大学病院のウラは墓場  :久坂部羊

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病気になったとき、どこの病院がいいのか迷うことが多い。誰でも、優秀な医者がいる病
院で手術を受けたい、というが人情である。そんなとき、よく大学病院は、医者の中でも
さらに優秀な医者の先生が揃っているから、大学病院が一番いい病院だと思っている人が
多い。でも、いざ大学病院に行くと、代わる代わるインターン医師から診られて、まるで
モルモットみたいだと苦言を呈する人も多い。
しかし、大学病院とはそういうところなのだ。大学病院は、研究・教育機関だ。大学病院
にいくからには、「自分は将来の医学の進歩のために、この身を実験台として提供するの
だ」という覚悟が必要なのだ。その覚悟がないならば、大学病院に行くべきではない。
この本を読んで、つくづくそう思った。

はじめに
・大学病院にはさまざまな問題がある。未熟な医師がマニュアルを見ながら内視鏡手術を
 行い、患者を死亡させた慈恵医大青戸病院の事件。ひとりの心臓外科医が立て続けに患
 者を手術で死なせたのに、それを「トレーニング」と称した教授がいた東京医大の事件。
 人口心肺の操作ミスで患者を死亡させ、その後、医師がカルテを改ざんして逮捕された
 東京女子医大の事件
・大学病院の医師たちと話していて驚くのは、彼らが自分が病気になったときのことをリ
 アルに恐れていることだ。このままでは日本の医療が崩壊する。十年後か二十年後、自
 分たちがガン年齢や梗塞適齢期になったとき、とてもまともな治療が受けられそうにな
 い。彼らは真剣にそう恐れながら、半ば諦めている。

「大学病院だから安心」ではない
・医師の世界では、広い意味で患者を練習台にすることは、だれでもやっていることであ
 る。それを当然のことと見なすか、好ましくないと思いながら不承不承認めるかは別と
 して、それ以外やりようがないことはだれもが同意するだろう。しかし、世間はもちろ
 んそんなことは認めない。だからいくら事実であっても、そのまま口にするのはあまり
 無神経である。
・どんな大学病院でも、はじめからすべての治療をカバーできるところはない。スペシャ
 リストを養成して、徐々に治療の領域を広めていく。その過程で何人かの患者が死に、
 徐々に死亡率が下がって、やがてハイレベルな治療として確立されていく。
・「大学病院だから安心」と、世間が信頼を寄せるから、大学病院はメンツにかけてもそ
 れに応えようとする。結果、患者をトレーニングの材料にしてでも、治療の守備範囲を
 広げようとする。大学病院に理想を求める世間と、メンツにこだわる大学病院。この関
 係を断ち切らなければ、いつまでたっても、「無謀な治療」は繰り返される。
・国内全体の病例がたった30や40しかないとき、執刀した医師たちは、十分な経験が
 あったと言えるだろうか。経験不足は決して本質的な問題ではない。それをマスコミが
 攻撃的に批判するから、世間も経験不足が許せないと思い込む。その思い込みが、手術
 は常にベテランによって安全に行われているという幻想を生み出す。そういう幻想が、
 日本の医療状況を閉塞させ、身動きのとれないものにしている。
・大学病院というところは、大勢の意志がしのぎを削っていて、医局内でもポスト争いが
 激しい。噂、陰口、足の引っ張り合いが横行している。「大学病院では、雀の泣かない
 日はあっても、人の悪口を聞かない日はない」と言われるほどだ。
・大学病院でえらくなりたい医師たちは、常に「外に出される」ことを恐れている。「外
 に出される」とは、大学病院以外の一般病院へ転勤させられることだ。そのためできる
 だけ減点を少なくし、教授に嫌われないようにと心を砕く。
・確かに東大病院は医療界のブランドである。文科省の科研費(科学研究費補助金)は、
 全体のおよそ半分が東大病院に割り当てられる。残り半分(全体の4分の1)が京大病
 院に渡り、その残り半分(全体の8分の1)が阪大病院に流れ、最後の8分の1が残り
 の全国の大学病院で分けられるとのことである。
・それくらい東大病院の医師は優秀なのだが、それは研究者として優秀なのであって、患
 者を治療する臨床医として優秀なわけではない。それは東大病院の医療訴訟が多いこと
 を見てもわかる。しかし、世間はそこを混同している。研究に秀でていれば、診療にも
 長けていると思うかもしれないが、それはちがう。研究と診療はまったく別の仕事だか
 らだ。
・大学病院の外科医たちは、手術で治せる見込みのある患者には意欲を燃やすが、手遅れ
 の患者はがんの再発見にはまるで興味を示さない。
・今でも大学病院の医師は、治り見込みのある患者ばかりを診ようとする。治らない患者
 に長期間ベッドを占領させていると、治る患者がどんどん死んでしまう。それが大学病
 院のスタンスである。
・大学病院の主な役割は、診療、教育、研究の三つである。大学病院では、この三つのい
 ち、研究をもっとも重視している。大学病院で出世を考える医師は、診療などに力をい
 れては生き残れない。
・いくら優秀な治療成績をあげても、大学病院ではそれほど評価されない。なせなら、大
 学病院の医師たちは、自分たちを「医療者」でなく、「医学者」だと思っているからだ。
・医学者の本分は、もちろん医学研究である。新しい治療法を開発して、これまで不治の
 病とされてきた病気を治す。そこまでできなくても、それにつながる研究をして、医学
 界での評価を得る。
・がんの手術は二十年前に比べ、全般的に縮小傾向にある。むかしは再発を防ぐために、
 できるだけ広く組織を切除していたが、それは再発には無関係であるとわかってきたか
 らだ。むしろ組織を取りすぎて、体力を弱める害のほうが大きい。
・大学病院の問題の根本は、世間が大学病院に医療者であることを求める点にある。大学
 病院の医師は本質的には医学者である。研究に専念すれば治療の腕を磨くひまがなく、
 治療に専念すれば研究を進めることができない。医学者であることと、医療者であるこ
 とが両立できない時代になったのである。
・研究と診療、どちらも医師がやるから同じ仕事のように思われるかもしれないが、この
 二つはまったく別の仕事だ。適性もちがうし、必要な才能、技術もちがう。研究に必要
 なものは厳密な思考能力や適確なテクニック、アイデアのひらめきなどで、すべてにお
 いて科学的な態度が求められる。診療には豊富な知識と経験が必要で、コミュニケーシ
 ョン能力や患者の身になって考える姿勢が重要である。何よりも大切なのは、患者を治
 したいという医師としての心である。研究者に心など必要ない。そんなものに左右され
 ていては、科学としての客観性が揺らいでしまう。だから医学者が治療すると、病気ば
 かり見て人を見ないという状況になる。患者が納得しようがしまいが、じぶんの正しい
 と信じた治療法を押しつけ、患者の気持ちなどは考えない。
・医学者は、自分たちも患者のことを考えていると言うかもしれないが、それは未来の患
 者であって、目の前の患者ではない。そして医療者に対して、こう思っている。お前た
 ちが治せるのは、たかだか数の知れた現実の患者だけだろう。自分たちが新しい治療法
 を開発すれば、日本だけでなく世界中の患者を無数に救うことができる。医学者はそう
 自負して、密かに医療者を見下している。
・大学病院の実態を知っている者からすれば、大学病院で治療を受けることには相当な勇
 気を要する。未熟な医師の練習台にされたり、安全性の確立していない治療法を試され
 たり、研究の片手間に治療されたりするのだから。
・大学病院に勤める医師は、自分または家族が病気になったとき、よほどの重病でないか
 ぎり大学病院にはかからないだろう。軽症の病気で大学病院のベッドを塞いではいけな
 いというのが建て前だが、実際には練習台や実験台になるのがいやだからだ。にもかか
 わらず、毎日たくさんの患者が大学病院にやってくる。「大学病院だから安心」という
 幻想が、深く浸透しているせいだろう。
・医師を信頼して、すべてお任せしますという患者ほどやりやすい相手はいない。医師が
 リラックスすれば実力を発揮しやすく、治療の効率も上がり、ひいては患者の利益にも
 つながる。同じ薬でも、医師を信頼して服用すれば効きやすい。
・大学病院にかぎらないが、医療界に対するマスコミの要求には、まるで医師には無限の
 時間と能力があるとでも思っているかのような主張が多い。最高の医学知識と技術を持
 ち、二四時間いつでも患者に対応し、患者の心理まで理解する医師であってほしい。そ
 んなことは無理だとはっきり言えばいいのに、「わかりました」「やってみます」と言
 うから、幻想が自己増殖する。

大学病院の言い分
・診療を充実させるとは患者にとっては喜ばしいことだが、別の大きな問題が控えている。
 研究がおろそかになれば、新しい治療の開発も遅れるし、今ある治療の欠点も改善され
 ない。
・かつての大学病院の医師たちは、研究を偏重し、未来の医療にばかり目を向けてきた。
 今や世間と大学病院の力関係は逆転し、世間の要求に押される形で、大学病院が診療に
 力を入れはじめた。大学病院に経営的な自立が求められ、必然的に患者の要求に従わざ
 るを得ない状況になってきた。
・診療は一般の病院でもできるが、研究と教育は大学病院や国立医療センターのような教
 育病院でしかできない。大学病院に診療を求めすぎると、未来の医療を損ねてしまうこ
 とになる。
・日本では、医師以外が医療行為をすることに、アレルギーに近い反応があるが、それは
 世間と医師の双方が「医療行為」を神聖視しているからではないか。技師や看護師でで
 きる処置はできるだけ彼らに任せ、医師はそれに関する判断と指示に専念することが望
 ましい。それが細分化した医療の進歩した形態だろう。
・大学病院は教授の個人商店の集まりなんだ。教授はその科の実権を握り、完全な独立を
 保っている。だから同じ大学病院でも、科によって診療方針はちがうし、研究や教育の
 やり方も独自の方法をとっている。たとえ病院長や医学部長でも、それに干渉できない。
・日本の状況は、まるで医療後進国だ。優秀な医師も能力のない医師も、同じ報酬しかも
 らえないのだから。出来高払いの保険制度は、むしろ腕の悪い医師が儲かるようになっ
 ている。医師会が長年かけて開業医を守ることに専念したからだ。優秀な医師たちは、
 黙っていて評価されると思っていたことに責任がある。もっと政治力を発揮すべきだっ
 たが、もはや手遅れだ。このままでは優秀な医師がどんどん海外へ流れてしまう。アメ
 リカのように、若いときに苦労しても優秀な医師になれば、中年以降の生活が保障され
 るようなシステムにすべきだ。

大学病院は人体実験をするところか
・そもそも大学病院とは、人体実験をするところなのだ。治験とか臨床研究とか、専門用
 語で目先をごまかしても、人体実験であることは変わらない。それを認めないことには、
 話が前に進まない。どんな治療でも、はじめて患者に使うときには人体実験的な要素が
 ある。いくら動物実験で安全性を確かめても、人間でどんな反応が出るかは完全には予
 測できないからだ。
・人体実験には「許される人体実験」と「許されない人体実験」がある。許されないの
 は、医師が自分の利益のために、患者の安全性を顧みず、無理やり、あるいは秘密裏に
 行うものだろう。
・問題なのは、「許される人体実験」と「許されない人体実験」の境界が曖昧だというこ
 とだ。患者が死ななければ「許される人体実験」になっている。逆に言えば、これまで
 も患者が死ななかったら「許された」人体実験も多くあったはずだ。すなわち、「許さ
 れる」「許されない」は結果次第、やってみなければわらならないというグレーゾーンが
 多いということである。
・医師は自分が病気になったとき、できるだけ危険な治療を避けようとする。私の先輩外
 科医は、虫垂炎になるたびに抗生物質で必死に手術を回避していたし、痔持ちの同僚も
 座薬と軟膏でごまかしていたし、椎間板ヘルニアの整形外科医も頑として手術は受けな
 かった。
・新しい治療の絶対的な安全など、だれにも保証できるわけがない。医療を進歩させ、現
 在の治療では治らない病気を治せるようにするには、ある程度の犠牲は受け入れざるを
 得ない。世間が絶対の安全を求めるから、大学病院が倫理委員会などを作って、安全が
 保証されているかのように振舞う。マスコミは倫理委員会の限界を知りながら、深く追
 及しない。追及すると張り子の虎であることがわかってしまうからだ。
・大学病院で研究をつづける医師の中には、私生活を犠牲にしている者も多い。自ら好ん
 でしているとはいえ、医師が私生活を犠牲にしているのだから、患者も研究のために犠
 牲になるのは当然と、そんな錯覚がストレスの隙間から医師の心に入り込む。もちろん、
 すべての医師がそうではない。善意の医師、誠実な研究者も多くいる。しかし大学病院
 では、このような歪んだエリート意識が育ちやすい。
・治験や臨床研究に危険が伴うのは致し方ないことである。その可能性をぎりぎりまで減
 らしたあとは、被害が出た時の補償をしっかり整える方向に進むべきだ。いわゆる無過
 失補償である。これは医師の過失が明らかでなくても補償が受けられる制度で、患者側
 は裁判で医師の過失を証明する必要がない、白黒をつけなくても補償されるので、患者
 側にも医療者側にもメリットがある。問題は財源だけだ。
 
必要悪「医局」を崩壊させたのはだれか
・医局という言葉には、二つの意味がある。ひとつは医師の控え室などを指す場所として
 の医局、もうひとつは複雑怪奇な掟で医師を支持する制度としての医局。マスコミで問
 題を指摘されたのはもちろん後者である。
・世間では、医局制度は医療の閉鎖性、封建制の象徴のようにいわれている。
・教授が医局員を支配している理由は、人事権のほかに学位がある。学位論文を審査する
 のは教授会だから、博士号を取るにはやはり医局に所属することが望ましい。教授の覚
 えが悪いと、せっかく研究を終えても論文にケチをつけられたり、実験のやり直しを命
 じられたりする。逆に目をかけてもらっていると、早く審査を進めてくれたり、ほかの
 教授に根回しをしてくれる。人事権と学位で縛られている医局員は、教授の方針には逆
 らえない。これが医療ミスの隠蔽体質を作り出している。
・医局はさまざまな問題を抱えながらも、基本的には医師にしか影響力はなく、世間には
 無害の存在だった。それが世間から激しい攻撃を受け、崩壊に向かった。きっかけとな
 ったのは、医師の名義貸しと、医局への寄付金問題である。名義貸しが最初に発覚した
 のは、北海道の病院だった。
・病院はその規模によって必要な医師の定員が決められている。定員に満たないと、診療
 報酬が減額される。それを避けるために、病院が幽霊医師で定員を満たそうとしたので
 ある。
・つづいて問題になったのが、公立病院から医局への寄付金である。最初に発覚したのは
 東北大学だった。寄付の理由は、医局から定期的に医師を派遣してもらうことへの謝礼
 である。しかし、病院から医局への寄付金は、ほとんどが研究や教育に費やされ、教授
 の私腹を肥やすために使われたのではない。不透明ではあったが、さほど悪質なもので
 はなかった。にもかかわらずマスコミはここぞとばかり攻撃した。なぜか。それは寄付
 金の出所が税金だったからだ。
・かつての医局の勢力は、医局員と関連病院の数で決まった。だからどんなへんぴな病院
 も、各大学の医局が取り合いをしたものだ。今や、大学病院は人手不足になり、医局は
 関連病院を手放しつつある。十年前までは考えれないことだ。
・医局制度が世間から攻撃され、独法化で仕事が増えたとき、医局が取った戦略はきわめ
 てシンプルな自己保身だった、すなわち、医局に人員を重点配置し、関連病院を放棄し
 ていったのだ。
・これまで全国の地域医療を支えてきたのは、医局の保守性と封建制である。教授が絶対
 的な権威を持っていたからこそ、地方の病院にも医師が派遣された。職業安定法では、
 教授の命令で医師を派遣することは禁じられているが、現実はそのおかげでへんぴな
 病院にも医師が赴任した。
・医局の弱体化が進むなか、医局は地域の病院から医師を引き上げはじめた。欠員が出て
 も、補充を送らない。ひと昔前なら他大学の医局に席を取られただろうが、今は取るほ
 うにも余裕がない。
・そんな現場の実態と、マスコミの論調には大きな隔たりがある。理想論的は社説などを
 目にするたびに私は思う。医局は自らを犠牲にしてでも、地域医療を守るとでも思った
 のか。教授は日本の医療危機を克服するために、権力を手放しとでも思ったのか。医師
 はみんな使命感に燃え、患者のために私生活を犠牲にするとでも思ったのか。医師のよ
 うに自己保身と利益確保に長けている集団に、甘いきたいや理想論を押し付けても、応
 じるわけがないではないか。
・医局がなくなったら、多くの医師たちが迷子状態になり、自立できない。全員が一匹狼
 になったら、医療界は大混乱に陥る。
・医師のリクルートは案外むずかしく、独自に募集してもまともな医師は集まりにくい。
 意欲から離れている医師は、一匹狼というよりははぐれ鳥が多く、使いものにならない
 か、「問題児」が多かった。だから医局を通したほうが、安全だったわけだ。
・今後、医局はますます弱体化するだろう。多くの矛盾と不合理を抱えながら、日本の医
 療を支えてきた医局は、現実を無視した理想論の前に崩れ去ろうとしている。医師は
 強権をもって不満を調整してくれていたシステムを失ってしまう。これからは実力のあ
 る医師と、実力のある病院が勝つ時代だ。競争に敗れた医師や病院は淘汰される。それ
 は医師にとっても、患者にとっても、決して望ましい状況にはならないだろう。

先祖がえりした新臨床研修制度
・インターン制度には問題も多かった。第一はインターン生の身分の不安定さである。イ
 ンターン生は医師ではないので給料がもらえず、生活の保障がなかった。インターン生
 が生活のために無資格でアルバイト診療をすることが社会的に問題になり、やがて医学
 生の側からもこれに反対するは働きが出た。
・インターン制度が廃止されていちばん変わったのは、研修が義務から努力目標になった
 ことだ。
・インターンは無資格だったが、研修医はれっきとした医師だ。手当が出るのはうれしい
 が、月額11万円では生活できない。このため当直のアルバイトに行く。病院に着くと、
 当直室にこもり、まず救急患者が来ないことを祈る。もし急患の連絡が入ったら、電話
 で病状を詳しく聞き、患者の前に出る前に「今日の治療指針」という虎の巻で治療法を
 覚える。これは電話帳ぐらいの分厚さの本で、内科、外科はもちろん、小児科、皮膚科
 から薬物中毒まで全疾患の治療法を網羅してある。逆にいえばこの本を一冊持っていれ
 ば何科の医師にでもなれるのだからお手軽だ。手に負えない患者が来たら、当直先の病
 院の院長に連絡するか、救急車を呼んでほかの病院にまわす。あるいは今は夜中で検査
 もできないので、明日の朝、もう一度来てくださいと言ってお茶を濁す。たいていはそ
 れでこと足りた。
・研修医の当直アルバイトは、見張り番に近い仕事である。救急の患者が来たとき、様子
 を見ていいのか、専門医を呼ぶ必要があるのかを的確に判断することが主な任務だ。た
 いていは経過観察か簡単な処置で足りる。毎晩、重症患者に対応できるベテランの医師
 を当直させる必要はない。世間から見れば、どんな重症患者でも診療できるベテランが
 毎晩当直してほしいと思うかもしれないが、それは過大な要求だ。

産科医、小児科医につづき、外科医もいなくなる
・なぜ産科医のなり手が少ないか。それは昼夜休日を問わない激務と、訴訟のリスクの高
 さのためだ。出産が曜日や時間を問わないのは当然のことで、陣痛のはじまりから分娩
 までの時間もまちまちだ。初産婦の場合は平均で12から15時間だが、長い場合は
 24時間以上かかる。逆に経産婦なら早い場合は3時間ぐらいで生まれてしまう。分娩
 に必ず立ち会おうと思えば、大切な約束もキャンセルし、楽しみの計画も中止し、家族
 との予定もあきらめざるを得ない。産科医になろうと思えば、それくらいの覚悟がいる。
・また受け持ち妊婦の出産が等間隔になるとはかぎらず、連続する場合は何日もつづけて
 病院に泊まらなければならない。当番制にすればいいという考えもあるが、そうなると
 妊婦はかかっていた医師とは別の医師に赤ちゃんを取り上げてもらうことになる。それ
 は妊婦にとっては不安だろうし、医師のほうも妊娠経過を診ていない出産に立ち会うの
 はリスクが伴う。
・訴訟に関してははっきりと数字に出ている。産婦人科の訴訟率は内科の4.7倍とどの
 科よりも多い。産婦人科で医療訴訟が多い理由は、出産が安全だと思い込んでいる人が
 多いせいである。現在の日本の出産死亡率は200人に1人の割で赤ん坊が死んでいる。
 一人の産科医が1年に取り上げる赤ん坊は、忙しいところで200人前後だから、毎年
 一人は死亡例に当たることになる。20年やって20人。全員がものわかりがよいとは
 かぎらない。産科医にとって医療訴訟はごく身近なプレッシャーなのである。
・開業医の産科医は、少しでも異常がある妊婦はどんどん公立病院などに送ってくる。結
 果、大きな病院では危険な出産ばかりを扱うことになり、訴訟のリスクを押しつけられ
 る形になっている。
・開業医らがリスクのある妊婦を総合病院に送るのは、リスクが高くても低くても、出産
 に請求できる医療費が同じだからだ。一回、不運な例に当たれば巨額の賠償を命じられ
 るというのであれば、恐ろしくてだれも手が出せない。紹介された患者を断れない総合
 病院の産科部長は、ロシアンルーレットのようなポストなのである。
・福島県立大野病院で、帝王切開中の大量出血で妊婦が死亡した事件で、執刀をした医師
 が逮捕された。前置胎盤で帝王切開になった妊婦の胎盤を剥離しようとしたところ、
 「癒着胎盤」と呼ばれる状態だったため、大出血が起きたのである。輸血の準備が不十
 分だったこと、はじめから子宮を摘出していれば大出血は避けられたのに、無理に胎盤
 を剥離したことなどが過失とされた。
・癒着胎盤とわかった時点で子宮を摘出していれば、たしかに大出血は免れただろう。し
 かし子宮を取れば以後の妊娠はできなくなるし、胎盤をうまく剥離できる可能性もあっ
 たわけだから、軽々に子宮を取るべきではない。この病例では、子宮を残そうとした執
 刀医の善意が結果的に大出血につながった形なのだ。
・現場の判断として、剥離をはじめたことには「明らかな過失」はない。結果が悪ければ
 過失とみなされるなら、医師は常に逮捕の危険にさらされることになる。
・この事例のように、診療上ある一定の確率で起こり得る不可避なできころまで責任を問
 われ、逮捕、起訴されるようであれば、もはや医師は危険性を伴う手術など積極的な治
 療を行うことは不可能となり、医療のレベルは低下の一途をだどる。
・逮捕された医師は、たったひとりで病院の産科を支えるいわゆる「一人医長」だった。
 もし複数のスタッフがいれば、最悪の事態は回避できたかもしれない。執刀医がたった
 ひとりで産科を担っていたことが、そもそも患者を危険にさらしていたという意見が強
 い。
・産科医が少ないから一人医長になる。一人医長は危険だから、産科をやめる医師が増え
 る。だからさらに産科医が少なくなる。この悪循環はとどまるところを知らない。
・逮捕は医師の診察中に、衆人環視の中で行われたという。しかも事前にマスコミに情報
 をもらしていたから、警察のスタンドプレイの意図が濃厚に感じられる。
・この事件で不安を感じ、出産の取り扱いをやめた医師もいる。自治体や大学は安全性を
 高めるために、医師の集約化をはからざるを得なくなった。その結果、多くの病院から
 産科医が引き上げられ、産科が休止に追い込まれる病院が増えた。ただでさえ産科医の
 志望者が減っているなか、この医師逮捕はマイネス面に大きく拍車をかけたと言わざる
 を得ない。
・小児科の勤務医が減っている原因のひとつは、女性医師の離職である。小児科医は他科
 に比べて女性の比率が高く、全体の二割を超えている。女性医師は結婚、出産、育児で
 現場を離れることが多く子育てが終わっても、ブランクが長いとなかなか現場に復帰し
 にくい。
・小児科の勤務医が減るもうひとつの原因は、開業である。開業すれば、当然のことなが
 ら入院患者を診なくてもいいし、当番はあるものの、原則的に夜間と休日はゆっくりで
 きる。当番でも勤務医の当直に比べれば、負担はずいぶん軽い。重症やややこしい患者
 ははじめから病院へ行くのだから。
・一般に小児科医は子供が好きな医師がなると思われているかもしれないが、実際はそん
 な生やさしいものではない。目の前でいたいけな子どもが悪性疾患や難病で死んでいく
 のだ。ドラマや小説なら泣いてすむが、現実に自分が診ていた子どもに死なれると、た
 まらない無力感に苛まれる。ある意味で神経を麻痺させなければ、医師のほうがおかし
 くなってしまう。
・小児科の困難さはまず第一に、相手が子どもであることだ。注射をいやがる、自分の症
 状をうまく説明できない、治療に協力しないなどのハンディがある。診察には時間がか
 かるし、細い血管に注射したり泣く子どもの聴診をしたりする特別のテクニックもいる。
 なのに診療報酬にはそれが反映されていない。
・また子どもは症状が不安定なので、緊急の対応を要することが多い。余力もないので、
 目を離すとすぐ重篤になる危険もある。内科や外科の場合は夜中に入院患者の症状が変
 わっても、電話で指示するだけですむことも多いが、小児科の場合はわざわざ病院に行
 って診察しなければならない場合が少なくない。
・夜間の救急患者の六割から八割が小児で、そのうち八割から九割は軽症である。軽症で
 も素人の親には判断がつかないのだから、病院に連れていくのは当然である。しかし、
 そのたびに起こされる当直の小児科医の負担はかなり大きいものとなる。
・また、小児科医は患者だけでなく、親にも対応しなければならない。ときとして、患者
 より親のほうが医師を疲弊させている。子どもが病気のときに冷静でいられる親は少な
 く、たいていは取り乱している。説明には時間もかかるし、気力もいる。
・僻地の住民は、医師がいないと不安だろうが、医師からすれば、せっかく赴任しても患
 者が少なければ収入が得られない。いわば「飼い殺し」の状態を恐れるのである。医師
 はいてくれるだけで安心、というのは患者側のみの視点で、それでは医師は動かせない。
・医師不足が深刻なのは、産科、小児科、地方だけではない。まだ世間にはそれほど知ら
 れていないが、外科医のなり手が減少しつつある。
・外科医不足は、私の同級生の集まりでも深刻な話題になっている。自分ががんになった
 とき、手術を任せられる外科医がいないということだ。
・ある教育病院の外科部長は、新人確保のために、研修医にどんどんメスを握らせると言
 っていた。メスで人体を切る快感を味わせ、外科に引き込もうという作戦である。そん
 な理由で研修医に切られる患者はたまったものではないが、そうもしないと日本の外科
 は崩壊すると、その外科部長は顔を歪めていた。 
・現在の医師の不足と偏在を招いた最大の原因は、医師の自由である。医師は何科を選ぶ
 のも自由であり、どこで勤務するのかも自由、いつ開業するかも自由ということになっ
 ている。
・何科を選ぶのも自由ということは、成績に関係なく好きな科を選べるとういうことで、
 それを学生時代に知った私は、ずいぶん驚いた。それなら劣等生でも心臓外科医になれ
 るからだ。実際には、心臓外科の研修は大学病院一厳しく、劣等生ではとても耐えられ
 ないから志望する者もなかった。 
・勤務地を自由に選べるというのも問題になっている。都市部の医学部に入れない学生が、
 比較的入りやすい地方大学の医学部に入って医師免許だけもらい、また都市部にもどる
 例があとを絶たない。 
・いつでも開業できる自由が、病院の勤務医不足に追い討ちをかけたのは明白である。そ
 のため開業医の過剰時代は目の前に迫っており、都市部では早くも患者の奪い合いがは
 じまっている。 
・なぜ今までは日本の医療は曲がりなりにもやってこられたのか。それは端的にいえば、
 医師と時代そのものにモラルがあったからだろう。医学部がそれほど多くなく、優秀な
 者が医師になり、世間から尊敬される分、それに見合う責務を果たしていた。もちろん
 中には金儲けに走る者や患者を軽視する者もいただろう。しかし、社会全体から見れば、
 まともな医師が多かった。それが1970年代から新設医大が急増し、医師のレベルが
 一挙に低下した。
・時代のモラルが低下したことも大きい。ルールさえ守れば何をしてもいいという風潮、
 少しでも自分が得をすることが要領のいい生き方だとされ、若者はそのために情報収集
 に奔走している。
・国民のためにほんとうに安心できる医療を望むなら、まず優秀な医師がメジャーお科(
 内科、外科、(心臓外科、脳外科、整形外科を含む)、小児科、産婦人科)に行くよう
 にすべきだろう。優秀な医師を適所に配するために、医学生の成績、適性などを審査し
 て、科を選ぶ自由を制限しなければならない。
・さらに勤務機、開業についても、自由を行使したいなら、それだけの能力を要求すべき
 だ。逆に、高度な専門技術と知識を身につけた医師は、自由だけでなく、収入、休暇そ
 の他で十分な厚遇を受けられるようにしなければならない。そうすることで、若い医師
 たちは修練に励み、能力の高い医師を目指すようになるだろう。
・自由も大切だが、今、日本で起きている医療危機は、人間に自由を与えすぎると、社会
 がだめになるひとつの典型のように思える。 

大学病院の初期化が必要
・大学病院が長らく日本に医療の最高峰に位置してきたのは事実である。1980年代前
 半までは、大学病院にしかできない検査、治療があった。CTスキャンなどの大がかり
 な検査聞きは国立の大学病院から導入されていったし、設備の整った手術室の集中治療
 室も同様である。だから一般の病院から多くの患者が送られ、大学病院は病院の中でも
 別格の地位を保っていた。
・しかし、今や一般病院の設備が充実し、大学病院にしかできない治療や検査はほとんど
 なくなった。私立病院や個人病院で専門化したところでは、大学病院以上の設備を誇る
 ところもある。にもかかわらず、大学病院は過去の栄光が捨てられないのだ。
・2004年の独立行政法人化以降、国立の大学病院は経営面での自立を求められ、病院
 全体が金儲けに走らざるを得なくなった。世間の要望に押される形で、大学病院の重心
 が研究から診療に大きくシフトしている。かつでは研究偏重だったが、振り子が逆に振
 れすぎている感じだ。おかげで現場は混乱が起きている。看護師は不慣れな患者サービ
 スに翻弄され、医師は収益アップに追い立てられ、事務は手続きを簡素化しようとして
 かえって全体の不具合を招いている。それでも時代を追いかけていかなければ、大学病
 院はいち破綻するかわからない状態であるという。
・医療が複雑化した現在、大学病院が研究・診療・教育の三つを兼ね備えるとはもはや無
 理がある。それをいつまでも手放そうとしないから、獣機が巨大化し、責務も過重にな
 る。 
・教授の中には、医学部と大学病院を切り離すことを望んでいる者が多い。彼らにとって
 診療は煩雑で疲れることであり、研究こそが真の興味の対象であるからだ。それならい
 っそのこと大学病院を研究主体の施設に特化させ、診療と教育は別の施設に任せたらい
 いのではないか。 
・大学病院には難病の患者を集めて、新しい治療の開発に協力してもらう。ほかの治療で
 は治らないのだから、実験的な治療を受けることも、比較的了承してもらいやすいだろ
 う。また、今ある治療を改善して、より安全かつ効果的な治療の開発もしなければなら
 ない。そういう治療を受ける患者は、アメリカの学用患者のように、医療費を無料にし
 たり謝金を出したりして、ボランティアを募ればいい。こうすることで、大学病院は堂
 々と「許される人体実験をする施設」になれる。 
・今の大学病院は、経営のためにいやいや診療もしているが、ほんとうは研究や新しい治
 療の開発にばかり目が向いている。新しい治療につながる研究をしてこそ、医学の進歩
 に貢献できるし、自分たちの地位も上がるからだ。 
・難病の治療法や高度先進医療の開発はもちろん必要だから、少数精鋭の天才肌の医師を
 大学病院に集めて、研究に専念してもらう。大学病院はそういう治療をするのだから、
 患者ははじめからある意味で実験台になることを了承して入院しなければならない。今
 の大学病院では、難病の治療も高度先進医療も通常の医療に混ぜて行っているから、自
 分が実験台になっていることがあまり実感できない。しかし、実際には実験台にされて
 いる患者が多い。そのことを明確にするためにも、大学病院の役割をはっきりさせるほ
 うがいい。 
・何歳の執刀医なら患者は安心するのか。三十代の執刀医でベテランが助手につくのと、
 四十代でひとり立ちしたばかりの執刀医の、どちらが安全か。技術が未熟だが体力と集
 中力のある若手と、経験豊富だが老眼になりかけている五十歳前後の執刀医の、どちが
 上手に手術をするか。 
・一人前の医師になっても、診療というのは日々修練であることを考えれば、患者は常に
 練習台という見方もできるのではないか。外科医に聞いてみればわかるが、手術は毎回
 本番であり、かつ自分の技術を磨くための練習でもある。ベテランの医師を安定して養
 成しつづけるためには、多くの患者が新人の練習台になる以外にない。自分だけはベテ
 ランにかかりたいという身勝手は、すべての患者が慎まなければならない。 
・都市部に似たような規模の病院が増え、患者の取り合いが激化している。患者を集める
 ためには設備を充実させなければならず、CTスキャン、MRIなどの大がかりな検査
 機器があちこちお病院に導入され、地域人口に対して明らかに過剰になっている。導入
 したかぎりは稼働させなければならず、「念のために」という便利な言葉で、不要不急
 の検査がどんどん行われている。 
・これまでは医療は基本的に医師の自由に任せていたが、それではもうバランスがとれな
 い時代になってきている。医師が何科に進むかの自由を制限すべきであるのと同じく、
 病院の配置についても制限を加えなければならない。でなければ、医療のアンバランス
 と無駄はますます増えるだろう。
・子どもが病気になれば、心配なのはわけるけど、夜中に専門医の診察が必要となるよ
 うな病気はめったにない。まずは近くの病院で診てもらえばいい。なのに最近の親は内
 科医の診察では安心できない。どうしても小児科医に診て欲しいと求める。
・どうしてこんな軽い病気で大学病院に来るのかと思うような患者もいる。しかし患者か
 らすれば、みんな自分の病気は不安で深刻なのだ。それを医師の側から心配するなと言
 ってもはじまらない。 
・みんな自分の安全ばかり求める。だから医師の側が正直になれない。医療の危険性、医
 師養成の実態、新しい治療の開発について、ほんとうのことを言いにくい。正直に説明
 すれば患者は逃げる。医療も経営が成り立たなければ、存続できない。
・日本の医療は、今急速に破綻に向かっている。医師同士の飲み会があるたびに、その危
 機感が語られる。日本の医療はどうなるのか。答えはだれにもわからない。不安げに顔
 を見合わせるばかりだ。 
・それなのに、世間の医療にたいする要求は高まるばかりだ。そのことに多くの医師が疲
 れ、虚無的になりつつある。医師が聖人でもスーパーマンでもない。理想に燃えている
 者もいるが、私生活を犠牲にしてまでそれを貫こうとする者は少ない。医師が共通して
 感じている不安は、世間のそれよりもはりかに深刻である。

おわりに
・旧弊な医局制度が破綻し、医師は自由を得た代わりに、安定と将来の保障を失った。世
 間は不透明な寄付や名義借りをしなくてすむようになった代わりに、地域医療と産業医、
 小児科医を失った。患者は医療訴訟で権利が守られるようになった代わりに、訴訟のリ
 スクの高い科の医師を失いつつある。 
・病院を逃げ出した医師たちは開業に走り、地域で患者の取り合いがはじまっている。今
 後、開業医の競争が激化し、勝ち組と負け組が二分化して、負け組はやがて失業するだ
 ろう。 
・よい医療が優遇されれば、医師は水が低きに流れるごとくよい医療に向かう。しかし今、
 よい医療を行おうとすれば、医師の私生活が破綻されかねない状況になっている。それ
 に気づいた若い医師たちは、雪崩を打って個人主義に走りだした。苦しい勤務から逃げ、
 医療訴訟のリスクの高い科を避け、過疎地を離れ、患者を置き去りにしていく。
・世間が安全ばかりを求め、犠牲を受け入れられないあいだはきれい事しか語れない。そ
 れは不健全な状況だ。大学病院とはそもそも人体実験をするところであり、医師は患者
 を練習台にせざるを得ないというのは事実である。人体実験といっても、もちろん患者
 の安全には可能なかぎり配慮しているし、練習台といっても、病院全体として幾重にも
 安全をチェックしている。言葉のイメージに惑わされ、現実を直視できなければ、状況
 の改善は望めないだろう。
・医療は複雑で、曖昧で、不条理かつ偶然の要素が大きい。そこには多少の犠牲が避けら
 れない。繰り返すが、それをなくそうした理想主義が、日本の医療全体を破綻に向かわ
 せた形だ。