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この本は、今から9年前の2003年に書かれたものである。当時この本を読んで、少な
からず刺激を受けたことを今でも覚えている。今一度読み返してみたが、未だに古さをあ
まり感じさせない内容である。
この本が書かれた当時も、日本は不況に喘ぎ、世の中は大失業時代と言われ、リストラの
嵐の中にあった。そして今もまた、リストラの嵐が吹き始めている。10年近く経っても、
日本社会は、さほど変わっていないことを実感する。
この本を読んでつくづく思うのは、ビジネスパーソンとは空しい存在だなということであ
る。そのことに早く気がついて、一日も早く自立できる人生、自分の人生を歩んだ人が、
しあわせな人生を送ったことになるのではないかと思う。

プロローグ:人生多毛作時代の生き方
・いったん就職したらその会社に定年までいる時代はとっくに終わっている。
・60歳という「会社定年」のあとに、まだ相当長い自分時間が残っている。
・実は、ほんとうにやりたいことが他にあるのではないか。やりたいとは思っても、実際
 には無理だ、と自分で決めてかかっているのではないか。また年齢的に見て、その可能
 性は少ないはずだと思い込んでいるのではないか。
・人生60年時代。何歳になっても、夢を持ち続けたいと思う。

50歳だから描ける夢がある
・今までは会社が敷いたレールの上を走っていればよかったかもしれないが、この先の人
 生は自分がどのようにレールを敷くかでおおいに変わってくる。
・ビジネスパーソンはどんなに高位についても、会社のレールが定めた定年がある。組織
 に守られていた「えらい人」ほど組織を離れると無力になる。だから、最後の最後まで
 会社の机と椅子にしがみつこうとする。大組織の頂点で君臨しているドンも、肩書きつ
 きの名刺と秘書と足(社用車)を失ったら、ただの一人の老人でしかない。
・自分は自分の人生のために生きているのであって、仕事人生はそのための手段として持
 っているのだ。
・これからはちがう。年金を含めた社会保障はジリ貧になる。家庭は核家族化している。
 また、今はデフレが続いているから不感症になっているが、インフレになったら、ちょ
 っとした貯えなどはふっとんでしまう。
・年功序列、終身雇用制が崩れて、今、50歳前後の人たちが置かれている状況はひじょ
 うに厳しいと言われている。
・サラリーマン生活を多くの人が送っていたのは、会社に忠誠を誓い、年功序列、終身雇
 用という蜃気楼を信じる間は、そして経済のパイが拡大を続けるかぎりは、定年にいた
 るまで、地位は別として安定的な収入が保証される、という見通しが持てたからだ。
・他人とか組織に雇われるというのは、例外はあるとしても、はっきりしているのは、自
 分の運命は他律的だということだ。だから、バブルがはじければ、経済のパイは縮小を
 続け、年功序列、終身雇用の蜃気楼は消え、それと引き換えに会社に対する忠誠心も失
 せて、収入の安定性も失われたという結果になる。
・年功序列、終身雇用をキーワードとした仕組みは、すぐれて日本独特のものであり、日
 本ビジネス界を含む権力構造が入念に構築してきたものであることが読みとれる。
・バブルの崩壊を引き金としてビジネスパーソンの規制緩和、自由化が進み、生き方の選
 択肢が大きく広がってきたのは、歓迎すべき現象だ。
・大量の首切りを強要しながら自分たちだけは居直ろうとする一部の経営者の悪あがきに
 も似た姿勢には嫌悪感を抱くだけだが、その反面、会社が十分な割増退職金をつけるな
 らば、それを受け取って、新しい仕事人生と自分人生を調和させる可能性を求めるのも
 けっこうなことだと思ったりもする。
・日本人は戦後の五十数年間、あまりにもいわゆるサラリーマン根性に狎れてしまって組
 織から離れることを忘れ、本来のビジネスパーソンが持つべき骨太な野性味というもの
 を見失ってしまったようだ。
・定年退職したら、その翌日から次の仕事に就く人も多い。次の職にすぐ就くのを幸運だ
 と思うのはその人の価値観だが、その繰り返しでは「自分の人生」をエンジョイする時
 間が残るのだろうか、と余計な心配までしたくなる。
・所詮、人生は一回限り、と思うと、とくに50歳以降の30年間というのは貴重な時間
 だ。
・大切なことは、子供たちに遺産を残そうなどとは考えないことだ。自分たちが築き上げ
 た資産は自分たちで自由に使う、という発想があれば、「仕事人生」から「自分人生」
 に大きく舵を切り換えることもできるだろう。実際、ビジネスパーソン生活を離れてみ
 ると、健康であるかぎり、それほど多くの現金支出が発生することなく日常生活を過ご
 すことができる。
・50歳という年齢は、「もう」と「まだ」の狭間の時かもしれない。
・これだったら絶対に後悔しないという人生の夢を、白地の大キャンパスの上にデッサン
 してみる。50歳という年齢とか、現実の不安定な状態などに気持ちの上で負けてしま
 うと、小さな絵しか描けない。
・日常的な仕事の繰り返しと忙しさの中では、気の利いた発想はむずかしい。目先のこと
 で精一杯なのだが、これからのビジネス環境の大きな変化が予想される中で、今の商売
 をこのまま続けていけるかどうか、簡単に答えは出ないはずだ。思い切って外国の街を
 好奇心にまかせて、あれこれ動いているうちに大きな新商売の種が見つかるかもしれな
 い。旅は自分の好きなこと探しにつながる可能性もある。
・同床異夢、おおいにけっこう。夫と妻が無理して共通の夢を追う必要はまったくない、
 というのがこの年齢になっての私の率直な気持ちだ。ただ大切なのは、お互いの異なっ
 た夢を理解し、尊重することだ。無用と思われる干渉をしたり、傷つけるような批判を
 しないこと。お互いに、それぞれの時間と金を使って好きなことをするのが、本来のあ
 り方だと思う。
・趣味は、私の望みとしては、他人様と競争しないようなものをやりたい。競争はもうた
 くさん。マイウェイでマイペースでやれるものがよい。
・「ほんとうに好きなこと」を探し出すのは、思ったほど容易ではない。
・楽しそうなこと、面白そうなこと、好奇心をかきたてられることなどが見つかったら、
 すぎに手を出さないで、じっと卵をだくような気持ちでしばらく注目する。新聞、雑誌
 の関連記事とか資料を集めたりする。そして、ほんとうにそうだ、と思い込んだら、と
 にかく短期集中決戦型で、ある程度のレベルに到達するまで徹底的にのめりこむ。時間
 も金も無理矢理なんとか工面する。必要なものはガッツだけ。パワー全開でテイク・オ
 フする。しかし、急上昇中にやはり性に合いそうにない、と結論づけたら、さっさとギ
 ブ・アップして緊急着陸する。
・私はテレビはほとんど見ないし、新聞も関連する記事とか、とびっきり大切な事件やニ
 ュース以外はナナメ読みになる。そうでもしなければ集中力がつかない。
 
自分の「資産」を棚卸しよう
・よほど成功した人を除けば、喜びよりは悔悟とか反省のほうがはるかに多いだろう。
・ビジネスパーソン生活は、きわめて他律的にならざるを得ない。それはうんと不運のあ
 ざなえる縄とも言えるほどだ。
・会社の評価システムにも問題がある。最近でこそ進取的な発想の会社では加点法による
 積極評価システムへの切り換えもうたっているが、大方の会社は、これまで減点法が基
 本であったし、この先でもなかなか変われないだろう。なぜなら、とくに少数の人を大
 きな分母の中から選抜しようとすると、消去法のほうが落だからだ。
・ミス、欠点のほうは個人に帰属させやすい。だから昇給の評価のときには、結局、減点
 法が幅を利かせることになり、守りに強い、欠点の少ない人が出世する結果になる。
・そういう会社の評価を自分自身の能力とか人格に関する唯一、絶対的な評価なのだ、な
 どとは間違っても思い込まないことだ。これは多くの不運な人にとっては自滅的なこと
 になる。
・日本のビジネスパーソンの多くは、自分の価値というものを真剣に考えることなく、こ
 れまできているのではないだろうか。だから、リストラなどと聞くと、自分の存在すべ
 てが否定されてしまったかのように押しつぶされてしまうのだが、会社の評価と自分の
 価値をきちんと区別して考えれば、そんなことにもならないはずだ。
・会社の評価にこだわることはない。むしろ、自分が重ねてきた知識、経験を再評価し、
 埋もれてきた自分の価値を探してみることだ。自分が持っているものを徹底的に棚卸し
 してみると、眠っている「資産」が意外と多いことに気づくのではないか。
・金に関するフロック(偶発)的な期待は捨て去り、現在の金力をベースに物事を考える
 こと。
・この年齢では借入れ能力が高く、キャッシュフロー的には相当なことができるのだが、
 返済能力の原資の見えない借り方は禁物である。赤字国債と同じく、赤字社債は家庭株
 式会社は本来発行すべきではない。
・暴飲暴食など年齢不相応な誘惑に打ち克つこと。
・好奇心を持って、喜ばしいこと、楽しいことに積極的に反応することを心がける。
・年齢をとるにつれて、横柄な人がとくにビジネスの世界では目につくのはなぜか。会社
 の中で地位が上がっただけで横柄になる理由はない。年功序列の世界で年齢を重ねたか
 らえらいわけでもない。会社の資金を使って大きい仕事をつくったから肩で風を切る理
 由もない。自分の金をリスクにさらしたわけではない。
・横柄になるというのは、何かの原因で心の中に言い知れぬ劣等感を持っているからでは
 ないか、という気がする。その劣等感を他人に見せまいとすればなおのこと、慎み深い
 態度をとるように注意すべきだろう。
・当節の日本国では、狂ったように吹き荒れるリストラ旋風から身を守ろうとするせいか、
 とくに中高年男性諸氏が首をちぢめ、背中を丸めるようにしながら歩いている姿に出会
 う場面が多くなったような気がする。どういう姿勢で歩こうと俺の勝手だ、ということ
 は重々承知のうえなのだが、姿勢もこころの状態を映し出す鏡の一つだと思えば、せめ
 て人前だけでも、かのイギリス紳士に学び、シャンと背筋を伸ばし、昂然と頭を上げて
 歩くというのはいかがなものだろうか。
・見かけも資産のうちだ。人に与える第一印象をけっしてバカにしてはいけない。もちろ
 ん、金をかけたおしゃれをすればいいというものではない。
・権力者は、都合が悪くなるとルールを変える。これは、権力者のみが持つ絶大なる力で
 もある。たとえば、最近の年金のルール変更を見ても、これでは50歳のビジネスパー
 ソンが描いていた定年後の生活設計は、画にかいた餅になってしまう。政府は、切羽詰
 るとなんでもやりかねない。
・それでは平凡なビジネスパーソンに何ができるか、といえば実は何もできない。しかし、
 政府がルールを変える可能性を「先読み」して、賢い手を打つことは誰でも個人的に可
 能なことである。
・大切なことは、自分を知ること。とくに会社という組織の中に長い間どっぷりと浸かっ
 ている人ほど、自分のほんとうの価値が見えなくなってしまっている。外の目で自分を
 見る機会がないからだ。そういう人ほど、会社を離れると日常的な付き合いの相手がい
 なくなる。社内に友人が多い、取引先に親しい友人が多いと自慢してみても、定年など
 で会社を離れると、それらの人々もすこしずつ消えていく。そして、最後には誰もいな
 くなる。生きる世界がちがってくるのだから、消えるのはなにも不思議ではない。その
 ときの寂寥感は、会社人間ほど、また地位が高かった人ほど強い。
・会社における最後の地位とか、業務成績などというものは、その人の定年後の生き様と
 ほとんど無関係だ。現役中にバリバリやって、羽振りもよく、地位も目一杯登りつめた
 と自己満足して会社を辞めた人のほうが落差が大きいような感じも受ける。現役中は平
 凡で目立たず、これといって取柄もなさそうで、人事担当として近い方に苦労した人が、
 定年後に私の予想もしなかった分野で大活躍している場合も、けっして少なくない。
・定年後の生き様というのは、地位とか仕事の内容に関係なく、「自分」というものをき
 ちんと持ちながら現役時代を生き抜いたかどうかによって決まっていくようだ。

理想はマイセルフ社長
・マイセルフ株式会社を設立して社長になり、仕事をするというのは、これからの定年後
 の生き方として一つの理想ではないかと思う。人を雇わず、すべて自分でこなすマイセ
 ルフ社長である。会社を大きくする必要はないから、借金もしない。コピー取りもお茶
 くみをも全部自分でなければならないが、命令したり仕事を監視する人はいないし、自
 分のサイズに合った仕事をすればいいから、その分気楽でもある。
・ほんとうに好きなことを探し出すのは実はそれほど簡単ではないのだが、もしこれとい
 うのが見つかったら、仕事、趣味、ライフワーク、どれでもよいから、そのいずれかの
 中で、早速、形にしてみることだ。
・今までの仕事と関係のない分野で、自分がほんとうに好きで打ち込みたい、というもの
 があるなら、週末の自分のためのフリー・タイムを活用する。50歳を過ぎると、運が
 悪いとだんだん閉職に追い込まれる、また出勤日が減るというのならなお、けっこうな
 こと。大手を振ってやりたいことができるというものだ。
・50歳の人生峠を過ぎると、多くのビジネスパーソンにとって人生はだんだん淋しくな
 る。自分の周囲の仕事仲間、友人、知人が減る。それぞれ自分の人生の道を歩みはじめ
 るからだ。それに峠の下り道は一本道ではない。いろいろな「選択肢」がある。もはや、
 他人との横並びで押し合いへし合いながら登り続けた峠の一本道ではないのだ。
・週日はどこかの企業に属するビジネスパーソンだが、週末はおおいに変身してマイセル
 フ会社の社長になったり、専門家、職人、ボランティアになるのは、たいへんけっこう
 なことだと私は思うし、21世紀型の望ましいライフスタイルではないだろうか。
・定年になれば毎日が日曜日、などと自嘲的に思うのではなく、自分自身のために使う時
 間がそれだけ増えるのだと思えば、その日がくるのが待ち遠しくなるにちがいない。
・それに自分自身の世界には定年はがない。生涯現役も可能だ。会社現役の次は社会現役
 で過ごしていきたい。
・50歳ぐらいになったら目標を決めてとりかかり、7年ぐらいで花が咲くという段取り
 をしておいたほうがよい。60歳になってからスクラッチで開始するというのは、すこ
 しばかり難儀なことになる。 
・自分ひとりの力だけでやっていくのにためらいがある人たちにお勧めはNPOである。
・そのNPOの目的や活動に賛成して、会費なり寄付金で支援してくれる個人や法人が十
 分あれば、それを活動原資とすればよいのだから、主宰者が個人的に資金負担する必要
 はないし、関連する収益事業も行なうことができるので、健全な財務基盤の上に立った
 活動が可能となる。これらの活動には当然コストがかかるが、コストは人件費も含めて
 支払うことができるし、役員は、その総数の三分の一以内の範囲だが、報酬を受けるこ
 とができる。NPOは、この世知辛い世の中で、自己実現を目指そうとする場合の、も
 っとも有効で、現実的な手段だ。
・若い間は仕事一途でいくべきだ。年功序列、終身雇用が崩壊した後ならなおさらだ。し
 かし、50歳に近づいてきたら、そろそろ複眼の人生を考えるべきだ。
・50歳前後のときに二つの仕事をスタートさせよう。一つは生活の資を得るための仕事、
 もう一つは自分人生のための仕事。
・会社人は卒業しても、社会人ではありたい。そのためには社会から評価される仕事を続
 けたい、というのはまったくもっともな話だ。その仕事によって多少なりとも収入があ
 ればさらにいいが、問題はその仕事なるものを誰かが持ってきてくれるまで待つか、ま
 たは自分でエイヤ!とつくり揚げるかのちがいである。私は、これからの時代は、断然、
 後者だと思う。思い立ったが吉日、何か自分の人生のための仕事をスタートさせてみる。
 駄目だと納得したら、さっさとテーマを変える。三日坊主と言われてもかまわない。キ
 ーワードは「好奇心」。
・楽しそうなこと、面白そうなこと、好奇心をかきたてられることが見つかったら、しば
 らくの間、じっと卵をだくような気持ちでそのことに注目し、資料なども集めてみる。
 そしてほんとうにこれだ、と確信したら短期集中決戦型で、ある程度のレベルに達する
 まで徹底的にのめりこむ。時間も金も無理矢理に何とか工面する。必要なのはガッツだ
 け。
・ますます世知辛くなるこの世の中、とくに経済社会では、長期不況と社会の知識化・情
 報化を背景に、情報ディバイドの結果、情報とか知識を持つ者が、持たない者から資産
 をむしり取るような傾向が目立つ。法的規制がそれに追いつかないし、あったとしても
 巧妙に規制の網を避けたり、もぐったりしながら悪徳商法は広がっていく。
・人間は本性的に欲の塊のような存在であり、さらに悪いことには、どういうわけか、自
 分は知恵がある、他人より利口だ、と内心では思い込んでいるので、おいしそうな儲け
 話を上手に持ち込まれると、知識・経験十分と思える人でも、案外ころりとだまされて
 しまうものだ。
・この厳しさを増す経済社会においては学歴とか、資格だけでは飯を食っていけそうにな
 い。もし役に立つとすれば、それは実社会におけるキャリアだろうが、それも放ってお
 けばどんどん陳腐化しかねない。
・人生競争の中で最後に勝つのは学び続けた者だ。
・いろいろな意味で日本の将来を憂えている人は多い。
・あれこれ言わなくても最後には政府がなんとかうまくやってくれるはずという、外国人
 からみればおよそ信じがたいほどの「お上(政府)信仰」によるとしか思えない。
・たとえ政府が無能であっても、自分自身の身の安全とか財産はなんとか保全されると
 いう、これまた外国人から見れば何の根拠もない、楽観主義に満たされている。
・この島国に住んで日本語しかしゃべれない日本人が、ほかの国に移ってやっていけるは
 ずがないから、最悪の場合はここで玉砕する以外ない、というあきれめにも似た気持ち
 もひそかに心の奥に持っている。
・政府は何をしたか。敗戦直後の昭和21年2月、時の政府は預金封鎖・新円切り換えを
 行ない、結果とし確定した資産に高率の財産税を課し、国債償還の不履行とあわせ、大
 多数の国民を丸裸にしてしまったのである。
・人員削減という名の尻尾切りは、ビジネスの世界では日常茶飯事になってしまった。
・雇用の尻尾切りの最大の被害者が50歳前後の中堅幹部であるのも、多くの場合、事実
 である。ただ、ピラミッド型の年功序列、終身雇用の時代でも、組織内部では、上のほ
 うの登っていくにしたがって、いかに人減らしをうまくやっていくかが、経営者と専門
 担当部局の腕の見せどころであった。

夢を実現するための時間づくり
・仕事を失うのではないか、とびくびくしながら生きるよりは、会社がもういいよ、と言
 ってきたら、もっけの幸い、いただくものをきちんといただいて、もっと自分の人生観
 にマッチするような仕事の場を見つける、ぐらいの心の余裕を持ちたいものだ。そのた
 めには努力、それもつらい、意にそわぬ努力ではなくて、楽しい努力を続けて、これか
 らのまだ長い人生を通じてエンジョイできる世界を発見したい。

資金計画を立てる
・確実なものはなにもない。当然のことながら、何もまだ事象が発生していない未来は不
 確実性に満ちているのだから、100歳までの50年間にいくらお金が必要かに対する
 答えはない。そうと割り切れば、10年間のリボルビングプランで我慢する。
・10年後の77歳までどう生きるか、そのためにはいくらお金が必要か、についてはい
 ちおう頭の中に大まかな数字を持っている。それ以上はけ。セラ・セラ。
・最重要のテーマは、なんといっても健康である、健康を損なたら、たちまちワーストシ
 ナリオに転落しかねないからだ。
・健康保険料を含めた社会保険料の合理的な支払いのためにも、これまでの組織を離れた
 ら、言葉は悪いが、やどかり的精神で、どこかの保険料が安くすむ組織に名目的にでも
 所属するように努力すること、である。結構保険の自己負担率の大小は、加齢とともに
 生活費の大きな差となって表れてくる。
・50歳になったら借金の急速な収束をはかること。定年までに完済すればよいなどとの
 ん気にかまえていると、非自発的定年が前倒しにやってきた場合、たとえ割増金がつい
 たとしても、それ以後のキャッシュフローがひじょうに厳しいものになってしまう。
・会社でもそうだが、基本は借金なしの自己資本率100パーセント経営だ。借金しても
 金利を上回る利益を確保すれば自己資本利益率が上昇するという財務レバレッジ経営は、
 後継機のときにしか通用しない話だから、ましてや個人は考えないほうがよい。いつ会
 社を離れるかわからないとしても、たとえ自分の予想より早くなっても、うろたえない
 ように準備しておくのは賢明なことである。
・逆に注意すべきは、合理的であろうとするあまり、ドケチといわれないことだ。これは
 自分の番だというときにも金の払いが悪いと、結果として自分お世界を狭くしてしまう
 だけではく、自分の気がつかないところで、評判を落としてしまう。
・バブル崩壊後、たしかに世の中は一変した。人生観の一部を構成する職業観は変更を余
 儀なくされるだろうが、個人とか夫婦、家族としてのトータルの生き方となると、まだ
 まだ他にも重要な要素がいくつもあるはずだ。私たちの大多数は平和と自由を愛し、民
 主主義を信じ、家族が仲良く生きようと努力し、友人とか仲間を大切にし、皆に親切で
 ありたいと願っている。そお生き様の基本部分の軸はけっして揺らいでいないのだと確
 認できれば、前向きの対策も立てられるはずだ。
・当面する売上げ(収入)の先細り、不安定、突然の消滅にどう対応するか。収入源を多
 角化する。新分野に参入するなどの諸策と並行して、人員整理以外のコスト削減計画を
 会社ぐるみで実行する。そして借入金の返済スケジュールを見ながらキャッシュフロー
 を検討して、必要な資金手当の目処をつけおく。
・会社は、健全で持続的な成長を実現すべく利益を追求する。が、同時に、社会を構成す
 る存在であるから、社会に貢献しなければならない。
・会社は自己の存続、発展をはかるためには、常に前向きな投資を続けなければならない。
 これを怠ると必ずツケがまわってくる。50歳前後というのは、男女を問わず自己に投
 資するラストチャンスといえるので、とくに大型の投資が大切だ。借金してでも、これ
 に社運をかけるというほどの意気込みで、思い切った大投資を会社はときとして決断す
 るものだ。ただしこの大投資は、設備投資ではなく教育投資である。
・50歳になってからの大型教育投資は、社運ならぬ自分の人生を賭けるほどの決意を前
 提とすることだ。
・今はみんなのんきにかまえているが、第一次石油ショック時のような悪性インフレにな
 ると、まず打たれるのは、低成長会社に多い高齢・収入頭打ち業種だ。今から心配ばか
 りしていていも始まらないが、そのときの心構えだけはしておかなければならない。
・人間、年齢をとると、都合の悪いことはえてして忘れ、都合のよいことだけはしつこく
 覚えているようになるものだ。とくに金銭に関しては、たとえ配偶者間、親子間でも、
 きちんと共有認識を持ち続けていないと、それに関するどちらかの誤解がもとで、無用
 のいさかいにはまりこんでしまうことがある。もし友人間であれば、長年つちかった友
 情にひびがはいる。
・またボケが近づくと、自分の資産管理までが怪しくなってくる。夫婦間でもどちらか一
 方にボケが始まると、わけのわからぬ金銭問題で相手に大きな迷惑をかける。
・夫だけが外で稼ぎ、女は家で家庭を守るという分業体制は、もう守旧派的発想の20世
 紀型の生き様だ。それにとらわれている限り、50歳以後の人生設計図の描き方がひじ
 ょうに不自由になる。
・サラリーマンとか専業主婦という古い言葉にグットバイしよう。子育ても終わったら、
 今度こそほんとうにやりたいこと、やりがいのある仕事を見つけて、自分の鬱積し続け
 ていたエネルギーを完全燃焼させる。
・競争は勝者と敗者を生むから、負け組になったら大変だ。会社も社員も競争場裡から退
 出させられる。つまり会社は破綻し、社員は路頭に迷うようになる。そのとき、分業体
 制の家庭では、金を稼げない夫はストレス、金をもらえない妻もストレス。これではと
 てもたまらない。
・分業から協業へ。共立夫婦への転換をはかる。
・これから先は目的がちがう。子供たちが巣立って、生活費の負担も軽くなるのだから、
 生活のために稼ぐ部分は小さくなる。だから、喜びを感じる仕事、他人に支配されない
 自律的な仕事、自分自身の生きがいにつながる仕事などを時間をかけてでも探して、そ
 れに打ち込む、という行為の結果として金を稼ぐのである。クオリティ・オブ・ライフ、
 人生の質を上げるために働き、稼ぐのだ。だから、収入が多い、少ないは二次的な重要
 性を持つに過ぎない。
・自分の価値観で、やりたいことをやった結果なのだから、収入は二の次のはずなのであ
 る。 
・「他人の雇われる」というあなたまかせの発想から解き放たれたら、何が見えてくるだ
 ろう。自分で自分を雇って何かするしかない。
・自分一人では何もできそうになければ、仲間を集める以外ない。共有できる志を持つ仲
 間を集めて、何か始めてみる。何か始めるには、時間と金が必要だ。時間は何とかする
 として、金はなければ集める以外ない。たとえば会員制にしてスタートさせる。会員が
 十分に集まらなければ、まだ認知させる努力が足りないか、その仕事に魅力が感じられ
 ないかのどちらかだ。その場合は作戦を練り直す。いずれにせよ、大きな収入を期待す
 るよりも、自己実現をはかるための仕事だ。
・どういう生き方をしようと、その人の自由だし、それぞれの人生を比較して勝者、敗者
 などと区別はできない。必ずしも自分が望んだ通りにはならないが、志を立てて選択す
 る自由はある。それ以上は、努力と運が明暗を分ける。
・高学歴の若者ならば金が楽に稼げるほど、世間は甘くない。激しい競争社会の中で男も
 女も長時間必死になって働く。必然的にすれ違いも多くなる。セックスする機会もない、
 という状態が続きダブル・インカム・ノー・セックスとなる。
・親たるもの、子どもになにがしかの財産は残してやりたい。そう考える人も多いだろう
 が、子どもに何を残すべきか、への私の答えははっきりしている。それは、金ではなく
 躾と能力である。
・親は子どもたちの最後まで見届けることはできない。親がたとえ金を残しても、それは
 子どもの身につかず雲散霧消するかもしれないが、親が子どもの身に付けされた躾と能
 力は、子どもが五体満足であるかぎり消えることがない。
・子どもたちの将来のためと思ってあくせく貯めて残したところで、金額の大小にかかわ
 らず、子どもたちの争いと不仲の種になりかねない。
・子どもは大きくなったが、まだ金銭的にも面倒みなければかわいそうだ、と思い込んで
 いる優しい親も少なからずいるだろう。パラサイトシングルもその現象かもしれない。
 しかし、多くの場合、子どもは親離れをしたがっているのに、親のほうが子離れできな
 い、ということではないだろうか。親は早く自己実現の旅に出て、子離れしたほうがい
 い。
・日本人は、日出る島国の民族だから当分大丈夫だろうが、いつの日か、見知らぬ国で生
 きながらえる必要が出てくるかもしれない。そのときに頼りになるのは、自分の腕(能
 力)と民族的連帯意識だけだ。
・私は自分も含めて子どもたちにも、組織とか他人に依存しなくてすむ生き方を求めたい
 と思っていた。
・最近では、躾まで学校教育の責任にしたがる親もいると聞くが、まったく誤りだと私は
 思う。世界中どこを探したって、そんな無責任な親はいないだろう。子どもの将来に必
 要な教育は、自分が授けられないから学校に託すのであって、躾は子どもを生んだ親の
 責任である。このことも理解できない親は、動物園に行って動物親子のあり方を見習っ
 たほうがよさそうだ。
・長年ビジネスの世界でもまれてきた人には、それに耐えて生き抜いてきたという自身と、
 切磋琢磨から生まれた品性がにじみ出ているものだ。それを堂々と人生の後輩だちに示
 してほしい。それはまた、自分の生き様のプライドにもつながることだ。若い部下に迎
 合しようとして、彼らの目線まで自分がおりていく必要はまったくない。
・子どもに絶対に残してはならないものがある。借金である。国全体のレベルを見ると、
 年間の国内総生産額をはるかに上回る借金を次世代につけ回しする状態にある。一家に
 引き直せば、1年間の総収入をはるかに超える借金があり、これを返すあてもないまま、
 借用書(国債)を乱発して元本と金利を払っているのだから、ますます泥沼にはまりこ
 むことになる。
・親は絶対に子どもに借金を残してはいけない。親のプライド、子どもに対する愛情があ
 るかぎり、子どもに美田を残すどころか、借金を未精算にしたまま、この世から姿を消
 すなど、まことに恥ずかしいことだと自覚しなければならない。
・日本という国家の閉塞的状況とリーダーの使命観の喪失をあわせ考えると、この国家の
 長い将来に対して深い憂慮の念を禁じ得ない。
・前世代の面倒を後世代がみる、その世代は次の世代が面倒をみる、などという「幸福の
 手紙」的発想はもはや通用しない。
 
やがて来る老いとのつき合い方
・そのこと(たとえばボケ)は、突然やってくることもあるらしい。突然死もあるが、そ
 の一歩手前の植物状態化もあり得る。そのときになってドタバタしないように、事前に
 危機管理体制をつくっておくことが望ましいに決まっている。
・やがて自分も妻もボケが始まるだろうから、どちらが先になるにしても、そのときどう
 するかを一応は決めておいて、それを子どもたちにも知らせておく。そのときにどのよ
 うな資金調達が必要で、子どもたちに依存しなければならないことがあるのか、ないの
 か。何を子どもたちに期待しているのか。
・社会人生活の人生峠に立った50歳ぐらいからは、人間はやがて年老い、最後には死ぬ
 という100パーセント確実に起こることを直視して、それに向かってどう対応してい
 くかを、自分だけでなく家族を含めて考えていく環境づくりと、関連する必要知識を持
 つことに意を用いるべきだろう。
・目をそむけていても、起こるべきことは必ず起こる、と思えば、それを直視したほうが
 よい。現実に起こるまでの時間が長いほど、選択肢も増える。生活習慣病を高をくくっ
 ていい加減にごまかしていると、いつか大きなツケを払うときがきて、ドタバタするの
 と同じことだろう。ましてや、避けることのできない老後と死、真剣に受け止めていき
 たいと遅まきながら考えている。
・人間は、時計の針にしたがって、その不確実な未来に向かって生きていくように運命づ
 けられている。だから、人間にとって生をうけたこと自体がリスクであるといえる。最
 後にしかし、絶対確実なことが一つだけある。それは「死」である。
・誰にでも、老いと死は確実にやってくる。日常生活に埋没していると、このことは意識
 の外にしめ出されがちだ。考えたくないから逃げているのだ、と言ったほうがより正確
 かもしれないが、人生も50歳まで来たら、そうそう逃げてばかりはいられない。
・宗教的感情の比較的薄い環境の中で生きてきた人ほど、早めに死について意識的に考え
 始めたほうがよい。それは自分の老いの気持ちを早めたり、生き様を不活発にさせるこ
 とにつながるものではない。むしろその逆だと思う。
・死に対する定見を持てば、それを下敷きにしながら、これからの自分の人生の設計図を
 より周到に描くことができる。しかも自分の死だけではない。配偶者の死、親の死につい
 ても心の準備だけはしておく必要がある。しかもそこに至る道程には「介護」という問
 題も見過ごすわけにはいかない。
・中高年ビジネスパーソンが陥りやすい心の疲れ、うつ予防対策だ。私がお勧めするのは、
 自分の体を非常に忙しくすることだ。なんでもいいから、自分にとって未知の世界をの
 ぞいてみることから始まる。
・変化の激しい時代に、自分の狭い仕事世界の中に埋没して日常の業務に追われている間
 に、何か大切なものを見失っているのではないか、知るべくして知らないことがたくさ
 んあるはずだ。
・50歳にもなれは人生の疲れも出てくるが、気力の火だけは心の中でずっと燃やし続け
 ていきたい。淡々と生きるというのは、無気力とは別物だ。気力があってこそ人生も輝
 いてくる。
・50歳といえば、車にたとえれば、5万キロ走った愛車のようなもの。多少のトラブル
 とか具合の悪さは当たり前、ときには部品交換も必要かもしれない。そういう使いこん
 だ愛車をだましだまし使う醍醐味と同じように、自分の身体を理解してみよう。
・車も毎日少しでも走らせたほうが調子を維持するのによいように、人間の身体も毎日す
 みずみまで使ってみる。頭を使わなければ陳腐化するし、肩を使わなければ張ってくる。
・借金で首が回らなくても、ほんとうの首は入念に廻して見る。頭も身体も目一杯使って、
 疲れたら休む。
・放っておけば人間は、年齢にしたがって保守的、防御的、受け身になりがちだ。自分の
 年齢に負けないように、シャンとして生き続けたいと思えば、若い人を見習って、背筋
 を伸ばし、あごを引いて、大股にまっすぐ歩く習慣をつける。そして頭の中には目標意
 識と好奇心をいつも詰め込んでおく。こうしていれば姿勢もしっかりしてくるし、表情
 も豊かになる。
・ウォーキングをやめない理由の第一は、気分転換になることだ。30分も歩くと、頭の
 中は真っ白になり、そのあとに新しいアイデアとか発想がどこからともなくわいてくる。
 気持ちのよいものだ。第三に、いつでも自分のペースで始めることができる。時間の制
 限もないし、仲間もいらない。第四に、服装に気を使う必要がない。そして第五に、コ
 ストがかからない。
・いくら頭の中では自分は若いつもりになっていても、自分の年齢に勝つのはむずかしい。

エピローグ
・技術革新が猛スピードで追いかけ、追い抜くのだから、よほど注意して追いつく努力を
 続けないと、IT革命から取り残されてしまう。そうなると仕事の場でもプライベート
 な場でも不便になるだけでなく、生活上のさまざまなリスクが発生する。他方で、技術
 革新と価値観の多様化は、生き方の選択肢を大きく広げている。
・私が蛇蝎のごとく嫌うのは、新聞の第一面に大きな見出しで経営統合とか合併といった
 活字がおどる下に両社社長のにこやかな笑顔の握手の写真があり、その下に、それに伴
 って何千人規模の人員削減を行ない、来期以降の業績は向上する、とうたった記事だ。
 これだけの犠牲を仕事をいっしょにした部下に求めながら、自分たちは腹を切るどころ
 か、引き続いて経営を担当しようとする「保身」のいやらしさがぬぐえないのである。
・日本人はほんとうに不思議な民族だ。経営責任を自覚しないし、それを追及もしない。
 事故はすべて、「あってはならないことが起こったのであり、・・・今後二度と起こら
 ないように万全を期します」で幕引きとなるが、それで皆、納得するか、仕方ないとあ
 きらめる。外国では考えられない現象だ。
・全社員の10パーセントとか20パーセントといった大量首切りが発表されても、社員
 も組合も表立った抗議行動を起こさないのは、大勢にはさからえないというあきらめ、
 個人的な保身本能が働くからだろう。経営者も保身、社員も保身で会社に居残る。その
 間に、二毛作を始めようとする人たちが静かに会社を離れていく。
・リストラ、リストラで有能な社員を次々に放出してしまう旧秩序型の日本企業に前途は
 あるのだろうか。経営者が、自分の責任を持っている企業の将来像を明確に示すことも
 できないまま社員の首を切り、事業の縮小に専念するなら、企業解体屋とどこがちがっ
 ているというのだろう。
・リスクも増えたが、生き方の選択肢もひじょうに広がった。価値観もますます多様化し
 ている。それぞれの価値観に基づいた個別的な人生が当然のこととして認知される社会
 になった以上、その中での勝者、敗者という区別の仕方は無意味になる。そういう価値
 判断をする統一基準が存在しないからだ。どのような生き方も可能な素晴らしい精神世
 界が出現したのである。
・人生の最期の瞬間に、精一杯生きてきた。これで納得、と自分に言いきかせ、妻には、
 ありがとう、幸せでした、と心の底からお礼を言うことができる。そういう状態にいつ
 も自分を置いておきたい。