不機嫌な果実  :林真理子

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この小説は、いわば不倫小説である。誰もがうらやむような理想に近い結婚をしながら、
仕事で忙しくかまってくれない夫に対して不満が募り、自分ならうまくやれると、自分な
ら不倫に至らない前に思い止めることができると、アバンチュールを求めてかつての既婚
男性の恋人との再会に動き出した主人公。自分は不倫にのめり込むことはないと自信をも
持っていた主人公も、やがてその不倫という刺激的な甘い蜜の中にどっぷりと浸かってい
く。そして、さらに独身の若い年下の男と知り合って、その若い年下の男の強引さに負け
て、離婚へと突き進んでいく。しかし、強引に再婚したその若い年下の男との結婚関係も、
結婚すれば、やがては刺激のない平凡で退屈な生活へと変わっていく。
平凡で幸せな生活は退屈な生活かもしれない。それに比べ、不倫というのは、とても刺激
的なことのようだ。しかし、そんな刺激的な不倫相手との関係も、結婚をしてしまえば、
元の木阿弥ということだ。不倫は、不倫なるが故に刺激的だということなのだろう。しか
し、その誘惑に負けた結果の代償はあまりに大きい。
この小説が書かれたのは、かつてのバブル絶頂期の時代だ。社会全体が好景気で浮かれて
いた時代背景もあってか、こんな小説も流行したのだろう。しかし、この不倫の内容は現
代社会状況の中で見たら、現実から乖離したあまりにも軽い内容である感じがした。

<おもな登場人物>
 ・麻也子(32才):主婦 主人公
 ・航一      :麻也子の夫
 ・野村(40代) :麻也子の不倫相手で、大学生の時に知り合った大手広告代理店に
           勤める既婚男性
 ・道彦(31才) :独身で音楽評論家。麻也子は不倫の末、再婚することになる相手

装い
・かつては商社の常務夫人として、海外経験もある夫の母は、決して馬鹿な女ではない。
 それなりに教養も分別もあるのだが、こういう姑ほど始末に困る。
・姑と一緒にくらさなくてはならないからと言って、子づくりを延期している女は、麻也
 子の同級生の中でもかなりの数にのぼる。先に結婚した友人たちの何割かが、姑との軋
 轢で離婚している現実を目にしているからだ。 
・麻也子の卒業したカソリック系の女子大は、偏差値がそう高くならなかったため、同じ
 種類の名門女子大に入りそこねた少女たちが入学し、かえってお嬢様らしさを保ってい
 るという評判を持つ。そう対した上流や金持ちの娘はいないが、下からエスカレータ式
 に上がってきた学生は、たいてい中級以上の東京のサラリーマンの娘だ。だから結束は
 おそろしく固い。
・それならばどんな幸福を望んでいるかと問われると、麻也子は困ってしまうのであるが、
 とりあえずこの気持ちのよい秋の夜に、他の男に会いに行く自由と機会が自分に与えら
 
・今夜会う男、南田という男は、特異な存在といってもよい。南田は”国際的な”という
 形容詞がつけられるレベルの弁護士である。女たちの大好物である東大を出た後、アメ
 リカの名門大学のロースクールに学んだ。ニューヨークの法律事務所で何年か研修を積
 んだ彼は、虎ノ門の一等地に事務所を構える有名弁護士の許に在籍している。
・七年前になるから、彼はまだ三十になるかならぬかの年である。それなにに短躯のうえ
 に、中年じみた脂肪がのっていた。頭は禿の兆候がはっきりとあらわれていて、それを
 整髪料で隠そうとするから、てらりと嫌な艶を持って、髪は奇妙なかたちに固まってい
 る。洋服だけはさすがに高価そうなものを隙なく身につけていたが、よくある「小男の
 おしゃれ」の哀しさが、凝ったカフスや変わり衿に漂っている。
・結局、麻也子は南田を振った。
・航一は、早稲田の商学部を卒業し、財閥系の金属メーカーの営業部に勤めている。実家
 は都内の一戸建てで、父親は誰でも知っている商社の重役だ。こうした男との結婚はニ
 ュースにもなんにもならない。学生時代、コンパでよく隣り合わせた男のプロフィール
 である。
 
選択
・この頃麻也子は、過去の男たちを思い出すことが多くなった。男たちといっても、麻也
 子はたった五人しか知らない。二十六歳で結婚した女にしては、少ない方だろう。女子
 大時代の同級生の中には、ふたけた、という者も何人かいる。長くつき合うステディな
 彼がいたにもかかわらず、時々つまみ喰いをした結果、指を折ってみると足りなくなっ
 てしまうのだそうだ。そういう女に限って、最後は大恋愛で〆て案外うまくおさまって
 いるのだから、女というのはつくづくしたたかなものだと、麻也子は全く他人ごととし
 て感心することがある。
・たいていの友だちが口を揃えて言うことであるが、夫婦の性生活ほどつまらないものは
 ない。回数の少なさもさることながら、あのおざなりなことといったらどうだろうか。
 睦言や前戯といったメロディは消えて、挿入のリズムだけが残る。
・初めてそのことを知った十七歳の時から、男たちは渇仰し、まるで祈るように自分を求
 めたものではないか。あの時の男の目、そしてわしづかみにされた肩の痛さは、麻也子
 の物語の中でも特に気に入りの一シーンである。ああした輝かしい記憶を持つ自分が、
 今はおちぶれてダブルベッドの片隅に漂っている。女王から女奴隷への転落はあまりに
 も早くて、麻也子は未だに混乱しているのだ。
・麻也子がいま懐かしく思っているの、三番目の男である。彼は野村といって、男ぶりも
 経済力も航一よりも上といってよい。それなのに結婚にまで至らなかったのは、彼に妻
 子がいたためである。ああ、そうなのだ。自分はもう既に、不倫というものを経験して
 いるのだ。あれも不倫というものであったと、麻也子はなぜだか懐かしく思い出した。
・ベッドの上でも野村はとても気前よく、全くたいしたものであった。あの頃のことを考
 えると、麻也子は幸福な羞恥で顔が赤くなる。ほんとうにどうしてあんなことができた
 のだろうか。本当にどうして、何度も何度もあんなことが出来たのだろうか。野村はい
 わば、麻也子の青春をいちばん濃く力強く彩った男である。
・失くなるはずもない麻也子の舌を探そうとでもするように男の舌がゆっくりと動いてい
 る間、麻也子の後頭部では、声が出ない蝉たちが羽をすり合わせている。特別の空気と
 時間が流れているようなこんな感触は、初めて男の子とキスをした十五の時以来だ。
・麻也子はつくづく、人妻という立場の不思議さを思った。自分の中に、こんな純真さが
 残っているとは驚くばかりだ。人妻という心の枷が、他の男とのキスをこれほどまでに
 しみじみと受け止めさせているのだ。 
・本当に人妻というのは、なんとすごいものであろうか。食事を美味にする空腹のような
 役目があるらしい。キスぐらいでこれほど胸がドキドキするのならば、セックスまでし
 たらどんな気分になるであろうか。

跳ぶ
・「生まれて初めて」ということを味わえるのは、二十代のうちだけだと思っていた。初
 めてのことは、そこですべて終わるに違いないと考えていた。ところがどうだろう。知
 らないうちに、その範囲はぐっと拡がっていったのである。
・対象や条件は初めてでも、行うことは同じだ。それでも人間というのは、新鮮な陶酔を
 感じるものなのだろうか。麻也子が目にする雑誌や本によると、夫ではない男に抱かれ
 ることは、かなりの快感をもたらすものらしい。「夫からは得られなかった素晴らしい
 エクスタシーを知りました」という告白記事をこのあいだも読んだばかりである。
・かつての同級生の一人は、勤めている商社の同じ部署に、年下の彼がいる。「若いコは
 
 るむ自分の口元をごまかすためだとすぐわかる。「残業で一緒になった時、エレベータ
 ーの中で飛びかかってくるのよ。キスはやめないわ、ブラウスの中に手を突っ込んでく
 るわ、もう本当にどうしようかと思っちゃった。誰かに見られるよりはって考えてね、
 会議室のフロアのボダンを押して、ひとまずそこへ降りたのよ。それから女子トイレの
 個室に入って、なんとかことを済ませたんだから」 
・知りたいのは、そんなアクロバットのようなセックスのことではない。その時彼女は罪
 悪感を持ったのか、夫に対して後ろめたいことはなかったか、最初のセックスの時に勇
 気は必要かといった、精神面での具体性である。
・男と女なんて、ごはんを食べることからすべてが始まるのよ。どうってことないことし
 ながら、一番すごいことに思いをめぐらすのよね。そりゃあ、私だって、一回は断った
 のよ。人妻だもの。人妻のくせして、最初から誘いにのったら、それはインランよ。で
 も私はインランじゃないから、二回めでホテルへ行った。 
・あのね、振りっていうのは、戦う相手が二人いるの。それはね、まず、こんなことしち
 ゃいけないんじゃないかっていう自分の気持ちと戦わなきちゃならない。それからもう
 ひとつはあっちの妻ね。
・不倫のトラブルが発生するのは、本人たちの良心の呵責ゆえではない。相手の配偶者、
 主に男の妻に知られてしまうことから、多くの煩わしさは起こるのである。そしてそれ
 が長く続くと、女は投げやりな気分になってくるらしい。突然夫に話してしまいたいと
 いう誘惑にかられるからだ。
・男と女の世界において、被害者にだけは絶対になりたくないと思う。加害者こそが勝利
 者になるにきまっているのだ。勝利者であり続けるためにも相手の妻に知られることは、
 どんなことがあっても避けなくてはならなかった。そのためには、男との密会を頻繁に
 しないことだ。家庭ある男と週に一度会おうとするから、いくつかのつじつまの合わな
 いことが起こってくるのだ。
・セックスという流れの中で、キスは精神的なものを求める姿勢であり、乳房への愛撫は
 健やかな欲望が始まるというサインである。
・結局、男が激怒するいちばんの原因は、自分の持ちものである妻の体に、他の男の体の
 一部が侵入することなのだ。男の個体が妻の体を貫くことなのである。

華やぎ
・たいていの男たちは、その時許してもらったと考えているが実は違う。女たちの許しと
 いうのは、それより十時間前、下着を手にとった時に行われているのだ。
・歯を食いしばってまで捨て去らなければならないものは、この世にいくらもありはしな
 いのである。ましてやその捨て去ろうとするものは、快楽や興奮だ。こうしたものを無
 にするには、もっと大きな理由が必要ではないか。自分がたまたま抱き始めて「反省」
 ぐらいでは、まだ弱いのである。 
・古代から男たちは自分の女のために獲物を狩り、それを持ち帰った。好きな女のために
 ものを食べさせる行為には、どこか崇高なにおいがする。
・多くの女たちは自虐といってもよいほどいちばん危険な崖っぷちに進んでいく。いちば
 ん危険な賭けをする。   
・不倫というものは、多くの感情を決して人にいうことができない分、すべて自分の体の
 中で処理しなくてはならないらしい。  
・老人というのは、確実にこちらの若さを吸い取っていくものなのだ。特に無視すること
 のできない、権力を持った老人がそうだ。歩き方、喋り方、あるいは呼吸まで、そのテ
 ンポを自分に合わせることを強要する。


・「寝ようか」麻也子はこれほどセクシャルで男らしい誘いの言葉を聞いたことがないと、
 家に帰ってから何度も思い出すことになる。
・キスの後、通彦の指は再び活発に動き始める。焦らすこともなく、的確な頃合に麻也子
 の中心部に指を這わせる。麻也子はひいっと小さな叫び声をあげた。快感がくるとむか
 れて、すっかりむき出しになっているところだ。指の感触があったと思ったら、それは
 唐突に舌に変わったのである。やわらかくざらついた舌は、この上なく誠実に麻也子の
 歓びを探しあてようとしていた。いつのまにか麻也子の爪先から痙攣が始まる。そして
 珊瑚色の割れ目に快感がドレープのようにたまっていく。いつしかそう奥深くはなく、
 麻也子の体の中、尻と恥毛の中間あたりで、せわしなく何かが開いたり閉じたりし始め
 る。
・男が女を裸にし、抱き締めた時に知り得る多くの秘密は、そのまま彼の喜びになるが、
 それは女とて同じである。
・二人の密着している部分は、いつのまにか湿り気を持ち始めていた。が、もちろん一番
 水分を含んでいる部分は、二人の肉体が内部までからみあっている場所だ。まるで打楽
 器を打つような正確な間を持って、彼は前後運動を続けている。
・彼は猛々しい野良犬のような姿勢をしている。なんて気持ちいんだろうかと、麻也子は
 腰を高く上げる。通彦のリズムにいつの間にか合わせている。今まで後ろからのこの姿
 勢はあまり好きではなかったのに、この心地よさはどうしたことだろう。おそらく通彦
 の角度と自分のそれとが合っているに違いない。
・「あっ」それはあまりにも唐突にやってきたので、麻也子は対応ができない。もう駄目
 だと言う代わりに、麻也子は男の背を強く叩いた。「僕もだよ」と通彦はつぶやく。動
 きが止まった。通彦の体の中から熱い液が噴き出して、その熱が麻也子の入り組んだヒ
 ダの中を走っていくのを感じた。通彦は当然避妊具をつけていたが、それでもあたた
 かく染み込んでいく感触は、決して無粋なものに遮断されたそれではなかった。
・スリップこそ不倫する女の必需品だと麻也子は思う。若い娘のように、いきなり裸にな
 ることもできない。そうかといって、いつまでも服を着たままだと、あまりにも色気が
 ない。ホテルの浴衣など論外である。その点スリップは、裸と着衣のちょうど境い目に
 なる。 
・膝や肘、それから太もものつけ根が、どのように触れられ、どのような役割を果たすの
 かを知ったのは、十代の初体験の頃だ。
・あっさりと野村と寝てしまった夜、ラブホテルで野村が手にしていた怪しげな器具。そ
 れで何度も達してしまった自分。ああ、自分はなんと不幸なのだろうか、自分はなんと
 悪い女なのだろうかと、麻也子は気が遠くなるほどの幸福の中でつぶやいていた。男の
 性器を体の中に迎える快感よりも、もっと激しく無我の快感がこの世にはある。それは
 滂沱と涙を流しながら、男に、自分に酔うことなのだ。 

決断
・情事と恋との境い目は、いったいどこにあるのだろうかと麻也子は考える。あおむけと
 なった麻也子は、もはや男の手助けを待ってはいられない。突然着ているものに火をつ
 けられた人のようだ。耐え切れず、最後の下着を自分の手でぐいっと下におろす。する
 と男の脚は麻也子の膝の間に割って入りさらに乱暴に下品に、自分のかかとを使ってそ
 れを麻也子の足首まで持っていった。
・それが大きくそそり立っているのはわかる。人間の体の一部がこれほど膨張し、形を変
 えるのは、むしろ滑稽に見えると麻也子は思った。しかしこの滑稽さは、紙一重のとこ
 ろですぐに赤くくらい感情に変わる。この滑稽さで大きなものを、自分の体はらくらく
 と迎え入れてしまうのではないか。すっぽりと奥まで埋め込んでしまうではないか。そ
 れどころか、その途端、麻也子の体は、自分でコントロールできなくなってくる。何か
 大きな力で動かされているように、ざわめいたりひくついたりする。男の性器を滑稽だ
 と思おうとするのは、一種の畏れのためかもしれない。
・本当に愛している男と寝た女は魔法をかけられる。他の男と肌を合わせることはもはや
 できなくなるのだ。そんなことをしたら、体中に悪寒が走り、そこかしこ鳥肌が立って
 しまうだろう。
・少女の頃は、素足で走り出すような恋に憧れていたこともある。何か大きなものに押し
 流されるようにして、男と女は抱き合うものだと思っていた。ところが大人になるとそ
 れは全く違っていることがわかる。衝動にかられたふりをして男は女を押し倒す二時間
 前に、リステリンでうがいをしている。女とて朝、既に下着を選んでいるではないか。
・まわりを見渡せば、離婚した友人というのは何人かいるが、女の方が愛人が原因という
 のは非常に少ない。新しい男ができたから、さっさと夫と別れるなんてカッコいい、な
 どと喜ぶ輩もいるかもしれないが、そういう女たちは、育ちが悪いか、世の中に対して
 全く無知であるかのどちらかだ。 

運命
・姉は言った。「よその男っていうのはね、夫と違って責任ないからいくらでも甘い言葉
 言えるし、優しくだってしてくれるのよ。その場限りでいいんだもの。そういうの、信
 じるかどうかは麻也子の勝手だけど」。
・不倫というものを味わってから、麻也子は気づいたことがある。それは脱がせる難易度
 と、欲望との関係についてだ。頭からすっぽりと脱ぐようなものは、あまり色気がない。
 望ましいのは前開きの服であるが、それもあまりにもたやすく開くというのは意味がな
 い。棄権した走者に褒賞を渡すようなものだ。やはり努力するもの、五つ以上のボダン
 は必要であろう。
・通彦は行為全体が丁寧で時間をかける。夫との、省略し、最短化したセックスとは大違
 いだ。やがて通彦お舌が動き始め、麻也子はうっとりと目を閉じる。自分がとてもなく
 大きな封筒になったようだ。胸の先端に糊しろがある。中に便箋を入れ、走り書きをし
 た人間は最後にさまざまな思いを込めて、封筒の裏の糊しろをぺろりと舐めるはずだ。
 儀式のように赤い舌をゆっくりと動かす。
・息をするたびに、呼吸に合わせて体の中心部が暖かく潤っていく。ぽたぽたと下に落ち
 ていきそうな量だ。   
・麻也子はおの正常位というのが一番好きだ。男の体の重みを自分のように感じることが
 できる。男の手もみやみに動かず、ずっと麻也子の肩におかれたままだ。セックスの中
 に、わずかでも清いものが生まれる瞬間というのは、この時しかない。性欲と精神とが
 手を取り合いながら発生する時があるが、その確率が高いのが正常位の時ではなかろう
 か。後背位や座位といったものからは「愛している」という言葉はなかなか出てこない
 ものだ。
・紫檀のダブルベッドは空おそろしくなるほどの大きさで、二人がどんな形や動きをして
 も足の先がはみ出すことはない。二人はお互い反対方向に顔を向けて重なる。麻也子が
 上で、通彦が下だ。通彦の性器はすっぽりと麻也子の口の中にあり、道彦の舌は奥深く
 麻也子の中に入っている。こうすると結合する場所は二カ所ということになり、一カ所
 だけの性交より快楽は二倍やってくるはずだ。それなのに最後にはもどかしさが残る。
 この体位は麻也子がとても気に入っているものなのであるが、男を満足させようとする
 と自分の心地よさに集中できない。相手の舌の巧みさに一瞬我を忘れると、男の性器へ
 の愛撫はおざなりになってしまう。どこまで自分を犠牲にし、どこまで相手に与えるか、
 まるでゲームのような駆け引きに麻也子は途中で音を上げてしまった。
・私、二回結婚してやっとわかった。男の人ってそんなに違わないもんだって。