみですませたいという場合には、朝九時半の火葬でよければ、何
 日も予約が取れないという状況はほとんど生じないはずである。
・自治体によっては、住民のお葬式費用を軽減するため、指定葬儀社で廉価なお葬式をお
 こなえる市民葬や市営葬制度を設けている。
・先日、私の同僚が五十人用の式場で母親のお葬式をしたが、参列したのは身内十人ほど
 だったので、ほとんどが空席で、式場が大きすぎたという。家族だけでお別れしたいと
 いうこうしたニーズはここ数年高まっており、十人用から二十人用の小規模なセレモニ
 ーホールが増えている。   
・家族だけなら、自宅でお葬式をすることも可能だ。私の知人は、晩年を老人ホームで過
 ごした父親のため、最後は自宅から火葬場へ送り出してあげたいと考えた。家族は子供
 や孫総勢で十人ということもあり、自宅マンションの一室でお葬式をした。部屋いっぱ
 いに花を飾り、僧侶の読経後はリビングルームで、みんなで食卓を囲んで食事をした。
 ゆっくりとアットホームなお別れができて、満足だったという。
・バブル景気のころ、お葬式の参列者が増え、大きなセレモニーホールでなければ参列者
 が入りきれなかったが、昨今のようにお葬式の参列者が十人、二十人と少なくなれば、
 セレモニーホールを併設していないお寺でもお葬式はできるし、自宅でもできるように
 なっている。 
・2012年に実施した調査では、自分のお葬式について「身内と親しい友人だけでお葬
 式をしてほしい」と回答した人が約33%、「家族だけでお葬式をしてほしい」と考え
 る人が約30%おり、合わせると六割以上が、家族を中心としたお葬式を希望していた。
・通常、人が亡くなると、お通夜をし、翌日以降に葬儀式、告別式と続く。葬儀式とは宗
 教的な儀式を指す。仏教で言えば、僧侶が読経をしている時間、キリスト教でいえば、
 神父や牧師が聖書を朗読し、説教をしている時間が葬儀式にあたる。
・一方告別式は、参列者が故人とお別れをする儀式をいう。本来の告別式は宗教色とは無
 関係だが、最近では葬儀式と同時に、あるいは引き続いておこなわれるので、仏教では
 お焼香、キリスト教では献花、神道では榊を供える玉串奉奠で告別することが多い。
・ちなみに、お葬式の儀式の順番は、地域によって異なる。「通夜→葬儀・告別式→出棺
 →火葬」が一般的だが、東北地方のほか、北海道や甲信越の一部、中国地方や九州の一
 部では、「通夜→出棺→火葬→葬儀・告別式」の順番でおこなう。後者は、葬儀式や告
 別式では遺体ではなく、火葬後の遺骨が祭壇に安置されるので、「骨葬」と呼ばれる。
・「故人の霊を弔う儀式」というより、「故人とお別れする儀式」がお葬式だと考える人
 が多いことは、お葬式の告別式化につながる。最近では、「特に仏教を信仰していない
 ので、僧侶の読経はいらない」と考える人が少なくない。
・とはいえ、日本のお葬式の九割近くは仏式でおこなわれている。お葬式に参加したり、
 遺族としてお葬式を出したりする場合、葬儀式よりも告別式に意味を見出す人にとって
 は、僧侶の読経は慣習として存続しているにすぎないといえる。
・そもそも庶民がお葬式を仏教でおこなうようになったのは、江戸時代に入ってからだ。
 キリシタンではないことを寺院に証明させる寺請制度が確立したことで、すべての人は
 特定の菩提寺の檀家になることを義務づけられた。檀家は、宗教行事や説法会への参加
 のみならず、菩提寺の建立や修理に協力すること、葬儀は必ず菩提寺に依頼することな
 どを徹底させられた。  
・寺院の社会的な権限がなくなった現在でも、菩提寺と檀家の関係は、先祖のお墓を介し
 てつながっており、お葬式や先祖の法事を菩提寺に依頼する慣習は根強く残っている。
・戦後になってからは、子々孫々が特定のお寺と関係性を結ぶ檀家の仕組みはない。子々
 孫々での継承を前提とする墓を媒介としているために、あたかも檀家制度がいまなおあ
 るかのように錯覚している人が少なくない。
・農村から都市への人口移動、核家族化、少子化などで檀信徒が少なくなり、お布施収入
 だけでは経営が成り立たない寺院が増えている。「お布施や寄進などの経済的な付き合
 いが大変だから、菩提寺との関係を解消したい」と、先祖のお墓を菩提寺から民間霊園
 などへと移す人も少なくない。  
・一方、首都圏では、菩提寺をもたない遺族が半数以上を占めるといわれており、葬儀社
 を介して僧侶が派遣されてくる。例えば東京のある派遣会社の場合、戒名をつけず、ど
 の宗派でもよければ8万4千円、宗派を指定しても14万円程度と表記されている。同
 じ営業エリアの別会社では、戒名なし20万円だ。
・いくら明朗で廉価でも、戒名や読経に対価を支払うことに意義を感じず、宗教色事態を
 いらないとする人たちが多い。
・仏教といえば、自宅での仏壇の保有率はかつてより低下している。2012年の調査で
 は、子どものころに自宅に仏壇があった人は約66%いたが、現在、自宅にある人は約
 47%と減少していた。
・仏壇のない家が増えている理由に、「親は健在なので、仏壇はまだいらない」「うちは
 長男ではないから」といった声を聞くが、実はこれは誤解だ。本来、仏壇は仏像を安置
 し、礼拝するための装置であって、故人をまつる場所ではない。しかし、一般的には、
 仏壇は、親や配偶者が亡くなってから買うものだと思っている人が多い。
・かつては、たいがいの家に、仏壇を安置するためだけの仏間があった。しかし昨今の住
 宅事情では、都市部になると、仏壇のためだけの部屋を確保することはなかなか容易で
 はなく、和室の床の間の横に仏壇を置くというスタイルが増えている。マンションでは、
 そもそも和室がないことも多く、洋間やリビングルームでも違和感のない家具調仏壇が
 開発されている。 
・昨今では、都心でも墓地の売り出しが少なくない。郊外の立派なお墓よりも、小さくて
 もお墓参りのしやすい都心のお墓を志向する人が増え、狭くてよければ都心部でもお墓
 を取得できる。
・費用が安い、墓地の運営者が自治体なので安心できるなどの理由で公営墓地の人気が高
 いため、「東京ではお墓が足りない」と錯覚する人が多いのではないかと考えられる。
・ここ数年は、墓地にすでにお墓を建てた人からの返還数、いわゆる墓じまい件数が、新
 規にお墓を建てる人の数を上まわっている状況がある。お墓が足りないという状況は、
 大都市部でも起きていないといえる。
・都市への人口集中や人口の増加による「墓地の価格高騰」「墓地の不足」は、日本固有
 の現象ではない。日本同様に少子高齢化が進行し、死亡者数が急増している韓国や台湾
 では、土葬墓地が不足するかもしれないとの懸念から、2000年以降、火葬を積極的
 に推奨し、火葬へのダイナミックな転換が図られている。
・多民族国家のシンガポールも、同様の問題を抱えている。国土が狭く、宗教上の理由以
 外では土葬が認められなくなったため、すでに土葬されていた遺体は順次掘り起こされ、
 ビル型の納骨堂に移されている。土葬しかできないムスリム(イスラム教徒)の遺体は、
 死後15年が経過すると掘り起こされ、8体か16体ごとに地下深くに埋め直される。
・一方、土葬が主流の欧米では、墓地をリサイクルするという考え方はかなり以前から一
 般的だった。フランスのパリでは、市営墓地にお墓を建てたい遺族は、10年、30年、
 50年、永久使用の4種類から選択し、使用料を払う。ほとんどの人は期限つきのタイ
 プを選ぶという。永久使用以外は、期限がくれば更新することもできるが、更新時期か
 使用期限が切れてから2年が経過すると、使用権が失効し、お墓は市の職員によって掘
 り起こされ、遺骨は納骨堂へ移される。更地になった場所は、新しい遺族に貸付られる
 という仕組みだ。    
・イタリアでも同様の方法で墓地がリサイクルされてきたので、百年以上が経過した歴史
 の古い墓地でも、真新しいお墓が次々に建っている。
・スウェーデンでは、死後25年が経過したら、ひつぎを深く埋め直し、その上に新た
 なひつぎを埋めることが定められている。
・ギリシャでは数年前から、墓地のリサイクルを始めたが、驚くべきは使用期間の短さだ。
 墓地の使用期間は最長でも3年しかない。使用期限がくると、遺族立ち合いのもとで職
 員がお墓を掘り起こし、遺骨を納骨堂へ移す。しかし掘り返されるまでの期間が短いた
 め、遺族にとっては完全に白骨化していない遺体の改葬に立ち会う可能性もあり、それ
 は過酷なことだろう。
   
お葬式は、どうなるのか
・日本で火葬が急速に普及したのは、都市化や感染症に対する公衆衛生の観念からだけで
 なく、死への強い恐怖の観念があったからだと指摘する説もあるほどだ。
・従来、結婚式やお葬式には見栄や世間体が重視されてきたが、こうした迷信がなくなら
 ないのはそのあらわれでもある。しかし今後、家族だけでのお葬式がますます増えれば、
 見栄や世間体を気にする必要がなくなり、友引にお葬式や火葬をすることを躊躇しない
 遺族が増えていくだろう。
・お葬式を取り巻く社会の環境は、大きく変化している。いまや葬儀社を利用せずにお葬
 式を出すことは考えられないが、こうして傾向が全国に定着したのは高度成長期以降の
 ことだ。かつては、町内会の組や班が食事の用意やお葬式の準備、受付などすべてを一
 手に仕切っていたので、葬儀社に一切を任せる必要はなかったのである。
・現在の葬儀社の全身は、ひつぎや葬具、造花の制作などを請け負っていた業者、お葬式
 に必要な物品を販売していた雑貨店、菓子店、乾物店、呉服店など、お葬式に使用する
 物品を扱う商店だった場合が多い。こうした商店が葬儀社へと転身して背景の一つには、
 高度成長期以降、地域のつながりが希薄になってきたことが挙げられる。隣近所との付
 き合いがほとんどないのに、同じ町内に住んでいるという理由でお葬式の手伝いをして
 もらうことに抵抗を感じる人は多いだろう。
・普段からお互いの自宅を行き来したり、おすそわけをしたりする関係ではなく、挨拶を
 する程度の関係の人たちにお葬式の手伝いをしてもらえば、家族がどんな会社に勤めて
 いるのか、どんな生活をしているのか、どんな仕事をしている親戚がいるのかなど、す
 べて知られてしまう。 
・かつて私が公園でたまたま訪れた集落では、遺族が火葬場へ行っているあいだ、近所の
 人たちが個人の自宅で留守番をし、食事の準備をして遺族の帰りを待つという習慣があ
 った。同居するお葬式を出したばかりという女性が、「火葬場へ行って留守のあいだ、
 近所の人たちに家の中をあちこち見られているだろうなあと思うと、憂鬱な気持ちだっ
 た」と、こっそり教えてくれた話が印象に残っている。
・地域のつながりが密に残っている地域であっても、高齢・過疎化が進めば、住民同士が
 助け合ってお葬式を出すという習慣が消失するのは時間の問題だろう。
・過疎化が進み、住民の多くが高齢となった集落では、重労働を伴うお葬式の準備を地域
 の人たちで手伝うことができなくなっている。葬儀会館を利用するほうが住民の負担が
 少なくなることもあって、今では、どこの地域でも葬儀会館を利用するのが当たり前に
 なった。
・しかし過疎や人口減少が進む地域では、葬儀会館が地域にはないことも多く、自家用車
 を持たない住民たちは、親しかった故人との最後のお別れに行けないという新たな問題
 に直面している。入院し設備のある大きな病院は町にあるうえ、そこで亡くなれば、そ
 のまま町の葬儀会館でお葬式がおこなわれ、遺骨になってから自宅に戻ってくることも
 増えた。
・お葬式を請け負う職業には、専門葬儀社のほかに、冠婚葬祭互助会がある。互助会は、
 月々定額を積み立てて、結婚式やお葬式の費用にあてる仕組みで、新生活運動の高まり
 を背景に急速に普及していった。
・ところが高度成長期になると、いつの間にか、新生活運動の考えは衰退し、お葬式は派
 手に華美になっていく。1980年代後半からのバブル期には盛大な葬儀が増えたこと
 もあり、特に90年代以降は親族や町内会だけでは葬儀を出せなくなり、葬儀社のかか
 わりが急速に増大していった。
・しかしその後、バブル経済は崩壊し、長引く不況下になると、結婚式もお葬式も地味に
 なっていく。特にお葬式については、1990年代以降、高騰する葬儀費用やお仕着せ
 のお葬式のあり方に不満を抱く人が増えた。
・しかし1990年代は、お葬式の参加者は現在に比べるとまだ多かった。それがわずか
 15年間で参列者数が4分の1にまで激減している。
・葬儀の参列者が減少してきた一番の原因は、死亡年齢の高齢化である。超高齢になると、
 きょうだいや友人の多くはすでに亡くなっているうえ、親の死亡時に子どもが定年退職
 していれば、仕事関係でやってくる義理で参加する人は激減する。これまでの葬儀は、
 遺族、参列者双方にとって、見栄や世間体を重視してきた傾向があったが、60歳ライ
 ンを子どもも超えれば、こうして「たが」がはずれ、廉価で小規模な葬儀が増えるのは
 当然だ。さらに故人が90歳近くで亡くなり、子どもたちが定年退職して何年も経過し
 ていれば、故人の死を広く知らしめ、大勢の参列者に来てもらうのは申し訳ないと考え、
 火葬が終わるまであえて知らせないことも増えている。
・「家族葬」という言葉が新聞紙上に初めて出たのは1998年だ。参列者が10人も入
 ればいっぱいになるほど狭い小型の葬儀会館では、密葬という言葉は使わず、家族葬と
 呼んでいたことに端を発する。   
・もちろん、それまでも「密葬」というかたちで、家族や身近な人たちだけでお葬式をし
 たいという動きはあった。「密葬」は、後日に本葬をする場合に使われる言葉だ。しか
 し本葬をせずに家族だけで見送るかたちの「家族葬」が定着するのに時間はかからなか
 った。
・家族数人しかいなければ、これまでのようにセレモニーホールを利用し、立派な祭壇を
 作り、葬儀社のスタッフの司会の下で進行されるお葬式の必要を感じないという遺族も
 出てきた。「家族葬」の、さらなる簡素化だ。
・たとえば、家族数人だけなら、お通夜と葬儀・告別式を2日間にわたってする必要がな
 くなる。「1日葬」「ワンデーセレモニー」と呼ばれるスタイルは、お通夜をせず、葬
 儀・告別式、あるいは宗教式儀式の葬儀式もせず、身内だけでの告別式をした後でその
 まま火葬してしまうというのが一般的な流れだ。一日で終わるので、遺族が高齢の場合
 には身体的、精神的にも負担が少ないうえ、遠方から参列する親戚などの宿泊費も節約
 できるという利点がある。もちろん金銭的にも、遺族の負担が少なくてすむことが多い。
・セレモニーをおこなわず、家族だけで一晩を過ごし、火葬するケースもある。「直葬」
 と呼ばれている。2016年の調査では、「一般葬」が減少し、「家族葬」が増加して
 いる傾向が明らかになっている。そのうえ「直葬」が増加しているという業者が26%
 あった。
・東京では「直葬」はすでに3割近いという見解もあり、この割合は地域によって大きく
 異なる。 
・いわゆるお葬式をしない直葬だったからといって、遺族自身は「何もしなかった」とは
 思っていないこともある。家族が遺体のそばで思い出を語り合いながら一晩を過ごすの
 は、遺族にとって死別を受け止めるための貴重な時間であり、遺族の絆を確かめ合う時
 間でもあるからだ。   
・戦前までの明治民法下では、葬儀や結婚式は、「家の儀式」だと考えられてきた。だが、
 価値観は一朝一夕ではでは変わらないため、こうした考え方は、戦後何十年たっても、
 継続されてきた。
・お葬式も、家の儀式として、家督相続者である次の家長がお披露目をするという役割が
 あった。そのため喪主を誰にするのかが、とても重要だった。最近までは、夫のお葬式
 を妻ではなく、息子が喪主をすることが多かったのは、戦前の明治民法下のこうした考
 え方の名残だ。故人と同じ苗字の男性が喪主をするのも同様だ。
・昨今では、息子がいるかどうかにかかわらず、夫が亡くなれば妻が喪主をすることが一
 般的になっている。しかし故人が超高齢だと、配偶者も同様に高齢になっており、介護
 や看護が必要な状況で、とても喪主がつとまらないケースも出ている。その場合には、
 「長男、次男以降直系の男子、長女、長女以降直系の女子、故人の両親、故人の兄弟姉
 妹」など、故人と血縁の濃い順番で喪主を決めるよう、アドバイスする葬儀社もある。
 しかし家族がいない場合には、入所していた介護施設の代表者などが喪主をつとめるこ
 ともある。 
・長らく家の儀式と考えられてきた結婚式とお葬式には、世間鯛を見栄がとても重視され
 ていた。高度成長期からバブル期にかけて、大きな式場での派手な披露宴が定着したの
 も、景気だけではなく、世間体や見栄が背景にあったことは否めない。新郎新婦とは面
 識のない、両親の仕事関係者の祝辞は当たり前にあったし、新郎新婦それぞれの招待客
 の人数のバランスが合わない場合には、どんな役割も演じてくれる代理出席ビジネスを
 利用する人もいたほどだ。
・お葬式も、式場に誰からの花輪が飾られているか、誰からの弔電がくるかは、参列者に
 とっても関心事項だったし、遺族にとっては、誰もが知っている大会社や著名人から花
 輪や弔電がくるのは、参列者への一種の見栄であった。ちなみに地方では、訃報を地元
 新聞に掲載すると、故人や遺族とはまったく面識のない市議、県議や国会議員から弔電
 が届くこともある。実際、選挙区内のすべての葬儀に弔電を出す政治家は少なくなく、
 「選挙が近づくと、たくさんの弔電が政治家から届く」と揶揄されることもある。
・バブル期のころに参列者が多かったのも、参列者の世間体の要素は少なくない。故人と
 いっさい面識がないのに、遺族の仕事関係で参列する人は多かった。会社の営業担当の
 人のなかには、取引先の家族の葬儀に顔を出して、受付に名刺を置いてきたり、記帳し
 たりして帰るのが半ば仕事のようになっていたことは否めない。
・そのころは香典を交際費でどんどん切れたことも、義理で参列する人の増加に拍車をか
 けた。議員の弔電もそうだが、亡くなった人と面識がないのに、自分の仕事のために人
 の葬儀を利用する人がいたのも事実だ。
・こうした実態に遺族が嫌気をさし、今後は家族やごく親しい人たちでお葬式をしたいと
 思っても不思議ではない。   
・バブル期には、立派な長い戒名が書かれた木の位牌が祭壇に安置され、その前には僧侶
 が何人も並んで読経をする光景も、当たり前のように見られた。景気がよいと、信仰の
 篤い人が多くなるわけではない。葬儀に僧侶をたくさん呼び、長い戒名をつけるのが、
 遺族の見栄だったからにほかならない。
・そもそも戒名は、仏弟子になった証の名前だ。亡くなった人につける名前ではないので、
 本来は、生前につけておくべきなのだが、生前にお寺と付き合いのある人が少なくなり、
 亡くなったときに僧侶が慌てて戒名を授けるのが一般的になったため戒名=死者の名前 
 という誤解が生まれた。
・戒名は、本人のお寺への貢献度合いや人なりなどを考慮して、菩提寺の住職が授けるの
 が建て前だ。しかし、お金を出せばランクの高い戒名がもらえるという風潮が、高度成
 長期以降、顕著になり、遺族の見栄に利用されるようになった。
・一方で、昨今、家族葬や参列者の少ない葬儀が増え、遺族は見栄を張る必要がなくなり、
 戒名の必要性の是非を問う人が増えている。
・お布施が「お気持ちで」とされること不満を持つ人たちは多い。お布施は自分の執着を
 捨てるという仏道の修行の一つで、金品の喜捨だけでなく、他人や社会のために働くこ
 とや笑顔で人に接することも、大切な布施行とされている。「お気持ちで」と僧侶が言
 うのは、このためだ。
・したがって、「戒名料」や「読経料」など、僧侶への謝礼や報酬としてのお布施はあり
 えないということになり、建て前では、お布施に定価や相場はない。しかし、現実は必
 ずしもそうではない。 
・東京23区内にある菩提寺では、院号をつけた際のお布施で百万円で、と住職に提示さ
 れたようだ。地方では、この1〜2割程度のお布施が一般的だ。また、お布施の金額を
 提示することの是非は、僧侶のなかでも意見がわかれる。菩提寺は檀家の支えで成り立
 っており、お布施はお寺の維持費にあれられるので、檀家数やお寺の規模によっても事
 情は異なるからだ。 
・とはいえ、僧侶に「お気持ちで」と言われても、「ほかの人はどのくらい出しているの
 か」と、いくら包めばいいのか金額が気になるのも、世間体や見栄の気持ちが少なから
 ずあるからだ。
・遺族だけでなく、参列者の世間体もある。たとえば、「香典や花輪は辞退します」と、
 遺族から事前に言われていても、弔問に行くとき、かばんに香典袋をしのばせている人
 は多いだろう。「みんなが香典を渡しているのに、自分だけが遺族の言葉を真に受けて
 出さなかったら、かっこ悪い」という気持ちが働くのかもしれない。
・そもそもお葬式とは何を指すのか。まだなくなっていない臨終の段階から死後の供養ま
 での、遺体処理と鎮魂を合わせた死者を葬る一連の儀礼のことを「葬送儀礼」というの
 が、いわゆるお葬式は、臨終・死の直後の儀礼の後におこなう葬送儀礼の一部だ。
・自宅で亡くなるのが一般的だったころには、死者があの世でのどの渇きに苦しまないよ
 う、臨終の間際に、唇を「末期の水」で潤したり、水に熱い湯を入れた「逆さ水」で遺
 体を清めたりする習慣もあった。
・呼吸が切れたらまず医師の検診を受け、仰臥させ、目と口を閉じ、消毒薬で全身を拭い、
 衣服を着替えさせ、白布で被って容態が醜くないようにし、医師の診断書を添えて死亡
 届を出す。昨今では、こうした作業は、病院や葬儀社が代行するようになっているが、
 本来は、家族が大切な人の死を受け入れる準備をするための大切な作業だ。
・いわゆるお葬式は、こうした準備が終わった後、通常はお通夜をし、翌日以降に葬儀式、
 告別式と続く。   
・なかには、「生前葬」をしたいという人もいる。亡くなってからでは、集まってくれる
 人に感謝の気持ちを伝えることができないからと、生前に、自分で自分のお葬式を主催
 するという趣旨だ。ある女性は、がんが進行し、余命半年と診断されたのをきっかけに、
 友人たちに集まってもらって生前葬をした。亡くなったときには火葬だけにしてほしい
 というのが、生涯独身を貫いたこの女性の願いだった。「死んだら火葬だけしてほしい」
 と本人から依頼されていた葬儀社のスタッフは、女性の死後、約束通り、荼毘に付した。
・葬儀社で働くための資格は特に必要ない。しかし人の死を扱うことから24時間365
 日いつ仕事が入ってくるかわからないうえ、仕事内容も、病院への遺体のお迎え、遺体
 の搬送、お葬式の準備の進行、遺族のケアなど多岐に渡る。
・かつては自宅で亡くなれば、水に湯を入れて温度を調整する「逆さ水」で、遺族みんな
 で遺体を拭いたが、いまでは、遺族が作った逆さ水で、葬儀社のスタッフが遺体や髪を
 洗い、髯を剃って死装束を着せ、化粧を施すという流れが一般的になっている。
・湯灌から納棺までを葬儀社にお願いすると10万円前後かかるが、葬儀社にやってもら
 うのが当たり前になっている。
・2008年に公開された「おくりびと」という映画が大きな話題となり、納棺師という
 専門職業が知られるようになったが、多くの葬儀社では自社のスタッフが納棺までおこ
 なうので、納棺だけを担当する専門スタッフを置いているわけではない。事故で亡くな
 った、死後何日も経過しているなど、遺体の修復が必要で葬儀社のスタッフではできな
 い場合には納棺の専門家に依頼する。
・仏式のお葬式では、亡くなって一周忌までに初七日、四十九日の法要があるが、昨今で
 は、その初七日や四十九日も簡単かされ、火葬と同じ日に「繰り上げ初七日」をすませ
 ることが多くなっている。 
・繰り上げ初七日後の会食を「精進上げ」「精進落とし」と言うようになったが、本来は
 四十九日の法要後の会食を指す。親戚が同じ地域に住んでいた時代と違い、親戚付き合
 いが希薄化し、精進落としは終わっていることもあって、四十九日は故人にごく近い身
 内数人だけですませることが増えた。
・現状では、自宅で亡くなる人はとても少ない。遺族があらかじめ葬祭業者を決めている
 場合はともかく、病院や施設で亡くなると、出入りの葬儀社が遺体の搬送を担当するこ
 とが多い。
・2005年に実施した調査によれば亡くなる前に葬儀社を選定していた遺族は約18%
 にすぎず、何もしていなかった人は約65%にものぼった業者にとっては、遺体搬送は
 葬儀受注につながる機会なのである。
・病院にとっても、遺体を迅速に運び出してくれる葬儀社の存在はありがたい。引き取り
 手や身内が誰もいない遺体が病院に何日も安置されることがないのは、葬儀社がすぐに
 引き取るからだ。 
・両者の利害が一致してきた病院と葬儀社との関係だが、ここ数年、遺体搬送の風景に変
 化がみられる。自宅のお葬式が減少し、セレモニーホールでお通夜や告別式をおこなう
 ようになり、遺体は病院から自宅に帰る必要がなくなったのだ。
・以前はお葬式を自宅でしないにせよ、遺体をいったん自宅に安置する遺族は多かったが、
 最近では、近所の人の目を気にして、遺体を帰宅させるのを嫌がる遺族が少なくない。
 近所付き合いが希薄になっているうえ、家族を中心としたこぢんまりしたお葬式が主流
 となり、自宅に遺体を連れて帰るのを近所の人に見られたくないという心理が働くのだ
 ろう。マンションに遺体を運ぶエレベーターがない、自宅があまりにも散らかっている
 など、住宅の構造上の問題で遺体を運び入れにくいケースもある。
・葬儀社が遺体搬送で一番困るのは、自宅には安置したくないが、「ではどこへ?」を決
 めていない遺族だ。もちろん病院提携の搬送業者に依頼すれば、自社の施設に遺体を安
 置してもらえるが、そんなことをすれば、お葬式はその業者に依頼せざるを得ない。病
 院から遺体を運ぶ場所がなく、搬送業者にお葬式の施行を依頼する遺族は相当数いるの
 ではないかと思われる。 
・とはいえ、遺族は家族数人しかおらず、火葬のみですませるとなると、火葬までのあい
 だ、家族は遺体を安置する場所探しに苦慮することもある。
・そんななか、遺体安置の専用施設が新しいビジネスとして注目されている。「霊安室」
 ではなく、「遺体ホテル」「フューネラルアパートメント」などと呼ばれているのが最
 近の特徴だ。葬祭業や霊柩搬送業以外の異業種が経営する遺体安置施設もあるので、葬
 儀社を決めるまで、こうした安置施設に遺体を預けるという利用方法が可能だ。「宿泊
 費」は一泊5千円から3、4万円程度とさまざまだ。遺族が遺体と24時間いつでも面
 会できる部屋や、数人での簡単なお別れ会ができる部屋を併設している施設もあれば、
 遺体預かりのみの施設もある。
・損傷した遺体を生前の姿に近づけることは、残された人への大切なケアだ。ひとつの方
 法に「エンバーミング」(遺体衛生保全)がある。遺体を洗浄し、静脈から血液を排出
 し、動脈から防腐液を注入することで、遺体の腐敗を防ぎ、必要に応じて、顔などに復
 元処置を施す。遺体が腐敗しないので、火葬を急ぐ必要がないという利点がある。また
 感染症などで亡くなった場合、遺族が顔を近づけると感染する可能性もあるが、エンバ
 ーミングをすれば回避できるという利点もある。そのほか、日本で亡くなった外国人、
 またはその逆で、外国で亡くなった日本人の遺体を本国へ運ぶ際に、エンバーミングを
 義務づけている国も少なくない。
・欧米では、弔問客が遺体と最後の対面をする儀式がおこなわれるため、エンバーミング
 で遺体をきれいにするのが一般的だ、フィリピンやシンガポール、タイなどの東南アジ
 アでも、亡くなってすぐに土葬するムスリム以外は、暑さで腐敗しないよう、エンバー
 ミングをすることが多い。  
・日本にエンバーミングが導入されたのは1988年だ。本格的におこなわれるようにな
 ったのは、1995年の阪神淡路大震災のときだとされている。火葬場が崩壊したり、
 身元不明の遺体の確認作業に時間がかかったりして、火葬までに相当の時間を要したこ
 とがきっかけだ。現在、エンバーミングを請け負う施設は21都道府県に55カ所ある
 が、2000年には18カ所しかなかったので、この15年で施設数も増加した。料金
 は業者によって異なるが、15万円から20万円程度のようだ。
・昨今、病院で亡くなる人が多いので、亡くなった病室で看護師が死後の処置をすること
 が一般的になっている。これを「エンゼルケア」と呼ぶ。体内に溜まった排泄物を出し
 たり、アルコールで身体全体を拭き、口の中をきれいにして入れ歯を装着し、口を閉じ
 たりするのも、エンゼルケアの重要な役割だ。
・数年前、知人が亡くなったと知らせを受け、お通夜の前に駆けつけたことがある。故人
 の口はぽかんと開き、歯がない口の中は丸見えで、生前使用していた入れ歯はガーゼに
 包んで、棺のなかに入れてあった。若い頃は教員をしており、理知的だった故人が、こ
 んな姿ではあまりにも気の毒だった。「何とかならないのか」と葬儀社のスタッフにた
 ずねたところ、「もう死後硬直しているので、どうしようもない」という答えが返って
 きた。スタッフが、たたんだタオルをあごに置いて下あごを固定しようとしたが、結局、
 口を閉じることはできなかった。
・亡くなった人の口がぽかんと開いていても、「亡くなったのだから、仕方がないでしょ」
 と思う人がいるかもしれない。実際、お通夜やお葬式で口を開いている故人の姿を目に
 することは珍しくない。しかし、これは故人の尊厳にかかわる問題ではないかと思う。
 専門的な知識を持っている納棺師は、開いている口を閉じることができる。死後硬直し
 た遺体の筋肉や関節をほぐし、死装束に着せ替えることも、納棺師の仕事だ。
・ではこの先、お葬式はどうなっていくのだろうか。かたちだけでみると、まず祭壇が消
 失していくのではないかと、私は思う。そもそもお葬式の祭壇の誕生したのは、昭和に
 入ってからのことだ。高度経済成長期には「お葬式=祭壇}というイメージが定着し、
 どんどん装飾が派手に大きくなっていった。お葬式に見えと世間体の要素が影響した時
 代の産物だといってよい。これからのお葬式には、こうした見栄や世間体の要素は薄れ、
 人に見せるお葬式は今後も減少の一途をたどるはずだ。参列者が少なくなり、家族を中
 心としたお葬式が増えると、見栄や世間体を気にする必要がないからだ。いわゆるお葬
 式をせず、火葬のみですませる直葬も増える。
    
お墓は、どうなるか
・人が亡くなったら遺体を火葬し、遺骨を墓に納めるのが当たり前だと思っている人は多
 いだろうが、日本では、こうした習慣はそれほど古くからあったわけではない。そもそ
 もかつては土葬が主流で、火葬率が50%を超えたのは、1935年(昭和10年)の
 ことだ。  
・現在の日本は火葬率が99.9%もある火葬大国だ。かつては土葬、火葬以外に、水葬、
 野葬、林葬がおこなわれていたと記されている。
・野葬は遺体を野などに安置しておく方法で、洞窟などに遺体を安置し、風雨にさらされ
 るうちに白骨化していく風葬も野葬のひとつだ。
・林葬とは遺体を林中に安置し、鳥獣に食べさせる方法で、チベットなどでは、ハゲタカ
 などに遺体を食べさせる「鳥葬」がよく知られている。
・現在、日本で認められている葬法は、火葬、土葬、水葬だ。しかし、大都市の多くは土
 葬を市町村条例で禁じており、条例制定をしていない自治体でも、土葬の許可は、特段
 の理由がない限りは下りにくいのが現状だ。
・宗教的な理由で土葬しかできないケースもある。日本には、在留外国人のムスリムが約
 10万人、ムスリムとの国際結婚などで改宗した日本人は1万人ほどいる。ムスリムは、
 宗教上の理由で土葬しかできない。2017年現在、ムスリム専用の土葬区画は、北海
 道余市町、山梨県甲州市、静岡市、茨木県つくばみらい市・小美玉市、和歌山県橋本市
 の6か所しかない。将来的にムスリムの死者は日本で増えていくことが想定されるため、
 このままでは、墓地が不足するという問題に直面するのは明らかであろう。
・現在のように墓石を建てるお墓が作られるようになったのは、せいぜい江戸中期以降の
 ことだ。しかしそれも大半は個人か夫婦の墓で、現在のような〇〇家の墓ではない。
 現在のような〇〇家の墓が普及するのは明治時代の終り以降のことだ。 
・多くの宗教ではお墓を建てる習慣があるが、石やタイルなど朽ちない素材が使われるこ
 とが一般的だ。どこの国の墓石でも、たいがいは故人の氏名や生年・没年月日が刻まれ
 ており、誰が眠っているのかを長年記録するため、朽ちない石やタイルが使われてきた
 と考えられる。     
・しかし昨今、ヨーロッパのなかでは火葬率が高いイギリスにおいて、墓石を建てない匿
 名に墓を志向する人たちが出てきている。
・1991年設立の、環境に配慮した死を考える団体が推奨する遺体処理方法は、
 ・エンバーミングをしない
 ・ダイオキシンを出す火葬ではなく、土葬を選択する
 ・ひつぎは、土で分解する素材や藤製などを使用する
 ・墓地に墓標を立てたり、木を伐採したりして整地しない
 といったルールがある。この考えに共鳴する地主たちが提供するなどした専用の墓地は、
 イギリス国内に260カ所以上ある。
・スウェーデンにある匿名の共同墓地は、1980年代から急速に増え、現在では全国に
 500カ所以上ある。ストックホルム郊外にある「森の墓地」は、20世紀以降の建築
 作品としては最初に世界遺産に登録されたことで知られている。個別の墓標は立てない
 うえ、共同募への納骨や散骨は墓地の職員がおこない、遺族や友人が立ち会うことはな
 い。戸別に花を供えたり、氏名を刻んだメモリアルプレートを設置したりすることも遺
 族には許されていない。遺族は遺骨や墓標にとらわれず、花壇や十字架などのシンボル
 の前で故人を想う。家族や資産の有無、生前の功績に関係なく、徹底的に死者の平等性
 を重んじた墓地だ。
・これまでの墓は故人が生きた記念として、遺族によって建立されることが多かったが、
 イギリスやスウェーデンの事例を見ると、最近では、「死後は、この世に生きた痕跡を
 残したくない」と考える人も出てきている。
・そもそも「お墓を買う」とは、「墓地の永代使用権を取得すること」を指す。専門的に
 いえば、墓地使用契約を締結することだ。永代使用の「永代」は、永久や永遠ではなく、
 代がある限りという有限を意味する。つまり、永代使用権とは、使用者が途絶えない限
 り、墓地を使用できる権利であって、墓石を建てるための土地を買うわけではない。簡
 単に言えば、借地に自費で墓石を建てるのだから、使用する人が責任をもって管理でき
 なければ、使用権は消滅する。ちなみに、更地にされても永代使用料は返還されないう
 え、永代使用権を転売することもできない。
・墓地の運営者は、無援募になっていると思われる場所の使用権を持っている人に対して、
 一年以内に墓地事務所に申し出ることを官報に掲載すると同時に、そのお墓がある場所
 に立札を一年間掲示する。そのうえで、一年以内に申し出がなかった場合に、墓地の運
 営者は無援募を撤去できる。
・お墓を建てるときに必要な経費には、大きく分けて「永代使用料」「年間管理料」「墓
 石建立費用」の三種類がある。「永代使用料」は永代使用権を取得する費用で、墓地運
 営者とのあいだでいったん使用契約を締結すれば、気が変わって解約しても返金されな
 い点に注意が必要となる。また「年間管理料」は、墓石を建てなくても、契約時からか
 かる。年間管理料自体は数千円程度だが、滞納すれば使用権が抹消されたり、無縁募と
 みなされ、無縁募の手続きに入ったりする可能性がある。
・「墓石建立費用」は、どんなお墓を建てたいかによって大きく変動する。建立費用には、
 墓石費用以外に、石の加工費や施工費、外柵費用がかかる。墓石の質によっても料金は
 異なる。もっとも品質がよいとされている香川県の庵治石、国内で採れる石材量が限ら
 れているうえ、価格が高いので、最近では外国からの輸入石材が主流になりつつある。
・墓埋法では、「墳墓」とは「死体を埋葬し、又は焼骨を埋蔵する施設」と規定されてい
 る。また、墳墓を設ける区域を墓地という。
・一方、納骨堂は「他人の委託を受けて掌骨を収蔵するために、納骨堂として都道府県知
 事の許可を受けた施設」とされている。法律上では、いわゆる墓石のあるお墓と納骨堂
 は異なるものだが、これまでは、ロッカー式の納骨堂はお墓を建てるまでの一時的な預
 かり施設として使用される傾向が強かった。ところが最近、都市部では〇〇家のお墓と
 して、納骨堂を利用する人が増えている。
・お墓をいつ建てるべきか、遺骨をいつお墓に納めるべきかについては、法律上は何の決
 まりもない。仏式でお葬式をした場合、親戚が集まって四十九日の法要をすることが一
 般的だが、その際に納骨をするケースは多い。ただしお墓を建てるのに数カ月はかかる
 ので、亡くなったときにすでにお墓がないと、四十九日の納骨には間に合わない。 
・昨今、自分が入るお墓を生前にあらかじめ用意しておく人が増えた。「お墓はどんなに
 高額になっても相続財産ではないので、生前に建墓すれば相続税の節税になる」などと
 いう墓石業者の触れ込みもあり、あらかじめ自分のお墓を建てておこうという機運はバ
 ブル景気のころから高まりはじめた。
・余談だが、ほとんどの人は、相続税対策として生前に建墓する必要はない。国税庁の発
 表では、2015年に亡くなった人のうち相続税を実際に払った人は8%しかいなかっ
 た。9割以上の遺族は相続税を支払う必要はない。したがって、生前にお墓を建てよう
 が、死後に建てようが、そもそも相続税を支払わなくていい大多数の人たちにとっては、 
 生前にお墓を建てておくことが相続税対策になるわけではない。
・四十九日の納骨にも、仏教的に意味があるわけではない。亡くなってから49日間は
「中有」「中陰」と呼ばれ、故人が次の生を享ける期間とされている。しかし昨今では、
 初七日と最後の四十九日をするぐらいで、しかも初七日は、お葬式や火葬の日にすませ
 てしまうことが珍しくなくなった。
・一周忌、お彼岸、お盆などの節目に納骨する遺族もいれば、納骨するお墓があっても、
 「そばに置いておきたい」と、自宅に遺骨をずっと安置している遺族もいる。
・そもそも火葬した遺骨をお墓に安置しなければならないとは、法律では定められていな
 いので、自宅にずっと安置してもよい。墓埋法では、許可を受けた墓地以外に遺骨を埋
 蔵してはならないことになっているので、自宅の庭に勝手に新しくお墓を立てて納骨し
 たり、庭に遺骨を直接埋めたりするのは違法となる。ただし、庭に墓石を建てるだけな
 ら何の問題はない。
・あくまでも遺骨が安置された段階から、法律上はお墓となる。生前に自分で建てたお墓
 も、遺骨がまだ埋蔵されていない状態であれば、厳密に言えば、それはお墓ではない。
 墓埋法は、遺骨を埋蔵するなら許可された墓地でと指示しているだけなので、そもそも
 お墓に埋蔵するかどうかは遺族の一存に任されている。自宅に安置しても、納骨堂に収
 蔵しても、それは遺族が決めることがらであって、法律はなんら規制していない。
・偕老同穴という言葉がある。夫婦が共に老い、死んだ後は同じお墓に葬られるという意
 味だが、こうした考え方を支持しない人たちが出てきている。現在の配偶者と同じ墓に
 入りたいと思ってるかをたずねると、「入りたい」と回答した人は、男性で約65%い
 たのに対し、女性では44%と半数を下回っており、2割ほどの女性は、夫と同じお墓
 に入りたくないと考えていた。
・長男である夫と結婚した女性にとって、夫と同じお墓に入るということは、夫の先祖と
 同じお墓に入るということである。しかし核家族や夫婦単位の家庭という考え方が当た
 り前になった昨今、「これはおかしい!」と声をあげる女性たちが出てきた。夫の先祖
 との「同居」を忌避する<脱家墓タイプ>は、脱家意識の延長で誕生したものといえる。
・一方、「夫と同じお墓に入りたくない」という意識には、夫との「同居」を忌避する
 <あの世離婚タイプ>もある。<脱家墓タイプ>は夫婦で同じお墓に入ること自体を否
 定しているわけではないが、<あの世離婚タイプ>は、「どんなお墓であっても、夫い
 っしょはイヤ」と考えるのが特徴だ。このタイプは、これまで離婚はよくないとされて
 きた時代に生きてきた年配者女性にも多い。
・夫婦でも先祖でもない人と、いっしょにお墓に入りたいと考える人もいる。「血縁関係
 を越えた人や友人と一緒に入る共同墓」を希望する人は5%と少ないものの、昨今、
 共同墓を新設する自治体が増えている。
・イギリス、ニュージーランド、オーストラリアなど、火葬率が比較的高い島国では、庭
 園をイメージした霊園が増えつつある。イギリスでは、火葬骨を納める樹木葬墓地の多
 くは公園のような整備されており、一見すると墓地かどうかわからないほどだ。  
・日本でも、墓石を立てない樹木葬墓地が1999年に岩手県一関市のお寺に開設され、
 最近では横浜市、東京都、新潟市など公営墓地にも設置されている。
・これまでは、縦長の墓石に「〇〇家の墓」「先祖代々の墓」と刻まれたお墓が一般的だ
 ったが、昨今、墓石に刻む文字が多様化している。家名ではなく、「愛」「志」「平和」
 などの単語だったり、「ありがとう」「偲」など、遺族から故人へのメッセージを刻ん
 だりする墓石が増えているのだ。これは、「先祖をまつる場所」から「特定の故人の住
 家」へとお墓の意味合いが変化してきたことを端的にあらわしている。
・お墓を引っ越すことを「改葬」と言う。先祖のお墓が遠くにあってお墓参りに行くのが
 大変なので、お墓を移したいと考える人は珍しくない。ただし、お墓は以下のような手
 続きを経なければ、勝手に移転させることはできない。
 (1)引越し先のお墓の墓地管理者から「受入証明書」を発行してもらう。
 (2)もとのお墓がある市町村役場で入手した「改葬許可申請書」に必要事項を記載し、
    現在の墓地管理者から埋蔵証明をもらったうえで「改葬許可申請書」「受入証明
    書」を役所に提出し「改葬許可証」を発行してもらう。埋蔵証明はお寺などの管
    理者が独自に発行したものでよいほか、改葬許可申請書の墓地管理者欄への署名、
    捺印でもよい。お墓の引越し先が民間霊園の場合、改葬許可の申請などの手続き、
    古い墓の撤去、遺骨の運搬などを代行してくれる業者もある。
 (3)改葬許可証をもとの墓地管理者に提示し遺骨を取り出す。墓地は更地にして返還
    する。
 (4)引越し先の墓地管理者に改葬許可証を提出し納骨する。
・ところが、いざお墓を移すとなると、墓相やお墓の吉凶にこだわる親族がいれば、「お
 墓を動かすと子孫が絶える」「墓石を壊すと親族に悪いことが起きる」などと、改葬
 に反対され、トラブルになることもある。
・またお墓を引っ越しする際には、墓石を撤去し、更地にして管理者に返還しなければな
 らない。新しいお墓を建てる場合、墓地によっては新しい墓石を建てることを条件にし
 ているところが少なくないうえ、古い墓石を運搬するよりもあたら行く墓石を建てたほ
 うが安い場合もあるため、古い墓石は処分されることが一般的だ。しかし大量の墓石を
 破砕するには手間と金がかかるため、古い墓石が全国のあちこちで不法投棄されるとい
 う問題が明るみに出ている。
・お墓の引越しではなく、先祖のお墓を処分したいと考える人もいる。先祖のお墓を継承
 する人がいない場合には、お墓を引越しても何の解決にもならない。先祖のお墓を片付
 けることを引越し(改葬)と区別して、「墓じまい」と呼ぶこともある。
・この場合、墓石の処分は引越しと同様、石材業者に依頼するが、墓石にハンチされた先
 祖の遺骨をどこへ移すかが問題となる。遺骨が必要なくても、死体遺棄罪に抵触する恐
 れがあるので、遺骨を捨てることはできない。したがって安置されていた遺骨は、海な
 どに散骨するか、共同日に納骨するかを選択する人が多いだろう。
・お墓は必要ないので散骨がいいと考える人は少なくない。2009年に実施した調査で
 は、自分が死んだら「遺骨を全部撒いてもらいたい」と考えている人が17%もいた。
 その理由は「お墓参りで家族に迷惑をかけたくない」「お金がかからない」といった意
 向が強い。   
・しかし、日本には散骨に関する規制だけでなく、撒き方関するルールさえもなく、撒く
 人のモラルに任されているのげ現状だ。2005年には、北海道の長沼町で、散骨を請
 け負う団体と近隣住民とのあいだにトラブルが起き、墓地以外に人骨を撒くことを禁止
 した。散骨を請け負った団体が、私有地ではあるものの、それとわかるような形状で散
 骨したことも、住民たちの感情を逆なでしたという。
・多様な価値観が認められる社会においては、人びとの生き方が自由であるのと同様、弔
 われ方は多様であっていい。しかし、お墓のあり方は、故人や関係者だけにかかわる問
 題ではない。その意味で、死者と生きている者が共存するには、地域住民の立場からも
 散骨のあり方を考える視点が必要だろう。
・東日本の火葬場では、遺族は遺骨をすべて持ち帰るが、西日本では、遺骨の一部しか持
 ち帰らず、ほとんどは火葬場に置いてくる。火葬場に置いていった遺骨は、産業廃棄物
 として業者が処分している。  
・法律では、火葬場から持ち帰った遺骨を「焼骨」といい、墓地以外に埋めてはいけない
 ことになっている。「自分が死んだらお墓はいらない」という人のなかには、そもそも
 火葬場から遺骨を持ち帰れなくてもいいと考える人もいる。遺骨すべてを産業廃棄物に
 してもらえば、お墓は必要ないのではないかという発想だ。もともと部分収骨の西日本
 では、遺骨を持ち帰らないというのが故人の意思で、また遺族も同意していることがわ
 かる文書があれば、遺骨をすべて置いていってもよいとする火葬場もある。ただし、業
 者が遺骨を処分してしまうので、遺族の気が変わって、遺骨を返してもらいたいと思っ
 ても、返すことはできない。
・一方、東日本の火葬場では、遺族が遺骨をすべて持ち帰ることを原則としているので、
 火葬場に置いていくことはできないところが多い。 
・墓埋法では、遺骨を墓地以外に埋蔵してはならないとしているが、遺骨を自宅で安置す
 ることには、何の問題もない。最愛の家族や子どもを亡くし、「暗いお墓に閉じ込める
 のはかわいそう」「そばに置いておきたい」という声をよく聞く。お墓に納骨しないと
 成仏しないかどうかといった宗教的な問題は、それぞれ個人の価値観によるところが大
 きいが、少なくとも法律的には、遺骨を自宅に安置することには何の問題もない。
・ちなみに、名古屋より西と東日本では骨壺の大きさが異なる。東日本では遺骨を全部拾
 うが、西日本では一部しか収骨しないので、西日本では骨壺は小さい。
・遺骨の一部を自宅に「手元供養」として安置している人もいる。手元供養には、遺骨を
 小さな容器やペンダントに入れるタイプと、遺骨をダイヤモンドやプレートなどに加工
 するタイプとがある。いずれも、遺骨をパウダー状に細かく粉砕する必要がある。
・骨あげと称して遺骨をかたちのまま骨壺に入れる習慣は、他の国ではない。諸外国では、
 火葬場に粉骨機が設置してあり、火葬が終わった遺骨はパウダー状にして遺族に返却さ
 れるのが一般的だ。日本には、粉骨機を設置している火葬場は東京と島根にしかない。   
・お墓には二つの役割はある。ひとつは、遺骨の収蔵場所としてのお墓である。この先、
 お墓を未来永劫、守っていく子孫がいるという確証は誰にもない。どんな人でも必ず死
 を迎えるのだから、家族や子孫の有無、お金の有無にかかわらず、みんな等しく遺骨の
 収蔵場所を確保できる仕組みを考えなければならない。たとえば、無援墓を出さないよ
 う、子孫がいる限り永代使用できるというお墓ではなく、使用期限を20年、30年な
 どと区切り、希望すれば使用期限を更新できるお墓を作ることも、ひとつの案だ。また
 血縁を超えて、みんなでお墓に入るという子々孫々での継承を前提としないお墓も有効
 だ。子々孫々での継承を前提としたお墓である限り、無援墓は今後、ますます加速度的
 に増えていくのは目に見えている。
・もうひとつのお墓の役割は、残された人が死者を偲ぶ装置であることだ。残された私た
 ちが追慕する相手はさまざまで、それは先祖であるとは限らない。血縁を超えた人たち
 で入る合同墓には、同じお墓に入る仲間が追慕するところもある。先にお墓に入った仲
 間をみんなで祭祀し、やがては自分自身もそうして祭祀されていくという確証は、死後
 の安心感につながるだろう。  
・残された人が死者を忘れない限り、お墓は無縁にはならない。しかし死亡年齢の高齢化
 で、死者が残された人たちの記憶にとどまる年数は早くなっている。高齢で亡くなれば、
 生前の故人と親しく交流し、死後も偲び、思い出す人たちがこの世に生存しているのは、
 せいぜい、2,30年間だろう。
・今後、誰からも弔われない死者が増えれば、遺骨を収蔵する場所があればそれでよく、
 残された人たちが死者を偲ぶ装置としてのお墓や不要になるであろう。お墓のゆくえは、お
 葬式と同様、生前の死者が誰とつながっていたかという、人と人のつながりによって大
 きく左右される。 

<ひとり死>時代で葬送はどこへ
・2000年以降、男性の長寿化が猛スピードで進み、夫に介護が必要なころには妻も年
 老いているため、かつてのように「妻が夫を介護する」という構図が崩れている。しか
 しこれからは、親世代の長寿化で、子どもも高齢化し、親の介護を担うことがむずかし
 い状況が生まれつつある。「老いては子に従え」ということわざがあるが、「老いたと
 きには従える子がいない」というのが現実となりつつある。
・そもそも家族とは、どんな集団なのだろうか。また家族とは誰なのだろうか。実は、家
 族の定義は、時代や社会によっても異なるうえ、人によっても異なる。同居している子
 どもは家族だが、別居していれば、子どもが家族だと考えるかどうかは意見がわかれる。
 ましてや、子どもが結婚して別の場所で所帯を持っていれば、子どもを家族だと思わな
 い人は少なくない。
・「家族はいっしょに住んでいる人」という観念に基づけば、ひとり暮らしをしていれば、
 家族はいないと考える人がいても不思議ではない。
・1970年代までは、「家族がいない」と回答する高齢者はほとんどいなかった。とこ
 ろが2015年には65歳以上の人がいる世帯の約26%はひとり暮らしをしており、
 少なくとも同居する家族がいないという状況にある。
・2014年に実施した「一人暮らし高齢者に関する意識調査」では、65歳以上のひと
 り暮らしをしている人のうち、介護を必要とするようになったら、主たる介護者を「子」
 に頼みたいと回答した人は約31%にとどまり、「ヘルパーなどの介護サービスの人」
 と答えた人が約52%と過半数を占めた。別居する子どもを頼りたくない、頼れないと
 考える人は少なくないことがわかる。
・子どものころは、きょうだいは確かに家族だったが、きょうだいそれぞれが結婚して家
 庭を持つと、「家族は誰か」「あなたは何人家族か」と問われたとき、きょうだいを思
 い浮かべる人は少ないだろう。そうなると、子どもがいない高齢者は、きょうだいが家
 族でなければ、別居する家族は誰もいないということになる。家族はどこまでの範囲を
 指すのかという定義ではなく、自分が家族だと思えば、それが家族なので、人によって
 違うのは当たり前だ。しかし、家族だと思う人の範囲が狭くなっているのは、関係性の
 希薄化が背景にあるのだろう。
・これから、一度も結婚していない人が続々と高齢者の仲間入りを始める。2015年で
 は、65歳から69歳で一度も結婚していない男性の割合は約9%もある。生涯未婚の
 高齢者には、介護や看護が必要になったら、頼る家族がいるのか、それは誰なのかとい
 う問題が出てくる。介護や看護はプロに頼むことはできても、亡くなったときに誰がお
 葬式をし、誰がお墓参りをするのかという問題もある。
・これまで亡くなっていった男性で、妻や子ども、孫がいないという人はごく少数だった。
 これからは、誰もまわりにいない高齢者が続々と亡くなっていく未知の社会が到来する。
・これからは「死んだときに、残された家族がいる」ことが当たり前ではない社会になる。
 「これまで」と「これから」は、大きく違うということを念頭において、人生の最後の
 迎え方を考えなければならない。
・台湾では、少子高齢化や長寿化、核家族化が猛スピードで進んでいる。その結果、家庭
 内介護の限界、高齢者の孤立など、新たな社会問題が露呈しはじめている。ここ数年、
 台北市、新北市、台中市、高雄市などの大都市では、お葬式を簡素化して、葬儀費用の
 負担を軽減したりするために、市の主催で複数人のお葬式が合同でおこなわれている。
・スウェーデンでは、税金のようなものが国民に課せられており、これがお葬式や納骨費
 用に充当される。自分のお葬式のために積み立てるのではなく、国民でみんなのお葬式
 にかかる費用を負担しようという趣旨のものだ。
・日本では、火葬だけですませるケースが都内では3割ちかくにのぼっているという。こ
 の背景には、死亡年齢の高齢化、ひとり暮らしの高齢者の増加、地域共同体の変容、親
 戚付き合いの狭小化など、さまざまな要因に伴う人間関係の希薄化がある。
・ひとり暮らし高齢者の生活保護受給者の増加は、弔われない死者の増加にもつながる。
 生活保護を受給している人は、生活を営むうえで必要な費用に対応して扶助が支給され
 ている。その種類には「生活扶助」「医療扶助」「住宅扶助」「教育扶助」「介護扶助」
 などがあり、「葬祭扶助」もある。
・「葬祭扶助」は、次の場合申請できる。
 @子、父母、祖父母、孫などが亡くなり、葬儀を執り行う人(扶養義務者)が生活保護
  者で、生活に困窮していて葬儀がおこなえない場合
 A生活保護の受給者自身が亡くなった場合で、遺体を引き取る親族がおらず家主や民生
  委員などが葬儀をおこなった場合  
 とはいえ葬祭扶助で支給される金額は自治体によって異なり、最大でも大人で20万6
 千円以内、子どもは16万4千8百円以内と定められている。
 なお、生活保護を受給している人が亡くなれば、その人のお葬式費用は生活保護の扶助
 対象ではないのだが、民生委員など他人がお葬式を出すとして申請すれば、葬祭扶助の
 対象となる。
・「葬祭扶助」でまかなえるのは遺体をひつぎに納め、火葬するだけの費用で、読経をし
 てもらったり、祭壇に花を供えたりする費用は出ない。
・昨今、高齢の生活保護受給者が増えていることから、この葬祭扶助費は多くの自治体で
 増加傾向にある。
 ・東京都区部では2014年度は2000年度の2.3倍 
 ・千葉市では       〃        4.5倍
 ・仙台市         〃        4.2倍
 ・広島市         〃        3.5倍
 ・横浜市・名古屋市    〃        3.0倍
 この15年間における葬祭扶助費は多くの自治体で急増している。
・通常、ひとり暮らしの生活保護受給者が亡くなると、福祉事務所が親族に連絡を取る。
 親族がお葬式をする場合には、その費用はすべて親族の負担となる。つまり葬祭扶助費
 の支給が多くの自治体で増加しているということは、親族がお葬式を出すことを拒否し
 たか、親族自身もお葬式代を負担できる経済的な余裕がなかったケースが増加している
 ことを意味する。 
・もちろん、葬祭扶助費で荼毘に付すといっても、親族や友人が納棺に立ち会ったり、火
 葬場で遺骨を拾ったりすることはまったく問題がない。しかし実際には、故人の縁者が
 誰も最後のお別れに来ないまま、火葬されることが多い。こうした遺体はたいがい、朝
 一番に火葬場に搬送され、遺骨は火葬場の職員が骨壺に収める。
・こうした無縁死を減らすため、横須賀市では2015年7月からエンディング・プラン・
 サポート事業を開始した。対象は、預貯金が225万円以下、固定資産評価額が5百万
 円以下、年金などの月収が18万円以下のひとり暮らしの高齢者だ。市役所の職員が葬
 儀、墓、死亡届出人、リビンウェル(生前の意思)についての意思を本人から事前に聞
 き取り、書面に残して保管しておき、同時に葬儀社と生前契約を結ぶという仕組みだ。
 葬儀と納骨にかかる費用は、市役所と提携する葬儀社やお寺などと相談のうえ、総額で
 25万円から30万円までにおさめ、利用者が葬儀社に先払いする。市の職員は契約時
 に立ち会うほか、高齢者がなくなったときは、本人の希望通りおこなわれたかをチェッ
 クする。
・2016年には神奈川県大和市でも「葬儀生前契約支援事業」を開始した。頼る人がい
 ないひとり暮らしの人や高齢の夫婦のみの世帯が対象で、ひとり暮らしの場合は月収が
 16万円以下、預貯金が百万円以下、所有する不動産がないなどの条件がある。
・2017年7月には千葉市でも同様の制度を開始した。
・遺骨が引き取られないケースは、ひとり暮らしやで収入や資産が少ない人だけでなく、
 行旅死亡人のほか、身元がわかっている場合でもある。大阪市は、火葬後、身元がわか
 っても引き取られない遺骨は火葬場で1年間安置した後、市営霊園の無縁堂に移してい
 る。
・昨今、男性の寿命が伸び、妻と死別する男性が増えている。しかし妻と死別し、ひとり
 暮らしになった男性は、外出したり、誰かと会話をしたりする機会が激減することが少
 なくない。
・精神的にも社会的にも孤立していれば、突然亡くなった場合に遺体の発見が遅れる、弔
 う人がいない、遺骨の引き取り手がいないという状況に陥っても不思議ではない。お金
 がない、頼れる家族がいない、社会とつながりがないという”三重苦”を抱える人たち
 の増加で、これからますます、「悲しむ人がいない死」が増えていく。本人がそれを望
 んだのならともかく、社会とつながりを持ちたくでもできない人たちがいるのであれば、
 どんな人も無縁死させないために、社会が何らかの支援をする必要があるのではないだ
 ろうか。
・弔いの無縁化だけではなく、死者祭祀を子々孫々で継承する仕組みも危うくなっており、
 無縁墓の増加がますます社会問題化している。無縁墓とは、相当期間にわたってお参り
 された形跡がなく、承継する人がいなくなったお墓をさす。
・もはや血縁、親族ネットワークだけでは、老い、病、死を永続的に支え続けることは不
 可能なところまで、社会は変容している。住み慣れた地域で、みんなが安心して生活す
 るには、住民で助け合える共助の精神が土台にあることが前提だが、血縁、地縁に限ら
 ず、人間関係は一朝一夕にはできない。
・ここ数年、近所の公園を利用して、高齢者を対象とした無料の公園体操教室を定期的に
 開催する自治体が増えている。自宅近くの公園で、みんなで体を動かせば、楽しく運動
 を続けられるだけでなく、体操が終わった後、参加者といっしょにお茶を飲んだり、公
 園でおしゃべりをしたりするのも、ひとり暮らしの高齢者にとっては、外出の楽しみに
 つながるかもしれない。 
  
誰に死後を託すのか
・なぜ、多くの人はぽっくり死にたいと考えるのだろうか。「もし自分で死に方を決めら
 れるとしたら、あなたはどちらが理想と思いますか」とたずねた質問で、7割以上が
 「ある日、心臓病などで突然死ぬ」と回答したが、その理由がとても興味深い。「病気
 などで徐々に弱って死ぬ」と回答した人は、「死の心づもりをしたいから」と回答した
 人が約77%と圧倒的に多いのに対し、ぽっくり死にたい人では、「家族に迷惑をかけ
 たくないから」が8割を超える。ぽっくり死にたい人は、長患いへの家族への気兼ねが
 大きな理由であるのに対し、病気で少しずつ弱って死ぬほうがいいと考える人は、自分
 の人生をきちんと締めくくりたいという思いがある。
・しかし、長患いをしたり、寝たきりになったりしないよう、適度な運動をし、健康的な
 食生活をしたとしても、どんな人も死を避けることはできない。しかも、何が原因で死
 ぬかは誰もわからない。そうであれば、どんな死であっても、死の瞬間までどう生き
 たかが問われるべきだろう。 
・理想の死とは、家族に囲まれて息を引き取ることだろうか。ベッドに寝たきりになって
 も、趣味などをして、好きなことをして過ごせることだろうか。できるだけ最期まで、
 家族と自宅で過ごし、日常生活を送ることだろうか。
・ところが問題は、どんな死に方をしても、自分では死を完結できないということだ。長
 患いをして家族に迷惑をかけたくない、闘病で苦しみたくないという理由でぽっくり死
 にたいと願い、仮にその通りになったとしても、亡くなったことをまわりの人や役所に
 知らせ、遺体を葬る作業は、誰かに任せなければならない。それは、どんな亡くなり方
 をしても変わらない。
・元気なうちにお葬式について考えておきたいという風潮は、お葬式の簡素化に拍車をか
 ける。なぜなら、自分のお葬式は盛大にしてほしい、ありったけのお金をつぎ込んでほ
 しいと考える人はほとんどいないからだ。たいがいの人は、家族と親しい友人だけで自
 分のお葬式をしてほしいと考えている。
・お墓も同様だ。自分が死んだら立派なお墓を建ててもらいたいと考える人は、少ないは
 ずだ。かつては立派な大きな墓石を立てる人は多かったが、それは死んだ本人の生前の
 意思ではなく、残された家族の意思であっただろう。
・多くの人たちが、死んだらお葬式をどうするか、お墓はどうするかを考えるようになっ
 たのは、ここ20年ほどの傾向だ。1990年代後半から、元気なうちに「わたしの死」
 について考える風潮が出てきたのである。
・「わたしの死」は、医療のかかり方や、お葬式やお墓の選択肢が増え、自分の希望通り
 に人生をまっとうしたいと考える人たちが出てきたことによって芽生えた概念だ。同時
 に、家族のあり方や医療サービスなどの多様化、生活意識の変容などによって「わたし
 の死」について考えておかねばならない時代になったという見方もできる。これまで他
 人の死を支えてきた社会や家族の姿が変容した昨今、自分のことは自分で考えておかね
 ばならないという必然性から芽生えた意識でもある。
・いったい死とは、自分自身の問題なのだろうか。それとも残された人の問題なのだろう
 か。死ぬのは本人だが、残される人にとっても、大切な人の死は人生の一大事だ。
・大切な人を亡くした場合には、悲しみや喪失感、孤独感など、さまざまな思いが湧き起
 こる。大切な人の死は、残された人にとって、その人を失ったという事実だけでなく、
 その人との双方向の関係もなくなったという二重の喪失を意味する。
・亡くなった大切な人に対しては、「わたしを見守ってくれている」「わたしの心の中に
 生きている」といった感覚を持つ人は多いだろう。その意味では、大切な人が亡くなっ
 ても、関係性は失われないといえるかもしれない。
・自分があとどのくらいで死ぬということはわかったとしても、「自分は死んだんだ」と
 いうことがわかる人はいない。仮にわかったとしても、本人は亡くなっているので、ど
 うやって死の瞬間がわかるのか、死ぬ瞬間はどんな感覚なのかを当事者から教えてもら
 えない。結局、「わたしの死」については、まわりの人の死をみて、自分もいつかこう
 やって死んでいくのだなあと学ぶぐらいしかできないのである。
・自分が死ぬのと、大切な人に死なれるとでは、どちらが怖いだろうか。2006年に行
 った調査では、老若男女問わず、大切な人の死のほうが怖いという結果が出ている。
・自分が死んだら無になると考えている人でも、大切な人が亡くなって無になったとはあ
 まり思わないはずだ。「自分の心の中で生きている」「私を見守ってくれている」とい
 った感覚は、大切な人は無になってはいない証である。こうした、一見矛盾した意識は、
 「自分のお葬式は不要だけれど、大切な人が亡くなったときにはお葬式をする」「わた
 しはお墓はいらないけれど、大切な人のお墓参りはする」といった行動にもあらわれて
 いる。
・ライフスタイルの変容で、亡くなった人の偲び方が変わった。たとえば、仏壇を置かな
 い家や仏間のない家が増えた。かつては、仏間の鴨居にご先祖さまたちの写真を飾って
 いたが、こうした光景も過去のものとなりつつある。仏壇の前に朝夕座り、手を合わせ
 る行為は、死者と対峙する大切な時間であるし、死者の写真に囲まれて生活することで、
 残された人たちは、亡くなった人が見守ってくれているという実感を得られたのだろう。
・配偶者と死別し、ひとり暮らしになったシニアは、「かわいそう」「さびしい」と世間
 からみられがちだ。しかし夫婦が同時になくならない限り、どんな夫婦もどちらかが
 「ぼついち」(配偶者と死別した人)になるにもかかわらず、配偶者の死別をひとごと
 のようにとらえる人が案外多いことにも疑問があった。
・この世に生を享けた以上、死は宿命であると言われるが、そもそも、死とは何なのか。
 死には四つの観点がある。
 @生物的な死
 A法的な死
 B文化的な死
 C社会的な死
・生物的には、死は生活機能が停止した状態を言う。
 ・心臓が停止する
 ・呼吸が停止する
 ・瞳孔が開く
・しかし、法的に死んだとされる瞬間は、必ずしも生物的な死と同じではない。
 日本では1997年の臓器移植法成立を機に、法的な死にダブル・スタンダードが生ま
 れた。脳死での臓器提供を前提とする場合には「脳死が死」、提供しない場合には「心
 臓停止が死」となった。  
・日本には、生物的、法的には死亡しても、水やご飯を供えたり、寝ずの番をしたり、話
 しかけるなど、火葬して遺骨になるまでは、生きているかのように死者を扱う風習があ
 る。これは、アジア各国の共通した感覚だ。遺骨になった後も、仏壇や遺影、お墓に故
 人の好物を供えたり、話しかけたりする人はたくさんいる。文化的には、日本では人は
 死なないともいえる。
・生前の故人のことをたまに思い出してくれる友人や家族がいる限り、社会的には死んで
 いない、と考えることもできるだろう。歴史上の人物や文豪などは、偉業が後世にまで
 語り継がれるので、社会的には不死身だと解釈できるかもしれない。
・老い、病、死へと向かっていくなかで自立できなくあったときには、どんな人も他人の
 手を借りなければ、生きることはできない。お葬式やお墓も同様だ。かつては家族、親
 族、地域の人たちが総出でお葬式を手伝ったが、近所付き合いをしたくない、親戚付き
 合いは面倒だという風潮が出てきた。しかし、いまや家族だけではお葬式ができないの
 で、葬儀社に一切合財をお願いすることになる。外部サービスに頼れば、当然、金銭的
 な負担はかかる。自立できなくなっているのに、家族に負担はかけられず、お金もかけ
 ないということは、理想ではあるかもしれないが、現実的ではない。
・昨今の現象は、死者とのつながりがないからこそのお葬式やお墓の無形化であって、こ
 れは、社会における人と人とのつながりが希薄化していることのあらわれでもある。そ
 う考えると、お葬式やお墓の無形化は、信頼し合い、おたがいさまの共助の意識を持て
 る人間関係が築けないかぎり、ますます進んでいくだろう。
・お葬式やお墓は不要と考えるのではなく、託せる人を探し、信頼関係を築いておくこと
 こそが、元気なうちに私たちにできる自助努力であり、生前準備なのではないだろうか。