「知的冒険のすすめ」 :渡辺淳一

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 筆者は不倫小説が多いが、なかなかマジメなタイトルのエッセイも書いている。書の中で私が興味
を覚えたのは、第3章と第10章、第11章である。
 第3章では、都会の良さを述べている。地方から出てきて都会暮らしを経験している私にとっては、
同感とする点が多い内容である。私も都会の最もよい点は、その猥雑さであると感じる。田舎では、
住んでいる人間が少ない分、一人の人間の存在価値は大きいが、そのぶん目立つため、絶えず周囲の
目を気にして生きなくてはならない。反対に都会は住む人間が多く、一人の人間の存在価値は小さく
なるが、その分目立つことが少ないため、あまり周囲の目を気にしなくて良く、精神的に縛られるこ
とが少ないと感じる。それにいろいろな物、いろいろな事、そしていろいろな人がいるので、毎日が
刺戟にあふれている。そういう点が気に入って人々は都会に集まってくるのであろう。これからはま
すます都市への人口集中が加速していくと感じている。
 第10章では、今の一夫一婦制の結婚制度は崩壊し一婦多夫が出現することを予言している。今の
結婚制度は歴史的にもまだそんなに長くはないし、著者の述べているようにいろいろな無理な点も含
んでいる。今の社会を見るとき、制度崩壊の前兆がすでにおきているようにも感じる。未婚率が高く
なり離婚率も伸びている。そして最近は携帯電話という文明の利器の出現により、男女の出会いが簡
単にできるようになり不倫率も急激に増えているようである。そんなに遠くない時代に、今の結婚制
度が崩壊する日が来るのかもしれない。
 第11章では老人問題について述べている。これから超高齢化社会に突入する。老人問題は避けて
通れない問題である。中高年者に対し不良を勧める本を他でもいくつか目にしたが、筆者も不良老人
を勧めている。これからの老人はいままでの老人のように品行方正であるべきでないと説いている。
これにもまったく同感である。耐えがたきを耐え、偲びがたきを偲び、今まで生き抜いてきたのであ
る。もうこの世で残された時間はそんなに長くはない。これからは不良老人になって、好きなことや
遣りたいことを思いっきりやろうではないか。その辺にたむろしている不良息子や不良娘を蹴散らし
て、不良老人の世界を作ろうではないか。

鈍さこそ才能
 ・「鈍さ」というのも立派な才能である。まず、上司や親に叱られても、すぐに元気になれる明る
  さ。さらに嫌なことがあってもすぐ忘れられる切り替えの早さ、こういうのも立派な才能という
  べきである。
 ・このように叱られても、嫌なことがあってもすぐ忘れられる、ケロッとしていられるということ
  は、山あり谷ありの人生をのり越えていくためには貴重な、大切な資質と言っていい。いままで
  はこういう人は鈍い奴というようにとらえられていたけど、これはこれでまさしく才能である。
 ・落ち込みが深く尾を引くタイプは、翌日も爽やかに出てこられないし、次回も緊張してますます
  ヘマをやらかす。失敗を土台に前向きに進んでいけない。この叱られても明るくすすめるタイプ
  と、叱られたことが尾を引いて落ち込んでいくタイプでは、それが何度も繰り返されると大きな
  差になってしまう。そしてこの差は社会に出ると、ちょっと頭がいいとか勉強ができるなどとい
  う差を越えてはるかに大きく、その人の前途に影響してくる。
 ・叱られても平気でいるような鈍さは、社会に出てもすぐには作れないから、子供の頃から教育と
  か躾けておかなければならない。そして叱られたら悪いところはただちに改め、叱られたこと自
  体はすぐに忘れて元気にやる。とくに男の子は、叱られてもへこたれない、叱られ癖をつけてお
  くことが大事だと思う。鈍くて打たれ強い子供が、やはり長い人生ではいい仕事をしている。
 ・絶えずまわりの人のことばかり気にして、いつも神経を尖られて疲れている人は、それだけでエ
  ネルギーを使い果たし、本当にここ一番というときに、集中力のある仕事はできない。くよくよ
  からは、なにも生まれてこない。
 ・人間の才能というものは、もし百あるとすると、百を全部出している人は極めて稀だ。それより
  一番大事な場面で緊張しているときに、もてる力の何パーセントを出せるかによって才能が決ま
  る。このあたりの違いは集中力の差だといわれるけど、集中力を高める最大の要因こそ鈍さであ
  る。つまらぬ些事に煩わされない、いい意味での唯我独尊、自己中心的思考。そういうものがベ
  ースになければ、百十も百二十も出てこない。そう考えると、鈍さが才能ということがよく納得
  できる。
 ・この鈍さは、そんな簡単には身につかない。生来の性格的なもの、育てられた環境や教育、家庭
  の躾けなど、いろいろなもので影響される。とくに家庭で、清く正しいことだけを強要して子供
  に介入しすぎたり、規則ばかりうるさくいう学校などにいると、子供はおおらかに伸びていけな
  い。
 ・子供のうちにいい意味での鈍さ、おおらかさを育てておくべきで、そのためにはまず両親がおお
  らかであることが必要だ。そしてさらに子供のいいところはどんどん誉めてやる。いい意味での
  自由よ奔放、そして広い意味での優しさみたいなものは欠かせない。
 ・一般に、女性は優しくナイーブなのがよし、と思われがちだけど、そんなことはない。女性は男
  性より体が複雑で敏感ではあるけど、その分、精神は強くて、きっかりとした性格をかね備えて
  いる。実際、女性と付き合ってみると、女性の方が鈍いと思うことは多々ある。でもそういう女
  性の方が現実には健康で明るく、ともに生活していきやすいとも言える。
 ・現在の日本社会は、あまりにナイーブでセンシティブで、それだけ人間が自由闊達に伸び伸びし
  ていない。この原因は一人の人間を見るときに、学校の成績とか知識とか、いかに鋭いか、そう
  いう視点ばかりで見てきたからで、鈍さを含めた本当の意味での人間の価値を認めていないから
  である。
 ・それだけにこれから入社試験とか人物を採用するときには「この男は、いい意味での鈍さをもっ
  ているか」という視点も加えるべきで、「鈍さ」をもっている人ほど、本当の意味でその人の才
  能を発揮していける。これから、すべての面で鈍さを評価し、才能というものを広い視点から認
  めるようにしていけば、日本社会ももっと大きく広く、伸び伸びしたものになるに違いない。

腐ったものでも消化しろ
 ・五感もやはり鋭すぎるより、ほどよい鈍い方が好ましい。この体の鈍さは、根本的には精神の鈍
  さとも連動している。だからいい意味での鈍い体というのは、いい意味での精神の鈍さを基に作
  り出されてくる。
 ・これは眠りについても言えることで、いつ、どこでも眠れて、いつ、どこでも起きられるという
  ことはこれはこれで才能と言える。寝つきがよくて寝起きもいい人は、寝つきも寝起きも悪い人
  から見ると、一生のうちでどれだけ得をしていることか。これをお金に換算すると、大変なプラ
  スになる。実際に、寝つきの悪い人は、それだけで精神的にも体力的にもかなり消耗する。
 ・日本の衛生環境がよくなりすぎで、菌に対する免疫力を持つことできなくなってきた。0−157
  のような騒ぎは、もう少し衛生状態というか、生活環境の悪いところに生きている人たちには起
  きなかっただろう。その意味では、人間はやや汚い環境にいた方が抵抗力や免疫力がつく。
  日本人は日頃から清潔な雑菌のいない環境にいるから、菌に対する抵抗力が失われている。
 ・最近はアレルギーとかアトピーが増えているけれども、これも体が敏感になりすぎて、過剰に反
  応してしまうからで、一種の文明病といっていい。環境が良すぎるために、かえって肉体が弱く
  なるなんて、まさに文明のしっぺ返しである。
 ・健康で長生きする人はみな肉体的に鈍い。そして、その肉体的鈍さは精神的な鈍さとも繋がって
  いるということを忘れてはいけない。精神と肉体の鈍さが運動して健康な体ができあがっている。
 ・誰でも心配事があって暗い日々を送っていれば、精神的に不安定になり、それが肉体的にも変調
  を来たす原因になる。健康で積極的に生きていくためには、いい意味で鈍くなくてはいけないし、
  それは立派な才能として、もっと高く評価すべきだと思う。

住むなら猥雑な都会
 ・都会と地方では、現実にものの見方から考え方、さらには風俗から人間行動、価値観にまでかな
  りの差が出てきている。たとえば倫理観ひとつにしても、都会の方が進んでいるというか、考え
  方が自由になってきて、それだけ世間態というものが急速に崩れてきている。隣近所という意識
  が都会では薄れてきているのに、地方ではいまだに世間の目を気にしている。おかげで都会の人
  は次第に行動が奔放になってきているが、反面、人情味や助け合いの精神は失われつつある。
 ・よく、「都会の人は冷たい」というけれど、「冷たい分だけなにをやっても自由」という利点も
  あるわけで、万事ものごとには表と裏があるとおり、どちらを選択するかによって価値観も変わ
  ってくる。
 ・概して日本人は他人の生き方にお節介すぎるきらいがある。これがときに親切に見えて、その実
  かなり相手の内側まで入り込み、傷つけることになりかねない。これに比べると、他人に対して
  お節介しない、いい意味での無関心は大人の付き合い方としては粋で優しさともなりうる。
 ・環境が悪くて、住宅や物価が高いにもかかわらず、東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、
  東京の人々がまわりの人に対して無関心で余計な干渉をしないからだと思う。都会に出てきた若
  者が、地方にUターンしたがらない最大の理由は、都会では、隣近所の人に気配りする必要がな
  く、自由だからだと思う。それといまひとつ、都会は圧倒的な刺戟に満ちていておもしろい。む
  ろん裏には無数の悪があるけれども、「悪」があるから若者は都会に惹かれるとも言える。
 ・正直なところ、若者には緑豊かな空気や安い家なんて必要ない。そんなことより、刺戟に満ちて、
  いい女がいて、ナンパしやすく、ソープやポルノを見に行ってもバレない、そんな悪いこともで
  きる街を望んでいる。「悪い」といっても、それは犯罪ということではなく、ちょっと「ヤバイ」
  という程度のことだけど、このヤバイことをしても許されるということこそが都会の魅力である。
 ・実際、東京のような大都会では、真夜中に彼女に会いに行こうが、風俗に行こうがわからない。
  服装だってどんな格好をしても平気だし、逆にその気になれば、いろいろな仲間と知り合うこと
  もできる。空気が多少汚れていようが、物価が高かろうが、そんなことは問題じゃない。それよ
  りまわりの人にとやかく言われない「精神の自由さ」が何物にも代えがたい魅力である。だから、
  若者を地方にUターンさせたいのであれば、地方にも東京と同じくらいヤバイことができて、バ
  レない環境をつくると訴えたほうが効果がある。
 ・「田舎は静かで、緑が多くて住みやすい」なんていうけれども、それはある意味で、若く生々し
  い時代が終わった、安穏な生活だけを望んでいる人たちだけに通用する考えで、若者には通用し
  ない。
 ・人間という生きものは誠実さとか優しさと同時に、ヤバイ部分もたくさんもっている。表の顔と
  は別に、わがまま勝手で利己的で、いい加減で、さらに物を食べれば排泄したり、汚いものをた
  くさん出す。くわえて性的欲望が満たされぬままイライラが高じて暴力をふるうこともある。
  こういう精神的肉体的なはけ口が、生きている以上は不可欠で、そういう行為をしなければ人間
  は生きて行けない生きものである。
 ・ところが都会だとこれらの欲望を比較的自由に出せるが、地方ではそういうものを出しにくいし、
  極力隠さざるをえない。結局、地方はきれいごとの建前論が先行しすぎて、若者は生きにくい。
  もちろん故郷は懐かしいからお正月やお盆には戻るけれど、数日経つと、すぐに都会に舞い戻っ
  てくる。それは田舎がきれいでヤバくないからで、そういうところにいると、じきヤバイ東京が
  恋しくなり、東京に戻りたいと思うようになり、就職も東京でしたいと願う。
 ・このように世間態を気にすることは、日本人の意思がしっかり確立されていない証拠で、いつま
  でもこういう曖昧なものに価値基準をおいては国際的にも通用しなくなる。この世間態も都会と
  田舎とでは差があって、地方では圧倒的に強く、このこだわりが地方の経済力や活力を低下させ
  るひとつの原因ともいえる。
 ・今の田舎は、古くから居ついているおじいさんやおばあさんが牛耳っていて、万事に古く、体制
  的でありすぎる。よく、「地方文化」とか、「地方からの発信」ということが言われて、地方に
  はいろいろは人材が隠れているように思われがちだが、あの田舎の環境では、隠れた才能はその
  まま隠れてしまう恐れがある。
 ・いま地方は自己満足の世界にはまりこんでいて、これから抜け出して広く積極的に若者の意見
  を求めていくようにしなければ、田舎からはなにも生まれないし、安定したままの田舎で終わっ
  てしまう。
 ・昔の田舎というのは、日常の静けさとは裏腹に、さまざまな祭りがあり、夜這いがあり、その度
  に男女間にもヤバイことが沢山あって、うきうきしていた。ところが、いまの田舎はそういうも
  のをすべて整理して、清く正しい倫理観だけが残ってしまった。男女関係も結婚式もすべて形式
  優先で、大人の意見が大勢を占め、それだけ人間が自由に羽ばたく余地を失ってしまった。
 ・もっとも没個性という点では都会も同様で、これからの日本全体の問題でもある。要するに生き
  る目的も価値観もみな平均的なものに集約されて、中流階級の溜まり場になりつつあるのが現状
  でもある。ただそこでもなお東京が優れているのは、人材の上限と下限との幅が広いことだ。地
  方では普通の人間が成功するとすぐ上になって天狗になってしまうけれど、東京だと、上を見る
  と果てしなく上がいるから、多少成功してもそんなに天狗にはならない。上限と下限の幅が広い
  だけに、成功したときも失敗したときも一方的にならず、いい意味での歯止めになり、変化に富
  んでいる分だけ刺戟にもなる。
 ・いま都会と地方では格差ができてしまった。やはり、都会でもまれた子は頭の回転が早いし、要
  領もよく、他人との対応もしっかりしている。東京の企業が優秀な地方の大学生より東京の二流、
  三流大学の人間を採用する傾向にあるのは無理もないことで、都会でもまれた人間の方が即戦力
  として使いものになる。
 ・東京という大都会のエネルギーは、単に人がたくさんいて、街に大きいビルがあり、たくさんの
  車が走っている、といったことで生まれたものではなく、都会ではなにをやってもわからないと
  いう精神の自由度。この自由度はいまの東京でもまだ足りないけど、ともかくこの自由度のおか
  げで、東京の活力とエネルギーが生まれたんだということを忘れてはならない。

遺伝子なんて変えちまえ
 ・遺伝子も、身持ちの持ちようで変わるということが、最近わかってきた。要するに、現実の努力
  とか生き方によって、新しい道が開くことができる。最近の研究では心の意思の持ちようでDN
  Aも変わるということがわかってきた。
 ・どうしようもないと思っていた遺伝的要素を、自分の意思や努力で変えられるというのだから、
  これからはもう遺伝だなどといってあきらめることはない。ただ、重要なのは、常に前向きの意
  思を持ち続けなければいけないということだ。
 ・実際、いろいろな会社でトップに立っている人は、自分に対して常に意欲的である。そしてある
  意味で、人のことなんかあまり気にしない。マイペースで、極端にいうと、唯我独尊、この自己
  中心的な明るさが長生きのコツである。もちろん、あまり楽観主義は困るけど、総じて人生を楽
  観的に考える人のほうが、持てる力をフルに出していい仕事もできる。
 ・頭とうのは人間の臓器の中でも一番強い臓器である。どんな酷使にも耐えるだけの充分な余剰能
  力を秘めている最強の臓器である。だから、頭はどんなに使っても心配ない。
 ・よく、勉強しずぎて頭がおかしくなったというけど、本当はそういうことはない。もしそういう
  人がいたら、それは頭がおかしい人が勉強しただけだ。だいたい、頭というのは、相当酷使した
  人でもその能力のうち10パーセントぐらいしか使っていないと言われている。
 ・歳を取るにつれて記憶力が衰え、頭の反応が鈍くなるけど、これは頭の中の脳細胞が減るからで
  はない。それより細胞と細胞のコネクションが悪くなってくる。
 ・基本的に、人間の肉体というのは、精神がどういう状態であっても、前向きに生きるようにでき
  ている。このことは、なかなか自分で自分を殺すことができないことでもよくわかる。
 ・いくら躓いて失敗したとしても、そんなに暗くなったり、絶望することはない。人間なんてどの
  ようにでも変わることができる。そう思って、いつもあきらめず前向きに生きていく。この単純
  なことをいつも思い出してほしい。

もの知り馬鹿になるな
 ・一般に知識というものは、非常に貴重で価値のあるものだと思われている。しかし、知識という
  ものは、いろいろな本を読んだり学問を重ねて頭に詰め込んできたもので、よく考えてみると頭
  で覚えた、いわゆる頭に残っているものにすぎない。これがダイナミックに動いている現実の社
  会でどのぐらいプラスになり、いざというときどれくらい価値があるのかということになると、
  これはまた別な問題となってくる。確かに、いろいろなことを勉強してよく知っているというこ
  とは、それはそれで悪いことではないし、時には極めて便利で、他の人にも評価されることは多
  い。しかし現実に生きている場でより必要なのは、知識というよりは知恵である。
 ・この知識と知恵とは何処が違うか。一つの知識が体験なり実感をとおしてその人の見に染みたも
  の。言い換えると地と肉となったものを知恵と呼びたい。したがって、知恵とは、知識と体験と
  が合致して実感として体の中に取り込まれたものと言っていい。人間が生きていくうえで最も役
  に立つのは知恵で、知識と体験がプラスして身に沁みこんだものが一番大切だ。
 ・これに比べると、知識は所詮うわすべりというか、頭だけに留まっているもので、それだけに常
  に忘れる危険がある。とくに忘れっぽい人にとっては、知識は忘れるためにあるといっていいほ
  ど忘れやすい。要するに、知識は身につきにくいものだけど、知恵は容易に消えない。
 ・ある極限状況においては、知識なんてなんの役にも立たない。こういうときこそ、その人の本当
  の姿が見えてくる。俗に知識人と呼ばれて中身のない人たちよりも、知識はないが、知恵を持っ
  ている人が立派だということだ。
 ・積極的に生きていくということは絶えず危険がつきまとうけれど、学問だけでは絶対に身につか
  ない知恵は、危険なことも含めて、体験を重ねていかないかぎり得られない。本当の意味での人
  間関係も体験なしには覚えられない。
 ・失敗を繰り返してもいいから、積極的に生きなさいと教えるべきだ。そして、もし躓いたり失敗
  した時には、また立ち上がりなさいよと教え込む。失敗を避ける英知より、失敗した時立ち上が
  る英知のほうが、ずっと上だ。人生は、辛いことや切ないことがいっぱいあるけれど、季節が巡
  るように辛い日ばかりが続くわけではない。やがて美しく楽しい日が訪れる。だから、「もう駄
  目」なんて思わないで立ち直りなさいと。

軽率になって恋をしよう
 ・異性にどのように近づいていくか。これが恋の第一歩の重要なポイントだけど、このときまず男
  から積極的に行動を起こさないかぎり、相手はわかってくれない。そんなこと当たり前じゃない
  か、と言われるかもしれないけど、実際にはこれをきちんとできない男が多い。
 ・恋の始まりは、まず「君が好きだ」ということを表現することだ。ところが現実には、この「好
  きだ」がなかなか言えそうで言えない。じゃあどうしたら言えるのか。ここで重要なことは、い
  い意味で軽率になることである。
 ・異性に近づく方法はいろいろある。例えば、いきなりデートしようと誘ったり、「きれいなお嬢
  さん」なんていうのでなく、スタイルとか着ている服、バックとか持ち物、されにはその女性の
  かもし出す雰囲気、そういうものを褒めながら近づく方が好感を持たれる。
 ・女性にとっては、なにも言われないよりも、一言でも自分を褒めてくれる言葉を言ってくれた人
  の方がはるかに印象に残る。同じことは、言われる側に立ってみればわかることである。しかし、
  現在の日本の男性は軽率に自己表現することが不得手で、沈黙は金みたいな考えが幅をきかせて
  いるところがある。でもよほど素敵な男でない限り、黙っていて女性を惹きつけるなんて不可能
  に近い。女性と親しくなるためには、やはり素直に心の中を現すこと。これが絶対の条件である。
 ・それといまひとつ、恋愛するときにはまずプライドを捨てること。往々にして男は、メンツとか
  プライドにこだわりすぎる。女も格好つけるけど、それは気取って、外見的にいいところを見せ
  ようとするだけで、見方によっては可愛いところがある、しかし、男は精神的にカッコをつけす
  ぎて、好きなのに好きだと言わないで冷たいふりをする。男らしさというのは、やたら我慢して
  逆のことを言うことだと思い込んでいる男も多いけど、これが恋愛においては完全にマイナスに
  働く。
 ・改めて言うが、恋愛を初めようというときには、まず軽率になりプライドを捨てると。そして駄
  目でもともとと思って突き進む。この三点を守れば、自ずと自分の正直な姿を見てもらうことに
  なり、これが多くの場合、有力な武器となる。
 ・いますべての世界で重厚長大の時代は終わってしまった。鉄鋼などの重工業とともに、大会社の
  時代も終わりつつあり、替わりにベンチャー企業というか、個々に独創性をもった小回りのきく
  企業が産業の中心となりつつある。要するに、軽薄短小の時代に入ったわけで、それに合わせて、
  恋愛も軽率でプライドを捨てた男が勝利する時代になってきたのである。
 ・もともと男は女に比べて、きわめて性的な生きもので、どんな男も肉体関係に入ることを強く望
  んでいる。女性のほうもそれなりに年を重ね、恋愛を経験している人は、肉体的な関係を意識し
  てはいるけれど、一般に若い女性の場合はさほど肉体に執着していない。それより精神的なもの
  が先行し、気が合うとか、一緒にいて楽しい、といったものをまず求めている。このあたりが男
  と女のおおきなズレで、目標とするポイントがずれている。言い換えると、女の人は肉体的に結
  ばれることをさほど求めていないもので、そちらの方の欲望は、男の五分の一から十分の一ぐら
  いだと思っていた方がいい。
 ・しかし、肉体的なつながりをもとめていないから、会いたくないと思っているわけでもない。若
  い女性でも好感を抱いた男性なら、会いたいし話もしたい。食事も一緒にしたいけど、肉体はそ
  れほど切実な問題ではないというだけで、「絶対にいや」というわけでもない。順序を経て、そ
  れなりの雰囲気になれば「許してもいい」とは思っている。
 ・男の側から恋愛を成就させるためには、肉体を求めないフリをして、最終的にはそこにたどり着
  くようにする。ここが実はなかなか難しいところだけど、そのためには、まず紳士的に振舞うこ
  と。これが絶対の条件で、あまりガツガツ体を求めては失敗する。それよりこの人は、体より心
  の触れ合いを大切にしているんだと思わせるようにする。要するに、肉体的な欲望は衣の下の鎧
  のようにかくしておく。要するにエセ紳士的に振舞うわけだが、ここで必要なのは、欲求水準を
  低くしておくこと。すなわち一気にすすまず、まず手を握り合うだけとか、抱き合うだけ、さら
  にはキスでもできたら最高、といった感じにおさえておく。そう自分にいいきかせておけば、そ
  の日に深い関係になれなくても納得できるし、女性のほうも私の気持ちをよくわかってくれる優
  しい人、と好感を抱く。男がさほど強く肉体を求めていないとわかれば、女性のほうも話しやす
  く、さらに会いやすくなる。
 ・ここで誤解しないで欲しいことは、男のギラギラした性的欲望をいけないと言っているわけでは
  ないこと。それは持ってても一向にかまわないが、表にあまり出さずかくしておくこと。
 ・エセ紳士的に振舞うとともに、いまひとつ必要なのは、あまり一人の女性に集中しないこと。む
  ろん好きな女性を追うのは一向にかまわないが、他にスペアというか、多少好きな女性も追って
  みる。ただ一人の女性を真剣に追い詰めるより、目標を二、三持って、それらをその都度追って
  いる方が、気持ちが分散するだけ、ガツガツ度も減って紳士的に振舞えることは確かである。
  しかもこのやり方でなら、失敗してもさほど苦にならずに諦め易い。くわえて、引き上げかねな
  い風情が、かえって女性の気持ちを惹きつけることもある。要するに、離れそうな相手の方が気
  持ちが惹かれる、というのは恋愛の原則で、これは男を追いかけている女性の場合にも言える。
 ・若い男は好きな女性を頭に描いて、よくオナニーをすることがあるが、この場合やり過ぎると体
  に悪いとか、なかには過ぎると頭が悪くなるとか、ペニスが小さくなる、などと思っているよう
  だけど、そんなことは心配しなくてもいい。大体オナニーやって頭が悪くなるようなら、それは
  もともと頭が悪い男がオナニーしたにすぎない。
 ・それにしても、どうしてこんな戦略をとらざるを得ないのか。疑問に思う人もいるかもしれない
  が、その理由は、男と女の性が根本的に違うからである。男の極めて攻撃的は性と女性の防御的
  な性と、この食い違いのギャップを埋めるには、一時的にせよ嘘をつくよりないわけで、狙った
  女性と深い関係になるまでは紳士でいる。しかし、一旦関係ができたら、今度は紳士でいる必要
  はなく、むしろ獣になればいいし、実際それを女性は望んでもいる。ところがこれまでの日本人
  は、近づくまで獣で、関係ができたら途端に紳士になるほうが多かった。だがそれより、恋愛の
  前半ではひたすら紳士的に振る舞い、溜め込んで溜め込んで、親しくなったら獣になる。これが
  恋愛が深まるときの理想的なパターンである。

恋愛で頭をきたえよう
 ・恋愛というのは、男と女が愛し合うということと同時に、戦いでもある。当然のことながら、戦
  いになると、そこに戦略というか、知恵が必要になってくる。ただし、これには学問の頭とは違
  う頭が必要になってくる。本を読んで得る知識ではなくて、現実に一人の人を愛し、恋を体験し
  て覚えていく。そういう意味では人間というものを肌で実感して覚えていく”人間学”とでもい
  うべきものだから、それなりに頭も良くなってくる。
 ・恋をすれば、いままでにない自分を発見し、生み出せるとともに、自分がどういう者であるかと
  いうことも、よく知ることができる。自分を知るとともに相手への理解も深まり、その結果人間
  への関心が高まり、人間というものが好きになる。
 ・素敵な恋愛をすることによって、いい女はますますいい女になり、逆に恋愛しない女性はいい意
  味での刺戟がないまま、ますます駄目になる。男も同様でいい恋愛をしている男は生き生きとし
  てさらに魅力的になり、恋愛に恵まれない男はどこか屈折して、嫉妬深くなる。したがって、こ
  れこそ自分にとって大切な、素敵な恋愛だと思ったら、それを大事に育て、守るべきである。間
  違っても調子に乗って、おごり、高ぶってはいけない。
 ・恋をするとき、常に損得を考えて付き合うなら、それは恋愛ではなく、就職活動のようなものに
  なってしまう。恋愛というのは、一組の未知の男と女が出会い、打診し合い、徐々に許しながら
  近づいていく。この一種心地の良い緊張感のなかで、生きていく喜びを感じ、互いに高めていく。
  その過程こそ恋愛なので、結果だけを云々したいなら、初めからお見合い斡旋所とか結婚相談所
  に行った方がいい。
 ・生きものの原点には恋愛がある。いいかえると、この世の生きとし生けるものすべては愛から生
  まれてくる。その意味で、恋愛は命の輝きそのものだし、そのために人間がいて、男と女がいる
  のである。その生命体の最も根源的な恋愛を無視して、金儲けに走ったり、地位が上がることの
  みに汲々としていたのでは、なんのためにこの世に生まれてきたのかわからない。金とか地位が
  なくて屈折する人が多いが、かわりに愛があればかなりカバーできる。逆に地位やお金があって
  も、愛がない人生では淋しすぎる。
 ・いうまでもなく、死は人間にとって最大の恐怖だけど、それに辛うじて対抗できるのは愛だけ
  である。愛こそ人間が一生かけて求め、探していく宝石なおだということが、しみじみわかって
  くる。人間は死ぬまで愛を追い求める。たとえ得られなくても、追いかけたいと願うあいだは人
  間で、それを諦めたときから人間は人間でなくなってしまう。

無知がオリジナリティを生み出す
 ・日本人はオリジナリティをモディファイしたり、商品化する能力などは優れているが、肝腎のオ
  リジナリティそのものを生み出す能力は欠けている。このようになった背景には、日本人の考え
  方やものの見方が常に同じで、横並び意識が強く、価値観が共通しすぎていることにありそうで
  ある。
 ・アメリカが多人種によるモザイク構成なのに対して、日本は単純社会というか同一社会でありす
  ぎるため、独自の個性的な考え方が生まれづらい。この裏には日本民族が農耕民族で互助精神に
  基づく村意識が強く、それによって突出したものは弾く体制内志向やことなかれ主義が主流を占
  めてきたことが、大きく影響していることも確かである。
 ・オリジナリティを生み出そうとする以上は、まずひとつのことを敢然と実行する意思の強さがな
  ければならない。そしてその強さの裏には、神というものが欠かせない。だが日本人の中には
  絶対的な神は存在していない。神頼み的な意味での神はいるけど、行動を起こす時に規範となる
  ような神はいない。日本人の行動規範の基本は世間態である。隣近所、まわりの人々に迷惑をか
  けない。その人たちに爪弾きされないように。それをなによりも大切にする日本人には、当然の
  ことながらオリジナリティなどが生まれるわけがない。
 ・新しいものへの挑戦とかオリジナリティの創造など、まず圧倒的な個性とともに、他人がなんと
  言おうともやり遂げる、と言ったいい意味でのエゴイズムが必要である。だがいまの日本は、こ
  の種の個性やエゴイズムをマイナスのものとして否定してしまう。否定までしなくても抑えつけ
  ようとする力が強すぎる。
 ・戦後五十数年経って、日本の政治・経済から一般社会まで、あらゆる面で体制がかんじがらめに
  固まり、挑戦というものができない、あるいはやり辛い社会になってしまった。これは一種の時
  代閉塞そのものと言っていい。
 ・みなが体制内志向にかたまり過ぎているのを壊す時、まず必要なのは、自分自身が柔軟であるこ
  と。いうまでもなく、一人の人間の能力などたかが知れているから、上に立つ人はせめて柔軟な
  頭でさまざまな人の意見を聞くべきである。
 ・もともとオリジナリティというのは、必ずしも学問や知識が豊かな人が持っているわけではない。
  むしろ、なまじっかそういう知識に汚されていない、専門家でない人の方が、オリジナリティを
  生み出していく。
 ・物を知りすぎると、アイデアよりも具体的な方法論だけに傾いてしまう。いいかえると、オリジ
  ナリティというのは、むしろ無知でなにものにも汚されていないところから生まれてくる。
 ・往々にして、物知り、知識人が陥るのは、それに頼りすぎて批評するだけになり、新しいものを
  生み出さない、批評が上手になったり好きになっては、創造者としては終わる。

ゴマスリも美徳
 ・ゴマスリという行為は結構、知恵と覚悟がいる大変な作業で、そうそう誰にでも簡単にできるも
  のではない。多分、ゴマスリという行為は人間社会独特のもので、積極的にゴマをスルという高
  度な行為は、動物にはできないであろう。
 ・人間というものをよく見ると、清く正しく誠実なんていうのは嘘で、リアリティがないことに気
  がつく。それより本当の人間は、そんな大層なものでない。清く誠実なんてことからほど遠いとこ
  ろにあるからこそ、道徳や倫理などが大声で叫ばれる。いいかえると人間という存在自体が、も
  ともと清く正しく誠実な存在ではないから、「清く正しく生きよ」と教えているのである。要す
  るに、それは努力目標で、最初から目標値そのものの人間になってしまっては味も素っ気もない、
  ロボットみたいな人間になってしまう。
 ・人間社会というものは必ずしも正義とか清いことだけが通るわけではない。それは人間という生
  きものが、そんな清く正しい存在ではないからで、ましてやその集団が、清く正しいだけで律せ
  られるものではない。こんな簡単な事実をきっかりと見通せる洞察力というか、人間の幅という
  ものが必要になってくる。
 ・要するに、ゴマスリは人間関係の潤滑油で、これは夫婦、恋人、上司、友人すべてに通じる。

一夫一婦制が崩れるとき
 ・現在の一夫一婦制というのは極めて民主的な制度である。なぜなら一人の夫には一人の妻しか与
  えず、一人の妻には一人の夫しか与えない。いや、与えられないというのが実態で、すべての人
  間が一対一という関係で、少なくとも数の上では圧倒的に平等である。
 ・しかし、愛するのは配偶者だけという結婚形態は、一見すばらしい契約のように見えて、その実、
  極めて恐ろしい契約でもある。なぜなら、結婚した途端、相手の夫か妻しか愛してはいけないと
  いう取り決めが成り立つからである。さらにセックスまで結婚相手としかしてはいけないという
  ことで、これが一夫一婦制の中に、きっかりと取り込まれている。いい方を変えると、結婚と同
  時に生涯、配偶者だけを愛し、他の人には一切愛を向けてはいけない。万一それを破ったら、社
  会的に厳しい糾弾を浴びるという決まりだから、かなりの厳しさである。
 ・しかし、生涯一人を愛し続けるというのは、やはり不自然というか、人間本来のありかたとして
  は、かなり厳しい。だからとくに誓わせておかなくてはいけないが、それでもかなりの人が破っ
  ているのが現実である。ここでまず問題になってくるのは男が雄であって、女が雌であるという
  単純な事実。要するに、知性や理性を持った人類である前に、オスとメスであり、この一対のあ
  いだで延々と性的関係を繰り返していると飽きてくるという単純な事実。このあたりが現在の一
  夫一婦制の中では忘れられているというか、無視されているところが問題を複雑にしている。
 ・夫婦のあいだではセックスだけが重要なわけではなく、それより夫婦や家族としての安らぎとか
  信頼感も重要である。しかし、そちらに比重が行き過ぎると、安定という安全弁と引き換えに、
  ときめきとか興奮を失う装置といえなくもない。実際そのように、夫婦のあいだで、男と女のと
  きめきを失った夫婦は無数にいる。
 ・近代の科学文明、たとえば掃除機や洗濯機、皿洗い器など、さまざまな電気製品の登場によって、
  女性の家事は急速に楽になったうえ、子供の数も極端に減ってきた。これに対して科学文明は男
  にとって必ずしもプラスにはならなかった。むしろ男はますます仕事が忙しくなった。仕事で疲
  れて帰ってくる夫と、家事作業が楽になって自由時間が増えた専業主婦とでは、スタミナの点で
  バランスが崩れてきた。
 ・もともと、男のセックス自体が有限であるのに対して、女のほうは無限というか、逞しい。くわ
  えて、一日の時間が圧倒的に仕事で占められる男と比べると、セックスを含んだ総合力では専業
  主婦の方が上になり、その分だけ低下していく男達は、妻と一対一の結婚生活に対応できなくな
  ってきている。僕の周りにいる男達に聞いても、四十代では奥さんと月に一度セックスをすれば
  いいほうで、五十代になるとほとんどしていない。それくらい男のセックスは弱くなったという
  か、性の欲求が低下してきている。
 ・こうして見ると、これからは一対一という形は無理で、一方にかたより、一対二とか三の形が現
  れてくるかもしれない。この場合、いままでは一夫多妻というか、家に妻がいて外に愛人がいる
  という男がいたけど、女性が力をもってくると、一妻多夫という形が生まれてきてもおかしくな
  い。
 ・これからの男女関係は、見せかけの時代が終わり、より自然で自由なものになっていくに違いな
  い。むろんそのなかには、いままでのような結婚形態を頑固に守り続ける人もいるだろうし、シ
  ングルのまま生涯を終える人もいるだろうし、未婚の母もいるだろう。実際、いまや子供の問題
  を除くと、結婚する必然性はあまりなくなってきているし、経済的にも結婚しなくても十分にや
  っていける女性も増えている。そのなかで女一人では心細い、恋愛をしたいという人はすればい
  いし、安定した家庭生活を望む人は従来どおり結婚を続ければいい。要するに、人それぞれ納得
  する生き方をすればいいので、世間の目をあまり気にすることはない。
 ・いま男のエネルギーが確実に下がり、その分、女が着実に社会に進出し、体力的にも性的にも男
  女のハンディキャップが一段とはっきりしてくる二十一世紀。この時代は価値観の変化も急速に
  訪れるにちがいない。もちろん、男が女を求め、女が男を求めるという、生きものの原点だけは
  続くだろうが、結婚という制度は違う形に変質していくに違いない。そしてそれとともに夫婦や
  家族という認識も変わり、もしかすると、一族というか集団で子供を生んで育てる、原始社会か
  あるいは母系社会に戻っていくのかもしれない。

年をとるほど不良になれ
 ・誰でも年齢を重ねていくが、日本では、年をとればとるほど年相応に枯れるというか、年相応に
  落ち着くことが望ましいと思われている。この背景には日本が農耕社会で、隣近所との融和を優
  先し、世間様に恥ずかしくないように生きることが最も重要とされ、それに従うべきだという考
  えが広くゆきわたっているからだと思われる。しかし、老人というのは本来そんな枯れた存在で
  はなく、本当はもっと生々しい生きものである。
 ・これまで日本人は老いの生々しさを嫌い、それは年甲斐もなく恥ずかしいことだと決め付け、こ
  れが多くの老人から前向きの意思を奪い、老人が持つエネルギーを無視することになってしまっ
  た。考えてみると、これはもったいないことで、せっかく老人がいるなら、その老人パワーを有
  効に使った方がいい。
 ・もともと日本には若者の不良は多いけど、年寄りの不良は少ない。年をとると、みな家に引っ込
  んでちんまりおさまってしまうから、不良なんかになりようがない。でも、これをくつがえして
  年寄りが不良になると、若者の不良が減るにちがいない。一人で不良になると周囲からいじめら
  れるから、老人全部で不良になるといい。もちろんこの場合の不良とは、ちんまり家にとじこも
  らないという意味である。
 ・生き生き老人になるためには、まずなにか目標を持って追うことだ。やはり人間である以上、年
  をとってもなにかを追わなければいけない。いや、追うものをもたなければならない。それを失
  って追わなくなったら人間ではなくなる。言い換えると追うから人間なのである。この追う中身
  はもちろん異性、男でも女でもいいし、仕事でも趣味でもいい。なんでもいいから、とにかく追
  う目標を持つべきで、それがない人は何歳でも老人以下になってしまう。
 ・それより問題なのは、そのとき本気で真剣に追いかけたかということである。本気で頑張ったな
  ら、たとえ捕まらなくても、やるだけやったということで納得できる。理想とか欲しいものを求
  めて懸命に向かっている時、人間は最も充実し、はたから見ても美しい。そして目的に向かって
  走っているときこそ、人間を前向きに生き生きとさせて老けさせない。
 ・私はいま皆に謀反を奨励するというか、すすめている。これまで戦後五十余年の間に積み上げら
  れてきた体制や体制内思考、そういうものを根底から揺さぶり、破壊したい。これは単に破壊と
  いうことではなく、あくまでも前向きの意味での破壊で、そのためにみなで謀反を起こす。とく
  に五十代、六十代の男性の体制的発想や倫理を打つ砕く。そうしないと、日本はますます国際的
  に孤児になってしまう。
 ・生きている間に、いっそ不良になり、思いっきりあばれて見た方が、生きてきた甲斐があったと
  いうものである。若くて働き盛りに時は、ひたすら会社のために命をすり減らし、老いて小金が
  貯まった時は、ちんまりと家に閉じこもっているんじゃ、なんのためにこの世に生まれてきたの
  かわからない。
 ・老人に老人が望む安らかさや穏やかさだけを与え、なんの心配もない環境におくと、それに甘え
  て駄目になる。老人ホームを都会から離れて波の音が聞こえる静かな海辺とか、松風の音が聞こ
  える森の中とか、そういったところにつくっちゃいけない。そういうところはもともと孤独な老
  人をさらに孤独に追い込んでしまうだけで、くわえて刺戟がないからますます弱くなる。