人目を気にしなければ人生はうまくいく :本多信一

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人は、大きく分けると、外向型気質の人と内向型気質の人に分かれるという。この気質は
もって生まれた要素が大きく、自分で変えようと思っても、簡単には変えることはできな
いのではないかと思う。そして現代社会のように、常に競争にさらされる社会においては、
この内向型気質の人は、いろいろな面で損をしてしまう場面が多いのではと思える。周囲
からも「もっと外向型になれ!」などと指摘を受けたりするが、だからと言って、それで
はと簡単に外向型気質になれるわけではなく、本人はますます悩みを抱え込んでしまうこ
とになる。
この本は、そんな内向型気質の人に勇気を与える内容となっている。著者自身も内向型気
質であり、過去にはいろいろ悩んだようだ。そんな著者が、同じ内向型気質の人の生き方
を指南している。自分の内向型気質に悩んでいる人や、心が疲れている人にはには、ぜひ
読んでもらいたい本である。

はじめに
・人は十人十色、百人百様、千差万別の存在で、個性があり、それぞれ違う考え方、志向
 をもつ。それを十二分に発揮して生きることこそ人生の痛快事である。
・内向型男女の多くは、繊細ではにかみが深く、過敏、小心だ。人を無遠慮に見ることを
 避け、人から露骨に見られることを嫌う。それは好ましい個性なのだが、この世間にあ
 ってはしばしば欠点として蔑まれる。
・人生って、「自分の生きる期間」なんです。それなら自分らしく生きることが至上のテ
 ーマです。人の目、世間の目を気にせず、あなたらしい人生に挑戦しましょう。

「よく見られたい」欲を薄めよう
・人として最高の心とはなにか。それは無心無我つまり、「自分を勘定に入れぬ心」なの
 ではないか。「己れの成功にばかりこだわるから、人はますます小器へと自分を誘う。
 自分の栄達は捨て、もっと他者や社会に身を捧げる人となれば、その人は必ず生きられ
 るはず。」
・人は無人島に独りでいるおりには、別に小心も中心も大心もないだろう。人とのかかわ
 り、集団の中の己れといった世間的状況下にあって、はじめて自己評価が形成されてく
 るものだ。
・己れの成功を断念し、他のためにわが身を捧げんとした人は最も強い。
・本当のところ人間存在には上も下もないわけで、会社における上司の評価、学生におけ
 る成績、同級生間の評定などは、実は生活の一面に過ぎず、すべてではないのだ。私た
 ちは他者に首根っこをつかまえられてウロウロしてしまうが、肝心なのは「自分は自分
 の主人公!」とみることではないか。
・人間はすべて、一人ひとりが主人公なのである。
・内向型人間は自他の不幸にものすごく弱い。自分が不幸になるのも苦しいが、他人の不
 幸を見るのも実につらい。しかも内向型男女は感性が敏感だから、人の目を見た瞬間そ
 の人の内面がヒタヒタと伝わってくる。
・人は、自分の迷妄や苦悩を必然と考えて苦が苦にならなくなり、お金や名誉、他人から
 の高い評価を求めなくなると、他人の視線にはたじろがなくなる。
・人は誰しも老いて死ぬことを恐れるが、私は恐れない。この世のすべての人は必ず老い、
 必ず死ぬ。例外はない以上、それは冬に雪が降り、春に桜が咲くのと同じことではない
 か。
・他人や世間、現代的なものに迎合することなく、己れを生き、真に関心があることだけ
 をして残りの短い人生を生きよう。
・人の嘲りの視線につき動かされて、現代風の在り方に走るのも、若いうちはやむを得な
 い面がある。しかし、人目を気にするあまり流行を追い、それに飽きたお仲間たちよ、
 時には違う発想をしてみようではないか。たとえば古風なものに普遍性を見るなら、そ
 ちらの道を歩いてみよう。そうすることで、他人の視線に右往左往させられない心を育
 てることができるかもしれないから。
・人はその存在を「世に知られたい、知らせたい」と思うものだが、世に知られたら最後、
 世間からさまざまな形で利用されて、その人生は短命に終わる。人生はたっぷりと自分
 の時間をもち、ゆったりと生きることが真の目的なのであるから、それを妨げるような
 「才能の喧伝、秀才・才媛という評判」はやめたほうがいい。
・人目を気にしすぎる病状は、はじめのうちは自分の外見や肉体などの中の、こだわりを
 もつ一部分から始まる。だから仮にそれが修正可能なら、早い時期に修正すれば煩悶は
 かなり沈静化するに違いない。
・人は、ものごころがつくあたりから「他人と自分」とを比べて大いに悩むようになるが、
 他人の中に頭のよい子、顔の美しい子、背の高い子、運動能力の高い子など天与の条件
 に恵まれた子を見、自分と比べて、そのあまりの違い、不平等を知ると、「瞋りを発す
 る」ことになるのだ。私たちの劣等感は、他人を見、自他の比較により自分の中の劣れ
 る部分を発見することから生じることが多い。
・どうも私たちが「目で見る」ことは、自他の差を見せつけられることで苦悩を生ずる原
 因になることが多いようだ。その苦しみが劣等感を生み、それが視線恐怖に連なる場合
 もしばしばである。「ありのままを見よ、見せよ」とよくいうが、それは実に難しいこ
 とだと思う。
・「ヒトという存在に生まれた身の本当の目的はなにか」と考えて見ると、それは安心を
 得ること、悟ることといっていい。その安心とか悟りとかには、まず、「先立つ苦悩」
 がなければ決してたどりつけない。煩悩があることによって人は悟れるわけだ。
・他人と自分の比較にとって苦悩が始まったということは、それによってやがては悟りへ
 たどりつけるということ。苦しんだ者だけが救われるのだ。よい条件が与えられてスイ
 スイと世渡りして悩みがない人生は、その場その場ではよくっても、悟りには無縁とい
 うことになる。 
・一つひとつの悩みは常がなくてやがて卒業するが、また新たな悩みが生まれて、あなた
 は苦しくなる。だから生きることは苦、と考えてしまいなさい。苦を受け入れることが、
 いつの日かあなたを安心させるのだから。
・この世は外向型気質の人々が多くの方面で支配していて、「外向型人間ルール」が横行
 しているわけであるが、それに動かされる必要はさらさらない。天から外向型気質を与
 えられた男女は「みんなでワイワイ派」であるから、集団や組織に入って積極的に上を
 めざすことはごく自然だ。天与の内向型人間のタイプの人は真善美の暮らしを求め、知
 名度は要らない。
・私たちは外向型人間ルールに従うことなく、内向型基準に居直って生きたらそれでよい
 のではないか。どう努力しても視線恐怖のままなら、「それが私です!」と居直って生
 きたらよいのである。
・「なんでも前向き、プラス思考で行くべし」も外向型発想だ。しかし、外向型人間が右
 肩上がりのプラスばかりを考えたからこそ、その方たちがリーダーシップをとる分野は
 バブル破綻期のような惨憺たるありさまとなり、日本経済は奈落の底へ落ちたのではな
 いか。
・内向型人間は「ひとりコツコツ派」であり、会社やお役所で働いていてもあまり目立つ
 ことはないし、出世を急がない。人が見ていようと見てなかろうと、己れの仕事を淡々
 と完了するタイプ。そして内向型男女は、世間の外向型の求める権力支配の座に進むこ
 とは気が乗らない。むしろ真善美の探求に腰を据えて生きる。
・この世のいっさいのモノは外向型人間の率いる会社で生産される。だが、心の方面、精
 神方面は内向型男女が主に担当する。
・これか仕事についたり結婚したりする人たちは、前途に恐怖や不安感を抱く。登ってみ
 ればたいしたことはないのだけれど、内気な人々ならいわゆる事前不安が相当にあるに
 違いない。内向型気質の方々は事前恐怖感がとても強い。「失敗したら他人お目が冷た
 くなるのでは?」なんて視線恐怖と事前不安が合体して身がすくんでしまうこともある。
 だから、歩き出せば人生は簡単ということを見抜いていただきたいと願うのだ。

「見返す」必要がありますか
・自己喪失感に包まれ、世間の目を恐れるようになると、たいていの内向型人間は一流志
 向となっていく。 
・難関大学を出て一流企業や一流資格職業につき、立派な配偶者と高級マンションに住む
 ようになったあとで、「生きている実感がなくて・・・」と相談にこられる例が数多く
 ある。「世間から容認されなくては、他人を見返さなくては」と不安を覚え、大いに努
 力して世間賞賛コースへ入ったことは、どこかで自分を捨てているわけで、内なる空し
 さを抱えるのは当然なのだ。
・中には自己喪失感から仕事を辞めたり家を出たりして新しい人生を始める人もいる。そ
 うした人生を選ぶことは父母や配偶者を嘆かせるが、そうしなくては「発見した自己」
 が死んでしまう以上、やむを得ないだろう。大病を得て日常生活が破れ、病床でじっく
 りと考える機会が得た方たち、人生を回顧しているうちに急性のノイローゼとなって休
 職したという人に多い。
・人目を気にするあまり世間志向に陥っている人々は、人目を気にせずになにかをやる日
 がくるのもまた人生の必然と心にとめてほしい。
・日本の近代社会は、男性陣に「身を立て、名をあげ、大物たれ!」とずっと要求してき
 た。だけど、立身出世欲のない人には、それは無理難題と映ったに違いない。古今東西、
 世の中には一定数の「なんとか人の上に立ちたくない人々」がいる。心静かに暮らせた
 らそれでいい、という「静かなる男」たちだ。
・現代も競争社会には違いない。家族があれば働かねばならぬし、単身者でも現代はなか
 なか物入りで、「黒染めの衣ひとつ」でひっそり閑とは生きられない。しかし、心まで
 あくせくしないことが大切だ。目には目、力には力の論理に流されず、「静かに我が道
 を・・・」の心を守ってほしいと思う。
・肝心なことは「人生の真理は無常と悟る」ことであって、人からどう見られているかな
 んてことではないと知ろう。
・人の目を気にするのは内向型気質からもたらされる「心のクセ」ゆえ、病気扱いする必
 要はない。
・「百パーセントの絶対信頼関係を!」といって完全主義に陥ってはならない。好意と批
 判心が半分ずつぐらい、というのが私たちの付き合う平均的人間像と見ておくほうがい
 い。好意や批判ばかりが見えるのは、こちらに問題があると思ってみよう。
・元気で明朗、しかし単純で鈍感という方々に比べ、私たちのタイプは危機管理能力やコ
 ンサルタント能力、表現力が強く、相当の人材になりえる。内向型の私たちには、ネア
 カの方たちには決して見えぬものが見える。これはハンデの面とプラスの面とが混在せ
 る性向ゆえ、プラスの面を伸ばすよう努めるべきだ。
・人はいわば必然的に悪の芽を宿す。犯罪に結びつかなくとも、悪人であることには変わ
 りない。どんな人でも静かに過去の自分の行いと言葉を思い点検すれば、「自分もまた
 悪人でした」と気づくのではないか。
・悪人という自覚をもったら、自分に投げつけられる「冷たいまなざし」は当然のことだ
 し、「罰の甘受」として堂々と受け入れようではないか。過去に悪事をなした人で、今
 は他人や世間に悪事をしていない人でも、過去の悪行に対する時間差攻撃をされている
 と考え、淡々と他者の刺すような目を受け入れたらいい。私たちは全員が善人になりた
 いと願うけど、実は全員がどこかに悪人性を持って世間を生きることになる。こんな悲
 しみはない。
・日本人も昔は、おりにふれ神仏に祈っていたものだが、現代人こそ本当は「祈りへの回
 帰」をしたほうがよいのではないか。救いとは悪人が善人になることではなく、悪人の
 ままに救われることを祈るところに本質がある。
・この社会というものは、実に残酷かつ非情のものだ。人を格付けする世間構造の下では、
 まったくくだらないことに、金持ちより貧乏人は低く見られる。学歴社会の下では、一
 般大学出身者や高卒、高校中退、中学の方々は低く格付けされる。若く美しい乳房の大
 きい女性が高く評価される社会では、老いた女性や美しさに欠けた女性方は低く評価さ
 れてしまう。低き評価される側に属していると、自分を見る他人の目の中に、時に軽蔑
 や軽視のニュアンスが走るように思う。それが、内気で過剰に人目を気にする人々にと
 っては自分の否定と映るために、生きる日々がとてもつらいものとなる。
・そぼ降る雨の中を濡れねずみの犬が頭をもたげてスタスタと歩く。そんな在り方こそが
 自分の本来の姿と昔も今も思っている。金持ちにもなりたくないし、有名人や知識人に
 なろうと願ったこともない。なぜなら地上の大部分の人々は貧しく、また無名であるか
 らだ。この「己れの本来の姿に回帰する」在り方は、私にはまことに心安らぐものとい
 える。 
・人生とは自分の生きる時間のことだから、自分らしく生きることが絶対に正しい。

それでも不安がわだかまったら
・現代人は自分のことで精いっぱいで、人のことを深く考える余裕はない。だから、目が
 こっちを向いていても、別に鋭く人間性を分析して、そのあげく「ヘンな奴だ!」と決
 めつけたりする人はいない。
・自分がこの世の王様ならみんなしげしげと眺めるだろうが、私たちは一市民、一学生、
 一勤め人、一フリーター。悲しいほど、誰も注目していないのが実相なのだ。
・私は物心ついてからずっと(生きることって、悲しい・・・)と悩み続けてきた。だけ
 で仏教の「菩薩」を知ってよりは、少しずつ少しずつ、人生はどう生きようと苦しいよ
 うにできているのだとわかってきた。
・どんな人生へ進もうと、結局は「人生は苦」と悟る日がある。それならいっそ、早いう
 ちから、その真実在をわかってしまったほうがいいのではないか。
・実社会で成功することも大切だが、「生の実相」を知ることはもっと大切なのではない
 か。そう、「人生は苦なり」は実相なのだ。その考え方を受け入れ、苦しみつつも生き
 抜いていく。そうすればいつか必ず「苦が苦にならぬ日」が訪れてくるのだから。
・むろん私の人生にもたまには楽しいこともある。が、「人生の基本ラインは苦。楽しいこ
 とは点在するのみ」とわかっているから、楽しいことにも固執しないでいられる。
・キミの目で見る世界がすべてではないんです。自分の心に世の中を否定したい思いがあ
 ると、世界は汚れて見えます。自分の心に他者への否定があると、他人は嫌な態度を見
 せましょう。キミの目で見る世界はキミの心のあらわれ。ですから、自分自身の心を磨
 いて「対立観」を卒業する努力をしてください。
・人が人を嫌うのは、自己保身のせいでもある。私たちは自分を常に安全な状態において
 不安感を忘れたいと願う。すなわちすべての人々から好かれたいし、一人からでも嫌わ
 れたくない。それゆえ、こちらを少しでも否定する人、目に批判心を浮かべる人に会う
 と動揺し、相手の「否定の目」を見続けられなくなる。この自己保身のエゴが視線恐怖
 の一原因にもなるわけだ。
・むろん、嫌いな人をムリして好く必要なない。ただ「どこかの父母の愛する子であるナ」
 と考えてその存在を否定しないようにしてほしいのである。あなたも他人も、人はすべ
 て自分の身の安全を守りたい存在ゆえ、その想いから「不都合な他人」を否定してしま
 うのだ。こちらに力がなければ軽蔑し、力があればライバル視する。それぐらい単純な
 存在だ。
・ものごころついて以来、私たちの心には優劣、衆愚、貧富といった対立観が植え付けら
 れ、そこから「貧しい自分」「美しくない自分」「愚かな自分」といった見方が定まる
 と、それが劣等感へと育つ。あらゆる悩みの底にはこの対立観があるものだ。
・この地上の生きる人々の大部分は、なんらかのコンプレックスを抱えて生きる。とすれ
 ばそれは別に隠すべきものではなく、堂々と人目にさらしたほうがいいのかもしれない。
 だが、自分の生の状況がギリギリとなっていて、断崖に指一本でつかまっている今は、
 コンプレックスの告白や開示は危険、そちらはもうしばらく時を待ち、気力や体力を回
 復してからにしたほうがよさそうだ。
・日本人という民族は島国育ちゆえに、どちらかといえば、「内向型民族」と思える。
・日本人の多くは、玲愛時のプロポーズ、商談のおりのエンディングといった「決め時」
 以外は、お互いにあまり目を見合ったりしない。それが普通だと思う。なんとなく「伏
 せ目」がちに生きる「民族性」というものがあるようだ。 
・私たち小心者は他者から批判や否定を恐れて、ビクビクハラハラしつつ生きる。セクハ
 ラはできないが、「ビクハラ」のほうは任しとき、というタイプだ。それゆえにどうし
 ても世間の目、他人の目を過剰に気にしてしまう。だけど、本当はアッサリと「生まれ
 つきの気質なんですから、しかたないでしょ」と居直ってしまうべきである。それに、
 このタイプは失敗を怖れて励む結果、あまり平穏コースを踏み外さないし、道徳や法律
 を破る大胆さがないため、比較的無事な人生をすごせる利点があるのだから。
・人の目を常に意識してしまう過敏な人々は、温かい愛情あふれる目線をたくさん受けた
 人ではなく、競争社会の中で他者からの否定や嫉妬の視線、いじめや差別のまなざしを
 受け続けたためにそうなった面があるのではないか。 

自分がラクな人と生きればいい
・私たち理想化肌の完全主義者であり、純粋かつ小心。だから「自分のよしと思う光景を
 ずっと見ていたい、自分をよしとしてくれる人、自分やよしと思える方の目をじっとみ
 ていたい」という欲求が人一倍強い。しかし現実に出会うのは、自分を否定し、批判し、
 嘲笑する目ばかり。それはしかたのないことだ。自意識が育ち始めて以降、人間は「オ
 レが、アタシが」という自分本位の存在へと進む存在である。それが厳しく見れば、自
 分を超える存在には敵意をもち、自分より下と見た人々は軽視するという姿勢を生むか
 ら。
・この、「生き馬の目を抜く」過酷な競争世界では、ヒトの目なんて簡単に抜かれてしま
 うと知り、人が互いに尊敬し共生し合う世界は桃源郷が天国しかないとわかると、さす
 がの私たちも、これは自分の側になんらかの原因があるというより、世の中の競争の仕
 組みのせいだと理解できる。
・私たちの最大の願望はいつだって「安心して生きたい!」ということである。しかし、
 実人生には不安が多い。日本人は一億総不安神経症なのではないかと思えるほどだ。不
 安に囲まれ、追われ、打ちすえられる日々を送っているため、安心を求めて生きる在り
 方をいつしか見失っているのが現代の私たちではあるまいか。
・タフで前向きな積極人間は自力派でよいが、自分の弱さを自覚した人々なら、折に触れ
 合掌して祈ったほうがよいと思う。祈ることは一瞬の救いでしかないにしても、続けて
 いるうちに効果が出てくるものだから。
・人間は生涯のどこかで「死の影」の克服を体験しなくてはならない。それが病気であれ
 事故であれ、スポーツであれ、命ギリギリの刻をもつことで人として成長するのだろう。

過剰にたたかわない仕事術
・男性が自信を培う場合、仕事で実績を得ることがある程度必要なのだとわかった。それ
 も会社のメンバーということではなく、裸の自己、一個の人間としての身に社会的実績
 が加わることが効果的のようだ。女性の場合、「女は結婚」という世間意識が今もかな
 り残存している。だから女性は仕事の実力が世間に認められても、なんとかく「自分は
 これでいいのか・・・」という思いが残るから気の毒だ。
・人間は、とにかく生きてゆくことが仕事、とみて、あまり世間的な格好よさを追求した
 職業選択をしないほうがいい。人がいっぱいの都会より、地方の静かな町に住むことが
 いいい場合もある。その逆に、地方都市の密度の濃い人間関係が嫌いで都会に出てくる
 人々もいる。
・自営業は収入上の不便を代償として、集団内の上下関係に伴う苦痛から解放される喜び
 を味わえる世界ということだ。上司の目も同僚、後輩の視線もなくて実にどうもすごし
 よい。
・人目を気にする傾向は、「内向型の気質の生む心情」である。その心情が、上司という
 評価者がいる競争世界で失敗したり低評価を受けたりすると色濃くなり、時として固定
 化してしまうわけ。あるいは組織という人間関係の濃密な世界でなんらかの噂になるよ
 うなことをしてしまうと、その心情ゆえにみずからを苦しくさせることにもなる。人は
 自分の生活のため、家族のために働いているわけだから、いかに人目が気になって苦し
 くとも、なんとかお勤めを続けたほうが本当は安全だ。しかしどうしてもサラリーマン
 人生がだめなら、今すぐでなくても、いずれの日にか自営業、自由業へ進むことを考え
 てもよいのではないか。
・どんな人の内心にも、「自己実現の期待」は必ずある。自己実現とは多くの場合、世間
 の中での自分の位置づけをはっきりさせたいということではなかろうか。むろん自己実
 現を「安心を得る」とか「悟りを得る」ことを考える人もあろう。確かに自己実現の究
 極の目的は、それによって安心し、悟達した人のようにラクに生きることかもしれない。
 しかし、私たちが安心ないし悟りを得て、どこに生きるのかといえば、人里離れた深山
 よりも、ふつうは世間の下ではなかろうか。
・自分を包む周囲や世の中が嫌になって旅に出たとする。しかしそちこちを歩き回って一
 時的に「無所属者」に気楽な時間をもっても、やがては再び、ほんの少しでも自分を迎
 え入れてくれる世間へと回帰することを望むようになる。
・世間の下での自分の在り方、生き方の形をはっきりさせる、ことが必要になってくる。
 それに全身全霊でぶつかっていくことが自己実現の最良の道と思う。苦しくとも世間を
 逃げず、その中で自分の位置取りを築くことだ。その形は、会社員、公務員だけではな
 いはずだ。画家でも資格職業人でも職人でも古道具屋でも豆腐屋さん、ケーキ屋さん、
 ラーメン屋さん、どんな職業でもいい、自分の合っていて関心がある道なら、どの道で
 あろうと自己実現の対象となる。世間の中で自分の生きる場所を築くことは永遠のテー
 マであり、世間から逃げることには一時的なテーマといえる。一時的に旅や引きこもり
 という思索タイムをもつのもよい。だけど、やがては世間の場へ戻り、その中で自分の
 位置づけをはっきりさせることを忘れないでほしい。
・私たちが、人生途上でうまくいかぬ状況が積み重なる一時期、世間からの逃避を考える
 のは正当防衛みたいなもので、わが身わが心を守るためには当然なのだ。
・もし、その人が会社、役所、学校という組織の下でうまくいかず、ノイローゼ気味とな
 ったとしても、別に心配はいらない。かぜならそうした男女はたいてい、内向型の非組
 織人間というジャンルに属する人々なのだから、集団や組織の外で生きたらいいわけ。
 考える必要はない。たとえばひとりコツコツ型の資格職業人となれば、その人はその知
 識で世間と結ばれ、手に職をつけた職人となれば、その人はその腕前で小さなお店の主
 人となれば、その人はその商品で、それぞれ世間とつながることになる。

「注視の場」に立たされた時の対処法
・だいたい、社会人になるということは、渡された脚本を演ずること。すなわちお芝居に
 参加することなのである。会社とか役所なんて、昔はまったくなかったわけで、すべて
 は人為的につくられた装置。そう、社会や組織それじたいが人の考え、思惑でつくられ
 た舞台なのだ。その上で踊る私たちは全員が「役者」とみて、与えられた役をこなせば
 よい。たとえば相手が上司を演じ、自分は部下の役をこなすと考えれば、少しは心が解
 放されるはずだ。
・日本という国は「空気で動く」と革命的な発想をしたのは山本七平氏だった。人や国を
 動かす要素が、欧米人はキリスト教、ユダヤ人はユダヤ教とはっきりしているのに比べ
 日本人はどんな原理で動くのかがわからない。そう、日本人はあまり際立つ個性、個性
 的意見はもたず、その場その場の空気によって動く。その空気はマスコミがつくってい
 るのか?そうではない。一般市民が絶妙のバランス感覚でつくっている。
・繊細で小心な私たちは、ていていその場の空気を察する能力が高い。その場の空気がわ
 かれば、賛成、反対どちらかにつけばよい。気配を察するなら、この世にちゃんと生き
 ていけるのだ。社会のいかなる場面に身をおくにしても、常に感覚を磨き、研ぎ澄まし
 て周囲の空気を感知するようにしよう。その空気はたいてい、賛成と反対に二分化しつ
 つながれているから、どちらかに自分をおいたらそれでいい。最も恐ろしいことは、空
 気の無視であろう。空気を感知していないと、存在そのものが許されなくなる危険があ
 り、その場から追われてしまいかねない。もちろん、信念に基づいて「百万人といえど
 もわれ往かん」という場合は、あえてそうしたらいい。一見すると空気の無視であるよ
 うだが、長い時間の流れの中では、それが一つの空気となることもあるのだから。
 
やはり善意には善意が戻ってくる
・上司となった人々は、よほど自分の目配りに気をつけて、愛情あるまなざしをつくって
 ほしい。上席者の目の用い方ひとつで、部下はヤル気になったり、ヤル気を失くしたり
 するものがから。中にはジロリと三白眼で威圧するような不良少年レベルの上司もいる
 が、そんなことでは多くの若手を辞めさせてしまい、管理者失格となる。結局はみずか
 らの身を危うくしてしまうだろう。ふだんはなんでもない目つきの人でも、すごく怒っ
 たり、相手への否定の意識が色濃くなったりすると、三白眼になることがありから、要
 注意である。
・集団、組織の管理者となったら、毎朝、鏡の前で「愛あるまなざしのおけいこ」をして
 から出社したほうがいい。繰り返すが、上席者の目の用い方ひとつで、部下はヤル気を
 失くしたりする。
・現代社会は損得、利害が優先しがちだが、それは人の心に差別とか劣等感を育てること
 にもなる。損得、利害抜きで人を愛し、認めることこそが、万人にとって「相手を救い、
 自分も救われる」道なのではないかと思っている。
・知識偏重の時代といわれて久しいが、それは人情、愛情が大切にされぬ危険な時代だ。
 知識の習得のみに意を用いれば、出世はするだろうが「冷たい人」となる恐れがある。
 一般に、父母はわが子に「いい成績をとって、いい学校に入り、それから一流会社か公
 務員となって・・」と願う。それはわが子の身の安全を願う気持ちからのものだろう。
 だが、他人への人情、愛情を忘れた人が出世してしまえば、この世は闇だ。長い時間を
 かけてたくさんの知識を身につけた人々は、概して低い知識の人を軽んじ否定する。そ
 ういう人が実力者となれば、能力、知力のない人は去れ!」なんて平気でリストラを断
 行するようになるのではないか。
・私たちは差異と批判のまなざしを他者から浴びせられつつ生きる。内気な男女なら、
 視線回避の思いが生じ、他人の視線を正面から受け止められなくなるのは自然なのだ。
 本質的に、人間はひとりずつバラバラな存在だ。同じような顔つきで同じような言葉を
 しゃべっていても、その心、考え、感情は異なる。それゆえ他人のまなざしとは常に、
 「差を見分けて、自分とは違う存在と知って批判的になる」というプロセスが、そこに
 示されると知るべきだ。それが近代から現代にかけての個人主義の必然というものなの
 かもしれない。となれば、自分のまなざしも、他人には「批判された」と受け止められ
 ることがあってもしかたがない。
・まなざしの本質は「自分と他人とは違うということの確認」だということがわかる。だ
 とすれば、他者からの否定や批判の目をあまり問題視しないほうがよいということもわ
 かってくるはずである。
・私たち人目を気にする人間グループは、他人のまなざしを浴びせられるや大慌てとなっ
 て逃げ出したくなるが、それは相手の目に「おまえさんは、オレと違う」という一種の
 否定、差別のニアンスを感じてしまうからだが、それは視線のシステムから考えても当
 然なことなのだ。
・この長く孤独な人生にあって、生涯ただ一度でも愛のまなざしを受けた人は、それだけ
 で十分に幸せなのだ。自分が他人に愛のある目を期待していると同じように、他人も温
 かい視線を求めている。とすれば、私たちもできうるかぎり葵愛ある目をしたい。どの
 ような時も、どのような相手に対しても。
・都会にはどうも表面を飾る人々が多く、内側からにじみ出る美しさへの配慮が乏しくな
 るようだ。だから都会人はどんなに高価な衣類を身にまとっていても、顔にはなにかお
 もしろからぬ、苦しくて不安な感情が宿っている。 
・人間存在は、ビルや車といった人工構築物のなかにおいて眺めてみると、美しさが消え
 るのではないか。背景に海や山や田畑があると、その中でひたむきに生きる人々の姿が
 映えて見えてくるかもしれない。