九十歳、何がめでたい  :佐藤愛子

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この本は、昨年ベストセラーになったとのことで、連れ合いがめずらしく興味を示したの
で購入した。現代は、人生百年時代と言われるが、九十歳になってもまだまだ元気という
人が多くなったということで、この本のタイトルに興味を持った人が多かったのであろう
か。内容的には、この内容でどうしてベストセラーになったのか、私にはわからなかった。
ただ、「グチャグチャ飯」のお話には心がジーンと熱くさせられた。私もずっとずっと昔
のまだ中学生だった頃、ある激しかった台風が過ぎ去った翌日、妹が、まだ幼い迷子の子
犬を拾ってきて、わが家で飼い始めた。小さい犬なのでので、妹が「チビ」と名前を付け
た。その「チビ」はやはり、私が居間でテレビを観ている時など、かまってほしいらしく
居間のガラス戸の外から時々「クゥーン」と啼きながらいつもこちらを見ていた。
その「チビ」のことを思い出したのだ。やはり、あの「チビ」も私から離れなかった。も
う50年近くも前のことだというのに、その時の情景が走馬灯のように思い出されて、思
わず涙がこみ上げてきた。

来るか?日本人総アホ時代
・年寄りが敬意をはらわれなくなったのは、この急速な「文明の進歩」のためだ。進歩と
 いうものは、「人間の暮らしの向上」、ひいては「人間性の向上」のために必要なもの
 であるべきだと私は考える。我々の生活はもう十分に向上した。この九十年の間には国
 の浮沈にかかわる国難がありはしたものの、それをバネに私たちの生活は日に日に豊か
 になり便利になり知的になった。そうして「もっと便利に」「もっと快適に」もっとも
 っとと欲望は膨張していく。
・「文明の進歩」は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それに引き替えにかつて
 我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を磨滅させて行く。もう「進歩」は
 このへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人
 間の精神力である。

老いの夢
・当節は玄人より素人がもてはやされ、努力や能力よりも器量とか、オッパイとか、バカ
 なことを平気でいう度胸とかに重きが置かれるようになっている。
・「聞こえない」ということでまず困るのは、他人には(見た目には)それがわからない
 ということだ。目の悪いのは人の目にもすぐにわかる。足が不自由なのもわかる。耳の
 場合は何回も聞き返すことや、呼びかけても知らん顔をしていることでやっとわかって
 もらえる、という手間のかかるのもの。仕方なくわかったふりをして頷いたり、笑った
 り、神妙な顔を作ったりするのだが、相手が質問しているのに、にこにこして頷くだけ
 で何も言わないですましている、といったことも多分あるだろうと反省するが、だから
 といってどうにもならないのである。
・聞こえなくなった耳はもう戻らない。それは病気ではなく「老化」だからだ。
・階段を降りているとき、突然右膝から力が抜けてヘナヘナとくずれ落ちたことがある。
 それも不注意ゆえではなく「老化」ですとお医者さんに言われた。
・医師や薬に頼っても無駄だということだ。重ねてきた歳月は二度と戻らないように、歳
 月と共に傷んだ肉体ももはや戻りはしないのだ。
・若者は夢と見らに向かって前進する。老人の前進は死に向う。

人生相談回答者失格
・人はみな多かれ少なかれ、自分の人生を自分なりに満足のいくものに作るために目に見
 える血を流しているのです。当たりさわりのない人生なんて、たとえ平穏であったとし
 てもぬるま湯の中で飲む気の抜けたサイダーみたいなものです。
・駄目だと思うなら、その駄目さを駄目でなくすればいい。それだけのことだ。
・言いたいことを言えばいい。言えなければノートに書くんです。ノートに向かって思う
 さま言いたいことをぶちまける。そうすれば淀んでいるものは発散して軽くなります。

二つの誕生日
・「強く生きるコツ」とは、まず「暴れ猪」になることが必要なんです。人に迷惑をかけ、
 呆れられたり怒らせたり憎まれたり、それでもめげずに突進する。強く生きるとは満身
 創痍になることなのです。だから強く生きるなんてことは考えない方がいい。

ソバブンの話
・ふりかかった不幸災難は、自分の力でふり払うのが人生修行というものだ。したくない
 こと、出来そうもないと思うことでも、力をふり絞ってブチ当れば人間力というものが
 諦めることを教えた。耐え難きを耐え許し難きを許すこと、それは最高の美徳だった。
 自分がこうむったマイナスを、相手を追い詰めて補填(つまり金銭で)させようとする
 ことは卑しいことだった。かつての日本人は、「不幸」に対して謙虚だった。悪意のな
 い事故も悪意のある事故もゴチャゴチャにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいな
 かった。今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。
・司法は人間性を失った。情を捨て、観念のバケモノになった。何でもかんでも理非と問
 わず被害をこうむった立場の味方をするべしという規約でもあるのですがと問いたいく
 らいだ。  
・かつては子供に喧嘩はつきものだった。喧嘩によって少年は成長期の鬱積するエネルギ
 ーの毒を発散した。そして未来に向って強く生きて行くための基礎を身につけたといえ
 る。だが今は何よりも暴力は否定される時代だから、喧嘩は出来ない。喧嘩をせずにイ
 ジイジと虐める。虐められて、思いつめて自殺に走る。自殺であれば誰からも賠償を求
 められる心配もないからと、哀しくも賢く考えるかもしれない。

グチャグチャ飯
・ハナは北海道の私の別荘の玄関の前に捨てられていたメス犬だ。夜が白々と明ける頃、
 クークーキャンキャンと啼く声に家中が目を覚ましたのだった。
・人恋しさに足もとにすり寄っているこの小さな者を、北狐の出没する荒野に放棄するこ
 とはできない。
・ハナは家の中には気の向いた時しか入れてもらえず、いつもテラスからガラス戸超しに
 私を見ていた。私が居間にいる時は、今のガラス戸の向う、応接間で来客と向き合って
 いる時は応接間のガラス戸の向うからこっちを見ている。
・私は特別にハナを可愛がってはいない。日々の暮らしのついでに飼っている、という気
 分だった。何しろ私は忙しいのだ。ハナに心を寄せる暇などなかった。時々、思い出し
 たように、ハナ、元気かい、と言葉をかけて頭を撫でてやるくらい。庭に穴を掘ったと
 いっては叱り、泥足で磨いたばかりの床に上がったといっては邪慳に追い出した。
・そんなある日、思い出したことがある。北海道の別荘でハナを飼うことに決めた翌日の
 ことだ。朝の五時半、けたたましい鳴き声に窓を開けると、一匹の北狐がハナをくわえ
 ている。思わずコラーッと怒鳴って窓から飛び降りると、狐は鼻を放して一目散に逃げ
 て行き、ハナは手毬が転がるように私に向って走って来たのを受け止めて抱き上げると、
 額に狐の牙の痕が血を滲ませていた。その時のことをハナは忘れないのだろう。ハナは
 私を「命の恩人」だと思っているのだ。その恩人が少しもかまってくれないが、ハナは
 失望せず、黙って遠くから「恩人」を見守っているのか。そのうち気がついた。ハナは
 自分の小屋では寝ずに、私の寝室の外のテラスで毎晩寝ている。春や夏はともかく厳寒
 の頃も変わらない。ハナは私を守っているつもりなのだろうか。それとも捨てられた時
 のあの夜明けの、ひとりぼっちの心細さが身に染み込んでいて、少しでも人の気配に近
 いところにいたかったのだろうか。しかし私はそんなハナの心情に応えてやろうともせ
 ず、いつも忙しくいtも邪慳だった。
・この国では昔から、猫の飯は残飯に鰹節をかけたものと決まっていて、犬の飯は魚の骨
 や肉片、野菜の煮物にそれらの煮汁か味噌汁の残りを残飯にかけた「汁飯」と決まって
 いた。犬はピチャピチャと音を立ててまず汁を平らげ、それからおもむろに中身にとり
 かかる。そのピチャピチャに犬のいそいそした気持ちが滲み出ていて可愛かった。
・私はハナのご飯は昔ながらの残飯主体の汁飯にしていた。昆布だしを取った後の昆布を
 細かく刻んで必ず入れた。前に飼っていたタローはこの昆布飯で二十歳まで生きた。タ
 ローの前のチビは十九年生きた。ハナもそれくらいは生きると私は固く思い込み、昆布
 入り残飯を食べさせているから、うちの犬は長寿なのですと自慢げにいったりしていた
 のだ。 
・しかし十五年目の春が過ぎた頃から、ハナは昆布飯ばかりか何を与えても食べなくなり、
 お医者さんから「腎不全」だといわれた。腎不全用のドッグフードをすすめられたが、
 何も食べず飲まず、昼は居間、夜は私のベッドの下で二カ月ばかり寝起きして、ある夜、
 死んだ。あの昆布入り汁飯がいけなかったのか?思うまいとしても思ってしまう。私の
 胸には苛責と後悔の暗い穴が開いたままである。自分の独断と冷たさへの苛責だ。冷た
 い飼主なのにハナは失望せずに慕ってくれた。そのことへの自責である。
・ある日、娘が親しくしている霊能のある女性からこんなことを聞いてきた。「ハナちゃ
 んは佐藤さんに命を助けてもらったっていって、本当に感謝していますよ。そしてね、
 あのご飯をもう一度食べたいっていっています」「これは何ですか?なんだかグチャグ
 チャしたご飯ですね?」不思議そうにその人はいったとか。途端に私の目からどっと涙
 が溢れたのであった。
   
覚悟のし方
・俗に「恋は熱病」とか「恋は盲目」とかいわれている。愛と恋は違う。愛は積み重ねて
 昇華していくものだけれど、恋は燃え上がってやがて灰になってしまうものだ。
・歳月は覚悟も勇気もなし崩しにしてしまう容赦ない力を持っている。恋も熱病である限
 りやがては熱は下がることも。それが人間というものであり、「生きる」とはそういう
 ことなのだ。 
・どうしても結婚したいのなら、すべての反対に目をつむって覚悟して進みなされ。「覚
 悟」とは、一生意志を曲げない覚悟ではなく、長い年月の間にやがて来るかもしれない
 失意の事態に対する「覚悟」である。たとえ後悔し苦悩する日が来たとしても、それに
 負けずに、そこを人生のターニングポイントにして、めげずに生きていくぞという、そ
 ういう覚悟です。それさえしっかり身につけていれば、何があっても怖くない。
 
平和の落とし穴
・何の不足もな平穏な暮らしの中では悩んで考え込む必要がない。考えない生活からは強
 さ、自立心、何も生まれない、生まれるのは依存心ということか。平和は有難いが、平
 和にもこんな落とし穴があるのだ。
 
いちいちうるせえ
・この頃この国を、やたらギスギスとして小うるさく、住みにくいちいちうるさく感じる
 ようになっているのは、何につけて雨後の筍のように出てくる「正論」のせいで、しか
 しそう感じるのは私がヤバン人であるためだということがここまで書いてきてよくわか
 ったのである。