「55歳」からの一番楽しい人生の見つけ方:川北義則

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60歳定年後、80歳まで生きたとして、20年間ある。その20年間の時間は約40年
間働いた労働時間と同じだという。その自由時間をいかに生きるか。悩みおおき問題であ
る。それに、誰しもが80歳まで生きるとは限らない。また、80歳まで生きられたとし
ても、現時点と同様の気力・体力を維持できるわけではない。個人差もあろうが、周囲の
高齢者たちを見ると、なんとか気力・体力を維持できるのは60代までのような感じがす
る。70代になったら、なかなか自分の思うように動ける気力・体力は、もう残ってはい
ないような気もする。
経済的なことを考えて60歳定年後も再雇用などで働き続ける人も多くなっている。年金
受給開始年齢が65歳に延長されたから、それも致し方ないが、しかし、もし65歳まで
働き続けるとしたら、65歳を過ぎて「さて自分の好きなことをしよう」と思っても、果
たして、自分の好きなことができるような気力・体力がまだ残っているのだろうか。
せっかくこの世に生まれてきたのだから、一生仕事の奴隷のままで死にたくはない。全部
は無理としても、自分のやりたいことをやってみたい。行きたい所に行ってみたい。そん
な気持ちになるのは、当然ではないのかと思う。

はじめに
・とにかく自由人となったあなたの本当の人生は定年後から始まるのだ。年甲斐もなく遊
 びほうけるのもいい。年齢とともに、体力的に多少ガタがくるのは当たり前。だが、そ
 こからが面白い。何をやってもいいのだ。
・年を取ると、健康にも気を使うようになるが、やれ健康診断だ、サプリメントだなどと
 目の色を変えるのはやめたほうがいい。健康的に生きるのはいいが、健康のために右往
 左往するのは、かえって不健康だ。
・70歳を過ぎたら健康診断なんかやめたほうがいい、診断を受けたら、おかしな箇所が
 見つかる。診断を受けなければ何も気にすることはない。後は成り行き任せの人生でい
 いではないか。
・約40年間働いてきた労働時間と、定年後80歳までの20年間の自由時間とは、ほぼ
 同じである。何もあわてて定年後の人生設計など立てる必要はない。
・定年後の予定なんて何もないのが、それこそ定年を迎えての魅力ではないのか。
・定年後こそ、誰にも遠慮することのない「自分が主人公」のときである。自分が主人公
 で、時間もお金も自由に使える。これが一番幸せな人生なのである。
 
人間、年を取ってからが面白い!
・定年後どう生きようが、そんなことは本人の勝手である。趣味に生きようが、ボランテ
 ィアに生きようが、まだまだ働けると仕事に生きようが、他人にとやかく言われる筋合
 いのことではない。大きなお世話なのだ。
・最近は、そんな定年後の生きがい探しをしている人をターゲットにした予備校的なサー
 ビスまで登場している。長年サラリーマン生活で、指示待ちの生きかたがすっかり染み
 付いた人にはありがたいサービスかもしれないが、それにしても、「お金を払ってまで
 教えてもらうことか?」と思わずため息が出る。
・何かをやらなければと脅迫観念に駆られてやりたくもないボランティアなどをするくら
 いなら、従容として無為なる日々を受け入れのんべんだらりと過ごせばいい。人生80
 年時代。先は長い。たとえ無趣味でもあせる必要はない。のんびりかまえて、自分なり
 の遊び心をじっくり育て、熟成させればいいのだ。
・65歳にならないと年金は満額支給にならないし、老後の生活不安や健康不安もある。
 元気なうちは働きたいとおうのも一つの生きかただろう。仕事が生きがい。大いにけっ
 こう。働きバチと揶揄されようが、本人が幸せならばそれでいいのだ。
・よい働き場所さえ得られるなら、給料は二の次、三の次でもいいはずだ。
・9割以上の企業が再雇用を選んでいるという。嘱託などの形で定年後も働ける会社が多
 くなったが、お薦めはしない。かつての部下に使われるのだからたまらない。人事権の
 ない先輩の言うことなど、部下はまず聞かない。ご隠居様扱いされ、外野に押しやられ
 るだけならまだましで、下手をすれば、露骨のバカにされるなどいじめにあう恐れもあ
 る。同じ職場で働けるという気安さだけで再雇用の道を選ぶと、とんだ目にあいかねな
 い。それよりスパっと定年で辞めて、別の会社に再就職したほうがいい。給料は6~7
 割程度に下がるだろうが、同じ会社にいて嫌な想いをするよりはマシだ。
・いずれにしろ定年後も働く場合は、給料もポジションも大幅に下がる。それを屈辱と感
 じるような人はやめるべきだ。
・会社というのは理不尽なものだ。どんなに一生懸命働いても、所詮、サラリーマンなん
 て捨て駒だ。クビになって仕事は仕事と割り切れるようになった。
・人生は一本道ではない。その気になって少し道草をすれば、「あれ、こんなところにも
 道があったか」と意外なルートや抜け道が見つかるものだ。
・人生正解はない。数字のように絶対不変の解答などないのだ。だから、つまずいたら別
 の道を探せばいい。そして、それまでとは別の場所に新しい花を咲かせばいいのである。
・「足るを知る」とは、足りないものをさらに追い求めるのではなく、すでにあるもの
 でよしとする。欲望を自制し、分をわきまえることの大切さを説いたものだ。
・あれも欲しい、これも欲しいと欲をかかない、ないものねだりをしない。足るを知り、
 人生のあらゆる場面で「ほとほどでよし」とすれば、自ずと人生は楽しくなる。
・日本人はいつの間にか欲望を肥大化させ、小さな幸せ、楽しみを顧みなくなった。「頑
 張ればなんでもできる」式の多幸症的な幸福感が、メディアを通じてばら撒かれてきた
 ことと無縁ではない。
・幸福は追い求めすぎると、何が幸福なのか、幸福そのものが見えなくなる。
・企業のマーケティングにあおられて、本当に自分が望んでいるのかどうかも怪しいよう
 な「とてもつまらない夢」を追いかけさせられている人が、多過ぎるような気がする。
・あまりにも肥大化した幸福願望の裏返しとして、夢破れたと感じたとき、無限大の悲し
 みや絶望に襲われ、心が押しつぶされてしまうケースもあるのではないか。
・やりたいこと、やり遂げたいこと、かなわないこと、諦めざる得ないこと。幸福のレベ
 ルやサイズは、たぶん、その糸の器量とイコールになるようにできている。
・50歳代半ばから考えるべきは、定年後に向けて、身の丈に合った幸福をいかに手に入
 れるかだ。背伸びはいただけないが、できるのに尻込みをすることはない。やりたいこ
 とがあるなら、後に悔いを残さないように、迷ったら「する」を選ぶ。幸せは探すもの
 でなない。自分の心が創り出すものだ。
・足るを知れば、人生は楽しい。ブランドものなど持たなくても、海外旅行になど行か
 なくても、スーパーで買ったポロシャツを着て、近所を散歩し、ベンチで本を読む。そ
 れだけで十分幸せな人もいる。他人がどう思おうと、自分が幸福ならばそれでいいのだ。
・残された人生の資源は、大事にしないといけないし、有効に使うべきだろう。それには、
 本当に自分が大切にしたいものだけを大事にする。いらないものは思いきって捨てる。
・現役のうちは義理やしがらみを断ち切るのは難しい。しかし、定年後はいつまでも義理
 立てすることはないし、放っておいても3年もすれば、会社関係のしがらみなどは自然
 と薄くなる。だから定年を迎えたら、サッサと義理など欠けばいいのだ。「義理欠き宣
 言」をする一方で、暮らしの無駄を一掃し、シンプルライフに徹する。
・モノを捨てれば、人はがらんどうの空間で己の裸の心と向き合うようになる。
・モノに執着せず、捨て去ることと、ときには贅沢を惜しまない心とは、一見すると矛盾
 するようだが、そんなことはない。無駄をそぎ落とし、自分にとって本当に大事なこと
 は何かを見つめ直したからこそ、そういう心の贅沢ができるのだ。
・無駄をそぎ落としていけば、本当の自分に出会えるし、一番自分らしい生きかたができ
 る。定年後の人生は、そのように生きられる最初で最後のチャンスなのだ。
・失った若さを嘆いたり気に病むより、残された時間をいかに有意義に過ごすかを考えた
 ほうがずっと健康的だ。その際、「残された時間はあとこれしかない」と急き立てられ
 るように「何かをしなければ」と考えるのはよくない。「まだこれだけあるじゃないか」
 と与えられた時間に感謝しつつ、今日一日を精いっぱい大事に生きるようにしたい。
・何かを失うのは辛い。そんなときは代わりに何を得ているかを考えよう。何かを失う
 ことは何かを得ることだ。失うばかりの一方通行はない。必ず何か得るものがある。
・人生、前向きのプラス発想で生きるのはとても大事なことだが、過ぎれば、加減のバラ
 ンスが崩れてしまう。プラス発想のできない人はまるでダメ人間であるかのような昨今
 の風潮は、人によってはマイナス施行への恐怖心すら植え付ける。
・ひたすらプラス発想で山を登り続けるのがいいが、自分の力量を見誤ると、自分だけの
 未踏峰を極める前に、足を踏み外して、真っ逆さまに谷底へと転げ落ちてしまうかもし
 れない。
・定年世代にとって大事なのは、自分の身の丈にあった定年後の生き方を考えることだ。
 それには無理をしない、見栄を張らない。頑張りすぎないことである。
・定年退職してせっかく自由を手に入れたのに、まるで誰かと競うように日本百名山の全
 山制覇をめざす人が少なくない。本当の山好きは惚れ込んだ山に何度も登る。一度登れ
 ばよしというスタンプラリーみたいな登山は本当の山好きのすることではない。
・真面目すぎる人は、限界を超えて頑張りすぎる傾向があるので、特に注意が必要だ。真
 面目に生きるのは素晴らしいことだが、過ぎれば、必ず心身にダメージを与える。

おしゃれを忘れた中年は寂しくなる
・いつまでも子供の心を失わないのは、何にでも興味を持って、くだらないことでも面白
 がれる人だ。好奇心旺盛がいい。
・定年後を楽しく過ごすにはお利口になったらダメで、くだらないことを真面目に面白が
 れる、いい意味での「バカ」にならないといけない。子供のような「馬鹿力」こそが老
 いを楽しいものにするのである。
・どれだけ楽しみにしていたことでも、そればかりやっていたら、人間誰でも飽きるもの
 だ。
・趣味とは、長く続けてもあきないもの。
・鈍った感受性をいま一度研磨し直すには、①発送の転換をする、②やったことのないこ
 とにチャレンジする、③やりたくてもできなかったことに挑戦する、の三つの方法を試
 してみるとよい。
・人生に無駄はない。心持ち一つで、無駄は無駄でなくなる。
・定年後の時間は膨大だ。それを印象深い、なるべく多くの「生きられた」時間にできる
 かどうかは、一見、無駄と思えるような時間をいかに楽しめるかにかかっているのだ。
 無駄を受け入れ、楽しむ心のゆとりを持ちたいものだ。
・いまや多くのサラリーマンは、仕事一辺倒で、本来なら働くこととセット
 であるはずの、生きるのに必要な学びや遊びは、すっかり脇に追いやられている。だぶ
 んそのことが、定年後の長い人生をつまらないものにする。
・働くだけではいけない。現役のうちからもっと学び、遊ぶべきだ。わけでも学びは大事
 である。学びは本来それ自体楽しいものだが、遊びをクリエイティブにするなど定年後
 の人生をより豊かなものにしてくれる。
・楽しみというのは心の内にある。花を愛で、読書や旅の風流を楽しめるかどうかは、本
 人の知性や感性次第という。
・それには知性や感性を磨くための学びが欠かせない。といっても何も難しく考えること
 はない。まずは新聞を読むことだ。それから、本を読もう。新しいものを手に取るのも
 いいが、古典や名作全集のような評価の定まったものを徹底的に読破するのもいい。人
 たりするものだ。
・学びは、生きることに意味を与え、定年後の人生を必ず豊かにしてくれる。学びの対象
 は無限である。いくつのなっても学ぶべきことはある。そして学んだ分だけ、人は成長
 できる。無論、ボケ防止にもなる。
・人は年を重ねただけで老いるわけではない。心の若さを失うとき、老い朽ちるのだ。肌
 年齢は心の若さと比例するという説があるそうだし、老人の痴呆なども好奇心をなくす
 と進みやすいそうだ。若さとは、気の持ちよう一つなのである。
・好奇心は気持ちを若く保ち特効薬だ。使わない手はない。周囲とか世間とかいっても、
 あなたのそれは、せいぜい何十人、何百人だろう。そんな小さな「世評」を気にして、
 やりたいことを我慢するなんて、どうかんがえてももったいない。
・老いない生き方をするには、老いの繰り言で、「あの頃はよかった」と過去を懐かしん
 だり、いまの境遇をあれこれ嘆くだけの老後はつまらない。昔のよい思い出は、その人
 の過去を豊かに彩りはするが、それよりも「いまが一番幸せで楽しい」と思える人生の
 ほうが、生きる喜びは格段に上だろう。
・ケセラセラ(なるようになるさ)で物事を前向きにとらえるようにしよう。少々辛いこ
 とがあっても、いままで何とかなってきたではないか。それが証拠にあなたはいま生き
 ている。

金がなくても幸せ、とはいかない世の中
・50歳代も半ばになったら、ぼちぼち減速し、定年後どんなふうに過ごすが、どう過ご
 したいのか、会社や仕事から自分自身へと軸足を移し、大まかな青写真を描くようにし
 たい。
・定年後を楽しむには何かとお金がかかる。旅行会社の「退職記念旅行」など団塊マネー
 を狙った「退職ビジネス」がかまびすしいが、こんなものにまともにつきあっていたら、
 それこそ退職金などいくたあっても足りない。すぐになくなってしまうだろう。
・「老後資金を豊かにしたい」という庶民感情につけ込んだ違法な先物取引などで、莫大
 な被害を被るシルバー世代が増えている。虎の子の退職金を、得体の知れない儲け話で
 むしり取られることのないようにしたい。
・60歳代の夫婦二人の最低限の暮らしを維持するには月約23万円、ゆとりあるセカン
 ドライフを送るには月38万円必要なそうだ。 
・実家に寄生するパラサイトな息子や結婚に失敗して出戻った娘などがいる場合は、食費
 などの負担もさることながら、その子らの将来が心配で、おちおち遊んでもいられない
 だろう。リタイアするまでに、子供たちは何としても自立させるべきだ。
・50歳代半ばになったら、年金、貯蓄、退職金を総点検し、おおよその資産をしてみる
 ことだ。
・リタイアしても、「この先どれだけお金がかかるかわからないから」とそれまでと同じ
 ように節約生活を続ける人がいるが、そんなことをしたら、いつまでたっても貯めるだ
 けの人生になってしまう。
・「金なんていくらあっても天国までは持って行けやしないよ」
・ほとんど預金がないならともかく、それなりの蓄えがあり、まとまった退職金ももらっ
 ているなら、何もそうケチケチしることはないではないか。月に23万円くらいあれば、
 何とか夫婦二人の老後の生活はやっていける。貯めるより、いかに使うかに発想を切り
 替えたほうがいい。人生を楽しむことにかけては世界一と言われるイタリアでは、遺産
 を残さないで死ぬのが最高にカッコいい生きかた(逝きかた)だとされているそうだ。
・残された人生の資源は大切に使わないといけない。それには暮らしの無駄をそぎ落とし、
 自分にとって本当に大事なものは何か、見極めることだ。そうすれば、一番自分らしい
 お金の使い方ができるようになる。それほど大事でないモノやコトは質素倹約ですま
 せ、大事なモノやコトにはちょっと贅沢なお金の使い方をする。
・財産を残せば子供が幸せになる?それはとんだ考え違いである。思わぬ大金を手にして
 人生を誤る者もいるし、子供や親戚を巻き込んだ争いごとになることもある。それこそ
 小さな家一軒のために子供たちが骨肉の争いを繰り広げ、以後、終生、絶縁状態になる
 ことだって珍しいことではない。下手に財産など残すと子供が不幸になるのだ。
・貧乏性というのだろうか、定年後も節約倹約で少しでもお金を残そうとする人がいる。
 「この先、いくつまで生きるかわからない。どんな大病を患うかもしれない。蓄えはい
 くらあっても多過ぎることはない」、そんなふうに考えてしまうのだろう。
・お金というのは、あるならあるなりに、ないならないなりにつきあえば、それなりに幸
 せな生活が営めるようにできている。普通に食べていけるだけのお金は、やはりないと
 困る。そのうえで、ないものねだりせずに、ないならないなりの幸福を見つけるのが賢
 い老後の生きかただと思う。
・足るを知った生き方ができれば、もっとお金を増やしたいなどとおかしな欲はかかない
 はずなのだ。しかし現実はどうかと言えば、定年後もお金を増やしたい人は少なくない。
・小遣い銭程度の資金でボケ防止の頭の体操のためにやるならいいが、ろくに勉強もしな
 いで虎の子の退職金を先物取引に投じるなど正気の沙汰ではない。
・ハイリスク・ハイリターンの投資商品で一発当てようなどと愚かなことは絶対に考えな
 いことだ。さもないと、とんでもない詐欺や悪徳商法などにコロリと騙されかねない。
 欲というのは、心の鍵を甘くするからだ。
・ふさわしいのは、ノーリスク・ノーリタンであり、増やすより使うことだ。
・一般に騙されやすい人は次のような人だ。
 ・人の言うことを鵜呑みにする人
 ・頼まれると断りきれない人
 ・自分を厳しく律することができない人
 ・他人の身の上の同情しやすい人
 ・物事を深く、慎重に考えない人
 ・ギャンブルが好きな人
 ・せっかちで早とちりしがちな人
 ・人一倍プライドの高い人
・なかでもいちばんやっかいなのは、人一倍プライドの高い人だ。足るを知る人は、ない
 ならないなりの生活をすればいいと考えるが、自尊心の強すぎる人はどいしても山の頂
 きを見てしまう。麓にいることに満足できない。しかも退職金をもらったりすると、金
 額が大きいだけに、つい気も大きくなる。そこを悪い連中に突かれるのだ。
・ローン返済が負担でないなら、退職金で一括返済しないで、そのまま払い続けたほうが
 いい。むしろ考えるべきは、病気による長期入院など不測の高額出費への備えであり、
 退職金の近い道としてはそのほうがふさわしい。
・定年世代が新たにローンを組む場合は、年金生活でも負担が重くならないように借り入
 れ期間をなるべく長くして、毎月の返済額が少なくなるようにしたほうがいい。
・月々の負担は大きいが、やはり早く返済したいからと十年でローンを組んだがいいが、
 やっぱり生活が大変だからに二十年にしたいと言っても、そう簡単に金融期間は認めて
 はくれない。最初から月々の負担を軽くすることを優先したほうがいい。
・日本で年金暮らしをするのた大変。生活水準を落とさずに定年後を過ごしたいから東南
 アジアでロングスティという発想は、いかがなものか。海外のロングスティは為替の変
 動をモロに受ける。
・定年後、海外でロングスティを安心して楽しむには、やはりそうした経済変動リスクを
 吸収できるだけの資金的余裕がないと、いざというとき大変である。
・日本人は外国に行っても日本人会などをつくって群れたがる。これがまた行動範囲を狭
 くし、つきあいが密になればなるほど出費もかさむ。海外に行ってまで現地の日本人社
 会の人間関係に疲れていたら、何のためのロングスティかという話だろう。日本人の田
 舎暮らしと一緒で、言葉を覚えるなどして現地に溶け込む努力をしないと、楽園の夢な
 どあっけなく潰えてしまう。
 
人に頼らず、女房に頼らず、いい人間関係
・日本人は「お盆の上の小豆」と言われるように、もともと他人の顔色をうかがい「みん
 なと一緒」のことをしたがる傾向が強い。「みんなと一緒」は日本人のDNAに深く刻
 まれた性なのだろう。わけでもいまどきの定年世代である団塊の面々は、群れたがりが
 多いようだ。しかし、「みんなと一緒」のクセや発想はいい加減卒業したほうがいい。
 人間、いつかは一人にならざるを得ないときがやってくるからだ。
・老いは孤独への一本道だ、核家族化したいまの世の中、子育てを終えれば、夫婦二人の
 暮らしとなり、いずれはどちらかが帰らぬ人となる。心中でもしない限り、夫婦は同時
 には死ねない。
・人生八十年時代、自分が先に果てるとは限らない。それに最近は熟年離婚のように思わ
 ぬ形で一人暮らしを余儀なくされるケースだってある。人生どこで何が待っているかわ
 からない。「オレには友達がたくさんいる」などと言ったところで、人間、老いには勝
 てない。一人減り二人減りしてだんだんいなくなる。これで子供も授からず、ご近所づ
 きあいも苦手となったら、まさに孤立無援だろう。
・老いるということは、孤独に耐えることである。その恐怖に打ち勝つには、いまのうち
 から自分が一人になるときの心の準備をしておくべきだろう。
・まず、自分一人だけの時間を持つように心がけることだ。次に、一人で行動するクセを
 つけることだ。そして三つ目は、奥さん任せだった「料理、掃除、洗濯」の三大家事に
 なれること。
・まずは食事の後片付けをする。洗い物をやる。掃除や洗濯をする。周に二、三度は外食
 するのもいい。昼間はなるべく家をあけて妻を一人にしてやることを考えよう。妻が出
 かけるときには、あれこれ詮索せず、「楽しんでおいで。気をつけて」と気持ちよく送
 り出してやる。そんな気遣い一つで心が和む。定年後の家庭円満の秘訣である。
・定年後、夫は妻と旅行に行きたがり、妻は女友だちと旅行に行きたがるという。夫は会
 社を離れれば、途端に人間関係が希薄になる。現役のうちから会社以外で友人をつくっ
 ておかないと、それこそ一緒に遊ぶ相手もいなくなる。
・夫は妻のほかに一緒に何かをする相手がいない。いきおい、どこに行くにも、「わたし
 もわたしも」と「濡れ落葉」のようにくっついて歩くことになる。
・定年後の夫婦関係の基本は、互いの行動にあまり口を出さず、独立した人間として尊重
 すること。つかず離れずの自立した夫婦で、常に適度な距離を保ち、いつもべったりと
 一緒にいないことだ。
・定年後の夫婦は、いわば戦い終わった戦友のようなもの。妻への感謝、いたわりの気持
 ちを忘れないことだ。そしてそれまで家のことを切り盛りしてきた妻の立場を尊重し、
 何かと立ててやる。
・それには居間に居座らないことである。そこで定年後は、妻の王座を奪うことなく、
 自分の王国を築くことである。一番現実的なのは、独立して空いている子供部屋を居城
 にすることだ。そこで好きな本を読んだり、音楽を聴いたりすればいい。
・就寝や起床の時間など生活のリサイクルが夫婦で違う場合は、寝室を別にするのも手だ。
 どちらかのいびきがひどい場合などは夫婦別床にすることで睡眠の質も大きく改善され
 る。
・妻には好きなようにさせて、刺激ある日々を過ごしてもらうことだ。自分が先にボケて
 しまうより、妻が先にボケたほうが介護が大変である。
・一般医女性は家事ができるので、一人暮らしへの対応能力が高いが、男性はそうではな
 い。その点、家事を覚えておけば、万が一、妻に先立たれたとしても困らない。
・ボケ防止のためにも定年後は舵全般をこなし、どんどん厨房にも入ったほうがいい。た
 だし、仕事と同じように完璧にこなししすぎるのはよくない。妻の存在意義を失わせて
 しまう。妻のプライドを傷つけないような、いい塩梅が肝要である。
・いざ熟年離婚の危機に直面したらどうすればいいか。もう顔を見るのも嫌だというなら、
 打つ手なしだが、別に憎しみあっているほどでないなら、「ペーバー離婚」で籍だけ抜
 いて、とりあえずそのまま同居してみる、というのはどうか。それまでと同じような生
 活をしていても、戸籍上はすでに他人だから、「彼はもう夫じゃない」「彼女はもう妻
 じゃない」とお互い割り切って相手を見られるようになる。すると不思議なもので、そ
 れまではなかった遠慮や気遣いが生まれて、案外二人とも自由に、気軽に同居生活がで
 きるらしいのだ。
・人はいつ一人暮らしを余儀なくされるかわからない。だから、一人で映画を観たり、食
 事をしたり、旅をするなどして、なるべく孤独に慣れておく必要がある。
・いくつなっても恋のできる人は素敵だと思う。異性にトキメキを覚えるのは、前頭葉を
 活性化する最良の方途の一つだ。その恋の行方が婚姻届まで発展した場合は、後で相続
 で揉めないように、必ず遺言状や手紙で子供に明示しておくことだ。きれぐれも相続を
 甘く見ないことである。
・第二の人生を考える場合、子供が独立しているかどうかは決定的に大きな意味を持つ。
 すでに独立しているなら、リタイア後の生活費は、すべて自分たち夫婦のためだけに使
 える。しかし、家に寄生したパラサイトな息子や娘がいる場合は、そうはいかない。子
 供のせいで自由にお金が使えないばかりか、どんどん蚕食されていく。
・パラサイトな息子や娘がいるなら、タダ飯を食わせ、タダで雨露しのがせるような甘や
 かしはただちにやめるべきだ。そんなことをしているから、コンビニのバイトでもそれ
 なりに楽しく生きられてしまうのである。
・パラサイトフリーターというのは、案外、いい身分なのである。だから一度その味をし
 めるとなかなか抜け出せない。クセになる。どこかでその悪癖を断ち切らないと。いつ
 か親も子供も手痛いしっぺ返しを食らうのではないか。
・まずは親が子供への甘やかしを捨てること。そして毅然として食費と部屋代を要求する
 ことである。
・うちはもう所帯を持って独立しているから大丈夫などと我関せずの人がいるが、どっこ
 い安心はできない。子供夫婦と適度な距離を保っているならいいが、干渉が過ぎると、
 それが原因で離婚してしまい、で戻ってきたりすることもある。こうなると、せっかく
 の肩の荷が下りたのに、またやっかいなことになる。それこそ子連れて戻ってきたりす
 れば、孫の世話までしなければならない。だから、子供夫婦のことには干渉しないこと。
 孫のことにも口出ししないことだ。
・いつまでも親の手を煩わせるパラサイトな子供が少なくない昨今、定職に就いて、ちゃ
 んと独り立ち出来ているなら、それだけで十分親孝行というものではないか。だから、
 子供などアテにせず、恬淡として晩年を生きたほうがいい。下手にアテにしていると、
 頼りにならないとわかったとき、惨めである。
・口うるさく孝など説かずとも、ちゃんと親の面倒を見る子供はいる。子供は、親が育て
 るように育つ。無論、すべてではないが、その面が少なくない。親は人生の佐伯に子育
 ての答えを突きつけられるのだ。
 定年を迎え会社を離れると、年賀状も中元歳暮も激減する。潮目を見ながら人付き合
 いをするのが、会社というサラリーマン社会の人間学だ。
・「友人などいなくても一人で楽しい老後は過ごせる。一人で楽しめる趣味もある」。こ
 ういう孤独を楽しめる人はいい。しかし、農耕民族は概して孤独の弱い。いざ定年を迎
 えて「友人がいないのは寂しい」と、人恋しさに襲われる人は少なくない。
・定年後、新たに友だちをつくるのはなかなか難しい。学生時代の同窓生と連絡を取り合
 ったり、趣味の仲間を見つけるなど、肩書きを外して付き合える人間関係をいまのうち
 につくっておくことだ。
・友人は、受身で待っていてはできない。自ら行動するしかない。とにかくいままでとは
 違う環境に自分を置くことである。
・旅や趣味は新たな出会いの宝庫だ。
・友だちをつくる五つの注意点
 ・身分の上下にかかわらず、損得抜きでつきあう
  学歴や肩書きをひけらかさない。相手を学歴や肩書きで見ない。 
 ・なるべく明るく振る舞う
  明るく陽気な人のところには人も運も集まってくる。
 ・聞き上手になる
  自分の関心両駅に相手を引っ張りこんで、一方的にしゃべりまくる人がいるが、あれ
  はいただけない。聞かされるほうがたまったものではない。
 ・謙虚になる
  自慢話はしない。相手が素晴らしいと思えば、素直に褒める。自分に非があれば、す
  ぐに謝る。自分を高みに置いて相手の粗探しばかりしない。
 ・なるべく若い友人を持つ
  気持ちが若くなり、老化防止になる。
・とはいえ、友だちを増やそうと無理して付き合うことはない。そのためにくたびれてし
 まったのでは何のための友だちかわからない。「合わないな」と思う人とは無理して付
 き合わないことだ。せっかく会社のしがらみを離れることができたのだ。付き合いたい
 人間のストライクゾーンは狭くて当然だ。必要以上に他人とうまくやろうと思わないこ
 と。 
・生涯の友を得るには、相手のためにできるだけを精いっぱいして、けっして見返りを求
 めない「グブ・アンド・ギブ」の精神がないと無理だ。「これだけしてやったのだから、
 あいつもこれくらいのことはしてくれて当然だ」などとした心があったら、いずれ二人
 の関係は破綻するだろう。
・大切な友人とはまめに連絡を取り、交流を絶やさないことだ。
・いくつになっても異性の友だちがいるというのはいいものだ。私にもそういう存在が何
 人がいるが、たまに会って食事をするだけでも、けっこう楽しい時間が過ごせる。
 でも、絶対に一緒に映画を観たりコンサートに行ったりはしない。なぜか。それをやっ
 ちゃうとデートになっちゃいますから。
・食事をし、お酒を飲むなら、異性と一緒のほうが断然楽しい。不倫の関係ではない異性
 の友人は、定年後の人生を必ず豊かにしてくれる。
・いざリタイアすれば、地域とのかかわりは嫌でも増える。会社のつきあいがやっとなく
 なったと思ったら、今度はご近所づきあいをしないといけない。これをうまくやらない
 と、定年後の暮らしは、たちまち面倒なことになりかねない。
・ご近所づきあいは、気の合う人ばかりではないと諦め、なるべくストレスのない範囲で
 のつきあい方を考えることだ。
・定年後、上手にご近所デビューをするには、何をおいてもまずきちんと挨拶をすること
 だ。挨拶は人の心を開かせる最良の薬である。それも相手より先にするのがポイントだ。
・町内会活動は、あつきあい程度ですませるのが無難である。下手に役員などを引き受け
 ると時間も取られるし、冠婚葬祭などの出費もバカにならない。
・会社の肩書きをそのまま町内会の役員会などに持ち込み、上から見下すようなもの言い
 をして顰蹙を買う人がいるが、これも気を付けないといけない。
・どんな組織でも新参者はその組織の流儀を知らない。それを自分のいた会社の常識をモ
 ノサシにして、「こんな非効率なやり方は改めたほうがいい」などと言えば、たとえそ
 れが正論であったとしても、それまで組織の運営にかかわってきた人たちは面白かろう
 はずがない。波風が立つのは必死である。
・よからと思った改善提案であっても、古くからいる人たちを差し置いて仕切ろうとすれ
 ば、必ず嫌われる。地域の付き合いでは、でしゃばらず、脇役に徹するのが鉄則である。
・「ご近所」とは、つかず離れず、適当に付き合うのがいちばんいい。

年甲斐もなく遊び、生きればいいじゃないか
・大会社の幹部社員として肩で風を切って歩いていたのに、定年退職した途端、花が枯れ
 るようにしょぼくれてしまう人がいる。一方で現激時代、大きな出世はかなわなかった
 ものの、第二の人生は趣味に遊びいきいきと過ごす人もいる。その差は何か。思うにそ
 れは、現役のうちに会社離れをする準備ができていたかどうかの違いではないだろうか。
 サラリーマン人生は、所詮、会社から与えられたものだ。どれだけそこに大きな生きが
 いを見出したとしても、辞めれば、拠り所は失われてしまう。それに気づいた人は現役
 のうちに少しずつ会社離れができるが、気づかない人はやめた後も会社に未練を残す。
 その思いが強い人ほどアイデンティティの喪失感も大きい。心にぽっかり穴が開いてし
 まう。
・会社の肩書きがなくなれば、ただの人。問われるのは裸の人間力なのに、リタイアした
 後もそれまで勤めていた会社の大判の社封筒を持ち歩いたりする。セカンドライフを第
 一の人生と同じ色に染めようと思ったら辛いだけだ。ゆがんだプライドは、哀れで遺い。
・会社は利益共同体だから、そこでの人間関係はどうしても義務的であり、妥協と打算の
 産物になりがちだ。会社の肩書きあっての人間関係なのだ。肩書きがなくなることの落
 差は、なくなって初めてわかるほど大きなものである。会社の肩書きが捨てられない人
 は、それがわからない。
・現役のうちから会社離れをする準備を始めておくほうがいいということだ。六十歳定年
 なら、その後も働くにせよ、完全にリタイアするにせよ、五年前の五十五歳くらいから
 その準備にかかるのがちょうどいい。
・たとえば、会社の肩書きを使わない生活を意識的に心がける。生活レベルも定年後の収
 入に合わせる。年金生活はもとより、再雇用や再就職などで働くにしても収入は大きく
 下がる。それまでのせいぜい三~七割程度だろう。それを想定して、ある程度慣れてお
 かないと、後であまりの落差にショックを受ける。
・リタイアする場合は、「毎日が日曜日」になっても戸惑うことがないように意識して、
 プライベートを楽しむ時間を増やしていく。映画や芝居、コンサートなどに足を運んだ
 り、週末には小旅行に行くなど、自分なりの遊び方を覚えていくといい。
・いまや巨額の団塊マネーは、「夫婦二人で豪華な船旅はいかが?」とか「二人だけでの
 記念ダイヤのペンダントはどう?」などと、旅行業界やホテル業界はもとより、宝飾、
 不動産、自動車、外食、レジャー、果てはパチンコ業界まで、数多の業界、企業から、
 文字通りハイエナのごとく狙われている。
・六十~六十二歳で仕事を続けている男性は約八割。みんな働いているのだ。定年後、
 「毎日が日曜日」になる完全リタイア組は五十歳代後半で二割にすぎない。
・団塊と一括りにしがちだが、もとより一色ではない。多額の退職金が手にできて、たっ
 ぷり蓄えもある大企業やお役所勤めの人などはほんの一部にすぎない。となれば、いつ
 まで生きるかわからないし、将来の医療費や介護費用も心配だ。働けるうちは働いて、
 将来に備えたいと考える人が多いのは、ある意味、当然ともいえる。
・団塊の世代はモノよりサービスにお金を使う傾向が強い。しかもお仕着せ嫌う。パック
 旅行より自分でプランを作る個人旅行を好む。
・従来、定年世代向けのビジネスといえば、やれ海洋クルーズだリゾート物件だと主に
 富裕層を狙った高額な商品・サービスが目についた。今後は定年後も働くが、プライベ
 ートも大事にしたい人たち向けの格安乗り放題切符のような「お得感」のある「ちょっ
 と手軽に遊べる」商品・サービスが増えるのではないか。
・サラリーマン時代は、とかく肩書きを重視するが、そんなものは会社を辞めてしまえば
 なんの役にも立たない。本当に能力が高く、実力のある人であれば、会社を辞めても必
 ず生きていけるものだ。
・定年後、いきなり起業するのはリスクが大きい。現役のうちから、二足のわらじで練習
 を積むのは悪くない選択である。
・起業の志もないのに、思いつきの動機で、いきなり開業したところで、うまくいくはず
 がない。苦労するのは目に見えている。
・再雇用や再就職で給料が半分以下に減ったとしても、月々決まったお金が入ってくるサ
 ラリーマンの暮らしは、開業後の収入に不安定さに比べたら、それこそ天国だ。生活の
 安定を求めるなら、会社経営など考えずにサラリーマンをやっているほうがずっとマシ
 だ。
・起業にはリスクがつきもので、失敗すれば、一億円くらいの負債を簡単に抱え込む。
 会社は倒産、言えは借金のかたにとられ、自分も自己破産に追い込まれる。もちろん成
 功すれば、巨万の富を手に入れることもできるが、そんな人はめったにいるものではな
 い。安易な起業は第二の人生を苦いものにしかねない。くれぐれもご用心を。
・一般に起業の成功確率はどの程度かといえば、1年以内に約三割、三年以内に約五割が
 廃業に追い込まれ、十年後も存続している会社は約一割とされる。若者世代の起業は、
 いくらでも やり直しできるが、六十歳を過ぎての定年世代はそうはいかない。失敗し
 たときのダメージは大きく、下手をすれば、悲惨な晩年が待っている。
・会社で大きな事業を手がけることができたのは、会社の人材、資材、設備など経営資源
 あってのことなのに、すべて自分の実力だと勘違いしている人があまりにも多い。
・定年起業で成功しようと思ったら、以下の五つのポイントは必須である。
 ・起業の目的を明確にする
  内側から沸き立つ「これがしたい!」という強い願望がなかったら、絶対に会社経営
  は成功しない。希薄な動機で成功できるほど商売は甘くない。
 ・過去の肩書きを捨てる
  起業したら、過去の肩書きは、きれいさっぱり捨てることだ。名の知れた大企業の部
  下が何十人、何百人いたとしても、会社を辞めれば、ただの人だ。肩書きを捨てられ
  ない人は、その違いに気づかず、つい「上から目線」で商売をしてしまう。これでは
  商談だってうまくいかないし、「あの社長、何か勘違いしていないか」と呆れられる
  だけだろう。
 ・経営者向きか、自ら冷静に判断する
  経営者になるには向き不向きがある。定年まで勤め上げる人は、基本的に会社勤めが
  向いていた人だろう。会社を興す人は定年前に独立起業するケースが多い。
 ・「やりたいこと」と「やれること」の違いを知る
  いくらいいアイデアがあっても、それを実現するだけの能力、がなければ、商売は成
  り立たない。自分にはどんな能力があるのか、一度、これまでの人生を棚卸しして、
  それらを整理するといい。「やりたいこと」と「やれること」は違う。趣味を実益に
  変えられるのは、ほんのひと握りの商才に長けた人だけだ。趣味は商売にした途端、
  楽しめなくなる。趣味は趣味のままにしておいたほうがいい。
 ・しっかりした事業プランを作る
  見栄えばかり気にして格好にいい事業プランを立てても、それが現実離れしたものな
  ら、破綻は目に見えている。
・一般に五十歳代で脱サラ起業して成功する人は四十歳代から準備しているという。起業
 したいなら現役時代から周到に準備をしておくことだ。
・借入金で事業を立ち上げる場合は慎重の上にも慎重に。失敗しても何とかなるのはせい
 ぜい数百万円までだ。自宅を担保に入れ個人保証をして借金しないと始められないよう
 な事業は基本的にお勧めしない。見栄を張らずに身の丈に合った商売を心がけるべきで
 ある。
・自然が豊かで空気がきれい。水もうまい。物価も安い。田舎の暮らしに憧れる人はどこ
 かで田舎を美化しすぎているところがある。娯楽施設や文化施設などはないに等しく、
 買い物だって車でひとっ走りしないとジュース一本買えない。退屈こそ贅沢と思える人
 でないと、田舎の不便な暮らしを長く続けるのは容易なことではないのだ。
・夫婦に温度差があったら、まず田舎暮らしはうまくいかない。地方の出身など、ある程
 度田舎のことがわかっているならまだしも、都会の暮らししか知らない人は、情報収集
 なども含めた周到な事前の準備が絶対に不可欠である。
・第二の人生に必要なのは、毛工取よき連れ合い、それから二つの趣味に多少のお金だそ
 うだ。
・飽きのこない趣味は、どうやって見つければいいか。いま、何か趣味のある人は、それ
 にひと味つけ加えてみてはどうだろう。
・飽きのこない趣味を定年後に見つけるのはなかなか難しい。にわかの趣味は、すぐに飽
 きたり、挫折しやすい。現役のうちから定年後の安楽を、文字通り安んじて楽しめるよ
 うな飽きのこない趣味を見つけておいたほうがいい。その場合の基本原則は、
  ①お金があまりかからない
  ②師を必要としない
  ③一回に何時間もかけない
 の三つではないだろうか。
・趣味は人に与えられるものではない。自分で発見し、楽しむものだ。無論、年齢制限な
 どない。若者が楽しんでいることを中高年が楽しんでいけないはずはない。「いい年を
 して」などと言われようが、やりたいことを楽しめばいい。趣味を通じた人の輪もでき
 る。年がいもなく生きる、それこそが人生を楽しくするばずだ。
・今日一日の命と思って生きれば、充実した時間を生きられる。本気でそのように今日を
 生きれば、自ずとものの見方も感じ方も変わってくる。いま何をすべきか、自分にとっ
 て何が大切か、優先順位にも違いが出てくるはずだ。
・仕事をやめたら、あれもしたい、これもしたい。そのためにいまは仕事一筋で頑張って
 いるんだ、そういう人は少なくないと思う。でも、いまを楽しめない人は、たぶん将来
 も楽しめない。なぜなら、いまより将来を大事にする人は、結局、その将来になっても、
 「何かあったら大変だから」と、そのまた将来のために、いまを我慢するに違いないか
 らだ。
・人生には「いまだからやれること」「いましかできないこと」がある。将来の心配ばか
 りしないで、いまを大切に生きることも考えよう。
・人生とは楽しむためにある。将来はいまの積み重ねであり、いまを大切にできれば、将
 来はきっと楽しいものになる。将来とは「いま」なのだ。

ちょっとくらいガタがくるのは当たり前
・いつまでも元気で過ごすために健康に気をつけるのは悪いことではない。しかし、何事
 もほどほどが肝心で、あまりにも頑張り過ぎるとかえって逆効果になることもある。
・結構に気を使っていた人より、気を使わなかった人たちおほうが、病気もしないし、死
 亡率も低かったのである。
・健康診断の功罪もある。病気は早期発見、早期治療が大事という。提起健診などで大病
 が早期に見つかり、大事に至らないケースがあるのは事実だ。しかし一方で、本来は病
 気でない人が病気にさせられてしまうこともある。
・自分の本来の数値は別のところにあるのに、無理やりそれをいじるのだから体にいい
 わけがない。しかも薬には副作用がつきものだ。こうなると病気でない人も本当の病人
 になってしまう。健康のモノサシというのは人それぞれ違う。それを一つのモノサシで
 測るからおかしなことになる。
・健康に生きるのは大事だが、健康のために頑張りすぎるのは不健康だ。いつまでも健康
 でいたいなら、健康オタクになるよりも、好きなものを食べて毎日気を使わず暮らすこ
 と。
・身体がちょっとオカシイぐらいで医者に行ってはいけません。確かにいつもと違いうと
 いう自覚があってからで大丈夫です。今の診察技術だと、ちょっとオカシイを、とても
 オカシイにしてしまう危険のほうが高いのです。人間ドックに行ってから急に体調が崩
 れるのは、そのせいです。
・日本病院会の全国集計によれば、人間ドックの健康診断で「異常なし」と判定された人
 はたったの16%で、実に八割以 上の人が「異常あり」とされたとのこと。
・結構に気を使うのはいいが、気にしすぎるのはよくない。どこもおかしいところがない
 のに、神経質なまでに定期健診や人間ドックにかかるのは考えものだ。
・かかりつけ医を選ぶときの判断基準
 ・自宅から近い
 ・近所の評判がいい
 ・二十四時間対応してくれる
 ・ありふれた病気やケガなら、何でも対処できる
 ・病気や治療法について、納得いく説明をしてくれる
 ・安易に薬を処方しない(処方する場合には副作用についても十分説明する)
 ・手に負えないときには、すぎに大きな病院を紹介してくれる
・人は必ず死ぬ。商売で大成功した大富豪にも、万巻の書を渉猟読破した賢人にも死は等
 しく訪れる。その意味では死は公平である。ただし、寿命は人それぞれ違う。百歳を超
 えて元気な人もいれば、二十歳代の若さで病に倒れる人もいる。理不尽かつ不公平だ。
・人間、年を取れば、誰だったガタがくる。検査を受ければ、何らかしら異変が見つかる
 のは、ある意味当然なのだ。異変が見つければ、本人も医者も放っておくわけにもいか
 ないから、治療をせざるを得ない。そうやって本当の病人になってしまう。
・高齢者の場合は、ガンを抱えたとしても、それに気づかなければ、仲良く共存しつつ天
 寿を全うし、安楽な最期を迎えられる可能性が少なくないのだ。年を取ったら健康診断
 なんか受けないことだ。
・死を前にして多くの人たちが抱くのは、「なぜやりたいことをしなかったのか」という
 後悔の念だという。つまり、人生で大事なことは、「死を想い、いかに生きるか」なの
 だ。それは寿命とは関係ない。
・死は誰にでもいつかは訪れる。深い愛情で結ばれた者ほど、その衝撃を受け入れるのは
 容易なことではない。そんなとき、一番いけないのは現実から目を背け、無理やり悲し
 みを押さえ込もうとしたり、何かに逃げ込んだりすることだ。体調を崩したり、心を病
 む原因になりかねない。下手をすると、自分もその人のもとへ行ってしまいたい衝動に
 かられる。もちろん、そんなことをしても亡くなった人が喜ぶはずもない。断ち切られ
 た未来を嘆き、世を儚んで生きるより、ともに歩んだそれまでの人生を大切に思いなが
 ら生きてくれるほうが、どれだけ亡くなった人も嬉しいかしれない。
・大切な人との別れというのは、思い出の力を借りながら、ゆっくりと時間をかけて、少
 しずつ癒していく以外にないのだと思う。その過程を従容として受け入れる。そうすれ
 ば、大切な人はいつもあなたの心で生き続けるのではないだろうか。
・近頃、社会的地位のある人たちが、老醜をさらし、晩節を汚すことが多い。トップの座
 にしがみつく経営者、大臣の椅子に恋々とする政治家、過去の栄光を捨てられない有名
 スポーツ選手。
・年齢に不相応な欲望がどこかに残っていると、それが老醜となる。老いは誰にも訪れる。
 それを率直に受け入れることができず、心身の調和が崩れてしまうとき、人は己の欲望
 に支配され、醜い姿をさらしてしまうのだろう。
・置いての欲望はかくもやっかいだ。置いと歩調を合わせて己が欲を制していかないと、
 とんだ老醜をさらし、下手をすれば、失意の晩年を過ごしかねない。
・枯れるというのは、足るを知ることであり、突き詰めれば、人間の最大の欲望である生
 への執着を捨てることだ。
・老いや死を恐れすぎるのは考えものだ。「老醜をさらしたくないから」「子どもに介護
 の面倒をかけたくないから」といつまでも元気な安楽長寿を望み、定期健診や人間ド
 ックにまねにかかったりすると、知らぬが仏の大病が見つかり、かえって惨めな想いを
 したり、家族の負担になったりする。老後は下手に病院などに行かないほうが、案外、
 楽に逝けるものなのだ。 
・死はいつか誰にも等しく訪れる。だからこそ今日一日を大事に生きる。死を知り、向か
 い合ってこそ、立派に生きることができる。
・死は確率100%で避けようがない。人間、生を受けたからには、いつかは必ず死ぬ。
 それが定めというものだ。そのことを心に留め置き、自分らしい逝きかたを考えておく
 べきである。いよいよお迎えが来たとき、じたばたせず、括淡と逝くためにも。