「男というもの」 :渡辺淳一

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 この本は、男という生きものについて解説した書である。私も男という生きものであるが、それで
は男とはどういう生きものかと問われても、なかなか説明できないし、自分自身もよくわからない部
分も多い。しかし、この本を読んでいくと、「確かにそのとおりだ」と思う部分が多く、まさにこの
本は男といういきものを、非常によく解説していると感心する。特に男の性癖については、なかなか
自分でこれほどまで赤裸々に明かすのは恥ずかしくてできないぐらいの内容である。そしてまた、男
の持つ性ゆえの哀しさ、哀れさもよく言い当ててあり、男としての淋しさを再認識させられる。
 女性から見たら、男という生きものは不可解な生きものなのかもしれない。しかし、この本を読む
ことによって、男といういきものをかなりの部分において分かってくるのではないかと思う。独身女
性はもちろんのこと、既婚女性にとっても、男という生きものを知る上で、この本はバイブル的な存
在になるのではないかと思う。ぜひ女性に読んでもらいたい一冊である。

幼年期
 ・まず男の子の場合、4〜5才頃から、早くも「性」というもの、あるいは「性感」というものを
  感じる。よく、幼い子のオチンチンを「可愛い」などといって弾いたり、頬ずりしたりするお母
  さんもいるが、このとき、男の子はすでに、母や女の人が自らのペニスというものに好奇心とい
  うか、愛着に近いものを抱いていることを感知する。
 ・この感覚は一種の甘い記憶として、意識のずっと底のほうで根を張り、いつかその感覚を呼び戻
  されるのを密かに待つようになる。こうして生まれたペニスへの自負のようなものは、ことさら
  に女の子の前でペニスを曝してみせたり、小水をしたくて張ってきたペニスを母に誇らしげに見
  せたりすることで満たされる。
 ・小学生になると、はっきり女性を異性として意識するようになってくる。お風呂に入っても、な
  んとなくお母さんの裸に興味を持つようになり、乳やお臀の周りを眺め、幼稚園に行き始めると、
  同じ年頃の女の子に関心を抱き、やや早熟な子は、女の秘所を見たいという欲望を抱くようにな
  り、異性のことが気になってくる。女の子の髪を引っ張ったり、いじめるのは、この関心の強さ
  を不器用に表現しているに過ぎない。
 ・小学校低学年になると、女性に対して憧れとか愛着を抱くようになってくる。異性への関心はさ
  らに精神性をくわえて、近所の年上のお姉さんへの憧れとか、素敵にタレントの熱烈なファンに
  なるという形で現れてくる。
 ・されに小学校高学年になれば、もはや異性への関心は大手を振って一人歩きを始め、性に関する
  様々なものに興味を抱き始める。
 ・中学1,2年生ともなれば、性は生きていく上で欠かせない重要なテーマとなり、ここからいよ
  いよ自らの内なる性欲と葛藤する激動の時代が始まる。この時期、男はいずれも自分の内側にと
  んでもない荒くれた性欲が潜んでいることを、ある日突然実感することになる。
 ・男の子は自然というより、当然のように自慰を覚える。この最初の体験は、まさに目から火が飛
  び散るほどの快感で、男の生涯でもこれほどの快楽はないと思うぐらいの、強く激しく鮮烈なも
  のである。
 ・一度覚えた自慰の快感は、もはやとどめようもなく、この時期の男の子は、勉強どころではない。
  とにかく、もっとも敏感な性器がいちじるしく外に突き出ていて、それに自由に触れるから、自
  慰を覚えるのは無理もない。このあたりから男の子の困惑は、性器が体の奥深く秘められている
  女性には到底理解できないものなのかもしれない。
 ・自慰すれば、当然のことならが射精してしまう。するとしばらくは疲れてぐったりするが、若い
  からまたすぐに勃起してしまう。毎日がその繰り返しといっても過言ではない。
 ・もちろん、オナニーに対する罪悪感もある。頭がカーッとなって勉強ができなくなるような気が
  するし、実際しばらくできない。また後ろめたいことをしているという罪の意識とともに、母や
  父を裏切っているという申し訳なさもある。
 ・一度オナニーを覚えると、それからは、ありとあらゆるものが性的刺激を誘うようになってくる。
  お母さんやお姉さんたちが不用意に脱ぎ捨てたブラジャーやショーツ、干してある下着類なども、
  欲情をそそる対象となる。
 ・もし、そういうものを密かに隠しもっていたら、「いやらしい」と叱る前に、そうした危険物を
  男の子の前に不用意に置かないように注意すべきで、むしろ責められるのべきは女性の方である。
 ・同時に、母親の無神経な行動も男の子にとっては迷惑で、たとえば可愛さのあまり息子に頬ずり
  をしたり、胸元に抱きしめたりすると、それが刺激になって興奮し、ペニスが立つこともあるか
  らである。
 ・中学生になったら、息子がお母さんと口をきかなくなるのは、当たり前のことなのである。なぜ
  なら、お母さんの中に潜んでいる女の部分に、本能的に危うさを感じるからで、女であるお母さ
  んには近寄ってもらいたくない。これ以上近づいたら、自分も手が付けられない「アイツ」が立
  ち上がってしまうかもしれない。実の母親にそんな恥ずかしいところは見せたくないと、息子は
  息子なりに思い悩み、怯えているのである。ところが、多くの母親はそんなこととも知らず、息
  子が避けようとすればするほど、以前の関係を取り戻したくてベタベタ近寄ってくる。とくに最
  近は一人っ子が増えているから、必要以上に母親は息子に手をかけたがるようで、これほど男の
  子にとって迷惑なことはない。
 ・また学校に素敵な女の先生がいたら、やはり異性を意識して落ち着かなくなり、ときにはオナペ
  ットとして頭に描きます。こういうとき、よく女性たちは「いやらしい」という言いかたをする
  が、男のオナニーの対象になるということは、男がその女性を頭にしっかり描いて陶酔していく
  のだから、理想のマドンナになるわけで、そんなに眉をひそめることでもない。
 ・このころから、男の子たちは友だち同士で一種の情報交換を始める。まずセックスや女性器に対
  する好奇心にそそのかされるままに、性にかかわるさまざまなものを集める。むろんセックスと
  いう行為は、自分のペニスを女性のあそこに挿入することであるとはだいたい分っているが、そ
  れじゃあその「アソコ」はどんなものなのか、その点に強烈に関心を抱くようになる。エロ本や
  女性の裸の写真を手に入れて、仲間同士で回したり、性のノウハウを書いた本やポルノビデオを
  机の中に隠して始める。
 ・かくしてこの時期、少年たちはみな母親に対していくつもの秘密をもつことになる。そのひとつ
  は自分の下着で、何度も射精をしたり、夢精をするために黄色く汚れてしまう。しかし自慰をし
  ていることは、女である母親に絶対知られたくない。こういうとき「下着が汚れていたわよ」な
  どとあけすけにいわれたら、自分の恥部を見られたように恥ずかしさせでいたたまれなくなり、
  そんな無神経なことを平気でいう母親に嫌悪を覚える。
 ・さらに裸の写真やポルノ本、アダルトビデオなど、いわゆる「極秘資料」で引き出しの中はいっ
  ぱいになる。これらは母親にとってはくだらないものでも、男の子にとっては自分を慰め、快楽
  を授けてくれる宝物なのである。
 ・秘密をいっぱい持っているから、男の子は母親が部屋に入ってくること自体が不愉快である。こ
  ういうときには、子供が「掃除しておいて」と言った時だけ入るようして、あとは放っておけば
  いい。たとえ汚くなっても無断侵入は男の子にとっては絶対許しがたいことだから。
 ・でも、なんといっても不安なのは、オナニーをしているところを母親に見つかったらどうしよう、
  ということである。勉強するふりをしてその実、机の下でアソコを触っているのだから、絶えず
  母親の気配を窺っていて、忍び足でいきなり入ってこらえると大変である。
 ・それにしても、男性が嵐のように襲ってくる暴力的な性衝動と闘っている受難の季節に、同年代
  の女の子たちは少女漫画に出てくるような恋物語に夢を託している。この性に対する感じ方の落
  差は並大抵のものではない。
 ・理想をいえば、性欲のもっとも激しい高校時代には恋人がいて、思いっきりセックスをして、そ
  のあと勉強に集中するというのが健康的かもしれない。だが、人間社会では、とくに日本のよう
  な受験勉強の厳しいところでは、このもっとも性欲が強い時期に、机の前に座っていなければな
  らないという過酷な日常が待っている。こんな状態のもとでセックスを覚えてしまうと、そちら
  にばかり熱中して、勉強のほうはすすまなくなるかもしれない。
 ・しかし、セックスをしてはいけない、オナニーも勉強に邪魔になるからやめろといわれたら、男
  の子たちはどうして内なる性をなだめればいいのか。十代の男の性とは、抑えようにも抑えるこ
  とのできない強い衝動をともなうものなのである。これを認めた上で、勉強もさせるためにはど
  うするか。結論的にいうと、受験勉強中でもオナニーだけは大目に見て、たとえしているのが分
  っても、見て見ぬふりをするのがベストなのかもしれない。性衝動があるということは男である
  かぎり自然なことで、こればかりは消滅させるわけにはいかない。というよりも子孫の繁栄のた
  めに必要なものなのだから、否定するわけにはいかない。
 ・有名な大学を出たエリートと結婚してみたらインポテンツだった、という話を聞いたことがある
  が、それは考えようによっては当然なのかもしれない。なぜなら徹底的に性への欲望を抑えつけ、
  必死で勉強していると、男の欲望は次第に萎縮し、勉強はできるが性的には稚い、冬彦タイプに
  なる可能性が高いからである。
 ・男の性が女の性と根本的に違うのは、男は女性と関係しなくても、中学1,2年のときからすで
  にめくるめく「快感」を感知しているということである。この年代に自慰によって得られる快感
  は、後に30代、40代になって女性とセックスすることで得られる快感に勝るとも劣らない。
  極端にいうと、その後の女性と関係したことによって得られる快感より、つまらないエロ写真を
  前に自分の指で得た快感の方が、はるかに大きかったりする。
 ・女の性が、好きな男性と交わっているうちにゆっくりと開発されていくのに対して、男の性は少
  年期からすでに強い衝動とともに自立していて、それとどう関わり合っていくかという問題が潜
  んでいる分だけ厄介な性だということができそうである。

戸惑いと決断
 ・男にとって、愛する女性ととこで肉体関係に入るかということは、年齢に関係なく大きな問題と
  いっていい。男が好きな女性となんとかデートまでこぎつけたとしても、そこから先、いつ、ど
  んなふうにして性的関係にまですすむか、そしてそのとき、いかにして相手の女性を満足させる
  か。それらのことで悩んだ経験のない男性はまずいない。
 ・その第一段階が口づけであるが、どこでどのような形でキスを求めていくか。極端にいえばデー
  トの間じゅう、男たちはその機会を考え続けている。
 ・一般にはデートを引き延ばして、もう一軒飲みに行こうとか、公園の静かなところで休んで行こ
  うなどと言い出すもので、この種の誘いが出はじめると、まず間違いなく、男に下心というか目
  的があると思っていい。
 ・そうはいっても公然の面前でいきなり求めるわけにはいかない。そこで人目のない、二人きりに
  なれるところに行こうとする。この場合、もっともてっとり早いというか確率が高いのが、ドラ
  イブに誘うことである。車の中はなんといっても密室で、二人っきりの空間であるうえ、夜景が
  美しい場所や海岸など、雰囲気のいいところへ簡単に行くことができる。
 ・第一関門をクリアし、口づけを交わすことができたとしても、次にどこで性的関係にすすむかと
  いう、さらに大きな試練が待ち受けている。
 ・もっとも理想的なのは、「一緒に旅行いいかない?」と誘って女性が応じてくれるケースで、こ
  ういう場所はほぼ間違いなく結ばれるであろう。しかし、まだ何も関係ない女性が、その種の誘
  いに簡単にのるとも思えないから、やはりその前に一度、結ばれるのが自然かもしれない。
 ・この場合、比較的多いのが、夕食を済ませた後、ホテルのバーで飲むというやり方である。飲み
  ながら、さりげなく彼女の膝に触れたり、肩に触れながら反応を確かめ、これは大丈夫そうだと
  判断した段階で、トイレに行くふりをしてチェックインの手続きをとっておく。しかし、ここま
  で進み、彼女が部屋まで来てくれたのに、うまくいかなかったケースもかなりあるようだ。この
  場合、失敗の原因で一番多いのが、ムード作りをしなかったことである。
 ・女性が受け入れやすい状態に誘うことは、男性の重要な務めで、それが下手ではせっかくの相手
  を失いことになりかねない。そうならないためにもムード作りのセンスが要求されるわけだが、
  このあたりも男にとっては悩みの種である。
 ・女性に応じてもらえなかった場合、男はどうするか。ほとんどに男たちは、情けないことに再度
  求めることなく、その女性をあきらめる場合が多いようだ。もちろん彼女に強い未練があり、な
  んとしてでも手に入れたいという激しい執着がある場合、捲土重来を狙うこともあるだろう。し
  かし、多くの場合、男たちはそれまでの精神的かけひきで疲れているうえ、拒否さえたことでプ
  ライドが傷つけられ、それ以上深く自分が傷つきたくないために、あきらめようとする。それと
  いうのも、男の性的行為は大脳と直結しているために、また拒否されたらどうしようという不安
  から、極端なケースでは不能になることさえあるからで、いったん拒否された女性を再度誘うの
  は、男にとって、かなりエネルギーのいることなのである。
 ・したがって、女性も、その男性と今後ともつきあっていくつもりがあるなら、たとえそのときは
  受け入れる準備が整っていなくても、誤解のないよう言葉を尽くすのが、お互いのためである。
 ・もう少し自分自身を表現していればうまくいったのに、それをしなかったばかりに、好意を抱き
  あっている二人が、良好な関係を築けないまま終わってしまうとしたら、もったいない話である。
  したがって、女性の側も、もしその男性を受け入れるつもりがあるなら、それなりに信号を出す
  べきで、ときに現代のように、あまやかされた男性が多い場合には必要で、真面目すぎる男や、
  女性にあまり慣れていない男性の場合は、女性のほうから助け船を出して相手が行動しやすい状
  況を作ってあげないことには、二人の仲がいっこうに進展しない結果になりかねない。彼が緊張
  してぎこちない状態のときは、さりげなく隣に座って「手相を見せて」などといって手を触れて
  みる。女性の側のそうした手助けで、男の心理的負担は格段に軽くなる。

メンタルな性
 ・いうまでもなく男は勃起しないかぎり女性と性的関係を結ぶことができないわけだが、このこと
  に関して、女性はあまり深い認識をもっていないように思われる。勃起しているペニスの姿に対
  して、なにか動物的というか野蛮なイメージを抱いている女性もいるようだが、実はメンタルな
  ことに激しく左右される、きわめてデリケートで、厄介な代物なのである。
 ・男にとってセックスは、たしかにある意味では肉体的な行為だが、その実、きわめて精神的な要
  素が強く、心のありようと切り離すことができない。それというのも、男のペニスは総じて自信
  があるときに勃起しやすく、反対に不安や怯え、心配ごとなどがあるときには萎縮したままにな
  りやすい。
 ・本来なら男の四十代は若いころに比べて性的欲求は落ちていくものの、経済的にも社会的にも余
  裕ができて、性的円熟の域に達するものである、しかし昨今の四十代はまだ男としてはこれから
  という年齢で、仕事上でもストレスが強く、それが原因となって不能になる男性も増えているよ
  うである。
 ・これとは別に問題なのは、二十代から三十代にかけて、いわゆる結婚適齢期の若い男性に見られ
  る不能である。よく「結婚したのに、わたしの体にまったく触れない」といった若い妻からの悩
  みを聞きくが、それ実態は、若い男性の性的自信のなさからくる不能と考えて、まず間違いない。
 ・ペニスの勃起は自信や優越感と密接にかかわりあって、一度の失敗がさらに自信を失わせ、ます
  ます勃起が難しくなってくる。そのため一度駄目になってしまうと、その女性が好きでも、あき
  らめて去っていく男も少なくなく、人によっては一度の失敗がきっかけとなって、その後も不能
  に陥る場合もないわけではない。このような男たちは、また不能になったらどうしようという不
  安から、女性に淡々として、ほとんど口説いたりしないが、それを女性たちの多くは「あの人は
  清潔だ」「誠実な男性だ」と勘違いしがちである。
 ・最近はセックスレス化、性の希薄化現象がいわれ、仲はいいけど性的関係が希薄な恋人や夫婦が
  かなり増えているようである。その原因のひとつとして考えられるのが、男が女性に対して優越
  感をもちにくい社会になったことがあげられる。
 ・現代のように、子供のころからいつも男女が身近で過ごすようになると、女の子のほうが成績が
  よく、早熟で、物知りなことも多く、男の子は女性に対して劣等感を抱きこそすれ、なかなか優
  位には立てなくなる。しかも現代では女性のほうが生き方も考え方も積極的で、それに比べて男
  のほうがひ弱で、すべてに対して引っ込み思案の傾向がある。こういう状態では、男が不能とま
  ではいかなくても、男性自身の性的感度が落ちるのもある程度やむをえないかもしれない。
 ・男たちの性的欲求が低く、勃起力も弱くなると、なにがなんでも女性を獲得しようという一途さ
  に欠けてくる。こうなると、女性のほうから男性を獲得するために積極的に働きかけなくてはな
  らず、その結果、男性はさらに受け身になってくる。かくして男が弱いから女が強くなる。女が
  強いから男が弱くなるという悪循環に陥り、男たちの「オス度」がどんどん低くなっていく。
 ・かつては都市部の青年は早くから花街に通っていたし、村部の青年は十代半ばから夜這いを始め、
  二十歳前後で結婚するのが普通だった。ところが現代の青年たちは性欲が猛り狂う時期に、いや
  おうなく机の前に縛り付けられてしまう。受験勉強は頭脳は使うけれど体力は使わないので、性
  欲を他で発散させることもできない。それはある意味で、人間本来の生理に背いた作業といって
  もいい。
 ・極端な言い方をすると、受験勉強に勝ち残れる男は、いわゆる天才は別として、性欲が弱いか、
  性欲を抑える癖をつけることに成功した男、ということになりそうだ。その結果、エリート大学
  に入学した高学歴の男になればなるほど、オスとしての性的能力に劣るということになりかねな
  い。実際、最近の産婦人科の報告によると、高学歴の男性ほど精子の量が少なく、精子の運動量
  も低い傾向にあることが明らかになっているようである。
 ・こうして見ると、男性の不能は現代社会と密接な関係があることが分かってくる。男のペニスは
  個人の精神状態や体調のみならず、社会の影響も受けるほど敏感で厄介な代物だということであ
  る。そして社会が高度化すればするほど、確実に男のオスとして能力が低下し、不能が増えてい
  く。ある意味では、これは現代社会が抱える病巣ともいえそうである。
 ・ひとくちに不能というが、誰が相手であっても勃起できない人から、ある女性に対しては勃起で
  きないが、他の女性とならうまくいく人まで、その程度やタイプはさまざまである。実際は、あ
  る特定の女性に対して不能であることのほうが多く、その代表的なものが妻に対して不能になる
  ケースである。
 ・男のペニスは非日常性の中では奮い立ちやすいが、日常性の中では限りなく元気を失いがちなも
  のである。したがってひとつの屋根の下に暮らし、常に一緒にいて、逃げる心配のない妻に対し
  て性欲を抱き続けることは、男にとってかなり難しいことである。少し大げさにいうと、過酷な
  要求といってもいいかもしれない。これは愛情とは別の問題で、妻を大事に思ってはいても、性
  的欲求が起きないことは珍しくない。しかも夫婦であるからといって性的相性が必ずしもいいと
  は限らず、初めから性的な満足が得られていない場合も少なくない。くわえて緊張感がなくなる
  につれて、相手に対する心遣いが薄れ、無意識のうちに妻が夫を性的に萎えさせてしまうことを
  口にしているケースもかなりあるはずである。
 ・どんなに愛していても、妻は日常生活そのものだから、結婚して十年、十五年経った妻に性的幻
  想を抱くのは難しいことである。男の性行為がペニスの勃起があってはじめて成り立つもので
  あるが、この勃起という現象は非日常において起こるもので、慣れ親しんだ女性に対して起こり
  にくいものである。したがって性的関係がないから即、愛していないと決めつけられると、夫と
  しては立つ瀬がないし、誤解だと弁解したくなる。
 ・それにしても結婚という形態に、生活の安定や安らぎ、子供をはさんだ和やかな生活、そしてめ
  くるめく性愛といった具合に、すべてを求めるのは、かなり無理な要求かもしれない。
 ・激しい性愛は無理だとしても、夫婦の間には、勃起を求めない関係もあっていいのではないかと
  思う。寄り添って休むとか、手を握るなど、必ずしもセックスをしなくても、そうしたスキンシ
  ップを重ねることで夫婦の関係を円満にし、妻たちの心を和やかにすることができるのではない
  か。このあたり多くの日本の男たちは工夫が足りないというか、手抜きをしているような気がす
  る。
 ・男の性の問題としていまひとつ忘れてならないのは、恒常的に女性と性的関係を結んでいないと、
  セックスをしない癖がついてしまうことである。性欲を抑える癖をつけたり、ある程度の年齢に
  なって、セックスをしない期間が長く続くと、それが平気になり、そればかりか、性的感度が落
  ちてしまう。
 ・一方、最近の女性たちは、性的快楽を自分たちの手でつかみたいという欲求を隠さなくなってき
  ている。この落差というか、男女のズレこそ現代社会の悲劇といってもよく、男にとっても女に
  とっても、いかにこれを打破していくか、それは生きる幸福とは何か、という人生の根幹にかか
  わる大きな問題だけに、一人一人が、そして夫婦それぞれが、真剣にかつ正直に考える必要があ
  る。

処女願望
 ・よく、「男はその女性にとって最初の男になりたがり、女性はその男性の最後の女になりたがる」
  というが、これはある意味で、男の女の愛のありかたを象徴しているといえるかもしれない。
 ・処女を求める男の気持ちの中には、いまだ誰にも汚されていないものに憧れる、純粋願望ととも
  に、好きな女性を自分の色に染めたいという、独占欲も潜んでいると思われる。しかし、この考
  えは見方を変えると、女性を自分の好みに変える、あるいは変えられるという思い込みで、一種
  の玩弄物のように思っている視点がないとはいいきれない。
 ・処女を求める男たちの心の内を探ると、処女でない女性はすでに他の男性と性的体験があること
  から、前の男との性的嗜好が身に付き、馴染みすぎているのではないかという不安があるからで
  ある。こうした性的な面で前の男と比較されてはたまらないという思いは、男ならみなもってい
  るもので、それはセックスへの自信のなさともつながっている。
 ・最近では、結婚するまで処女でいなければいけない、と考えている女性も減ってきて、結婚にい
  たるまでに何度か恋愛を重ね、複数の男性と肉体関係を持つことも、そう珍しいことではないよ
  うだ。一方、男性のほうも、できることなら処女と付き合いたいけれど、それは現実には難しい
  と思い込んでいる男が多いようだ。
 ・一般に男は能動的な形で性的な関わりをもつことが多いので、自分のほうが女性に快楽を教え、
  与えているという意識を常に抱いている。したがって単に射精する快楽だけでは物足りず、それ
  にくわえて、愛する女性に快楽を与え、性的な悦びを開発しながら、自分のとりこにしていく過
  程に、もうひとつの悦びを見出していく。要するに、男という性は女性をエクスタシーに導いて、
  はじめて性的充実感を得るという、いささか欲張りで厄介な生き物である。
 ・他の男によって、自分が与えるより大きな悦びを彼女が得たとしたら、それは男にとって大きな
  敗北である。

肉体の記憶
 ・男女の愛は決して永劫不変ではなく、どちらかの気持ちが冷めて、浮気をしたり、わずかな綻び
  から溝が生じるなど、さまざまなつまずきがあるものである。むろんそこからせっかくの愛が荒
  廃し、別れに至ることもままあるが、ときには分かれたほうがいいと思いながらも、肉体の絆が
  強いために、なかなか別れられないこともある。このように肉体の絆が強いと、なにか問題が起
  きても比較的容易に壁を乗り越えられことは確かで、喧嘩をしても、体を重ねあうことで仲直り
  できた経験をもっている人も少なくない。それは誤魔化されたとみるか、肉体の不思議さとみる
  かはひとそれぞれであるが、セックスが男女の間の潤滑油になっていることは確かである。
 ・肉体の絆は、ときには安定した生活を捨てさせてしまうほどの力をもつわけだが、一般に男性よ
  り女性のほうが、肉体の記憶を強く体にとどめておくようである。それはいままでも何度も触れ
  たように、性の快楽のありがたが、男と女で異なるからかと思われる。
 ・男がセックスによって得られる快感は、射精そのものの快楽であり、これは初めてオナニーを覚
  えて射精したときから、終生ほとんど変わらない。これに比べて女性の場合は、痛みを伴う処女
  喪失から始まり、徐々に性的感覚が育ち、快楽が花開いていくものである。このため、往々にし
  て性的感覚を開発してくれた男性に執着しがちで、その男性の肉体とそのやり方でないと、本当
  のエクスタシーを感じられないことも多いようである。
 ・夫との退屈なセックスしか知らず、セックスとはそんなものだと半ばあきらめていた女性が、な
  にかのきっかけで他の男性との関係を持ち、初めて強い性的快感を得たため、その相手に深くの
  めりこむケースもままあることである。
 ・こういう女性に比べて、男がある特定の女性とのセックスに執着する率は、かなり低いように思
  われる。その理由は、男の射精そのものの快楽は、相手によってそう違わないうえに、女性のよ
  うに相手との関係が深まるにつれて、性的快感も深まっていくといった性質のものではないから
  である。女性に比べると性による快楽そのもののレベルが低く、しかも深まっていかない男性に
  とって、ある特定の女性とのセックスがそれほど強烈な刻印とはなりにくい、というわけである。
 ・男にとって肉体の記憶とは、二人のあいだで交わされたセックスの方法や相手の反応や肌の感触
  などに関する記憶が主体になるといっていい。そのため多くの男たちは体位にこだわり、四十八
  手のうちのどの手をやってみたとか、今度はこれに挑んでみようなどと考えるもので、人によっ
  ては性具を使うのも、バリエーションを増やすひとつの手段と思っている。男が性においてさま
  ざまな技術を身につけていく過程は、動物が狩りの方法を覚えていくのに似ている。
 ・一般に男は、女性の過去にかなり激しく嫉妬するものである。性的にすでに成熟し、性を熟知し
  ている女性であるなら、ここまで開発したのはどんな男なのか。誰が性の悦びを教えたのか、見
  えない相手に嫉妬し、コンプレックスを感じ、怯えたり、自尊心を傷つけられる。
 ・往々にして知的でインテリで誠実な男は、性的に迫力がないことが多く、そういう男は女性に過
  去を振り切らせる力が弱いくせに、嫉妬心だけは大きいようだ。しかもインテリの多くは、嫉妬
  心を見せることはプライドが許さないために、いささか屈折した形で嫉妬を表現することがある。
 ・男が女性の過去にこだわるもうひとつの理由は、多くの男は、過去に別れた女性をときに思い出
  し、会いたいと思い、さらに会えば関係をもちたいと思いがちだからである。そんな男のありよ
  うを基準にして、女性も多分そうだろうと推測し、前の男といつ復活するかもしれないと不安に
  なり、嫉妬するからである。しかし、女性は、男性に比べると意外にリアリストで、今の相手に
  満足し、充実していたら、そうそう過去にまでさかのぼることはないようである。そのあたりが
  男の感覚ではわかりづらいため、男は無闇に女性の過去にとらわれ、嫉妬することになりがちで
  ある。
 ・過去に別れた男性や同窓会で再会した男性が「久しぶりに会おう」などと連絡してくるのは、あ
  からさまにしないにしても、性的関係をもちたいという下心がないとはいいきれない。女性のほ
  うは、なんとなく懐かしい、くらいの気持ちであいにいくのであろうが、男性の心の裏には、性
  的関係をもちたいという野心が潜んでいることが多い。
 ・強烈な肉体の記憶は深い性的快感の記憶にくわえて、どれだけ自分が愛されていたかという精神
  面での充足感と合致したときに、はじめてもたらされていくといえそうである。しかし、世の男
  性たちは、セックスさえよければ相手の肉体に刻印を残せると勘違いしがちである。そのセック
  スもペニスが大きければいいとか、激しくしさえすれば女性が喜ぶとか、見当違いの技術論や機
  能論に傾きがちで、本質を忘れられていることが多い。本当に深く精神的に愛し、慈しみあう関
  係をもてば、女性は満ち足りた喜びを感じるはずで、それこそまさに霊肉一致の境地といっても
  いい。
 ・性というものは、ときとしてそれまでの自分を覆し、変革させるだけの力を持っている。言い換
  えると、性を通じて、いままで知らなかった自分を発見し、開拓していける可能性もあるわけで、
  それこそが性の豊かさであり、素晴らしさといってもいい。

なぜ”風俗”にいくのか
 ・女性にとって、男たちがお金で女性を買う行為、いわゆる買春は、なんとも許しがたく、理解に
  苦しむ行為かと思う。男がなぜ風俗に店に行くのか、女性には理解できなことのようだが、それ
  に対する男たちの答えはただひとつ、「男だから」としか答えようがないように思う。
 ・風俗に行かない男たちがことさらに理性があり、行く男たちがとくに下品な奴と、決められる問
  題ではなく、男ならすべてが興味を抱く場所である、ということである。
 ・この女性と男性の決定的な差というより、絶望的な違いはどこからくるのか。それを考えたとき、
  真っ先に気が付くのは両者の肉体的な違いである。セックスに関して男は「放出する性」であり、
  女性は「受け入れる性」である。この違いはきわめえ大きく、自らの肉体の中に相手を迎え入れ
  るのと、相手に向けて放出するのとでは、生理的にも感覚的にもかなり異なるはずである。
 ・男の性は相手の体内に入り、自らの精子を放出してくる性である。当然のことながらそうした行
  為は、それを受け入れる性に比べて慎重さに欠け、相手が誰であろうと、さほど抵抗がないのも
  無理はない。
 ・くわえて、オスは性的にボルテージが高く、異性への性的好奇心がきわめて強い生きものである。
  とくに、十代半ばから三十代半ばくらいまでは欲求が強く、そこに女性器があれば、とにかく入
  れて放出したい。相手がどんな女性かということは二の次で、まず挑んで挿入してみたい。男た
  ちのこの性的好奇心と挑戦意欲は信じられないほど強く、抑えがたいもので、そのあたりは女性
  には到底想像がつかないことだと思う。
 ・男は同じ女性と何回もセックスを続けていると、いつか次第に飽き、性的興奮が得られにくくな
  るが、未知の相手に対しては飽くなき性的好奇心を抱く生き物である。
 ・このオスという探検家たちは、全貌がわからないものを明らかにしたいという欲求も強く、秘密
  のヴェールに包まれて見えないものに限りない願望を持つ。それは、見たこともないものを見た
  い、知らないものを知りたい、それで触れたことのないものに触れたいという欲望で、服を着て
  いる女性を見れば、その服を脱がせて裸を見たい、触れてみたいと強く望む。逆に初めから裸の
  女性にはさほど欲情はしないもので、これは、あまり身近で容易に行けるところでは、探検する
  喜びがない、ということにもなる。
 ・したがって、身近にどんなに美しくて素敵な妻がいても、他の女性に近づきたい、関係したいと
  いう性的好奇心や欲望はまた別で、必ずしも外見的なよしあしとは別のものである。そのため客
  観的に見て、妻よりだいぶ劣る女性であっても、未知の存在であるというだけで性的願望を持つ
  ことは充分にあり得る。
 ・男ってなんて猥雑で動物的な生きものなのだろうと、失望するかもしれないが、この飽くなき性
  的好奇心と挿入願望があるからこそ、種の保存が可能なわけで、この欲望は考えようによっては、
  天の配剤といってもいいかもしれない。
 ・すべての動物の雄は、あちらこちらに精子をばらまき、できるだけ多く自分の遺伝子を残そうと
  いう本能を持っている。一方、雌は、なるべく強くて優れた遺伝子の子供を産むために、相手の
  雄を選択する。いい換えれば、雄は挑んでばらまく性で、雌は選択する性というわけで、このバ
  ランスによって、種は絶滅することなく存続していくのである。人間も自然界の一員である以上、
  こうした本能を備えているほうがむしろ自然で、これをただ道徳的な意味から非難するのは、人
  間が動物の一員であることを否定することになりかねない。
 ・ともかく創造主は、ペニスという器官そのものに挿入願望を持たせ、相手がどんな人間かなどお
  かまいなしに「とにかく入れたい」という本能を授けたわけで、そのおかげで雄と雌の結合がよ
  り頻繁に、スムーズにおこなわれるようになったとも考えられる。
 ・男性の挿入願望は、いわゆる雄のDNAに組み込まれた本能的なものと言っても過言ではない。
  もちろん人間の場合は、さまざまな社会的制約や抑圧によって必ずしも動物と同じような行動を
  とるわけではないが、男性の性的好奇心や挑発欲の原点は、この本能の根ざしているということ
  だけは、知っておく必要がある。
 ・最近、婚姻が減少していることの理由として、女性の社会進出や価値観の変化、結婚しないこと
  への社会的偏見が減ってきた、などが上げられているが、くわえて男が本来持っていた、がむし
  ゃらの女性に向かって押し寄せていく本能が弱ってきた、つまり雄として弱くなったというのも、
  理由のひとつかもしれない。
 ・男は女性とはまったく異なる性的ボルテージをもっている生きもので、売春というビジネスが成
  り立つのも、その性的ボルテージをなだめるためにひとつの手段、といってもいい。
 ・しかしそうはいっても「お金を出してまで」というところだが、なかなか女性にはわかりづらい
  点で、また金銭が介在しているところで、女性を「物」として扱っているという厳しい批判があ
  り、このあたりが女性たちに非難される最大の原因になっている。
 ・しかし男性の立場からいえば、金銭が介在しているからこそとトラブルも少ないし、男の根源的
  な欲求である、新しい女性と性的関係を持ちたいという願望も、社会的摩擦なしに満たすことが
  できるともいえる。
 ・男にとってセックスは、愛とは別の問題である。言い換えると、愛以前に性的欲求があり、新鮮
  な相手と性的関係をもってみたいという衝動がある。
 ・欲求が高ぶっている男たちにとっては、放出することが切実な問題である。これをもしことさら
  に抑えたら、ストーカーや痴漢となり、されには幼女誘惑のような屈折した行動に発展しないと
  もかぎらない。とにかく女性が誰もいない男たちにとって、風俗の女性は、心の淋しさと肉体に
  疼く衝動とを同時に癒してくれる救いの神でもある。
 ・しかも風俗の女性はセックスの面では徹底的にサービスをしてくれるから、性的欲求を満たすと
  いう点だけに絞れば、男にとってこれほど都合のいいことはない。また金銭を介する一種の
  契約としての性的関係が成り立っているので、いわゆる後腐れがなく、その点も男にとっておお
  きな安心となる。
 ・よく妻たちは、私という女がありながら風俗店にいくなんてと、夫たちに怒り、なかには侮辱さ
  れた気がして深く傷つく人もいるようだが、夫たちは、相手はプロなんだし、お金で解決がつい
  ているのだから、怒るほどのことではない、と内心思っているはずである。それというのも、セ
  ックスを重ねてすでに慣れ親しんだ妻が相手では性的興奮が起きにくく、そのために未知の女性
  の肉体を求めるのは、いわば男の性なのだから、そういう際にプロを相手にするのは、素人と浮
  気するより賢明な方法だと思っているからである。
 ・夫が必ずしも夫婦間でのセックスに満足しているとはかぎらないわけで、夫のセックスに不満を
  持っている妻がいるのと同じように、妻のセックスに対して不満を持っている夫も少なくない。
  たとえばもう少し妻が性的に奔放であってほしいとか、義務的に受け入れるようでしらけるとか、
  ムードがない、あるいはもっと慎ましやかであってほしいとか、夫側にもさまざまな要求がある
  はずである。これにくわえて、求めたときに拒否されることが重なると、風俗店にでも行って妻
  以外の女性と関係を持ちたいと思うのは、むしろ自然の流れといえなくもない。
 ・女性をお金で買うなんて、女性の人権を侵害し、差別していると憤る人もいるだろうが、風俗で
  働く女性たちは、意外にさばさばしていて、自分を買いにくる男たちに反発するというよりは、
  男とはなんと可哀相で馬鹿な生きものだと、むしろ哀れんでいるように思える。さらには、そん
  なに私の秘所を見たければみなさい、したければしなさい。そんなことで満足し、ありがたがっ
  て大金を払ってくれるなら、体を貸してあげますよといった気持ちで、働いている女性もおおい
  はずである。
 ・風俗の女性たちは、自分たちがもっている女という性は金銭に置き換えることができる、つまり
  商品価値があるということを理解している。そういう意味ではクールであると同時に、男女の性
  の本質についてよく知っている、ともいえる。こうした女性たちの存在に対して、「人権無視」
  などと声高にいったり、逆に「卑しい職業」としてさげすむのは、もしかしたら、素人の女性の
  傲慢さかもしれない。それというのもこれらの女性たちによって癒される男たちは多いし、それ
  には素人の女性たちのなかにも、無意識のうちに女という性の商品価値の恩恵をこうむり、それ
  によって安逸な生活を送っている人も少なくないからである。
 ・もっともそうはいっても、相手があまりにプロフェッショナル然としていると、男たちも次第に
  虚しさを感じるようになってくる。風俗の女性が相手の男のセックスを褒めたり、ことさらに声
  をあげて派手に反応して見せるのも、いってみればサービスの一環で、そういうことが分かって
  くると次第にしらけてくる。風俗店に行くまでは、おおいに気分が盛り上がり、性的ボルテージ
  も高まっていたのに、放出して店を出たあとに、なんともいえない虚しさにとらわれる人もすく
  なくない。そんなとき、幻想でもいいから精神的な愛が欲しくなったり、相手がプロとは違った、
  初々しさや上品さを求めたくなってくる。
 ・最近なにかと話題になっている援助交際も、相手が性を売るプロではないという点が男にとって
  大きな魅力だが、さらに高校生の場合、「若さ」という妻にはない魅力が加わる。若い子とデー
  トをし、ウキウキして期待に胸を躍らせてみたい。つまり若い女の子の会話や奔放さを味わうこ
  とによって、若返りたいという、一種の回春剤の役目も求めているわけである。こういう場合、
  男たちは自分の娘ぐらいの年齢の女の子にうつつを抜かし、お金を使うことを恥ずかしいとは思
  いながら、誰にも分からずにできるなら、やってみたいとも思っている。それは男としてという
  より、オスとしての当然の願望で、そのためにお金を使うのも一種の夢だと思っているからで、
  このあたりの感覚は、女性にはわかりづらいかもしれない。
 ・援助交際では「若さ」という括弧つきの性が男にとって価値があり、それに対して男が金銭を払
  うことを、若い女性もまたどこかで当然だと思っていることに気が付く。実際、援助交際をして
  いる高校生たちは、その点に関してはきわめてクールに自覚していて、「こんなオイシイ思いが
  できるのは、いまのうちだけだもの」とか、「女も二十五過ぎたら、もうおしまいだし、そのこ
  ろには結婚したいな」などといともあっけらかんと語っている。彼女たちは、自分たちが女子高
  生であるから男たちが群がり、惜しげもなくお金を使ってくれるということを、本能的に知って
  いる。その点では、一見プロの女性と変わらないように思えるが、少なくとも外見はセーラー服
  を着て若々しいところが、素人のように思わせ、このあたりの微妙なところがまた援助交際の面
  白さ、ということになるかもしれない。
 ・男女の関係はセックスだけでつながっているわけではない。それは認めたうえで、男たちは別の
  面で、女性とのセックスはかなりお金を提供しても求めるに値する貴重なものだと思っているこ
  とも確かである。
 ・風俗に行かず、妻であるわたしだけで満足しなさいといわれても、すでに妻に飽きがきている夫
  には、改めて妻を求めるだけの気力はない。言い換えると、夫が高いお金を出して風俗に行くの
  は、妻にはない新鮮な魅力と、妻とでは満たされない奔放な性の魔力が潜んでいるからである。
  そんなこと、妻である私に求めたらいいでしょう、という女性もいるかもしれないが、男はいわ
  ゆる正妻に対しては、あまり淫らで奔放なセックスをおこなわない、また求めないものである。
  なぜといわれると、いささか答えにくいことだが、妻には女としてより、まず子供の母親や生活
  同伴者であることを望んでいるからである。
 ・独身の息子に対して、風俗などに行かず、きちんとした家のお嬢さんと付き合えばいいでしょう、
  というお母さんもいるかもしれないが、風俗に行く男たちは、そのきちんとした付き合う相手が
  いないから、我慢し切れずに行くのである。それなら、いい人が見つかるまで我慢しなさいとい
  う意見もあるかもしれないが、そうしていると、欲望が屈折して、レイプ願望にとらわれたり、
  さらには内攻的になってか弱い幼女を襲うなど、変質者的な傾向を強めることになりかねない。
 ・男の性的リビドーは本来あるのが正常で、それを抑えるというより、それをいかに自然に保ち、
  育てていくかが問題だということである。もともとあって当然と考えれば、それを実際に生かし、
  納得し、さらには高まるリビドーを抑えるために、風俗に行くのも自然というわけである。
 ・お母さんのいうことはよくきき、成績は優秀だけど、オスとしての精悍さは失われた子羊のよう
  な男の子。こういう子は、お母さんにはもっとも好ましいかもしれないが、他の女性にはほとん
  ど見向きもされなくなる。要するに、お母さんのペットとしてだけの存在になってしまう。
 ・せっかく華やかな結婚式を挙げておきながら、男として頼り甲斐がなく、性的不能などの理由
  で離婚に至るのはこのタイプで、その責任の一部は、ひたすら清潔なことだけを求めたお母さん
  にあることは確かである。
 ・一般に女性は、紳士的な品行方正な男性をよしとするが、その男性が性的不能者と知るとたちま
  ち興味を失う。こうした傾向は性的に未熟な処女にもあるわけで、そういう女性も無意識のうち
  にオスである男を求めているはずである。

結婚をめぐって
 ・二十代前半の、まだ結婚というものを具体的に意識していない男にとって、もっとも必要な相手
  は、一緒にいて楽しく愉快な女性である。この楽しいことのなかには、陽気なおしゃべりや積極
  的な行動力とともに、趣味の合致や性的関係も含まれてくる。いずれにせよ、結婚する気などは
  まだないのだから、必ずしも家庭的でなくても、明るく刺激的な女性のほうが好ましいというこ
  とになる。こういう男にとっていささか困るのは、なにかというと結婚のことをいいだし、男を
  家庭に引き込みたがるタイプの女性である。相手の女性が早々に巣作りを考え始め、それを求め
  てくると男は当惑し、興ざめする。彼女が結婚のことを考えるという気配を感じただけで、「ま
  ずいぞ」といった気分になって逃げ腰になってしまう。
 ・女性のなかには苛立ち、「責任をどう取ってくれるの?」とか、「それなら私のことは遊びだっ
  たの?」などと、詰め寄ってくる人もいるが、正直いってこのタイプは男にとって一番脅威であ
  る。肉体関係をもった以上、結婚するのは当然という理屈は、男にとってはいささか理不尽な要
  求で、もしそんなことが通るなら、結婚をしないかぎり恋愛はできない、ということになる。
 ・結婚するまでは処女でなければならない、といった価値観が厳然と残っていた時代ならともかく、
  現在のような男女が対等なってきて自由恋愛を楽しいでいるときに、「体を与えた責任をとって」
  というのでは、いささか古すぎる。
 ・一般に女性は男性に比べ、恋愛と結婚を別に考える意識が薄いかもしれない。言い換えると女性
  の場合、恋愛の延長線上に常に結婚があるといってもよく、極端に言うと初めて肉体関係をもっ
  たその日から、女性はその男と結婚することを夢想することもあるようだ。
 ・これに比べると男の愛はもう少し拡散的で、恋愛と結婚は必ずしもつながっているわけではなく、
  恋愛は恋愛と割り切っている場合が多く、このあたりのくい違いが男と女の間でトラブルが生じ
  るひとつの原因なのかもしれない。
 ・どんなに好きな女性がいても、男には男の身勝手な夢があり、たとえば一ヶ月間ヨットに乗って
  航海してみたいとか、男同士で何日間かゴルフに行きたいとか、誰にも邪魔をされずに自分の趣
  味に没頭したいといった欲求を秘めているものである。そして、しばらくそういうことにかまけ
  て彼女に会わないでいると、突然、心底から彼女に会いたくなる。そんなの男の勝手だといわれ
  そうだが、男というのはそういう意味では勝手な生きものなのである。
 ・このような傾向は結婚したあとも同じで、別に家庭をないがしろにしているとか、忘れたいとい
  うわけではなく、家庭も大事だけど他のことも同じように大事だというだけのことである。こう
  いう男の本音は、いずれはやめて戻るから、当分は黙っていてほしいという一言に尽きるのであ
  る。
 ・日本の社会はかなり改められたとはいえ、いまもなお序列が優先し、企業や役所の中で男は残酷
  なほど競わせられ、日々そういう縦社会の中で働いていると、ときに落ち込むことや苛立つこと
  は避けられない。こんなとき男の心はごく自然に、いわゆる男の社会の中に組み込まれていない、
  女性にすがりたくなっていく。この場合、男は必ずしも女性を恋愛や性的対象として求めている
  わけではない。
 ・この「心の弱りめ」、とでもいうべきときが三十歳前後にもっとも多く、それゆえにこの時期の
  男は、常に味方になってくれる女性を求めるようになり、それが結婚願望につながっていく。
 ・他にそろそろ年だから家庭を築いて子供をつくり、親を安心させてやりたい。また独身生活に飽
  きたので掃除や炊事をやってくれる女性が欲しい。さらには、いつも安心してセックスをしたい
  からなど、さまざまな理由もくわわって、男はこの時期、結婚を意識して具体的な行動に移りだ
  す。
 ・こと結婚に関しては、男は厳しい社会に出て鍛えられているせいか、女性のように身のほど知ら
  ずの夢ばかり追わず、もう少し醒めて冷静に自分で自分の周囲を見て、ほどほどの相手を求める
  ものである。男は恋愛中の言葉とは裏腹に、意外に保守的なところがあり、妻となる女性が自分
  の両親とうまくやっていけるか、家庭をしっかり守る妻になるだろうか、といった点にもかなり
  こだわるものである。親を重視する態度は、以前より最近の若者のほうに強いように思う。これ
  は一人っ子や親離れしていない青年が増えたせいかもしれない。
 ・男の中には初めから圧倒的な愛が無くても、一緒に暮らしているうちに情が生まれ、愛着も深ま
  るのではないかと期待している部分もある。言い換えると、夫婦のあいだの情愛はその程度のも
  のでいいというか、そのほうが無難で、あまり情熱的な状態で結婚すると、かえって疲れて長続
  きしないのではないか、それより夫婦というものは、ぬるま湯ぐらいがほどよい温かさでよしと
  し、セックスにしても、妻とはときに思い出したように結ばれるくらいでいいというのが、日本
  の男の平均的な感覚といえそうだ。
 ・男にとって家庭はあくまでリラックスする安らぎの場所であり、失意のときに慰められ、辛いこ
  とがあっても明日からまた頑張って仕事に出て行く元気を与えらる場所であってほしい、と願っ
  ているからである。したがって、いくら相手がセクシーで美しくても、そうしたことだけで関わ
  っていては、男はたちまち疲れてしまう。よく冗談で「家庭に仕事とセックスはもち込まない」
  などと言うが、これは半ば冗談で半ば本気といってもいい。
 ・女性は男と比べて二人の間の愛というものにかなりこだわっているように思える。また結婚によ
  って、自分の人生がドラマチックに変わると考え、それへの期待も大きいようである。そのため
  か、結婚を決めてからも本当にこの人と一緒になっていいだろうか、この選択は正しかったのだ
  ろうかと心が揺れることも多いようだ。ときたま聞く婚約破棄も女性から言い出す場合が多いよ
  うだが、これも形式より愛を優先させたい女心のなせるわざで、多少不満があっても、とにかく
  結婚してから考えようという男とはいささか異なるかもしれない。
 ・嫁と姑はうまくいかないのが当たり前だ。母親にとって息子の嫁は、最愛の息子を自分から奪い
  取った女性である。もちろん多くの母親たちは嫁には理解があるつもりでいるだろうが、この奪
  われたという実感は根強く、くわえてその深層心理には、息子と嫁が性によって結びついている
  ことに対する嫉妬に近い感情も潜んでいると思われる。その証拠に、息子が恋愛結婚をしたよう
  な場合には、心の底のどこかで、嫁のことを「息子を籠絡した女」と思い込み、さらには、息子
  はあの嫁のせいで骨抜きにされ、自分を捨てたのだと被害者意識を抱く母親さえもいる。潜在意
  識としてそうした感情がある以上、姑が嫁に嫉妬し、競争心を抱くのは、いわば母親の業という
  か本能といってもよく、どんな理性的な母親でも、どこかにそうした本音が隠されている。
 ・一方、嫁のほうは姑と夫の絆を人一倍強く感じ、それが強ければ強いほど、何とかその絆を断ち
  切り、夫の気持ちを自分だけに集中させたいと願う。もちろんそこには夫の愛情を独占したいと
  いう気持ちもあるだろうが、同時に自分は妻なのだから、夫にとって自分が誰よりも重要な人間
  であるべきだという、妻としての面子もあるだろう。いずれにせよ、嫁と姑の問題は息子であり
  夫である男をめぐる三角関係といってもよく、たとえ表面的にうまくいっているように見えても、
  心の奥には、このような相互嫉妬の心理が複雑に絡み合っているものである。

エクスタシーへの招待
 ・エクスタシーを定義すると、性的に成熟した女性が性行為によって興奮の極みに達したとき、激
  しい快感とともに一時的には雲の上を浮遊するような、ときには意識が虚ろになるような絶頂感
  とともに、膣の周りに血液が充満して膣内の温度が上がり、内壁の粘膜が痙攣するといった、肉
  体的な変化を引き起こす状態、ともいえばいいかもしれない。
 ・エクスタシーに達するには、それなりの条件が必要である。その第一は、女性がある程度性的に
  成熟していることである。男と初めて肉体関係をもったとき、多くの女性は痛いだけでそれほど
  気持ちがいいものではなく、「こんなものなのか」と思う人も多い。このように性的経験が浅い
  うちはエクスタシーを感じる余裕もないが、何度か性的体験を重ねていくにしたがって性感が開
  発さて、精神的な余裕もできてきて、徐々にエクスタシーに達するようになっていく。
 ・エクスタシーに達するには、肉体的な変化とともに、精神的な面でも女性はいろいろな越えなけ
  ればならないバリアを抱えている。まず性行為にあたって女性は男性自身を体内に受け入れるわ
  けだから、抵抗感も大きいうえに妊娠の恐怖もある。また親に黙って悪いことをしているとか、
  結婚以外のセックスはよくないことだといった罪悪感が心理的抑圧となっている人も多いようだ。
 ・女性がエクスタシーを得るためには、さまざまな抑圧から自由になり、精神を解き放つことが必
  要である。くわえて相手の男性に心を開くことも重要で、心にバリアがあるうちは、なかなかエ
  クスタシーを感じることができないようだ。つまり、本当に相手を信頼し、心を委ねることがで
  きてはじめてエクスタシーに達するわけで、そういう意味では女性のエクスタシーは肉体的な面
  にくわえて、精神的な要素も大きいというわけだ。
 ・女性の中には、「わたしがエクスタシーに達したかどうか、彼はわかっているのだろうか」と疑
  問をもつ人もいるようだが、女性経験をそれなりに積んでいる男は、まず間違いなく分かるもの
  である。それというのも、エクスタシーに達した女性の性器は、それ以前とは比べものにならな
  いほどの快感を男のペニスに与えてくれるからである。まさしくそのとき女性の性器は熱をもっ
  たように熱くなり、強くペニスを締め付け、たとえ言葉に出さなくても、女性器そのものが男の
  ペニスに饒舌に肉体の喜びを語りかけてくるもので、そのとき男性が得られる性的快感はまさに
  最高のものといってもいい。
 ・しかし、女性がエクスタシーに達することによって得られる男の喜びは、そうした肉体的なもの
  だけではなく、それ以上に男が重視しているのは精神的な満足感である。女性に真のエクスタシ
  ーを与えて、男は初めて「自分もこれで男になった」と実感し、誇らしい気分になり、そうした
  喜びと自信を与えてくれた女性に対して一段と愛おしさが強まり、感動と充足感を覚える。
 ・女性がエクスタシーを得るということは、相手の男性に対して心を開き、すべての装飾や仮面を
  脱ぎ捨て、裸の自分をさらけ出して完全に無防備になることだ。相手にそこまで自分をさらけ出
  してくれるということは、まさに全身を委ねているという証拠で、そのとき男は初めて、「彼女
  は本当に自分のものになった」と心から実感することができ、感動を覚える。
 ・「女性をいかせる」ということは、男の最大の願望であり、それを果たせないかぎり、男はいま
  ひとつ相手の女性をとらえたという実感が乏しく、不安感を拭いきれない。
 ・女性がエクスタシーに達すると同時に男も射精するのが最高なのだが、それなりの経験を積み、
  また相手の女性とある程度馴染まないと、なかなかタイミングが一致しないものである。同時に
  のぼりつめるためには、自分の性欲をコントロールすることも必要であるし、絶えず相手の様子
  を窺うだけの精神的余裕や性的自身も必要になる。しかし若いころは性的自信はまだないのに性
  欲だけは強いので、途中で暴発することも多く、本当に女性をよくすることはなかなか難しいも
  のである。
 ・また相手がまだ性的に成熟していない女性の場合、時間をかけて相手の心を解きほぐし、自分に
  心を委ねるようさまざまな努力を重ねなければならないから、それなりの体力と余裕がなければ
  難しいし、相手に対する思いやりや慈しむ気持ちも必要である。もちろんこのあたりは個人差が
  激しく、一概にどの年齢とは言えないが、一般的に男性も四十代に入るころには、それだけの自
  信や余裕も生まれてくる。

種の保存
 ・多くの男性は結婚した以上は、「子供が欲しい」と思うものだが、その願望は女性が思っている
  以上に強いといってもいい。したがって、男にとって結婚するということは、好きな女性とひと
  つ屋根の下で過ごすことの実現とともに、自分の子供をその女性に産んでもらいたいという、い
  わゆる自己の種の保存への願望があるからで、これが結婚へ踏み切るひとつの決め手になってい
  ることは確かである。 
 ・男にとって、たとえ好きな女性が相手であっても、性的関係において、ある儚さがつきまとう。
  いわゆる「うたかた」ともいえばいいだろうか。それは男の性が射精し終わった途端に急速に閉
  じてしまい、いわばそこで完結してしまうところに根本的な理由がありそうだ。
 ・性的に発育した女性の場合、性行為のあとにも性の喜びは漂い続け、そこからさらに妊娠や出産
  という未来へ広がっていくイメージが続くようだ。言い換えると、女性の性行為は単なる行為に
  終わらず、そこから受胎し、長い妊娠期間を経て、やがて子供を産み育てるという可能性を秘め
  ている。
 ・想像するところ、創造主はこのあたりを考えて、女性には男と違った性の感覚を与えたのかもし
  れない。男のように、性行為が終わったらあとはどうでもいいという気持ちになっては、そのあ
  との長い妊娠期間や出産の苦しみを耐えていけないからである。このように、女性は常にセック
  スによって自らの体内に新しい生命を宿す可能性があるため、意識するしないは別として、性行
  為は新しい誕生に向かってすすむひとつの過程といってもいい。
 ・これに対して、男は射精した瞬間にすべてが終わる、いわゆる有限の性である。男の行為そのも
  のは暴力的な感じさえあるのに、終わった途端に萎えてしまう。つまり強い快楽とともに放出し
  てしまうと、そのあとには死をイメージさせる虚無感とでもいうべきものしか残らない。そして
  この死のイメージが深いからこそ、なんとか自分の命とつながるものを残しておきたい、自分の
  遺伝子をこの世に残しておきたいと願う。いってみれば男の種の保存願望は、男の性の儚さの裏
  返しでもある。
 ・女性が「好きな人の子供を産みたい」といった感情をごく自然に持ち、そのことが母親願望につ
  ながっていくのに比べて、男の場合は自らの種というか、素因を残したいという願望のほうが主
  になっている。女性は愛する相手に似たものを残したいと思うのに対して、男は自分に似たもの
  を残したいと願っているわけで、このあたりに、同じ子供を待ち望んでいても、男と女の間で微
  妙なズレがあるように思える。

浮気と本気
 ・古今東西を問わず、時代を超えて男に浮気はつきもので、最近は女性の浮気も増えてきたとはい
  え、数から言えばまだまだ圧倒的に男が浮気する例の方が多いようである。こういう傾向は自然
  界でも同じで、ほとんどの生物の雄は一匹でも多くの雌に子を産ませ、自分の遺伝子を多く残そ
  うとする習性を持っている。その結果、雌を獲得するために雄どうしで死闘を繰り広げること
  もしばしばで、雄は群のすべての雌を自分のものにし、いわゆるハーレムをつくる動物もいる。
 ・一般的に結婚という形態で男女が結びついた場合、まず結婚後三、四年のところが飽きがくるひ
  とつの節目のような気がする。
 ・男の場合、一人の女性とつきあっていく過程の中で、性に慣れることはあっても、性感自体が深
  まり、成熟していくことはさほどない。異なる相手と性的関係を経験することで、それなりの変
  化や面白みを感じることはできても、快感そのものは回を重ねたからといって深まるというもの
  ではなく、それより彼女が自分の行為に応えてくれることに満足を見出そうとする。 
 ・これに比べ、女性の場合、一般的には、ある特定の男性との関係のなかでゆっくりと性に目覚め、
  性感が成熟していく。したがって、一人の男性と性的関係を続けたからといって必ずしも飽きが
  来るわけではなく、むしろ繰り返すことによって性感は豊かになり、その男性に馴染み執着して
  いく傾向が強い。このように性感の発育過程には、男性と女性のあいだでかなりの違いがあるこ
  とは確かである。
 ・さらに男性の場合、性的欲求は一見、肉体的なようで、その実はきわめて精神的なもので、一種
  のときめきや好奇心、それにつながる緊張感といったもので欲望は一段と高まる。この高揚は性
  的行為に不可欠な勃起への誘い水であり、これが欠けると往々にして行為にまですすめないとこ
  ろが、女性に比べて男性の厄介でハンディキャップとなるところでもある。
 ・夫が妻以外の女性に惹かれる場合、その女性が必ずしも妻より勝っている必要はない。もちろん
  そうであれば、さらに熱中するだろうが、それほどでなくでも新鮮で初々しければ気持ちは充分
  に高揚する。よく夫の浮気相手を知った妻が、「あんな女のどこがいいの?」と著しく自尊心を
  傷つけられて詰め寄ることがあるが、それは少し意味が違うのである。詭弁に聞こえるかもしれ
  ないが、妻よりその女性のほうがいいのではなく、妻との関係では得られない緊張感が、その女
  性との間にあるから燃えたと考えるべきである。
 ・穏やかだが退屈な結婚生活の中で夫が妻に飽きがきたころ、もし外に素敵な女性がいて、その女
  性と親しくなれるなら、普通の男は一も二もなくその女性に飛びつくであろう。このように男の
  ほとんどはチャンスさえあえば浮気をすると思っていたほうがよく、大ざっぱにいって七割から
  八割の男性は機会に恵まれれば浮気をするはずで、他の一割は妻とうまくいっていて浮気をする
  気も起きない男。他の一割は浮気する勇気もない不能に近い男かもしれない。
 ・だからといって、その多くは妻を捨てて新しい女性と結婚するところまではいかないもので、そ
  の理由として、男にとって家庭は長年、慣れ親しんだ癒しの場でもあるからである。社会的生き
  ものである男は、どんなに威勢がいいときでもときに失敗して傷つき落ち込むことも少なくな
  い。こういうとき、男は慰め、癒してくれる場所を家庭に求める。妻に対していわゆる母親的な
  ものを求めるわけで、同じ役目を若い愛人がこなせるかといえば、そうはいかないことが多い。
 ・いずれにせよ、苦労して成功した男にとって浮気は人生における一種の「勝ち」の表現であり、
  「負け」のときに必要なのが妻ということになる。そんな都合のいいことばかり言ってと呆れる
  女性も多いだろうが、妻と妻以外の女性の両方欲しいというのが、多くの男性の偽らざる願望と
  言ってもいいだろう。
 ・もちろん実際に浮気にいたった場合、多くの男性は妻に対しては後ろめたさを感じるもので、悪
  いと思いつつも自分を抑制することができなかったというのが実情であろう。むろんこの場合、
  基本的には妻と別れる気はないのだから、妻に知られないように内心ビクビクしたり、浮気をし
  たあと、妻に優しくなったりすることも多く、妻から疑いをかけられでも最後までシラを切ろう
  とする。それもこれも、いまある家庭を守りたいからで、それでももしバレてしまったら、何よ
  りも家庭を大事に思っていると土下座して頭を下げ、哀願するのが、多くの男性の実態である。
 ・男は浮気をするもんだといっても、誰もが相手を見つけることができるわけではない。当然のこ
  とならが、女性も相手を選ぶ権利があるわけで、男のほうにいくら強い願望があっても、それを
  受け入れてくれる女性に出会わないかぎり、浮気は成り立たない。言い換えると、男が妻以外の
  女性とつきあうためには、相当の努力をしなければならない、ということである。
 ・他の女性に向かっていくためには、相当なエネルギーがいることで、一度や二度の関係ならまだ
  しも、相手との関係を継続し、深めていくには並大抵のことではできない。それほど困難を乗り
  越えて妻以外の女性とつきあう背景には、やはり妻への飽き足らなさがあるからに違いない。も
  し本当に妻とうまくいっていたら、そこまで大変な思いをしてまで、他の女性と深入りしようと
  は思わないはずである。したがって、夫が他の女性とつきあっていることを知っても、ただかっ
  となって相手を責めるだけでなく、自分にも非があったのではないかと、自らを振り返ってみる
  ことも必要である。
 ・男は女性が思っている以上に面子を尊ぶ。むろん女性にもプライドがあるだろうが、幼いときか
  ら母親に、男らしくしなさいと教育されてきた男たちは、面子を潰されると、女性が考える以上
  に不機嫌になり、落ち込む。そのあたりを理解して、馬鹿げたことだと思いながらも、多少男を
  たてるようにしてあげると、男は他愛なく喜び、意外に夫婦関係はうまくいくものである。これ
  は、妻が半歩下がって一歩実を取る作戦といってもいいかもしれない。
 ・男にとってもっとも耐え難いことは、まず人格を否定されること。次いて地位や賃金について批
  判されること、そしてセックスの否定などである。これらを言われたり行動で表されると、男は
  妻に対して立場がなく、ひたすら惨めになるとともに妻への憎悪がかきたてられる。

社内恋愛
 ・結婚して十年も経つと、夫と妻は生活同伴者といった感じになり、二人のあいだに恋のロマンチ
  ズムやときめきを感じることは少なくなる。夫婦はいわゆる「家族」になってしまい、それとと
  もに男と女としての緊張感も薄れるというわけである。こういう状態が長く続くと、男の心の中
  にときめきを求める気持ちが高まり、いつ恋愛が始まってもおかしくない状況になる一方、幸か
  不幸か男の職場には必ず若くて新鮮な女性が身近にいて、浮気心を向ける相手にさほど不自由し
  ない。
 ・くわえて男の場合、四十前後になるとそれなりの地位を得るようになり、若くてまだ仕事がよく
  分からない女性に対し、上司として指導する立場に立つことも多くなる。こういう関係の中で、
  若い女性をときに教え、ときに庇いながら、仕事のパートナーとして過ごすうちに、徐々に親し
  みが増し、いつしか愛に変わっていくのは容易に想像できることで、自然といえば自然な結びつ
  きといってもいい。
 ・しかも夫たちは、家ではすでに主としての威厳を失い、妻からは友達か、それ以下に扱われるこ
  とも多いのに、部下のOLはあくまで自分を慕い、上司をたててくれる。さらに家で化粧もせず
  にくつろいだ格好をしている妻と違い、彼女たちはお洒落をして会社に出てくるため、彼女たち
  に目がいくのは無理もないことで、よほど魅力の薄い女性でもないかぎり、たいていの男は自分
  の部下であるOLを好ましく思うものである。
 ・社内恋愛で特に問題になるのは、男は二人の関係をひたすら隠そうとするのに対して、女性の側
  が積極的になってきて、やがてつきあっていることを、周りになんとなくほのめかす態度をとり
  始めたときだ。 
 ・男と女の大きな違いは、男はあくまで社内における自分の立場を崩さないことを第一義としてい
  るのに対して、女性はときに社内の上司とOLという立場を忘れて、愛の深みに入り込んだまま、
  まっすぐ突き進むこともないとはいえない。
 ・このように社内不倫に対して男と女で微妙に違うのは、やはり男の場合、社会的立場に強く拘束
  されているからで、とくに日本では終身雇用に近い状況なので、社内の噂にことされに臆病にな
  らざるをえない。それに反して女性は、キャリアを目指している人は別として、多くの場合、周
  りに知れたところでそう困らないというか、いざとなれば会社をやめても平気という人も多く、
  その分だけ男性より大胆になれるかもしれない。
 ・独身女性とつきあっている中年男性の大半は、恋も大切だけど、それと同様、あるいはそれ以上
  に、会社での地位と名誉も大切で、ときにはそれにこだわるあまり、せっかくの恋を断念するこ
  ともないとはいえない。自分の社会的な立場を危うくしない範囲で女性と付き合いたい、という
  のが中年男の本音でもあるというわけである。
 ・ここでひとつ問題になるのは、女性が妊娠した場合である。付き合っている女性から妊娠を告げ
  られたとき、男はまず間違いなく困惑し、うろたえる。ただし男と妻の間に子供がいない、ある
  いはできない場合は少し違って、妊娠した女性に急速に気持ちが傾き、離婚のきっかけになるこ
  ともあるが、すでに家庭に子供がいる場合には、かなり深刻な問題になってくる。
 ・不倫相手の女性が妊娠した場合、男だけの一方的な願望をいうと、女性が自分から子供をおろし、
  なおかつ関係が続く状態を望んでいる。もちろんこのとき、女性に対して申し訳ないという気持
  ちは強く、子供をおろすことを納得し、そのあとも親しい関係を続けてくれる女性に対して深く
  感謝し、以前にも増して愛しく思うようになる。
 ・男にとってもっとも困るのは、断固として産むといいはる女性で、最終的に子供を産む産まない
  の選択権は女性の側にあり、男の及ばない領域だから、男はおろおろするばかりである。
 ・ここで夫婦の年齢と離婚の関係を考えてみると、三十代前半までの場合は、不倫が高じて妻と離
  婚し、新しい女性と結婚に至る確率はかなり高いように思われる。男が五十代半ばを越えている
  場合でも別れるケースはかなりありそうである。もっとも離婚しないというか、しづらいのは
  四十代で、この年代の男たちの多くは家のローンを抱え、子供の進学問題も微妙な時期で、会社
  でのポジションも上昇中と、いろいろ、しがらみが多いだけに、妻に対してさほど愛を感じなく
  ても、容易に離婚にまでは踏み切れない。
 ・恋において男は花だけで満足なのに、あるいは花であるからこそ求めているのに、女性はその先
  の実を欲しがるようになってくる。結婚している男性はすでに妻や家庭という実をもっているは
  いるが、それは花とはほど遠い殺風景なものだめに、実とは違う花を求めているわけだが、その
  あたりの感覚を女性に分ってもらうのは難しいことなのかもしれない。
 ・上司と独身女性との関係が深まるにつれて、女性の方から必ずといっていいほど出てくる不満は、
  彼には家庭という帰る家があるのに、自分はないという不公平感である。
 ・妻は愛人のほんとうの辛さを理解できず、逆に愛人も妻の辛さをほんとうに理解することはでき
  ない。男は本当の意味で女性の哀しみを知る得ず、女性も男の大変さを理解することができない
  であろう。
 ・さまざまな愛の形において、妻子ある男性と独身女性の関係ほど多く、それだけに現実感のある
  関係はない。今後、どのように社会状況が変わろうとも、この関係は増えることはあれ、減るこ
  とはなさそうに思える。
 ・それではうちの夫もと、不安にかられる主婦も多いかもしれないが、若いOLに本当の意味でも
  てる上司はきわめて少ない。「女房妬くほど亭主もてず」というように、多いとはいえ、社内不
  倫をできる夫族は限られていて、しかも一部に集中しているのである。「あなたの子供を生みた
  い」などと言われることはごく稀で、容易なことでは言ってもらえないのが現実である。

妻の浮気
 ・妻の浮気を知ったとき、夫たちのほとんどは間違いなく狼狽し、口惜しさとともに怒り狂うであ
  ろう。ただここで面白いのは、その怒りの強さは妻を愛していようがいまいが、あまり変わらな
  いという点である。
 ・妻に浮気された夫が嘆き悲しみ、悲嘆にくれるという情景はあまり見かけず、一般的とはいえな
  い。実際には、そのような境遇にある夫も少なからずいるはずだが、男たちは人前でプライベー
  トなことを嘆いたり悲しむべきでないという社会的通念があり、仮にそういったことを人に愚痴
  ると「男のくせに」とか、「女々しい奴だ」といわれてますます軽蔑される。
 ・男たちの多くは妻の浮気に気づいたとき、内心では怒り、ショックを受けても、当の妻にたいし
  てはことさらに平然として気づかないふりをしがちである。
 ・妻に男ができて出て行ってしまった、などとはとても他人にはいえない。そんなことが世間に知
  れると、男の面子は丸潰れで誰からも相手にされなくなる。そんな不安や怯えが先にたって、な
  かなかきっぱりした態度をとろことができない。この曖昧さは友人や親戚の前でも同様で、妻と
  相当もめていても、なんでもないような態度をとり続け、表面だけでもとりつくろおうとする。
  しかしこれが精神的な負担にならないわけはなく、実際にはノイローゼや心身症に陥る例も少な
  くない。
 ・最近、妻に浮気されている夫は増えているはずだが、さほど表立っていないのは、ある意味で男
  たちが耐え、あるいは面子から隠しているからで、実際にはかなりの数に達すると考えてもいい。
 ・男の場合、妻に「浮気しているのではないか」とはなかなかいえず、疑いながらもくよくよ考え
  こんでいる場合のほうが多そうである。むろんその裏には、下手に問い詰めて、「そうよ」と開
  き直られてしまうと立場がなく、男の面子も失ってしまうという不安がある。要するに真実を知
  るのが恐ろしく、ある意味では浮気をしている当の妻が夫に知られることを恐れる以上に、夫の
  ほうが知ることを恐れているといってもいいかもしれない。
 ・夫が浮気をしているのに別れない妻、妻が浮気をしているのに別れない夫、こうした夫婦が増え
  つつあるということは、見方を変えると、夫婦というのはその程度の愛情でやっていける、とい
  うことにもなる。それほど心が通わず、お互いにつきあっている人が別にいたとしても、形とし
  ての夫婦は維持していける。つまりそれだけ現代の夫婦は空洞化しているといってもいいかもし
  れない。
 ・かつては、夫のいる身で他の男性と関係をもつことは姦通罪に問われ、ある意味では決死の覚悟
  がいることだった。その極端な例が心中だが、浮気は、家庭を捨てる覚悟があってはじめてでき
  ることだったといってもいい。つまりそれは、浮気ではなく本気だった、ということにもなる。
 ・しかし、現代では、必ずしもそこまで深刻な気持ちで浮気をするわけではなく、初めから夫と離
  婚するつもりはなく、軽くときめきを求め、遊んでみたいという妻たちも多いようである。とく
  に三十代後半になって子供の面倒がかからぬころになると、若さが失われていくことに対する焦
  りもあり、もう一度花を咲かせたいという願望が生まれてくるのも自然といえば自然である。
 ・結婚して年月を重ねた夫とのあいだではロマンチックな雰囲気にほど遠い、このまま女として朽
  ちていくかと思うと、やりきれない思いでいっぱいになる。そんなとき、自分を女として扱って
  くれる男性が現れたら、つきあってしまう気持ちもわからぬではない。
 ・こういう場合、心の中では夫に悪いと思いながらも、最後に帰ってくるのはあなたのところなの
  だから、いまは見逃してほしいと思っている妻たちも多いかもしれない。
 ・男の浮気が最終的に家庭を崩壊させることまで考えていないと同じように、現代の妻たちの浮気
  も、家庭は家庭で維持していこうという都合のいい考えの上に成り立っているケースも少なくな
  さそうである。

絶対愛とは
 ・人を愛するからには、他には脇目もふらず深く愛し合い、精神的にも肉体的にも深く充ち足りた
  関係でありたいと、誰もが願うはずである。このように、お互いその人しか見えず、その人だけ
  を全身全霊で愛し、浮気もよそ見も絶対にしない関係を「絶対愛」と呼ぶとして、この絶対愛を
  追求し続けると、どうなるか。
 ・生きているかぎり、愛は移ろうのが宿命だとすれば、最も愛が高揚した絶頂のときに自分も相手
  も死ぬよりないのではないか。そうするより絶対愛を永遠に閉じ込める方法はない。
 ・絶対愛は存在するけれど、それはある短い期間のことで永却不変のものではない。もし絶対愛を
  永遠にとどめておきたいと願うなら、愛の絶頂で死ぬしかない。
 ・実際、絶対愛を貫こうとすると、必ずといっていいほど周りの人々を傷つけ、さらには社会の道
  徳や倫理と摩擦がおきて、自ら困難な立場に追い込まれていく。しかし現実には、それほど愛に
  潔癖で激しい人は少なく、多くの人はさまざまな妥協をして生きているのが現状である。身を焦
  がすほどのときめきや性愛はあきらめて目先の安定や安らぎを手の入れるのは、絶対愛から見れ
  ば妥協であるし、堕落ともいえるが、ほとんどの人はそうした馴れ合いの世界で生きているのが
  現実である。
 ・恋愛中は互いに離れて生活しているために、逢いたいという気持ちが高まり、相手と逢うことを
  考えるだけで心がときめき息苦しくさえなる。また、どんなに愛し合っていても、ときには相手
  の心が変わるのではないかと不安になるし、自分と逢っていない時間に他の人と会っていやしな
  いか、と疑心暗鬼になることもある。そうした精神的な緊迫感があるからこそ、二人で一緒にい
  る時間をもちたいと強く望むのであろう。
 ・しかしひとつ屋根の下でともに暮らすようになり、国家権力から保障されている「結婚」という
  制度に組み込まれてしまうと、精神的な緊張感や逢いたいという切迫感が失われるのは当然で、
  もし情熱的な恋愛感情のほとばしりが消えることを「倦怠」と呼ぶならば、倦怠は結婚制度その
  ものについてまわる、宿命的なものだということになる。
 ・倦怠ということだけにかぎると、一夫一婦制を受け入れるかぎり、ある程度避けられないもので
  あるが、それが、即、悪いものだとはいいきれない。倦怠とは、いいかえれば安堵感であったり、
  ツーと言えばカーと反応してくれる心地よさでもあるわけで、そういったぬるま湯には燃えたぎ
  るものはないが安心していられるのが、まさしく家庭のよさである。
 ・最近、夫に対してときめかないとか、夫は自分を女として見ない、などと嘆く妻も多いようだが、
  安心感もときめきも同時に両方欲しいというのは、やはり少々欲張りすぎるかもしれない。
 ・多くの妻たちのなかには、夫へのときめきや愛が薄れたとき、それを結婚という制度の宿命と思
  わず、相手を間違えたのだと解釈する人もいるようだ。まだあのころは、若くて人を見る目がな
  かったのだ。この世のどこかに、きっと私をもっと深く理解し、絶対愛を成就できる相手がいる
  に違いない。いまの夫ではなく、その男性となら、結婚しても絶対愛を永続できるかもしれない、
  という思い込みである。このような、絶対愛の相手は他にいるはずだという期待が、結果的に不
  倫願望と結びつく例はかなりありそうだ。

別れのかたち
 ・「逢うは別れの始めなり」という言葉があるように、出会いがあればいずれ別れのときが訪れる
  もので、人を愛するからには、「別れ」は避けて通れない宿命といってもいい。
 ・この別れに対して、「どうせ別れるなら、きれいに別れたい」と多くの人は思うが、「美しい別
  れ」という言葉は聞きやすいけれど、どこか、きれいごとすぎて信用しがたいところもある。と
  くに深い性的関係があり、本当に愛し合った男女の別れは、決してきれいごとですむものではな
  く、どろどろとした感情のもつれや醜いいさかいが生じるのは避けれないかもしれない。
 ・もし仮に「美しい別れ」というものがあるとしたら、それは二人の結びつきが薄く、さほど愛し
  合っていなかった場合か、男女双方が同じように相手に飽き、同じ程度に離れたいと思っている
  ケースにのみ可能なような気がする。とくにそれぞれ次の相手がいるような場合は、あっさりと
  別れられる率は高いといってもいい。しかしこのように、互いに同じタイミングで同じ程度に相
  手が嫌いになることは稀で、一方が別れたがっているのに、相手はまだ未練があるというのがお
  おかたの例かと思われる。
 ・したがって「美しい別れ」というのは一種の幻想といってもよく、別れにあたって、互いのエゴ
  イステックなところや醜い面が出るのは、むしろ自然だと思ったほうがいい。
 ・男は孤独に大変弱い生きもので、一人になりたがらない傾向がある。この裏には、幼いときから
  家事をやっていない分だけ、一人になったとたんに生活が不自由になり、その意味からも別れを
  渋りがちになるというわけだ。
 ・さらに若いころは性的欲求が強いので、性的関係を受け入れてくれる女性を失いことは、男にと
  ってかなり致命的である。したがって、つきあっている女性への愛情そのものは冷めていても、
  次の人が見つからないかぎり、なかなか別れる決心がつかない。このあたりも男性特有の行動パ
  ターンで、愛情が失せても、あるいは薄れても、セックスは別ということで、ときに平気で求め
  てくることもありえる。
 ・女性の場合は性格が合わないとか相手が嫌いになったときには、次に新しい彼氏が見つからなく
  ても、まず別れることを考えるものである。また別れる決心をしたとき、女性はかなりはっきり
  と相手の男にそのことを告げ、その理由も明快にいうことが多いが、男の場合は曖昧な態度をと
  るのが普通で、「君を嫌いになった」などと、ストレートないいかたをすることはほとんどない。
 ・男が「別れたい」と思っているとき、まず表に出てくる変化としては、電話やデートの回数が減
  ることである。こういう場合、女性から「どうして最近あまり電話をくれないの?」と聞かれる
  と、「仕事が忙しいんだよ」などと別の理由を告げるために、女性のなかにはその言い訳を真に
  受ける人も少なくないようだ。しかしどんなに忙しくても、電話の一本くらいかけられないわけ
  はなく、事実付き合い始めたころはまめに連絡をよこし、忙しくても逢う時間を捻出していたの
  だから仕事のせいにするのはおかしいわけだ。
 ・それでは、このようにいったん心が離れてしまった男は二度とその女性の許に戻らないかという
  と、実はそうでもないところが、また男の怪しいところだ。それというのも男の場合、女性と付
  き合うことに関してオール・オア・ナッシングではなく、常に複数の女性を持とうとして、それ
  らを比較対照していることが多いからである。
 ・この状態はまさしく二股掛け、あるいは三股掛け、ということになるが、男は状況さえ許せば、
  こうした行動をとりがちで、この背景には、前に付き合っていた女性への未練に加えて、複数の
  女性と付き合うことに、さほどやましさを感じない男の生理に戻らざるを得ない。
 ・一方、数ある女性のなかには複数の男性と同時に付き合う人もいるだろうが、どちらかというと
  女性の場合は、新しい男性を好きになったら前の人とはきっぱり別れるケースが多いようで、こ
  のあたりはやはり男と女お違いといってもいいかもしれない。
 ・要するに女性はよく言えば潔く、悪く言えば残酷で、別れに際して男に「あなたの顔なんかもう
  二度と見たくない」とか、「あなたをもう愛せなくなったの」などと、平気できつい言葉を浴び
  せる。
 ・男の場合、たとえ他の女性に気持ちが移っても、以前の女性に多少未練を残していて、よほどの
  ことがないかぎり、そうした言葉を口にすることはない。
 ・男は、いったん違う女性と付き合い始めても、前の人と完全に切れないことが多いので、状況に
  よっては再び前の彼女のところに戻る可能性も少なくない。したがって、最近彼が他の女性と付
  き合っているらしいと思っても、もし本当に失いたくない相手なら、むやみに激昂したり、早々
  にあきらめてしまうより、なんとか手を尽くして関係を修復することを考えたほうが得策かもし
  れない。
 ・このように「別れ」を通じて男と女を見てみると、そこに男女の愛のかたちの差が見えてくる。
  すなわち女性の場合、愛が燃え上がったときに感情のうねりが激しく、それだけ心が離れたとき
  にはきっぱりと相手を切ることができるのに対して、男性は女性ほど激しく燃え上がることがな
  く、そのかわりいつまでも気持ちがくすぶり続け、未練を残すのが一般的な傾向である。つまり、
  女性は潔く毅然とした性であるのに対して、男は女々しくて未練がましい性といったところであ
  る。
 ・男と女がめぐり逢い、愛し合って、結果的に別れたとしても、それ自体決して悪いことではない。
  それより互いにぶつかりあい、戦いあうことは、人間としての見識を深めることであると同時に、
  自分を知ることにもつながる。
 ・ここで必要なことは、万一傷ついても、再び立ち直ることである。傷ついても立ち直る英知があ
  れば、傷はむしろ人生の宝となる。そして時が経てば別れは必ずその人の人生の彩りとなり、芳
  醇な香りを生み出すはずである。逢うが別れの始めだとしたら、別れは新しい自分との出会う始
  めとして、より積極的に、明るく前向きにとらえていきたいものだ。

夢と現実
 ・ある調査によると、夫との離婚を考えたことがある女性は、結婚5年目で40%に達し、10年
  目になると70%近くにまでなるといわれる。それでも実際に離婚する人もいれば、しない人も
  いる。この数字から分かることは、結婚生活は女性にとっても必ずしもバラ色ではないというこ
  とである。
 ・多くの男性は新婚生活はそうそう豊かで贅沢である必要はないと考える。最初はゼロからスタ
  ートし、徐々に社会的経験を積み重ね、ステップアップしてやがて自分の力で家の一軒でも構え
  る、という過程に男としての充実を感じるわけで、最初からなにからなにまで揃っている必要は
  ないと思っている。それは社会人としての男の実感であり、自分の力で築きあげたものに満足し
  たいという、男の本能的欲求といってもいいかもしれない。したがって、新婚時代は優しい妻の
  協力を得て、いまは質素な生活でも、地味な努力を重ねて大きな幸せをつかもうと、将来に向け
  てやる気を奮い立たせる。しかし多くの女性は、結婚後も、その前の生活レベルを落としたくな
  いという願望が強く、そこにまずこだわる。こうして結婚第一歩から、結婚生活に対する夢の描
  きかたに差が生じることは否めない。
 ・昔と違い、現代の女性たちは結婚前に海外旅行に出かけたり、ブランド物のアクセサリーや服、
  バックなどを買ったり、高級なレストランに行ったりと、かなり贅沢というか、楽しいことをた
  くさん経験している。そうした女性たちのなかには、結婚することによって、好きな人とその種
  の楽しさを共有できる、つまり楽しみが倍増すると考えている人も少なくない。
 ・女性は結婚したら楽しみが倍増すると思っているのに対して、多くの男性は、結婚したからには、
  いままでのような浮ついたことはやっていられないと、気持ちを引き締めることが多く、そのあ
  たりにギャップが生じることは避けられないかもしれない。
 ・「成田離婚」という言葉もいつの間にか市民権を得たようだが、なぜこのようなことが起きるの
  か。一般的に成田離婚にいたるカップルはお見合い結婚が多いようだが、理由はやはり「こんな
  人とは思わなかった」というのが一番で、その「こんな人」とは多くの場合、マザコン男、とい
  うことのようである。
 ・最近の女性は結婚前に海外旅行に行くのは当たり前で、それも一度や二度ではなく、毎年のよう
  に出かけ、いわゆる「場慣れ」している人が多く、情報も女性のほうがたくさん知っていること
  が多い。これに比べて男性に場合、女性ほど海外旅行に出かけた経験がない人も多く、なかには
  新婚旅行が初めての海外旅行という場合もあるようだ。そのためついつい旅行先でオドオドした
  り、レストランやホテルでも、虚勢に頼りがちになる。多くの女性は、男性にリードされたいと
  思っているのに、リードどころか、夫はメニューを見ても食事ひとつろくに決められない。新婚
  の妻はそんな夫を頼りなく思い、こんな情けない人だったのかと、すっかり幻滅してしまうとい
  うわけだ。
 ・結婚というのは、ある意味では、それまで親に属していた女性を、親から引き離して自分のほう
  に向ける作業である。この作業にもっとも有効なのが、親との間では生じることのない性的関係
  の絆で、セックスは理屈を超えて、男女を強く結びつける要因であることがたしかだ。
 ・お見合いでは結婚まで性的関係をもたないケースもあり、そういう場合、新婚旅行こそが二人の
  関係を築く初めての、そして重要な場ということになる。逆にいうと、男が男を主張できる唯一
  の場ともいえるセックスにおいて、ポイントを稼げないとすると、男は惨めになるばかりで、最
  悪の場合、女性が離婚に走ることになりかねない。つまり、成田離婚の場合、多かれ少なかれ、
  セックスの問題が潜んでいるように思われる。
 ・小学校から就職まで、さほど大きな挫折はなく、したがってプライドは高いが精神的にひ弱で、
  性的に自信がない現代のエリート青年は、野坊図な育ち方をしている分だけ、人間のもっとも動
  物的な面ともいえる「性」に関して、経験もなければ、逞しさもない。そのことが、結婚生活を
  困難なものにしていることは、想像にかたくない。この傾向は、高学歴の青年であればあるほど
  強く、お見合いではいい条件とされている、いわゆる三高青年ほど、性的に問題がある率が高い
  とみていいかもしれない。
 ・結婚に当たっては、ともかく相手の学歴や地位、家柄などに目を奪われがちである。またそうし
  た条件のいい相手と結婚さえすれば、娘は幸せになれると思っている親もいるようだが、そうい
  う思い込みは危険で、不幸を招きやすいともいえそうだ。
 ・一般に、結婚した女性が離婚を意識しがちなのは、大きく分けて三つの節目がある。初めは結婚
  して一年以内、次が七年目前後、そして最後が夫の定年間近、ということになるようだ。
 ・はっきりいって、「結婚は男にとって最大の誠意であり、愛の表現である」というのは、男の本
  音でもあり、モテる男ほど、その思いは強いかもしれない。したがって極端にいえば、「君と結
  婚したんだからそれでいいじゃないか、それ以上何が必要なの?」と男は思っているところがあ
  る。つまり結婚という最高の誠意を相手に見せたのだから、それで充分ではないか、というわけ
  である。
 ・男にとって結婚とは、妻や子供たちを一生面倒見る、という大きな責任を背負うことであり、そ
  れだけの覚悟を決めたということで、もう一生分の誠実さを表現したつもりになるのである。つ
  まり結婚という形をつくったことで、すべてが完結したつもりでいるからこそ、「釣った魚に餌
  はやらない」などという言葉が生まれてくるわけで、結婚後に夫婦関係の質について考えること
  は、男たちはあまりしない、といっていいのかもしれない。
 ・これに対して女性は、常に結婚の中身というか、夫との関係において理想を求め、自問自答して
  いるようなところがある。このように、形だけで満足して完結したつもりでいる男と、関係の中
  身を問う女性との間に、ズレが生じるのは当然といえそうである。すでに夫婦関係が冷え切って、
  家庭が崩壊しているような場合、離婚を決心した妻は「こんな壊れた関係の中で、子育てをする
  のは、子供にとってもかえってよくない」と思うことが多いようだ。
 ・もともと浮気な性の雄は、モテるとモテざるとにかかわらず、さまざまな女性を見つめ、目を移
  し、ときには深い関係になることを願い、求めている。このような雄が、もはや一人の雌だけに
  集中し、浮気をしないと宣言することが結婚で、この宣言は雄本来の浮気欲望を否定した重大な
  決意表明でもある。
 ・この大いなる決意の代償として、夫は妻に、自分の支配下に入り、できうるかぎりの献身を求め
  る。そして、もしそのとおり妻が応じてくれれば、男は全力を尽くして働き、妻を養い、幸せに
  してやろうと思う。これこそまさに、男が本能的にもっている支配欲であり独占欲で、自分が優
  位に立って妻をコントロールしたいという願望にも通じる。

離婚信号
 ・ほとんどの夫は、たとえ日ごろ妻との仲が多少ぎくしゃくしていたとしても、妻から離婚をいい
  だされたときはまさに青天の霹靂といった感じで、強烈な衝撃を受けるのは当然である。それと
  いうのも、男は愛情が薄れたというだけで離婚を考えることはあまりないだけに、やや夫婦仲が
  冷めたとしても、妻が離婚を考えているとは思っていないからである。
 ・そこでまずうろたえ、驚き、次になんとか妻の気持ちを翻させようと焦る。ここで「どうして?」
  と妻に問い詰めることになるが、妻から「あなたと生きていく意味が見出せない」とか、「あな
  たと感性が合わない」などと言われると、理解できず、途方に暮れてしまう。なぜなら、そのよ
  うな理由で離婚を考える感性を、男は持ち合わせていないからである。
 ・現実の男社会は強烈な競争社会だから、その中に巻き込まれてしまうと、競争に勝たなければ男
  して価値がない、と思いがちである。しかし妻側にしてみれば、それほど出世しなくてもいいか
  ら、家族ともっと触れ合い、ともに楽しむ夫であってほしいと思っている妻もいるはずである。
  しかし実際は、妻が家庭に何を求めているかわからない夫も多く、そこから夫婦の溝は一段と深
  まっていくようだ。
 ・いずれにせよ、妻の別れる決心が堅いと知ると、男たちはすぐ、会社の人たちにどう言い訳をし
  て、子供のことはどうしよう、自分の親に何と言おうかなどと、自分の生活とともに、対面も気
  にし、みっともないほど混乱してしまうのが普通である。この困難をひとことでいえば、まさに
  「目の前が真っ暗」といった状態で、次の感じるものは、自分がいままで必死に築いてきたもの
  何だったのかという、深い虚無感である。
 ・妻から離婚を言い出されると、男にとって男性失格を言い渡されたに等しく、年齢が高くなって
  いればいるほど、そのショックは大きい。しかしどれだけ辛くてショックが激しくても、男の場
  合、泣き叫ぶこともできなければ、友達に愚痴ることもできない。これが女性なら、離婚を考え
  始めた段階から、友人に相談し、こと細かに話すだろうが、男は親友にすら離婚の経緯を隠すこ
  とが多く、それほど男にとって離婚は社会的にも大きなプレッシャーなのである。
 ・このように見ていくと、離婚を契機にむしろ生き生きとし、逞しく新しい人生を切り開いていく
  ことの多い女性に比べ、男はなんともひ弱で、情けない生きものであるといえそうだ。

弱きもの
 ・どんなに情熱的な恋愛の末に結ばれたカップルでも、結婚してともに暮らしているうちに、次第
  に飽きが来て惰性に流れるもので、この変化はいわば結婚においては、大なり小なり避けがたい
  宿命といっていいかもしれない。恋愛中は気にならなかった相手の欠点が目に付くようになり、
  気が付くと夫婦の間にズレが生じ、理解しえなくなるのである。そうしたズレが、小さな範囲で
  留まっている間はまだしも、それが高じてくると、いつか「仮面夫婦」へと進むことになってく
  る。
 ・日本では、このような夫婦はとくに珍しいわけではなく、中高年夫婦のかなりのペアが仮面夫婦
  といってもいいかもしれない。
 ・仮面夫婦の時代を経たのち、かなり年齢を取ってから再び心が近づくようになった夫婦もいる。
  夫も妻も年齢とともにエネルギーが落ちて心が弱り、この人がいないと生きていけないと思うよ
  うになった時に生じてくる。たとえば縁側に座って一緒にお茶を啜りながら「やっぱりおまえと
  一緒になってよかった」と互いに肯定しあう。これは日本の老夫婦のひとつの典型で、お互いに
  お互いを支えとし、残りの人生を過ごしていこうというわけだが、ともにもてなくなったゆえの
  歩み寄りといえなくもない。
 ・こうしてみると、仮面夫婦というのは夫婦関係を維持していく上での、ひとつの方便といえそう
  だ。そしてこのようにしてまでも夫婦関係を存続させていくことに意味を見いだすか、あるいは
  離婚して経済的・社会的に負担を背負ってでも、仮面夫婦ではなく、真に心が通いあう関係を探
  し続けるか。そこから先は、それぞれの考え方によることで、単純にどちらがいい悪いとはいい
  きれない。
 ・男も五十代に入ると急に老いを感じ始める、このころ、体力的にはすでにかなり衰えているのだ
  が、それにくわえて社会的地位も微妙に揺れてくる。男にとって五十歳は大きな節目であり、五
  十を目前にしたとき「ついに俺も五十になるのか」とそれなりの感慨にとらわれる。
 ・五十歳という大台に上がってしまうと、じたばたしてもしかたがないといったあきらめとともに、
  しばらくは安定期が訪れ、五十代という年代になんとか馴染むようになってくる。それというの
  も、年齢の感覚は常に十年がひと区切りで、次の台に移る寸前になると、先を思い惑うようにな
  るからである。ともかく男も五十歳になって数年はそれなりに開き直り、安定した時期が続くこ
  とになる。
 ・男にとって次の大きな節目は、六十歳を目前にしたときで、このときの戸惑いは四十代後半とは
  比較にならないほど大きなものである。六十歳のことを「遍歴」というが、これはまさに現世が
  終ってゼロに戻るといったイメージがあるうえ、停年がもうすぐそこという切迫感があるからで、
  男はこの時期、激しく心が揺れ、人によってはかなり情緒が不安定になる。
 ・男にとって停年とは、社会的生命の終わりを意味するが、もともと社会的動物である男にとって、
  自分の存在そのものを否定されたような虚しさを感じる。自分はまだ社会的に生きたいのに、会
  社の都合で一方的にその道を断たれ、もうおまえは用済みの人間だといわれるわけだから、男に
  とってこれほど残酷なことはない。したがって、停年が近づくにつれ、家庭で不機嫌になったり、
  内にこもるなど、精神的にかなりナーバスになっていく。
 ・こうして停年を迎えると、多くの男たちは激しい孤独感を経験する。男の人間関係は社会的ポジ
  ションと連動していることが多く、会社を辞めたとたんに人間関係が狭くなり、年賀状は減るし、
  お中元もお歳暮も少なくなる。友人も減れば、おだててくれる部下も遠のき、気が付くと自分の
  周りに誰もいなくなっているというわけだ。また停年になると、当然のことながら収入がなくな
  り、経済力で家庭に君臨することができなくなる。まさしく男にとって停年とは、地位を失い、
  人間関係を失い、経済力を失うことで、いわば男の持っているすべてのものを失うといっても過
  言ではなく、このあたりの精神的ダメージの大きさは、女性には想像しがたいことなのかもしれ
  ない。
 ・また肉体的にも、停年を迎えた男性は性的に急速に萎える傾向にある。それが具体的に現れるの
  は一般に五十代半ばからだが、六十代に入ると、精神的な喪失感から、されに性的能力が萎える
  人が多いようだ、つまり男にとって六十代とは、あらゆる意味において、まさに人生の落日とい
  ってもいいであろう。
 ・かくしてすべてを失い、孤独感に陥った男たちは停年のショックから多少なりとも立ち直ると、
  急速に妻に回避しようとする。これは、気が付くと妻だけが側にいてくれたという安堵感、とい
  ってもいいかもしれない。かくして、なんとか仕事以外の趣味や生き甲斐を探そうとして、囲碁
  を始めたり、蘭の栽培や畑いじりをしたり、カメラに凝ったり、なにかの収集を始めたりする。
 ・このように男たちは老いと共に家庭に接近することになるが、心の中には常に漠然とした不満が
  あり、なにか仕事をしたい、いまの状態を打破したい、という思いはくすぶっている。それまで
  長い間社会で働いてきた男にとって、毎日が日曜日であることほど大きなストレスはない。この
  毎日が日曜日の状態も、いずれは慣れるのであるが、少なくても2,3年はかかるのが普通のよ
  うだ。

女の時代
 ・男が本心を表に出して生々しく女性に迫り、性的関係に溺れるのは野蛮というか俗悪で、知的で
  はないというのが、ヨーロッパ的理性に目覚めた今世紀の日本人の新しい男女観であった。この
  考え方は大きな流れとなって現代に続いているが、明治以来百年以上のあいだに、かなりゆきす
  ぎてしまった観がないではない。そしてその結果、精神的なものを一方的に上位におき、肉体的
  なものを下位に見る傾向が進み、精神と肉体とは本来一体であるべきなのに、いつの間にかこの
  二つが分断されしまった。このような状態で、無理に外形だけを知的に保とうとして迷っている
  のが、現代日本人の姿といってもいいかもしれない。
 ・その結果おきたのが、男のペニスの機能低下で、それ本来が持っていた猛々しさを失い、機能的
  に後退していったように思う。禁欲的なのが最良という価値観の中で生きていると、機能的、
  心理的両面から、ペニスを中心としたオスとしての能力に廃用性萎縮がおきてくる。
 ・女性と違い、オスの性は能動的で瞬発的であるがゆえに、かえってこうした状況に陥りやすく、
  男性自身を使わずにいると、「使わない癖」がつき、その状態で結構我慢できるようになってく
  る。このような傾向は、現代の男たちを巻き込んでいる大きな流れといっても過言ではない。
 ・現代社会は圧倒的に女性の時代で、女性が自由奔放であることをよしとして、それが広く容認さ
  れるようになってきた。こうして女性が元気になっていけばいくほど、相対的に男たちは元気を
  失い、女性に対して能動的になれなくなり、オス度が下がっていくという悪循環に陥る。
 ・このように本当の意味での男女関係が希薄になっているわりには、風俗産業が発達しすぎたため、
  対等な男女関係が築けない気弱な男たちが風俗に逃げるようになった。
 ・現代はオスがオスとして生きていくためにはマイナス要因が多すぎるというか、かなり生きづら
  い時代であるといってもいい。
 ・夫婦でありながら男と女であり、オスとメスであり続けるためには、どうしたらいいのか。ここ
  でひとつの理想的な形として、平安貴族のような通い婚が考えられる。「源氏物語」を読んで、
  男だけが何人もの女性と関係をもち、女性は耐え忍ばなければならなかったと思い込むのは早計
  で、逆に和泉式部のように、夫がいながら複数の男性を恋人にもった女性もいる。
 ・一夫一婦制は近代社会が作り上げた相当無理のある制度だが、西洋諸国のように離婚・再婚を繰
  り返すことにあまり抵抗のない社会では、それなりに制度が人間の本質に合った形に修正されて
  きたと言えそうだ。この点、日本をはじめアジア諸国では、まだまだ離婚に対する社会的締めが
  厳しく、とくに子供がいる場合には愛が冷めても世間体を気を優先して、婚姻関係を続けている
  夫婦は多いようだ。しかし動物界を眺めてみると、一部の例外的なものを除き、オスとメスが生
  涯つがいでいることはめったにない。
 ・世の中が進歩することによって、女性の場合はその便利さによって疲れ度が減ったのに、逆に男
  たちは便利さによって疲れ度がますます増えることになり、女性のエネルギーのニーズに応え切
  れなくなっているのが、現代の夫婦の現実といえそうである。
 ・女性は時間的にもエネルギー的にも、かなりの余裕がある状態である。とくに子供が手がかから
  なくなった妻たちは、時間と元気を持て余しているのが現実だが、男たちは、会社に行くだけで
  ヘトヘトになり、家族とじっくり向き合う気力を失っている。当然のことながら妻とのセックス
  をする余力もなく、四十代から上の夫たちはほとんど妻を求めなくなってくる。
 ・夫が自分と向き合ってくれない、夫が自分と何も共有してくれないと不満を抱き、こんなこと
  では結婚している意味がないと妻たちの嘆きがよく取り上げられるが、現代の男たちには、妻と
  向き合うだけの余力がないというのが現実だろう。
 ・現代では、専業主婦という存在自体が歪みというか、問題があるといってもよく、あまっている
  エネルギーのはけぐちとして、子供に注ぐ人も少なくないようである。しかし、これでは子供の
  ほうが迷惑で、とくに一人っ子の男の子が一番の犠牲者といってもいいだろう。
 ・このような不健康な状態から脱するためには、一夫一婦制にこだわらず、一妻多夫、または一夫
  多妻とさまざまな夫婦の形を認めることで、事実近い将来、そういう方向に動いていくような気
  がする。たとえば一人の妻が、よく働いて収入も悪くない男性を得て、その人のあいだに子供を
  産み、一方で感性豊かで性的にも満たしてくれるもう一人の男性をもつ。これはかつて強い男が
  妻と愛人をもった一夫多妻の裏返しで、そう考えると、さして不自然とは思えない。
 ・ともかくこれからは一人の男性にすべてを求めず、複数の男性に別々の役割を担わせる女性も増
  えてくるかもしれない。つまり動物の原点に再び回帰し、強い雌は複数の雄を従え、強い雄は複
  数の雌と関係をもつ形に近づいていくのではないか、ということである。
 ・不倫という言葉があるが、それなら愛もないのに結婚生活を続けることが果たして倫理にかなう
  ことなのか。そうではなく、本当に好きな人を正直に懸命に愛するほうが、人間として真実の姿
  ではないのか。そのほうが真の倫理にかなっているという考えかたもあるはずだ。