「夫婦 、この不思議な関係」 :曽野綾子

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 夫婦とはなにか。人々はどうして夫婦になるのか。考えれば不思議なことである。見ず知らずの男
女が知り合って、夫婦となって家庭を造り、性的関係を重ね(最近はこちらの関係になるのが早いよ
うだが)、やがて子供が出来、家族が増えていく。それは人間でも動物でも自然なことであるようだ
が、動物の世界では子育てが終ると、夫婦の関係も薄れることのほうが多いようである。人間の場合
には、子育ての期間が動物に比べて非常に長いという特殊性もあるのだろうが、子育てが終っても夫
婦であり続けるのが一般的である。もっとも、最近は「熟年離婚」という言葉もあるように、子育て
が終ったあたりで離婚するケースも増えているようであるが。
 この本は、夫婦について論じた本である。例えば、お金と夫婦の関係。普通はお金がある夫婦が長
続きしそうに思えるが、お金がかえって夫婦を壊す原因になることが多いとのことである。少しお金
が不足して、夫婦で努力しなければならないぐらいのほうが、夫婦は長続きするみたいである。さら
に、夫婦と性の関係について述べている。やはり健全なセックスの繋がりがある夫婦が長続きするよ
うである。しかし、夫婦の繋がりがセックスの繋がりだけで成り立っているわけではなく、そこには
複雑な関係がある。そして、話しは夫婦と浮気についてと進んでいく。
 私が強く納得したのは、夫婦はお互いに寛大であるほうがいいということである。夫婦もある程度
は他人に対すると同じように、或る種の冷たさ、突き放しかた、独立性を持たなければならない、つ
まり寛大でなければならないということである。執拗に相手を追いかけたり迫ったりすると、ますま
す相手に嫌われてしまうめぐり合わせになるという。夫婦であっても、基本的には一人で生きられる
能力を身に付けていなければならないということには同感である。
 この本はその他にも、人生に対する考え方や人生の目標などについて述べられていて、この歳にし
ていまだ人生迷える私にとって、とても有益な内容であり、これからも幾度となく読み返したい本で
ある。

五里霧中の出発
 ・誰も、自分が生きやすい生き方を選ぶほかはない。最上の道ではないが、まだしも耐えやすい、
  と思う道を選ぶのである。
 ・夫婦という形態を考えついたのは、聖書によると「神」ということになっているが、一見これは
  なんと怪しげな砂上の楼閣にも似た結びつきではないか。ただ人間の心は、物理学と違って、危
  機の時に却って強くもなる。神には人間の心理専用の特別な物理学があって、そこからこの結婚
  という姿を思いつかれたのだろうかと思うことがある。

ロウヒールでダンスを
 ・人間がなんのために結婚するのかという問題に関しては「性欲」とか「繁殖」とかその手の第一
  義的なものに始まっていくつも理由があると思うのだが、私などはその中で「人間を知ること」
  をかなり大きな理由としてあげねばならないように感じる。
 ・結婚というものが、いかに不合理なものかは、努力してもうまくいかないことがあることによっ
  て示される。この世のたいていのことは、努力することによって、多少は状態が好転するという
  ことが多い。しかし結婚だけはそうは行かない。これは90パーセントは運である。だから私は
  結婚しなければならない若い人たちが気の毒である。しいて言えば、結婚相手に一切の条件をつ
  けないことが、努力に相当し、条件をつけることが自ら運命をとり逃がすような行為に繋がるか
  もしれない。

蟹は甲羅に似せて
 ・いずれにせよ結婚相手を選ぶその理由は、かなり理不尽なものである。つまり誰もが「いいから
  選ぶ」のだが、何をもっていいとするかは、世間が考えるほど単純ではないからである。両極を
  言うようだが、私の身の回りには、経済的に豊かな家庭の娘または息子だから結婚した、という
  動機がいくらでもあると同時に、相手が貧乏でかわいそうだったから、という理由で結婚した人
  もいるのである。
 ・配偶者を選ぶ要素は大半が運、僅かに残された部分が、自分が人を理解し得る能力にかかってい
  るということになりそうである。相手が自分を映す鏡だということは一種のよくできた神のさし
  がねのようなものであって、うっかり自分の理解できないような相手とめぐり合うと、それこそ
  離婚ということにもなりかねない。だからいい結婚ができなかった場合、私達は運の悪さに文句
  を言っていいのだが、どこか一部分だけ自分の眼の昏さにも責任を負わなければならない。

のり餅とアベカワ
 ・結婚した後の夫婦は趣味が違ったほうがいい、という説もあるが、私はその点、原則としては反
  対である。鶏が先か卵が先かという論理と似たことになるが、うまく行っている夫婦ならごく自
  然に相手の熱中していることに関心を持ち、自分の興味に関心を持って趣味を合わせてくれる相
  手に対しては好きにもなるのである。
 ・共に暮らす者の希望を叶えてやろうとするのは、もっとも自然な無理のない感情であって、それ
  がなければ、家族を構成する意味がない。その理由の第一に、家族ででもなければ、誰もこまめ
  にそれほどの心配をする者がないし、第二に夫婦というものはそもそもの出発からして、他人が
  他人でなくなるという理不尽なものだから、その希望がたとえば「人を殺したい」とか「盗みた
  い」とかいうようなものでない限り、盲目的に叶えてやっていいのである。いや法律さえ、夫婦、
  親子は犯人と知りつつ、配偶者や子供をかくまうことを認めている。それほどに盲目的な、理屈
  に合わぬ同調さえ承認しているのである。だからそれがない夫婦というものは、どうも本質的に
  夫婦でないような気がしてならない。

一枚の記念写真
 ・「人間は弱いものです」という言葉があるが、私は時々その内容を改めて考え直すことがある。
  現代の日本では、弱いものというのは、悪をなし得ないという解釈があるが、社会で多くの場合、
  人を困らせるのは、弱いものであったり、人の善意であったりする。強いもの、悪いものは初め
  からこちらが用心するし、強かったり悪かったりするものを嫌っても、こちらはあまり良心の呵
  責を感じなくて済む。しかし善いものや弱いものに批判的になったり、彼らより強いはずの自分
  が彼らに弱らせられることはない、などと思っているから、善意を煩わしく感じたり、弱いも
  のが平然として彼らより強いはずの自分を圧迫したりすると憤然とするのである。
 ・お金で解決できることばかりでないこともまた骨身にしみて知っている。結婚生活を成功させる
  かどうかの要因は決してお金ではないが、破綻を招く原因の一つとしては、お金が考えられる。
  いやもう少し正確に言えば、お金の使い方ほど、それによって人間の心を表すものはないから、
  お金が引き金となって夫婦の関係が崩れて赤の他人どころかもっと憎み合う間柄になることも少
  なくない。
 ・結婚に際して、もっとも気の毒なのは、金がある、と思われている家の子息である。通常世間は
  こういう家の子供を銀のスプーンをくわえて生まれてきたような「幸運な人」というのだが、私
  から見ると生まれつき、ハンディ・キャップを負った人々のように見える。金目当てで近づいて
  来る異性はいやなものだし、金とは無縁のところで心が通じる相手は、そういう家の息子娘には
  恐れをなして近づいてこないことが多い。なんとなく物や金目当てのように思われそうで気おく
  れを感じるのである。
 ・金は夫婦生活を継続させるのに役立つか、ということになると、役立つことも多いが、決定的に
  ぶつ壊すこともあるという両方のケースを私は実にたくさん見てきた。
 ・私の漠然とした印象では、金のあるほうがないより結婚生活を破壊する(それも決定的に)率と
  力は強いように思えてならない。
 ・女房が怪しげな宗教の神さまに持っていくのを怒っている夫もいるし、夫が恵まれない人たちへ
  の寄付を何一つ認めないことを、夫の人間性の貧しさと見ている妻もいる。夫婦がそろって守銭
  奴であったり世話好きであったりすれば問題はないのだが、くい違うことのほうが多いのだから、
  お金は結婚を続けていく上でやはり大きな要因となる。「金で解決できることくらいは解決
  する金」を持った方がいい、と私は思う。しかし金の力で本物の信頼や尊敬やいとしさを買うこ
  とはできない。金もなく時には健康さえも持ち合わせていなくても愛され得ること。それが男女
  共に最高の姿だと思っている。

娼家の光景
 ・私は性を手つかずのまま置いておいた方がいい強調する訳ではない。性に無知であるために、一
  生の出発点から大きく誤ったという例もあるし、夫婦の関係が金銭や健康などといったものから
  崩壊することがあるように、性が結婚生活の絆になるどころか、破壊的作用を及ぼすケースも少
  なくないのである。一般的に、健全なセックスの繋がりのない夫婦は長続きしにくいというのも
  本当だが、性的な関係が煩わしくなって共に暮らしていられなくなったという夫婦も実際にはあ
  るのである。
 ・荒っぽく分けて男の中にも二種類の人々がいることは確かなようである。つまりごく一般的なグ
  ループはすべての人間としての行動の根源としては性欲以外に考えられないということである。
  もう一派は、性欲というものは、飢餓や危機感やその他のものによって、いともたやすく後退す
  るものであり、したがって人間生活の中で決して軽い要素ではないが、食欲のように人間の存在
  を支える最期のものとは見なさない、というグループである。
 ・おもしろいことに、性というものに対しても、人間は自分のようなパターンの反応が健全でまっ
  とうであり、自分以外の人間は、すべて異常と見なしたがるらしい。女の私から見て、いつもい
  つも性行為をしたくてうずうずしている男というものは、見馴れ、聞き馴れているのだが、一方
  において、会社の仕事が複雑な要素をおびてきたり、生活が成り立たなくなるような危機的状況
  がまわりにあるようになると、一番先に後退してくるのが性欲だという人が一部にいることも事
  実のようである。
 ・人間は動物であるから、性的な結びつきは重い意味を持つ。しかし同時に、人間の性別を書く時
  にオスメスではなく男女と書く。このことは人間が動物として生きるのではなく、精神を持つも
  のとして生きていることを示している。ただ人間の行為すべてが性の支配なしに起こることはあ
  り得ない。
 ・セックスが好きで好きで、帰ってきた夫に執拗に「求める」というタイプの妻はどうしても現れ
  ない。だから夫を寝かせない妻というのは、もしかしたら妻の理想型を描いているのではないか
  と邪推もできるのである。むしろある事故から性格が変わってめちゃくちゃな色気狂いになって
  しまった夫に耐えられなくなって離婚したというケースはある。しかしセックス嫌いの妻を持つ
  男たちも、どういうわけは一人も離婚しない。
 ・女から見てどうしてもわからない男性の心理は、男がよそで自分の子供が生まれるかもしれない
  ような行為をしながら、ほとんどその結果を気にしないでいられるということである。これはま
  ともに言えば、出産という体験をすることのない男性にもたらされた、先天的なイマジネーショ
  ン不足からの特殊性であろう。つまり、もしかすると自分の子供がどこかで生まれているかもし
  れないのに、他の仕事のことでは先の先まで気がつく人も、一向に気にせずにいられるというお
  もしろさである。
 ・男と女が結婚生活という形で暮らす限り、性の影響を受けないものは何一つないけれど、性行為
  というものは、そのほんの一部であろう。二十代の終わりから約十年間、大病をして入院を繰り
  返したある男が、自分は人生の最も大事な部分失ったように思う、と言った時、私は彼が、自分
  の芸術に使う時間を失ったというより、妻との間のもっとも充実した肉体的な繋がりを持ち得る
  期間を失った、というふうに解釈していた。彼の妻は、かなりの美女だったし、子供を一人産ん
  だ後の女は、もっとも魅力的だというのが本当だとすれば、彼はそのみごとに熟した綺麗な果物
  を目前にしながら、指一本その果物にさわることさえできなかった。もう若くもないが年老いて
  もいない。すべてを失った、というわけではなかった。もし夫婦の間の現実の性関係だけがそれ
  ほど重要なものなら、この夫婦はとっくに別れていたであろう。しかし夫婦の間の性というもの
  は、決してそれほど狭義のものではないからこそ、この夫婦は自然に40代を迎えたのである。

裏山の梅の香
 ・私が元気でいられたのは、ひとえに仕事のおかげだという気もする。つまり仕事というのは、社
  会との契約だから、自分の都合でやめることはできない。その緊張感が、私に病気がちの人間に
  なることを防いでくれのだと思う。
 ・通常人間は、ほっておいても生きる目的を持つものである。その目標はさまざまである。金、出
  世、家を持つこと、というような現実的なものから、ヒマラヤに登りたい、詩吟の日本一になり
  たい、バラの新しい品種を作りたい、というようなものまである。
 ・失意、不運、喪失などが病気の原因になることも一面の事実だが、同時に挫折、不幸、愛する人
  との別れなどが、却ってその人に生きる力を与える場合もある。何不自由ないのに、鬱病にかか
  って、生きる意欲を失っているという人は、むしろ何不自由ないから、生きる意欲を失うのであ
  る。
 ・現世の姿は、常に矛盾に満ちた人間の根源的な姿を表している。つまり、人間はどのようになっ
  ても満足せず、どのようにして相手にも完全な満足を与えることができない、とい原則である。
  だから我々がベストを尽くすと思うのは、自分から見てのことであって、他人には、せいぜいう
  まく行ってベターなことができるだけである。
 ・人間の中には往々にして神のあることを私は見せてもらうことがあるが、人間の中には人間だけ
  がいたとしても、何ら不思議ではないのである。人間というものは、平凡だが、まず自分を生か
  すものだからだ。

奴隷の精神
 ・夫以外の男を好きになる、ということは大いにある得ることである。一人がすべての魅力の要素
  を持ち合わすということはまずあり得ないし、人間は自分を好きだと言ってくれる人を支持する
  ものだからである。ただ結婚が契約の要素を持っているということを忘れているのは、一人前の
  人間のすることではない。
 ・人間の歴史は長い間、というより、ついこの間まで、一夫一婦制ではなかった。しかしそれが、
  いつの間にか、男女の共同生活は決まった相手と一対一の関係とするということになり、その線
  にしたがって、あらゆる制度が整備され、人間の道徳的な感情も形をなしてきた。
 ・人間の心というものは、理想主義者が考える以上に、分裂もしているし、卑怯で偉大な面も持っ
  ている。禁じられていることをやってみたい、という気持ちはこの世でなくなることがない。人
  間に何かをさせようと思ったら、そのことだけ禁じていればいいくらいのものである。
 ・何の計算もないひたむきな恋愛などというものは、私は十代にしかない、と思っている。それ以
  後は、男女の関係をおしすすめるにせよ、ひきとめるにせよ、何が不純なものが働く、不純なも
  のがない方がいい、と私は必ずしも思わない。大人になる、ということは不純の味を味わうこと
  だからである。
 ・妻の浮気の相手も多くの場合、不純な気持ちから近づいて来る。男側から見れば、これほど安全
  でお金のかからない性的なお遊びの相手はいないし、女は何歳になっても騙されやすいから、騙
  すのもおもしろいだろうと思う。
 ・不純さにおいて、男の方がどうみても女よりみごとである。その点、私はホスト・バーなどで性
  的なお相手としての男を買う最近の女たちには、むしろ好感を感じてしまう。彼女たちは、相手
  が「心から」そうしているなどと思わないという点で、男たちの性のはけ口のお相手となってい
  るのを恋愛と考えているような甘い妻たちより、冷静である。こういう女たちはサービスを買う
  と考えているのである。それには男も女もない。
 ・自由な男女関係、性的な冒険、をしたいのだったら、断じて一夫一婦制などという野暮な制度に
  組み込まれないことである。そうすれば、その人は爽やかに、私たちの羨望のうちに一生ラブ・
  ハンティングをし続けるという生涯を送れる。
 ・今は、好きになった相手と二人で生きていこうと思えば、総てを捨てても、初めからやりなおせ
  る時代なのである。何か一つを心から得たいと思ったなら、それに対して犠牲を払い、代価を支
  払うというのが、人生の原則だという原則が、ここにも適用されるべきだと私は思う。

「寛大」であること
 ・私が結婚相手に望んだことはたった一つだった。それは寛大な人がいい、ということだった。
 ・一般に他人に対して厳しい人というのは、他人が自分と同じようにすることを期待しているから
  だという。
 ・私は今や誰かから何かを期待されることが本当にうっとうしい。私は三十代に長く不眠症をやっ
  て、その時以来、まじめな人間をよしたからかとも思う。というか、不眠症の原因は愚かしい律
  儀さにあるということがわかって、そんなことで苦しむのはばからしい、という気になった時か
  ら、私は人生の優等生を見ると憐れむような気になり出したのである。
 ・期待されない方が、むしろ少しでもうまく行った時、相手は意外に思って喜んでくれる。しかし、
  期待されたらろくなことはない。総理大臣などになると、皆から常に法外な期待をかけられるの
  で、新聞に載る批判はほとんどが悪口、ということになるのである。
 ・世の中の人は普通悪人に困らされると思っているが、実は善人に困らされる率の方がはるかに大
  きい。悪人とわかれば、避ければいい。悪人は避けることができる。しかし困るのは善人である。
  ことに男が困らせられるのは女の善人である。自分が善人だと思っている女は、他人の生き方に
  干渉する。
 ・人間はすべて適当がいい。親切の場合は、適当な親切がいい。しかし私がそう思っても、相手に
  とっては過剰になるか、もう少し親切にしてくれたらいいと思うか、どちらかである。全くちょ
  うどいいという状況というのは、論理としてはあるが、実際にはないと思った方がいい。 
 ・人間というのは奇妙なもので、夫婦でも他人でも、あまりどちらかが激しく追いかけると、追い
  かけられた方は逃げ出したくなる。ふつうの夫婦だと、たまの夫の出張は妻にとっても夫にとっ
  ても実に楽しい息抜きと思うことができる。しかし、夫が女を作っていることを知っている妻、
  妻に男がいることを知っていて嫉妬にかられている夫は、執拗に相手を追いかけ、ますます相手
  に嫌われるというめぐり合わせになる。だから夫婦の間でも、他人に対すると同じように、或る
  種の冷たさ、突き放しかた、独立性を持たなければならない。それが実は寛大、というものの、
  最も普遍的な、誰にでもできる到達の方法なのだ、ということである。

テーブルの四本脚
 ・いつの時代においても、助けなければいけないのは、常に若い人であるという点についても、地
  球上の人々はそれほど反対を唱えないと思う。人間は五十年も生きれば、何かの緊急時には、生
  のチャンスは若い人に譲るべきだと私は考えている。だから船が沈みそうになった時ボートに乗
  せるのは「女と子供から先に」という昔からのルールが出来て来る。
 ・世の中には、時々おかしな親がいるものだ、とこの頃つくづく思うことがある。比較的多いのは、
  今でも結婚した息子や娘の世話になることが当たり前と思っている人々である。結婚したら、そ
  の二人は原則として、別の単位になる。だから当然のことながら、生活も別になるのが自然であ
  る。日本にはこの当然のことをわからない親が多すぎる。
 ・子供夫婦の側にも、人間的でないケースがある。親が貧乏や病気で苦しんでいる場合、誰が救う
  かというとそれは国家でも社会でもなく、まず子供なのである。子供も共に食べるものにも事欠
  くという話なら別である。しかし今の日本では、多くの子供夫婦は冷蔵庫も自動車もテレビを持
  っている。しかしそれでも親に出す金はないという人々がけっこういるという。
 ・人間の世界は決してお金だけではない。お金ではなく、心臥満たされる時に、人間はどんなに貧
  しくとも、生きる目標を見出している。お金はむしろ最低の、最も単純な機能である。
 ・人々から受ける関心を時には嬉しく、時にはうっとうしく感じつつ、私たちは個の確立をせまら
  れる。どこにでも転がっている人間関係であり、夫婦関係である。教養のあるなしに拘わらず、
  それをみごとにやりぬける人もあり、つまずいて自分を失う人もいる。簡単なことほど難しい。

小さな思想の表現
 ・第二次石油ショックの時にアラブ諸国を旅してからは、私は情熱のあるものが気のないものより
  自説を通せるのは当たり前だと思うようになった。なぜこのような当然のことを改めて言わなけ
  ればならなかというと、アラブでもどこでも、人間は力のあるものが主導権を握るのは当然とさ
  れているのである。力というものがすなわち悪と思っているのは、日本人くらいのものだろう。
  そしてこういう発想には世界中の人々が驚くであろう。
 ・私の体験によると、威張るというのは、自信のない人である場合がけっこう多いのだが、自信が
  ないことそのことよりも、それを隠そうとするために無理が出てくる。その心理のはね返りがど
  こに現れるかというと、多くの場合、気兼ねのない妻に対する圧迫となって現れる。

「人畜無害」の美徳
 ・夫たちが愛する妻を、よその男とつき合わせたくないとしたら、それは妻たちが悪い意味で純粋
  すぎるからである。つまり世間の男たちの中には半分本気で「奥さんは実におきれいだ」という
  ようなお世辞を言うのが後を絶たないものなのである。もちろん、それは全くの嘘ではないにし
  ても、彼らの方としては世の中の潤滑油くらいに軽く思っている。それを本気にしてしまう免疫
  性のない妻は危険で外に出してやれないのである。
 ・男たちが心にもないお世辞をいう習慣のない日本では、娘も妻も、男の心理の表裏に馴れて、そ
  の言葉を適当に喜んで聞きはするが適当に受け流しもするという操作がへたなのである。日本の
  教育は技術の面では世界最高なのだろうが、人間的な情緒部分の訓練に至ってはほとんどなされ
  ていない。その教育をもっぱら引き受けているのは教師ではなく、世の中の不良青年たちや好色
  な男たちなのだが、日本ではそういう男たちの存在など、まったく評価されないどころか社会悪
  と思われているふしがある。
 ・毎日が楽しくあるということはすばらしい。ことに結婚した相手が毎日を楽しいと言うことは、
  明らかに配偶者の功績である。言葉を換えて言えば、まず妻や夫を幸せにできないで、社会的な
  功績を上げても、何の意味があるだろうと私は女々しく思う時がある。家庭を保っていたいなら
  秘密がないことである。それが平凡な結婚生活の最初で最後の誠実と思う。何故かと言えば、凡
  人は秘密がない時に、やっと安らかに暮らせるからである。

別れる準備
 ・私は運命というものに対しては、流されていないと、大きなしっぺ返しをされることが多いよう
  な気がしている。運命というものに対しては、どう考えても、「一生懸命流される」ほかはない
  と思う。

継続への情熱
 ・この世が生きるのに価するところかどうかを決めるのは、その当人以外にないと私は思う。自分
  が核戦争に脅えているからといって、この地球が生きるに価しない所だから子供も産まない、と
  決めつけるのはどうも余計なおせっかいのような気がする。
 ・夫婦にとって子供がどれほど大きな存在か、客観的に測る目安はない。多くの場合、親は一方的
  に子供に対して思い入れを持つことはできる。つまり自分の命が自分の死後も子供の存在によっ
  て永遠に生き続けるような錯覚を持つことはできる。 
 ・死刑を宣告されてじたばたするのは、子供のない死刑囚だという。あとに残される家族がいるの
  だからさぞかし心残りだろうと思われる子持ちの死刑囚は、しかし私たちが考えるほどには取り
  乱さない。というのは、自分が死んでも、自分の生命の継承者がいるから、どこかで完全な死の
  感覚がないというのである。

「雨蛙」の妻
 ・人間が陽気な人と陰気な人とに分れていることは、誰の目にも一目瞭然である。私からいうとそ
  の混合型もある。私のように、なんでも慎みもなくものを言うと陽気なように思われているが、
  実は自信もなくひがみっぽいというインケンな性格もれっきとしてあるのである。
 ・陽気と陰気とは、どちらがいいという優劣の問題ではない。これは特徴であり、どちらを好むか
  は嗜好の問題であり、どちらが仕事をするのかはまた、それぞれの分野にもよるのである。一見
  陽気な人の方が人との関係がうまくいくように見えるが、一つのことを執念深く追っていけない
  ということもあり、陰気な感じの人が陽気な人の落としていった部分をいつも補強する役目をか
  ってでているというケースは実に多い。
 ・同じ陰気な人でも強い人と弱い人がいる。陰気で強い人は、往々にして長い年月をかけていい仕
  事をするが、その代わり融通がきかず、同調性もなく、一軒の家に共に住む相手としては、まこ
  とにうっとうしいという場合もある。何から何までいいなどという人はこの世にはいないもので
  ある。
 ・自分の考え方をするということに対して、世間にはその方が勇気のある生き方であると思う人も
  いるようだが、そんなことは決してない。私などは、自分が人と同じように考えねばならないと
  むしろ辛くなることが多いから、自分一人の判断をしようと思っているだけのことである。むし
  ろ弱者の逃げ道というべきなのかもしれない。
 ・この逃げ道は二つのことさえ覚悟すれば、意外と易しく到達できる。一つは人間の部分的な性悪
  説を承認することである。自分がいい人間と思われたいと、隠し、迎合し、常識に振り回される
  ようになる。或いは人が徹頭徹尾いい人の筈だなどと過大評価すると、すぐに失望するようにな
  る。しかし自分も人もほどほどだと見極めていれば、それほどひどい失望を味わうこともなく、
  むしろ欠点の影に隠れされていた美点を見つけだせることさえ多い。
 ・もう一つは自分を隠さないことである。いい評判を続けようとすると息が切れるが、悪い評判は
  一度立ってしまうと、それ以上落ちようがない。だから隠さずに自然の姿で生きることだと私は
  思っている。そのうちに「あの人は評判の悪い割には、いいところもあるわね」という幸運が転
  がりこむこともあるかもしれない。

夫の犯罪
 ・家にいても何も喋らないという夫婦がいる。これは、夫婦のどちらも喋るのが嫌いな人たちなの
  か、それとももう夫が何かを喋ってくれるかもしれないという期待をあきらめた妻の、表向きは
  夫婦でいても、実は一人暮らしをしている姿かと思う。
 ・結婚は何のためにするのかということに対する答えは様々なものがあるだろうが、私はその一つ
  は、男は女の心を、女は男というものの心理を知ることにあると思う。この場合異性を知る目標
  は、セックスだけではない。セックスだけなら、できりだけ多くの相手と経験を積んだほうがい
  いから、必ずしも結婚という形をとらないほうが自由でいいと思う。
 ・男は結婚によって、高尚な意図などはほとんど持たないようである。そのもっとも率直な目的は、
  広い意味での性的な関心であって、女に精神があるかどうかなどということはさして大きな問題
  にはならない。妻がどう考えているか、などということはあまり気にしたこともないという猛者
  もけっこういる。彼らは女に対していいかげんなのではなく、一種の謙虚さから、自分には女心
  などとうていわかるわけはないと思い込んでいるようである。
 ・夫婦ともに黙っていたいという人は、それはそれで、お喋り夫婦にはない沈黙といういぶし銀の
  ような能弁」の贅沢さがある。しかし子供と同じように、自分以外の世界のお話を聞きたがって
  いる妻にとって、うちではあまり喋らない夫というものは実に淋しいだろう。最近、「大統領の
  犯罪」とか「総理の犯罪」とかいう表現をちょくちょく耳にするが、黙っていて妻と生きること
  の感動を分け合おうとしない夫は、「夫の犯罪」が成り立つのではないかと思う。

優しさと冷酷
 ・酒癖の悪い夫になんとか適量を飲むようにしてくださいと言っても、配偶者の力で変えさせられ
  る場合は少ない。もちろん変わることもないではないが、それはその人の中に、激しい内面の変
  化があった時だけである。
 ・外界の不快さに、うまく対応できない人というのもたくさんいる。その理由はさまざまである。
  体が弱くて、少しでも辛いことことには、耐えなさいといっても、肉体的にむりだという人もい
  る。
  人に過大期待する人はいつも人に裏切られて怒ることになる。
 ・親切も不親切も共に同じくらい人を困らせることもあるという発見と少しも矛盾しないものであ
  った。それではどうしたらいいかというと、世間の過半数は親切のほうが好きらしいから、我々
  は一応親切と思われる方の行為を選んですればいいわけだが、それで自分は完全にいいことをし
  ていると思わなければいいのである。

危機と共に生きる
 ・世の中の多くの夫と妻も、相手の前では心身の緊張を保つことなど無駄だと思っている場合がよ
  くあるようである。実際、或る年月を共に暮らしていると、いまさら発見があるわけでもない。
  浮気をする気力もなくなっていることも、お互いによく分っている。この分なら二人とも惰性で
  死ぬまで一緒にいるだろう。何故といって、二人とも行くところがないからだ。確かにそれが現
  実なのだが、この現実の上にあぐらをかいている心情が実に侘しい。私は、このような夫婦を見
  かけると、自分もそうなりそうな素質が充分にあるだけに、ことさらに用心し、いささか過分な
  ほど、用心しようとしているところがある。
 ・緊張がなくなる最大の理由は、その人の周囲から他人の存在が希薄になるからである。つまりそ
  のような生活からは、他人の目に自分がどう映るかなどという関心は全く必要なくなってしまっ
  て、ただ自分がどうしたら得か、自分にとって何が楽か、というような自己中心的な情熱だけが、
  くすぶって残るのである。
 ・人間をすてきにするのは何であろうか、と私は時々考える。一つには彼または彼女に危機感が漂
  っている時であろうか。死に近づいている人、危険な作業に従事しようとしている人、損得を離
  れて何かをしようとしている人、耐えている人、いずれもそれを見守る私たちとしては、何かを
  してあげたい、しかしあの人の運命を大きく変える何の力も自分にはないと悲しく思う。その時
  に、その人は私の心の中で大きな関心を占めることになる。
 ・つまり人間の人間らしさ、人間の精神性、人間の能力などというものを示す指数を何で計るかと
  いうことになると、それはその人がどれだけ自分以外のことに心を使っているかということにな
  る、というのはおもしろいことである。しかもそれが、自分の利得のためではだめなのである。
  自分がうまく立ち回りたい、自分が酷い目にあいたくない、非難を受けたくない、などというこ
  とのために働くことは、ほんとうの意味で魅力がない。つまりそんなことくらい、餌にありつこ
  うとする犬でもすることであって、人間が人間でしかできないことをしようとしていることには
  ならないのである。

遊びの会話
 ・庶民にとって生きるに価する生涯というのは、ほんとうのところ会社で大きな仕事をすることで
  もなく、ましてや、歴史に残るような活躍をすることでもない。最低のところは健康であり、法
  律に触れることなく、経済的、物質的に生きて行かれることであろう。最低の次で、しかも最終
  の目標は、毎日の家庭生活が楽しいことである。このなんでもないようなことの実現が、しかし
  実に難しい。そして傍目には人が羨むような家庭でも、この小さな目標を達せられていない家庭
  は実に多いのである。
 ・夫婦というものは、一人ずつ切り離しても、生きられねばならない。人間は本来は生活能力にお
  いて、無能より有能でなければならないのである。夫婦が補い合って行くということが、美徳の
  ように言われ、事実、人間はいくら訓練してもうまくならないということが多いから、現実問題
  としては、どちらか、ややうまい方が、下手な方の代わりをするということはよくあるが、しか
  し理想はあくまで、人間は一人で暮らせることである。

一つの屋根の下の幸福
 ・ものごとはすべ、順序というものがあるというのが、私の考え方なのだが、それは、世の中の
  ことを総て一斉にいい状態にするということはできないという認識から始まっている。どこから
  始めるのか、どれを一番大切に思うか、その順位を付けておくことが大切だと思う。そうなると、
  私は迷うことがない。世間がどう思うより家族が生き甲斐を感じて暮らせることが常に第一だと
  う思う。金がないという評判が立つと、どこが悪いのだろう。事業主なら、多少世間の評判が仕
  事に差し支えることもがあるかもしれない。しかし、サラリーマンの家庭で、金があるもないも
  ない。更年期に差し掛かった妻が、第二の人生を楽しく過ごせるかどうかの分かれ目としたら、
  できることはみんなやらせてみてやったらいいのではないかと私は思う。

愛ある別れ
 ・私たちは結婚という現実を、改めて考え直してみなければならないだろう。結婚は一つの選択だ
  ということをである。つまり、結婚によって、その人は、親を捨てて一人の異性をとった、とい
  うことなのである。ここで、明らかに親は捨てられ、自分の子供にとって、愛されるべき順位が
  少なくとも二番目に落ちたということになる。
 ・結婚式が花嫁花婿の親たちにとって、百パーセント喜びにだけに満ちたものである、などという
  のは伝説であろう。もしそこで、親たちの誰かが泣いとしたら、その涙は、やはり別離の悲しさ
  の要素が含まれていると思う。
 ・結婚というものは、はっきり言って、その親や兄弟に対する部分的な裏切りである。そして裏切
  らなければ誠実な結婚生活ができるわけがない。考えてみれば、どうして、これほどの残酷な人
  間関係の変化によって、社会と人類が続いていくような仕組みになっているのかわからないくら
  いである。
 ・私はほとんど人の家庭には口を出さないことにしているが、一つだけ内心こだわるケースがある。
  それは奥さんがほうが年上で、しかも子持ちで再婚というケースである。私は妻の年上がいけな
  いと言っているのではない。むしろ年上の妻の良さを見抜ける男は好きである。年上の妻が、夫
  のために子供を産んでやれる場合は問題ない。しかし、妻が若い夫のために、もう子供を生めな
  い年だと聞くと、私は、もちろん相手にはなにも言いはしないけれど、考え込んでしまう。
 ・これは、夫の小さな望みをかなえてあげられないなどというものではない。うっかりすると、そ
  の男の生涯の目的を失わせることになる。私がもし、年下の好きな相手ができても、彼に既に子
  供がいない限り、どんなに辛くても、結婚はしないで別れていくと思う。それは、ただ、相手が
  子供をほしくなった時のためである。

或る「棄教者」の決断
 ・誰でもいい、一人の人に、幸福な人生を送らせることは、現世的にみたら小さな仕事だが、信仰
  の面からみたら大きな事業である。この点が意外と世間ではなおざりにされている。そして、私
  の周囲でも、その「小さな仕事」にさえ成功した人は、それほど多くはない。
 ・人間は多くの常識に囚われ、名誉に執着するが、それを実際に手にする頃、もはや、それが、彼
  に何の幸せももたらしはしないことを知るようになる。ノーベル賞をもらったヘミングウェイの、
  その死までを読んだ時、私は愕然としたものである。世界的な賞などというものも、彼に満足や
  生きる意欲を与える手がかりには全くならなかったのであった。その手のことは実に多い。その
  手のからくり、その種の幻想を人はどれだけ早く人生で気が付くか、ということだ。
 ・夫婦が、一生の間、「新鮮な感覚を持ち続けた雄と雌」でいることもすばらしいが、それだけが
  夫婦の形とも私は思わない。一生かかって雄と雌にしかなれなかったなんて、お気の毒という感
  じもしないでもない。
 ・夫が、血の繋がらない「後天的な肉親」になるということは、一種の奇跡である、と私は思って
  いる。肉親というものは、離れていくことを淋しいと思いつつ、しかし、それを最終的には承認
  せざるをえない関係である。もちろんその途中に恨みの感情もあったろうし、破壊的な気持ちに
  もなったであろう。しかしその理性の基調になっているのは、「その人が幸せなら」ということ
  だ。
 ・人間の生涯をいかに造って行って死に至るか、ということは、その人の哲学と美学の反映である。
  もちろん誰も理想的な生活をすることなどできはしない。しかし現実と妥協しながら、一人の人
  間を活かすも殺すも、自分の選択にかかっているのだと思う時、夫婦のあり方ももう少し謙虚に、
  しかしかけがえのないものになろだろう。