五〇歳からの定年準備 :河村幹夫

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私が社会人になった頃は55歳が定年だった。まだ終身雇用制度もしっかり残っていた時
代だった。そして定年まで一つの会社で無事勤め上げることがサラリーマンの目標だった。
それが、今では定年は60歳に先延ばしとなり、終身雇用制度も崩壊した。定年まで一つ
の会社に勤めることが逆に珍しい時代となってきた。
さらには、年金受給年齢も65歳に先延ばしにされ、60歳から65歳までの空白の5年
間を如何にして生き抜いたらいいのか、大きな悩みとなった。
60歳定年後も、それまで勤めた会社に嘱託として再雇用してもらい、サラリーマンを続
けるという選択肢もあるだろう。しかし、同じ会社で同じ仕事をしても、嘱託という身分
は、それまでの正社員の身分とは全く違うということを覚悟しなくてはならないだろう。
まずは正社員のような決定権などは無くなるし、給与も半分以下、わかりやすく言えば時
給千円程度のパートと同じ程度の収入となる。
日本男性の平均寿命は80歳程度と言われる。しかし、最近、健康寿命と言われる考え方
がされるようになった。健康寿命とは簡単に言えば一人で生活できる年齢である。健康寿
命が過ぎれば寝たきり状態ということになる。男性の健康寿命は70歳ぐらいと言われる。
60歳定年からわずか10年間である。
60歳過ぎたあとの10年間というのは、あっという間であろう。もし雇用延長して65
歳まで働いたとすると、残された時間はわずか5年間だ。
それを考えると、思ったより人生は短い。本当にその仕事が好きならば、雇用延長して働
くのも悪くはないだろう。しかし、嫌々ながらの雇用延長であれば、残された貴重な時間
を無駄に消費することになる。60歳を過ぎたら、本当にやりたいことだけを夢中になっ
てやりたい。そんな気がする。

人生に三つの「定年」あり
・ビジネスパーソンの人生には「定年」が三つある。第一の定年は、他人が決める「雇用
 定年」。第二は、自分が決める「仕事定年」。第三は、神様が決める「人生定年」であ
 る。
・戦後の日本経済発展の秘密は、終身雇用、年功序列、企業内組合の「三種の神器」にあ
 ったと認める人は多い。この仕組みは定年までの雇用を前提としたものだった。だから、
 社員は安心して、会社人間としてせっせとわき見しないで働けた。隣の芝生が青いかど
 うかなど関心なく、ひたすら「うちの会社」のことばかり考え続けていたのである。
・中高年のビジネスパーソンにとって、名目定年と実質定年という二重構造は不安の種で
 ある。会社の規則に定められた名目定年のはるか以前に、実質定年の憂き目にあう可能
 性が非常に高くなっている。
・ビジネスパーソンでも、いつ来るかわからない雇用定年に備えて、並行して「自分路線」
 をコツコツと敷いていたらどうだろう。雇用定年が来ても、あと30年間は楽しく「自
 分路線」を走ることができる。
・私が見た西欧人たちは、「会社路線」と「自分路線」を若い頃から並行的に走らせるの
 になんのためらいも感じていないようだった。
・人生に勝者とか敗者などというのはあり得ない、というのが私の主張で、それぞれの価
 値観で生きているはずの人間を、一つの基準に基づいて評価することができるはずがな
 い。そう思うと、屈託のない気持ちで、友人たちの生きざまを見ることができる。
・残念だと私は思うのだが、50歳を過ぎると、目に見えて精神力が萎縮してきて、世間
 的な目で見ると、老人と映る人が出てくる。好奇心がそれだけ乏しいせいか、肉体的に
 も、表情に張りがなくなり、老人現象に輪をかける。
・その転機は、おそらく50歳前後か、遅くとも雇用定年2,3年前には必ずやってくり
 と、私は体験的にも、また友人たちの言動からも確信的と言える。大切なのは、そうい
 う人生の節目のときに、どれほど深く自分自身で考えるかに尽きる、と私は思う。
・トカゲは不利になると尻尾切りをして自己保存をはかる。会社も生き物だから、同じ本
 能を持っている。そのときでも胸を張って生きていくためには「手に職」をつけておく
 ことだ。

「仕事定年時代」こそ、ほんとうの人生
・セルフ・ブランド化とは、組織の中にいながら、組織の中に埋もれず、組織と協調しな
 がらも、組織の犠牲にならず、相当の時間はかかるはずだが、仕事を通じて、自己を確
 立し、その能力とか専門性を世に問えるだけのレベルに到達するように強く意識しなが
 ら、計画的に自己研鑽を積んでいく、という生きかたを指す。
・50歳というのは、不運な世代に属しているのも事実だ。少なくともビジネスの世界に
 おいては、転社、転職も自由にできるような選択肢を得た代償として、終身雇用、年功
 序列という「安定性」を失った。選択肢は数多くあり、どれを選ぶかは自分の自由だが、
 それは実は不果実性への挑戦であり、その結果、責任はすべて自分自身に帰するという
 厳しい環境の中にいる。
・ビジネスの世界では、勝った、負けたが日常語になっている。最近では、勝ち犬、負け
 犬など、人間世界のできごとに犬まで口を出しているようだ。でも、そうした勝ち、負
 けを判定する尺度は、しょせんは会社でより高い地位についたとか、マネーを人よりも
 多く手に入れたなど、非常に近視眼的なものにすぎない。だから、今日の勝ち犬が明日
 には負け犬になってり、その逆が起こったりもする。
・第二の「仕事定年時代」がすばらしいのは、こうした浅薄な勝ち負けから解放されるこ
 とだ。自分の好きなことをやるのだから、価値も負けもない。一所懸命にやって、いか
 に完全燃焼するかだけが目標なのだ。
・一回しかないはずの人生で、生涯、雇われビジネスパーソンであり続けるのは、いささ
 かもったいないのではないか。というのは、自分自身でデザインできる生活には、どん
 なに地位が上がろうとも、雇われの身ではぜったいに実現できない、夢とか希望を盛り
 込むことができるからだ。

「仕事定年時代」を花咲かせる
・「下手の横好き」という言葉もあるが、やる以上は「好きこそものの上手なれ」を信じ
 て、猪突猛進することだ。仕事の場でもそうだが、やりからには一流と言われるまで全
 うしたい。長い期間、楽しもうと思ったら、やはりある程度のレベルまで早く到達して、
 それからゆっくりとエンジョイする。
・終身雇用も年功序列も企業内組合も消滅したこれからの時代、胸を張って生きていくた
 めには会社路線と並行して自分路線を敷いて、複数路線で生き抜くのが賢い方法だと確
 信する。会社路線のほうは他律的であり、自分の創意工夫にも限界があるだろうが、自
 分路線のほうは、自分でデザインして自分で実行するのだから、それなりの準備が必要
 となる。
・大切なのは、いい年齢になって今さら、とか、もう遅い、などと自分のほうで決めてし
 まわないことだ。好奇心をくすぐられたその日が吉日、ガッツを奮い起こし、小銭を持
 って本屋さんに走って、その種のガイドブックとか試験問題集を買い求める。すこしや
 ってみておもしろくなかったらやめればよい。
・「仕事定年時代」を切り拓くことにチャレンジするには、時間の使い方が一つのキーポ
 イントになってくる。まだ雇用定年まえで会社に籍を置いているときから、「自分路線」
 を敷く準備をしようとするなら、そのための時間の確保がとくに大事になってくる。な
 らば、すでに雇用定年を越えらなら、「毎日が日曜日」なのだから、時間はいくらでも
 ありそうな気がするかもしれないが、じつはけっしてそうではない。
・何か一つまとまったことを身につけようとするには、とくに最初のうちは、集中できる
 ある程度まとまった時間が必要だ。しかし家にいると、その緊張感を保ち続けるのがな
 かなかむずかしい。
・いつもの日曜的空間の中にとどまったり、その中だけ移動しているあいだに、知らず知
 らずに心は視野狭窄に陥りがちだ。それが、この年になって、とか、自分には無理だ、
 とチャレンジにブレーキをかけることにもなる。この心の視野狭窄症の解消にも、小さ
 な旅は効果があるはずだ。

「仕事定年時代」の基盤を固める
・まずはじめに納得しておくべきなのは、「先のことはわからない」という不確実性を出
 発点におくことだ。現在そのものは確実でリスクはない。しかし、将来のことは正確に
 は誰にもわからない。なぜかと言えば、何もまだ、「事実」が発生していないからだ。
 だから、人間は将来のことについては推測する以外はないが、その推測が正しいと誰が
 事前に確信できるだろうか。1年先のことならまだ推測しやすいが、5年、10年先の
 こととなると、皆目わからない、と考えるほうが自然である。
・先が大吉であっても楽観してはいけないし、凶が出ても悲観することもない。先のこと
 は誰もわからない。どんな幸運が、どんな不幸が飛び込んでくるかわからないのだから、
 ケ・セラ・セラ(なるようになる)の精神が必要だ。
・この近代先進社会で老人が飢え死にする可能性はまずない。そう思えば気も楽だ。人間
 としてのプライドに傷がつくと思うかどうかは本人の考え方しだいだが、すみません、
 参りました、と手を上げてギブ・アップすれば社会がそのセーフティネットに引っかか
 って助けてもらえる。
・これまで安定したフローに馴れてしまっていたビジネスパーソンOBたちは、会社を離
 れてこの安定フローがとまってしまうと、いくらストック(金融資産)があっても、ひ
 どく不安になるものらしい。すでに引退した私の会社の先輩筋の人の中には、1億円を
 預金の形で持っているが、その残高が少しでも減ることは恐怖に近いらしく、1銭も取
 り崩さないですむような節約生活に汲々としている。
・マネーあっての仕事人生ではなく、仕事が先決なのだ。ここでいう仕事とは、自分がも
 っともやりたいことを指すから、収入に結びつく保証はないし、それでもかまわない。
 やりたいことをやって、自分の人生を完全燃焼させることが目的なのだ。現実には、そ
 のつもりでやっていても、社会にプラスになるような仕事をしているかぎり、簡素な生
 活を賄うぐらいの収入は期待できるものだ。
・大切なのは、自分自身の心構えと、「自分の好きなこと、やりたいこと探し」である。
 好きなことは誰でもいくつかはあるに決まっているが、はたしてそれが、これから長く
 続く仕事人生の全期間をカバーできるかどうかとなると、なかなか確信がもてない、と
 いうのが本音だろう。会社一筋できたと主張する人ほどそうかもしれない。
・でも、そこであきらめないで、そのいくつかの中から、今、自分がもっとも惹かれるも
 のを選んで、それにエネルギーを集中してみる。それが続けばけっこうだし、そうでな
 い場合は、あまりくよくよしないで撤収し、次に面白そうなもの、興味のありそうなも
 のに鞍替えする柔軟性も必要だ。そういうことを繰り返しているうちに、ある日突然、
 これはというものに当たる。
・私が主張したいのは、日本人はもっと人生に対して肯定的、楽天的でよいのではないか、
 ということだ。敗戦後を思い出してみたい。ほんとうに何もなかった、衣、食、住すべ
 てにおいて不足していた。いくらでも将来に対して悲観的になれる環境だった。それで
 も当時の日本人は、今よりはるかに明るく前向きだったように思う。それは、あるいは
 開き直りだったかもしれない。
・人間は大昔からマネーを増やすことに飽くなき執着心を燃やし続けている。その中で、
 マネーに関する知識も知恵も技も持ち合わせていない人が、プロ相手に良くの皮を突っ
 張らせても、しょせんはむなしいゲームになる。だから、中高年になっても、マネーの
 世界に疎いと自覚する人は、専守防衛、護金術を身につけるほうがよいと私は思う。具
 体的にいえば、うまい話、儲かりそうな話には眉につばをつけて、まず耳を傾ける。そ
 してそこに内包されているはずのリスクの所在が、どうしても自分では見えない場合に
 は、専門家の意見を求める。
・マネーを自己増殖させるなどというのは、その分野の高度専門家だけがなし得る技であ
 ると認識して、マネーを稼ぐのは自分の持っている能力をベースにする。そして、せっ
 かく稼いだものは賢く護り、使うというのが本筋のあり方だと私は信じる。
・ここにきて、あらためて人生哲学というか、自分の思想、自分の死生観、自分の価値観
 の重要さを明確に意識する。マネーと健康も、それを前提としての話なのだ。年をとっ
 てからの迷いを少なくするためには、若くて元気なうちに自分自身を確立しておくこと
 がいかに大切か、振り返ってひしひしと思うことである。
・日本の年金制度の将来はまったく見通し難だと確信した。もっと言ってしまえば、どう
 見ても当時の年金制度がそのまま未来永劫続くとは、論理的に考えられなかったのであ
 る。それ以来、私は年金をあてにしないで生きていくにはどうしたらよいか、という一
 点だけに絞って関心を持つようにしている。

やがて来る「人生定年」をどう迎えるか
・この年齢になって最近気がかりになってくるのが、生きざまもさることながら、「死に
 ざま」をどう考えるべきかということである。実際問題として、神様がいつ人生定年を
 お告げになるか誰もわからない。突然なのか、または相当の時間の猶予を持ってなのか。
・私の人生の年輪が増えるにつれ、それぞれの人生をまっとうできなかった人の数も増え
 る。70歳という現在になってみると、前後左右に爆弾が落ちるようなもので、物故者
 がだんだん増えてくる。やはては必ず自分の上にも落ちる爆弾だ。いくら避けようと思
 っても、いつかはかならず自分に当たる。
・人生それぞれ思い悩んだあげくの結論は、バリバリ仕事を続けながら、ある日突然ポッ
 クリこの世を去るというのが、本人はもちろん、家族を含めて周囲の人にもっとも望ま
 しい生きざま、死にざまだと最大公約数にはなるのだろうか。
・人間がひしめき合い、競っている世界では、すべては相対的に評価される。誰よりも、
 誰がより優れている、劣っている。よりよい生活を送っている、いない。よりよい物を
 着ている、いない。より金持ちだ、ではない、などなど。ビジネスの場では、勝った、
 負けたが日常語となっている。でも、勝ちとか負けとは、いったい何だろうか。
・ビジネスパーソン人生を見ると、雇用定年のときが来るまでの出世とか左遷などはすべ
 て、「仮」のこと。雇用定年で決算を締めて、はじめて勝ち、負けも口に出せる
・同期入社という横並びで見ると、誰かが役員になって生き残り、誰かは部長止まり、ま
 た誰かはそこまでも届かなくて、二人とも雇用定年を迎えたとなると、明らかに勝ち、
 負けを意識せざるを得ないのは事実だろう。それでも、そこまではよい人生だったか、
 華やかな人生だったか、はまた別の次元のことだ。しょせんは、会社という枠組みの中
 で、不完全な人間が不完全な人間を、一定の基準と主観的判にしたがって評価してきた
 結果の積み重ねで雇用定年のときの状態が決まる、ということを示しているにすぎない。
・ビジネスパーソン人生は「運と不運のあざなえる縄」と体験的に思い込んできたから、
 雇用定年になった人を最後の地位で、勝ち、負けの判断基準とするなど夢にも思ったこ
 とがなかった。一所懸命やってきた人かどうか、のほうがより大切だし、雇用定年が人
 生定年であるわけもなし、重要なのは、それに続く仕事定年時代をいかに自分らしくデ
 ザインするかである、と決めてかかっていた。
・自分の人生設計も自分の力で行なう勇気のない人なら、一生、他律的な生活を続けるの
 も安心かもしれない。しかし、普通程度のガッツを持って生きてきた人なら、雇用定年
 まで待たなくても、機会を求めて羽ばたきたくなるはずなのだが。