セックスと超高齢社会   :坂爪真吾

大人の性の作法 誰も教えてくれない [ 坂爪真吾 ]
価格:836円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

障がいのある人の性 支援ガイドブック [ 坂爪真吾 ]
価格:2750円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

性風俗のいびつな現場 (ちくま新書) [ 坂爪真吾 ]
価格:902円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

孤独とセックス [ 坂爪 真吾 ]
価格:902円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

セックスと障害者 (イースト新書) [ 坂爪真吾 ]
価格:947円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

未来のセックス年表 (SB新書) [ 坂爪 真吾 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

超高齢社会の基礎知識 (講談社現代新書) [ 鈴木 隆雄 ]
価格:814円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

「元気高齢者」のための最新医療 (祥伝社新書) [ 林滋 ]
価格:1078円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

死生観の時代 超高齢社会をどう生きるか [ 渡辺利夫 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

老後破産 長寿という悪夢 [ 日本放送協会 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体 (ちくま新書) [ 鈴木大介 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

医療危機 高齢社会とイノベーション (中公新書) [ 真野俊樹 ]
価格:968円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

超高齢社会2.0 クラウド時代の働き方革命 [ 檜山 敦 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

高齢者の運動ハンドブック [ アメリカ合衆国国立老化研究所 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

高齢ドライバー (文春新書) [ 所 正文 ]
価格:913円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

超高齢社会のリアル 健康長寿の本質を探る [ 鈴木隆雄 ]
価格:2090円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

和やかな午後のひととき 高齢生活を共に楽しむ (Parade books)
価格:2200円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

無子高齢化 出生数ゼロの恐怖 [ 前田正子 ]
価格:1870円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

年金一人暮らし高齢者に終の棲家はあるのか
価格:1100円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

転げ落ちない社会 困窮と孤立をふせぐ制度戦略 [ 宮本 太郎 ]
価格:2750円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

「国民年金」150%トコトン活用術 [ 日向咲嗣 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

人生100歳時代65歳からの「賢い老後」 [ 治田秀夫 ]
価格:1485円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

ひとりの午後に [ 上野千鶴子(社会学) ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

老い越せ、老い抜け、老い飛ばせ [ 石川 恭三 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

それでも年金は得だ 若者から高齢者までの年金入門 [ 岡伸一 ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

患者は知らない医者の真実 [ 野田 一成 ]
価格:1100円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

幼児化する日本は内側から壊れる [ 榊原英資 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

泣いて生まれて笑って死のう [ 昇幹夫 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

逆説の長寿力21ヵ条 幸せな最期の迎え方 [ 名郷直樹 ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

一生ボケない脳をつくる77の習慣 大活字版 [ 和田 秀樹 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

99%の人が気づいていないお金の正体 [ 堀江 貴文 ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

安楽死のできる国 (新潮新書) [ 三井美奈 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

総介護社会 介護保険から問い直す (岩波新書) [ 小竹雅子 ]
価格:924円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

シルバーセックス論 [ 田原総一朗 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

熟年婚活 (角川新書) [ 家田 荘子 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

団塊絶壁 (新潮新書) [ 大江 舜 ]
価格:836円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

性愛 大人の心と身体を理解してますか [ 渥美雅子 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

快楽一路 恋は灰になるまで (中公文庫) [ 工藤美代子 ]
価格:770円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

仮面家族 [ あやのはじめ ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

性欲の研究(東京のエロ地理編) [ 井上章一 ]
価格:2420円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

出家とその弟子改版 (新潮文庫) [ 倉田百三 ]
価格:506円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

男と女の性犯罪実録調書 (鉄人文庫) [ 諸岡宏樹 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

張形と江戸女 (ちくま文庫) [ 田中優子 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

武州公秘話改版 (中公文庫) [ 谷崎潤一郎 ]
価格:817円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

陸軍と性病 花柳病対策と慰安所 [ 藤田昌雄 ]
価格:1980円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

三島由紀夫の言葉 人間の性 (新潮新書) [ 佐藤秀明 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

〈変態〉二十面相 もうひとつの近代日本精神史 [ 竹内瑞穂 ]
価格:1980円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

愛という病 (新潮文庫) [ 中村うさぎ ]
価格:539円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書) [ 押井守 ]
価格:836円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

風俗という病い (幻冬舎新書) [ 山本晋也 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

男を維持する「精子力」 名医が提言! [ 岡田弘 ]
価格:1571円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

男を強くする!  食事革命 (ベスト新書) [ 志賀 貢 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

女性専用 快感と癒しを「風俗」で買う女たち [ ハラ・ショー ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

性欲の研究 エロティック・アジア [ 井上章一 ]
価格:1980円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

ありすぎる性欲、なさすぎる性欲 [ ウィリ・パジーニ ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

実録北朝鮮の性 (祥伝社黄金文庫) [ 鄭成山 ]
価格:597円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

女の子のための愛と性の生命倫理 [ 湯浅慎一 ]
価格:1980円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

よいセックス [ ジュリア・ハットン ]
価格:2200円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

セックスがこわい 精神科で語られる愛と性の話 [ 香山リカ ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

生涯現役論 (新潮新書) [ 佐山 展生 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

生涯現役宣言!! シニア世代が日本を変える [ 有賀富子 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

笑いがニッポンを救う 生涯現役でピンピンコロリ [ 江見 明夫 ]
価格:1375円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

「70歳生涯現役」私の習慣 (講談社+α新書) [ 東畑 朝子 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

女医がすすめる生涯現役の『快楽』新装版 [ 清水三嘉 ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/2/29時点)

最近はすこし鳴りを潜めた感じであるが、一時は朝刊を広げると、紙面の下の「週刊ポス
ト」と「週刊現代」の雑誌広告欄に「死ぬまでセックス」「死ぬほどセックス」などとい
う人目をはばかるような大見出しの活字が、毎回のように載った時期があった。中高年者
を対象としたものと思われるあの広告で、売上がどの程度伸びたのか興味深いところでは
あるが、あまりにも露骨過ぎて、辟易したものだ。
人の性というものは、高齢者になっても、そんなに簡単にはなくなるものではないという
ことが、以前から密かに語られてきたが、だからといって「死ぬまでセックス」などとい
うような絶倫生活を送りたいと思っている高齢者はそんなに多くはいないだろう。高齢者
の理想とする性生活とは、長年連れ添った配偶者と穏やかの生活を送ることではないかと
思う。しかし、そのような理想的生活を手に入れることは、そう簡単なことではない。

男の性欲というものは、ある年齢を境にコロリと無くなるものではないらしい。中高年に
なっても、若い頃よりは弱くなったとはいえ、地下深くにマグマのように脈々と燃え続け
ている。そして、なにかをきっかけに、もう死火山だと思ったものが、ある時期突然おと
なしくなっていた性欲がマグマのように噴出してくることもある。そんな歳になって、な
んでそんな痴漢行為をとか、なんでそんなストーカー行為をとか、あるいはあんな高齢者
がなんでそんな買春をとか、そんな事例は枚挙にいとまがない。男というものは、高齢者
になって、もうすっかり枯れたふりをしていても、その裏では死ぬまで自分の性欲の残り
火と戦わなければならない悲しく動物なのだ。
この著書の中での提案や主張には賛同できる部分も多いが、賛同できない部分も散見され
る。例えば、「生活保護受給者が生活を破たんさせない範囲であれば、パチンコを楽しむ
ことについては問題視されない」と筆者は述べているが、パチンコはギャンブルの一種だ
という認識を持っている私には、問題ないとは見えない。また、介護施設内で、認知症の
女性に対して男性が性的アプローチをするのは、その認知症の女性が嫌がらずに受け入れ
るのならば、認知症という理由だけで、その性的行為から遠ざける対応はすべきではない、
という主張も、私には違和感がある。筆者の主張は、斬新な考えではあるが、まだまだ多
くの人にとっては違和感のある主張ではないのかと思わざるをえない。

はじめに
・私たちは「超高齢社会」を生きている。高齢化率が21%を超えた社会を、超高齢社会
 よ呼んでいる。日本はすでに2007年にこの水準に達しており、2024年には人口
 の30%が65歳以上の高齢者になると予測されている。
・一方で、そうした中で置き去りにされているのが高齢者の性をめぐる問題だ。今の社会
 では、性に関する事柄の大半はあくまで個人的な問題であり、社会的支援の必要な対象
 としては認識されていない。そのため、私たちが性に関する何らかのトラブルに直面し
 たとしても、多くの場合は「自己責任」「自助努力」の名の下に、個人で丸抱えするし
 かないのが現状だ。
・私たちが生きていく上で、幼少期、思春期、青年期、壮年期、高齢期と、年齢に応じて
 性にまつわる様々な問題が起こってくる。若く健康なうちは、そうした問題に対して自
 己責任や自助努力でどうにか対処できるかもしれない。しかし年と共に体力や経済力、
 精神力が衰えるにしたがって、以前は自力で対処できていた問題に対処できなくなる日
 が必ず訪れる。
・高齢期には三つの「ムエン」があると言われている。一つ目は、関係性の貧困を意味す
 る「無縁」。二つ目は、社会的孤立を意味する「無援」。三つ目は、経済的貧困を意味
 する「無円」。ここに四つ目のムエンとして、性的貧困を意味する「無艶」を付け加え
 たい。現役時代にどれだけ性的に満ち足りた暮らしを送っていた人でも、超高齢社会に
 おいては遅かれ早かれ、この「無艶」に直面する時が必ずやって来る。
・高齢期は生と性の総決算の時期なのだ。これまでの人生で蒔いてきた種、育ててきた果
 実を刈り取ることのできる「収穫」の時期にもなれば、社会的孤独と貧困の中でひたす
 ら奪われ続けるだけの「収奪」の時期にもなりうる。
・一方でこの問題は、誰もが必ずいつかは高齢者と呼ばれる存在になるにもかかわらず、
 当の高齢者以外の世代にとって、どうしても「遠い未来の話」「自分とは無関係な他人
 事」と思われてしまいがちだ。子どもや若い世代の性の問題と比較して重要度や緊急度
 が低いと考えられているため、社会的な支援の対象としても議題に上りにくい。
・性は生殖の手段だけではなく、他社とのコミュニケーションの手段でもある。高齢者の
 性を社会的に黙殺することは、高齢者とのコミュニケーションを社会的に黙殺すること
 に等しい。来るべき「超」超高齢社会を、性的充実と社会的包摂に溢れたユートピアに
 するのも、性的貧困と社会排除の蔓延するディストピアにするのも、すべて私たち次第
 だ。

「現在」と「過去」から考える
・2013年、「週刊ポスト」やと「週刊現代」の両誌が、熟年世代の性的欲求をストレ
 ートに肯定する「死ぬまでセックス」特集を競い合うように掲載して以降、中高年向け
 の週刊誌では「死ぬまでセックス」「死ぬほどセックス」という見出しの特集記事がも
 はや定番になっている。こうした状況を俯瞰してみると、「宗教としての絶倫」に高齢
 男性が囚われているように思えてくる。「勃起せよ。さもなければ、お前は無だ」とい
 う強迫に駆られているのだろうか。
・医学博士でもある東大名誉教授は「高齢者であってもセックスレスの9割は解消できる」
 という持論を展開している。だが、そのための方法として挙げられるのは「パートナー
 とできるだけ長い時間を過ごすように努める」「思いやりのある言葉をかけあう」「ス
 キンシップを欠かさない」という手垢にまみれた精神論であり、それで「9割は解消で
 きる」と断言してしまうのは、いささか無理がある。
・セックスにおいて重要なのは、男性の勃起力は射精力といった身体的なものだけではな
 く、パートナーとの愛情や信頼関係であることは言うまでもない。仮にキムチ納豆や酢
 ニンニクを常食して絶倫になったとしても、パートナーとの関係性が修復不可能なレベ
 ルにまで悪化していれば、豊かな性生活を送ることは不可能だ。かといって、不倫や浮
 気で他の相手を見つけることも様々な難しさがある。
・こうした「不都合な真実」に向き合って絶望感を味わうよりは、「これを食べれば」
 「この方法を実践すれば」豊かな性生活が送れる、という幻想にすがっていた方が幸せ
 なのかもしれない。男性向けのムックや週刊誌が、「絶倫」という言葉を花火のように
 乱発していることが、現実の不安や孤独から読者の目を背けさせるための手段のように
 思えてくる。だが、こうした花火のようはコピーは、あくまで一部の男性に願望であっ
 て必ずしも事実ではない。
・男性誌と同様に、女性誌でも生涯現役=「いくつになっても女であり続けること」が奨
 励されるは少なくない。メッセージの内容や強弱に差はあっても、「性がなければ生き
 ていけない」「まだ枯れるには早すぎる」といった強迫観念を煽っている点、及び「性
 さえあれば老後の生活は輝くに違いない」といった希望的観測に依拠している点では、
 男性誌と女性誌の間に大差はないのかもしれない。
・高齢世代の全ての人が、こうした強迫観念や希望的観測に囚われて生きているわけでは
 ないが、かといって「老後の恋愛・セックスは不要だ」と訴える内容の特集や雑誌をつ
 くったところで、商業的には成り立たないということだろう。 つまり、「死ぬまでセ
 ックス」をうたう男性向けメディアも、「いくつになっても女であり続けること」をう
 たう女性向けメディアも、あくまで高齢期の性の一面を切り取って提示しているだけで、
 必ずしも現実と客観的に向き合っているわけではない。
・1947年に行われた敗戦後はじめての国勢調査では、日本人の平均寿命は男性50歳、
 女性54歳だった。生殖可能年齢の終了(閉経)からかもなく亡くなる人が多かったた
 め、生殖期を過ぎた高齢者の性は当然問題にならなかった。人は加齢によって、「枯れ
 る」=性的なものを含めたあらゆる事柄に対して淡泊になるのが当然であり、またそう
 した境地に達するのが望ましいという社会的規範が歴然と存在していた。
・性医学の分野でも、顕著な身体的欠陥がない限り、性には定年がないことが証明された。
 アメリカの性科学者の調査では「週1〜2回の性行為(性的刺激)があれば、高齢女性
 のオーガズム等の性反応は20〜30代の女性と変わらないと報告されている。
・1960年代〜70年代にかけて、アメリカや北欧のいくつかの大学・研究所で中高年
 の性に関する調査が行われたが、それらはいずれも「高齢期になっても、性的欲求や性
 行為に対する関心は衰えない」という結果を出している。
・この当時、高齢者の性に対する社会的な認識や理解はほとんど進んでおらず、老人福祉
 施設においては、「入所者=お上のお世話になっている存在」という意識もあり、施設
 内での入所者同士の恋愛やセックスは、集団生活の秩序を乱し、施設の世間体を害する
 「あってはならないもの」とみなされる風潮が強かった。当時の施設は居室の多くが6
 人以上の大部屋であり、7人以上の大雑居部屋も少なくなかった。排泄介護(おむつ交
 換)は、現代のような便が出たらすぐに交換するという「随時交換」ではなく、一日の
 決まった時間に全入所者のおむつを一斉に交換する「定時交換」であり、入所者は便を
 出しても交換してもらえないまま数時間過ごすこともあった。入所者は男女ともに「特
 養カット」と呼ばれる短い髪形にされ、同じ色のつなぎの寝巻きを着せられた。
・ホーム内において恋愛が生じた際、どのように考えるかという問題に対して、「認める」
 が55.6%、「認めない」が26.5%という回答が得られた。恋愛を認めない場合
 の対応としては「他の施設へ移すようにしている」が41.4%、「別れるように説得
 を続ける」が33.7%だった。 
・当時の福祉の現場では、「ホームの老人は三度死ぬ」という言葉が流布していた。社会
 から隔絶されたホームへの入所で社会的に死に、老人だけで構成された人工的・閉鎖的
 かつ劣悪な生活環境の中で心理的に死に、最後に生理的に死ぬ。高齢者が支援の対象で
 はなく管理の対象であった時代、施設内で恋愛関係になった入所者たちは、施設の外に
 ある裏山や納屋、鳥小屋やボイラー室で隠れて性行為をするしかなかったという。
・高齢者の性を扱った古典的名著とされる「老年期の性」(1979年)は、保健婦のグ
 ループが1973年に平均年齢が71.5歳の在宅高齢者510人を対象にした性意識
 の調査を行い、高齢者の性の実態をまとめたものである。同著では、高齢者は「枯れた
 存在であり、恋愛や性的欲求とは無縁の存在であるという神話を覆し、多くの高齢者が
 生々しい欲求や葛藤を抱えながら生活しているという事実を世間に突きつけた。
・「生はよいが、生まない性はよくない」という古典的二重規範からきた文化的抑圧が、
 老人たちを、性の現場から遠ざける大きな要因になっているとの指摘もある。そして高
 齢者の恋愛や性が「難問」とされる理由については、処遇の定理が存在しないためだと
 とも言われている。医学的に見ても、老年期の性の最大の特徴は「多様性」だとされて
 いる。性機能の状態についても個人差が極めて大きい。無数の個別的ケースへの気の遠
 くなるような手さぐりの対応の内にしか、この未踏の天国と地獄の扉を開くカギはない
 ように思われる。 
・著書「性ぬきに老後は語れない 続・老年期の性」では、高齢期の性においては性器間
 の接触だけではなく、夫婦の性愛を軸とした皮膚間の接触=スキンシップが最も大切だ
 と主張し、コミュニケーションのための性、健康づくりのための性という視点を提示し
 ている。また、第2回の調査では、性的欲求に関する質問において、男性の42%が性
 行為を欲しており、精神的な交際を求める(24%)、たわむれたい(20%)を大き
 く上回っている。コミュニケーションやスキンシップだけでは満足できない層は確実に
 存在するということだ。一方の女性は、54%が性的欲求自体を否定しており、性行為
 を欲すると回答したのはわずか7%。性的欲求の満足度については、男性の58%、女
 性の81%が「不満足」と回答している。不満足の理由としては男性の場合は「配偶者
 が応じてくれない」「身体が言うことをきかない」、女性の場合は「おっくう」などが
 主に挙げられている。
・著書「人の一生 その自然なありようを探る」では、性器の老化や萎縮はいわゆる「廃
 用性萎縮」であり、年齢や未婚・既婚を問わず、定期的にセックスしている女性では閉
 経後10年経っても萎縮が起こらない場合があると述べられている。人間は身体の老化
 が進んでも、性ホルモンは決して枯れてなくなることはなく、死ぬまで分泌されると指
 摘し、「月経の終わりがセックスの終わり」ではなく「月経の終わりがセックスの初め」
 であり、そのための意識改革と高齢者の性に対する社会的偏見の除去が必要である主張
 している。
・グループホームは、これまでの施設のような管理型のケアではなく、入居している認知
 症の人たちが主体となって生活を送ることを支援する形での運営を目指しているところ
 が多い。食事の献立は入居している認知症の人たちがその日の気分などに応じて決定し、
 みんなで食材を買いに行って、自分たちで調理をして食べる。アルコールなどの嗜好品
 も自由。職員は、家事や日常生活のできない部分、入居者同士の関わり合いをサポート
 する役割を担う。「やって差し上げる介護」ではなく「できないことを手助けする支援」
 への転換だ。こうした支援によって、認知症になっても支援の方法や環境次第で健やか
 で生き生きとした人間らしい暮らしを送ることができる、ということが徐々に社会的に
 認識されていくようになる。この認識の深まりは、高齢者の性の領域にも影響を与えて
 いく。
・施設の種別にかかわらず、80〜90%の施設運営者が入居者の老人には性欲があるこ
 とを認識しており、入所者の恋愛に対しておおむね肯定的に捉えていることがわかった。
 そして彼らのうち約75%が、性の欲求の実現が入所者のQOLを向上させると認識し
 ていた。入所者同士の結婚・同棲に関しても、「自由意思を尊重、助力する」「ルール
 を決め、なるべく認める」という回答が80%近くに達している。わずか20年の間で、
 施設側の高齢者の性愛に対しる意識が大きく変わったと言える。 
・一方で、入所者同士でカップルができた場合、周りの入所者がそれに対して嫉妬や疎外
 感といった否定的な感情が抱いている現状も調査結果からは見えくる。そうすると施設
 内での恋愛やセックス、同室生活や結婚の成就は、当のカップルにとってはQOLの向
 上につながるが、周りの入所者にとってはQOLの低下につながる可能性がある、とい
 う問題が当然生じる。施設長や職員個人の意見としては入所者の恋愛や結婚を肯定した
 いが、施設運営上、それを公然と肯定することは難しいという現場のジレンマが伝わっ
 てくる。 
・著書「現代のエスプリ 老いと性」の男女428名を対象とした調査によると、異性と
 の間の愛情や性的関係を望む人は男性に94%、女性の70%にのぼるという。恋愛や
 性をめぐる問題は、老人福祉施設においても重要性を増してきている。そして、施設側
 の基本姿勢としては、好意的な意見が約8割に達しているという調査結果も報告されて
 いる。 
・1999年には勃起不全治療薬のバイアグラが認可され、中高年男性の間で大きな話題
 になった。膣の湿潤度低下・性交時の疼痛防止のための女性向けの膣潤滑ゼリー=「リ
 ューブゼリー」の認知度も徐々に高まっていった。 
・2007年には高齢化率が21%を超え、日本社会はいよいよ「超高齢社会」に突入す
 る。厚労省による小規模事業者優遇の流れの中、そして介護保険で宿泊できる高齢者施
 設が慢性的に足りない状況の中で、「お泊りデイサービス」が登場する。お泊りデイは、
 通所介護であるデイサービスを利用した利用者が、そのまま宿泊できるというサービス
 だ。空き家になっている古い一軒家を活用しているところも多く、宿泊料1泊あたり数
 百円から数千円。仮に1か月利用しても10万円程度の自己負担で済むため、高額な入
 居一時金・利用料・介護費が必要になる民間の有料老人ホームや、入居待ちでなかなか
 入れない特養に比べて、圧倒的に利用しやすい。 
・お泊りデイは、独自の基準をつくって安全面やプライバシーの配慮を行っている事業者
 もある一方で、ずさんな運営体制の事業者もある。家族や自治体の目が行き届いていな
 いがゆえに事故も報告されている。就寝の場に関しても、パーテーションをつくって利
 用者のプライバシーに配慮しているところもあれば、デイサービスの部屋にそのまま布
 団を敷いて、男女の利用者に同じ空間で雑魚寝をさせているだけのところもある。お泊
 りデイの職員が、宿泊している認知症の男性利用者が同じ空間で寝ている認知症の女性
 利用者に潜るコムことがある、という現実を語っている。 
・誰もが人生全体の2割〜3割近くに及ぶ余生ならぬ「余性」を生きざるをえない社会に
 おいて必要なのは、「死ぬまでセックス」「枯れない絶倫生活」といった浮世離れした
 幻想に踊らされることではなく、高齢期の性の現実をありのままに直視し、その上で自
 らの老後の性にどう向き合うかを考えることではないだろうか。 
・高齢期は男女によって性的欲求の質量も異なれば、求める性生活のあり方も異なる。ま
 た男女の平均寿命自体にも差があることは歴然だ。「余性」の充実を妨げるこうしたギ
 ャップは、果たしてどこまで埋められるのだろうか?そして過去から現代に至るまで、
 性に悩む高齢者に提示されてきた。「夫婦の性生活」の充実、あるいは再構築を目指す
 べし」という牧歌的な提言は、果たして来るべき高齢化30%の「超」超高齢社会に見
 合った処方箋になりえるのだろうか?
  
老後の性をめぐる「理想」と「現実」
・中高年向けのバスツアーの話を聞いた。その友人も妻と離別した後に、バスツアーでパ
 ートナーの女性を見つけたという。大手旅行会社の企画をしているこうしたツアーは、
 実態は中高年の出会いや婚活の場になっているが、旅行という建前があるので参加しや
 すく、お見合いのパーティーのような堅苦しさもない。普段着で参加できるし、様々な
 観光地を巡るために、会話の種がなくなるようなこともない。初対面の相手と話すこと
 が苦手な人でも、ツアーに参加して観光地を周遊したり、自由時間での食事や散策を共
 にしたりする中で、自然と多くの同世代の理性と話ができるようになるという。 
・最初の参加では、他の参加者の女性たちと軽く言葉を交わす程度で終わったが、あくま
 で旅行という目的の中で、出会いや婚活ということを良い意味で意識しないで参加でき
 ることがわかり、定期帝にこのバスツアーに参加しながらパートナーを探す決意をした。
 出会いがあったのは、3回目の参加の時だった。通路を挟んで隣の席に座っていた女性
 と話が弾み、ツアー中は丸一日一緒に行動することになった。お互いに似たような境遇
 であることも手伝って、二人の仲は急接近した。その後、二人一緒に毎月ツアーに参加
 する関係になり、約1年間の交際の後、めでたく入籍した。
・二人ともすでに60代後半のため、若い頃のような性生活は送れなくなっている。それ
 でも月に1回は裸で抱き合って眠ることを習慣にしている。この年になって裸で抱き合
 えるパートナーがいることは、何物にも代えがたい幸せであると男性は感じている。  
・シンプルに考えれば、高齢者が性生活のパートナーを見つけるための選択肢の王道は、
 結婚もしくは再婚である。シニア向けの結婚相談所や結婚情報サービスも花盛りで、通
 常のお見合いパーティーだけではなく、ハイキングやカラオケ、陶芸や俳句など、熟年
 世代の参加しやすいイベントを企画・開催しているところもある。 
・「精神科医が教える毎日が楽しくなる”老後のトキメキ術”」など、老後の孤独を和ら
 げ、人間関係を充実させるための手段としてシニア婚活を勧める識者も少なくない。そ
 して「見苦しくない」という点も重要である。高齢者の恋愛や不倫は世間から眉をひそ
 めて見られがちだが、結婚であれば世間体はそれほど悪くない。「この年になって、出
 会いを求めて見苦しい真似はしたくない」「晩節を汚したくない」と考えている人にと
 っては、結婚・再婚がほぼ唯一の選択肢になるだろう。 
・しかし、シニア婚活は一筋縄ではいかないのが現実だ。60〜70代前後の男性は老後
 の世界や介護をしてくれる年下の女性を求めて婚活市場に乗り出す人が多い。冗談や笑
 い話では全くなく、高齢男性の中には一人では掃除も洗濯も自炊も着替えも何もできな
 い、生活能力の完全に欠如した赤子同然の人が山のように存在している。
・著書「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」の中では、「妻は月15蔓延の生活費でも暮
 らしていける方が多いが、夫の場合はほとんど絶望的」「とくに団塊の世代よりも上の
 層の日常生活力の乏しさには驚くべきものがある」と述べている。こうした男性にとっ
 て熟年離婚は生活の破たんに直結するため、高齢男性は妻から離婚を切り出されないよ
 うにすべきと警鐘を鳴らしている。  
・若い世代の女性の中に、高齢男性の介護要員や家政婦として扱われたい人は当然だがほ
 とんどいない。男性側がよほど経済的に裕福でない限り、マッチングは成功しない。そ
 れにもかかわらず、婚活をしている高齢男性の中には「結婚したら子どもも欲しいので、
 相手の女性は40歳以下に限る」という条件を提示する人もいれば、「20代の若い女
 性でなければ困る」といったこだわりを見せる人もいる。いずれも気になるのは女性の
 年齢と妊娠可能性だけで、産んだ後に自分が育児に関わることは完全に想定外のようだ。
・還暦を過ぎた男性、そして全ての家事と育児を妻に丸投げするような高齢男性と結婚し
 て子どもを産みたいと考えている若い世代の女性はまずいない。この現実を直視できな
 い人に、出会いの女神が微笑むことはない。 
・シニア向けのバスツアーで知り合った相手が結婚詐欺師で、「二人で結婚後に住むマン
 ションの手付金を立て替えてほしい」と言われて、数百万円もの金をだまし取られた事
 例も報告されている。超高齢社会の中で、今後もシニア婚活に関するトラブルの発生と、
 それに伴う相談者の人数は増えていくことが予想される。こうしたミスマッチやトラブ
 ルを乗り越えて、仮に良い相手が見つかったとしても、それまでの数十年間に積み重ね
 てきた生活習慣や価値観を相手に合わせて替えるのは至難の業だ。 
・また遺産相続や介護の問題が絡むと、お互いの親族を巻き込むトラブルに発展する可能
 性もある。親族への配慮として、籍を入れない事実婚や同居しない通い婚の選ぶ人もい
 る。 
・2012年に50歳以上で離婚した人は男性3.5万人、女性2.3万人。1970年
 から40年間で10倍に以上に増加している。一方50歳以上で初婚・再婚した人は、
 男性2.5万人、女性1.4万人。熟年離婚の方が、熟年結婚よりも男女とも約1万人
 多いことがわかる。また65歳以上で初婚・再婚した男性は5千人未満であり、女性は
 さらにその半分程度だ。 
・65歳以上の人のいる世帯の中で、単独世帯の割合は25.3%。推計値では、合計約
 600万8千人の高齢者が単身生活を送っている。そしてその中で初婚・再婚をする人
 の数は、年間わずか8千人程度に過ぎない。 
・シニア婚活をうたっている結婚相談所や結婚情報サービスのホームページのを見ても、
 「シニア」「中古年」の定義を50代〜60代としているところがほとんどだ。65歳
 を過ぎると結婚・再婚は99%不可能になるという冷徹な事実は、業者にとっては「不
 都合な真実」なのだろう。 
・ブームの中で見落とされがちだが、一見すると理想的かつ王道に見えるシニア婚活によ
 るパートナーの獲得は、65歳以上の単身者の大多数にとっては、現実的な選択肢には
 なりえないのだ。 
・北陸の地方都市に暮らすあるご夫婦は、働いていない。一戸建ての自宅はすでにローン
 を完済しており、二人の子どもは自立して県外の企業に就職しているため、贅沢さえし
 なければ年金で十分に暮らしていける経済状態だ。現役時代は仕事に追われていたため、
 夫婦二人で旅行に行く機会はなかなかなかった。その時の時間を取り戻すために、年に
 1〜2回、夫婦で国内旅行をしている。夫婦生活はこの20年くらい途絶えている状態
 である。男性の多忙な時期に、女性の更年期障害の時期が重なり、自然とそういった関
 係はなくなっていった。長年セックスレスの状態であること自体は、お互いに特に気に
 留めてはいない。口には出さないが、年を取ったらそういう欲求はなくなっていくもの
 だという認識がお互いの中にある。
・セックスレス自体はなくなっても、夫婦関係は極めて円満である。夫婦関係においてセ
 ックスは必ずしも必要条件ではない、と考えている。男性は60歳を過ぎた頃から性機
 能の衰えを実感するようになった。起床時の朝勃ちも焼失し、病院の待合室で週刊誌の
 ヌードグラビアを見てもあまり興奮を覚えなくなった。マスターベーションも40代頃
 までは思い立った時に行っていたが、50歳を過ぎてからは全くしなくなった。インタ
 ーネットを使えば、無修正の動画を無料で鑑賞できると週刊誌の記事には書いてあった
 が、特にそういうものもを観たいとは思わない。還暦や古希を過ぎても性に固執する男
 性の姿は、正直美しいとは思えない。「残された時間をいかに美しく過ごすか」が今の
 目標となっている。
・女性はもともと性については淡泊なタイプで、30代後半で二人目の子どもを出産した
 後は、日々の育児に追われる中で、性生活自体に対する関心が薄れていった。マスター
 ベーションも全くしていない。女性誌では、あたかもセックスの有無が女性として現役
 であるか否かを分ける基準であるかのように語られているが、そこまで重要なものだと
 は思えない。セックスをしていなくても魅力的な同世代の女性はたくさんいるし、「セ
 ックスさえすれば毎日の生活が輝きだす」というのは単純すぎると思う。むしろ日々の
 生活が満たされないことをセックスのせいにしているようで、あまり共感はできない。
・夫婦間の性生活は途絶えて久しいが、ハグや肩もみなどの夫婦間のスキンシップは今も
 意識的に行っている。スキンシップの前提となるのは、夫婦間の会話である。二人の間
 で会話が充実しているからこそ、スキンシップにも抵抗なく進めるわけだ。確かに、普
 段全く会話のない状態でいきなりスキンシップだけを行うことは難しいだろう。さすが
 に地元では恥ずかしくでてきないが、旅行先の観光地で手をつないで歩いたり、宿泊先
 のホテルで添い寝をしたりすることで、新婚時代に戻ったような気分になれる。若い頃
 は「性=セックス」という思いが強かったが、年齢を重ねることによって、挿入や射精、
 オーガズムにこだわらなくても、こうしたスキンシップだけで十分に心身が満たされる
 ことがわかってきた。
・大半の高齢者、及び高齢者予備軍の方々が望んでいる理想の老後の性生活とは、週刊誌
 などのメディアでうたわれている「死ぬまでセックス」「絶倫生活のようなものではな
 く、こうした「長年連れ添った配偶者と穏やかな生活を送ること」というものではない
 だろうか。 
・性的に枯れないため、つまりいくつになっても男として・女として現役であり続けよう
 ともがき続けるよりも、良い意味で性的に枯れてしまった方が、本人にとっても、そし
 て周りに家族や支援者にとっても幸せなことなのかもしれない。   
・モデルケースの夫婦の生活は、以下の二つの条件によって支えられている。一つ目の条
 件は、働かなくても悠々自適に過ごせるだけの経済力。二つ目の条件は、高齢期になっ
 ても円満な夫婦関係だ。これらの条件が現実の揃えば、確かに私たちは安心して「枯れ
 る」ことができるかもしれない。しかし年齢を重ねればこれらの条件が自動的に満たさ
 れるほど、現実は甘くない。 
・「下流老人」ひいては「過労老人」という言葉がメディア上で飛び交う昨今、「働かな
 くても年金だけで悠々自適に老後を過ごせる」という層は確実に減少している。
・2015年の調査のよると、働く高齢者の人口は過去最高の730万人に達している。
 このうち65〜69歳の就業率は、男性が52.2%、女性が31.6%。年金受給年
 齢の引き上げや高額医療の自己負担金増、住宅ローンの返済や小戸もの学費、物価高騰
 などの理由で、65歳を過ぎても働かざるをえない人はこれからも増加の一途をたどる
 だろう。老後は「死ぬまでセックス」どころではなく「死ぬまで労働」になる確率の方
 が高い。  
・そうした状況下で「60代や70代になっても、夫婦円満で過ごせるはず」という希望
 的観測を持てる人は、よほどこれまでの夫婦生活に自信があるのか、もしくは鈍感であ
 るかのいずれかだろう。また、どれだけ夫婦円満であっても避けられない別れはある。
・理想の一つと考えられている「性的に穏やかな老後」の分析から見えてくるのは、「美
 しく枯れること」の難しさだ。超高齢社会では、亡くなる直前まで元気に活躍する「ピ
 ンピンコロリ」が理想とされており、長期の寝たきりの末に亡くなることは「ネンネン
 コロリ」と呼ばれて忌避の対象になっている。  
・健康寿命と平均寿命との間には、男性で約9年、女性に至っては約12年もの差がある。
 つまり、多くの人は亡くなるまでの平均10年前後の間、日常生活に制限のある不健康
 な状態で過ごさざるをえないのだ。「ネンネンコロリ」に陥ることも避けられない。 
・性生活に関しても、ある年齢を境にコロリと性的欲求が消失するのであれば、そのまま
 美しく枯れることができるのかもしれない。しかし、「ピンピンコロリ」が幻想にすぎ
 ないことも同様に、「美しく枯れること」もまた幻想にすぎないのだとしたら、私たち
 は、いったいいつまで自らの性の残滓と戦わなければならないのだろうか。 
・「この1年間に性交したいと思ったことはどれくらいあるのか」という質問に対する結
 果は、「たまにあった」まで含めると、配偶者のいる60代男性で78%、70代男性
 で81%だった。同じく配偶者のいる60代の女性では42%、70代女性は33%で
 ある。
・単身者の場合も、60〜70代男性では78%、60〜70代女性は32%が、性交へ
 の願望を抱いている。「人は年老いたら枯れる」というのはあくまで一面的な見方であ
 り、男性の約8割、女性の約3割は、70代になってもセックスへの関心や願望が多か
 れ少なかれ持続させていることがわかる。
・夫婦のセックス(挿入を伴う性交)の頻度について、「この1年まったくない」と答え
 た人の割合は男性は60代で53%、70代では69%に上る。女性は60代で66%、
 70代で76%になっている。60代以上の夫婦は、おおむね6〜7割がセックスレス
 であることが推測される。 
・ちなみにセックスのない人が性生活を停止した年齢は、全体平均で男性52.9歳、
 女性50.6歳。日本人女性の閉経年齢の中央地値はやく50歳なので、女性に関し
 ては閉経前後の時期にセックスを卒業する人が多いことがうかがえる。高齢者と呼ばれ
 る年齢になるまでに、すでに10〜15年以上セックスレスの状態にあるわけだ。こう
 した状況を覆して、高齢期になってから夫婦間のセックスを再開するのは容易ではない
 だろう。
・一方で、70代になっても全体の2〜3割の夫婦はセックスをしている。「年に数回」
 と回答したのは、70代男性で13%、70代女性は10%。「月に1回以上」は70
 代男性で18%、70代女性で9%に上る。
・セックスの有無と結婚生活の満足度の関係については、60〜70代の男性では、セッ
 クスの頻度が月1以上の人の70%が「満足」していると回答している。セックスをま
 ったくしない人の中で、「満足」と回答した人は42%に留まる。男性に関しては、セ
 ックスの頻度と結婚生活の満足度の間には関連があると言える。一方女性に関しては、
 男性ほどはっきりとした関連は見られない。
・病気による手足の麻痺によって自力で射精行為が困難になった男性の妻が「夫の性的欲
 求を何とか充足させてあげたい」と考えたものの、長年セックスレスの関係が続いてい
 る夫との性的接触にはどうしても抵抗感があるため、夫の射精の介助を外部のケアスタ
 ッフに依頼するケースもあった。
・夫の求めに応じるのが妻の努め(義務)という「義務としてのセックス」という考えは、
 高齢世代の間では未だに残存しているが、そうした中で夫の射精を「外注」する決意を
 した時、彼女の胸にはどのような思いが渦巻いていたのだろうか。
・男性の加齢に伴う性の悩みの代表は、勃起不全である。60代男性の15%、70代男
 性の23%が、現在勃起不全になっていると回答している。勃起昨日改善薬(ED改善
 薬)の使用については、「使用したことがある・使用している」の合計が、60代男性
 で15%、70代男性の21%になっている。
・一般には、勃起不全になった段階で性生活を諦める高齢男性が多いというイメージがあ
 るが、現実は必ずしもそうではない。40〜60代の中高年女性が働く熟女専門風俗店
 の経営者から聞いた話では、勃起不全になったとしても、女性の温もりやコミュニケー
 ションを求めて通ってくる高齢男性は少なくないそうだ。そうした男性には「女性を抱
 く」のではなく、「女性に抱かれたい」という欲求があるという。
・性交痛に対処するためゼリー(膣潤滑剤)を「使用している・したことがある」と回答し
 た配偶者のいる割合が、前回の調査時の7%から大幅に増加し、31%に達した。また
 性交痛に対処するためのホルモン(補充)療法の経験者も8%存在した。セックスレスが
 問題化される反面、加齢に伴う性的なトラブルに積極的に対処している高齢者の存在も
 見ててくる。
・夫婦間の性欲の程度に関する質問については、60〜70代の男性の約3割、女性の約
 5割が「ともに欲求がほとんどない」と答えている。お互いに性的欲求がほとんどない
 のであれば、それはそれで問題は起こらない。問題になるのは、配偶者が自分より乏し
 すぎる、あるいは強すぎる場合だ。60〜70代の男性の約4割は、「相手(妻)の欲
 求が自分より乏しすぎる」と回答している。
・一方、60代女性の26%、70代女性の11%は「相手(夫)の欲求が自分の欲求よ
 り強すぎる」と回答している。自分の性的欲求が妻の性的欲求と釣り合わず、そのギャ
 ップをどう解消すべきか悩んでいる男性の姿、夫の性的欲求を受け入れられずに困って
 いる女性の姿が浮かび上がってくる。なお、「ともに同じ程度の欲求がある」と回答し
 た人は、男女とも約1〜2割に留まり、「相手(妻)の欲求が自分の欲求より強す過ぎる」 
 と回答した男性はほとんどいない。
・夫婦間の性欲ギャップの原因については、お互いの元々の性欲の強さ、加齢によって性
 欲が減少していく速度の違い、そしてそれまでの性生活の在り方や夫婦の関係性など、 
 様々な要因が絡んでいるため、それらを解きほぐして解消に向かわせることは困難であ
 る。そのため、ギャップを解消するのではなく、自慰行為や婚外セックスなど、何らか
 の代理的な手段で埋め合わせる対策が主流になる。
・自慰行為の頻度について、「月1回以上」と回答した配偶者のいる人は、60代男性の
 44%、60代女性は11%である。妻との性欲ギャップのある60代の男性が、妻と
 のセックスの後にAVを観ながら自慰行為をして、発散しきれなかった欲求を解消する
 ケースがあった。配偶者との性欲ギャップの調整弁として、自慰行為をポジティブに活
 用している高齢者も存在する。
・また不倫をはじめ、婚外でのセックスに関するタブー視は高齢世代においても確実に弱
 まっている。妻との性欲ギャップの解消を諦めた男性が、妻に暗黙の了解を取り付けた
 上で婚外パートナーをつくり、双方を傷つけないように配慮しながら、十数年間にわた
 って婚外関係をマネジメントしているケースもあった。
・婚外関係の構築に乗り出している人は一定数存在する。性的な関係があっても、「家庭
 に迷惑がかからなければいい」と回答した人は、60代の男女で3%から12%に増え
 ている。そして「配偶者以外の異性と親密な付き合いがある」と回答した人は、60代
 の男女で4%から15%に増えている。
・ちなみに交際相手との経済関係に関する質問については、「援助しても、されてもいな
 い」という回答が多数であり、経済力のある既婚男性が独身女性を経済的に援助する、
 という一昔前にみられた愛人契約のような関係は近年少なくなっていることが予想され
 る。
・60〜70代の単身者の結婚歴を見ると、男性は離別(38%)と死別(44%)が拮
 抗しているが、女性は離別(21%)に比べ死別(64%)の割合が高い。初婚年齢の
 上昇、生涯未婚者や離婚件数の増加、死別者の自然増といった条件が単身者の結婚歴に
 も反映されていると言える。
・交際相手のいる割合は、男女とも配偶者と離別した層が最も高い。つまり、離婚後に新
 しいパートナーをつくった後、あえて結婚しないという選択肢をとっている人が多いこ
 とが窺える。一方で、未婚者は男女交際そのものに消極的であり、交際相手のいる人は
 男女ともに1割程度に留まっている。
・60〜70代の単身者は男女ともに結婚願望は高くない。「結婚したい・どちらかとい
 えばしたい」と回答した人は、男性35%、女性11%に留まっている。男性は年金や
 遺産相続など、経済的な問題がハードルになるようだ。女性に関しては、自由を拘束さ
 れたくない、今さら男性の家事や身の回りの世話をしたくない=保守的な性別役割分業
 に巻き込まれたくない、という意識が背景にあることが窺える。
・単身者のセックス頻度は、60〜70代男性の27%が「月1回以上」と回答している。 
 セックスの相手の大半は交際相手だが、売買春や行きずりの相手という回答も上がって
 いる。高齢の単身男性は、配偶者のいる同世代の男性よりも性的に活発であることがわ
 かる。
・一方、60〜70代の単身女性のうち「月1回以上」と回答したのはわずか4%で、
 75%は「この1年まったくない」と回答している。高齢の単身女性は、配偶者のいる
 同世代の女性よりも性的に不活発である。
・高齢者の単身者に関しては、「パートナー(交際相手)の有無」が「セックスの有無」
 にほぼ直結している現実がある。パートナーのいる単身者は、配偶者のいる人に比べて
 活発な性生活を送っている。配偶者のいる女性よりも、交際相手のいる単身女性の方が、
 1回のセックスのかける時間は長く、セックスのよって得られる精神的満足度も高い傾
 向にある。
・いくつになってもセックスへの未練や執着を断ち切れずにモヤモヤしている高齢者、パ
 ートナーとの性欲のギャップに悩んでいる高齢者が思いのほか多いという事実が浮かび
 上がってくる。高齢世代の夫婦に対する「セックスは卒業して、性的に穏やかで円満な
 夫婦関係を送っている」というイメージ、そして単身高齢者に対する「性とは無縁の枯
 れた存在」というイメージは、改めて幻想に過ぎない。
・じつは高齢期の性生活の充実度は、高齢期になってからの努力や工夫ではなく、その前
 段階でほぼ決まってしまうことがわかっている。30〜40代の夫婦の性生活における
 二つのハードルである「産後」と「更年期」をいかにうまくクリアできるかが、高齢期
 の性生活の充実度に大きな影響を与える。
・一つ目のハードルである「産後」の時期は、子どもの誕生による幸せに満ちた時期であ
 る半面、妻が身体的・精神的に不安定になりがちなために、夫婦仲に亀裂が入りやすい
 時期でもある。「産後クライシス」という言葉がある通り、この時期は夫婦間のコミュ
 ニケーションの祖語や断絶によって、浮気や不倫、セックスレスなどの契機になりやす
 い。 
・二つ目のハードルである「更年期」は、個人差はあるが男女ともに訪れる。女性の更年
 期は、卵巣の機能が衰え初め女性ホルモンの産生が急激に減少する時期、具体的には閉
 経を挟んだ前後10年の時期を指す。卵巣から分泌される女性ホルモンの一つであるエ
 ストロゲンが減少し、体の中のホルモンバランスが乱れることによって自律神経の調節
 も乱れ、ほてり・のぼせ・冷えなどといった様々な不調(更年期障害)が身体に現れる。
・男性の更年期には、男性ホルモンの一つであるテストステロンが減少し、集中力の低下
 や無気力、不眠や性欲の減退、EDやうつ症状となって現れる。男性には女性の閉経に
 あたる劇的なホルモンの変化は生じないが、更年期障害に関しては個人差が大きく、全
 く気にならないレベルの人がいる反面、うつなどの症状に苦しむ人もすくなくない。
・ここで認識しておくべきことは、産後や更年期につまずいてしまい、そのまま数十年放
 置してしまった夫婦関係や性生活を、高齢者と呼ばれる年齢になってから修復・再開さ
 せようとするのはほぼ不可能、という冷徹な事実だ。  
・夫に対しては、「妻がげんなりするような行動、例えばだらしない恰好や不潔な行為を
 する、酔っぱらって性的なことを強要するなどの行動をやめる」「妻の固まった心と身
 体をほぐすためにマッサージを学んで妻に実践し、そこから徐々にスキンシップを復活
 させていく」「勃起や射精にこだわらず、肌の触れ合いや精神的なつながりを重視する」
 など。
・妻に対しては、「夫と向き合い、これまで妻側の都合でスキンシップやセックスを拒否
 してきた場合は、まず一言「ごめんなさい」と謝る」「その上で、焦らずに時間をかけ
 て、もう一度男と女として触れ合いたいという気持ちを伝える」「夫の凝り固まった心
 と身体を溶かすために、きれいではつらつとして生きる」「いきなり大胆な下着で迫る
 ようなことはせず、夫の動向や趣味嗜好をリサーチしながら、自然に二人で性に関する
 会話ができるような土台をつくっていく」「まずは手つなぎや腕組み、背中からのハグ
 など、日頃のゴディタッチの再開から始める」などの対応策などを挙げている。しかし、
 実際に十数年から数十年のブランクを乗り越えて性生活を再開させることのできる夫婦
 は多くないそうだ。
・現代社会における高齢者の四重苦は、「経済的貧困」「健康の悪化」「役割の喪失」、
 そして「孤独」であるとされている。その中でも、孤独からくる寂しさや不安は、最も
 大きく癒しがたい苦痛になりうる。この孤独を埋めるために性愛が大きな役割を果たす
 わけだが、その果実は誰もが得られるわけではない。
・高齢者の抱える性的孤独は、その切実さの反面、外部からは極めて見えづらいものであ
 った。しかし近年になって、それは高齢者ストーカーの増加という形で顕在化し始めて
 いる。好意を持った相手に執拗につきまとったり、いやがらせ行為をしたりするストー
 カーは社会問題になっている。2015年の警察白書によれば60〜69歳が6.9%、
 70歳以上が2.8%と、行為者の約10人に1人が60歳以上になっている。
・社内での地位や肩書、資格や学歴といった看板に依存して生きてきた人ほど、プライド
 の高さゆえに他人かtら拒絶・否定されることに慣れておらず、相手の気持ちを理解で
 きないことが少なくない。仮に拒絶された際も「自分が拒絶されるはずがない」「悪い
 のは相手だ」という自己中心的な思考に陥り、場合によっては自暴自棄な振る舞いをし
 てしまう。
・「居場所がない人、居場所作りに失敗した人が高齢者ストーカーになる傾向がある」。
 そう考えると高齢者ストーカーの問題は全く他人事ではないと思う人も多いのでは な
 いだろうか。加齢に比例して、他者や社会から否定される機会は増える。頑張ったとこ
 ろで報われないことも増える。そうした否定や挫折による孤独をうまく自分の中に受け
 入れられないと、人はストーカーになってしまう。
・絶倫にこだわる高齢者も、異性へのストーキングに手を染めてしまう高齢者も、加齢に
 よって衰えていく自分、他者や社会から必要とされなくなっている自分を認めたくない
 という点においては、同じコインの裏表なのかもしれない。
・居場所の問題と並んで、高齢期のストーカーの背景にある問題は、恋愛欲求だと言われ
 る。人生のタイムリミットが迫る中で、「最後にやり残したこと」として恋愛を挙げる
 人は非常に多い。恋愛結婚が主流になる前の時代、親や親戚から勧められた縁談で結婚
 した人が多数派を占める世代とって、「恋愛をしたことがない」「結婚して子どもはい
 るけれども、本当の恋愛を経験したことがない」というコンプレックスは高齢期にも消
 えないことがある。むしろ高齢期になればなるほど、「もう次の出会いはないかもしれ
 ない」「人生最後の恋がしたい」という切迫感を伴って増幅されることもある。 
・こうした世代的なコンプレックスの増幅に、居場所の欠如による孤独の問題が絡むこと
 で、たまたま出会った目の前の相手に常軌を逸するほど執着してしまう事態が生じてし
 まうわけだ。交際中のトラブルや別れのトラブルからストーカーに発展する若い世代に
 比べて、高齢者は交際に至っていない段階からストーカーに発展するケースが多いとい
 う。すなわち一方的に「相手も自分のことを好きなはず」「自分にはあの人しかいない」
 「運命の相手だ」と思い込み、その結果相手から拒絶され、「裏切られた」「自分はだ
 まされた被害者だ」と逆恨みしてストーキングに走る、というケースだ。
・言うまでもないことだが、相手の気持ちを考えずに自分の気持ちを一方的に押し付ける
 ことを恋愛とは呼ばない。そう考えると、高齢期にストーキングに走ってしまう人たち
 は、恋愛を「自分を無条件で受容・肯定してくれる相手と出会うこと」だと勘違いして
 いるのかもしれない。まさに恋愛経験の乏しい思春期の中高生と同じ発想だが、行動力
 とありあまる時間がある分、たちが悪い。
・彼ら・彼女らが本来やるべきことは、目の前の相手に勝手な幻想を投影して付きまとう
 ことではなく、対人関係の基本を学びなおすことだ。今後は若年世代だけではなく、高
 齢者に対する恋愛教育、性教育が必要になっていくのかもしれない。  
・だが一方で、年を取れば取るほど、他者からの承認や受容を得ることは難しくなってい
 く。社会的な評価を得られる仕事から離れ、家族や友人・知人を失い、収入も減る。そ
 うした中で、「自分を認めてほしい」「愛してほしい」という承認欲求、そして「今の
 自分が敬われていない・愛されていないのは、社会が悪いからだ」「自分は何も悪くな
 い」といった非難の矛先を他者に向け続けることは、相手にとっても自分にとっても不
 幸な結果を招きかねない。加齢とともに、他者からの評価に依存するのではなく、自己
 評価で自足する姿勢を身につけることが必要になるだろう。
・どれだけ抗ったところで、大多数の人は加齢に伴って自らの社会的な孤独、そして性的
 な孤独と向き合うことを余儀なくされるのが現実だろう。夫婦関係の不和や社会的な孤
 独の中で、なおも下半身にくすぶり続ける性的欲求の残滓と向き合って生きいかざるを
 えないというのが、超高齢社会における大多数の高齢者にとっての嘘偽りのない現実だ
 と言える。  
・50歳だった人のうち一度も結婚経験のない人の割合を示す生涯未婚率は、男性ではす
 でに20%を超えている。将来的には男性の4人に1人が、恋愛や結婚経験のないまま
 65歳を超えて、高齢者の仲間入りをすることになる。
・性愛パーティーの不在という性的孤独だけではく、そこに経済的困難や地域社会がら孤
 立、それに伴う情報や人間関係の欠如などの問題が絡まり合えば、人として生きていく
 上で最低ラインの性的な健康や権利すら満たせなくなってしまう。ひとたびそうした
 「性的貧困」に陥ってしまえば、性愛を希求する意欲、他者とのつながりを求める意欲
 自体が枯渇してしまい、最終的には生きる意欲そのものが失われてしまうリスクがある。  
 性的貧困の状態に転落する高齢者は、今後は増加の一途をたどることが予想される。
 
「セーフティネット」は存在するのか
・「交際クラブ」には現役の大学生からOL、看護師CA(キャビンアテンダント)とい
 った専門職、モデルやタレントの卵まで多種多様な女性が登録しており、男性は5〜
 10万円程度の年会費と、1回につき3〜5万円程度のセッティング料金を支払えば、
 自分の好みに合った年齢・容姿・職業の女性を紹介してもらえる。 
・登録している60〜70代の男性には、富裕層の男性が少なくないという。年齢が上が
 れば上がるほど、日々の生活の中で孤独感を持て余している人が多いようだ。趣味に生
 きるとしても一人では楽しくないが、隣に女性がいれば救われる。
・また「いつまでも男として現役でいられるか試したい」「人生の最後に一花咲かせたい」
 という人や、長期間不倫関係にあった女性と別れてしまい、それによって生じた心の空
 洞を埋めるために登録する人もいる。彼らの目的は、経済力を活かして若い女性の「パ
 パ」(愛人契約の関係)になることだ。80代半ばのある経営者の男性は、「身体の相
 性が合う女性を見つけて、月額25万円で愛人兼秘書にして取れまわしたい」と語って
 いた。  
・還暦を超えたパパたちの大半は既婚者だが、こうした不倫・愛人関係が妻に漏洩する心
 配はないのだろうか。60〜70代になると妻にバレることを気にしている人はほとん
 どいないという。妻の側も「毎月の生活費さえ入れてくれれば、あとは何をやってもい
 い」と黙認している場合も少なくないそうだ。 
・昭和初期に生まれた戦中世代の男性が、50歳以上年齢の離れた平成生まれの若い女性
 とデートする場合、果たして会話が弾むのだろうか?だがデートの場合において男性は
 そもそもしゃべる必要がないという。年配の檀背を選んで付き合うような女性は、決し
 て今流行のアイドルや音楽の話をしたいわけではなく、ビジネスや投資の話など、自分
 の知らない世界の話を聞きたがっている。つまり男性は女性からの質問に答えるだけ、
 あるいは女性の話を聞くだけでいい。その上でセンスの良い服装や店選びをして、食事
 後の支払いをスマートにこなす後姿を見せてさえいれば十分なのだそうだ。 
・交際クラブで女性との出会いを得て人生が明るくなる人は、おおむね全体の半分程度で、
 残りの人はあまり変わらない。「お金の無駄だった」と後悔するだけで終わる人もいる。
 交際クラブに費やすお金は人によって様々だが、月額5〜10万円程度を支払う余裕が
 あれば、毎月1〜2名の女性と確実に出会い、デートをすることができる。決して安い
 金額ではないが、経済的に余裕のある小金持ちたちの高齢者にとっては無理な金額では
 ないだろう。 
・生身の相手との恋愛やセックスを通じて日々の孤独感を埋めたいという願望は、パート
 ナーのいない高齢者に限らず、誰もが多かれ少なかれ、胸の奥に抱えているはずだ。そ
 うした願望を実現するだけの気力と精力、そして経済力のある人は、交際クラブでの愛
 人契約という選択肢を取ることができる。孫娘と変わらない年齢の異性と愛人契約を結
 ぶことについては賛否が分かれるだろうが、成人間の合意に基づいた契約であるならば、
 決して否定することはできない。 
・こうした愛人契約であれば、生身の相手との関係を持ちたい」という欲求そして周囲に
 迷惑をかけないという要件を過不足なく満たすことができる。理論上は性的貧困への転
 落を防ぐセーフティネットの一つであることは間違いない。しかし現実的には、「孫と
 同じくらいの年齢の相手との愛人契約」という選択肢は、大多数の高齢者にとっては、
 セーフティネットにはまずなりえない。経済力の層がごく一部に限られるから、という
 だけではない。今さらそこまでして新たな相手を探す勇気も気力もないというのが、お
 そらく大多数の高齢者の本音だからである。 
・夫婦関係の修復が困難であり、新しいパートナーと関係を結ぶこともおっくうな高齢者
 にとって、生身の相手を通じて性的な欲求を満たすための現実的な選択肢は、性風俗店
 の利用しかないだろう。 
・高齢化の進むソープランド街・吉原のルポルタージュでは、80代になっても毎週通っ
 ている男性もいれば、年金受給日に自転車を漕いで通ってくる男性、遠路新潟や長野か
 ら新幹線で通ってくる男性もいるという。事前に服用したED治療薬の効果で常時勃起
 状態になった股間を隠すようにして来店する男性もいる一方で、加齢によって勃起でき
 なくなったため、挿入せずに性上位で腰を振るだけの「エアセックス」をする男性や、 
 割り箸をコンドームの中に入れて挿入感だけでも味わおうとする男性もいるそうだ。
・「生身の相手とセックスをしたい」「挿入は無理でも、裸で抱き合って温もりを感じた
 い」という願望の背景には、「自分を一人の人間として、価値ある存在として認めてほ
 しい」といった承認欲求が絡むことがある。勃起や射精等の性機能は加齢に比例して低
 下するが、一人の人間として承認されたいという渇望感は、むしろ加齢に伴って増すこ
 ともある。 
・東京・仙台・福岡で営業しているシニア専用デリヘル「こころあわせ」に登録している
 女性は50人程度で、平均年齢は30代後半〜40代半ば。完全予約制のため、都合の
 良い時間に働けることがメリットになっているという。こうした高齢者専門風俗店は、
 交際クラブと同様に経済的に豊かな「上流老人」を相手にしたビジネスである。
・2015年の家計調査によれば、高齢者世帯では、貯蓄現在高が2500万円以上の世
 帯が約3分の1を占めている。2000万円以上の金融資産を持っている高齢者を「上
 流老人」と定義している。「こころあわせ」を利用している経営者や医師にも、こうし
 た上流老人が多いことが予想される。  
・経済的貧困とは無縁の暮らしをしている高齢者が悩まされるのは人間関係の貧困、すな
 わち孤独からくる寂しさだ。経済的には上流であるが自ら不幸だと感じている高齢者は、
 「寂しい」と感じている人が相対的に多いという結果が出ている。富裕層の高齢男性が
 お金だけでは埋められない寂しさを、生身の女性との性的な触れ合いを通じて紛らわせ
 るために「こころあわせ」を利用している様子が窺える。  
・近所に6〜20人知り合いのいる一人暮らし男性の幸福度は、0〜2人しか知り合いの
 いない一人暮らしの女性の幸福度と同じ程度である。一人暮らしの男性の場合、知り合
 いの多さと幸福度は必ずしも比例しないようだ。 
・一人暮らしの男性の幸福度を上げる条件は、子どもや孫がいることよりも、隣近所に知
 り合いが大勢いることよりも、ガールフレンドがいることであるという結果が出ている。 
 異性の友人や恋人といった生身の相手の有無が、老後のQOLを大きく左右すると言え
 る。
・経済的に余裕のある上流老人が、時間内限定で生身の恋人の役割を代行してくれる高齢
 者専門風俗を活用することで、孤独を紛らわせることは可能だ。女性とはあくまで金銭
 を介したその場限りの関係になるので、不倫や愛人関係のように私生活にまで影響を及
 ぼすリスクも少ない。法律上、挿入を伴うセックスをするおとはできないが、「加齢に
 よって勃起や射精が難しくなったが、若い女性の裸体を生で観賞したり、ベッドの中で  
 抱き合って一緒の時間を過ごしたりすることができれば、それだけで満足」と考えてい
 る人にとっては、申し分のないサービス内容だろう。
・いくつになっても若い頃と同じように生身の若い女性とのセックスに執着する彼らの姿
 は、年齢に縛られない自由さの証明ではなく、自らの老いを受け入れられない不自由さ
 の証明のように映ってしまう。そう考えると、高齢者専門風俗店や交際クラブにおける
 高額の利用料金や年会費は、いくつになっても煩悩から解脱できない凡夫に課せられる
 「税金」のようなものなのかもしれない。「納税者」であり続けられる高齢者は決して
 多数派ではないだろうし、「税金」を支払い続ける姿は、同世代や下の世代の男性から
 見ても、必ずしも恰好のいいものではない。 
・「個室部ビデオ店」と呼ばれる空間の店舗1階のフロアにアダルトDVDが多数陳列さ
 れた棚が整然と並べてあり、男性客は自分の好みのDVDを選んで2階の個室で鑑賞す
 るという仕組みになっている。個室は完全防音になっており、フラットシートで寝そべ
 りながら大画面のテレビで周囲を気にせずに観賞することができる。もちろん個室内で
 自慰行為をすることも自由だ。「個室ビデオ店」という業態名から、どうしてもいかが
 わしいイメージを持ってしまいがちだが、店内は明るく清潔に保たれており、個室の並
 ぶ2階フロアはさながらシティホテルのようだ。この店舗の利用料金は、早朝パックで
 あれば3時間1080円。この料金で新作のAV(アダルトビデオ)を個室で見放題で
 あれば、レンタルビデオ店と比較しても安い。自宅にアダルトビデオDVDを置きたく
 ない人、そもそも自宅にDVDプレーヤーがない人にとっては福音とも言える空間だ。
 外界から隔絶された清潔な個室の中で、平日の朝9時から誰とも会話せずに、ひんやり
 としたフラットシートに身体を横たえながら黙々とアダルトDVDを観賞し、自慰行為
 を続ける高齢者たち。果たしてここは現代のユートピアなのだろうか。それともディス
 トピアなのだろうか。
・AVをはじめとする成人向け映像コンテンツは、性的満足の実現を求める高齢者にとっ
 て、最も現実的かつ身近な選択肢の一つになっている。介護福祉の現場でも、男性利用
 者・入所者のニーズに応えて、AVを視聴する時間や部屋を設けている施設もあるとい
 う。
・著書「下流老人」では、生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者
 を「下流老人」と定義している。具体的には、等価可処分所得の中央値の半分(単身世
 帯で年収120万円程度)未満で生活している高齢者を指す。
・下流老人には食事を満足に取れない人、社会的に孤立している人、医療費を支払えずに
 病気の治療ができない人、アパートの一室で人知れず孤立死を迎える人など、健康面・
 経済面に大きな問題を抱えて、社会的孤立・排除されている人が少なくない。しかし、
 そういった日々の生活で精一杯の状況にある人が、アダルト関連のサービスやコンテン
 ツに関心がないかと言えば、必ずしもそうでもない。個室ビデオ店の情景は、こうした
 下流老人でも「豊饒な性生活を送ることのできる時代」を端的に表していると言えるだ
 ろう。
・AVというと、どうしても「若者が観ているもの」というイメージがあるかもしれない
 が、現在のAV市場を買い支えているのは、ほぼ完全に中高年層になっている。ネット
 上で無料動画の氾濫によって若い世代がお金を払わなくなっている中、きちんとお金を
 出してAVを観ている層は30代後半〜50代の男性だ。
・ユーザーの高齢化によって、2000年代以降のAVの世界では二つの大きな変化が起
 こっている。一つ目の変化は、「熟女」「人妻」といったジャンルの人気の高まりだ。
 熟女の定義は幅広く、20代後半からおおむね50代までの女性を指す。ざっくり言え
 ば、18歳から20代前半の年代以降の女優は「熟女」「人妻」というくくりに入れら
 れる。
・中高年のユーザーにとっては、自分の年齢の近い女優、自分の生活圏にいそうな属性の
 女優の方がリアリティを感じられるのだろう。年齢や住んでいる世界が自分とかけ離れ
 た若い女の子、自分の娘と同じくらいの年齢の女の子を性的欲求の対象にするのは難し
 いと感じる男性も多い。「若さについていくのは疲れる」と感じる中高年男性も少なく
 ない。
・AV市場が高齢化している一方、多くの人は「自分はAVを観ているような人間じゃな
 い」というプライド、そして「この年になってAVを観るのは恥ずかしい」といった羞
 恥心を持っている。もちろんそれらを無理に捨てる必要はない。
・経済状況やパートナーの有無にもかかわらず、全ての人に等しくアクセスが保証されて
 いるAVは、確かに高齢者を含めた「全ての孤独な人たち」のためのものだと言える。
 その意味では、性差別の塊と非難されがちなAVこそが、じつは万人の頭上に平等に降
 り注ぐ福音なのかもしれない。 
・プライドや羞恥心を捨てさえすれば、あなたは一生かかっても観切れないような膨大な
 アダルト映像の海の中に耽溺し、満ち足りた余生ならぬ「余性」を送ることができるか
 もしれない。それはある人にとっては敗北であり、人間性の放棄以外の何物でもないか
 もしれないが、ある人にとっては救済になりうる。どちらが正しい選択なのかを審判す
 る権利は、誰ももっていないはずだ。
・「もう一度恋愛をしてみたい」「あわよくば配偶者以外の相手と、身も心もとろけるよ
 うなセックスをしてみたい」と考えているが、実際に行動に移す勇気はない。これまで
 道を外さずに堅実に生きてきたというプライド、そして羞恥心があるため、市販のアダ
 ルトコンテンツにもなかなか手を出せない。現実には、こうした人たちが高齢者のサイ
 レント・マジョリティ(物言わぬ多数派)を形成していると思われる。そんな彼らにと
 ってセーフティネットになりうるのは、性風俗やAVのように露骨に性的なものではな
 く、「一見するとアダルト向けには見えないアダルトコンテンツ」なのかもしれない。
・官能小説とは、読者を性的に興奮させることを目的として、異性・同性間の性交場面を
 中心に描かれる小説である。人妻もの・熟女もの・未亡人ものなど、様々なジャンルに
 分かれている。
・現在月刊誌として残っている唯一の官能小説雑誌「特選小説」の読者層は40代以上の
 男性が中心で、最もボリュームが多いのは60代。10年以上毎月購読している人も多
 く、中には90代の読者もいる。
・女性向けの選択肢として最初に思い浮かぶのはアダルトグッズだ。高齢女性の間でもグ
 ッズは徐々に普及し始めている。通販やスマホの普及に伴い、グッズへのアクセシビリ
 ティは大幅に向上している。いわゆるエロや娯楽といった文脈だけではなく、健康関連
 の文脈でも語られるようになったため、グッズへの抵抗感や嫌悪感が薄まった。その結
 果、高齢女性が物理的にも精神的にもアクセスし易くなった。
・高齢期の女性にとってマスターベーションは「自分の身体の慣らし運転のようなもの」。
 高齢期になれば、どうしてもパートナー間の性生活はうまく行かなくなることが増える。
 お互いに空気のような関係になれっていれば、今さら改まって性生活の改善を提案する
 ことも難しい。せっかく表面上の関係がうまく行っているのに、ことさらに性の話を持
 ち出して現状を崩してしまうようなことは憚られる。
・そこでイライラを募らせたり、相手のせいにしたりするのではなく、グッズによって性
 的欲求を解消することができれば、メンタル面や生活の安定にもつながる。高齢世代の
 女性はどうしても「性の歓び=男性から与えてもらうもの」と考えてしまいがちだが、
 相手に任せにせず自分の力でそれを得る方法を学べば、もう誰のせいにもしなくて済む。
・グッズからさらに一歩踏み込んだ選択肢としては、女性向けの性感マッサージがある。
 マッサージ師は男性で、利用料金は60分6500円。全身のリラクゼーションマッサ
 ージを行った後に、乳房や女性性器への刺激を通して女性を絶頂へと導くという流れだ。
 男性器の挿入は行わないため、利用する女性の立場からすれば、一応「夫を裏切ってい
 ない」という安心感は得られるのだろう。高級マンションの一室や女性側から指定する
 清潔感のシティホテルなど安全かつ落ち着いた空間で行われるサービスであり、婚外恋
 愛や不倫とも異なるため、女性が自分自身への言い訳をし易い点もメリットなのかもし
 れない。
・ただし、密室で初対面の男性と二人きりになって全裸を晒さなければならないことに当
 然ながら抵抗を感じる女性もいる。そして性感マッサージ師の多くはホームページのみ
 で宣伝している個人営業であり、中には下心のありそうな怪しい男性もいるため、安全
 性の確認が難しいという問題もある。そのため友人・知人からの口コミを通して信頼で
 きるマッサージ師を探すことが大切だ。
・性的欲求を満たす手段は、挿入を伴う性行為だけではない。ハグなどのスキンシップで
 十分に満たされる場合もある。憧れの男性と見つけ合うことで得られるほんの一瞬のと
 きめきが、セックスを上回る快楽をもたらすこともあるだろう。ストリップ劇場に通っ
 て全裸の踊り子を観ることでエネルギーを充填する高齢男性は昔から存在するが、高齢
 女性にとってのストリップ劇場に該当するが、エロメンあるいは半裸で踊る細マッチョ
 の韓流アイドルなのかもしれない。
・60〜70代の女性の中には、グッズのような商品、そして性感マッサージのようなサ
 ービスではなく、出会い系サイトを活用してパートナーを探す人もいるという。この世
 代は固定電話やガラケーしか使えない・使っていないと思われがちだが、巧みにスマホ
 を使いこなす人もいる。高齢世代でも情報収集力には個人差が極めて大きい。
・出会い系サイトの世界で、高齢女性への需要はあるのだろうか?受容は確実にあるとい
 う。若い世代の女性はどうしても「会ってあげる」という態度で臨みがちだが、60代
 を過ぎた女性は「こんな年齢の自分でよろしければ、一緒の時間を過ごしてくださいま
 すか」というへりくだった態度を示すことが多い。そして「お互いのできる範囲で、そ
 れぞれの希望に合わせたお付き合いができればよいですね」と、相手の立場に立った提
 案をすることができる。コミュニケーションが一方通行ではないため、あえて年配の女
 性に絞ってアプローチをかける男性もいる。そう考えると、「出会い系サイトで同世代
 の相手を探す」という選択肢は、高齢期において性生活の充実を求める女性にとって、
 じつは最も現実的な選択肢なのかもしれない。
・シニア婚活は万人向けではない。また現役を引退した男女の集まるパンづくりやそば打
 ち教室、英会話やワインスクール、地域のお祭りといったコミュニティに参加すれば出
 会いが見つかるというわけでもない。だとするならば、女性にとっても男性にとっても、
 最初から同じ目的を持った人たちの集まる出会い系サイトを活用して、そこで同世代の
 異性の相手を探すことが、もっとも現実的かつ効率的だろう。
・非日常と日常の中間地帯に、緩やかな性的なものと触れ合い、語り合えるような居場所
 が社会の中に増えて行けば、いくつになっても自分なりの仮のパートナーを見つけやす
 くなるはずだ。どのような場所で出会った相手であっても、どのような形の存在であっ
 ても、性に対する自分なりの価値観、そして試行錯誤にとって探し当てたパートナーで
 あれば、自分を納得させることができるはずだ。
・「老後の性生活はかくあるべき」という世間の固定観念や偏見、そしてメディアが振り
 まく軽薄な幻想に惑わされてはならない。たとえ他人や世間からみて惨めな状態、滑稽
 な状態に見えたとしても、誰を(何を)パートナーとして選ぶかを決めるのは、あくま
 で自分自身だ。「私の性は、私が決める」という性の自己決定原則は、生涯を通じて不
 変である。そして人生の最終ステージを誰と(何と)一緒に過ごすのかを決めるのは、
 全ての人に与えられた最終にして最高の自由なのだから。
 
介護現場での性的支援・最前線
・高齢期になって生殖の手段としての性という役割が薄れると、他者とのコミュニケーシ
 ョンの手段としての性という側面が強まるようになる。それがプラスの方向に働けば熟
 年恋愛、マイナスの方向に働けばストーカーやセクハラになるわけだ。だが要介護状態
 や認知症になることで判断力や自己決定能力が低下すると、コミュニケーションの手段
 としての性は行き場を失って漂流し、場合によっては暴発する傾向にある。
・一般社団法人ホワイトハンズでは、2008年から重度身体障害のある男性への射精介
 助サービスを行っている。これは自力での射精行為が難しい男性重度身体障害者に対し
 て、ケアスタッフが自宅を訪問し、介護用手袋とローションを用いて射精を介助してく
 れるサービスだ。利用料金は30分2800円なので、それほど経済的な負担にはなら
 ない。
・介護保険制度の中で射精介助のようなサービスを利用できるようになってほしいのだが、
 そういうことを高齢者が言うと、周囲からは「エロじじい」扱いされてしまう。支援者
 からみれば、目の前の利用者が性的存在であることを意識したくないのだろう。
・高齢期の男性にとって、男女の平均寿命の差によって、長生きすればするほど周囲に同
 性の友人・知人がいなくなり、性の話のできる相手や機会が失われてしまうというのは
 深刻な問題かもしれない。
・高齢者への性的支援の基礎となる条件は、「プライバシーを保つことのできる時間・空
 間の確保」である。具体的に言えば、自宅の施設・病院等の場において、本人が誰にも
 邪魔されずに一人になれる時間と空間=安心して自慰行為をすることができたり、人目
 を気にせずに夫婦や恋人同士での愛情表現や性行為ができたりするような時間と空間を、
 日常生活の中で確保することだ。
・公の場で語られることは非常に少ないが、高齢者の自慰行為は、介護の観点だけでなく、
 高齢期の性を考える上で非常に重要なテーマだ。調査によれば70代では男性の31%、
 女性の7%が月1回以上自慰行為をしている。高齢期になれば、誰もが性的パートナー
 がいるとは限らない。配偶者とは死別・離別していることもあるし、仮に配偶者がいて
 も性生活は何十年も途絶えており、今さら再開なんて考えられないという場合もある。 
・高齢者が安心して自慰行為をできるための時間と空間(加えて、必要であれば行為を介
 助してくれる支援者)を確保できるようにすることは、本人のQOLの向上、及び性的
 問題行動の予防の観点からも非常に重要である。
・だが現実は、家庭内やディサービス、施設や病院において、他者の支援を受けながら生
 活している高齢者が誰にも邪魔されずに一人になれる時間・空間をつくることは、物理
 的にも安全確保の観点からも困難である場合が少なくない。
・本人の性的欲求を直接的に解消することが難しい場合、その昇華を支援する対応策もあ
 る。具体的には、外出や散歩の機会を増やして気晴らしをする、茶飲み友達をつくる、
 レクリエーションやタオルたたみなど自発的奉仕活動への参加を増やす、余暇の時間に
 性的表現の含まれる映画を見せる、自分史の聞き取りを行う・・・などだ。
・利用者に自らの胸や陰部を触らせることは介護職として当然できないが、手と手を合わ
 せる、軽く肩を叩いたりさすったりするといったスキンシップがあれば、介護職として
 の倫理基準に反しない範囲で実行可能な場合がある。添い寝に関しても、同じ布団の中
 に一緒に入るのではなく、布団の上からの添い寝であれば、直接的な身体接触を伴わず
 に済む。
・リハビリの場では、好みのタイプの異性の療法士がリハビリの担当になると、熱心に通
 うようになる利用者も少なくない。訪問リハビリでタイプの女性療法士が担当になった
 場合、事前に部屋をきれいに掃除して、身たしなみを整えて待つ男性もいるという。
・一方で、スキンシップをしてくれるのであれば誰でもよいというわけではない。高齢者
 も若者と同じように明確な好みを持っている。また自分以外の相手とスキンシップをし
 ないでほしい、という嫉妬が生じる場合もある。男性の療法士が他の女性利用者に施術
 することに嫉妬する女性もいるという。
・一般的な社会通念に照らし合わせれば、介護職が性風俗店までの移動介助をすることは
 一転的ではないし、推奨もできないだろう。介護職としての業務を逸脱しているという
 批判もあるに違いない。一方で、利用者が自分のお金を、自分の好きな時に好きなよう
 に使うこと自体は、誰も否定できない。性風俗店の利用に関しては賛否があるかもしれ
 ないが、少なくとも利用自体は違法ではない。生活保護受給者がパチンコやアルコール
 をたのしむことについては、生活を破たんさせない範囲であれば問題視されない。要介
 護者についても、介護を受けているからといって全ての行動が制約されるわけではない
 し、第三者の事前許可が必要になるわけでもない。現実的には、「推奨はしないが否定
 はしない」という立場をとることが限界だろう。しなわち、「性風俗店への移動介助」
 をメニューとして公開したり、推奨したりすることはしないが、「性風俗店を利用した
 い」という申し出があった場合には、できる範囲で対応・支援する(周りに迷惑になら
 ない限り黙認する)ということだ。言い換えれば「積極的黙認」だ。
・施設内での恋愛に関しても、同じことが言える。施設内で既婚者同士、あるいは既婚者
 と独身者の恋愛が起こった場合、法律的には不倫になってしまう可能性がある。しかし、
 そもそも支援者の側に、当事者の恋愛感情や人生を審判する権利はない。支援者は「管
 理者」でもなければ「指導員」でもなく、あくまで「相談員」というスタンスで、当事
 者の自己決定を支援していく必要がある。 
・一般常識に鑑みれば必ずしも望ましいとは言えない関係や状態であっても、それが当事
 者にとってQOLの向上に大いに役立っており、かつ周囲に迷惑にもなっていない場合、
 「不倫だからダメ」と頭ごなしに否定するのではなく、上手に黙認・マネジメントする
 ことも必要になるだろう。
・施設内で男性が認知症の状態にある女性に対して性的なアプローチをかける場合、女性
 本人に行為の判断や拒否をする能力がなければ、女性の尊厳を守るためにも、それは止
 めなければならない。一方で、男性からのアプローチを女性が嫌がらずに受け入れるこ
 ともある。「認知症だから」という理由だけで、杓子定規に本人をあらゆる性行為から
 遠ざける対応をすることはできないし、するべきでもないだろう。
・「高齢者の性の最前線」は、繁華街にある性風俗店や個室ビデオ店ではなく、あなたの
 自宅のすぐ隣の家、もしくは近所にあるデイサービスや老人保健施設なのかもしれない。
 それだけ介護現場でのセクハラは状態化しており、現場で働いている女性の介護福祉士
 やケアマネージャー、看護師に尋ねれば、被害の実例は山のように出てくる。圧倒的に
 多いのは男性利用者から女性職員へのセクハラである。「陰部を見せてほしい」などと
 卑猥な言葉をかける、若い頃の性体験を自慢する、胸やおしりを触る、移乗介護の際に
 不必要に身体を密着させてくる、性交などを要求するなど、言動の内容は多岐にわたる。
・男性利用者から何らかの性的働きかけをされた経験のある女性訪問介護員は45.7%。
 その内容は、「体について品評された」「性体験を聞かれた」といった言葉によるもの
 が最も多く、「介護の際に必要以上に体を接触させてきた」、「体をじろじろ見られた」
 、「抱きつかれた」「わざと胸やお尻、股間を触られた」といった強制わいせつに近い
 ものがそれぞれ2割、「好意を告白された・ラブレターを渡された・デートに誘われた」、
 「性交渉を求められた」、「陰部を触るように求められた」、わざとポルノビデオ・ア
 ダルト雑誌、ポルノ写真などを見せられた」となっている。普段はおとなしいが、妻が
 不在の時だけこうした行動をとる人、特定の職員だけにアプローチをかける人もいる。
・男性利用者からのこうした性的な働きかけに対して、女性訪問介護員の抱いた感情は、
 「男だな、という思い」「どんな風に反応したらよいのかという疑問」が多い。「嫌悪
 感や怒りなどの否定的な感情」を抱いた人や「恐怖感や、その場を逃げ出したい感情」
 を抱いた人も多く、男性利用者の性的な言動が女性の心身に見過ごせないダメージを与
 えていることがわかる。 
・一方で、女性利用者から男性職員へのセクハラもある。トイレ誘導の際にズボンの上か
 ら陰部を触られたり、服を脱いで乳房を見せたり、夜間に居室での性行為を要求される
 例もある。中には力ずくで男性職員を押し倒そうとしてくる女性利用者もおり、突然の
 ショックと恐怖のあまり男性職員が固まってしまい、そのまま不本意な性行為を受け入
 れてしまう場合もあるという。 
・女性利用者からのセクハラは、グループホームのように、小規模かつ女性利用者の多い
 空間で起こりやすい傾向があるようだ。認知症のために男性職員を夫や初恋の相手だと
 思い込んでしまったり、好意を抱いた男性職員にキスや添い寝、性交渉をせがんたりす
 るケースもある。尿失禁したことを「性的に興奮して濡れた」と認識し、男性職員を誘
 うこともあるという。男性職員の子どもを妊娠したという妄想に駆られる人もいるそう
 だ。好意を持った男性職員が他の女性利用者のケアをしていると、「浮気をしている」
 と言って怒り出したり、他の利用者に嫌がらせや暴力を加えたりする人もいるという。
・こうした認知症の利用者の性的行動やセクハラに対して、現時点では「施設としてこう
 対応すべき」という指針はないという。部署ごとの指針もなく、個々の職員任せになっ
 てしまっているそうだ。こうした現状が労働環境の悪化、そして職員の離職につながっ
 ている可能性もあるだろう。  
・介護業界は他業種と比較して離職率が高いとされており、職員の平均年齢も若く経験年
 数も少ないことが多い。また高齢者の性に対する理解・対処法について、学校や職場の
 研修で学ぶ機会はほぼ皆無である。看護師、そしてケアマネージャーの養成課程では、
 高齢者の性的行動をどのように理解し、対処していけばよいのかについては全く教えら
 れていない。訪問介護や夜間のケアの場面では、職員と利用者が閉鎖空間で一対一にな
 るため、不安感や恐怖感が増す。こうした現場でセクハラが起こり、かつ適切な対応が
 組織的になされない場合、職員の士気も低下してサービスの質も低下してしまう。年配
 の職員の中には、利用者からのセクハラをうまく受け流したりなだめたりするスキルを
 持っている人もいるが、あくまでそれは個人的レベルに留まり、セクハラに対する知恵
 や対処法が職場全体で共有されることは稀である。家族に報告・相談することも難しい。
・性的な言動をする利用者は「困った人」「認知症だから仕方がない」といったレベルで
 片付けられてしまい、言動の背景にある本人の事情や気持ちは掘り下げられることがな
 かった。職員に対しても「それくらい我慢しなさい」「うまくやり過ごせばいい」とい
 った場当たり的なアドバイスがなされるだけであり、双方が不幸な状態に置かれたまま
 になっていたと言える。 
・高齢者は、心身の老いや認知症などの症状に伴い、性的なコミュニケーションを取れる
 パートナーの不在、性的な欲求を表出できる場所の欠如、判断力の低下などの問題に直
 面する。そして結果として、介護現場での性的な言動が生じるわけだ。そう考えると、
 利用者の性的行動は押さえつけるべき「問題行動」ではなく、支援者が理解し、適切な
 対応をすべき「メッセージ」として捉えることができる。 
・「メッセージ」を適切に読み取るためには、まず利用者が性的行動を起こしたきっかけ
 =誘発要因を調べる必要がある。女性職員が露出度の高い服装や派手なメイクをしてい
 た、認知症の影響で介護者が妻と誤認した、清拭や入浴介助の際に下着を脱がす行為を
 性的な誘いと受け止めてしまったなど、誘発要因は様々だ。
・加齢とともに進む心身の衰えと人間関係の希薄化、それらに伴う不安や孤独の中で、
 「温かいコミュニケーションを取りたい」「要介護者や患者としてではなく、一人の人
 間として受け入れてほしい」「日々おぼろげになっていく自分の存在を確かめたい」と
 いった欲求が強まり、それが性的行動につながっていく。  
・本人の「問題行動」を「メッセージ」として受け止めることが最も困難なのは、ほかな
 らぬ家族である。介護現場で利用者が性的問題行動をとった場合、「家族に伝えるか否
 か」が大きな問題になるが、配偶者や子どもは本人の性的行動を受け入れられない場合
 が少なくない。場合によっては介護意欲がなくなってしまったり、「職員の方々に迷惑
 がかかるから」と強引にサービスの利用を中止させてしまったりすることもある。
・本人の性的問題行動が家族の介護拒否につながった場合、そのままネグレクトや虐待に
 なってしまう可能性もある。要介護状態や認知症になる以前から浮気やセクハラ、嫁に
 対するセクハラなどの性的問題行動を繰り返している人の場合、配偶者や家族が愛想を
 尽かしてしまっていることもある。
・職員やヘルパーは担当を変えることができるが、家族は変えられない。そのためセクハ
 ラの背景にある「メッセージ」を読み取り、それを受け止めてくれる家族がいない場合、
 本人の気持ちは延々と「誤配」され続けることになり、人生の最期の瞬間まで漂流し続
 けることになる。
・高齢者の性的行動に関して介護福祉の枠内で対応できることはそう多くないのが現実だ。
 認知症が進んだ人の中には、自分がセクハラをしたことも、それによって周りに迷惑を
 かけていることも覚えておらず、さらにはセクハラの原因となる欲求やストレスを昇華
 したこと自体を忘れてしまう人もいる。そのような人に対しては、職員の被害を最小限
 にするためにも、表面的かつ事務的なコミュニケーションを繰り返してやり過ごす以外
 に、現実的な方法はないのかもしれない。
・「積極的黙認」等の支援ができる職員や施設が増えていけばよいが、高齢者の性的欲求
 を職員が文字通り身体で「受け入れる」のは職業倫理上不可能であるため、現実的には
 「受け流す」もしくは「受け止める」の2択しかない。そしてその2択あですら、実施
 困難な現場が少なくないのが現状だ。
・介護自体が属人性の強いサービスであるが、性的な面でのケアとなると、さらに属人性
 は強まる。すなわち、ある人にとっては容易に対応可能なことでも。他の人にとっては
 生理的・心理的に絶対に対応できない、ということが起こりうる。「相手の性行動の気
 配を察して予防的に反応する」「毅然とした対応で断る」「明るくユーモアで応じて、
 その場の雰囲気を変える」といった対応を、誰もがそつなくこなせるわけではない。
・利用者から最初のセクハラを受けた際、職員が驚いて注意できなかったために、2回目
 以降の行為につながってしまうこともある。1〜2度程度であれば「お仕事ができなの
 で、離れてくださいね」とやんわり断ったり、話題を切り替えたりするなどの対応が可
 能だが、毎日のように「触らせて」「やらせろ」と繰り返されるとさすがに対応しきれ
 ない、という声もある。
・大多数の職員が本人の性的な価値観や経験値にかかわらず実施できるレベルまでケアの
 基準を標準化した場合、「高齢者にも性的欲求があることを理解する」「相手のプライ
 ドを傷つけない」「利用者に屈辱感を与えない」といった、介護職として最低ラインの
 基準に揃えざるを得ないだろう。 
・高齢者の性的問題行動の背景には、孤独感があると考えられている。配偶者を失い、日
 々刻々と死が近づき、明日の朝無事に目が覚めるかどうかわからない。そうした孤独の
 中で、人肌を求めることはごく自然なことである。
・全ての利用者が加齢に伴う不安を理由にセクハラをしているわけではない。純粋に生理
 的な欲求やエゴに基づいて、自らの性的欲求を満足させるためにそうした行動をとる人
 もいる。ストーカーや性犯罪の加害者同様の「認知の歪み」=彼女は自分のことを好き
 であるに違いない、彼女も自分に誘われるのを待っているに違いない、誘いを断るのは
 照れているだけだ、といった認識に基づいて、執拗にアプローチをしかける人もいる。
 「女は男の言うことを聞いて当然」「ヘルパーは召使い」「金を払っているのだから、
 性欲も処理しろ」といった自己中心的・男尊女卑的な価値観に基づいて、当然の如く性
 的奉仕を要求する人もいる。 
・そういった自分に都合の良い物語、自分以外の他者が登場しない物語を生きている人の
 言動に「孤独が原因だから」という物語を強引に当てはめて解釈しても、共感的理解は
 達成できないだろう。
・性的欲求は「一人では」満たされない。そして「ひとりでには」満たされない。性的な
 行為は、自分と異なる意志や感情を持つ他者と、一定の時間とコミュニケーションを積
 み重ねた上で、双方の合意を得た後に行う必要がある。これは健常者であっても難しい
 ことだが、高齢で要介護状態、認知症という困難を抱えている場合、ハードルはさらに
 上がる。
・必要なのは、要介護や認知症の状態にあるとしても、健常者と同様の性的な存在として
 処遇されること、及びそのための環境が整備されていることだ。高齢者に恋愛やセック
 スの相手をあてがえという話では決してなく、日々の生活の中でのプライバシーお確保、
 自慰行為の支援などの「性に対する合理的配慮」を通して、その人が最期まで人間らし
 く生きるために必要な、最低限度の性の健康と権利がきちんと守られるような仕組みを
 つくっていくこと。これから「超」超高齢社会を迎えるにあたって、私たちが介護福祉
 の現場で「すべきこと」は、まさにこの一点の尽きる。
・高齢になっても心身ともに健康な状態で、相性の良いパートナーと豊かな性生活を送る
 ことが「人間らしい」ことなのかもしれない。年齢や性別、障害や病気の有無にかかわ
 らず、誰もが生涯にわたって性の健康と権利、そして性の歓びを享受できること。それ
 こそが「人間らしさ」であることは間違いない。しかし、全ての人が高齢期にそのよう
 な生活を送れるわけではない。自分を性的に受け入れ、肯定してくれるようなパートナ
 ーは結局見つからず、亡くなるまでの数年間、場合によっては数十年間にわたって、貧
 しく惨めな性生活を送ることを強いられるかもしれない。消えることのない孤独や不安
 に苛まれながら年老いて、そのまま誰からも気に留められることなく、ひっそり死んで
 ゆくしかないかもしれない。 
・だが、そういった人たちは「人間らしくない」のだろうか。いや、決してそうではない
 だろう。どれだけ年齢や社会的立場、心身の健康の度合いが変化したとしても、「その
 人が人間である」という事実は決して変化しない。性愛に飢え、他人を羨み自分を傷つ
 け、孤独に苛まされながら、不安と後悔の渦の中でもがき、喘ぎながら死んでいくこと
 自体が、極めて「人間らしい」振る舞いではないだろうか。
・そうした人たちを憐れむべき「敗者」としてではなく、いかなる状態になてっても人間
 であり続けるようにしている「勇者」として捉えて、彼らが人間らしくあり続けられる
 よう、最期の瞬間までサポートすること。それこそが、要介護や認知症の状態にある人
 に対する性的支援の要諦ではないだろうか。
・性は生殖の手段であるだけでなく、他者とのコミュニケーションの手段でもある。社会
 との関わりを失い、家族との関わりを失い、認知症や病気によって自分自身との関わり
 をも失ってしまった人たちにとって、外界と自分を結ぶ手段として最後に残された一本
 の「蜘蛛の糸」が、性である。今にも切れそうな細い糸を「あってはならないもの」と
 して断ち切ってしまうのか、それとも「人間らしさの最後のよりどころ」として大切に
 見守っていくのか。この選択を誤らなければ、将来私たち自身が同じ立場になった時に
 も、天上から細く光る一筋の糸が垂らされるに違いない。

老後の性をデザインする
・「高齢者ならではの悩み」というものは、じつはほとんど存在しないことがわかる。加
 齢に伴う心身の衰えや社会的孤立によって、これまでは問題にならなかったことが問題
 化されるようになった、というのが正解だろう。
・高齢者の性の問題は、全ての世代の性の問題が重層的に反映されている「鏡」なのだ。
 それゆえに性にまつわるコンプレックスは年齢を重ねることによって必ずしも薄まって
 いくわけではなく、そのままの形で高齢期まで持ち越されることも十分にありうる。
・定年後も円満な夫婦関係を豊かな友人関係に恵まれていれば、そうしたコンプレックス
 に必要以上に悩まされることなく、時折ささやかな性的冒険をしながら、老後の性をそ
 れなりに楽しむことができるのかもしれない。
・しかし、当然ながら誰もがそうした生活を手に入れられるわけではない。大半の人は、
 若い頃に悩んでいた性の問題を、そのまま何十年も、場合によっては人生の最期を迎え
 る瞬間まで引きずり続けるしかないのだろう。
・高齢期の性を満ち足りたものにするための選択肢はそれなりに充実している。ただし、
 そういった選択肢は死生観ならぬ「私性観」=性に対する自分なりの価値観と行動原理
 があってこそ、十全に活用することができる。
・何の美学も目的もない状況で、ただ漫然とアダルトコンテンツを消費しながら自慰行為
 を続けるような余生、ヘルパーにセクハラを繰り返して地域の厄介者扱いにされるよう
 な余生を送りたいという人は少ないだろう。
・自分の生と性のあるべき姿について自らの意思で決断し、たとえそれがどのような結果
 を生んだとしても、その全てを引き受けようとする覚悟のようなものを感じた。誰にも
 迷惑をかけず、世の中の規範に抵触しない範囲で、枠を超えることで得られる自由さを
 どうやって体験するか、という明確な問題意識を感じた。こうした覚悟や問題意識の存
 在が、生活の充実度や人間関係の有無にかかわらず、現在の性生活に対する肯定感を高
 める「私性観」の核になっているのだろう。
・「若い女性と付き合うことこそが、男にとって幸せな老後」という価値観は、現実的に
 若い女性と付き合う確率が限りなくゼロに近い大多数の高齢男性にとっては、抑圧的に
 機能するだけだ。
・恋愛やセックスが何もない老後は寂しいが、かといって絶倫を老い求めるほどの体力・
 気力は残っていない、というのが多くの高齢者の本音だろう。つまり、大多数の市井の
 人が参考にできるような等身大のロールモデルが現実にはどこにも見当たらないのだ。
・死の間際には、これまでの人生で性的な関係を持った相手の顔が走馬灯のように駆け巡
 る、という俗説があるが、「この人と出会えてセックスできただけで、生きてきた意味
 があった」と思えるような関係がもしあれば、そこからわずかでも「死をも超えた他者
 との関係性」を見出すことができるかもしれない。そして性は、自己決定における最も
 核心的な部分である。「私の性は、私が決める」という性的自己決定の原則は、障害を
 通じて不変であり、尊重されるべき権利だ。これまでの人生で育んできた「私性観」に
 基づいて、いくつになっても、要介護や認知症の状態になっても、死が近くなっても
 「私の性は、私が決める」と決意すれば、あるいは「決められる」と理解することがで
 きれば、スピリチュアルペインによる答えのない苦しみは、ほんのわずかでも和らぐか
 もしれない。
・来るべき「超」超高齢社会を生き抜くための処方箋は、言ってみれば「非売品」である
 ことがおわかりいただけたはずだ。すなわち、「自分なりの生と性のロールモデル」は、
 バイアグラのように医師の処方があれば手に入る代物ではない。そして一朝一夕に完成
 するものでもない。どれだけ金融資産や不労所得があっても、誰もが自分自身の手で、
 一つ一つのレンガを泥臭く組み上げていくしかない。
・「非売品」であるはずの処方箋が仮に市場でいられているのであれば、それは何かの罠
 だと疑ってかかるべきだろう。思春期の男性高校生のようにメディアに下半身を煽られ
 て右往左往したり、喜寿や米寿を過ぎた作家のやっつけ仕事のようなエッセイや自己啓
 発本を後生ありがたく拝んだり、誰かが商業目的・政治目的でつくった「あるべき高齢
 者」像に振り回されるのではなく、これまでの人生で培った知識や教養、人脈や経験を
 活かして、高齢期における自らの生と性をデザインしようとする意志を持ち続けること
 が重要ではないだろうか。 
・そうやってつくり上げた生活世界は、世間の常識に照らして「カッコ悪い」「理解でき
 ない」ものであるかもしれない。しかし年齢を重ねても身体が不自由になっても、一つ
 の美学に基づいて自らの生と性をデザインし続けようという姿勢は、同世代だけでなく
 若い世代の目から見ても「カッコいい」ものとして映るはずだ。
・高齢世代には、超高齢社会を生き抜いてきた先輩として、次世代につながるロールモデ
 ルを残すという義務もある。生・老・病・死は誰にとっても思い通りにはデザインでき
 ないものだが、そうした不如意の中で次世代に「死にざまを見せる」「苦の引き受け方
 を見せる」のが、高齢世代に課せられた最後の大仕事ではないだろうか。
・もちろん、性の世界は個人の思い通りにはいかない不自由さに満ちているので、仮にそ
 うした努力をしたところで、命のあるうちに十分な見返りや満足感は得られないかもし
 れない。しかし、人間は不自由さの中でこそ多感になれる。自分なりの美学や目的に沿
 って努力したこと自体によって不自由さの中にあっても、いくばくかの達成感は得られ
 るはずだ。そうした一握りの達成感さえあれば、人は性的に「成仏」できるかもしれな
 い。
・高齢になればなるほど、他者や社会とコミュニケーションをとる機会や頻度は減る。要
 介護状態や認知症になればなおさらだ。しかし、仮に他者や社会とのコミュニケーショ
 ンが満足にできなくなってしまったとしても、自分自身とのもコミュニケーションは命
 が尽きるまで決して終わらない。人間にとって、自分が自分であることを確認できる手
 段の一つが性であるからだ。 
・これからの時代は「いかに晩節を美しく過ごすか」に必要以上にこだわるのではなく、
 「晩節は汚すためにこそ存在する」という発想へのコペルニクス的転換が必要なのでは
 ないだろうか。逆説的だが、そうした転換こそが、晩年の生と性に悩んでいる人たちに
 とってお救いになるはずだ。
・「人間らしさ」とは決して美しくあることだけではない。終末期においては、迫りくる
 死に対して誰もが平等にうろたえ、嘆き、もがき苦しむ。性にまつわる不条理と同様に、
 自らの死という不条理も、ほとんどの人は受け止められないし、また受け止めなければ
 ならないものでもないだろう。
・死の瞬間まで精いっぱいじたばたして死んでゆく。それこそが社会的存在としての「人
 間らしい」生と性の在り方ではないだろうか。
・高齢者の性的行動や性的失敗を受け止め、いくつになっても性的冒険や性的探究を飽か
 ずに繰り返すことを、積極的に推奨・応援こそしないが、そっと温かく見守るだけの寛
 容性がある社会。
・高齢者の「声なき声」=性的苦悩や煩悶を受け止め、たとえそれらを解決することはで
 きなくても、そっと寄り添って共感的傾聴を続けるだけの配慮がある社会。そうした社
 会に暮らしているという安心感こそが、加齢に伴う孤独、来たるべき死に対する恐怖を
 少なからず和らげてくれるのではないだろうか。来たるべき「超」超高齢社会で私たち
 が目指すべき社会の姿は、こうした「誰もが安心して晩節を汚せる社会」だと私は考える。

おわりに
・かつては酔っぱらって自宅に帰れなくなった人が交番に案内されたものだが、現在は認
 知症で自宅に帰れなくなった人が交番に案内されている。これが超高齢社会における地
 方都市の日常的な風景なのだろう。