「不良中年」は楽しい :嵐山光三郎

枯れてたまるか! [ 嵐山光三郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

漂流怪人・きだみのる (小学館文庫) [ 嵐山 光三郎 ]
価格:658円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

影の日本史にせまる 西行から芭蕉へ [ 嵐山 光三郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

老いてますます官能的 [ 嵐山光三郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

文人悪食 (新潮文庫) [ 嵐山 光三郎 ]
価格:853円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

不良定年 (ちくま文庫) [ 嵐山光三郎 ]
価格:734円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

「下り坂」繁盛記 (ちくま文庫) [ 嵐山光三郎 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

魔がさす年頃 [ 嵐山光三郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

老いてますます明るい不良 [ 嵐山光三郎 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

年をとったら驚いた! [ 嵐山光三郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

ぼくの交遊録的読書術 [ 嵐山光三郎 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵 [ 嵐山光三郎 ]
価格:1296円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

嵐山光三郎ぶらり旅(ほろ酔い編) [ 嵐山光三郎 ]
価格:1337円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

嵐山光三郎ぶらり旅 [ 嵐山光三郎 ]
価格:1337円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

よろしく (集英社文庫) [ 嵐山光三郎 ]
価格:802円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

不良になりました。 (東京日記) [ 川上弘美 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

不良中年の風俗漂流 (祥伝社新書) [ 日名子暁 ]
価格:842円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

オヤジの地域デビュー 定年が楽しみになる! [ 清水孝幸 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

オヤジの知恵 (集英社文庫) [ 早坂茂三 ]
価格:555円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

オヤジの着こなしルール [ 本江 浩二 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

定年オヤジ改造計画 [ 垣谷美雨 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

ま、いっか。 (集英社文庫) [ 浅田次郎 ]
価格:534円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書) [ 押井守 ]
価格:820円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

中年だって生きている (集英社文庫(日本)) [ 酒井 順子 ]
価格:594円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

老いの冒険 人生でもっとも自由な時間の過ごし方 [ 曽野綾子 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/8/13時点)

 この書は、これからの第二の人生をどう生きたら良いか悩んでいる中年には、バイブル
とも言えると私は思っている。
 せっかくこの世に生まれてきたこの人生、不完全燃焼のまま、あの世に行くのは淋しい。
中年ともなれば、華々しい未来はもう残されてはいないけれども、その代わりもう先は見
えているという居直りの境地になれる。中年はみんな居直って不良中年を目指そうではな
いか。悩んでいるだけの時間はもう残されてはいない。不良中年になって、好き放題人生
を楽しもうではないか。

不良中年の特権
・高齢化社会になると、50歳は「第二の人生」の始まりとなる。しかし、「さて残りの
 人生はどう過ごすか」とオヤジ達は戸惑う。会社内では締めつけられて、リストラの対
 象になる。こういう時はどうするか。不良オヤジになればいい。
・生活の不安はある。住宅ローンの返済は残っている。子の学費もかかる。だけど、そん
 なことに縛られていてどうする。あとの残りの人生を考えると、80歳まで生きるとし
 ても、すぐにボケがやってくるかもしれない。残りの人生を好き勝ってに生きなきゃも
 ったいない。
・お金持ちも貧乏人も寿命には限りがある。お金はあるにこしたことはない。でも、お金
 がなければないなりに、不良オヤジにはなれるのだ。お金とか社会的地位にこだわるか
 ら不良になれない。
・50歳まで積み上げてきた社会的経験が、オヤジの不良化を妨げている。そんなものは
 幻影の楼閣だ。早いとこ捨てちまった方がいい。
・不良と非行はちがう。非行は人倫にもとる行為である。50歳を過ぎて非行に走れば犯
 罪者となる。
・老いては色欲に従うのが不良オヤジの第一歩だ。色欲に従ったって、破滅するわけでは
 ない。色気なしでは不良の面目が欠ける。
・ハゲオヤジになって、妙に達観していい人になってしまっては、なんのドラマも生まれ
 ない。顔や体型はオヤジでも、心は青年貴族でいなければならない。自分で自分を安く
 見積もってはいけない。といって、会社の権威をカサにきて威張るのはもっといけない。
 いつも「アブナイオヤジ」でいなければならない。
・不良オヤジは放浪する。妻から離れ、子らと別れ、寝袋ひとつで旅に出る。そのために
 は、妻に依存する生活態度を改める。パンツの洗濯なんて自分でできる。料理だって自
 分でできる。このふたつができれば、どこへ行ったって、こわいものはない。頓着せず
 に自分の生き方を選ぶ。
・会社勤めのサラリーマンは、そういつも休みはとれない。それでも、どうにか休みをひ
 ねり出し、ひとり旅の練習をしておく。たまの長期休暇には、まちがっても家族旅行を
 してはいけない。
 うるさい妻はおいておけ。そのほうが妻は喜び、妻は妻で好きなようにやればよい。
・世間には、歳を取っても仲の良い夫婦がいる。それはそれで、天然記念物的な存在だか
 ら、お好きなようになさればいい。こういうオヤジは、永遠に不良オヤジにはなれず、
 それでいいと思っている。
・理想的な夫婦は、互いに自立しつつ生活すればいいのだ。妻は妻で旅をし、オヤジはオ
 ヤジで旅をする。50代夫婦は、月に5,6回顔を合わせれば十分だ。それ以上一緒に
 いるとケンカになる。
・放浪こそが不良オヤジの特権である。そのためには、50歳になったら背広の似合わぬ
 男となれ。不良オヤジは、背広なんて一着か二着あれば十分だ。ネクタイは三本もあれ
 ばいい。できればネクタイなんか捨てればいい。ネクタイをはずした瞬間から不良の道
 が始まる。

みんな不良になろうじゃないか
・50歳を過ぎる頃には、会社では物分りのいい中年男として振る舞い、満員電車にもま
 て家へ帰れば無愛想な妻がふてくされて、飲んで帰るときはオヤジ狩りに怯え、子供達
 は父を父として遇さず、やれハゲ、デブ、チビとか前世紀の遺物として無視される。
・50歳を過ぎると、男は防御に入る。それまでガンガンやってきた人も、角が取れて、
 酸いも甘いも噛み分けた気にもなるが、それは、50歳を過ぎた自分を演じているだけ
 で、本当の自分ではない。
・財産がある男は悪女に狙われる。しかし、50歳を過ぎた我々普通のオヤジ族は財産な
 んてないから、脅迫される心配はない。財産家や思想の大家は、もともと自分が他人よ
 り優れているという過信があり、自分が上位に立って恋をするから悪女に狙われる。哀
 れみをかけるように恋をして、しっぺ返しを食う。会社の部長が、部下の独身女性と不
 倫関係になり、家庭崩壊に陥るのもこの典型である。不倫するなら上役の奥さんを口説
 くのが不良というものだ。
・不良にとって恋愛は対等である。だから女が強くなり、自立すればするほど不良が出る
 幕が増える。男が不良なら、女も不良だ。不良同士の恋ならば、他人からどうと言われ
 る筋合いはない。どっちみち、ろくなもんじゃない。
・愛と尊敬のない家庭なんて捨ててしまえ。妻は夫を単なる集金オヤジとしか考えず、子
 は父を牙のない扶養者として侮辱し、会社の若僧達は、使い捨ての旧式消耗品戦士とし
 て見ている。そして、悲しいことに、肝腎の五十男たちは、お互いに「虚勢されたオス
 軍団」としての自覚の中に、ひたすら無為の日々を過ごすのだ。
・まず、最初にやることは会社を辞めることだ。給料が入らなくなったら、家族も一緒に
 路頭に迷ってもらう。「そんなお父さんと暮らしたくない」と言われれば、かまいやし
 ないから家族なんか別れてしまいなさい。妻は妻、子は子で勝手に生きてもらおう。
・家のローンなんか支払わなくていい。ローンを支払うために男は生きているんじゃない
 のだ。定年までローンを払い続けて、40坪の建て売り住宅を手に入れて、それがなん
 だというのだ。子が大学に入学したって、それがなんなのだ。自分が勉強するわけじゃ
 ない。大学に入った子は、いろいろと親が知らない知識を身に付けて、その結果、親の
 無知を嘲笑するようになる。さらに会社に入って贅沢を覚えれば、親の貧乏を恥だと思
 う。子が思う親の恩なんてものは、親が期待しているだけで、子はなんとも思わない。

老いては色欲にしたがえ
・50歳過ぎてからの不良は、ひがんではいけない。不良は前向きにやらなければだめで、
 ひがんだり、ひねくれたり、家族の情に流されるなら、不良になるのは無理である。
・不倫や愛欲への耽溺は不良の始まりで、それはあくまで自分の性向がそうであることを
 自覚して、すべて自分から出た問題であることを悟らなければならない。愛人を作るこ
 とは、50歳すぎた男のほとんどすべての願望だ。できることなら誰だってやりたい。
 やりたいけれどできないのは、妻が怖いからであり、社会的信用をなくすからであり、
 金がかかるからだ。しかし、それ以上に難しいのは、五十男にそれだけの男性的魅力が
 あるかどうかで、いくら力んでみても相手がいなけりゃ、不倫も離婚も成立しない。
・男の不倫に対して、女性は口を極めて批判するけれども、不倫というのは相手あって成
 立するもので、つまり不倫をしたくてうずうずしている女性だっていっぱいいるのだ。
 不倫を、男社会の害悪だと主張する女性は、女性の主体性を無視し、女性を最初から弱
 者と決めつけ、いっさいの不倫を男が仕掛けた犯罪と思っているふしがある。ふざけち
 ゃいけない。色欲は男も女もフィフティ・フィフティなのである。
・今の世の中、女は弱くない。女だって、いい男はいないかと目の色変えて探しているじ
 ゃないの。どっちもどっちで、これは、別に悪いことでもなんでもない。すべての矛盾
 は一夫一婦制というシステムに起因しており、男も女も、いつも同じ相手では飽きてく
 る。それだけのことである。
・中には、長年連れ添っても飽きない仲のいい夫婦もおり、あるいは飽きたけれども成り
 行きで別れない夫婦もあり、それはそれで結構なことだ。しかし、生涯仲のいい夫婦な
 んてのは奇跡的に少なく、無理している。
・それで世の中は、右も左も不倫不倫のご時世となったが、男がよくないのは、自分が不
 倫する原因を妻だの社会的制約のせいにする。これは、気持ちはわかるけど、期待され
 る不良のすることではない。妻の他に愛人を作るのは、基本的には「悪いこと」であっ
 て、その罪悪感を正当化するために妻を悪くいいたがる。愛人ができると、男は家庭で
 不機嫌になる。それで浮気がバレてしまう。堪え性がないのだ。
・不良とは良くないから不良という。だが、人間は生まれた時には不良も良品もあるわけ
 がなく、ただの赤ん坊だ。それが、いつのまにか不良と良い人に分かれるのは、世間の
 通念に適応するかどうかという、その後の対応による。世間には法律があるので、それ
 は守らなければならぬ。
・道徳があるから見えざるルールに従わなければならない。義務教育があり、労働の義務、
 精勤支払いの義務、子育て、近所づきあい、社会的責任、と数え出したらきりがない。
 それらの約束ごとをひとつひとつ学習していくのが人間社会だが、ときとしてそれらの
 規律に反する自分に出会う。その時どう対応するかで不良になるかどうかが決まるので
 ある。不良はなんらかのルールに違反することから始まる。だから不良とは人間が本来
 の自分に戻る状況のことで、人間的行為をなそうとすると不良になる。
・よく、男と別れた女が「私の青春をあなたに奪われた」と口にするが、男に言わせれば
 「おれの青春こそ奪われた」ということになる。セックスした分得をした、と男も女も
 思わなくっちゃいけない。金の問題は別で、別れる時は、財産があれば、すべて女に渡
 すのが不良の道とされ、まけてもらって半分こにしてもらったっていいが、金でない部
 分、心の部分はおあいこだ。男だけが女から奪っているのではない。女だって男から奪
 っている。恋愛は、男と女の心の奪い合いだから、別れる時は、心の部分はそこでチャ
 ラである。不良女は、男から心を奪うという前向きの姿勢であり、別れる時に被害者意
 識を持たない。
・五十男よ自信を持て。恋のチャンスが来たら、逃げずにムンズと掴め。どうせ短い余生
 じゃないの。自分を見下しちゃいけない。ハゲでもデブでも気にするな。バレたらバ
 レたでそのときだ。いつまでも危険な男でいることが、男が男としての力を発揮する。

小利口な若僧どもを蹴っ飛ばせ
・今や窓際族という言葉もなつかしい言い方で、旧世代は窓際さえ与えられない。子会社
 に出向か、あるいは早期退職優遇制度によるていのいい解雇である。会社を辞めてから
 能力を発揮できる人は限られている。窓際族を冷遇されるサラリーマンの象徴とする言
 い方もまた、高度成長期後遺症であった。窓際は、日当たりがいいし、景色もよく眺め
 られから、むしろ好待遇の地位にある。
・妻帯者の若い男が、トレンディドラマを地でいくように、つぎからつぎへと独身OLと
 肉体関係を結ぶ。これはいいか悪いか。答えはどっちでもいいのである。もっとはっき
 り言えば関係ないのである。問題あるのは、その男が自分の娘に手を出すかどうか。こ
 れは大いに関係ある。なぜならそれは自分の問題だからである。
・50歳を過ぎれば、会社の役職があろうがなかろうが、定年まで、あと5年〜10年で
 ある。60歳になってからが長い。50歳を過ぎれば、なにをやってもいい。遠慮はい
 らない。好き放題、やりたい放題をすればいい。50歳を過ぎてから、世をあざむき、
 好き放題をやった奇人、怪僧がいっぱいいる。これらは、50歳からの不良をめざす、
 よき先達である。

放浪は男の特権である
・放浪は男の特権である。女が放浪すると、ただの世捨て人になってしまう。放浪する男
 は不良である。不良でなければ放浪なんてできない。
・プロの不良は、不良を気取ったりはしない。不良は、自分では不良だとは思っていない。
 ここのところが重要なのである。ます自分をだます。不良は、健全な社会的秩序に従わ
 ず、安穏な市民生活を拒否し、天然の旅情にさそわれて、意の向くまま、好きなように
 生きていく存在である。力がいる。
・50歳過ぎてから不良はみがきがかかる。それは、それまでの人生経験で、やっていい
 ことのギリギリのガードラインを判定できるからである。
・色に生きるか旅に生きるかは、不良の大いに迷うところである。色一本に生きると若死
 にする。旅だけしていれば女はできない。
・一人旅をする訓練は50歳過ぎてからでも遅くない。会社で出世して、部下に列車の切
 符とホテルの手配をさせ、グリーン車でふんぞり返る社用族は、まず自分で旅をする訓
 練から始めなさい。
・それから、自分で料理する腕を磨きなさい。旅行用小型包丁と鍋ひとつあれば、かりに
 野宿したって、自分で食べるものは困らない。
・妻に頼るから妻になめられるのである。50歳を過ぎたら、妻から自立すること。それ
 は、まず料理を作ることから始まる。下着は自分で洗えばよい。シャツや洋服は洗濯屋
 に出せばいい。
・旅行の効用は、異文化にふれることである。不良の放浪は、アメリカやヨーロッパのよ
 うな先進国へ行くのはさして有効でない。アジア、アフリカ、中東、南米がいい。なぜ
 なら、発展途上国の国々では「昔の自分」に出会えるからである。あるいは、そのこと
 がわかる。日本という国がいかに自縄自縛された「特殊な国」であるかがわかる。日本
 で常識とされている約束ごとは、そのほとんどは発展途上国では通用しない。
・これから高齢化社会に一段となると、死に方のパフォーマンスは、不良のテーマとなる。
 どっちみち死ぬなら、見栄えのする死に方がいい。
・女の不良は流浪せず、町の暗がりに罠を作って待ち伏せた。女は町に棲みつく魔物であ
 る。男は町をたらしこむ妖怪である。女をたらしこむように町をたらしこむ。魔物が勝
 つか妖怪が勝つか。妖怪と魔物は、くんずほぐれつ一体となって時の流れへ身をゆだね
 ていく。どっちも時間の流れには敗れる。老いには勝てない。どうころんだって、かま
 やしない。どっちみち不良なのだから、いきつく果てにいきつくだけだ。
・いまのサラリーマンの日曜日のナリはみっともない。日曜日になると、ジーパンはいて
 ポロシャツを着て、急に普通のオヤジになっちゃう。アディダスの靴なんか履いて似合わ
 ないったらありゃしない。会社人間になりきっているから、背広以外が似合わなくなっ
 ている。まず、背広が似合わぬ人間になること、ここからはじめる。

マジメ人間よ、目ざめて不良になれ
・不良は自分をとりまくさまざまの規制から自由になる行為である。会社から自由になり、
 妻から自由になり、子から自由になる。これをやっていくと不良になる。そうは言って
 も、やってみるとかなり難しい。人間は社会的動物だから、世間の常識を無視して生き
 ることは不可能に近い。けれど、できるだけ自分の気分に忠実に行動する。
・オヤジはさまざまな制約に縛られている。きちんとした経済人であること、よき夫であ
 ること。妻にやさしく、妻を理解し、選挙は棄権せず、煙草は吸わず、会社は遅刻せず、
 税金はきちんと払い、セクハラはせず、上役には礼をつくし、部下を公平に扱い、決し
 て威張らず、清潔な身なりをし、近所と仲良く付き合う。子供をきびしく教育し、PT
 Aには出席し、役員もたまにはひきうけ、塾代も払い、子に反抗されても我慢し、団地
 の草取りには欠席せず、駐車場割当て抽選会では幹事をやる。会社にいけば業績をあげ
 るために頭をしぼり、インターネットを覚え、取引先にはペコペコし、取引銀行には脅
 され、毎日会社の食堂で450円の定食を食べる。
・完璧な夫と完璧な妻からは何も生まれない。せいぜい完璧な子が生まれることぐらいが
 せきの山だが、その完璧なはずの子がある日、突然、親をバットで殴り殺し、世間をあ
 っとおどろかしつつ安心させるのである。
・風俗産業が盛んで、キャバクラやら幼児プレイやら各種ソープ、テレクラまでいろいろ
 店が出揃っている。これは不良救済措置であって、不良をやろうにもできない不幸な時
 代の反映である。日常生活で不良ができない「立派なオトーさん」たちが、虚構の暗闇
 で不良を幻視するのである。さらには精神的に去勢された若いお兄さんたちがウンカの
 ごとく集まってくる。許可された敷地内密室での遊戯は、ファミコンゲームの延長に過
 ぎない。
・企業は、人間性を雇う集団ではない。企業は銭を儲ける組織である。企業は、安い給料
 効率よい収益をあげる者を求める。部長ひとりの給料で、働き盛りの20代社員を2人
 雇える。いかに功績があっても、そんなことは、当人だけが考える自己満足である。
・クビになるのはチャンス到来である。クビにならなきゃ目は覚めない。目が覚めたら不
 良になればいい。昔は不良が目が覚めたらマジメ人間になったが、今はマジメオヤジの
 目が覚めて不良中年になる。
・会社を辞めれば家を買ったローンが払えなくなる。かまわないから、そんな家は売り払
って借家に住めばいい。漱石も鴎外も終生借家ずまいだった。
・子を無理して大学に行かせる必要はない。家に経済的余力がなければ、高卒で十分だ。
 大学卒なんて、いったいどれほどの価値があるのか。
・夫の無能をののしる妻には、どうぞ家を出て行って貰いなさい。男が女を食わせなけれ
 ばいけないなどと誰が決めたのだ。女性は強くなり、自立して、能力もあり、だから夫
 の無能にいらだち、夫をののしるようになった。
・夫婦にはそれぞれいろいろの形態があり、当人どうしがよければそれでよい。それでよ
 いが、不良精神がなくなった男は、ぬかれもしない牙を虫歯でダメにした狼のようなも
 のである。なにかをしたいと思ったら、不良になれ。
・不良になれないのは、妻が悪いのでもなく会社に責任があるのでもなく、自分にイクジ
 がないのである。幻視している社会的地位にしがみついてなにもできない。見えざる敵
 にビクビクしているだけなのである。
・自分の心の中にムックリと起き上がる不良の虫を見下してはいけない。自分を見下すく
 らいなら自信過剰のほうが上品だ。なぜなら、自信過剰の人間をやっつけるのは気分が
 いいが、自分を見下す人間を励ますのはじつに疲れる。ムックリ起き上がってきた不良
 の虫はやがて怪物となり、自分の体を乗っ取って動き出す。そうすればしめたものだ。
 虫歯もちの狼は、新しい牙を入れて新たな獲物をさがしに出かければいい。

われらオヤジ世代の「恋の方程式」
・50歳を過ぎてから不良でいるのは、精神力も体力もいる。ノンキなトーサンになりき
 ってしまえば気が楽だが、そう簡単に不良生活からおりたくない。まだ色恋を捨てては
 いけない。危ない男でいなければならない。
・不良中年の恋人として理想的な女性の年齢は
(男の年齢+11)/2<=(女性の年齢)<=(男の年齢+35)/2
・あまり見栄をはって若い女を追い求めるのは、不良オヤジのすることではない。無理を
 して若すぎる女性を相手にしたがるから、オヤジは永遠にもてないのである。
・不良オヤジたるもの、妻に秘密の隠し貯金を作っておく必要がある。年収の10分の1
 ぐらいの隠し貯金を作っておけ。
・不良中年の愛人との好ましい年間の性行為の回数は
(男の年齢+女の年齢)/9<= (年間回数) <=(男の年齢+女の年齢)/3

往生際は悪くてよろしい
・長生きしてボケることをみっともないと思う人がいるが、そうは思わない。ダタダラと
 生きることも不良の極意である。長寿社会になると、みんな「カッコよく死のう」とい
 うことばかりを考え、それがかえってストレスになる。死の方は人間の最後の見栄であ
 り、「カッコよく死ぬ」にこしたことはないが、それにとらわれすぎるのも困る。そのへ
 んのコツが難しい。それでも死んだから「あの人は立派な人だった」と思われたい。ど
 こまでも業が深い。死んでからでも世間にほめられたいと願う心はあくまで生きている
 間の虚栄心であり、死んでしまえば関係のないことだ。死んでからほめられたって死ね
 ばそれっきりである。死後の名誉を願う心は、生きている間の願望である。死は、テレ
 ビゲームのリセットと同じで、死ねばすべてチャラになる。
・夫は、妻に対して「自分より先に死ぬな」という。それは「自分よりも長生きしろ」と
 いう愛情の発露ではなく、本心は「死ぬ時に看取ってほしい」という甘えである。妻は、
 夫に対してこんなことは言わない。してみると、年寄りの男は、みな、妻に甘え、妻に
 すがって生きている弱い存在であることがわかる。
・死ぬときは一人一人が違ってくる。それぞれの人に合った死に方がある。不良が死ぬ時
 は、わがまま自分本位に死ぬのがよい。まちがっても生前葬などというバカなことだけ
 はしてはいけない。どこまでもぶっつけ本番でいく覚悟が必要だ。

不良中年の技術
・中年オヤジは下り坂である。もう半分以上のことはやりつくしてしまった。さきは見え
 てくる。これから新展開しようにも、百八十度の転職は無理である。このことをよく認
 識する必要がある。
・中年までは上り坂であった。汗を流してゼイゼイと息をはずませて坂を登ってきた。苦
 しいくらい坂であった。中年を過ぎれば、今度は坂を下る番だ。下り坂の方が楽なのは
 サイクリングすればわかる。坂を登ったのは、下り坂をスイスイと下る楽しみがあって
 のことである。下り坂こそ快楽なのである。不良中年は、中年であることをマイナス面
 ととらえず、下り坂を活用して不良になればよい。

<中年オヤジのこれからの十か条>
 ・なれぬことはするな
 ・威張らない
 ・自慢しない
 ・分析しない
 ・怒らない
 ・短髪にする
 ・上等の服を着ろ
 ・靴も上等に
 ・時計は安物でよい
 ・金離れをよくする
 ・温泉通になれ
 ・女を理解しようと思うな
 ・泣くな
 ・やせがまんしろ
 ・年増女がいい女である
 ・口説きは迅速に
 ・負けてこそギャンブル
 ・宗教を信ずるな
 ・自分の力を信ずる
 ・孤立を怖れるな