「中年クライシス」  :河合隼雄

こころの処方箋 (新潮文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:529円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

いじめと不登校 (新潮文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:594円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

読む力・聴く力 (岩波現代文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:799円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

働きざかりの心理学 (新潮文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:496円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:950円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

おはなしの知恵新装版 (朝日文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:734円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

大人の友情 (朝日文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:561円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

猫だましい (新潮文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:561円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

河合隼雄と子どもの目 〈うさぎ穴〉からの発信 [ 河合 隼雄 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

より道わき道散歩道 (創元こころ文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:918円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

子どもと学校 (岩波新書) [ 河合隼雄 ]
価格:885円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

ユングの生涯 (レグルス文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:972円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

過保護なくして親離れはない [ 河合隼雄 ]
価格:1026円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

青春の夢と遊び (岩波現代文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:993円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

こころの読書教室 (新潮文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:561円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

「老いる」とはどういうことか (講談社+α文庫) [ 河合隼雄 ]
価格:810円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

とりかへばや、男と女 (新潮選書) [ 河合隼雄 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/9/29時点)

 私は若い頃は、中年という年代は精神的にもっとも安定した年代かと思っていた。し
かし、いざ自分がその中年になってみると、まったく違うことを身をもって体験してい
る。
 中年になると、やらなければならない、解決しなければならない、いろいろな問題や
課題が山積してくる。そしてそれらが複雑に絡み合っていて、明確な解決方法がないも
のも多い。中年からみたら若者の悩みなど、なんと単純なものかと思ってしまう。
 そして、中年はその他に自分の健康や体力、気力の衰えなども抱えてくることになる。
そのため、中年になったら、今までとは違う生き方を自分なりに見つけていかなければ、
大きな壁にぶち当たることになるのではないかと思う。若者の自殺も多いが中高年の自
殺はさらに多い。中年の自殺は、この生き方の転換がうまくできなかったためではない
のかと考えられる。
 この本は、そのような中年の危機について書かれている。そして、特に特徴的なこと
は、中年のイメージからはちょっと遠いと一般的には思われている中年の性に関して取
り上げていることである。最近、中年の性がらみの失敗でそれまでの人生を棒にふる人
が多い。若者に限らず中年にとっても、性はやっかいな問題のようである。

はじめに
・ユングはこのような人々に会い、また自分自身の体験をも踏まえ、中年において、人
 間は大切な人生の転換点を経験すると考えるようになった。彼は人生を前半と後半に
 わけ、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子供を育てるな
 どの課題を成し遂げるための時期とするならば、そのような一般的は尺度によって自
 分を位置づけた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分は「どこから来て、どこ
 に行くのか」という根源的な問いに答えを見いだそうと努めることによって、来るべ
 き「死」をどのように受け入れるのかという課題に取り組むべきである、と考えたの
 である。太陽が上昇から下降に向かうように、中年には転回点があるが、前述したよ
 うな課題に取り組む姿勢をもつことにより、下降することによって上昇するという逆
 説を経験できる。
・現代に生きる中年にとって、大きな問題を生じせしめるのは、平均寿命が長くなった
 という事実である。人生50年などと言われていた頃には、一所懸命に働きづめに働
 いて、60歳になるかならぬうちに疲れ果てて「お迎え」がくるというような、生ま
 れてから死ぬまでが、一山超える形の軌跡をとったものだが、現代は平均寿命が長く
 なったので、80歳ぐらいまで生きることになる。
・まだ大分長い人生を生きねばならない。それを今までどおりの「働け働け」や「効率
 主義」の考え方で生きることなど不可能である。老年になってくると、それまでの生
 き方とは異なる人生観や価値観をもって生きることが必要になる。それはつまりユン
 グの言う「人生の後半」の生き方を自分なりに見いださねばならぬことを意味してい
 るが、それを行うためには中年からの心がけが大切である。
・中年の危機において、このような根源的問いかけに答えるというものではないにして
 も、何らかの転回を経験する例は多い。これらの多くの人は大なり小なり抑うつ病的
 な傾向に悩まされる。今まで面白かった仕事にまったく興味を失ってしまう。あるい
 は、何もする気がなくなる。そして、重いときには自殺の可能性さえ出てくる。
・現代は社会の変化が激しいので、その変化についていくのができなくなるために、中
 年の危機を迎える人もある。職場のみならず、家庭においても、夫婦や親子の関係の
 あり方が以前とは異なってくるので、そのために適応に困難を生じることもある。何
 かひとつの考えや方法を確立して、それで一生押し通してゆくことはできず、どこか
 で何らかの転回を経験しなくてはならない。

崖の下の家
・中年の危機は思いがけないときにやってくる。同輩の誰よりも先に課長になり、出世
 頭と見られていたエリート社員が突然自殺する。やっと新築の家ができて、皆から
 祝福されているとき、その家の主婦が抑うつ症になってしまう。事故、病気など、思
 いがけないことが、平穏であるべき中年を直撃するのである。

春来りなば
・春夏秋冬がこのように順番にゆっくりと交代して現れ、春や夏や、夏と秋などが峻別
 できると思うのは、若者の考えである。冬の中に春を見ることが上手になってこそ、
 中年の次にやってくる老年へとスムーズに入っていける。人生の冬の中に生きつつ、
 そこに春夏秋冬を見ることができるので、老いが豊かになってくるのである。

尾根を歩く
・土から離れ、家から離れてただ一人。このような孤独は、現代の中年が多く味わって
 いるのではないだろうか。たとえ毎日地面の上を歩き、毎日家庭と共に暮らしている
 としても、実情としてはそうではないだろうか。男であれ、女であれ、このような孤
 独を知らない人は、現代に生きている中年とはいえないではなかろうか。
・人間というものは勝手なものである。人間関係がわずらわしいから一人になりたい、
 などと言っていても、いざ一人になると孤独に悩むことになる。

訪れる女性
・欧米人が、まず自我の確立をして自己主張していくという方法をとるのと異なり、日
 本では、自分の周囲の考えなどを受け入れつつ自分をつくっていくという方法がとら
 れる。日本人は、まず自己主張するよりも、他を取り入れるというパターンを身につ
 ける。

故障への回帰
・両親の保護を受けず、経済的に独立し、結婚して子供を育てる。これは30歳の「自
 立」である。このような一応の自立のあとで、人間はそれほど自立しているものでは
 ないことを、中年なると自覚してくる。

多層的な現実
・科学の対象となっている現実はひとつであっても、現実そのものはもっと多層的であ
 り、そこに唯一の正しい現実があるのではない。その多層的な現実をどのように知り
 どう折り合いをつけるかという困難な仕事をするのが、中年である。ここのところが
 うまくいかないと、青年のままで年をとるので、老いや死を迎えるのが、大変なこと
 になってくる。

どうかしていたのか?
・「あなた、どうかしてたんでしょう」と家族や同僚などから言われ、何か言いたい気
 持ちもありながら、ただ黙ってそれに従っているより仕方のないような状況に追い込
 まれた中年の人は、ずいぶんいるのでないか。一般には表層の現実の重みが非常に強
 いので、黙っているのが一番賢明であろう。しかし、そのときの心の中で、誰かに
 「ありがとう」と言えるような体験をした人は、惑いを通じて少し「天命を知る」ほ
 うに近づくことができたといえるのではなかろうか。
・人生の処女峰に登るようなものだから、道に迷って、尾根から少し足を踏みはずした
 りもするだろう。右に入りこんだり、左に落ち込んだり、右を見たり左を見たりして
 歩き続けるのが中年であるといえるし、惑うことにも深い意味があると思われるので
 らる。

さらば青年期
・人生には何度かの転回点がある。小さいものもあれば大きいのもある。思春期などは
 その最たるもので、ここを越すのは誰にとっても大変である。それを越えて「大人」
 になる。といっても、現代では身体的に大人になっても、それは必ずしも社会的に大
 人になったことを意味していないから、問題は複雑である。非近代社会においては通
 過儀礼というものがあって、儀礼を通じて一挙に「大人」になるのだから問題はない。
 しかし、近代以降は、いったい、どこからどの程度に大人になるのか不明なのである。
・青年期は外的に現実というものにぶつからないままで、それなりの理想像を心に持つ
 ものである。
・中年はそのような青年期の甘さと、おさらばしなくてはならない。現実は思いのほか、
 重みを持っている。それが一挙に押し寄せてくると、憂うつにならざるを得ない。

十字架のつなぎ目
・しかし、性というのは実に厄介なものである。体験せずに考えることはできないし、
 体験にのめり込むと考えることができなくなる。
・性は魂に至る重要な通路となり得ても、性の満足イコール魂の癒しとはならないので
 ある。

みちしるべ
・中年は毎日の仕事に忙しい。仕事をどのようにこなしていくか、家族の問題をどう解
 決していくか。毎日毎日が大変で、ほかのことなど考える余裕がない。しかし、その
 なかでも、自分はなぜ生きているのか、死んでからどうなるのか、などと考える人が
 いる。いったい、自分の人生を導くものは何なのか。昔は神や仏によって導かれ、し
 たがって自分の生命を「永遠の相」のなかで実感できる人が多くいた。しかし現代は、
 それほど簡単に神や仏に従ってばかりもおれない。

たましいの掃除
・人間は自由になり、タブーをなくしてきた間に、このごとの「真実」を見ないという
 性質を身につけてきたのではなかろうか。昔の人とやり方は異なるが、真実を見ない
 という点では似たようなものである。中年になってあくせく働き、時には出世したり、
 成功したりしたと思いさえするが、その間に、ほとんど目に見えぬほどの砂がだんだ
 んと降り積もって、人間の「たましい」を侵蝕してきているのではなかろうか。そし
 て、老人になって、ふと気がついたとには「もぬけのから」になってしまっている、
 というわけである。

合一への欲求
・エロスというのは、人間の一生のいずれのときにおいても大切なことだが、中年にお
 いてもエロスは重大な役割を担って存在している。人間にとって、エロスの力なくし
 ては主の存続は望めないし、かといって、その力が強ければ強いほどよいというわけ
 でもない。時には、それはおぞましいとさえ感じられるのである。
・エロスの「気まぐれ」さが強調されてくる一方で、その圧倒的な力のほうは少しずつ
 忘れ去られ、人間はエロスに対して優位な地位を占めることができるように思い始め
 る。そうなると、エロスはキュービットの姿で表されるようになる。「キューピーさ
 ん」などと、それが呼ばれるようになると、まるで子供用の玩具と思われるまで下落
 してしまう。ところが、エロスそのものはそんなに生易しくはないし、今でも圧倒的
 な力を誇り、人間の「理性」を一挙に破壊したりする。エロスのために、自分の地位
 や財産を失う人は、現代にも多くいる。総理大臣の職をやめねばならなくなった人も
 ある。
・中年の「分別」という言葉は、ともに「わける」ことを意味する分と別という字を組
 み合わせてつくってある。分別とエロスとは敵対関係にある。分別の強すぎる人は、
 エロスを押さえ込もうとする。エロスの強すぎる人は、分別がなくなってしまう。青
 年期ならともかく、中年になると、いかにして自分を超えるものとしてエロスを体験
 しつつ、自分という分別をなくしてしまわずにいるか、という課題に取り組むことに
 なる。
・中年になると、エロスの対象が人間以外のものになることがよくある。骨董品、車、
 植物、ペットの動物など。そこには不思議な合一の感覚が働くのである。

夫婦の行きちがい
・青年期ののぼせ的結合が終わって、中年にさしかかると、男性と女性が相互に理解す
 ることはほとんど不可能に近いことがわかってくる。そのとき、多くの女性のエロス
 はむしろ自分の子どもに向けられる。

現代の男性のエロス
・性の体験は、死の体験につながることがわかる。それは限りなく生命力を感じさせる
 ものであるが、合一の瞬間は女性にとってよりは男性にとってのほうが、死と結びつ
 くことが多いようである。エクスタシーとは、語源的に「外に出て立つ」ことを意味
 している。性のエクスタシーは、この世の「外に出て立つ」体験をさせてくれる。

子どもの「問題」
・多様化などという言葉がはやるが、わが国では親が子どもを見るときに、学業成績と
 いう唯一の尺度によって子どもを評価していることが実に多いのではないだろうか。
 個性ということによってその人自身を見ることができる人は、日本人には少ない。そ
 のうえ、経済状態がよくなって、多くの人が大学に行けるようになったため、ともか
 くよい大学に入学するために、よい成績をとることが、「良い子」の条件だとおいう
 ことになる。

過保護と暴力
・人間は不思議な動物で、ワイルドなものから距離をとって生きることに成功し、今日
 の文明を築いてきた。しかし、人間は「人工物」ではない。人間が生きるというのは、
 ワイルドな部分ももっているということではなかろうか。
・テクノロジーを駆使し、その結果を享受しつつ、なおかつワイルドなものを自分の中
 でどのように生かしてゆくのか、というのが現代人の課題である。

ロマンチック・ラブ
・考えてみると、夫婦関係というのは実に大変なことである。互いに一人の人間を相手 
 にして長い長い期間を共にすごしてゆかねばならない。
・何しろ、他の人間関係と異なり、一つの屋根の下で暮らすのだから、余計に難しくな
 る。社会的な関係であれば、適当な距離が取りやすいし、必要に応じて離れたり忘れ
 たりすることが容易である。自分の欠点をある程度カバーして付き合うこともできる。
 ところが夫婦となると、そうはゆかない。どうしても本音が出てくるし、また本音の
 ところで付き合えるからこそ夫婦であり、家族としての意味がある。

あとがき
・中年とは魅力に満ちた時期である。それは強烈な二律背反によって支えられているよ
 うに思う。男と女、老と若、善と悪。数えたてていくと切がないが、安定と不安定と
 いう軸でみると、これほど安定して見えながら、内面に一触即発の危機を抱えている
 ように感じられる時期はないだろう。