「再びの生きがい」 :堀田力

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 筆者は元エリート検事である。かつて日本中の注目を集めたロッキード事件を担当して、当時はカ
ミソリ検事と恐れられた。法務大臣官房長の地位まで昇り詰めたが、突然その地位をなげうって福祉
の世界に身を転じ周囲を驚かせた。退職金を投じて「さわやか福祉財団」を設立して、現在も福祉活
動を続けている。
 筆者は単なる福祉とかボランティアという狭い視点ではなく、日本の世界に類を見ない少子化・超
高齢化社会を見据えて、このままだとこの国はたいへんなことになるという切迫感から、福祉の世界
に身を転じたようである。少子化・超高齢化でたいへんな状況になる前に、なんとか福祉の網を全国
に張り巡らそうと福祉の組織作りに取り組んでいるようである。
 日本はこれから超高齢化社会に突入していく。待ったなしである。しかし、その割には国の福祉制
度の整備はなかなか進まない。それは、福祉の制度を考えている人たちが、福祉の制度にお世話にな
らなくても、充分やっていけるだけの富を持った人たちが、制度を考えているからなのかもしれない。
しかし、この国は経済格差が急激に拡大していて、福祉制度に頼ることなくしては生きていけない人
たちが急激に出現してきている。このままでは国はあまり頼りにはならないような気がする。国に頼
らず、ひとりひとりが少しずつ助け合う組織作りをしていかないことには、この国は悲惨な状態にな
るような気がする。しかし、今の弱肉強食の市場至上主義の世の中において、果たしてそういうこと
ができるのだろうか。とても不安に感じる。でも、筆者のような人が今の時代にもいるということは、
それだけで救いになる。

「鬼」から「福」へ
 ・人間は高齢になると、どうしても身体が弱ってくる。その弱った身体を支える心まで弱らせるこ
  となく、人間として最後まで幸せに生きていけるような社会にしたいというのが、いまの私の考
  えである。
 ・世の中には家の大きさを張り合う人がある。どうせ使っていないのだから、部屋が多かろうが少
  なかろうが生活上は問題ないのに、お互いに競争心だけで大きさを張り合ったりする。こうした
  ことは、本末転倒の生き方ではないかと思う。これでは、どんなところに住んでも、幸せにはな
  れないだろう。
 ・同期の人より1年や2年先に部長になったからといって、トータルでみればなんということもな
  いのに、そのわずかな差のために己を忘れて、必死になって残業して、上司に御歳暮を配り、心
  にもないお世辞を言い、心身をすり減らして働くのは、愚かしいことではないか。他人との比較
  だけで出世した人は、自分としての生き方がないので、いざ組織から離れたときには、なにもで
  きない。結局、「群落ち葉」の人生を送るしかなくなる。
 ・システムづくりに乗り出す場合、タイミングをはかることが大切である。いくらそれが良いこと
  であっても、タイミングを誤れば、実現までひどく難航するし、へたをすれば道化になってしま
  う可能性もある。社会的なシステムというのは、社会のニーズがあり、流れがあってつくられて
  いくものである。システムをつくっていこうとする場合、ちょうどサーフィンのような感じで、
  波の先端のところに乗っかって声をかけると、いろいろな流れが集まってきて一つの大きな力と
  なり、スムーズに出来あがっていく。
 ・はっきり言えることは、給料がちょっとぐらいいいからとか、ちょっと待遇がいいからという基
  準だけで次々に転職していたのでは、どこまでいっても幸せにはなれないということだ。転職し
  ても、すぐにまた転職したくなるだろう。少なくても1日のうち8時間というもっとも長い時間
  を使っているのだから、自分の性分に合った仕事でなければ、気合も入らないし、長続きもしな
  い。結局、生き甲斐にはつながらない。その仕事に生き甲斐を感じているのと、早く時間が過ぎ
  ればいいと思いながらやっているのとでは、トータルの人生では大きな差が出てくるだろう。

大きな曲がり角
 ・戦前は「人生50年」といわれ、戦後の昭和20年代に入っても、男子のほうは平均寿命が50
  歳に達していなかった。それがいまでは人生80年時代。50年もたたないうちに平均寿命が30
  年も延びたわけである。これは本当にすばらしいことで、せっかく延びた人生だから、楽しく送
  らなければならない。
 ・私たちのいま生きている日本の社会は、人類史的にみてもきわめて特殊な曲がり角にさしかかっ
  ており、われわれは、その変化の真っ只中に生きているのだということを頭に入れて先のことを
  考えないと、見通しを誤ることになるだろう。われわれは戦後、ずっとこういう社会に生きてき
  たから、これが当たり前の社会だと思っているが、平均寿命がこんなに急激に延び、子供の数が
  これほど急に減るという現象は、かつてなかったことである。世界的に見ても、これほど急激な
  変化は初めてといっていい。
 ・考えてみれば、生物の生命というのは、種を残すためにあるといえそうである。人類も生物であ
  るから、何百万年もの間、そういう生き方をしてきた。そしてその時代には、当然のことながら、
  個人主義という思想はいきわたらなかった。ところが、農耕社会が産業社会に変わり、それにつ
  れて平均寿命が延びだすと、個人主義思想が人々に受け入れられ、それが社会の基礎となる考え
  方となっていく。
 ・子を生めなくなり、あるいは生産活動をする能力が衰え出してからも平均して30年もの生命が
  あるということになると、もはやその生命は、子孫を残すためにあるとか、その変形として、家
  のためにあるとかお国のためにあるとか、そういった考え方では説明できなくなる。その生命は、
  自分のためにあるとしか言いようがないことになるからである。
 ・そういう社会になってはじめて、もはや子をつくることもなく、生産に従事することもなくなっ
  た高齢者の生命も、若い人たちのそれと同じように尊いという考え方が生まれ、「余生」という
  感じ方は消えてゆく。そして、最後まで頑張って生きることがなによりも尊いことだと、みんな
  が考える社会になるのである。
 ・ただ、日本の場合、第二次世界大戦に負けてペチャンコになってしまったため、そこから立ち直
  るための経済成長第一主義が社会のすみずみまでいきわたってしまった。この、「稼ぐ人が偉い」
  という考え方から、稼ごうと稼ぐまいと、どの生命も尊いという考え方に変えてゆくという作業
  がもうひとつ残っているのである。
 ・企業戦士がサービス残業とか仕事と称して、夜遅くまで酒を飲んでいる間に、奥さん方は勉強会
  に参加したり、旅行の会をつくったりして仲間の輪をつくっているから、高齢になってからも、
  いくらでも自分自身の人生を楽しむことができる。月給を運ばなくなった亭主にはもう価値がな
  いので、相手にもしてくれなくなる。亭主関白から女房関白になり、亭主はどこにも行くところ
  がないので、奥さんがどこかに行こうとすると、「わしも連れて行ってくれ」と言って、「わし
  も族」になり、やがて奥さんにへばりついている「濡れ落ち葉族」になり、そのうちうとまれて
  「粗大生ごみ」になる、というのが企業戦士のなれる果てである。
 ・経済成長至上主義の社会では、「稼ぐ人は偉い」ということになる。日本の社会全体が、この価
  値観によってでき上げっていた。サラリーマン亭主は、家に帰れば、仕事だといえばなんでも許
  された。そして、稼ぎもとである企業には忠誠を尽くし、人生をそっくりそこに埋め込んでやっ
  てきた。会社でも必死に働いて、営業成績を上げた人が出世する。夕方5時半になったら仕事を
  やめて、近所の子供にものを教えたり、日曜日には空き缶を拾ったり、環境整備の活動をしても、
  会社はなにも評価してくれない。こういう社会では、高齢者、専業主婦、子供などは、稼がない
  人、あるいはあまり稼げない人ということで、二次的な存在にされてしまう。人間に対する価値
  観が、どうしてもそうならざるを得ない。
 ・とにかく、日本の社会全体が、稼ぐことだけを目的にやってきた。国中をあげて取り組んだ経済
  復興、所得倍増、経済成長がある程度遂げられて、多少とも考えるゆとりができてきて、さて、
  いい社会になり、市民が幸せになったかとあたりを見まわしたら、日本は完全に優しさを忘れた
  社会になってしまっていた。企業戦士が定年で会社を辞めたとたん、稼がない人として粗末にさ
  れるようになる。人生をそっくり組織に埋没させていたから、地域社会から浮き上がって、溶け
  込むことができない。友だちもいないので、「濡れ落ち葉」になるしか能がない。
 ・人間の生活というのは、地域社会の中で家族を中心として成り立っているというのが本来の姿で
  ある。地域の中で、家族と一緒に楽しく生きることが、幸せな生活にほかならない。しかし、日
  本の戦後は、産業主導の社会になり、家族の支えであるべき父親が企業という組織縁に人生を埋
  没させてしまったのである。日本の戦後のように、組織縁しかないというのは、きわめて特殊な
  時代の特殊な現象なのである。
 ・若い人たちはすでに企業に人生のすべてを埋め尽くすという考えはなく、自分の人生は会社とは
  別のところにあると考えるようになっているが、これから定年を迎えようとしている人も、まだ
  組織人であるうちから、組織にいる期間は自分の人生の一部でしかなく、いずれはそこから抜け
  出して、組織に頼らないで生きていくという人生設計をしておかなければならない。基本的に、
  幸せな人生は人とのつながりによってもたらされる。しかし、会社にはそれを期待できないから、
  地域に戻って、家族縁、地域縁の中で第二の人生を送るしかないだろう。
 ・社会の構造が変わってくると、「稼ぐ人が偉い」という考え方が消え、かわりに、授かった生命
  を大事にして、自己実現していくことが尊い生き方なのだというように、人生観が変わってくる。
  同時に、長寿になってきたから、企業に人生の全てを埋没させることも、必然的に不可能になっ
  てくる。これからの人々は、それぞれの地域で、お互いに生き方を尊重しながら困っているとき
  には助け合い、みんなで幸せに生きようという人間本来の姿に戻っていくだろう。
 ・いまは過度期であるが故にいろいろな現象が起こっているが、全体的な流れとしては、これから
  は、個人の生き方を絶対的に尊重し、他人のプライバシーに関与しないということを大前提にし
  た地域社会でないと成り立たなくなるだろう。

夢はふれあいの社会へ
 ・組織での友だちというのは、ずっと苦楽を共にしてきたような特別な人を除くと、おおかたの人
  は、いったん組織を離れたら、それでおしまいになってしまう。企業を定年退職した人が、会社
  に、かつての同僚や部下を訪ねていっても、歓迎されるのは最初の一回ぐらいだろう。そこで初
  めて、自分の輪の中にほとんど人がいないことに気がつく。長生きしようと思えばなにかネット
  ワークをつくる必要がある。どんなネットワークでもいいが、やはり地域のネットワークがもっ
  とも身近であろう。人類は何万年も前からずっと地域のネットワークによって生きてきた。どこ
  の国でも、どんな時代でも、人間のネットワークは家族が中心で、その周囲を地域のネットワー
  クが支えているというのが自然な姿なのである。
 ・以前、路上暮らしの高齢者に対して、少年たちが寄ってたかって暴行を働き、殺してしまったと
  いうショッキングな事件があったが、知識・感覚がゆがんだ社会では、こうしたことがいつも起
  こりうる。差別もいじめも知識・感覚のゆがみが起こすもので、実にこわいことである。社会の
  中で弱い立場にいる人のことを理解し、自分もそういう立場に立たされうるのだということをわ
  かるようになるには、なにより身をもってそういう状況に接することが必要である。しかし、現
  実には、子供が高齢者に接する機会はあまりない。
 ・地域というのは、特定の世代だけでは本当の意味での活気は生まれない。いろいろな世代が混在
  していないと、人間が楽しく生活する場としては続かない。アメリカあたりには、人里離れたと
  ころに高齢者ばかりが住む町をつくっているところがある。確かに環境もよく、医療設備なども
  整っているが、結局、そこで暮す高齢者たちは、社会から隔離され、バラを栽培したり、犬の頭
  をなでながら余生を送るだけでしかない。これでは淋しいし、もったいない。
 ・助け合いの組織をつくって、高齢者や障害者にもいろいろな出番を用意し、高齢者も障害者も子
  供たちもみんなで楽しく、そこで暮らすこと自体が生き甲斐につながるような地域にしていくこ
  とが大切である。

ボランティアの輪
 ・企業がやがて、窓際族どころか、専門職をどんどん増やし、定年も延長し、いまは中年の男性が
  やっているポストも元気な高齢者や専業主婦に提供し、給与も時給七百円とか八百円ではなく、
  何十万円という月給を支給し、年2回のボーナスも払うなど、もっといい条件を提示して人集め
  を図らざるを得なくなるだろう。それに成功した企業が生き延びるという時代になる。このこと
  は、元気な高齢者に生き甲斐を提供することになるし、また、職場における男女の不平等を解消
  する方向に進むことになるから、その意味では大変良いことになのであるが、これを、現在の高
  齢者介護の実情という観点からみると、大変なことになる。これまでかろうじて高齢者を支えて
  いた二つの層が、企業などに吸収されるようになったら、ますます高齢者を見る人がいなくなっ
  てしまう。せっかく日本人が心豊かな生活を気築こうという気持ちになってきたというのに、人
  が足りないため、昔の姥捨て山のようになってしまう。
 ・これまで、年老いた親の面倒は、ほとんど家族で見てきた。これはいつの時代でも、どこの国で
  も同じである。親は自分の老後をみてもらうだけの財産を残し、また子供をたくさん産んで育て
  た。そしてだいたいは、子供が参ってしまうほどに長生きしなかったのである。ところが、いま
  は家族構成がガラリと変わり、最近では、子供は一人か二人が平均で、結婚しない人も増えてき
  ている。従来のように家族だけで介護するとなったら、子供は働きにも出られなくなる。そうな
  ると、日本の経済はあっという間にマイナス成長になるであろう。かといって、家族はなにもし
  ないで、すべてを行政に任せてしまうというのも無理である。
 ・現在、中心になっているボランティア活動をしている専業主婦や元気な高齢者が、どんどん企業
  に吸収されていくとなると、それだけの人はどこから出てくるのであろうか。実は、この答えは
  簡単で、まずその企業から出してもらうほかない。将来的には、いま時間に余裕のある人々を吸
  収していくと予測される企業が、高齢者をささえる活動に社員の参加を奨励する措置をとらなけ
  れば、日本の介護マンパワーは確保できず、結局、社員はその家族の介護のために退職せざるを
  得ないということになろう。
 ・薄く、広く、一人がせいぜい週に一、二回、出勤の途上や帰宅途中に、一時間とか一時間半とか
  の時間を提供すればやっていけるであろう。その間の給料は、ボランティア時間給ということで、
  会社にもってもらう。これから猛スピードで進む高齢化への対応と、深刻になる労働力不足の解
  消という、二つの矛盾する問題を合わせて解決するには、この方法しかないのではなかろうか。
 ・ボランティア活動は、本人にも会社にも、貴重な社会の情報をもたらす。また、ボランティア活
  動は、まぎれもなく本人の人間の幅を広め、判断力の基礎を大きくし、行動力を高め、よい人間
  関係をつくる能力を育てる
 ・企業は、社員のボランティア活動を、情報入手活動と評価してもよいし、社会研修と評価しても
  よい。おまけに、社員のボランティア活動によって地域とのつながりができ、社員募集上も社員
  の定着上も有利になり、地道ながら強い生存能力を獲得するということになれば、有給休暇にす
  ることはもちろん、昇進昇給やボーナス増額の要素にする理由も十分ある。
 ・ボランティア活動というのは人と人のふれあいだから、やりだすうちに、そこで自然と相手の人
  間としての優しさにも触れるだろうし、あるいは自分のしたことによって相手が喜んでくれる、
  それがまた自分の喜びにもつながるといったことで、しだいに理解も進み、ボランティア精神が
  根づいてくるのではないだろうか。

組織を全国に
 ・日本人は、けっこう精神主義者で、なにごとにつけあまりマニュアルをつくらない。職人や徒弟
  を仕込むやり方がいまだに生きていて、中学や高校の野球部あたりでも、入部した最初の一年は
  球拾いしかさせないといった非合理的なことをいまだにやっているところもある。職場での仕事
  ぶりの訓練も、まずマニュアルはなく、先輩を見習い、以心伝心で学べなどという徒弟方式がほ
  とんどである。日本軍隊の精神主義が全国民を不幸のどん底に陥れたのに、まだわからないのか、
  といいたくなる。だから職場の人間関係も、先輩後輩のベトッとしたものになり、組織が、年を
  経るにつれて硬直化し、老朽化し、勤続疲労を起こして破滅への道をだどる。
 ・ボランティア組織のこれからの発展を考えると、組織を広める最大の切り札はコンピュータであ
  る。ボランティア組織の運営の難しさは、マッチングといって、援助される側とする側との組み
  合わせである。実際にやっておられる現場に行ってみると、人の名前や条件などを書いた紙が壁
  いっぱいに貼ってあって、マッチングが非常にやっかいな作業であることがわかる。何百人とい
  う組織になると、もう人の頭だけでは作業はできず、コンピュータの助けがなくてはならないも
  のになる。
 ・ボランティア組織を伸ばすだけでなく、高齢者が、死ぬ瞬間まで幸せに生きることのできる社会
  をつくるには、彼らに必要な情報が届けられると共に、彼らの声が世間に届けられることが重要
  である。ところが、自分がどういう生き方をしたらいいか、心の問題、身体の問題、地域とのつ
  ながりの問題など、心幸せに生きることに役立つ情報、あるいは、さわやかな高齢社会を築くの
  に役立つ情報がまだまだ少ないのが現状である。

ふれあい切符・ふれあいの論理
 ・日本人は無料で奉仕をしてもらうのが苦手なようである。ただで家の中を見られるのはいや、と
  いう感覚の人も少なくない。身体が不自由で困っている高齢者を、見るに見かねて近所の奥さん
  がお手伝いすると、お礼として気持ちばかりのお金を渡そうとする。介護されるほうのそういう
  気持ちを汲んで、多くのボタンティアグループはいくばくかの謝礼を受け取る決まりを作って、
  介護者を派遣している。そのようにしたほうが、介護を依頼するほうも気兼ねがなくなり、頼み
  やすくなるからだ。
 ・ところが、こうしたやり方に対して、一部の人から激しい攻撃がある。そもそもボランティアと
  いうものは無償で行うものであって。謝礼をもらうのはボランティア精神に反するというのであ
  る。欧米でボランティア活動が発生した当時の伝統的な考え方にしたがえば、その通りなのだが、
  日本ではボランティア活動自体がまだ普及していない段階にある。大変遅れている状況の中で、
  社会の変化や人の生き方の多様化を無視して、最初からあまり堅苦しい原則論を言っていたので
  は、活動はとても広がらないだろう。まずボランティアになじむことが先決だと思う。
 ・ボランティア組織に限らず、社会そのものが人と人との関係で成り立っているものだから、なに
  もかも完全に噛み合うことは難しいだろう。夫婦だって、愛し合って結婚したのに、しばらくす
  れば喧嘩をするようになる。居酒屋で飲んでいるサラリーマンの半分以上が、「あいつはムシが
  好かん」とか「あのバカ上司」とか、そんな話題ばかり口にしている。本来、人間同士はガタガ
  タするもので、しかし、いったん夫婦になれば、子供のこともあるし、そう簡単に離婚もできな
  いから一緒にいるという人も少なくない。また、生活費を稼がなければならないから、いやな上
  司がいても会社を辞めないで我慢して続ける人もけっこういる。
 ・ところが、ボランティア活動には、そうした枠はない。なにも組織からもらっているわけではな
  いから、気に入らなければ辞めてもかまわない。もちろん、ボランティア組織も人間の集まりで
  あるからには、内部がガタガタすることはあるが、それでもめったに飛び出すところまではいか
  ず、活動を続けているのは、人に喜んでもらいたいという共通の目的があり、そしてそれがまた
  自分の喜びであるからだろう。ここにこそ、ボランティア活動のすばらしさがあると思う。

自己存在の確認
 ・平均寿命が一挙に30年ほど延び、人類として初めて、子供がつくれなくなってもみんなが生き
  ているという画期的な現象が起こった。だから、われわれは神から頂戴した30年を大事にしな
  ければならない。ところが、大切に生きるといっても、いままでのように組織縁だけで生きるこ
  とは無理である。これからはもっと身近な地域縁を基盤に、自分で新しいネットワークをつくっ
  て生きるしかない。つまり、各人の生き甲斐は、各人で見つけ出していかなければならないとい
  うことである。
 ・ネットワークは自分でつくってもいいし、すでにあるネットワークに参加してもいい。また、趣
  味でも、旅行でも、なんでも自分が好きなネットワークを選んでいいわけだが、ただ時間つぶし、
  退屈しのぎのためでは、たいした生き甲斐にはつながらないと思う。まず、人間的に生きるため
  の基本は、精神的なゆとりである。経済成長至上主義の残滓を引きずって、なお、お金もうけに
  眼を奪われていると、いつまでたってもゆとりは生まれない。
 ・ゆとりができ、人間らしい気持ちになっていくと、自分が満足するだけでは満ち足りなくなる。
  まず自分の満足を、家族や仲間とともに分かち合いたいと思うようになり、さらに、他人にも喜
  んでもらえることをしたいと考えるようになる。人間心理の面でも、最高次の人間らしい欲求と
  は、他人に喜んでもらうというところにあるのではないだろうか。
 ・考えてみれば、人間は子供のころから、自己存在の確認を求めて生きているといえる。学校で一
  生懸命勉強するのも、企業に入って懸命に働くのも、自分の存在を認めてもらいたいからである。
  どうがんばっても勉強ができない子は、スポーツに打ち込んで認められようと思い、それもかな
  わない場合は、不良になって目立つことで、自分の存在を主張する。
 ・人はお金を得るために働くが、それだけでなく、お金が得られなくとも、人から認められる喜び
  を得るために働くことも少なくない。そう考えると、人の貢献を認め、ほめるということは、お
  金を払うと同じぐらい効果をあげるということになる。
 ・人は誰でも、自己の存在を認められることを願っている。自己実現の願望ということがいわれる
  が、もっとも基本的には、自己を実現することにより、他者がその自己の存在を認め、それによ
  り自己の存在意識を確認することを望んでいるような気がする。
 ・人間にとって、性を分かち合うことと他人に喜んでもらうこととは、死ぬまで大事なことだ。性
  の本質は、人と人との交わりである。最後まで性が大事だというのも、身体を通じた心の交流が
  あるからだろう。とくに年をとってからの性は、そのつど性的に満足というより、「あなたの存
  在をこうして認めますよ」という心の部分が大事だと思う。その意味では、性も相手が自分を認
  めてくれことの一つの確認なのである。
 ・老いた夫婦が一緒にお風呂に入り、お互いの性器や乳房などをゆっくり洗い合えば、呆けかけて
  いたのが治るともいわれる。
 ・脳が老化すると、心の座も失われることは確かだが、心あるいは精神が老いるということはない。
  老いて死ぬことは、誰でも死ぬのだから覚悟しているが、私たちが高齢化していく中でもっとも
  不安なのは、呆けや呆け寸前で人にさんざん迷惑をかけるのではないかということであろう。そ
  の点、心とか精神が老いることはないと明確に指摘されると、ほっと救われた気持ちになる。た
  だし、そのためには努力が必要だという。たとえば、記憶力の減退を防止するためには、ものを
  記憶するのに、一つの感覚だけに限定しないで、臭いや色や味などいろいろな感覚とミックスさ
  せて記憶させたほうが忘れにくいという。とくに知的好奇心を満たすように頭を使うことが大切
  で、趣味もなく他者との交流もない人は、高齢化すると66パーセントぐらいが寝たきりになる
  そうだ。
 ・組織を離れたあとの自分が、地域のグループに参加して目指す方向というのは、自己の確認であ
  り、とくにボランティア活動は、そのもっとも有益な方向ではないかと思う。有能な組織人の中
  には、住民活動の責任能力や効率性に首をかしげる人も少なくないが、私が出会う中でもっとも
  多いのは、「なんだっていいから、みんなで助け合ってやりましょう」という人たちである。
 ・人の心がお金によってむしばまれ、不幸になった話は事欠かない。地位、権力も同じように毒を
  含んでいる。人は金と権力、地位を求めて働くが、実はそのいずれも、他人のために使うべきも
  のであろう。これを忘れると、毒にやられてしまう。
 ・人々が助け合って、心豊かに暮らしていくには、それぞれが人を思いやるゆとりを持つことが基
  本であろう。そのゆとりは、ほほえみになってあらわれると私は思っている。ほほえみが生み出
  す人と人とのふれあいの社会。日本の社会もすこしずつ確実にこの方向に変わろうとしている。
  戦後の世代ががむしゃらな働きによって、なんとか経済的ゆとりを得た今、人々はその間に失わ
  れてしまった心のゆとりを求め始めたのである。
 ・ノーブレス・オブリッジという言葉がある。「高い身分や地位には義務が伴う」という意味で、
  欧米でボランティア活動がさかんなのも、それを義務としてやっている傾向がある。そして、
  それをみんなが認める。したほうは、みんなから認められるようなことをしたということで、自
  己満足が得られる。これがボランティア活動のいちばんエネルギーになっているように思われる。
  少なくても、お金がほしくてやっているわけではない。
 ・女性は仲間を作るのが得意だから、昔からいろいろなネットワークをつくって、助け合って生き
  てきた。旅行の会とか趣味の会とか生涯学習の会などに入って、誰とでもすぐに友達になれる。
  それにひきかえ、男性のほうは、なかなか友だちを作るまでにはいかない人が多い。肩書をはず
  すのが下手で、フランクに話せない。

自立とふれあいと
 ・いまの高齢者たちは、国をあげての経済復興、成長政策の中で、みんなの幸せのために自分の楽
  しみも犠牲にして働いてきた。しかも、年功序列型賃金体系と終身雇用制の中で、自らのすべて
  を会社にゆだねてしまったため、自分の人生に関して自ら判断するということを、あまりしてこ
  なかった。それだけに、会社を定年退職したらなにもすることがない、友達もいないというよう
  に、自立できないで寂しい思いをしている人が多い。
 ・日本より先に長寿社会に入った欧米諸国でも、それほど時間がたっているわけではないから、ま
  だまだ手探りの状態である。ただ、欧米では個人主義が確立しているから、国や他人にはなるべ
  く迷惑をかけずに、自分でなんとかしていこうという自立精神は、日本の高齢者より各段に進ん
  でいる。しかし、それにしても、肉体的には確実におとろえていくし、働かなければ、当然、経
  済的にも次第に苦しくなっていく。そういったときに、彼らの基本をなしている自立精神とどう
  調和して生きていくのか。そのあたりは、まだ欧米でも確立していないようである。
 ・日本は急激に長寿社会になったし、とにかくこれまでの経済成長一辺倒で来たから、高齢化社会
  に対するきちんとして準備もしてこなかった。これから大急ぎで手探りしていけなければならな
  いわけだが、欧米におけるここ何十年かの経験に照らして、例えば、自分の生命を大切にし、自
  立して生きること、それと同じように、人の生き方を重んじ、助け合って生きること、高齢者ば
  かりがかたまっているのではなく、地域の中で各世代が混在して一緒に生きていくことなど、進
  め方の基本ルールや方向性はおぼろげながらわかってきたように思われる。
 ・もうこれからは、子供たちに財産を残そうなどと考えないほうがいい。農業とか家業を子供が継
  いでいく場合は別としても、少なくとも普通のサラリーマン生活を送ってきた人たちは、急に寿
  命が30年も延びたのだから、そんなにたくさんのお金を残せるはずもないし、また残す必要も
  ない。
 ・自分たちのお金を使って、どう生きるかについては、それぞれの好みや趣味などを最大限に生か
  せばよい。基本的には、法律さえ犯さなければ、なにをやってもかまわない。素っ裸で歩くこと
  は軽犯罪に触れるからいけないが、真っ赤な服を着たいと思ったら、誰に遠慮をすることもなく、
  着ればいい。なにも年寄りだからといって、地味な服を着なければいけないという法はない。
 ・若い人たちは、これからの家庭をつくり、子供を育て、子孫を残すという仕事がある。もちろん、
  そうしたいと思ってすることはあるが、子育てとなると、結構、自分のしたいことが制約される
  ことになる。その点、高齢者はそういう仕事はもうないわけだから、一面では、若い人たちより
  ももっと好きなことをして生きればよい。例えば、配偶者に先立たれて一人暮らしをしている人
  たちは、どんどん好きな人を見つけて、新しい人生を切り開いていけばいい。
 ・女性は子供を産むまでの負担が大きいから、授乳が不要となったあとの子育ては、原則として男
  の責任とするというぐらいに、日本の社会全体が頭を切り換えてみてはどうだろうか。そうでも
  しないと、子供の数が激減しているツケは、確実に男にまわってくる。経済が失速し、年金もろ
  くにもらえず、高齢者を支える人手がなくなったとき、先にダウンしてしまうのは、まず男だか
  らである。
 ・子や孫たちを自立させるには、とりあえず、いまの高齢者が強くなり、強い生き方を見せること
  である。そのためにも、子供の「財産は残せ」「年寄りは世間体の悪いことをするな」などとい
  う勝手な言いぐさは、断固としてはねのける。そうすれば、いま子供を育てている母親たちにも、
  自立した生き方がわかってくるにちがいない。
 ・高齢者には、生きているうちにお金を使い切ってしまったら、そのあとどうしよう、という不安
  があるに違いない。その不安があるから、どうしても子供を自分のもとに引きとめておきたいと
  考えてしまう。しかし、そうして不安は、子供によっては解消されないだろう。親の財産をあて
  にするような子供なら、お金を使い切った親には用はなくなり、期待は裏切られるに違いない。
  お金を使い切ったら、堂々と国は行政の世話になればいい。生存権は憲法で保障された国民の権
  利なのだから。そこまで考えて、甘ったれた子を追い出すか、財産をもって自分が飛び出すかし
  て、縁を切るくらいの覚悟をしてはどうだろう。

夢の軌跡
 ・人は、ほかの生物と同様、生きる必然性はないが、生存本能を持ち、自らの選択で生きる以上、
  生存本能をもっともよく満たす生き方が、もっともふさわしい、自然な生き方だ。
 ・財産も地位も、なにか自分にしたいことがあって、そのための道具として役立つならよいが、自
  分のしたいことと関係なしに、ただ金持ちになり、ただ大臣になっても意味がないじゃないか、
  本末転倒ではなかろうかと思っていた。
 ・人はきれいごとの建前だけでは暮らせない。それどころか、精神破壊の道をだどるということを
  知っている。向上を求めることはもちろん大切であるが、性欲や食欲をいやしんだり、ひととき
  の楽しみや、安らぎを求める気持ちを抑えたりしたのでは、人の基本が破壊される。食欲におぼ
  れる人が出るからといって、いい料理を出すレストランを否定する人はいないであろう。