半知性主義でいこう :香山リカ

いまどきの「常識」 (岩波新書) [ 香山リカ ]
価格:792円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

「独裁」入門 (集英社新書) [ 香山リカ ]
価格:770円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

比べずにはいられない症候群 [ 香山リカ ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

「わかってもらいたい」という病 (廣済堂新書) [ 香山リカ ]
価格:935円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

オジサンはなぜカン違いするのか [ 香山リカ ]
価格:935円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

できることを少しずつ 香山リカの目 [ 香山リカ ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

がんばらなくていい生き方 [ 香山リカ ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

言葉のチカラ (集英社文庫) [ 香山リカ ]
価格:544円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

悲しむのは、悪いことじゃない [ 香山リカ ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

「悩み」の正体 (岩波新書) [ 香山リカ ]
価格:770円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

「反知性主義」に陥らないための必読書70冊 [ 文藝春秋 ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

知性とは何か (祥伝社新書) [ 佐藤優 ]
価格:902円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

反知性主義と新宗教 (イースト新書) [ 島田裕巳 ]
価格:947円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

知性の正しい導き方 (ちくま学芸文庫) [ ジョン・ロック ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義 [ 岩田温 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

超・反知性主義入門 [ 小田嶋隆 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

知の操縦法 [ 佐藤 優 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

幼児化する日本は内側から壊れる [ 榊原英資 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

ファシズムはどこからやってくるか [ ジェイソン・スタンリー ]
価格:2200円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

こうやって、考える。 [ 外山滋比古 ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

深く考える力 (PHP新書) [ 田坂広志 ]
価格:968円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

ローマはなぜ滅んだか (講談社現代新書) [ 弓削 達 ]
価格:814円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

理系バカと文系バカ (PHP新書) [ 竹内薫 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

「わからない」という方法 (集英社新書) [ 橋本治 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

左翼老人 [ 森口 朗 ]
価格:913円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

知ってるつもり 無知の科学 [ スティーブン・スローマン ]
価格:2090円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

トランプ熱狂、アメリカの「反知性主義」 [ 宮崎正弘 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/5/4時点)

筆者は、精神科医であり大学教授である傍ら、政治活動にも参加するという人物である。
安倍政権が、憲法の解釈変更をして集団的自衛権の行使容認をした際には、国家前のデモ
に参加したりと、なかなか個性的な考えの持ち主のようである。しかし、安倍政権への批
判が多いために、ネトウヨなどからは、攻撃の標的にされているようだ。
筆者は、ネトウヨなどから仕掛けられる攻撃に対して、議論しようとしても相手が議論の
基礎となるような本も読んでいないので議論にならないと嘆いているが、しかし、本を読
むことが仕事であるような学者から見たら、そうでない普通の人が本を読んでいないと
見えるのは、当然のような気がする。特に、読書離れが進んでいると言われる現代におい
ては、読書に勤しんでいる人のほうが、圧倒的に少数派であるり、筆者のような認識には
ちょっと無理があるのではと私は感じた。
私がこの本の中で特に興味を持ったのは「傲慢症候群」というものだ。アメリカの精神学
者が、リーダーが陥りがちな問題として「傲慢症候群」というものをあげているという。
これは、「冷静な判断を妨げる自信過剰があった」「長く権力の座にあると周囲が見えな
くなる」という傾向が出てくるというものだが、まさに今の安倍政権から出ている種々の
問題は、この「傲慢症候群」に陥った結果と考えてもいいのではないかと感じた。解かり
やすく言えば、安倍政権は「はだかの王様」になってしまっているということだ。
もうひとつ、この本の中に、「マジョリティとマイノリティにとくに圧倒的なパワーの差
がある場合「どっちもどっち」「私は中立」といった態度は、結果的には声が大きい方、
力がある方に与しているだけでしかないのだ。」という一節があるが、これはまさに現代
の日本の政治対する国民の態度にも言えることではなかろうかと思った。「他の支持する
政党がないから」と言って、投票に行かなかったり、「他の政党よりマシ」と言って与党
に投票したりすることは、結局は、現在の与党に与しているだけということなのだ。
「傲慢症候群」に陥っている政権と、「どっちもどっち、私は中立」という国民の態度。
このふたつが、今の日本の政治状況を端的に表してるような気がした。そして、この政治
状況が、経済の面においても、教育の面においても、そして今の新型コロナという未曽有
ともいえる危機対応においても、諸外国に比べ、日本は周回遅れともいえる対応になって
いる。先進国の中に入っていると思っていた日本は、いつの間にか、じつは開発途上国の
仲間入りとなってしまっていたというのが、最近はっきり見えてきたような気がする。

「半知性主義」ってなんだ?
・2015年6月、衆議院憲法審査会で、憲法学の権威3人が口をそろえて「安全保障関
 連法案は違憲」と述べた。
 ・長谷部恭男氏(早稲田大学法学学術院教授)
 ・小林節氏(慶応義塾大学名誉教授)
 ・笹田栄司氏(早稲田大学政治経済学部学術院教授)
・国会前で行われているデモに参加しようとする私に対して、「気をつけたほうがいい」
 とは、いったいどういうことなのだろう。彼等は、精神科医の中でも常に社会的弱者に
 寄り添う「リベラル派」と考えられる人たちで、私にとっては比較的、心許せる”仲間”
 のはずだった。その昔、学生運動にかかわっていた団塊世代の教授なども含まれており、
 雑誌で最近の歴史修正主義や反知性主義に対する批判が飛び出すこともあった。
・ここにいまの日本社会を象徴する”何か”があるように思う。つまり、十分に知的な彼
 らは、言葉では権力や反知性主義を批判してみるものの、いざそれを行動に移すような
 デモに行くとなると、とたんに「気をつけて」と警戒してしまうのである。
・日本の文化人のコミットの仕方は”ごっこ”だ。高橋源一郎とか内田樹とか斎藤美奈子
 とか、あの人たちは本当にインチキだと思う。
・理由はともあれ、安全保障関連法案には反対で、国会前に行ける時間的余裕や体力があ
 るにもかかわらず「安保には反対だがデモに行くのは無意味」「行くのはリスクがある」
 と足を運ばずにいることが、何か現実を変えるのに役立つというのだろうか。それこそ
 が本当に「知的な態度」と言えるのだろうか。
・私は幸いにもこうしていまだにかろうじて、マスメディアと呼ばれる場で自分の意見を
 発信する機会を与えられているが、いつも「これが本当に誰かに届くのか」という疑問
 を感じていた。批判や山のように寄せられるが、「文章を読んで考えが変わりました」
 「深く納得しました」といった肯定的な意見はとほんど来ない。
・大学教員や学生はなんともいっても表現の自由、学問の自由、さらには教員は身分を保
 障された”特権階級”であり、その人たちが声を上げることにいかなる意味と重みがあ
 るのか、ということだ。「学者の会」の集会でよく「今回の憲法を否定する安倍政権の
 手法は知性、理性を真っ向から否定するものであり」とスピーチする人がいたが、それ
 を聞いていると、「反知性、反理性だからダメなのだろうか。世の中、知性や理性だけ
 で動いているのではないだろう」と、そこにある種の特権意識を感じてしまうのだ。
・今後、知性主義、理性主義を軸にそれを行動に移した人たちが、はたしてそれをよい形
 で継続していくことはできるだろうか。
・「私は安保関連法制に関してはこういう意見を持っている。この夏のデモには何度くら
 い、誰と一緒に足を運んだ」というごく個人的な立場や経験を表明することなくしては、
 この問題は語れないのではないか、ということだ。
・私は精神科医の世界では「社会的意見を言いすぎる人」、思いを行動に移しすぎる人」
 として同業者からもたしなめられるほど浮いており、一方、マスコミでは逆に「理論武
 装ができていない頼りないリベラル」としてややキワモノ的な扱いをされているのを自
 覚している。   
・本を読むことは、学問を身につけるのは、崇高なことでもなければ立派なことでもない。
 しかし、それを毛嫌いするほど危険なこと、有害なことでもない。
・ネトウヨだからといって「本など信用しない!読めというなら3行でまとめよ」と頑な
 になる必要もなければ、学問を仕事にする人だからといって自分たちが知性、理性の忠
 実な奴隷であるかのように振る舞う必要もない。
・権威に支配されない知性。平等を実現する知性。音楽やダンス、ファッション、料理や
 恋愛と並立する知性。それが「半知性主義」であり、それこそがこれからの社会を切り
 拓く鍵になるはずだと私は信じている。

権力者がかかる病(傲慢症候群)
・2015年6月作家の百田尚樹氏は、「沖縄2紙(沖縄タイムスと琉球新報)をつぶさ
 なあかん」と発言、他にも米軍普天間飛行場の成り立ちについて、「元はたんぼ。近隣
 住民がカネ目当てで移り住んできた」として「基地の地主はみんな年収何千万円、六本
 木ヒルズとかに住んでいる」などと述べた。百田氏の発言は新聞やテレビニュースでも
 大きく報じられた。
・百田氏の一連の発言で最も問題なのは、そこに「多数派としてのヒューブリス(傲慢)」
 が透けて見えることだ。百田氏にとっては、基地の存続は「沖縄の人たちのため」、2
 紙の消滅は「日本の人たちのため」、いずれにしても百田氏は、発言は利己的なもので
 はなく、むしろ利他的なものだったと言いたいのではないだろうか。
・2013年4月に渡部昇一氏との対談で百田氏はこんな発言をしている。
 「『侵略戦争』といっても、日本人は盗難アジアの人びとと戦争をしたわけではない。
 フィリピンを占領したアメリカや、ベトナムを占領したフランス、そしてマレーシアを
 占領したイギリス軍と戦ったわけです。日本の行為を『侵略』と批判するなら、それ以
 前に侵略していた欧米諸国も批判されてしかるべきでしょう。」
・太平洋戦争は欧米の植民地になっていたアジア諸国の解放のための戦争で、その国の人
 たちはいまでも日本に感謝している、という「大東亜戦争肯定論」に代表されるように、
 多くのいわゆる右派、歴史修正主義者と呼ばれる論客の主張でもある。
・彼らは、時代状況から侵略も仕方なかったのだという正当化をされに踏み越え、「崇高
 な理念のもと、彼らを解放してやった」と自らを慈愛あふれる神か親の立場に位置づけ
 ようとする。 
・アメリカを代表する精神医学者のひとりナシア・ガミー氏は、政治家のリーダーシップ
 と精神的健康・不健康について、精神的健康と考えられるリーダーが陥りがちな問題と
 して、傲慢(ヒューブリス)症候群」をあげている。
・判断ミスを犯した経営者には「冷静な判断を妨げる自信過剰があった」「長く権力の座
 にあると周囲が見えなくなる」という傾向は、どの分野にも通じるものだろう。
・「傲慢症候群」の14の特徴
 ・自己陶酔の傾向があり、「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と
  思うことがある。
 ・偉大な指導者のような態度をとることがある。話しているうちに気がたかぶり、我を
  失うこともある。
 ・自分のことを「国」や「組織」と重ねあわせるようになり、考えや利害もおなじだと
  思ってしまう。
 ・自分のことを王様のように「わたしたち」と気取って言ったり、自分を大きく見せる
  ために「彼は」「彼女は」などと三人称を使ったりする。
 ・自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の助言や批判は見下すことがある。
 ・「いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる」と信じている。
 ・大きなビジョンに気をとられがち。「私がやろうとしていることは道義的に正しいの
  で、実用性やコスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある。
・今回の百田氏の一連の発言は、その性格や価値観によるものというより、ベストセラー
 作家となり、権力者や権力に近い立場になった結果、いつの間にか身についた「傲慢」
 によるものではないか。
・オーエン氏は、「傲慢症候群」を「病気ではないか一種の人格の傷害」として、これが
 長引くと「過失が増え、取り返しのつかない失敗に突き進む危険性がある」と警鐘を鳴
 らし、研究や対策の提唱のために「傲慢学会」なる研究会まで作っている。
・「傲慢学会」のメンバーたちは、権力には中毒性があり、その酔いからさめるのは容易
 ではない、と言っている。 
・百田氏は2013年の渡部昇一氏との対談では、「日本国憲法は、日本が占領されてい
 る時代にGHQが日本人に短期間で草案をつくらせ、あたかもすべて日本人が考えたか
 のような体を整えて公布・施行させたものです。まともな法律学者だったら、これを
 『憲法』だという人はほとんどいませんよ」と語っている。
・この「傲慢症候群」を蔓延させている感染源(特定の個人とは限らない。社会の”空気”
 という場合もある)について考えない限り、感染者をひとり”隔離”したところで、問
 題は解決にはつながらない。 
・この傲慢症候群の背景にあるのは「無知を怖れぬ態度」と言える。
・「半知性主義」もまた完全なる知からは遠い状態であるが、「知らないことや知らない
 自分を恥じらう」という態度が前提となっている。そしてこの「恥じらい」は、「他者
 からの視線の意識」の上に成り立つものであり、それは同時に「他者の気持ちへの想像」
 をそこに含んでいる。つまり、「知らないまま自分が勝手に発言することで、傷つく他
 者がいるのではないか」と、その影響までを想像できるのが「半知性主義」なのだ。
・安倍総理は、2015年5月の衆議院平和安全法制特別委員会での審議で、質問してい
 た民主党の辻本清美議員に「早く質問しろよ!」とヤジを飛ばした。旧大蔵省出身の民
 主党議員の質問の最中、「日教組どうすんだ!日教組!」と繰り返しヤジを飛ばし、委
 員長からたしなめられる一幕もあった。ヤジは国会につきものではあるが、現役総理と
 は思えないほどの品位もなく、傲慢無礼な態度だと言える。  
・これは、安倍総理のもともとの性格ゆえなのだろうか。どうもそうではないようだ。私
 は、安倍総理もまた「傲慢症候群」と名づけられた一種の”権力中毒”に陥っているの
 ではないか、考えている。
・大学を卒業してアメリカに留学した安倍青年は頻繁に日本の友人や家族に連絡し「毎晩
 のようにかけてくる国際電話代が10万円にもなる月が続いた。さすがに晋太郎さんが、
 『何を甘えているんだ、それなら日本に戻せ!』と声を荒げた」とか。私は、人間とし
 ての安倍晋三氏はごく温厚で柔和な人柄だったのではないか、と考えている。
・では、なぜそんな安倍晋三氏が国政の場では”唯我独尊”のごとく振る舞い、国民の過
 半数が2015年の国会での安保法制成立に反対していたにもかかわらず、暴走を続け
 ているだろうか。 
・もちろん、現実的な次元では「アメリカとの約束」が大きいと思われるが、さらにその
 背景には、第2次政権が始まるときに安倍氏が陥った「傲慢症候群」という問題がある
 のではないか。
・これは「権力にある者に起きる特有の人格の変化」だ。一般のパーソナリティ障害が人
 生の早期からその特徴が見られる。半ば生得的なものであるのに対し、傲慢症候群が発
 生するのは、あくまで権力を手にした後である。
・この症候群にかかるのは権力者であるがゆえに、その影響は甚大なのだ。とくに深刻な
 のは政治家の場合だ。政治家の傲慢症候群は、彼ら自身の指導力にとっても、われわれ
 の世界の適切な統治にとっても、一般的な病よりはるかに大きな脅威となる。
・オーエン氏の論文によれば、次のうち3つないし4つが当てはなれば傲慢症候群と考え
 てよいと記されている。
 ・自己陶酔の傾向があり、「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と
  思うことがある。   
 ・何かするときは、まずは自分がよく映るようにしたい。
 ・イメージや外見がかなり気になる。
 ・偉大な指導者のような態度をとることがある。話しているうちに気がたかぶり、我を
  失うこともある。
 ・自分のことを「国」や「組織」と重ね合わせるようになり、考えや利害も同じだと思
  ってしまう。
 ・自分のことを王様のように「私たち」と気取って言ったり、自分を大きく見せるため
  「彼は」「彼女は」などと三人称をつかったりする。
 ・自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の助言や批判は見下すことがある。
 ・自分の能力を過信する。「私には無限に近い力があるのではないか」とも思う。
 ・「私の可否を問うのは、同僚や世間などのありふれたものではない。審判するのは歴
  史か神だ」と思う。 
 ・「いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる」と信じている。
 ・現実感覚を失い、ひきこもりがちになることがある。
 ・せわしなく、むこうみずで衝動的。
 ・大きなビジョンに気をとられがち。「私がやろうとしていることは道義的に正しいの
  で、実用性やテスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある。
 ・政策や計画を進めるとき、基本動作をないがしろにしたり、詳細に注意を払わなかっ
  たりするので、ミスや失敗を招いてしまう。
・彼らは、あまりにひとりよがりな成功物語にとらわれて現実を見失い、細部に眼が行か
 なくなるため、結局、その統治は破綻に終わるのである。
・いくら威張っていても自画自賛が激しくても、リーダーとして卓越しているなら臣下や
 国民は我慢できる。ところが、この傲慢症候群のポイントは、「もともとそれほど自己
 陶酔型ではなかった人が権力の座についてからそう変化すること」だ。つまり、傲慢は
 ある意味で、”取ってつけた”だけなので、どこまでも肥大化する自己を自分でコント
 ロールしきれなくなっていくのだ。
・安倍総理は2014年来、自分を「最高責任者」「最高指揮官」と何度も称している。
 2014年の衆議院予算委員会では、「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁
 に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民に審判を受ける。審判を受けるのは
 内閣法制局長官ではない。私だ」と答弁して物議をかもした。2015年はじめに過激
 派組織「イスラム国」が邦人2人を殺害した事件を受けたあとも、国会で「国民の命、
 安全を守ることは政府の責任であり、最高責任者の私だ」と発言している。
・さらに、文民統制についての答弁では、「シビリアンコントロールというのは、基本的
 に国民によって選ばれた総理大臣が最高指揮官であり、同じように文民である防衛大臣
 が指揮していく構造になっている。基本的には国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官
 であるということにおいて完結している」とも語った。
・2015年7月に民法のニュース番組に出演した際にも、「支持率のために政治をやっ
 ているのではない」と語った。自分のやろうとしていることは正義という確信があり、
 たとえ支持率が下がったとしても、それは自分が間違っているからでなく、国民の「理
 解が進んでいない」から、と考えているのだろう。これは現実的な仮定ではないが、も
 し支持率がゼロ%になったとしても、「正しいのは私だ」「歴史がいつか証明してくれ
 る」とますます態度を強硬にするのかもしれない。
・このようにして安倍政権は、ときには自分たちが率先して批判的な意見を述べる人を糾
 弾し、ときには自分たちが手を汚さなくてもネット上の応援団たちがいっせいに批判者
 のもとに群がり、「政権の足を引っ張る反日売国奴」などと言葉の限りを尽くして罵倒
 してくれる、という仕組みを作り上げた。それによって、自分たちに反対の意見をでき
 るだけ遠ざけようとしているようである。
・問題はリーダーが傲慢症候群に陥った場合、その人による統治は必ずと言ってよいほど
 破綻して終わる、ということだ。その計画は本人の思考力などを超えた壮大なビジョン
 になっているため、すでに実行不可能であり、実行に移そうとすると必ず失敗するから
 だ。つまり、傲慢症候群は本人にとってというより、組織や社会を「死に至らしめる病」
 なのである。
・本人が傲慢になっている自覚するためには、次の4点が必要だ。
 ・セルフコントロール
 ・謙虚さを忘れない
 ・笑われることを受け入れる
 ・側近の助言に耳を傾ける
・私は、小泉氏はこの傲慢症候群ではなかった、と考えている。それは、小泉氏が総理時
 代に謙虚だったから、ではない。それどころか内閣運営時代は独占性もしばしば指摘さ
 れた小泉氏だが、総理就任つまり権力を手にする前から田中真紀子氏に”変人”と称さ
 れるなど、そのマイペースぶりは持ち前のものであった可能性がある。そういう人は、
 ”権力中毒”にならず、現実を見失う傲慢症候群に陥りにくいのである。
・2014年2月、小泉純一郎氏は、ツイッターでこうつぶやいている。
 「過ちを改むるに憚ることなかれ。これが僕の座右の銘。原発の安全神話、低コスト神
 話、クリーン神話を信じて疑わなかったのは大きな過ち。これを黙っていることはでき
 ないかった。しかし、僕は自分の不明の責任を認め、過ちを改め、原発ゼロに向かって
 全力を尽くすため敢えて立ち上がった。」
・現政権にはせめて、「『傲慢症候群』から脱し、無知への恥じらいを持ち、自らの言動
 の他者への影響を想像できる『半知性主義』的な態度を身につけてほしい」と願う。
・現在、日本は戦後最大の危機にあり、あらゆる専門家が自分の知識や経験を総動員して
 これに対抗する必要がある。 

正義ほど傍迷惑なものはない
・ここに来て国会が「”おバカの時代”ついに極まれり」という事態となった。もちろん
 これは、2015年6月の衆議院憲法審査会に参考人として呼ばれた3人の憲法学者が、
 安保法制を「憲法違反」と明言したことと、それに対する政府与党の反応を指している
 ことは言うまでもない。
・その反応は、まさに「知の愚弄」としか言えないものであった。知が、学問がバカにさ
 れ、さらに「バカにすることが正義」と開き直るような政治家や官僚たちの態度に、さ
 すがにあきれ返った人も少なくないだろう。
・しかし、それはいま、突如として始まったことではない。出版やテレビの世界を中心に
 ずっと続いてきた「よりわかりやすく」を求める動きが、ここに来てついに政治の世界
 においても幅をきかせるようになった、というだけのことなのかもしれない。
・テレビの世界に自らの無知や非常識を恥ずかしげもなく披露する”おバカタレント”た
 ちが登場、最初こそ「バカだな、こんな漢字も書けないなんて」と嘲笑の対象になった
 彼ら彼女らだが、次第にその評価が変わっていった。「堂々として勇気がある」「知っ
 たかぶりをする人よりも率直で誠実」「勉強ができなくても明るく前向きなのはすばら
 しい」というその姿勢や人柄に対する好印象は、次第に「インテリより”おバカ”たち
 のほうが人生の経験値が高いのでは」「本当の意味で賢いのは”おバカ”のほうだ」と
 評価の逆転につながっていった。しかし、本当の問題は、この価値観がテレビの世界に
 とどまるものではなかったことだ。
・今回の憲法学者の「違憲」発言に対しても、与党は「重く受け止める」などと見せかけ
 だけでも殊勝な態度を取ることもなく、すぐに激しい反論に転じた。しかもその主旨は、
 内容への反駁というより「学者のいうことは信用できない」という一点に集約されてい
 た。
・2015年6月の自民党役員連絡会で、高村正彦副総裁は次のように発言している。
 「60万前に自衛隊ができた時に、ほとんどの憲法学者が『自衛隊は憲法違反だ』と言
 っていた。憲法学者の言う通りにしていたら、自衛隊は今もない。日米安全保障条約も
 ない。日本の平和と安全が保たれたか極めて疑わしい」
・「学者では平和と安全は守れない」と一蹴するのは、その分野や問題に関して研究し議
 論してきた無数の先人たちや膨大な業績に対しても、「無意味」とひとことで否定した
 ことになる。
・2012年頃から、政治家までが「不勉強は恥ずかしいことではない」からさらに、
 「勉強や学問は悪に通じる」とでも言おうとしているような発言をするようになってい
 ったのだ。そしてその”おバカ”の奔流は思いのほか速く勢いがあり、わずか3年ほど
 でついに権威ある憲法学者の声を与党や政府が簡単に無視してみせる、というまでに至
 ったわけだ。
・いつの時代の戦争であっても、それは「善と悪」「正義と不義」といった一般論で語れ
 るようなものではなく、そこにはひとりひとりの人間がおり、その分だけの物語がある。
 またその人たちにはそれぞれが家族や恋人がいて、そこにも人の数だけの物語がある。
 それを力ずくで奪い合い、破壊し、大きくゆがめるという理不尽な暴力のめまいがする
 ほどの集積、それが戦争というものなのだ。
・劣化しているのは知性だけではないようだ。想像力の劣化、感性の劣化という恐ろしい
 現象が起きているようだ。「知性の劣化」はまだ読書などで防ぎようがあるが、将来の
 有事に直接、かかわる可能性がある若者が「戦争に行きたくない」と切実に感じること
 を「利己的」などと言ってのけるような人に”つけるクスリ”など、いったいどこにあ
 るというのだろうか。 

ネトウヨはなぜ知性を敵視するのか
・「歴史を修正して何か問題あるんですかね?」この言葉を突きつけられて、私たちはど
 う答えるのか。
・彼らはある意味、「知」を過大評価しており、そこにある種の権威を感じているからこ
 そ、それを帯びた人たちが自分を見下している、自分たちから搾取している、と”仮想
 敵”に感じているのではないか。しかし、実際には「天才学者」とか「知の巨人」と呼
 ばれている人たちも、人間的には「たいしたことがない」のである。彼らは単に「本を
 よく読みいろいろなことを知っている」だけであり、人格的に成熟しているわけではな
 い。ただ、だからといって「ほら、本なんか読んでも仕方ないじゃないか」というのも
 違う。本は知識を増やし、自らの考えの幅に広げるために読むものであり、それがすぐ
 人格的成長にはつながらないのも当然だからである。
・彼らに、「本をしらないこと、読んでいないことは恥ずかしい」という感覚はないのだ。
 しかも、専門的な学術書ではなくてベストセラーにもなった話題作であっても、だ。
・彼らは、「本当に伝えたい主張、役立つ知識なら無料で提供すべき」と思っており、そ
 れ以外の有料な知識すなわち有料サイトや本は、自分の金を搾取して行われる誰かの
 「不当な金儲け」だと考えているのだ。自分の金を搾取して、誰かが不当な利益を得よ
 うとしている。もっと言えば、人が積極的に動くのは、この「不当な利益」のためにだ
 けだという発想だ。
・貧困対策、自殺対策、ホームレス支援、子ども支援などにかかわっている人たちも同じ
 ような批判、中傷にあっていると聞く。「世のため、人のため」とは言わないが、「い
 まこれをすることが必要だから」という思いで活動していても、「どこかから金が出て
 いる」と言われる。金ではなさそうとなると、今度は「目立とうとしている」「末は政
 治家狙いですか」と売名という「不当な利益」のためと疑われ続ける。そして、金でも
 売名でもないとなると、最終的には「韓国のためにやっている」「中国のスパイだろう」
 といった他国の「不当な利益」のため、という結論になる。
・彼らにとっては、「自分にたいしたメリットもないのに社会貢献活動をしている」とい
 うこと自体が信じられないこともあり、何かの利権や利益があると考える方が「やっぱ
 り」と納得して安心できるのかもしれない。
・誰かが「不当な利益」を得ていると考えるその裏には、自分自身がそこで食い物にされ
 たり搾取されたりしている「被害者」だという思い込みがある。だからこそ、これ以上
 の「被害」は受けたくないと敏感になっており、同時になんとかしてここからの「復権」
 を果たしたいという強い熱意を持っているのである。
・2010年、私は、効率化、スキルアップを提案する著作でベストセラーを連発する経
 済評論家の勝間和代氏と対談した。目標を掲げてムダを省いて努力することにより自分
 を高め、収入をアップさせて自分もまわりも幸せになる。勝間氏が掲げる理想の生活
 モデルには非の打ちどころがないのだが、すべてが「経済合理性」を基準に考えられて
 いるように思えて、どうしても私には受け入れがたかった。
・対談の中で勝間氏は「行動の利他性」の大切さを強調しながら、「十分に利他的な行動
 は他者から評価されてお金が集まる。資本主義は、利他行動を金銭に換える仕組みを生
 んだ」と説明した。
・活字の世界が「教養」から「わかりやすさ」へと大きく舵を切る原動力として市場主義
 が働いたのは否定できないだろう。そして、書物の世界が「よいものより売れるもの」
 をいっせいに選択したことこそが、いまの日本を席巻しつつある反知性主義の最大の原
 因になっているように思えてならないのである。
・無知や非常識という従来の欠点は、”おバカ”という名称とともにプラスへと転換され、
 恥じるべきものでも克服すべきものでもない。堂々と世間に披露できる特徴となった。
 もっと言えば、「むずかしいからわからない時代」から「何もわからないの時代」へ、
 大きく舵を切ったのが2005年以降ということになるだろう。
・”おバカタレント”たちはただ無知、非常識を恥じずに披露し、愛嬌あふれるキャラク
 ターとして好かれていたわけではない。当時、よく言われたフレーズに、「彼らは”お
 バカ”だがバカではない」さらには「”おバカ”だが賢い」というのがあった。一見、
 矛盾したフレーズだが、その意味は「たまたま学校の勉強はできない、あるいはやる機
 会がなかったから漢字を知らず計算ができないだけであり、正確も頭そのものもよく、
 人間的な能力はむしろ高い」ということだ。
・これを「逆もまた真」の法則で考えれば、「世の中には高い学歴を誇り、高いレベルの
 知識や情報を持っている知的エリートもいるが、その中には性格や人間的能力に難があ
 る人も多い」ということになる。
・その一部の知的エリートが権力や富を握り、ひそかに牛耳っているように見える現実に
 対し、ひそかに怒り恨みを募らせた人たちによって、この”おバカタレント”たちの活
 躍や成功はまさに胸のすくできごとだったのではないだろうか。
・「本当に賢くて最終的に”勝ち組”になるのは、エラそうな官僚や学者なんかじゃなく
 て、”おバカタレント”の方なんだよね。」その象徴が、いまやメジャーリーガーの妻
 となったタレント里田まい氏と言えるだろう。そして、田中投手の活躍の裏には、「ア
 スリートフードマイスター」なる資格まで取って夫を食生活の面から支えた里田氏の努
 力があった、と言われた。またほかにもブログで仙台に拠点を移し、プロ野球選手の妻
 とは思えぬほど庶民的な店で買い物をしたり、夫が当番の日には必ず球場に応援に行く
 様子をつづり、いつの間にか「賢夫人」とまで言われるようになったのだ。その賢夫人
 ぶりはアメリカに行ってからも変わらず、いまや里田氏を”おバカ”などと呼ぶ人は誰
 もいない。
・私は、やはり「本当は賢い”おバカ”ではないバカ」がいるのではないかと思っている。
 それは、「『傲慢症候群』に陥っているおバカ」、つまり「権力を手にしたことで有頂
 天になっている独善的なおバカ」たちである。
・しかも、彼らは権力を手にしているだけに、私たち一般市民の運命を握っているともい
 え、とても「ワハハ、バカだな」と笑ってすませるわけにはいかない。私たちにとって
 本当の敵は、「権力を手にした独善的なおバカ」である。

誰が権力者の暴走を止めるのか
・安保関連法制に関しては国会で3人の憲法学者が「違憲」と述べたにもかかわらず、政
 府はその見解を無視して、審議を強硬に進めた。なぜ学者たちは、「学問を愚弄するな」
 と怒りの声をあげないのだろう。
・マジョリティとマイノリティに圧倒的なパワーの差があり、状況がかなり切羽詰まって
 いる場合、さまざまな理由で不利な立場にある人たちの声を代弁することなく、「どっ
 ちもどっち」「私は中立」といった態度は、結果的には声が大きい方、力がある方に与
 しているだけでしかないのだ。 
・寛容、他者への配慮、譲歩、妥協は、人として生きていく上で不可欠な姿勢や態度であ
 るし、そういった機能を司る「社会脳」といわれる脳領域が特異的に発達していること
 が人間を人間たらしめているとさえ言われている。とくに知的な人たちは、この「社会
 脳」が優位でありため、暴走することができないのだと思われる。しかし、きわめて特
 殊な状況下では、「社会脳」の機能を停止させ、「断固反対」と突っ走らなければなら
 なかったはずだ。
・学者たちが集会の演壇で、「安保法制は立憲主義の破壊、『知性の危機』『学問の危機』
 なのです」と声高に訴えるのを聴いているうちに、その学者のひとりとして参加してい
 るはずの私でさえ、ふと「知性や学問が危機かどうかなんてこっちには関係ないよ」と
 鼻白んでしまうことがあるのだ。もちろん、だからといってすぐに「安保賛成」に転じ
 るわけでもないのだが、知的エリートたちが主張する「反安保」「反安倍」に反発する
 人たちがいまの政権を支えているのは確かだろう。
・本や学問をバカにしない。知らないほうが偉いなどと、”おバカ”礼賛に陥ることはな
 い。かといって、本や学問に接することに慣れていない人のこともバカにしない。「確
 かに知っておいたほうがいいけど」と”学ぶ姿勢”だけはいつも手放さない。でも、本
 当に本を読み、学ぶかどうかまでは保証できない。知っている人は知らない人に知識を
 分け与えることを惜しまないが、前提となる知識が足りないとか覚えが悪いとか言って
 相手を軽蔑したりもしない。「半知性主義」とはこんなイメージだ。
・偽善でも独善でもない。正直すぎるわけでも計算高すぎるわけでもない。歌うように本
 を読み、また本を閉じて踊り出す。そんな半知性主義たちが市街地戦のフロントライン
 にあふれ返る日がきっと来る。