65歳 何しない勇気  :樋口裕一

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この本は、高齢者になったら、どう生きるか、の指南書の一つである。この本に書かれて
いる内容が、いままで自分の中で、ぼんやりとイメージしていたことと、非常に多くの点
で一致していてびっくりした。この本を読んでいて、これだ、まさにこれなのだと思うこ
とがしばしばだった。いままで自分の中で整理できないでいたことが、はっきり整理させ
てもらえたという感じがした。
高齢者になったら、もはや「しなければならない」ということに、縛られる必要はないの
だ。心の「断捨離」をしなくてはならないのだ。不必要なことはしない。頑張りすぎない。
周りに振り回されずに、自分がほんとうにやりたいと思うことを、コツコツと続ける。欲
張らず、思い通りにいかないことを受け入れ、小さなことに喜びを感ながら、気楽に生き
る。私はこれからは、そんな生き方をめざしたい。

まえがき
・65歳を過ぎて「高齢者」になったら、様々なものから解放されて自由になるのだろう、
 私は長い間、そう思っていました。仕事をしなくていい、義務もない、人から強制され
 ることもない、のんびり気ままに生きていけると思っていたのでした。
・ところが、いざ自分が65歳を過ぎてみると、なかなかそうはいきません。しなければ
 ならないことが次々と出てきます。
・いえ、本当にしなければならないことでしたら、それはそれでやむを得ないかもしれま
 せん。もっと問題なのは、実際にはしなくていいのに、しなければならないような気が
 しているのです。
・これまでの人生で得た価値観をそのまま高齢者になっても続けて、意味のない我慢をし
 たり、無理をしたり、気をつかったりしています。そうそのようなことをしなくていい
 立場になっているのに、自分でしなければならないような気がして、あれこれと仕事を
 増やし、気苦労を増やしています。そうして、むしろ人に迷惑をかけたり、自分でスト
 レスを作り出しているのです。
・しかも、高齢者になってからは、「年寄りらしくしなくてはいけない」という、もうひ
 とつ別の「しなくてはならない」が増えてきている始末です。これでは、65歳を過ぎ
 たら自由になるどころか、いっそう様々なしがらみにがんじがらめになって、しなけれ
 ばならないという強迫観念に追いかけまわされそうです。
・そこで私が考えたのは、心の断捨離です。「しなくてはならない」という考えを捨てて
 しまうことです。

我慢はしなくていい
・人が自分を幸せに思うかどうかは気持ち次第です。まったく同じような境遇にいても、
 一人は自分を「不幸だ」と思い、一人は「幸せだ」と思うのは、きわめて当然なことで
 す。幸せな老後にするかどうかは、老後の生活をどうとらえるかによるでしょう。
・現在、多くの人が「しなければならない」を抱えています。それを楽しんでいる人も多
 いかもしれませんが、苦しんでいる人も多いでしょう。私はそれを少し減らし、「しな
 くていい」と考えようと思っています。そうすると、これまでみえなかった世界が広が
 ると思うのです。 
・今の高齢者、特に七十代以上は日本の高度経済成長期を支えた人が多く、もうたくさん
 働いてきました。これからは少し、南国気質を持ってもいいのではないでしょうか。
・考えてみますと、忙しく働いている間、「しなければならない」にがんじがらめにされ
 ていたのは、社会的地位を安定させるためでした。社会全体が高度成長の中にありまし
 たので、そこから少々距離を置いていた私もその流れに乗って、収入を得るため、家族
 を支えるため、「しなければならない」をこなしたのでした。熱があっても仕事をし、
 言いたいことにも口をつぐみ、もっと収入を増やし、もっと豊かになるために、人間ら
 しく生きることを我慢したのでした。 
・しかし、今は違います。社会全体も低成長に差し掛かっています。高齢者に限らず、こ
 の低成長時代に見合った生き方というものがあるのではないでしょうか。
・私は先の成長のために努力するつもりはありません。「しなければならない」を優先し
 て我慢しようとも思いません。むしろすることを減らし、お金を使うところを選び、無
 理せず等身大に生きていこうと考えていきます。
・定年を迎え、やっと、「はじめの自分」い戻れる境遇になったのです。さまざまな義務
 から逃れて自分を解き放てるようになったのです。思春期前の時のようにもっと気軽に
 気楽に淡々と、飄々と粋に生きていきたいし、そうしていいのです。
・力の衰えは誰にでも訪れます。だんだんと元気を失い、少し前まで当然のこととしてで
 きていたことが、できなくなっていくでしょう。また、年齢を重ねるとともに、社会か
 ら重んじられなくなってしまうでしょう。それはとても寂しいことです。きっと、私も
 しばしば自分の力の衰えに愕然とし、落ち込み、悲しむでしょう。
・でも、それは自然の摂理です。受け入れるしかありません。受け入れたうえで、どう楽
 しくするか、どう気楽に生きるか、残された力でやっていくか?そのための手段となる
 のは、「しなければならない」を捨てて「しなくていい」と開き直ることです。 
・永井荷風は老後、独り身を貫きました。そして七十九歳で孤独死するまで、権力や工業
 や軍事主義お嫌い、不必要なものはすべて売り払い、しがらみを断ち、読書や歌舞管弦
 を楽しみ、おいしい食を求め、下町を散歩し、職人や踊り子たちの心を許し、自分の美
 学を守り・・・。鋭い目で、戦中戦後の日本の状況と庶民の暮らしを観察しました。
・徒党を組まず、人の威を借りて何かをすることを恐れる。つまり、組織に属しないで、
 誰かの権威に頼ったりしない。 
・他者に対して、その人のために何かを「しなければならない」と考えるということは、
 突き詰めれば、力の強い人の信頼を得て、その人の威を借りよう、徒党を組んでともに
 利益を得ようとすることにつながります。
・誰でも、若い間は、組織に所属せざるを得ない場合が多いでしょう。将来がありますの
 で、権威の力を借りる必要もあります。我慢して、「しなくてはならない」ことを精力
 的にこなさざるを得ない時もあるでしょう。しかし、高齢になった私たちは、組織に属
 さなくなったのですから、そろそろもっと自由になっていいのです。
・もはや、これまで会社で仕事をしていた人も、組織がバックになってくれることはあり
 ません。 
・組織から離れて一人になったら、考えてみると、「しなければならない」ことなど、ほ
 とんどないのです。
・多くの人が、これまでの活動の延長で、「しなければならない」「しないと大変なこと
 になる」と考えているようです。
・しかし、だからこそ、一度、永井荷風のように組織に属することをやめ、さまざまなこ
 とを切り捨ててみたいと思うのです。 
・身についてしまった「しなければいけない」という意識を捨てさえすれば、もっと自由
 に楽しく生きていけるのではないでしょうか。
・外からの「しなければならない」、そして何より、そうしたことに追われているのを美
 徳とする意識を、私はこれから基本的に放棄してしまいたいと思っています。
・もちろん、「しなければならない」という外からの圧力があるからこそ、他者に頼りに
 されているという意識を持つことができ、生きがいが生まれる面もあるでしょう。しか
 し、そうしたことにこだわる生き方と、過重労働を続けることとは隣り合わせです。
・それができるようになったのが、高齢期です。未来のために我慢することもありません。
 社会通念に無理矢理従う必要もありません。後ろ指をさされることを恐れることもあり
 ません。  
・自分からしたいと思うこと、自分のためにしたほうがいいと思うこと以外はしない。外
 からしなければならないと押し付けられることはできる限り避ける。
・私は自分なりに懸命に働いて、あれこれモノを買い込み、豊かな生活にしようとしてき
 ました。そして、今、私の家には必要な家財道具のほか、不必要な日用品、そして大量
 の本とCDとDVDがあります。これらは私のこれまでの仕事を支え、人格を形作った
 ものでもあります。しかし、これから先、この中の一体どれほどを、読んだり聴いたり
 見たりするのでしょうか。心の空虚をむやみに満たそうとするがための「ごみ」のよう
 なものではないでしょうか。心の整理とともに、思い切って捨てる必要があると考えて
 います。
・これ以上モノを増やさず、必要不可欠なものだけに限定して生きる。「しなければなら
 ない」ことにも、家の中の不用品と似たようなところがあると思います。何かをしたと
 しても、無駄なものを手に入れるだけなのです。
・荷物と同じように、若いうちはいいのですが、高齢になり体力がなくなってくると、だ
 んだんとその重みが苦痛になってきます。突然、抱えきれなくなって周囲の人に迷惑を
 かけるより、だんだんと減らすほうがましだと思うのです。そうすることで信頼も収入
 も減るかもしれません。しかし、それは無駄を減らし、身の丈に合った状況に整理した
 だけのことです。
・ただ、考えてみるに、実際には完全に捨て去ることはできないかもしれません。生活の
 ために「しなければならない」ことはたくさんあります。
・しかし、その場合もなるべく、「しなければならない」と考えるのをやめてみるのはど
 うでしょう。強制的な義務と考えると、それが「仕事」になってしまって、つらくなっ
 ていきます。それよりは「すると楽しい」「するのが私の天職だ」「まだ、頼りにされ
 ている」「まだ、役に立つことができる」と考えるのです。
・たとえ仕事にやりがいを感じ、それを天職と感じていても、身体に無理がかるようなこ
 とは私は避けたいと思います。つらいと思い始めたら、すぐにストップします。「楽し
 い」と思える範囲で、しなければならないことをしようと思うのです。
・自分で決めた目標、自分のプライドのために何かを続けるような場合の「しなければな
 らない」については、体力や気力と相談しながら守っていけばいいと考えます。
・こうしたことをやめると、もしかしたらだんだん無気力になって、体力も気力も失って
 しまうかもしれなせん。しかも、自分で決めたことですから、守ってこそ、プライドも
 守って生きていけるのではないでしょうか。
・しかし、たとえ、内からの「しなければならない」であったとしても、「逃げる」こと
 があってよいと、私は思っています。それが許されるのが高齢者だと思います。
・自分で目標を持っていたとしても、それが実現できずにいると、自分の目標にむしろ押
 しつぶされてしまいます。そして、かえって自信を失ってしまうこともあるかもしれま
 せん。そのようになっては元も子もありません。自分に課した目標も、それが高すぎる
 目標の場合は、楽しむが苦痛になり、義務になり強制になってしまいます。強いプライ
 ドは時に自分を苦しめることになります。 
・それでは、人生を楽しむことができません。あまりに苦痛であれば、それを改めてもい
 い、目標を下げてもいい、頑張りすぎないと考えたいと思っています。そう考えると、
 ずっと気楽になれます。
・老後は、何より楽しめること、苦痛を減らすことを重視すべきだと私は思います。
・お金、社会的地位といったものを考慮しなくてもよくなったからには、何よりも重視す
 べきは、苦痛を感じないこと、そして自分の幸せなのです。
・老いていく自分を嘆くのは、どうしても「引き算」の思考法になってしまうからでしょ
 う。かつての自分を満点として、そこから自分の現在の力をマイナスととらえ「あれも、
 これもできなくなった」と考えてしまいます。それではつらくてたまりません。
・完璧主義の人がいます。なんでも完璧にこなしてくれます。そのような人がいると、組
 織全体がうまく回ります。しかし、ある程度年齢を重ねたら、完璧主義は卒業したほう
 がいいと私は考えています。 
・完璧主義の人は仕事をいいかげんに終わらせることができず、どうしても時間がかかり
 ます。あれこれと見直し手直しもし、満足のいくまで手放そうとしません。しかも他者
 にも完璧主義を求めてしまう傾向があります。
・そして完璧主義者の最も大きな欠点、それは自分を苦しめてしまうことです。完璧主義
 者は少しでも傷があると、それを失敗と考えます。百点でないと気が済まず、まさしく
 「引き算」の考えになってしまうのです。
・人生で百点などあり得ません。ほどほどでいいのです。そもそも最初から完璧に一回で
 物事が解決する必要はなく、何度かやり直し、みんなの知恵を借りながら、最後にうま
 くできればいいのです。
・人間は誰もが失敗をします。失敗をフォローし合って最終的にはうまくいく社会が、よ
 い社会なのではないでしょうか。
・高齢になってあれも、これもできなくなったとは考えません。まだこんな楽しみがある、
 今日はこんなことを知ることができた、と考えます。
・義務を負った責任ある仕事をする場合は、一人でしょい込みません。できるだけ何人か
 で協力し合って、時間にも精神にも余裕のある時にするようにします。
・もう一つ大事なことは、「安請け合いしないこと」です。日本人は特に、相手に嫌われ
 まいと、リップサービスをしてしまいます。リップサービスで終わればいいのですが、
 つい「では、今度までに」「私に任せて」などと言ってしまいます。そうして余計な仕
 事を増やしてしまいます。そうして余計な仕事を増やして「しなければならない」を増
 やし、負担を増やし、できなくなると、自分を責めることになってしまいます。
・人間は自分を絶対的にとたえてしまいがちです。自分は比べるもののない絶対的存在で
 すから、そうなるのも当然です。しかし、他人から見れば、私は大勢の中の一人でしか
 ありません。私がいなくなったからといって、周囲の人にとってはたいしたことではあ
 りません。ですから、時に自分を相対化してみる必要があると思うのです。
・自分を絶対視していますと、まず周囲の人間が鬱陶しく思います。それだけではありま
 せん。自分を絶対視すると、自分自身、生きるのがつらくて仕方がないでしょう。生き
 ていくときがつらくなったとき、それは自分が肥大化している時だと私は思います。自
 分のことで頭がいっぱいになって、自分のことしか考えられなくなると、自分を大袈裟
 に考えて、周囲が見えなくなり、他人を根拠もなしに軽蔑したり、意味もなく絶望した
 りするのです。
・そんなとき、他者からの視点を考えてみます。それが「たかが」と、「されど」なので
 す。自分の考えが行き過ぎた時に、「たかが自分ではないか。たいしたことではない」
 と思います。自分を過小に考えてしまった時には、「されど自分だ。捨てたものではな
 い」と思います。そうしてこそ、自分らしく生きていけると思います。
   
無理はしなくていい
・日本では、自慢は悪いこととされています。けれども、私はしばらく前から、そのこと
 に愚問を持つようになっています。とりわけ高齢者にとっては、自慢は悪いことではな
 いと考えるようになりました。
・私の父は、地方都市で、それなりに社会的地位のある仕事をしていました。そして九十
 過ぎて、私のいる東京都の老人施設で暮らし始めました。
・父は施設のスタッフのか片を相手に、しばしば自慢をしていました。自分の故郷、家族
 の自慢などです。スタッフの方たちは上手に受け流していましたが、私はあまり自慢し
 ないように、何度か注意をした覚えがあります。父はだんだんと生きる気力を失って、
 亡くなってしまいました。 
・高齢者にとって、過去の自分の活躍は自分のアイデンティティーになっています。これ
 から活躍する分野が限定されている高齢者には「過去がすべて」といってもよいかもし
 れません。
・現在の自分の状況に自信をなくし「今はこうだけれど、昔は元気だったんだ」「昔は活
 躍していたんだ」と自分に、そうして周囲の人に示したくなります。そうしたことは、
 ごく自然な感情です。
・高齢者がそれまで暮らしていた土地から離れると、急に弱るといわれます。おそらく過
 去の自慢話をし合える人間を失い、過去の活躍を知っている人との交流を失うのも、弱
 ってしまう原因の一つでしょう。
・私は父に自慢話をやめるように論じて元気をなくさせてしまったことから、高齢者がか
 つての輝かしい時代について話したいという自然な感情を禁じないほうがいいと思って
 います。
・自慢は大事な自己アピールです。人間には自分は価値のある人間だと思うことが大事で
 す。ひとかどの人物だったという自慢もあれば、豪傑自慢、モテ自慢、失敗自慢もある
 でしょう。
・いずれにせよ、ほかの人とは異なる自分のストーリーを語ることが大事なのです。それ
 をなくしてしまうと、自信や尊厳を失い、やる気も失います。自分の価値をしっかりと
 認識して生きることが大事です。
・組織から離れて一人で生きていくとき、かつての活躍、かつての輝かしい行動など知っ
 ている人が少なくなります。それを他人にわかってもらうためには、少々自慢をしてこ
 そ、楽しく生きていけると思うのです。
・自慢は一方的にされると、こんな不愉快なことはありません。もし数人が話をしていて、
 一人だけが黙ってほかの人の自慢話を聞いていたとすると、自慢しなかったその一人は
 きっと不愉快に思っているでしょう。
・自慢は誰か一人ではなく、そこにいる人みんなが話し合ってこそ、お互いに楽しいもの
 になりますし、決して悪いものではなくなるのです。
・上手な自慢のテクニックを二つ紹介します。一つは、自己卑下を加えることです。
・それほどレベルの高い自慢である必要はありません。「私は何人もにモテた」「仕事を
 成功させていた」「家庭の主婦として理想的だった」といったことも自慢できます。そ
 れも「モテモテのわりには恋愛に失敗してばかり」「失敗して社長にひどく叱られたこ
 とがあった」「料理は苦手だった」などと加えるだけで、嫌味がなくなります。
・自慢を嫌味でなくするための第二のテクニック、それは情報と交えることです。
・「おれ、モテるんだ。こないだも最高の美女とデートしたよ!」というのは自慢ですが、
 「モテるためには、こうすればいいんだよ」という情報が加われば、誰もが喜んで聞い
 てくれます。 
・古くてもいいんです。高齢者が持っている情報は、たとえ過去の話でも、そこには往々
 にして、長年の人生経験で培われた知恵が潜んでいるからです。場合によっては、面白
 い裏話になることもあります。
・私は高齢者は自慢はしていいけれども見栄を張るべきではない、いえ、もっといえば、
 老人はもう見栄を張らなくてもいいのだと思うのです。
・壮年の間は、見栄を張らざるを得ないことがあります。お金がないのに、それなりの格
 好をしなければならない時があります。寄付金をはずまなければならないこともありま
 す。大きなことを口にしなければいけない時もあります。それもこれも、自分を大きく
 見せて信頼を得て、なんらかの利益を引き出すためです。
・しかし、老人になるともっと素直でいられます。知らないことは知らないと言えるので
 す。「昔は詳しかったけど、トシのせいで忘れた」と言っておけばよいのです。
・知ったかぶりの老人たちは、老人になってもう見栄を張らなくてよいのに、それをわき
 まえずにまだ壮年のつもりで見栄を張っている人たちは、笑い者にされます。
・見栄という重荷を捨てて、背伸びして無理をしなくて済むと考えると、ずっと気楽にな
 れるはずです。正味で生きていけるのです。これほど自由なことはありません。
・大人でもほめられると悪い気はしません。企業や組織の上層部にいるような、ほめられ
 ることとは無縁で、人から「あなたはほめる側の立場でしょ?」と思われる「オジサン」
 「オジイサン」でも、「ほめられるとうれしい」という人は少なくないのです。   
・私自身のことを考えても、人にほめられることを求めている面がたくさんあります。年
 下の友人にも、部下にも、それどころか息子や娘にもほめてほしいと、しばしば心の奥
 底で思っています。
・孤独な高齢者になると、それはいっそう高まるだろうという予感があります。高齢にな
 ってもきっとほめてほしいし、少々大袈裟にほめてもらえるとなおさら、うれしいもの
 でしょう。 
・高齢者同士がほめ合い、互いに自信を持ち、自慢に思うことを増やし合うのは、理想的
 なことではないでしょうか。「キレる老人」より、自信を持って明るく過ごす高齢者の
 多い社会になってほしいものです。
・世の中は不満と思えることだらけです。高齢者はとりわけ不満を口にします。身体が思
 うように動かなくなり、周囲も自分を重んじなくなる。その不満が家族へ向くのは当然
 ですし、デイケアやリハビリや老人ホームの催しなどに加わっても、それらはどうして
 も一律なので、一人ひとりにしてみれば不満が残ります。それが愚痴につながります。
・愚痴には本音が表れます。正当ではない、言っても仕方がないとわかっているけれど、
 言わずにはいられない本音が愚痴の形で出るのです。ため込まずに口に出すのですから、
 本人にはストレス解消になります。周囲には少々鬱陶しいでしょうが、不満の表れです
 ので不愉快に思って聞こえないふりをするのではなく、明るく対応してあげてはどうで
 しょうか。
・私は愚痴をこぼすには次のような条件を守るつもりです。
 ・第一:会話中ずっと愚痴ばかりを、とりわけ同じ愚痴を繰り返しては言わない。
     本音の吐露であるからには、たまに口にするのは仕方ありません。しかし年中
     語っていると、それはたまに漏れる本音ではなく、自分で自分を暗くする呪文
     や暗示みたいなものになってしまいます。周囲からも嫌われ、孤立しかねませ
     ん。
 ・第二:愚痴を攻撃や悪口代わりにしないこと
     目の前にいる人に攻撃の代わりや怒りの吐露として言う言葉は、もはや愚痴で
     はありません。相手を不愉快にするばかりではなく、敵対させます。
・年寄りは仙人のような境地で、すっかり枯れているに違いない。そう思っている人がい
 ます。これは完璧な誤解だと、自信を持って断言できるようになりました。
・高齢になっても、恋愛にドキドキするものです。性的な衝動を覚えます。きれいごとの
 中に高齢者を押し込めて、邪な欲望がまるで存在しないかのようにしてしまうと、誰も
 が息苦しくなってしまいます。
・人間は宇宙の中で生まれ、その中で生かされています。そして、その中で死を迎えなけ
 ればなりません。じたばたしても、たかが人間の力ですので、微々たるものです。人間
 の力で運命を変革させるこのは、少なくとも高齢者のできることではありません。
・過去も、人間の老いや死も、変えることはできません。変えられない以上、起こったこ
 とを肯定し、過去に対する考え方を変えるしかありません。
・過去をすべて起こるべくして起こったとみなし、受け入れ、与えられた人生を全うする。
 自然に即し、無理に何かを変えようとしない人生を送ることのほうが大事だと思うので
 す。  
・自分のことは自分でするのが人間の原則です。自分の意志で決め、自分の身体で動き、
 実行します。しかし、高齢者になるとそれが不可能になります。自分で動けない。いろ
 いろなことで他人を頼るしかなくなる。そうなると惨めに思ったり悲しくなったりして、
 生きる気力を失いがちです。しかし、そのような考えも改めていいのではないでしょう
 か。  
・人に依存できること、自分にできないことは堂々と依存するのが、高齢者の心得だと思
 うのです。できないことは得意な人に頼むほうがお互いにスムーズに物事が進みますし、
 高齢になって動けなくなったら、手助けを頼むのは普通のことです。
・そもそも人間は一人で生きているのではありません。支え合って生きています。現在、
 生きている人間たち同士だけではなく、過去の受けた恩を、後にあって返す支え合いの
 仕方もあります。過去に恩を受けた人が亡くなっている時には、そのお子さんやお孫さ
 ん、ひいてはほかの若い世代の人に返すこともあります。そのような支え合いのシステ
 ムの一端に自分がいると思うのです。   
・人間は個人として、幸せと生きがいを求めて生きています。それらは同時に、地域や国、
 そして人類全体の幸せや生きがいともつながっています。そうであれば、私個人に受け
 た恩も日本人、さらには人類の一人への恩としてとらえることができます。  
・私は、人間がブレるのは当然だと思うのです。自分の方針が間違っていたのではないか
 と考えると、迷ってしまって、それまでの方針を変更します。すなわち、ブレます。と
 りわけ、高齢者はブレます。体調や自分の状況に応じて、考え方が変ってきます。ずっ
 と同じ態度をとれることのほうが不自然です。
・多くの人が、ブレまいとして無理をしているのではないでしょうか。今さら、それを覆
 すわけにはいかない。そう思って、やせ我慢をしている人が多そうです。私はそのよう
 な無理をするくらいなら、さっさとブレてしまうべきだと考えます。
  
気をつかわなくていい
・計画的に物事を進めようとする人がいます。さまざまな可能性を考え、その対策もでき
 るだけ前もって準備しておき、あらゆることに備えようとします。もちろん、それはそ
 れで大事なことです。しかし、世の中は複雑です。思い通りにいくものではありません。
・これから人生も同じです。思う通りにいくはずがありません。それを頭に入れて、逸脱
 しても当然で、予定はいつ変更になるかわからないと心得ておきたいと思います。そし
 て、もっと流れに任せて気楽に生きていきたいと思います。   
・これからの高齢者は少し南国気質を持っていいと私は思います。高齢者はもう十分に働
 いてきました。とりわけ、団塊の世代から上の人たちは、高度成長期に仕事を任され、
 家族や社会を必死に支えてきました。そして、すでにそれを卒業したのです。
・引退したということは、仕事だけでなく心の持ち方も、経済成長を支えた必死さから卒
 業していいのではないでしょうか。   
・昔のぎすぎすした考え方を続けていたら自分にもストレスがかかり、周囲の人も居心地
 悪くさせるばかりになってしまいそうです。  
・近代の社会では、努力すること、頑張ることがプラスとされてきました。できるだけ努
 力し、今日できることは今日中にやってしまい、根を詰めて、時には徹夜してまで仕事
 に切るがつくまでやり遂げる。こうした行為を美徳とする風潮が続いてきました。
・しかし、言うまでもありませんが、それは壮年期までの美徳です。高齢になったら、時
 間を節約する必要はありません。頑張ってしまうと、翌日にすることがなくなってしま
 います。   
・それなのに、私たちはかつての癖がついてしまっているために、高齢になってもつい時
 間を節約して急いでことを終わらせようとし、あくせく努力してしまいがちです。それ
 ではあまりに時間がもったいない。もっと言えば、一時、一時の積み重ねが人生ですか
 ら、人生がもったいないではありませんか。  
・これから、私は明日できることは明日に延ばし、早く終わらせようとしないで、できる
 だけ引き延ばしてそのことを楽しみたい、ゆっくりと時間を味わいたいと思っています。
 人生はほどほどでいいのです。明日できることを今日やってしまったら、明日の楽しみ
 がなくなってしまいます。  
・現在の自分でよい、もっと上を目指す必要はないと考えれば、努力する必要もないので
 す。無理をせず、自分をいじめず、ほどほどにして毎日を楽しみたいものです。
・ずっと仕事を続けるのではなく、一息つき、自分を顧み、息抜きをし、娯楽や文化を楽
 しみ、自分らしい生活をするのが、「人間らしさ」といえるものでしょう。そうした自
 分らしい生活、人間らしい生活がこれまでできなかったとしたら、高齢になった時期こ
 そ、できるようになったと考えていいのではないでしょうか。   
・高齢者は悲観的になりがちです。あれこれと心配し、さまざまなことを不安に思います。
・もちろん、高齢者には自分の将来、病気、家族の状況など、不安がたくさんあるでしょ
 う。しかし、私は時に、世の中全部冗談だ」と言ってのける楽天的な視点を持ちたいと
 思うのです。  
・先々のことを考えて不安に思うよりは、今の自分を充実させることを優先させようと思
 います。  
・自分でなんとかできない時には、誰かがなんとかしてくれます。「ごめんなさい」と言
 っていいのです。誰もしてくれそうもない時は、してくれるようお願いしてみましょう。
・「なんとかなる」という楽天性の根本にあるのは、他者への信頼、言い換えれば他者が
 なんとかしてくれるという信念でしょう。最も情けないのは、他人を信用できなくなっ
 て疑心暗鬼いなってしまうことです。
・もちろん、人をだまそう、ごまかそうという人間はたくさんいます。そのような人に対
 する用心は必要でしょう。しかし、基本的に社会はそれほど非人間的ではありません。
 助けてくれる人は大勢います。人間の善意を信じてこそ、穏やかに生きていけます。で
 すから、人間と社会を信用しましょう。   
・近代社会というのは、理性によって成り立っている社会です。科学に基づき、理性的に
 社会を運営し、市民全員が法律という理性的な言葉に基づいて行動することが求められ
 ています。しかし、こうした社会は、しばしば抑圧も生み出します。
・人間は本来、理性的にはできていません。理性的な人間は、飛行機事故などは統計的に
 は無視できる数字であり、飛行機は最も安全な乗り物だと考えるかもしれません。しか
 し、私はあんな重いものが空を飛ぶことを不自然に思い、飛行機に乗る機会がある時に
 はしばしば、かなりの覚悟を抱きます。    
・高齢者になって現役を引退したということは、無理やり理性的に生きるのを強制されず
 に、本来の人間らしく、非理性的にいきることが可能になったということもあります。
・高齢者の行為は、終わらせることを目的にするのではなく、していること自体を楽しめ
 ばいいのです。    
・私が若かったことは、「進歩主義」が世界を覆っていました。人類はだんだんと進歩し
 ていく、社会はだんだんとよくなっていく。そういう幻想に包まれていました。
・しかし、実際にはどうなったでしょう。かつての平和な暮らしは失われ、人類は核兵器
 を持ち、さまざまな廃棄物に苦しめられ、テロが横行し、声高に自己主張する人々が増
 えて、暮らしにくくなっています。もちろん文明の発達によって、多くの分野で人間の
 幸福につながった面はありますが、困ったことも増えています。    
・進歩主義は日常生活にも入りこんでいます。生活していればだんだんと豊かになる。練
 習していればだんだんと上手になる。努力は必ず実を結んで最後には上達する。そうし
 たことも、形を変えた進歩主義でしょう。しかし、この種の進歩主義も実は多くの人を
 苦しめています。   
・幸い、私はやっとおぞましい進歩主義から逃れられることができました。もう私は進歩
 しなくていいのです。これほど楽なことはありません。進歩したいと思うから、それが
 できない自分を悲しく思います。昨日と比べて上達していない自分を呪います。しかし、
 そもそも上達しようと思う必要はないのです。その時々を味わえばよいのです。ヘタな
 らヘタな現在を楽しめばいい。それでも好きなら続ければいいし、つらければやめれば
 いいのです。   
・楽しみの種はどこにでもあります。一方的に見たり、考えたりするのではなく、さまざ
 まな方向を見渡して、楽しみを見つける。これこそが、楽しみの達人だと思います。
・高齢になったら、これまで以上に、不愉快な思いをして人と付き合うのが苦痛になって
 きます。若いうちは、不愉快な人が相手であっても我慢して付き合っていました。それ
 は、後々面倒なことが起こったりした時に、もしかしたら利益をもたらしてくれるかも
 しれないという下心があったからでした。    
・しかし、高齢になるとそうしたことは皆無といってよいでしょう。引退したら、仕事上
 どうしても必要な付き合いも、もうないのです。だったら、無理をして不愉快な人と付
 き合うこともないのです。   
・いい人であろうとする人は、言ってみれば他人の言いなりになるということです。自分
 の意見を持たず、それを口に出せず、誰かに従い、その指示に従うということです。そ
 れは、相手に振り回されるということでもあります。つまりは、「自分を持たない、他
 人の追従者」です。  
・もちろん、それはそれで一つの生き方です。しかし、年齢を重ねるにしたがって、それ
 は間違いなく重荷になってきます。  
・高齢になり、身体も思い通りにならなくなった時に、いつもいい顔をして他人の指図に
 従い、振り回されることはできません。いい顔をしようとすると、自分を心身ともにく
 たびれさせてしまいます。相手が配偶者だろうと、目上の人だろうと、いい顔を続ける
 のは難しくなってきます。  
・若いころからスポーツに親しんできた人には、「身体をいじめる」という考えが根付い
 ている人が多いように思います。身体をいじめて強く肉体を手に入れ、試合にそなえよ
 うというのでしょう。これままさに現在の自分を犠牲にして未来に投資しようという若
 者の考え方です。
・高齢者は未来に投資することよりも、現在を維持することを重視すべきです。身体をい
 じめると、身体は悲鳴を上げ、立ち上がれなくなる恐れがあります。
・人間の身体は日常的な活動をするようにできていると思います。運動はそもそも日常的
 な活動を逸脱する行為ですから、つい、身体へのいじめになってしまいます。 
・私が心がけているのは、日常生活を普通に行うことです。できるだけ楽しい用事をつく
 って外に出かけます。コンビニに行ったり、犬の散歩をしたり、郵便を出しに行ったり
 します。車を使わずに駅まで歩きます。時には遠回りして、鼻が見ごろになった公園や
 次に行って見たい候補のレストランの前を通ります。それだけでかなりの運動量でしょ
 う。

好きな人とだけつき合えばいい
・私はまず、車に象徴的な意味を付与するのをやめたいと思います。高齢になったら、見
 栄を張って自分を大きく見せなくてもいいのです。車を自分の能力の表現と考える必要
 もありません。
・実用面に限って考えてみると、車がないと日常の仕事や生活に支障が出る地域に住んで
 おられる人以外は、車が絶対に必要なことは少ないと思うのです。もちろん、車がある
 ほうが行動範囲が広がりますし、生きがいが生まれることもあるでしょう。しかし、そ
 のような場合でも、電車やバスはもちろん、タクシーを使うほうが安上がりでしょう。
 どうしても必要な場合は、親しくしている人の車に乗せてもらえばよいのです。
・私は、歩くことと運転することは同じ程度の能力を要するのではないかと考えています。
 つまり、年齢のせいで近くのスーパーまで歩いていくのが億劫になったら、気づかずに
 いるだけで、運転能力も間違いなく、同じように落ちていると思うのです。ですから、
 歩くのを億劫に感じ始めた時、自分から返納を考えようと思っています。
・私は「人間の生涯の幸福の度合いは、簡単に言うと愛情の総量で決まるのではないか」
 と思うようになりました。
・記憶の中にある熱烈な恋愛、温かく長く続く恋愛、あるいは家族愛など、愛情と呼ばれ
 るものの中にはさまざまな性格のものがあるでしょう。それらのすべてを合わせて愛情
 の量がたくさんある人は、きっと幸せな人生を送ったのでしょう。 
・パソコンと同じように心の中にも記憶の保存限度があり、それが愛情でいっぱいになっ
 ていると、その人の人生は幸せなのだと思うのです。
・現在、自分が幸せと感じているかどうかも、どれほどの愛情を心の中に持っているか、
 現在、どのような愛情を注いでいるかによるでしょう。家族を愛し友だちを愛し、ペッ
 トを愛して生きていれば、間違いなく充実しているでしょう。
・現役時代には、どれほどお金を稼げるか、どれほどの地位につくか、どれほどの権限を
 持つかが幸せの尺度でした。が、高齢になると、その尺度は愛情になるのです。
・私はその基本になるおは自分に対する愛情だと思います。それを持っていなければ、他
 人を愛することはできません。すべての行動が投げやりに、自暴自棄になってしまいま
 す。それでは幸せを感じられず、充実した老後も過ごせるはずがありません。 
・自分に対する愛情は、幼少期からの長い年月をかけて培われるという面があるでしょう。
 しかし、これからでも培えるでしょうし、後年になって失ったのではもたいないことで
 す。培い方の一つは、「自分に自信を持つこと」だと思います。かつて自分がしたこと
 を自慢に思い、その達成感を覚えていることです。
・最も大きな悲しみ、最も大きな孤独というのは、「自分は誰からも愛されていない」と
 思うことでしょう。
・高齢になり、人と交際しなくなり、知人や友人、家族と離れてしまうと、孤独にさいな
 まれる状況に陥りかねません。そうならないように、今のうちにできるだけ愛する人、
 愛し合える人をつくっておきたいと思っています。
・もちろん、必ずしも同居する必要はありませんし、近くにいる必要もありません。しか
 し、互いに心配し合える仲間をつくっておくことが大事だと思います。そして、愛され
 るためには、まずこちらが相手を愛することが、何よりも大事なことだと思います。
・引退後の社会では、愛情を注ぐということに見返りを求めないのが最大の原則だといえ
 るでしょう。 
・高齢になったらお返しする基盤を持っていませんので、お返しも、求めることもできま
 せん。
・そもそも愛情とは、見返りを求めるものではないのです。夫婦は相手が何かお返しをし
 てくれるからではなく、ともにいるのが幸せであるから一緒にいるのです。見返りを求
 めて、相手が自分の愛情に報いてくれないことに不満を持つと、ストレスが溜まります。
・私は家族、とりわけ自分の子どもや孫から、自分が愛しいているほどに愛されないのは
 当然だと思っています。子どもも孫も自分の仕事、そして自分の子どものことで精いっ
 ぱいです。親や祖父母に愛情を返す余裕はありません。自分が思っている半分か三分の
 一でも思ってくれれば親孝行でしょう。 
・壮年期には、社会的な成功が友人関係の上でも大きな意味を占めます。不遇な人と社会
 的に成功した人とでは話が合いませんし、生活状況が違い過ぎて互いに興味を持てませ
 ん。しかも、どうしてもしがらみが生まれて、言いたいことを言えません。
・しかし、そのような状況から脱却すると、学生時代と同じように、同等の立場で人間関
 係を築くことができます。しがらみもなく、言いたいことを言えるようになります。言
 えないような相手とは、だんだん疎遠になっていけばよいのです。そうして、晩年にな
 って無二の親友を持てることもあるでしょう。 
・私は趣味の会や何らかのサークルに参加したいと考えています。そこで共通の価値観を
 持つ友人を見つけることができるでしょう。もちろん、実際に顔を合わせなくても、会
 員交流サイト(SNS)を通じた友人関係もつくろうと思っています。
・孤独はまだしも「孤立」はできるだけ避けたいものです。そのために、私はまず家族や
 親戚とのコミュニケーションを大事にしておきたいと思っています。 
・高齢になってからの仲間づくりも大事です。大勢でなく数人でよいのです。一緒にいる
 と楽しい友だちがいるといないとでは大違いです。「組織」をつくって徒党を組むので
 はなく、話し合い、友情を交わす仲間です。
・人は一人で死んでいきます。多くの人には、一人きりで暮らさなければならない時期が
 あるものです。たとえ家族と同居していても、自分のことをわかってくれる人は少なく、
 孤独感を覚えもするでしょう。
・そんな孤独感に押しつぶされて、誰かがそばにいてくれなくては寂しくてたまらない、
 などということがないように、私は今から「孤独に生きる練習」をしておきたいと思い
 ます。テレビや映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。そんな一人で過ごす時
 間、一人で行動することに慣れておきたいと思います。
・人と人が理解し合えるとは思わないほうがよいのではないか、そのほうがむしろ互いに
 相手を尊敬できるのではないか。
・もちろん、人と人が理解し合えるのは素晴らしいことです。人間同士の相互理解は美し
 いと思います。心と心がぴったりと合い、絆を感じ、ともにいる幸せを感じることがあ
 ります。実生活でも小説や映画でも、そのような場面に多くの人が感動します。
・しかし、それは稀なことだと思うのです。たとえ、その時は心と心が深く通じ合ったと
 しても、それは長続きするとは限りません。いや時には、誤解し合っていたり、通じ合
 ったと錯覚したりします。他人の心の中などわかるはずもありません。
・理解し合えるという前提に立つから、「あの人は私のことをわかってくれない」などと不
 満を持ってしまうのだと思います。初めから、理解し合えると思っていなければ、そん
 な不満を持ちません。そもそも、「あの人は私のことをわかってくれない」と考えるの
 は、むしろ甘えだと思うのです。
・お互いに本当にわかり合えるのには、同じような価値観を持っていなければなりません。
 しかし、人はそれぞれ別の価値観を持っています。社会はさまざまな価値観の人たちの
 集まりです。他人に対して、「私のことをわかってくれない」と不満を持つということ
 は、他人に対して自分と同じような考え方をするように求めることを意味します。  
・人間は人それぞれ別の価値観を持っているのが当たり前です。でしたら、理科えし合え
 るはずがないのです。むしろ、理解し合えないからこそ、少しでもわかってもらえるよ
 うに、説明をし、自分の感情を語る必要があるのです。黙っていてもわかり合えるとい
 うのも、大きな誤解であり、むしろ不遜なことです。
・どんな苦難に満ちた日々でも、ともすれば見逃してしまうかもしれない瞬間こそ、本
 当の幸福は潜んでいる。ささやかな幸福以外に幸福はない。
・もちろん、お金は大切です。たくさんあることに越したことはありません。生活のため
 に高齢になってもできる仕事を見つけ、できるだけ長く働くのも大事なことです。しか
 し実は、生活にはそれほどの額はかからないのではないでしょうか。  
・言うまでもなく、現代の資本主義社会は欲望をかきたてることで成り立っています。消
 費者にもっと豊かさを味わいたいと思わせ、必要もないものを買わせる面があります。
 しかし、それに乗せられなければ、それほど買うものはありません。 
・ちょっと流行遅れで古びでいることを気にしなければ、新たに購入しなくても、一生着
 るのに困らないぐらいの服を、多くの人がすでに持っているでしょう。若いころは贅沢
 ができたが今は貧しいなどと思う必要はありません。生産と消費の活発な産業中心社会
 から卒業して、お金にこだわらないで済む生活を手に入れることができるのです。
・図書館など公共の文化・スポーツ施設を利用すれば、それほどお金をかねずに楽しむこ
 とができます。 
・言うまでもなく、高齢になると、一人きになる時間が多くなります。一人で決めて、一
 人で実行することが大事になります。たとえ夫婦で暮らしているにしても、体力がなく
 なってきますので、依存されてしまっても、面倒を見切れなくなってしまいます。互い
 にそれぞれ独立しているほうが気楽に暮らすことができるのです。
 
楽しいことだけすればいい
・孤独の中で楽しめることに、後期高齢者になる前に慣れておくのが、楽しく生きるコツ
 といえるでしょう。そのために私が勧めるのはライフワークを持つことです。何かの作
 品を作る、何かを勉強する、何かを読んだり見たりするといった生涯続けられるような
 作業をすることです。
・その一つに文章を書くことが挙げられます。文章を書くのも楽しい趣味の一つです。私
 は俳句や川柳や短歌を作りたいと常々思っていました。自然を見て、自分の心の中をの
 ぞいて、それを短い言葉で簡単に表すというのは、どれほど素晴らしいことでしょう。
・短いエッセーを書き続けてはどうでしょう。そうこうするうちにかなりの長さになるか
 もしれません。それを新聞に投稿してもいいし、ブログい公開してもいいし、自費出版
 して、知り合いの配ってもいいでしょう。 
・私が今後の趣味としてひそかに考えているのは、写真です。写真でしたら、自分で形を
 整える必要がありませんので、構図と色合いだけで表現できます。ひとさまに見せるよ
 うなものでなくてもよいですが、仏像や神社仏閣を写真に撮って楽しもうかと思ってい
 ます。
・私は、旅行も基本的に一人で出かけます。海外旅行も一人のことがほとんどです。言葉
 の通じない国を旅していると、その文化や風景に感動しながらも、激しい孤独を感じま
 す。話す相手もいませんし、頼る人もいません。しかし、その分、自分に向き合うこと
 ができます。新たな文化に驚くながら、その中を自分の力で生き、誰にも頼らずに行動
 します。自分一人で静かに生きることができます。
・壮年の時代は生産の時代、産業の時代です。そのころは「しなくてはいけない」という
 考えで動かざるを得ません。私もその時代には、自分本来の生き方を抑えざるを得ませ
 んでした。しかし、高齢になると、個人も「低成長時代」になり、「脱産業時代」にな
 ります。そこでは堂々と「しなくていい」を通せるのです。