下山の思想 :五木寛之

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人が永遠に青年ではいられないように、国も永遠に成長を続けるということはできない。
人には老いがくるように、国にも成長期の後には必ず黄昏期が来ると思う。
これは成長を遂げた国が必ず経験することのようだ。そして、今の日本にも黄昏期が訪れ
ているのではないのかと感じる。
今の日本は、国を構成している国民が老いてきている、超高齢化社会に突入しつつあるの
だ。国民が老いれば国も老いるのは当然のことではなかろうか。さらなる成長を望むのは
難しい。今、日本は下山の時なのだとつくづく感じる。
しかし、下山だからいって、失望ばかりする必要もないのだろう。下山には下山の楽しみ
方があるはずだ。もう、がむしゃらに上を目指すこともない、という心のゆとりも出てく
るのではないだろうか。
この本を読んで、そんな気持ちになってきた。


まず、はじめに
・いま、未曾有の時代がはじまろうとしている。いや、すでにはじまっているのかもしれ
 ない。私たちがそれに気づかなかっただけなのだろうか。
・未曾有の時代、といえば、私たちはすぐに経済のことだけを考える。しかし経済は社会
 の土台ではあっても、人間生活のすべてではない。確かにこの国の経済はゆらいでいる。
 超優良企業がつぎつぎと危機に見舞われた。国の財政の行方も、不安に満ち満ちている。
 私たちは、未曾有の時代に直面しながら、なすすばもなく、ほとんど傍観しているので
 はあるまいか。
・私たちは、すでにこの国が、そして世界が病んでおり、急激に崩壊へと向かいつつある
 ことを肌で感じているからではあるまいか。知っている。感じている。それでいて、そ
 れを知らないふりをして暮らしている。感じていないふりをして日々を送っている。
・明日のことは考えない。考えるのが耐えられないからだ。いま現に進行しつつある事態
 を、直視するのが不快だからである。明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。
 しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。事実は事実として受け
 止めるしかない。
・国は、民の目に針をさす存在である。「知らしむべからず」というのは、古代から国家
 統治の原点だったといっていい。しかし、私たちはいまや国に依らなければ生きてはい
 けない。国家の保障する旅券を持たなければ、隣国さえも行けないのだ。だからこそ、
 私たちはこの国の行方に目をこらさなければならないのである。
・私たちは明治以来、近代化と成長を続けてきた。それはたとえて言えば、山に登る登山
 の過程にあったと言えるだろう。しかし、いま、この国は、いや、世界は、登山ではな
 く下山の時代にはいったように思うのだ。
・私たちがいま学ぶべきは、先進諸国ではない。すでに下山した国々、いま下山中の国々
 の現実ではありまいか。
・発展と成長の過去ではなく、大国が急激な下山をどうなしとげるかを注目すべきなのだ。
 なすすべくもなく崩壊していくのか。それとも起死回生のエネルギーを発揮しておだや
 かに軟着陸するか。世界は確実に下山していく。

いま下山の時代に
・上昇するということは、集中するということだ。これまでこの国は、集中することで成
 長してきた。戦後六十数年、私たちは上を目指してがんばってきた。上昇する。いわば
 登山することに全力をつくしてきた。登山というのは、文字通り山の頂上を目指すこと
 だ。ルートはちがっていても、頂上は一つである。
・しかし、考えてみると登山という行為は、頂上をきわめただけで完結するわけではない。
 私たちは、目指す山頂に達すると、次は下らなければならない。頂上をきわめた至福の
 時間に、永遠にとどまってはいられないのだ。これはしごく当たり前のことだ。登頂し
 たあとは、麓をめざして下山するのである。
・どんなに深い絶望からでも、人は立ち上がざるをえない。核に汚染された大地にも、雑
 草は生え、樹木は根づいてきた。
・私たちはふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではなく、実り多い成熟した下
 山をこそ思い描くべきではないのか。戦後、私たちは敗戦の焼跡の中から、営々と頂上
 を目指して登り続けた。そして幸運の風にも恵まれ、見事に登頂をはたした。頂上をき
 わめたあとは、下山しなければならない。それが登山というものなのだ。
・人間の生き方は、昔も今も変わらない。古代から現代まで、私たちは生まれて、生きて、
 死んでいく。時代というものは、確かにある。私たちは時代の中に生き、そして死んで
 いくのだ。
・登るときは必至で、下界をふり返る余裕もなかったかもしれない。だが、下りでは遠く
 の海を眺めることもあるだろう。平野や町の遠景を楽しむこともできるだろう。足もと
 の高山植物をみつけて、こんな山肌にも花は咲くのかと驚くこともあるだろう。自分の
 来し方、行く末を、あれこれ想ったりもするだろう。
・夕日の美しさ、落日の荘厳さに心うたれる人は少なくないだろう。日はまた昇る。しか
 しそれはいったん西のかなたに沈んだあとのことである。落日といい、斜陽という。そ
 こには没落していくマイナスの感覚がある。しかし、私は沈む夕日のなかに、何が大き
 なもの、明日の希望につながる予感を見る。
・この国が中国に抜かれるまで、世界第二位の経済大国であったことが、じつにすごいこ
 とだったのである。まさに一時代を画した歴史の軌跡といっていい。私たちはそれを
 誇っていい。しかし、すごいことというのは、相当な無理をしなければできないことで
 ある。しして、当然のことながら、ずっとすごいことを続けることはできない。そこに
 は相当な無理があった。無理をしなければすごいことなどできない。
・私たちは、新しい社会をめざさなければならない。経済指数とは別の物差しをさがす必
 要があるだろう。
・明日が見えない、というほど不安なことはない。私たちには、いま、明日が見えていな
 い。逆に言えば、今日の一日を精一杯生きるしかないのだ。
・なにごとにつけ、活性化することは大事なことだ。しかし、と、あえて思う。大きな災
 害の責任をきちんと問う、ということも同時に必要なのではあるまいか。
・活性化する、ということは重要なことだ。それは生きる者たちの責任でもある。しかし、
 同時に、私たちは災害の実態と、その責任を明らかにする義務もおっている。津波と地
 震のことよりも、それに伴うさまざまな災害を、復興の気分だけで忘れ去ってはならな
 いと思う。
・下山する、ということは、決して登ることにくらべて価値のないことではない。一国の
 歴史も、時代もそうだ。文化は下山の時代にこそ成熟するとはいえないだろうか。私た
 ちの時代は、すでに下山にさしかかっている。そのことをマイナスと受けとる必要はな
 い。実りある下山の時代を、見事に終えてこそ、新しい登山へのチャレンジもあるのだ。
・歴史は一夜にして激変はしない。長い時間をかけて変化がきざし、それが進行する。そ
 してある時、臨界点に達して堤防が決壊するのだ。
・下山の時代がはじまった、といったところで、世の中がいっせいに下降しはじめるわけ
 ではない。長い時間をかけて下山が進行していくのだ。
・登山するときと、下山のときでは、歩き方がちがう。心構えがちがう。重心のかけかた
 がちがう。見上げるときと、見はるかすときとでは、視点がちがう。ゆっくりと、優雅
 に坂を下っていかなければならない。

下山する人々
・国債が売れなくなり、超インフレが襲いかかり、日本が極東のギリシャになる、という
 意見がひろく語られていた。円は紙くずになる。物価は千倍、万倍になる。貯金は封鎖
 され、タンス預金は新円切替えで使えなくなる。敗戦後と同じような時代がくる、とい
 うのだ。長期ローンなどをかかえていると、家なき家族になりかねないという。
・ところが一方で、日本は絶対大丈夫、と断言する人たちが最近、急に増えてきた。もち
 ろんちゃんとした専門家である。日本国にデフォルトなどありえない。ギリシャと日本
 は根本的に立場がちがう。国債はもっとどしどし発行すべきだ。ハイパーインフレなど、
 ありっこない。そんな情報が急にひろまりはじめたのは、わけがあるのだろうか。
・もし日本の国債が未達になったらどうなるか。そんなテーマの未来小説があった。未達
 というのは国が発行する国債に買い手がつかないことである。要するに政府の信用がガ
 タ落ちして、国債がうれなくなる状況だ。
・日本の国債が格付けを落としたとか、そのうち紙くずになるだろうとか、いろんなこと
 が言われているらしい。常識で考えても、この国の借金は恐ろしいくらいのものだ。そ
 れでいて政府も、国民もあまり不安な様子ではないのが不思議である。
・ふり返ってみれば、敗戦の直前まで私たちに日本国民は、戦争に負けるなどとほとんど
 考えてはいなかった。いつか神風が吹くと漠然と信じていたのだからバカみたいなもの
 だ。
・巷間にながれている噂の一つに、退職した霞が関の高級官僚たちは、誰も円で預貯金を
 もっていない、というのがある。まあ新しい都市伝説の種類かもしれないが、そんな噂
 がひろまる背後には、市民の誰もが抱えている大きな不安があるのだろう。
・いざとなれば政府がどうにかしてくれる、などと甘いことを考えている国民は、そんな
 にはいないはずだ。しかし、だから自分でなんとかしようという覚悟もなさそうである。
・聞くところでは、サラリーマンやOLたちが、しきりにドルを買っているのだそうだ。円
 安ドル高が騒がれていながら、どうしてドル札をため込んだりするのか。そこにはそれ
 なりの理由があるにちがいない。虎の子の小遣いでドルを購入するというのは、なんと
 もいじましい生活防衛感覚だ。
・戦後半世紀以上、私たちは「プラス思考」を目標にかかげ走り続けてきた。「笑う」
 「明るく」「積極的に」「前向き」「感謝する」「ユーモアを忘れず」、エトセトラ。
 つよく念じれば必ず物事は好転する、と信じ、それを実行する。「プラス思考」は、む
 かうところ的なしという感じだった。それが時代の風潮だったのである。
・地震の大きさを、あらかじめどのくらいに想定するか。常識で考えれば、実際過去にお
 こった地震の2倍くらいまでを想定すべきではないだろうか。しかし、経済の論理から
 すれば、それは非常識となる。過去最大の2倍を想定するということは、はなはだ非効
 率的に思われる。それでは経済活動は成り立たない、といわれるだろう。しかし、安全
 の問題は、経済とは別な話ではないだろうか。
・昨日までデフレ、デフレと大騒ぎしていたのに、こんどはインフレの話題である。コー
 ヒー豆の高騰にはじまって、各種食糧、電気料金、タイヤなど、のきなみ上がるという。
・最近の世の中は、オオカミ社会である。オオカミがくるぞ、と叫べば、人びとは一斉に
 走り出し、本当にオオカミがやってくる。昔とちがいのは、実際にオオカミが出現する
 という点だ。
・デフレだ、デフレだ、とマスコミが騒げば騒ぐほど、デフレは進行する。逆にインフレ
 がやってきた、と大声で叫べば、人びとはその気になる。
・現代の特徴は、黒白をつける時代ではない、ということだ。すべてにつけ、二分法は通
 用しなくなっている。黒であり、同時に白でもある。
・富める者、権力をもつ者、学のある者、若さにあふれる者、良家の出の者、などなど、
 アドバンテージを有する者が、謙虚にふるまうのは、それほど難しいことではない。逆
 に、貧する者がおだやかにしれに耐えることのほうが、はるかに難しい。
・格差社会というのは、金持ちと貧民が同居する世の中のことである。富める国とか、貧
 しい国とかいう分け方ではなく、一つの国家、一つの社会い、その両方が混在するとい
 うのが格差社会の本質だろう。

いま死と病を考える
・養生に貯金なし、という。同じく、記憶にも貯金はない。養生も日々これに努めるしか
 ないのである。昨日、これだけ運動したから今日はいいだろう、とはいかない。体も、
 頭も、日々ちゃんとガソリンを入れなければもたないのだ。最近、つくづくそう思うよ
 うになった。
・老いは中年をすぎてはじまるように思いこんでいる人たちがいる。それは間違いだ。人
 はオギャアと生まれたその瞬間から、確実に老い始めるのである。
・私たちに唯一、絶対といっていい真実とは、私たちはやがて死ぬ、ということである。
 それは究極の真実である。この世に絶対などというものは、なかなかないものである。
 人間にとってもっとも確実、かつリアルな問題こそ「死」なのだ。
・人間はみずからが欲するものしか見えないのだ。私たちは広角レンズよりもなお広く、
 世界と現実の隅々まで見渡しているかのように錯覚している。しかし、それは明らかに
 錯覚である。
・私たちは未来を見通すことができない愚かな存在なのだ。ちょっと冷静に考えれば、お
 のずと見えてくる真実から、あえて目をそらそうとする心の動きを持っている。
・私たちにとって、きたるべき十年は、この国のたそれがと日没にすぎない。そう思いつ
 つも、実感としてそう感じてはいない。私は経済問題も、政治も、世間の動きも、統計
 より実感を大事に考える人間である。その感覚からすれば、この国は「病人大国」以外
 のなにものでもない。
・世の中のすべての事象を、数字や統計は説明しつくせるのだろうか。理論や照明された
 政策が確実なら、予想もつかない政変や、大不況や、劇的な失敗はおこるわけがないで
 はないか。
・いくら科学的、数理的に経済の未来を予測したとしても、現実には意味がない。それは
 なぜか。世の中には、偶然というものがある。不運がなさなるということがある。富士
 山の大爆発や、新幹線の事故や、原発の暴走や、リーダーの急死や、そんなことを予測
 することは不可能である。
・鬱病が激増している。本格的な鬱病とまではいかずとも、軽い抑鬱状態を前期鬱病と考
 えれば、実際には驚くほどの数字になるだろう。
・この国で、まったく病院や薬局のお世話にならずに暮らしている大人が、どれだけいる
 のだろう。サプリメントをふくめて、さまざまな健康食品を私たちは使用している。大
 病に出会わなくても、耳鼻科や歯科のお世話にならなかった人は、幸運に恵まれた少数
 者にすぎない。
・今の日本は病人だらけだ、というのが数字を超えた私の実感である。そして今後、高齢
 者社会へ移っていくとともに、病気で悩む人々の数は劇的に増えて行く、
・戦争の時代にも、プラス思考はあった。人はどんな苦しみのなかでも、希望を失わずに
 生きることが大事だろう。それはわかる。しかし、一見、豊かに見える私たちのこの国
 でも、見方によっては、深いくらい闇がある。
・五十歳をすぎての長生きは、相当に問題があるような感じがしないでもない。長寿が目
 出たいのは、それが恵まれた少数者だからではないのか。まわりが百歳以上の老人ばか
 りになった社会を想像してみると、なんとなく恐ろしい。

大震災のあとで
・新聞やテレビの報道は、常に要約されたものである。しかし、会見の席で発表される言
 葉は、ほとんど何をいわんとするのか理解不能だ。いや、わざと理解てきないように言
 葉を操っているとしか思えない。事実を伝えようとするのではなく、伝えまいと苦心し
 ている言葉の使い方だ。
・それに対して、嵐のような記者席から批判の声があたって当然なのだが、電力会社の発
 表に対しても、しんと静まり返って、主催者側にうながされてぼちぼち質問が出るとい
 うのは、なんともいえない脱力感を覚えさせられる光景だった。
・公というものは、そういうものである。民の立場を考えて対処するものではない。そん
 な抜きがたい感覚があるために、今でも報道される言葉を素直に信じることができない。
・今回の大災害を通じて、痛感したのは、日本人の温厚さ、規律を守る力、社会道徳心度
 の深さ、大きさだった。単に教育水準が高いというだけではない。そのことをよく感じ
 られないではいられなかった。