「かりそめ」  :渡辺淳一

 渡辺淳一の小説は、筆者を投影した男性とある女性との不倫小説が多いが、この小説も不倫小説で
ある。しかし、そこには単純に不倫として蔑むことができない男と女の深い愛が語られている。そし
て、渡辺淳一の小説は一見筆者を投影した男性が主人公の形をとっているが、真の主人公は常に女性
である。
 この小説も、真の主人公は梓という45歳の女性である。私こと久我(53歳)と梓は、初めて出
会ったのはお互い二十代の頃であった。共通の友人の紹介で知り合い交際するようになる。1年間交
際を続け、二人は結婚を意識するまでになるが、2年目に久我が海外転勤となり、二人の関係はだん
だん疎遠になってしまう。やがて、梓は親からすすめられた弁護士の男性と結婚してしまう。
 それから14年後、久我が新聞社から小説家に転向して初めて本を出版したのを機に、二人は再会
することになる。その14年間の間に、久我も結婚して子供が1人おり、梓も子供が二人いる母親に
なっていた。再会した二人は、もはや自由だった青春は遥か彼方に遠のいていたが、気がつくと昔の
恋人同士のように語り合っていた。
 ふたりは、それから逢瀬を重ねるようになる。でも、最初、梓は久我に体を許すことはしなかった。
1年経った頃にやっと「あなたは悪い人だわ」と言う一言とともに久我に体を許す。若い頃の梓は、
反応は薄く、性の悦びも少なかったが、14年後の梓の体はすっかり熟成していた。
 一度結ばれると、かつては許しあった体の記憶があるだけに、二人の仲は急速に深まっていった。
しかし、そんな二人の幸せも、そんなに長くは続かなかった。梓が片方の目の奥に異常を感じるよう
になる。病院での検査の結果、小さな腫瘍が目の奥に出来ているので、手術する必要があると言われ
る。梓は当初、顔に傷が付くということから、手術を躊躇するが、久我の説得で手術を受ける。多少
顔に傷が残ることになったが、手術は無事に終わる。
 それから、また二人の逢瀬が復活し、二人で京都に2泊で旅行に出かけたりする。もちろん夜は性
の饗宴が展開される。梓も久我の腕の中でますます乱れるようになる。しかし、またしても二人の幸
せは続かなかった。梓の一度手術した目の腫瘍が再発したのである。医者から今度は眼球を摘出しな
ければならないと言われる。梓はそんな手術に強い拒絶を示す。久我は何度も手術を受けるよう説得
するが、梓はなかなか病院に行こうとはしない。梓は、手術によって自分の女としての顔に傷を付け
られるが耐えられなかったのである。たとえ寿命が縮むことになっても、最後まで女として死んで生
きたい。それが梓の願いだったのである。
 二人はまた越後湯沢に秘かな旅に出る。外はひたすら雪が降り続く旅館の部屋で、二人は激しく求
め合い淫らな饗宴を繰り返す。翌日に白岩という間瀬海岸に立ち寄る。そこには水面まで30メート
ルもある断崖があり、梓はしばらくその断崖の上に立って海の彼方を見詰めていた。そして久我に今
日来たこのコースは自分以外の人とは来ないでほしいと約束させる。この時すでに梓の胸の中には死
の覚悟が芽生えていたのだろう。越後湯沢の旅行から帰ってしばらくした後、梓は家族にも久我にも
黙ってひとり密かに死の旅に出る。久我との最後の思い出の地の白岩の断崖から海に身を投げて自殺
するのである。
 梓は海に身を投げる直前に自分の娘に携帯電話で「この世はかりそめだから」という最後の言葉を
残す。この言葉には「この世にあるものはすべて消える。儚い、かりそめだから、だからこそ、思い
っきり、精一杯生きなさい。」という意味が込められていたのであろう。
 梓の娘には恋人がいたが、娘は結婚はまだ先と考えていた。しかし、死を覚悟した梓は、娘の結婚
を強く勧め、自分で式場まで探してきて結婚させた。それには、自分が死ぬ前に娘の結婚を見届けた
いという気持ちの他に、タイミングを逃して好きな人と結婚できなかった自分と同じような人生を娘
には味わせたくないという気持ちもあったのであろう。梓は心の底では久我と結婚したかったのであ
ろう。本当に好きな人と結婚できないケースは世には多い。
 梓という女性は、夫の不仲から久我と不倫をしたわけではなかった。家庭ではよき母であり、よき
主婦であり、そしてよき妻であった。そして、ほんとに好きな人の前ではひとりの女性として、精一
杯、思いっきり生き、そして潔く死んでいったのである。
 確かに不倫は良いことではない。しかし、与えられた運命の中で、自分の人生を精一杯、思いっき
り生きたというその生き方には感動し涙せずにはいられない。渡辺淳一の小説に女性の愛読者が多い
のも、こういうところからきているのであろう。