煩悩クリニック :渡辺淳一

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この本は「昨日より少しだけ楽に生きるために」との渡辺氏の思いから書かれた本である。
今の時代は激動の時代である。激しく変化・進歩するものと、ほとんど変わらない・進歩
しないものとが混在し、混沌とした社会となっており、そんな社会で生きる私たちは、多
くのストレス、多くの悩みを抱えて生きている。夫婦の関係や病気、そして老後の生き方
など悩みはつきない。
そんな社会において、少しでも楽しい人生を送るためにはどうしたらいいのか。元医者で
ある渡辺氏はその経験から、「鈍感になること」と説いている。そして、「年甲斐もない
不良老人になれ」と説いている。定年後は「不良になれ」は多くの著書でも書かれており、
渡辺氏の説もこれと一致している。
世間体ばかりを気にして窮屈のままの一生を終えてはつまらない人生になってしまう。
人は世間のために生きているわけではない。せめてリタイア後だけでも世間体を気にしな
い鈍感な不良老人になって、自分らしい生き方に徹したいものである。

まえがき
・人間のなかには、きわめて進歩するものと、ほとんど進歩しないものと、この二つが潜
 んでいる。どういうものが進歩するのかというと、いわゆる知性とか理性といった、学
 んで覚えていける領域に含まれるもので、こうした学問的なものは日進月歩で変わって
 いきます。これに対して、情念や感性、さらに愛とか性愛(エロス)といった領域のも
 のはほとんど進歩しません。
・そういうつまらないけんかを繰り返した進歩しないところこそ、きわめて人間的という
 か、人間臭いところであると思います。善悪はともかく、そういうところがあるからこ
 そ人間なのです。
・人間が人間たる由縁は、この進歩しない領域があるからこそなのだということを、まず
 しっかり頭に入れておきたいものです。

第一章 進歩するものとしないもの
・忘れてならないのは、私たちに中にもう一つ、いちじるしく進歩しないものがあるとい
 うことです。それはたとえば、人間の感性の世界、美とか芸術、感動や情緒、あるいは
 愛や恋やエロスといったもの。こうしたものは自然科学とまったく異なる一人一人の体
 験と感性によって積み重ねていくもので、それも一代限りのものだということです。い
 かに英邁で優れた人格者がいたとしても、その子が同様に人格者になるとはかぎりませ
 ん。
・私たちの中には、こうした進歩するものと一代限りのものと、両者が混在していること
 を忘れず、その違いをしっかり見極めることが大切です。
・往々にして、私たちは近代科学文明の異常な進歩に目を奪われ、自分たちも進歩してい
 ると思いがちですが、それは誤りです。
・この事実を冷静に、かつ謙虚に受け止めることなく、近代社会の理想やタテマエばかり
 目を向けると、現実とホンネの部分とのあいだに大きなひらきがでてきます。そしてそ
 れが現代を生きる人々にとって、大きなストレスとなってくるのです。
・美しい草花や夜空を見て美しいと感じるのは、縄文の時代の人も平安の時代の人も、そ
 していまの私たちもみな同じだと思います。
・感受性、そして感動というものは、三千年や五千年くらいの歴史では変わるものではな
 い。こうした美意識と同様、愛やエロスもまったく変わっていません。いまから千年前
 に感じた一人の男や女が愛する人を恋しく思う気持ちや、再会の喜びとか、嫉妬とか憎
 しみ、そうした愛憎の思いはいまも昔も変わっていないのです。
・ところで、愛やエロスについて忘れてならないことは、体験しないと覚えていかないも
 のであるということです。したがって一度も恋愛もセックスもしたことのない女や男が、
 愛について論じることはほとんど不可能です。
・愛憎や嫌悪といった原初的な感情が進歩しないものであるかぎり、復讐も同じ頻度でお
 こなわれ、昔の日本の仇討のように、憎い人間に切りつけ、さらには殺すに至ることも
 ありました。
・しかし時とともに、愛憎は昔と同じレベルにあっても、ピストルで撃ち合うとか、戦争
 になると大砲で攻撃しあうとか、飛行機で爆撃するとか、しだいにエスカレートしてき
 ました。
・いかに科学文明が進み、理性とか博愛が協調され、国連のような気候ができても、現実
 に生きている人たちの頭のなかに、愛憎や嫉妬が息づいているかぎり、状況は改善され
 ないどころか、ますます悪化するばかりです。
・往々にして、わたしたちは近代理性主義を過大評価して、昔からは想像もつかぬほど高
 度な教育を受けたおかげで、よほど立派な人間になったかのように思い込んでいますが、
 ひと皮むけば、ごくごく普通の愛憎しかもっていない、きわめて情念にとらわれやすい
 原始的な生き物なのだということを忘れるべくではありません。
・わたしたちは科学文明のまっただなかにいて、千年、二千年前の人間より、なにか上位
 になったとか、優れていると錯覚しがちです。しかし、進歩したのは科学という無機質
 な事実だけで、人間の原点はまったくといっていいほど変わっていないのです。
 
第二章 鈍さという才能
・健康になるための要点を一口でいうと、全身の血がよく流れるようにすること、この一
 点に尽きると思います。きれいな血が淀まず、さらさらと流れることが大事で、いつも
 全身に知がスムーズに流れていれば、そうそう病気になることはありません。
・外レスの多い人は、血の流れが悪くなって欠陥が細くなり、その末端の組織に十分な酸
 素や栄養を補給できなくなります。そしてその状態が長く続くと、その血管の末端にあ
 る組織が痛めつけられて壊れてきます。
・血管はまず精神的に安心した状態で、そして温かいところで拡がります。周りが暖かい
 と発汗作業が必要になり、血管はさらに拡がります。
・精神状態によって欠陥は拡張したり、ときに痙攣まで起こし、気持ちのもちようが血管
 に及ぼす影響は想像以上に大きいのです。したがって、血管が開いて血の流れをよくす
 るために、心地よい温度のところでリラックスし、心配ごとのない、という状態がもっ
 とも好ましいのです。
・ストレスというものを忙しさと理解すると間違いで、そうではなく、ストレスとは精神
 的に不快で嫌なこと、と考えたほうがわかりやすいと思います。問題はその忙しさが、
 精神的にプラスか否かということで、遣り甲斐があってプラスに働くような忙しさなら、
 さほど苦にはならないはずです。
・かなり暇だと思われる人がストレスを受けている場合もあります。何か仕事をしたいと
 思ってもこれといってなく、仕方なく新聞を読んでいる。この無理に暇をつぶさねばな
 らない状況が、本人にとってはたまらなく辛い。ときに以前、それなりの地位にいた人
 ほど重荷でストレスになります。かつてばりばり仕事をしていた人が、退職して気力や
 体力が弱るのも同じ理由からです。
・どんなに忙しくても、遣り甲斐のある忙しさなら、そうそう病気にはならない。逆にど
 んなに暇でも、望んでいない暇は病気になるというわけです。
・ではどうしたら、これらのマイナスのストレスを感じないようになれるか。即座に考え
 られることは、嫌な精神状態にならないようなポジションにつくということです。
・努力しても不満な地位に我慢していなければならないときにはどうするか。ここでもっ
 とも重要なことは、いい意味で、精神的に鈍くなることです。
・発想を変えることです。人にどう思われても平気でマイペースを保てるような、精神の
 鈍さを身につけることです。
・どんな組織でもだいたい上になる人は、もちろん力はあるのですが、同時にいい意味で
 鈍くて、唯我独尊的なところがあります。逆に、周りに気兼ねする人ほど体が弱って、
 落ちこぼれていく。こうして最後は、いい意味で鈍い人が生き残る。
・これまで、日本ではジャープなものばかりを才能といってきましたが、そんなことはあ
 りません。鈍いことも才能です。むろん鋭い才能は悪くないけど、その才能を育て、大
 きくしていくためには、その背景にいい意味での鈍いもの、タフなものがなければなり
 ません。
・精神的にストレスをためないもう一つの方法は、人に褒められることです。単純なこと
 ですが、人間は褒められると気分がよくなります。それによって血の流れがよくなり、
 性格も明るくなります。
・健康というのは古典的な定義では、自分の臓器や器官の存在を何も感じないことです。
 臓器ないし器官の存在を感じないこと、これが健康の原点です。逆に一つの臓器や器官
 の存在に気づくことは不健康の証です。
・いい意味での楽観主義で、いい意味での鈍さといい加減さを身につけることが健康の秘
 訣で、そういう精神的な余裕をもつことが、流れの速い現代に生きていくうえで重要な
 武器になるはずです。
 
第三章 オトコからオンナの時代へ
・妊娠や出産は疾病ではなく、きわめて平常な健康的なことです。しかし、最近はこれを
 経験しない女性が増えています。もちろん、その裏にはさまざまな事情があるのでしょ
 うが、生理学的な見地から見ると、適齢期にそうしたことをおこなわないのは、神様が
 つくってくれた大事なサイクルを見過ごし、無駄にしているのです。
・もしこの状況があと数千年続くと、女性のかなりの人が生理を失うかもしれません。人
 体は常に外界の変化に適応しようとしています。多くの動物たちは自然の環境に適応し、
 外界に合わせて、体を変えて生きてきました。それだけに近い将来、女性の一部がそう
 なっても不思議ではなく、いまは女体にとっての第一の移行期なのかもしれません。
・男は学歴、年収、身長のいわゆる「三高」ではダメ、というより古くなり、それよりい
 かに女性の好みに合い、女性を心地よく喜ばせうるか、性的にも女性に優しく満足させ
 うるか、そういうことが重要になり、その能力の有無で男性が選別される時代になって
 きました。
・女性の幸せは何かと考えると、意外に不明確なことに気がつきます。これと対照的に、
 男の幸せは比較的明快です。むろん例外はありますが、ほとんどの男性が出世して金持
 ちになること。地位と富を得ることが一般的に男の幸せの基本で、それに家族の幸福も
 くわえられるかもしれません。しかし女性の場合は、ばらつきというか変化が多そうで
 す。
・いまは何をしてもいいよ、そのかわり自分で責任をもちなさい、といわれて、かえって
 辛い場合もある。選択肢がいろいろあって自由なぶんだけ、自分で選んで決断する悩み
 やプレッシャーはかえって強いかもしれません。実際、過食症や拒食症、鬱病になった
 りするのも、親子の関係に起因するケースが多く、その意味でも女性の心の病は今後ま
 すます増えていくのかもしれません。
・男は痛みと同じように怒りに耐える力も弱く、我慢できない。女の人はゆっくり待つこ
 とができるからキレルということはあまりない。女性はゆっくりと発酵できる性ですが、
 男性のほうは突然、発熱するような性ですから。
・それだけに男女がどんどん平等になって、女のほうが強くなると、もともと生物学的に
 耐久力や生命力に乏しい男は、無意識に暴力に訴えてしまうことが多くなる。
・従来の社会は、男性が考えてつくった社会ですから、年功序列、権威主義などを優先さ
 せる社会でした。そして男性はいったん何かをつくりあげてしまうと、その後は保守的
 で権威主義になり、新味がない。これに比べて女性の発想、女性の視点は男とはかなり
 異なり、総じて柔軟で革新的とおってもよさそうです。
・これからは、女性の働きかたも含めて、男も女もいろいろな生き方があっていいと思い
 ます。いまは転換の、チェンジの時代というか、仕事も結婚を含めた男女関係も、大き
 な改革の時代で、男女の役割分担もさらに不明確になっていくでしょう。いわば価値観
 の多様化で、男も女もこれをうまく利用していくべきです。
・これからは、その人の性格や向き不向きを考えて、女性が働いて男性が家事をやっても
 いい。そういう自分を肯定できれば、人生はもっと楽に生きられるはずです。価値観の
 多様化に合わせて、少しでも楽な自分流の生き方を見つけ、ストレスをなくしていくこ
 とが肝要です。

第四章 自分らしく生きる
・これから結婚の形でいちばん問題になってくるのは、おそらく個々の問題より、都会と
 地方の意識の格差かと思われます。よく都市と地方の経済格差が問題にされますが、男
 女関係を中心にした意識格差のほうが、より大きな問題です。
・東京のような都会では、夫婦の平等観が一般的になり、共働きはもちろん、家事から育
 児まで夫婦共同してやることが、違和感なく受け入れられてきています。しかし地方、
 とくに古い土地では、いまだに夫婦や男女の平等意識にはかなりの抵抗感があるようで
 す。
・とくに田舎から出てきた秀才で、男中心で育てられてきたような男性は、考えが古いこ
 とから、都会の女性に嫌われるケースも少なくないようです。
・こうした地域間の意識格差は、これから広がる一方で、それだけ東京に出てくる地方の
 人たちは実家と疎遠になる傾向が強まっていくと思われます。
・若い人が都会から戻りたがらないのは、なにをしても口うるさくいわれない、精神の自
 由があるからです。
・若者がいつの時代でも求めているのは精神の自由で、少々家賃が高かろうが空気が汚れ
 ていようが、そんなことはかまわないのです。
・地方が若者に帰ってきて欲しければ、自然や環境よりまず意識改革というか、いい意味
 での個人主義が確率されていなければ難しい。人のことは人のこととしてあまり干渉し
 ない、必要以上にお節介をしない地域社会であることがまず必要だということです。
・結婚そのもののメリットとは何か。ここで少し大胆なことをいうと、「結婚とは保険で
 ある」といえばわかりやすいかもしれません。
・「この人と結婚しておけば、仮に専業主婦になっても生活が保障される」という安心感
 を手に入れることができます。もちろんいまどき、結婚した相手が大企業のサラリーマ
 ンであっても、不況でリストラということになりかねないご時世ではありますが、それ
 でもこの人と結婚契約を結んでおけば、安全とか、リスクが少なくてすむといった考え
 は根強く残っています。
・結婚もそれなりのメリットはあります。その第一は自分の好きな人、最愛の人と密着し、
 世間的にも一緒に暮らすことができるという利点です。言葉をかえれば、相手を独占的
 に取り込めること、これが、結婚の最大のメリットでもあります。そしてもう一つの、
 結婚の利点は子供を堂々ともつことができることです。
・それにしては子育ては面倒で犠牲が大きすぎると思う人は、恋愛だけ続けて結婚しない
 ほうが得策かもしれません。このあたりは人それぞれの選択で、とくに老後については、
 子どもがいてよかったと思う人と、あまり意味はなかったと思う人の二つに分かれるよ
 うです。
・子供をもつのは、もちろん世間体のためではありません。この一つの歓びは自分の血筋
 をこの世に残していくという安心感です。陣源はみな、いずれこの世を去っていくもの
 で、それだけに自分の子を産み、血筋を残すことは、自己の永続を願う基本的な願望で
 あり、本能ともいえます。しかしだからといって、それを強制すべきではないし、人に
 よっては、自分の血筋なぞ残したくない、という人もいます。
・このように考えると、一夫一婦制という制度そのものがどのぐらい魅力的でありうるの
 か、疑問にさえ思えてきます。というのも、先ほど、結婚のメリットは好きな人と暮ら
 し、独占できることだと述べましたが、男女の愛情を深めたり持続させたりすることに、
 結婚という制度はあまり適していないからです。
・人間とは常に移ろい、変化する生き物です。これはいい意味での進歩で、永遠に死ぬま
 で愛し合っている一組の男女がいたとしたら、それは猛烈に相性がいいか、あるいはま
 ったく進歩しない人たちかの、どちらかです。したがって、二十代で選んだ一人の女性
 なり男性を生涯愛するのは意外に難しいとともに、ときにはかなりの無理があるといえ
 なくもありません。 
・一人の人を永遠に愛することは、いささか人間の本性とは遠い、やや無理な、社会的に
 強いられた道徳律だからです。それでも一夫一婦制を無理に堅持していこうとすれば、
 結果として浮気や不倫を重ねるか、離婚と再婚が増えることになりかねません。実際、
 アメリカではそのあたりを拘束するために、パーティーや会食などでは常に夫婦同伴で、
 ことあるごとに「愛している」といい合わねばなりません。日本にはそういう拘束はあ
 まりなく、ある種のルーズさがあり、それがかえって離婚をおさえていたともいえます。
・徐々に、一夫一婦制が崩壊すると思われるもう一つの要因はエロスの問題です。夫婦の
 あいだでは、安らぎやリラックスが得られるのが最大の特徴です。しかし、安心と引き
 換えにエロスが消滅していくという問題も潜んでいます。エロスとはこの場合、性愛と
 考えてもいいのですが、新婚当時から数えて十年、十五年と歳月が経つにつれて、夫婦
 のセックスそのものは減ってくるものです。一組の男女が常に身近にいるということが、
 エロスという点ではマイナスに作用します。
・逆にエロスのボルテージを上げるためには、ある程度離れていることが必要です。とく
 に男性の性的なボルテージがもっとも上がるのは、美しい蝶がひらひら周りを飛んでい
 るのを捕まえようとする瞬間です。
・結婚は、安らぎの場を得るかわりにエロスは失われていく。この点に気が付いていない
 人が意外と多く、とくに若い人は考えも及ばないでしょうが、家庭のなかには常にこう
 した馴染み過ぎたが故の欠点も潜んでいます。
・では、精神的にも愛し合いながら、なおエロスも向上させていくためには、どうすれば
 いいか。ここで考えられるのが、平安朝時時代のように夫が妻の家に通う「通い婚」の
 ような形、あるいは結婚していても住むところを別にする「別居婚」、または週末だけ
 会う「週末婚」のような形です。これなら夫婦の鮮度は比較的保たれそうですが、反面
 いずれかが浮気をする可能性も増えてきます。
・離婚率が高くなったといっても圧倒的に多いのは、やはり若い世代の離婚です。中年以
 降の離婚は、「子はかすがい」の効果もあって急速に減り、また増えてくるのは五、六
 十代になってからです。いわゆる「熟年離婚」とか「定年離婚」といわれるものです。
 この場合特徴的なのは、離婚の申し出のほとんどが妻のほうからなされるということで
 す。六十を超えた夫のほうには離婚しようという気はほとんどない。たとえ妻に飽きて
 いたり愛していなくても、容易に別れない。しあし妻のほうは、夫が定年になって給
 料をもって来なくなると、それではこの辺で、退職金を半分もらって離婚させていただ
 きます、という人が増えつつあるのです。
・いずれにせよ、高齢になるにつれて夫が別れる気はなく、逆に別れたがる妻が増えてき
 ます。このように定年後を考えると、女性のほうがはるかに元気で体力もあり、自立す
 る力があるだけ、夫と妻の力関係が逆転するのです。
・結婚の形態、男女の関係が多様化しつつあるとき、ネックになるのは日本の閉鎖社会的
 な体質です。
・未婚の母でいようが、独身でいようが、恋愛しようが、離婚しようが、いずれも自由で、
 いろいろな愛の形を認めて、干渉しないことが本当の優しさです。
・わたしが見るかぎり、日本の男女関係は総じて窮屈で堅苦しすぎます。二人でいるだけ
 で怪しいとか、関係があるのではないかと、勘ぐられたり噂になります。なかでも不思
 議なのは、学生時代は誰が恋愛関係になろうが、「ああ、そうなの」という程度で聞き
 流していたのが、企業に入ると突然、男女関係に厳しくなることです。
・企業倫理や社会倫理から解き放たれて、もっと自由に闊達に生きるような社会にならな
 ければ、日本は活性化しません。男女間の規制緩和は、規制緩和のなかではもっともお
 金のかからないものなのですから、どんどんやるべきです。
・それにしても、日本人の行動規範ほど曖昧なものはありません。規範と言っても、やさ
 しくいうと世間体ともいうべきもので、この世間体さえ守っていれば安心です。
・わたしたちは隣のおばさまのために生きているわけではありません。世間に合わせる行
 動規範を打ち破るために、日本人一人一人が立ち上がることです。世間に合わせること
 ばかり考えているうちに、日本自体も老いて、自分まで失います。人のことばかり気に
 していたのでは、誰のために生きているのはわからないまま、ぼんやり死んでいくこと
 になり、これがいちばん残念なことです。
・それぞれがみな、自分のために生きているということ、そして一つ一つが大事な生の一
 瞬なのだということを、いま一度思い返し、自分らしく生きるようにしたいものです。
 
第五章 ガンとの闘いから共存へ
・ガンになるタイプというのが最近考えらてきて、それは性格的に繊細でくよくよするタ
 イプに多いようです。逆にいい意味で鈍くて、ややいい加減なタイプの人はガンにかか
 りにくいというのです。この理由もまだはっきりしていませんが、繊細でストレスをた
 めこんでしまうタイプの人ほど、血行が悪いことはたしかです。
・血管の理想からいうと、常に開いて血がスムーズに流れることがいちばんですが、スト
 レス過大の繊細なタイプは、しばしば血管が狭くなり血行が悪くなりやすく、血の流れ
 が悪いと、その先まで酸素と栄養素が順調に届けられてないから、その部分が壊れて潰
 瘍などが生まれてきます。こう考えると、子どもは小さいときからできるだけおおらか
 な子に育てることが、肝要で、それが将来のガン対策にもつながるといっていいでしょ
 う。
・二十世紀まではガンは闘う相手だったけど、二十一世紀はガンは共存する時代です。
・ガンはそんなに怖い病気でもない。うまく折り合いをつけていけば、十年、二十年と生
 きられる。
・ときに高齢者はガンにかかりやすいけれど、新陳代謝が衰えているから細胞の増殖は遅
 く、うまく付き合えば長生きできる可能性も大きいのです。

第六章 よき病院、よき医師とは
・大学病院は、診療機関であると同時に研究機関であり、そして学生の教育機関でもある
 のです。この三つの期間を併用しているという意味で、かなり特殊な病院といえるでし
 ょう。まず教育機関であるということは、いろいろな学生がぞろぞろきて、患者さんを
 病例として見学したり触れることもありえます。患者さんの中には「見世物でない」と
 いって怒る人がいますが、大学病院にいく以上それは仕方のないことで、そうしなけれ
 ば未来の日本の医師を育てていけません。ですから、学生に見られるのが嫌なら、初め
 から大学病院には行かないことです。
・一つの手術を出血もなく、患者の負担を軽くして、早く上手にできる臨床医としての腕
 のよさと、大学成就であることは直接なんの関係もありません。大学成就は基本的に論
 文の数と内容で選ばれるものですから、優れた教授が必ずしも優れた臨床医とはいえま
 せん。
・もっとも好ましいのは、ホームドクターをもつことです。ホームドクターは、風邪のよ
 うな日常的な病気を治療してくれると同時に、ガンなどの大きな病気のときはどの病院
 のどのお医者さんがいいと、ガイダンスをしてくれる医師でもあります。そういう意味
 では、客放れのいい医師というか、患者放しのいい医師でなければなりません。たとえ
 ば、「これは、僕ではできないので、紹介状を書くから、こちらの病院に行ってくださ
 い」というお医者さんは、一見、頼りないようで実はいいお医者さんです。
・いまの日本の健康保険制度は悪しき平等というか、均一主義で、反面、医療報酬は安す
 ぎで、さらに健康保険の適用外のものが多すぎるのです。これほど治療や検査が多様化
 して複雑化したら、保険制度そのものも変えなければなりません。
・医師の側から見ても、この悪しき平等は問題です。たとえば、ベテランの医師が手術し
 ても、昨日、医師免許をとったばかりの新米医師が手術しても、保険点数は同じです。
 医師としての知識や熟練度をまったく評価しないのですから無茶苦茶です。
・医療に関する相談料が安すぎることで、安いから一分診療になってします。医師は患者
 さんと一分間話しても、二十分間丁寧に説明しても金額が変わらないとしたら、当然、
 説明は短くなります。さらに現行健康保険制度では、検査、投薬、注射などをしないと
 儲からない制度になっているので、過剰投薬をして、医師と患者さんの会話が少なくな
 るのは当然です。
・健康保険が不適切で、医師の報酬が全的的に安く、それが結果として患者のほうにしわ
 寄せされている。とくに医師が不要な検査や必要以上の薬を出すなど、こうした背景に、
 現在の健康保険制度の不備があることは確かです。
 
第七章 安楽死を考える
・ガンは、少し前まで不治の病とされていて、日本ではとくに、告知自体が病状を悪化さ
 せ、命を縮めてしまうと思われていました。しかし最近は、早期発見されやすくなった
 こと、治療法そのものが飛躍的に進歩し、治療もしやすいことから、ほとんどの例で告
 知するようになってきました。
・もしガンであることを隠して治療すると、「この薬はなんですか」「この手術はなんで
 すか」と聞かれるたびに偽りをいわねばならず、医師は辛いし、患者さんの猜疑心も募
 る一方で、かえって病状を悪化させることになりまねません。
・告知というのは、市の予告ではありません。あくまで本院に病気の状態を説明すること
 で、「かなり重態ですが、現状でできることはこれがベストです」と告げるべきで、
 「あと三か月です」というようなことは本人にはいうべきではありません。
・自分の大事な人が、「あと三か月」などと、余命宣言を受けたらどうしますか。その瞬
 間はすごいショックで、それをどう受け止めたらいいのかわからないかもしれません。
 さまざまな場合があるので、一概にはいえませんが、わたしが見てきたかぎりでは、基
 本的には家族として、患者さんにベストを尽くしたか否かが大きく影響するように思い
 ます。
・人は愛する人の死に対して容易に納得できないものです。しかし「できるだけのことは
 やった」という、ある種の達成感というか充実感があれば、そのことが自らへの慰めと
 なり、おだやかなあきらめへのつながることが可能です。この納得感が愛する人を失っ
 たあとの心のケアになることは間違いありません。
・一般的に安楽死というと、多くの人は筋肉弛緩剤など、医師の薬物注入を思い浮かべる
 ようですが、実は、安楽死は大きく二つに分けて考えられています。一つは人工呼吸器
 などの延命治療を停止する「消極的安楽死」で、もう一つは医師が薬物を注入しておこ
 なう「積極的安楽死」です。 
・消極的安楽死は、具体的には毎日大量に注入している点滴はじめ、延命装置を徐々に外
 すことで、これにより自然に亡くなっていく形のことです。おそらく、これはいままで
 にもいろいろな病院で暗黙のうちにおこなわれていたと思います。
・積極的安楽死が法的に認められているのはオランダだけです。
・オランダで成立した安楽死法では、
 @患者の希望が自発的で熟考の末であること 
 A患者の苦痛が耐えがたいもので改善の見込みがないこと 
 B医師が患者の病状と回復の見込みなどの予想を詳しく説明していること
 C患者との話し合いの結果、双方が他に適切な解決方法がないと納得すること
 Dそれまで患者に関わっていない医師少なくとも一名の意見を聞き、協議がなされるこ
  と
 という五つの条件を満たせば、安楽死や自殺ほう助を行う医師が刑事責任を問われるこ
 とはないことになっています。
・ホスピスは終末医療をおこなう場所で、積極的な治療をおこなうわけではありません。
 いわば死までの期間の癒しの場で、それだけに風光明媚な静かな環境の中で、余生を静
 かに楽しんでもらおうという発想から生まれました。実際、ほとんどの施設は緑に囲ま
 れ、穏やかな毎日を過ごせるようにいろいろ工夫されています。
・しかし忘れてならないことは、そのような周辺環境や自然の風景に恵まれた場所を用意
 することはできても、それはあくまで付き添う人々の「安らかに余生を過ごせる場所」
 で、当の患者さん自身の心のケアは容易にはできません。このケアができるのは家族な
 のか、そばに付き添う介護の人なのか、そして宗教なのか、人によって違うかもしれま
 せんが、要は「場所」ではない心が必要です。
・そして患者さんが最後に救われるのは、宗教ではないかと思います。事実、ホスピスは
 宗教と結ばれていて、とくにキリスト教関係の人は積極的に関わり、救済へ務めていま
 す。
・これに比べると、仏教関係者はいまいちというか、それほど関与していないことが少し
 残念です。一般に、お寺は人が亡くなってからお世話になる場所、というイメージが強
 いのですが、生きて苦しんでいる人や死の恐怖と闘っている人々を救う手が、もっと仏
 教界からも差し伸べられるようになって欲しいものです。
 
第八章 臓器移植と日本人
・臓器移植というのは、まず臓器を提供する人がいなくては成り立たない手術であること
 が大きな特徴です。この場合、とくに問題となるのは心臓と肝臓です。心臓と肝臓はド
 ナーが死んでからでは間に合いません。まだ生きて心臓が動いていることが基本条件で、
 ここで初めて脳死という状態が問題になってきたのです。だがこの脳死という状況が日
 本人にはきわめてなじみにくい。少なくともはたから見ていると、人口呼吸器、つまり
 蘇生器をつけているかぎりまだいきているのではないか、と思ってしまう。ここで、重
 要なことは、植物状態と脳死とは違うということです。
・植物状態というのは、人間が基本的に生きていくうえでの最低条件のものだけが動いて
 いる状態で脳の外傷以外に脳溢血や、脳梗塞などでも同じような状態になることがあり
 ます。この植物状態は意識はないけれど寝たままで、管理さえよければかなり長く生き
 ることができますが、脳死のほうはそのままにしておくとすぐに死んでしまいます。と
 いうのも自分で呼吸をできないからで、生きていくためには蘇生器が必要になります。
 このように植物状態には自発呼吸がありますが、脳死状態では自発呼吸というものがあ
 りません。これが両者の大きな違いで、脳死の場合は、蘇生器のスイッチを切ればすぐ
 に死が訪れます。
・しかし、多くの人々は、この蘇生器で生きている状態を脳死という形では理解できませ
 ん。まだ体が暖かいのだから生きていると思い込む。「これをはずしたら死にます」と
 いわれても容易に納得できず、それだけにわざわざ臓器を提供する気にはなれません。
・臓器移植の遅れの理由として二番目に挙げられるのは、生きているときに体を傷つける
 ことに対する反発が、日本人はきわめて強い点です。
・いずれ死ぬ、助からない状態であっても、できるだけ体を傷つけたくないという思いが
 日本人にはとくに強いようです。
・しかし臓器移植では、心臓や肝臓をそのまま取り出すために、かなり大きな傷をつける
 ことになります。くわえて日本人は遺体への執着が強く、飛行機事故などで遺体の収容
 が困難な場合でも、肉親の方たちは遺体を見て確認しないかぎり、容易に納得しません。
・これに反して、キリスト教の信者は死体というものにそれほどこだわらない。キリスト
 教では復活という考えがあり、人は死ぬと肉体から霊魂だけが神に召されて昇天し、そ
 れがまた肉体をまとって降りてくる。いわゆる復活の思想で、それだけに現世の肉体は、
 やがて滅びるものという認識が強いからです。
・この死体への考えの違いが臓器移植にも大きく影響して、死体に執着する家族に、身内
 をドナーとして提供してもらうよう説得することはきわめて難しいのです。
・次に三番目の理由として、日本人はいわゆるボランティアの精神、博愛精神が欧米人に
 比べて薄いということです。このあたりは宗教とも関わるので、ある程度やむをえない
 ともいえますが、見知らぬ人に尽くすという発想が日本人にはあまりなく、尽くすのは
 せいぜい身内で、親子など、異常とも思えるほど一心同体で密着しています。
・日本人は身内には臓器の一部を切ってまで差し出すのに、隣の子どもにはまず百パーセ
 ント提供しない。生体肝移植は一時、親子の情愛を示すすばらしい話のようにジャーナ
 リズムは書き立てましたが、見方を変えたら、親子のエゴイズムといえなくもありませ
 ん。
・いずれにしても、身内主義が日本人には根強く、反面、知らない人にはきわめて冷たく
 無関心で、これこそ無宗教の農耕社会から生まれてきた仲間意識の残滓といっていいで
 しょう。
・脳死による臓器移植は誰にドナーが臓器がいくのかわかりません。これはどの国でも同
 様で、お礼はないが、この余の誰かの役に立つという博愛思想で成り立っているのです。
 しかしそういう考えに馴染みの薄い日本人は、誰か、わからない人にあげるくらいなら、
 やめたほうがいいと思ってしまう。この博愛思想の欠如が、残念ながら日本人の一つの
 特性といってもいいでしょう。
・いまだに臓器移植に反対する人々は、弱者である脳死者の人権を守るためだといいます
 が、それによって移植を受けられず、恨みをのんでむざむざ死んでいく人々こそ、むし
 ろ弱者ではないのかと、問いかけたくなるのです。
・科学文明の進歩に対する拒絶反応が強いというより、そういうものに反対する姿勢が格
 好いいと思い込んでいる日本人も少なくありません。これが公害反対や「自然に戻ろう」
 という運動と一緒になって、脳死や臓器移植にまで同じスタンスで反対をとなえる人が
 多く、とくに進歩派を気取る文化人にこうした傾向が見られるようです。
・とかくムードに流されやすいのが日本人で、きちんと勉強もしないで、反対するのがお
 しゃれだからだというムードだけで反対されては、むしろ迷惑です。
・新しい画期的な手術や治療に対しても日本人はきわめて慎重です。もちろんまだ体験例
 が少ないのですから慎重になるのは当然ですが、総じて誰かがやって、その結果を見て
 からという、エゴいスティックな考えの人が大半です。具体的にいうと、どのくらい安
 全なのかということをたしかめ、百パーセント安全になってから受けたいと希望します。
 しかし、どんな手術や治療でも、初めの段階は安全とはいいきれません。それが何百例、
 何千例か重ねてきて、安全度が増していくのです。
・一般の人々のなかにも臓器移植に無理解で、「人の臓器をもらってまで自分は生きたく
 ない」などと公言する人もいます。臓器移植以外では助からない人が言うならまだしも、
 健康な人がこういうことを言うべきではありません。そして自分が臓器移植しか生きる
 方法がない、これがなければ半年後には死ぬというときに、本当にいらないといいきれ
 るか、素直に考えて欲しいものです。
・また、「自然のままがいい」という理由から、臓器移植に反対する人もいます。しかし、
 いま、わたしたちは日本のどこに住んでいても、自然のなかで生きている人は一人もい
 ません。密林やサバンナの真ん中で藪蚊に悩まされ、さまざまな不便や危険な目に遭い
 ながら生きることを、自然というのです。
 
第九章 最先端医療の問題点
・いま、日本では、晩婚化によって、第一子出産の高齢化が進んでいることや、男性並み
 にハードに働く女性が増えていることなどが原因で、十組に一組が不妊症になっている
 といわれています。子どもができない、ということが珍しいことではなくなってきてい
 るのです。
・夫の精子に欠陥があるとき、妻が身元の明かされない精子を受けて出産した場合です。
 生まれてきた子供を愛し、育てることで親は満足できるかもしれませんが、子ども自身
 は、やはり自分の父親が誰なのかを知りたくなり、父親を探す会などが発足したりする
 のです。
・しかし、それは好意で精子を提供した人の、いまの生活を脅かすことにつながりかねま
 せん。同時に代理母の場合も、本当のお母さんは子宮を貸したほうなのか、卵子を用意
 したほうなのか。
・はっきりいって、いま、人間の感性のほうが医学に追いついていけないケースが増えつ
 つあり、そのことを冷静に受け止めてみなで考えてみる必要がありことは確かです。
・人が切実に望んだことを、技術の力で可能にするのはすばらしいことです。しかしその
 結果生じてくるアンバランスについて、医師もわたしたちも無関心すぎるようです。
・クーロンと聞くと、多くの人があたかも自分と同じ外見や性格の人物が、もう一人で
 きるかのように思っていますが、本当はただDNAが同じだけなのです。したがって、
 いまここで誰かのクローンをつくったとしても、そのクローンは育っていく環境でずい
 ぶん変わりますから、姿形が同じでもまったく違う人間になることも十分ありえます。
・しかしその欲求は時として、危険なことにつながる可能性も否定できません。たとえば、
 ある一国の独裁者が、自分の国家の軍事防衛のために、屈強な若者を十万人つくろうと
 したら、理論的にはクローンでつくることができます。しかも、自分のいうことをよく
 聞くように、思考力よりも、ただただ腕力が強いだけのクローン人間にすることもやる
 気になればできるのです。
・さらにクローンは有性生殖ではないので、男女の営みがなくても生まれてきます。これ
 は人間で成功したとしても、きわめて危く、弱い生き物になるかもしれません。有性生
 殖の最大のメリットは、異種が交じり合って抵抗力の強い子孫が生まれることで、この
 点でもかなり問題がありそうです。
・いま一つ、有性生殖がなくなると、男と女の愛情という概念もなくなります。男女の営
 みすなわちセックスも不要になるわけで、それだけ単純といえば単純ですが、まさしく
 砂漠のような味気ない人間関係になることはたしかです。
 
第十章 老いたら不良になれ
・日本のシニア世代はもう少し外に出るべきです。どんどん外に出て、いろいろなものを
 見たり、美味しいものを食べて、もっと余生を楽しむべきです。
・定年後の六十歳からはある意味でたいへん楽しい時代です。会社もやめて嫌な社長や役
 員にも合わずにすむし、企業倫理や社会倫理にも拘束されず、どんな相手と歩いていて
 もとやかく言われることはありません。定年になったら、本当の意味で自由に華やかに
 生きる時代がくるのですから、それを思いっきり楽しむように考えるべきです。
・日本の個人金融総資産は約千四百兆円といわれています。とくに六十歳以上の平均資産
 は二千万円を上回り、これに対して三十代や四十代は借金が多く、自由に使えるお金は
 あまり持っていません。このように六十歳以上の人は、退職金も含めてそれなりのお金
 を持っていると思われるのですが、問題はこれをほとんど使わないことです。
・ではどうしているかというと、ただ貯めてタンス預金になっているのが多く、おかげで
 お金が外に出回らないことが消費を冷やし、日本の経済をマイナスにしている要因の一
 つにもなっています。 
・ただ家にこもってお金だけ数えているのでは、日本経済にとってもプラスになりません。
 もちろん、老後のためにおる程度のお金は必要ですが、このお金を残す癖は、たぶん多
 くが農耕民族であった日本人の特徴といえるかもしれません。
・でもいまや、そういう思い込みを捨てて、自分たちが働いて得たものは、すべて自分た
 ちの世代で使い切るべきです。多くの人が「老後のために」といってひたすら貯金に励
 んでも、気が付くとお金はあっても体が動かないということになりかねません。すでに
 気力も好奇心もなく、そんな状態でお金だけが残ってもなんの意味もありません。それ
 どころか、そのお金や資産が、子どもたちの相続争いをまきおこす原因にもなりかねま
 せん。
・元来、お金は子供のために残すものではないのです。子どもに残すべきは、教育や教養、
 豊かな感性といったもので、資産やお金を残しても、いつ誰にもっていかれるかわかり
 ません。教育や教養といったものは泥棒が入ってももっていけないものですから、こち   
 らのほうが余程、価値があります。
・このように無駄なお金を残さぬよう、老人はいい意味で享楽主義、遊び主義に徹したほ
 うが素敵です。六十歳を過ぎたら、できるだけお洒落をして遊びまわる。自分が稼いだ
 ものは自分でつかいきる。そういう思想革命こそが日本の高齢者には必要です。
・アメリカでは、健康な老人は必ずボランティアをしていることです。元気なうちは、と
 ばかりに、老人が老人を介護しているし、道路をきれいにしたり、コミュニティで郵便
 配達をしたり、何でも積極的に社会とかかわり合いながら、家にこもらず外に出ます。
・アメリカでは、個人の自立を認めているので、親と子どもとの関係も非常にさわやかで
 す。老人ホームに入る前から親子関係はそれぞれ独立していて、それはホームに入って
 からも変わりません。いままでどおり二、三か月に一度会って食事をする程度のあっさ
 りした関係で、ある程度以上は身内でも深入りしない。介入しないことで程よい距離を
 保ち、仲良くしていられるのかもしれません。
・日本人はコミュニティ意識が強く、家族コミュニティ、地域コミュニティを大事にし、
 それがないと、ばらばらになり、自分の所属を見失うような不安を感じるようです。で
 も、楽しい老後のためには、古いコミュニティから抜け出すことも大事です。いままで
 のコミュニティにしがみついて、家族の顔色をうかがうのではなく、新しいコミュニテ
 ィに旅立ち、新しい友人をつくっていく、そしてそこで誰に気兼ねすることもなく、自
 由に楽しく過ごせばいいはずですが、現実には古いコミュニティと古い仲間のなかでか
 たまる人が多いようです。
・年相応に年を取って老いるなど、誰でもできるつまらないことです。それより年甲斐の
 ない人になって欲しい。
・「年甲斐もない」ということは、世間が勝手に決めたことです。人はなにも世間のため
 に生きているわけではありません。みな自分のために生きているのですから、老人くら
 い、迷惑さえかけなければ自分らしい生き方に徹してもかまわない。それはいい意味で、
 不良になるということです。
・いまは、若者の不良はたくさんいても、老人の不良が少なすぎます。もし、六十歳以上
 の人がもっと外に出て遊び歩いたら、若者の不良は減るかもしれません。なぜなら、
 「うちのおじいさんとおばあさんは不良で、全然家にいなから、俺は家に帰らなければ」
 ということにならからです。
・むろんアメリカの老人たちが楽しく生活するための基本は年金です。日本と比べ決して
 多くはありませんが、アメリカはもともと遊びの基盤となるものの値段がかなり安いの
 です。それに比べ、日本は基本の生活費が高すぎます。定年になってから日本で暮らそ
 うと思うと、それまでにかなりのお金をためないといけなくなる。
・はっきりいって老人ホームは都会にあるべきです。理想をいえば銀座のような、にぎや
 かなところにつくるべきです。
・かつて、アメリカのアリゾナに老人だけの理想郷をつくりましたが、その後、アルツハ
 イマーや痴呆が多く出たという報告がされています。これを見るまでもなく、高齢にな
 って自分の緩慢な動きに合わせるような人とばかりいて、安楽に過ごしているとボケや
 すい。したがって年をとればとるほど刺激が必要になってきます。
・面白いことに、どちらかといえば老い先が短いと思っている完全燃焼型のほうが、人生
 に目的意識があるぶんだけ、長生きで健康です。老い先短いと思って、一生懸命いろい
 ろなことをやっているうちに、また新しい可能性が見えてきて、生きている実感を味わ
 うことができるようです。反対に、もう年だからと思ってのんびり凋んでいると、どん
 どん老け込んで衰えていきます。
 
あとがき
・いま人間は人間がわからなくなっているのかもしれません。自分がなにものかわからな
 くなっている人は多いと思いますが、その最大の原因は過剰すぎる情報の氾濫にありそ
 うです。自分や人間を知ろうと思って情報を取り入れたはずなのに、それが多すぎてわ
 からなくなっているのが実情かもしれません。 
・何かわからなくなったとき、大事なのは原点に戻ることです。そこでできるだけスト
 レスを避ける方法を身につけて、自然体で生きることです。
・「元気な人は鈍い人」です。そして「健康な人は何も感じない人」です。そしてそれは
 素敵なことです。
・難しい情報や複雑な数字をいっとき捨てて、自分自身はどういう生き物で、何を望んて
 いるのか、その基本に立ち返り、昨日より少しだけ楽に生きてみましょう。そうすれば、
 明日はもっと楽になれるかもしれません。すべてにおいて、あまり真剣に考えず、いつ
 もハンドルの遊びくらいは残しておきたいものです。