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男はみんな、いずれは不能になる。その不能を迎えた時の男の苦悩と葛藤を描いた小説で
ある。おそらく、筆者の実体験をもとに描いたのであろうと思われる。この小説によれば、
70代半ばで大抵の男は不能になるらしい。しかし、驚かされるのは、そんな70代半ば
においても、いまだ複数の彼女がいて、性において現役だったということである。おそら
く筆者は実際にそうだったのだろうと推察する。
しかし、そんな筆者も、ある日突然、あそこが勃なくなってしまう。それまでは「バイア
グラ」の助けを借りて、なんとか男の現役を維持してきたが、もはやその「バイアグラ」
の力を借りても、どうにもならなくなってしまう。そんなとき、男はどう覚悟し、そして
どう立ち上がったらいいのか。そのヒントを与えてくれる本である。
あそこが勃なくても、女性を愛することはできる。その方法を筆者は見つけ出したのであ
る。「そもそもセックスとは、本来、生殖のためにおこなうべきものである。単に、いっ
ときの遊びのためにおこなうものではない」「これからの男女は、ただやみくもにセック
スを求めるべきではない」。これは、不能を迎えて、悩んだ末の筆者の「悟り」なのだろ
うか。
相手の女性に悦んでもらえれば、それで自分も満足できると、筆者は言うが、はたして、
そこまで「悟れる」男はどれぐらいいるのだろうか。女性の側だって、単に、自分だけが
快くなるだけでは、物足りないのではないのか。相手の男にも快くなってもらいたいと思
うのが自然ではないだろうか。こんなことを思ってしまう自分は、まだまだ男として未熟
だということなのだろうか。

おとずれ
・それにしても、不能とは、このように訪れてくるものなのか。ある日、突然、予告もな
 く自分にのりうつり、気が付いたときには、もはや抜け出しようもなく定まっている。
 しかも、その前と後で、他にはなんの変わりもない。実際、その瞬間から熱が出たり、
 躰が痺れるとか、知覚が失せるというわけでもない。ただ、肝腎のものだけが、なにご
 ともなかったような大人しく横たわっている。
・いや、これまでも局所が弱るというか、萎えることはよくあった。だが、ここまで無反
 応で冷やかなペニスを見るのは初めてである。いままさに、そこには自分のものではな
 いように静まり返っている。
・こんなことが本当におきるのか。すぐ横に女性が横わっているのに、肝腎のところは縮
 こまったままである。これが不能ということなのか。年齢をとると、いつかは訪れる。
 そして男たちすべてに訪れる不能とはこのことなのか。そして、この訪れは他人と比べ
 て早いのか遅いのか。他の男たち、たとえば同期の仲間たちはどうなのか。
・これはとてつもないことではないのか。男が男としての役目を果たせなくなる大事件が
 生じたのである。事実いま、抱くことくらいはできるが、そのあと、性的関係を結ぶこ
 とは不可能である。
・七十三歳と半年。この年齢は、不能となるのは早いのか遅いのか。いや、早いとはいえ
 ない。むしろ遅いほうかも。
・これはすべて、こちらの責任なおだから、いま、自分として、できるだけのことをしよ
 う。夫人を抱き寄せて、挿入はできないが手でできるだけの愛撫をくわえよう。それで
 夫人が満たされるか否かわからないが、いまとなっては、それで納得してもらうよりな
 さそうである。
・そのことに、「こめんなさい」と心で謝りながら股間に指を這わずと、夫人の秘所はか
 すかに濡れている。「よし・・・」と、密かにうなずき、さらに右の中指と人差し指を
 局所に軽く当て、ゆっくりと左右に揺らす。女性のもっとも敏感なところだけに、強す
 ぎず弱すぎず、指先がかすかに触れるだけでいい。それは長年、女性に接しながら会得
 した感触である。それを二度、三度とくり返すうちに、夫人の秘所はさらに潤いを増し
 てくる。ここまできたら、もはや間違いない。夫人はこれまでの愛撫で充分感じ、燃え
 上がっている。
・夫人は昇りつめていく。「ねぇ・・・」短く、鋭い声が夫人の口から洩れる。もはや耐
 えきれず、限界なのか。そう感じた瞬間、夫人は「ううっ・・・」と声を洩らすととも
 に、全身を震わせ、ぴたと寄り添ってくる。
   
愛のさなかに
・これまで、局所が勃たなくなったことが、なかったわけではない。それは高齢になって
 からというより、若いときにも、ときどきあった。たとえば、初めて女性と関わり合っ
 たとき。十九歳だったが、緊張しすぎてスムーズに勃ち上らなかった。もっとも、相手
 の年上の女性が、「ゆっくりね」といってくれて、立ち直ることができた。さらに、
 二十代から三十代のときも、慌てたり、頑張れねば、と思ったりして、かえって勃たな
 かったこともあった。しかし、それはいずれも一時的なもので、少し時間をおけば正常
 に戻って、勃起することができた。
・やはり事前にたしかめておくべきであった。「今日は、大丈夫か?」そう思って、自ら
 のものに触れてみる。七十を過ぎたら、それくらいの用心はするべきなのかもしれない。
 いま思い返してみると、今日は初めから、なにか元気がなかったような気がする。実際、
 いままでなら、これからおこなわれることを想像するだけで局所が強張り、逞しくなる
 のを感じることもあった。たとえそこまでゆかなくても、二人になり、夫人が徐々に服
 を脱ぎ、白い肌をさらしていくのを見るだけで股間は強張り、勃ち上がってきた。だが、
 今夜だけは、まったくそんな気配はなかった。間違いなく、これは異常であった。いま
 までとはまったく違っていたのに、平然と構えていたのは怠慢であった。       
・とくに近年、先進国では健康寿命が長引く傾向にあり、永く性生活を楽しみたい、と考
 える老年者が増えてきたことが、最近EDが注目される要因とも考えられている。老人
 を対象とした性欲調査では、80から90パーセントの男性が、性欲はある、と答えて
 いる。とくに、1985年に、日本の六十歳以上の老人クラブ員を対象にした調査では、
 90パーセントが性欲があると答え、性行為を求める者が、60.4パーセントであっ
 たとか。      
・これに対して、高齢の女性では、老人性膣炎や膣萎縮症、子宮の萎縮によるオーガズム
 時の痛みなどにより、性交渉が困難になる場合があるが、これはエストロゲンなどの投
 与で、改善される可能性があるという。      
・実際、勃起不全の症状がある場合、この薬(錠剤)を性行為の30分から1時間前に服
 用すると、陰茎が勃起し、性行為が正常におこなえるようになるという。陰茎に適切な
 物理的刺激をくわえない場合には勃起しないこともある、と記されている。また、これ
 自体では性的な気分を高揚させる効果もないようである。さらに、この薬は陰茎の勃起
 に効果はあるものの、精子の運動量や精子数及び射精量を増やす効果はない、と明記さ
 れている。
・日本で正規にバイアグラを入手するためには、医師の処方箋が必要である。しかしこの
 薬は健康保険の適用外のため、各医療機関が適時、価格を定めることができる。発売当
 初は泌尿器科や一般内科の医師などが患者を問診し、勃起不全とわかれば、処方される
 方法がとられていた。この一連の検査で、ペニスを医師の前で露出したり、触診させる
 とは、原則として必要ないとされていた。しかし、恥ずかしがる者が多くので、その後
 は、簡単な問診だけで処方してくれる診療所も出てきた。それでも、なお医療機関や薬
 局へ出向くのは、面倒ということで、個人的に輸入代行業者に頼むケースがあとを絶た
 なかったが、これらのなかには偽物やコピー薬が混ざることもしばしばあった。
・以上のことを考えると、日本で、しかるべき病衣や医療機関で直接買うのが、もっとも
 好ましいが、これが意外に利用されていないのが現実である。この背景には、日本人独
 特の羞恥心が影響していると思われるが、そこまで気にすることはない。だいたい六十
 歳をこえると、いかに頑健そうな男性でも、大なり小なり勃起不全に悩まされるのは、
 一般的な傾向である。それだけに、勃起力の衰弱を感じた男性は気軽に医師の助言を受
 けるべきだが、そういう男性はほとんどいないようである。
        
定まりぬ
・尿意をもよおしたときや排尿のときには、それなりに少しふくらみ、きちんと小水もで
 る。ペニス本来の役目は、充分、果たしていて、なんの問題もない。ただ、ペニスのい
 ま一つ仕事というべきか、役目というべきか、ペニスが女性の膣のなかに入るために逞
 しくなる、その能力だけが冒されているようである。いや、これはペニス本来の仕事と
 は少し違うかもしれない。実際、ここが勃たなくなったからといって、とくに体調が悪
 くなるとか元気がなくなるわけでもない。それで、日常生活で困ることはなにもない。
 とすると、これはなんのために必要なのか。そう、女性を悦ばすため。
・ただ、それだけのためかと呆れるが、それが男にとっては、ときに信じられないほど重
 要なことになる。そしてそれが、男であることの象徴である、存在証明そのものにもな
 る。 
・不能というのは、すべておケースに同時におきるものなのか。Aの女性には駄目だけど、
 Bの女性には可能というように、差異が生じるわけではないらしい。相手によって、あ
 るいは多少の違いもあるかもしれないが、ほぼ同じ時期に同じように不能になるようで
 ある。       
・四年ほど前、バイアグラを服みはじめたときから、いつか、そのときがくるとは思って
 いた。だが、それが現実になると、なにか大きなものを失ったような、突然、なにもな
 いところに放り出されたような頼りなさを覚える。これでは、男などとは到底いえない。
 いや、現実に男でなくなったのだから、それは当然である。
・もう、俺は男ではないのだ。美しい女性を見ても、近づくことも抱き寄せることもでき
 ない。欲情することも、狂うこともできない。男でない男になってしまったのだ。考え
 るうちに、このままうずくまり、消えてしまいたい衝動にかられていく。
・不能になったからといって、なにも嘆き悲しむことはないのだ。それより、なったおか
 げでプラスの面は無数にある。たとえば、これを機に女性と会わなくすれば、まず経済
 的に楽になるはずである。これまでのように、余計な外食をしなくてすむし、誕生日や
 お祝いの会の度に、高価なプレゼントをする必要もなくなる。
・不能はそろそろ女性関係を断ちなさい、という天からの声なのかもしれない。このあた
 りで女性のことは忘れて、そろそろ静かな余生を楽しみなさいという、お告げなのかも
 しれない。それで、なにも悪くはない。いや、悪いどころか、これからが穏やかな人生
 のはじまりではないのか。
・しかし、妻はすでにない。そして、これまでの女性とも、つながりを断たなければなら
 なくなる。そんな状態で生きていけるのか。もちろん、生きていくならできる。しかし、
 女性にまったく触れずに生きていくなぞ、あまりに殺風景ではないか。それでは、男と
 はとてもいえない。女性に興味をもち、追いかけるからこそ男なのだ。女性を追いかけ
 なければ、生活も楽だし、金もかからない。その都度、無理して、いいところを見せる
 必要もない。だから、女性を追いかけない、というのでは、あまりに情けない。それで
 は、敗北主義そのものではないか。男なら、最後まで女性を追いかけるべきである。
・女性を追うから、男なのだろう。男でなくなって、どうして生きる意味があるのか。そ
 れではあまりに虚しく、哀れすぎる。俺は最後まで、男でいたい。女性が好きな男でい
 たい。 
・挿入こそしないが、かわりに手と指で。いや、躰を愛撫することで、そして言葉と接吻
 で、彼女たちを満たしてやる。たしかに、この方法のほうが、女性を満足させるには間
 違いないかもしれない。なまじ、ペニスなぞ関わり合わないだけに、こちらの意志のま
 ま、自由に彼女たちの感覚をかきたて、悦ばせてやることができるのではないか。
 
ときめき
・好きな女性と二人になったとき、男はまず彼女と結ばれることを考える。自らのものを、
 彼女の中に挿入し、そこで初めて、ともに合体したと感じることができる。その挿入と
 いう事実なくして、結ばれたとは感じない。でも、女性の秘所を開き、男のものを挿入
 しないかぎり、合体したとはいわないのか。愛し合ったとはいえないのか。そしてそこ
 まで達しないかぎり、女性も愛されたと感じ、悦びを感じることはできないのか。
・挿入しなかれば、悦びを感じない、とはいいきれない。挿入なぞしなくても、女性は悦
 びを感じることもあるはずだ。
・挿入しなければ駄目、というわけではない。男のそれが躰のなかに入らなければ、満た
 されないとはかぎらない。挿入されて、かえって不快になることもないわけではない。
 幸か不幸か、そこまで体験したことはないが、挿入することで揉めたり、トラブルにな
 ることもあるはずだ。さらには性行為自体が痛いとか、乱暴すぎるということで、きち
 んと果てずに終わることもあるだろう。女性器のかなに、入れればすべてよし、という
 わけでもない。挿入することは、男にとって満たされる第一歩だが、女にとっては必ず
 しも悦びへのステップとはかぎらない。それどころか、男への嫌悪とか、性への不信感
 につながることもあるはずだ。
・男女の肉体と感情は無数に変わっていく。肉体的に結ばれることを、狂おしいほどの悦
 びと感じる場合と、唾棄すべきほどの嫌悪と感じる場合と、二つのケースがあるはずで
 ある。そしてそのあいだに、無数の変化と差異がひそんでいる。
・彼女等の不満を追えば、男が勃起して挿入できればいい、という単純なものではないこ
 とがわかるはずである。しかし男たちは、自らのものを勃起させ挿入することだけを考
 えている。それさえできれば、性のほぼ80パーセントから100パーセントは、満た
 されたと思い込んでいる。もしかして、これは男たちの錯覚ではないか。そこには、男
 たちの独善がひそんでるのではないか。
・総じて、男はペニスにこだわり、挿入の結果ばかり考えているが、女性の感性はもっと
 多彩で複雑らしい。いいかえると、女の躰は男が考えている以上に感覚的で、ロマンチ
 ックにできているようである。たとえば、接吻をすることひとつにしても、いきなりぐ
 いと奪うより、優しく頬を近づけ、ゆっくり唇を求めたほうが、彼女も素直に応じてく
 れる。さらに、躰が結ばれたときも急がず、胸元から背など、全身の愛撫をくり返し、
 彼女が燃えてきたのを見届けてから求めたほうが、素直に受け入れてくれる。
・たとえいま、男がどうしても欲しいと思っても、彼女は違うかもしれない。女性はそこ
 まで燃え上がらず、彼女の躰は、まだ受け入れる態勢になっていないかもしれない。そ
 うした食い違いを常に考え、彼女の状態を中心に、セックスをすすめるべきである。し
 かし、それを若いときに実行することはきわめて難しい。その頃は、とにかく女性と躰
 が触れ合ったら、すぐ飛びついてしまう。女性が、男を受け入れるまでには、かなりの
 時間が必要だということがわからない。おかげで、女性は燃え上がらず、それどころか
 男に対して、乱暴で身勝手な人、という印象だけが強まって、別れることになったケー
 スも少なくない。初めは互いに好意をもち合い、ともに親しくなることを願っていたの
 に、こんな結末になるとは、なんとも残念で、もったいないことではないか。
・男と女が逢瀬を重ねると、自然に余裕ができる。しかし、ここで注意しなければならな
 いのは、そこからマンネリズムに陥ることである。いずれセックスすることはできるか
 ら慌てることはない、大丈夫だと思ううちに安心感が強まり、緊張感を失っていく。さ
 らにはそれが高じて、性行為そのものを平凡なありきたりなことに思ってしまう。ここ
 まで安堵しきると、せっかくの行為が無駄な、つまらぬことに思えてくる。馴染み合っ
 た二人のあいだに生じる倦怠感は、まさしくこの安易さから生じるものに違いない。
   
さまざまな男女
・セックスは往々にして、男女の両性器が結合することだけを考えがちだが、それはあま
 りに単純すぎる。男女のセックスは、それよりはるかに多彩で幅広いものだが、男や夫
 のほとんどは、そこまで深く考えていないらしい。そして、それがそのまま女性たちの、
 セックスへの不満と失望感に、つながっているようである。男は挿入することにこだわ
 るが、女性は、結合以外のさまざまな行為を求めていて、それに敏感に反応するらしい。       
・七十歳をこえたら、これも致し方ないと思っていた。でも、現在の年齢を考えたら、女
 性と触れ合い、肌を接し合えるだけでも有り難いことである。この状態をなんとか続け
 たい。そこで考え出したのが、あまりペニスの逞しさを必要としない方法である。具体
 的にいうと、セックスそのものより、前戯に力をそそぐ。当然のことながら、女性を優
 しく抱き締め、接吻を交わし、できるだけ愛撫をくり返す。そういう態度でのぞめば、
 ペニスの挿入そのものは、それあらあと、わずかな時間でも、女性は満たされるのでは
 ないか。これまで、こうしたやり方でなんとか女性たちと交わり、悦ばしてやることが
 できて、それなりに納得し、満足もしていた。
・まさしく女性から見たら、男は不思議な生きものに違いない。ペニスが勃たなくなった
 くらいで、勃たなくなったくらいで、どうしてそんなに嘆き、落ち込むのか。このあた
 りの心境は、女性には到底、わからないだろう。それどころか、なぜそんなことに悩む
 のかと、不思議に思われるだけかもしれない。しかし、それでも男はなお、ペニスが勃
 起するか否かにこだわる。ペニスは男のプライドそのものだからである。もちろん、男
 は自らの容姿から学歴、社会的地位など、さまざまなものにプライドをもち、それを気
 にしている。だがなかでも、ペニスはもっとも生理的かつ根源的なプライドの原点であ
 る。そして、これが勃つことで男を実感し、男であることを誇りに思い、男であること
 に納得してきたともいえる。

神秘の森を学ぶ
・問題になるのは、陰核が女性器の外側からわかるのはごく一部で、そのほとんどが陰唇
 の内側、いわゆる膣の内面に広がっていることである。これでは、第三者には到底わか
 らず、その全貌を把握するのは不可能である。女性器の全貌は不明のまま闇に閉ざされ
 ている、といっても言い過ぎではないだろう。これだけ秘められているのだから、男性
 たちが、女性の快感のポイントを知らなかったとしても無理はない。なにもわからず、
 ただ無闇ににペニスを挿入している、といわれても仕方がないかもしれない。
・いうまでもなく、陰核は女性器のなかでもっとも性感が発達していて、男性の陰茎に相
 当するところである。だがこの両者は大きさが著しく異なり、男性のペニスに対して、
 女性の陰核はきわめて小さく、漠然と見ていると見逃すほどである。さらにこの両者と
 も、興奮することにより肥大するが、その程度も男性のそれに比して、女性の場合はき
 わめてかぎられているようである。とくに陰核は肥大したとしても、膣の内側に向かう
 ので、外見から確認することは難しそうである。
・陰核などの変化は、当の女性自身もほとんど知らないというか、感知していないのが実
 情のようである。しかし女性の性器も、性的興奮などでかなり変化することはたしかで
 ある。実際、それは性的体験を重ねた女性が実感していることでもあり、性的興奮によ
 り、陰核自体が内面に肥厚し、さらに拡張するようである。とにかく、女性器の陰核ほ
 どわかりにくい器官はない。
・ただ一点だけ、膣上部の陰核上皮、このあたりに強い快感が秘められていることを、感
 じている女性は多いようである。実際、だからこそ、女性が自慰をするときは、このあ
 たりに指を触れて摩擦しているようである。だが、この陰核は膣の内面から上部にも深
 く広がっている。そのため、さらなる快感を得るためには膣の内面から上部まで、指の
 感触を広める必要がありそうである。事実、ここに快感のポイントがあるからこそ、性
 行為のとき、ペニスが挿入されて快感を得ることができるのである。しかし、さまざま
 な性行為において、肝腎のペニスがすべてこの快感のポイントに的確に達しているか否
 かは、また別の問題である。そこまで満たされるには、それなりの余裕と自信がなけれ
 ば、できるものではない。
・まず性行為における女性の快感だが、これはどれくらい強くていちじるしいものなのか。
 よく女性が激しい性行為の結果、ゆき果てる、ということがある。この場合、男性の果
 てる瞬間に比べて、どれくらい違うのだろうか。もちろん、男性が果てるときは全身が
 震え高ぶり、それと同時に、すべての精力が根こそぎ引き抜かれるような脱力感ととも
 に、ゆき果てる。この感覚は、正直いって、体験した者にしかわからない。とにかく狂
 おしいほどの快感としか、いいようがない。しかし女性の快感は、これに勝るとも劣ら
 ぬものらしい。その快感は男のそれよりはるかに深く、かつ長く続くようである。
・男の果てる喜びは一瞬であるのに対して、女性のそれは果てた後も消えず、延々と続く
 とか。実際、だからこそ、果てたあと、男は比較的早く床から出たり、バスルームに行
 くなど、次の行動に移れるが、女性はそのまま延々とベッドに突っ伏ししたまま動く気
 配はない。セックスが終わったあとの男と女、両者の行動を見ていると、どちらの快感
 がより深いか、自ずとわかってくる。
・ほとんどの男は射精とともにゆき果てるが、女性はそこまでゆかないことも多いようで
 ある。たとえば、わずかに快感を覚えはじめたところで男が果てると、そこであきらめ
 なければならず、満たされぬまま終わることになる。あるいは極端な場合、快感など感
 知せぬまま終わることも少なくないようである。このように女性の悦びは、相手の男性
 の状態によって大きく左右されることは間違いない。そして女性のセックスは、このま
 ま死んでもいいと思うほどの快感から、二度と思い出したくないほどの嫌悪まで、かぎ
 りない感受性の広がりをもっているようである。
・それにしても、女性の陰核は不思議な器官ではある。外見は親指ほどもない、会陰部の
 下端にわずかなふくらみのように、とりついているだけである。だが、このふくらみが、
 大人の女性を身も世もなく狂喜乱舞させ、悦びの頂点に押し上げる力を持っているとは。
 このことに、男性はもちろん、多くの女性自身も気づいていなかったようである。
・たしかに、あの陰核がある会陰部は膣の入口部分で、そこからペニスが挿入されていく。
 当然、ペニスが入るとき、陰核が刺戟されて快感を覚えるようになっているのだろう。
 しかし、もしペニスがなかったら。ペニス以外のものでそこを刺戟したら、当然、快感
 を覚えるに違いない。実際、一部の女性はそこを自らの指で刺戟して快感を覚え、オナ
 ニーすることもあるらしい。とすると、男性がそこを愛撫し、それによって満足させる
 こともできるのではないか。それもペニスではなく、指の先か唇で。
・たとえば、「かつぎ上げ」と称して、女が下になって両肢を深く折り、その股間に男が
 上から重なり合うように挿入するという、この姿勢は、女性が仰向けのまま二つに折り
 たたまれた形で、それを見るかぎりでは淫らで、刺戟的ではある。しかし、男性のもの
 はただ上から挿入されているだけで、肝腎の女性の快感の中心である陰核に触れること
 は、ほとんど不可能である。これでは当然のことながら、女性は悦びを感じるというよ
 り、羞恥心をかきたてられるだけである。さらに、「うしろ茶臼」と名付けらえた体位
 は、男性の両肢の上に、女性をうしろ向きに坐らせ、ペニスを後方から挿入している。
 この体位は、男性が前に坐っている女性の両の胸から乳房を自由に触れたり、掴むこと
 は可能だが、男性のペニスと女性の陰核が触れることは、ほとんどありえない。さらに、
 「鶴の羽交い絞め」は、名前は大げさだが、やや前屈みになった女性に、男性がうしろ
 から両手を前に廻し、ペニスを挿入している。しかしこの体位も女性器の陰核に触れる
 ことは、ほとんど皆無と思われる。
・このように、さまざまな体位を考案し、見かけだけは妖しく淫靡ではあるが、それらは
 すべて、男性の見る目を楽しませるだけで、女性の悦びそのものを満たしているとは、
 到底、思えない。 これらいわゆる「四十八手裏表」といわれる性交図を見て、改めて
 わかったことは、女性の快感のついてはまったくといっていいほど、配慮されていない
 ことである。そしてここにも男尊女卑というか、あくまで男性中心で、女性は男を満足
 させるために道具してしか考えられていなかったことが、改めて知らされる。
・あそこは、女性の快楽の中心点なのだ。その最大の秘所である陰核、そこを利用しない
 という手はない。あの秘所にできうるかぎり優しく、そっと触れてやる。初めは秘めや
 かに、しかし徐々に力をくわえて愛撫する。そして、女性がたまらず悶えはじめたら、
 さらに膣の内面へ指をすすめて浅く深く摩擦しながら、丹念に愛撫を繰り返す。こんな
 細やかな刺戟はペニスなどでは、到底できるわけがない。一方的に硬くなり、勃起した
 ペニスでは、途中で射精し、砕けてしまうだけである。 
 
性のかたち
・指の愛撫はちがう。ペニスのように、思いがけなく良い刺戟になるのではく、初めから、
 そうするべく意図して、おこなうものである。いずれがたしかで、的確であるかは明白
 である。いうまでもなく、指の確かさに勝るものはない。くわえて、指による愛撫なら
 ペニスを相手の女性のなかに挿入する必要もない。すでに何度も性行為を重ねてお互い
 によく知り合い、信頼し合える仲ならともかく、そこまで親しくない二人のあいだでは、
 挿入すること自体、容易ではない。また、たとえ挿入できたとしても、女性がその状態
 に馴染めず、痛みを感じたり、不快感を覚えることも少なくない。そのような状態で、
 女性が悦びを感じるなど、まずありえないだろう。とにかく、これまで性に関しては、
 男性中心に考えられすぎてきたようである。
・奇抜な体位や性行為のみをとりあげ、それがあたかも性の究極のように思いこみ、自慢
 する者もいた。だが、それは、単なる性の遊びにすぎない。なによりも、性は男女とも
 に参加し、楽しみ、満足してこそ性愛となりうるのだ。
・孤独なおじさま族が急速に老いるのは、当然といえば当然である。それにしても、男た
 ちはなぜあれほど孤独で、仲間と群れることを嫌うのか。それは別に、男がことさら孤
 独を好んでいるからとは思えない。自分も高齢になったので、そのあたりのことは、な
 んとなくわかる。まず、みなと話すこと自体が面倒で鬱陶しいのである。それより一人
 になって、のんびりしているほうが楽で疲れない。それだけのことである。しかしそう
 だとすると、これは明らかな体力不足とでもいうべきものかもしれない。
・男と女、どちらが体力があるかといったら、明らかに女性のほうである。もちろん、男
 は若いときは体力があり、さまざまなことを積極的にやりこなすことができる。しかし、
 五十代から六十代、そして七十代になると、男は急速に体力を失って弱っていく。これ
 に反して、女性は七十代から八十代になっても、なお矍鑠として動き廻っている。
・セックスとは、いわゆる性的関係だけをいうのではない。そうではなく、男と女が二人
 でいるときの、すべての関係をいうのである。まず二人が会ったときから会話を交わし、
 和み合い、ともに近づき抱擁し接吻をする。そして互いに抱き合い、心も躰も満たされ
 る。そのすべてがセックスである。
     
新しき恋
・もしかしたら、と淡い期待はあったが、やはり局所は萎えたまま勃ち上る気配はない。
 それは、予測していたとおりだから慌てることはない。右手を夫人の股間に近づける。
 しかし当然のことながら、秘所に挿入するものはない。そのかわり、というわけではな
 いが、右手が夫人の股間をゆききしながら、ようやく探し当てたように膣の入口に到達
 する。秘所は待っていてくれたのか、いくらか潤っているようである。以前は、「焦っ
 てはいけない」と自らにいいきかせていたが、いまは焦らせるものはなにもない。その
 まま、右手の中指が膣の入口を分け、かすかになかに入りこむ。これまでの肩から背へ、
 そして股間への愛撫などで、夫人は躰はすでに受け入れる状態になっているようである。
・まず、指の先端を膣のなかへかすかに滑りこませ、そこでしばらくとどめてから、一旦
 引き、再び思い直したように入っていく。そのまま入っては引き、引いては入る。それ
 をくり返しながら、指先は的確に膣の内側のもっとも敏感な陰核へ触れていく。はっき
 りいって、これだけの複雑な愛撫はペニスでは不可能である。たとえペニスがここに触
 れたとしても一瞬で、そのまま通過していくだけである。だが、指は、そのもっとも敏
 感な一点をとらえたまま話さない。その指の動きに合わせるように、夫人は切なげな溜
 息を洩らすが、やめはしない。これまで、ペニスに頼っていたときは、ここまで執拗に
 責め続けることはできなかったが、いまは指を動かすだけだからとどまることはない。
 それだけに、夫人は耐えきれなくなったのか、「やめて・・・」とつぶやき、「ねぇ・」
 と哀願する。だが、かまわず、中指の内側で熱くふくらんだクリトリスを撫でまわす。
 「だめ、だめよ・・・」さらに激しく指を動かすと、ついに夫人は耐えきれなくなった
 ようである。「あっ、だめ・・・」いつもの穏やかな夫人からは想像もつかなぬ切ない
 声をあげ、顔を左右に激しく振って、しがみついてくる。
・「ペニスなぞなくても、女性を満たしてやることはできるのだ」このことは、以前から
 予測していたことである。もしかして、とは思っていたが、いまこそ、たしかに実感す
 ることができた。もっとも、きちんとペニスを挿入して果てたケースと、いまのように、
 挿入せずに果てたケースと、いずれが女性にとって悦びが強いのか。
・夫人は五十代初めだが、そんな年齢を感じさせない、柔らかい肌である。夫とは、いま
 でも性的関係はあるのだろうか。前に見た、「私たちの性白書」によると、五十代で二
 か月以内に性的関係をもった夫婦は20パーセントにも達していなかった。とすると、
 夫人と夫とは、ほとんど関係していないのか。あるいは、ときに夫から求められること
 があっても、夫人は拒否しているのか。現実に、自分という男と関係しているのだから、
 夫とは関係していない、と考えたほうが自然かもしれない。とにかく、夫人が許してい
 るのは自分だけである。そうでなければ、あれほど満たされ、悦ぶわけはない。
・人妻が、夫の目を盗んで男の許へ来る以上、時分を愛してくれていることは間違いない。    
 自惚れかもしれないが、そう考えても間違いなさそうである。夫人を抱き寄せ、胸と胸
 が触れ合ったところで、そっとつぶやく。「実は、駄目になってね」それだけいって、
 思わず黙り込む。さらに説明しなければ、と思うが、言葉が出てこない。仕方なく、夫
 人の片手を自分の股間に近づけて、「ここが・・・」といったので、わかってくれたの
 か。そのまま黙っていると、夫人は自分から上体を軽く寄せてつぶやく。「そんなこと、
 いいのよ」それは勃たなくてもいい、ということなのか。わたし、抱かれているのが、
 いいの」夫人はさらにつぶやく。「あなたを、快くしてあげたい」
・互いに躰を寄せ合わせたまま、改めてセックスのことを考える。いったい、性行為とは
 なにをもっていうのだろうか。漠然と考えるうちに、思いがけないことに気づく。局所
 を合せるセックスなぞ、なくてもいいかもしれない。子供が欲しいならともかく、いま、
 夫人とのあいだに、子供が欲しいなどと思ったことはない。そしてそれは、夫人も同じ
 に違いない。それより、いま必要なのは、夫人を心地よくしてやることである。夫人を
 性的に満足させて、二人の愛をたしかなものとする。
・一般の男女のあいだでのセックスでも、女性が妊娠することなぞ望んでいない。それよ
 り、愛し合う男女が親しく肌を接し合い、心地よくなりたいだけである。むろんこれら
 は、自分が不能になったから、気づいたことである。不能にならなければ、ここまで気
 がつくことがなかったに違いない。してみると、不能になって、新しいセックスが見え
 てきたということか。ペニスなどに頼らず、愛撫と抱擁で満たしていく新しい愛の形を
 みつけた、といってもいい。
・たしかに、男としての逞しさは失ったが、同時に、なにか楽になった気がしないでもな
 い。実際、いままでは女性とベッドをともにする度に、局所がきちんと勃つか否か、そ
 ればかり気になっていた。そして、間違いなく勃起するように、事前にバイアグラを服
 用し、その他の強壮剤に近いものを食べることも多かった。さらに、挿入したとしても、
 局所がどれくらいもちこたえてくれるのか、それも気になっていた。だがこれからは、
 そんなことを心配したり、気にする必要もない。初めから勃たないとわかっているのだ
 から、それを案ずることなぞ不要である。   
・これは、男と女の夜の営みのために、もっとも重要で適切な方法である。どのポイント
 の第一点、それは男のペニスを必ずしも女の膣内に挿入しないこと。それより、むしろ
 女性の全身的な感覚を刺戟し、快感を高めてやる。具体的にいうと、互いに優しく抱き
 合う。もちろん、このとき愛の言葉を囁き、接吻を交わす。それで充分、心が安らぎ、
 躰も馴染んだところで、女性の全身を愛撫する。まず、男は女性の肩から背を優しく撫
 ぜるとともに、さらに唇や乳首へ接吻をくわえる。以上を、ゆっくり優しくおこなって
 から、愛撫の範囲を肩と背から股間に移していく。確実に女性が燃えてきたのを察知し
 たところで、自分の方へ引き寄せ、右手の中指を女性の股間に近づける。このとき当然
 のことながら、女性の膣は柔らかく濡れている。以上を確かめたところで、中指をクリ
 トリスの上に重ね、上下にゆっくりと撫ぜでやる。女性は快感を覚えて小さく声を洩ら
 し、同時に身悶える。ここまで達したら、愛撫はもはや成功したと見て間違いない。
 だが、男はなお指の愛撫をくり返しながら、さらにその先端を膣内に挿入する。瞬間、
 女性は思わず声を洩らし、自分のほうから、すがりついてくる。ここまできたら、女性
 が果てるのは時間の問題である。女性は全身を震わせ、大きく身悶えたまま果てていく。

愛しきゆえに
・とにかく、愛には根気が必要である。はっきりいって、若い頃はこんなふうにゆっくり
 すすむことはできなかった。ベッドで二人きりなった途端、そのままいきなり求めて、
 彼女を怒らせたこともあった。「もう少し静かに、優しくして」というのに、応じられな
 い。このあたりは、当然のことながら、局所が勃ち上っている男の高ぶりだが、受け入
 れる側は、そんな簡単に受け入れるわけにはいけない。なにが、どんな形で、こちらの
 躰のなかに入ってくるのか、それを理解し、納得したところでしか許せない。両者を比
 べたら、受け入れる側が慎重になるのは当然である。女性が、性急な男を嫌うのは無理
 もない。
・彼女の下半身を引き寄せ、ウエストからお臀をさすり、そしえときどき股間に手を添え
 る。その都度、彼女は腰を引きかけるが、かまわず繰り返すうちに強張りが失せてくる。
 このペースを守りながら、さらに背から腰へ、そして、ときに股間に触れる。それをゆ
 っくり、繰り返しながら、軽く彼女の上体を仰向けにする。当然、この形にすると、さ
 らに股間に触れやすくなる。そのまま、ときの秘所に触れ、そしてまわりを愛撫しなが
 ら、そっと囁く。「好きだよ」
・それを数回繰り返し、さらに一段深く股間に分け入ると、そこは柔らかく濡れている。
 間違いなく、彼女は感じている。それに応じてというか甘えて、クリトリスに触れると、
 彼女が「あっ」とつぶやき、身をよじる。戯れたように指をずらし、また思い出したよ
 うに秘所に触れ、それをくり返しながら、そこが充分、潤っているのをたしかめる。
 充分、愛撫を繰り返したところで、自らの指を仰向けにして、膣の内側にそっと入れて
 みる。「うつ・・・」再び彼女がつぶやくが、かまわず指先を軽く左右に揺らしてやる。
 それとともに彼女は軽く首を左右に振り、「だめ・・・」とつぶやく。だが、やめはし
 ない。さらに指先を右から左へ、そして左から右へ行き来させならが、ときに強くおし
 こむ。「だめ・・・」もっと感じるところをとらえて、彼女は、たまらず声を洩らすが、
 きこえぬように愛撫をくり返す。もはや膣のなかはもちろん、股間も腰も熱く燃え上が
 り、悦びのきわみに昇りつめているようである。だが、愛撫は止まらない。「あっ・・」
 と切なげに悶えれば悶えるほど、愛の鞭がしなりだす。
・指が、さらに一段激しくクリトリスを掻きまぜ、撫でつける。「ねぇ、だめ・・・」つ
 いに、彼女に断末魔が訪れた。にはやこらえきれぬところまで、追いつめられたようで
 ある。冷やかに、さらにひと揉みクリトリスを掻き上げた瞬間、彼女は「ああっ」とい
 う叫びとともに、全身でしがみついてくる。
    
同期の仲間
・実際、ある男は、もう女を追いかけたところで無駄だと考え、一人の世界に閉じこもる
 かもしれない。また他の男は、なお女をあきらめきれず、妄想だけたくましくして、あ
 れこれ空想の世界を遊び続けるかもしれない。そして他の男は、きれいさっぱり女はあ
 きらめ、自らの老いを受け入れ、それに馴染むように努めるかもしれない。このあたり
 は、人によってさまざまだろうが、女性を心地よくすることだけに満足する男は、ほと
 んどいない。
・不能という事実は、みなほぼ同じ年頃に訪れてくる。しかし、その受け入れ方は人によ
 ってさまざまというか、多彩である。仕方がないと素直に受け入れるか、いや、まだま
 だと逆らうか、勝手にしろと、開き直るか。さらには、そこから新しく女を求め、愛し
 ていくか。それとも、あそこになぞ頼らず、言葉で、手で、そして全身で、女を満足さ
 せてやる。その方法を、みな受け入れてくれるか否は別として。
 
京への旅
・浴衣の前を開き、両の肩から取り除いてやる。瞬間、彼女は慌てたようだが、大丈夫だ
 よ、というように再び抱き締め、改めて肩から背をゆっくり撫ぜでやる。いま彼女が身
 につけているのは、白いブラジャーとパンティーだけである。ブラジャーのフックを外
 し、乳房が出たところで軽く口にふくむ。瞬間、彼女はくすぐったそうに身をよじるが、
 かまわず唇を重ねる。さらに、彼女が小さく声を洩らすが、かまわず舌で乳首を愛撫し
 たまま、ゆっくりパンティーを下ろしていく。やがてパンティーも下ろされ、彼女はま
 さしく全裸になる。
・改めて背から腰へ愛撫の手をすすめながら、右手を股間へと近づける。秘所に触れるが
 ごとく、触れざるがごとく、求めるがごとくもとめざるがごとく、右から左へ、そして
 左から右へ、指先だけがゆっくりさまよう。それをくり返すうちに、彼女が「あっ・」
 つぶやき、軽く首を横に振る。執拗な愛撫に耐えきれなくなったようだが、なお気づか
 ぬように、指の動きだけをくり返す。
・ゆっくり上下に、そして左右に撫ぜたあと、ふと思い出したように、中指の指先を上に
 向けて、膣のなかに挿入する。そう、ここは女性器のなかでも、もっとも感じるクリト
 リスの頂点である。そこを初めは左右に、それから前後にゆっくり動かしながら、とき
 に一段深くさしこんでやる。いまや彼女は、その指の動きに翻弄されているようである。
 指先を手前に引くと、「ああん」と甘え、左右に揺らすと首をのけ反らせ、一段深くお
 しこむと、「だめ・・・」と訴える。もはや、彼女を生かすも殺すも意のままである。
 そこで、彼女の股間に自分の両脚を自分の脚でつつみこみ、もはや逃れられぬように固
 定して、いま一度、中指をクリトリスの真上に固定する。
・クリトリスに触れている中指をさらに前後に動かし、ゆっくり左右に揺らしてやると、
 いよいよ、彼女は断末魔にさしかかったのか。激しく首を左右に振り、もはや耐えきれ
 ぬとばかり、「だめっ」と叫ぶと、そのまま頭を左右に振り乱してしがみついてくる。
 そんな彼女を、正面から抱き締めるとともに、自らの左の大腿部を彼女の股間にさしみ
 こみ、もう一方の大腿部を上から重ねて包み込んでやる。彼女の震え続ける状態を抱き
 締めたまま、微動だにしない。ささしくいま、頂点まで昇りつめた快感が、彼女の全身
 を貫いているに違いない。
・改め。て彼女を抱き寄せ、顔を胸元におしつける、彼女の胸からお腹に触れたところで、
 一気に股間に接近する。彼女はようやく、異常をを察知したようである。下半身を退こ
 うとするのを、かまわず両手でしかととらえ、股間に顔をおしこんでいく。さらに逃げ
 ようとするのを、かまわず彼女の股間に顔をおしこみ、自らの唇を愛しい秘所に密着す
 る。そのまま唇を揺らすと、「ああっ・・・」と、悲鳴とも悦びともつかぬ声が洩れて
 くる。
・いま、眼の前には、彼女の股間が半ば開かれ、そのもっとも鋭敏なクリトリスの上を唇
 がしかとおおっている。もう、どう逆らおうとも、この唇が秘所から離れることはない。
 いや、事態は少し変わったようである。彼女の股間が逃げ出す気配はなさそうである。
 それどころか、もはや完全に制服されたように、こちらにあずけている。さらに股間を
 開き、クリトリスのふくらみに自らの舌を重ねて、ゆっくり左右に揺らしてやる、まさ
 しく、ここが女体の悦びのすべてが集中している女の秘所である。その秘密の園を熱い
 舌でつつみ、すべてを吸いとるように舐めてやる。彼女が「ああっ・・・」と叫び、い
 きなり股間を突き上げてくる。たまらず果てたにちがいない。
 
人間らしく
・幸か不幸か、人間だけはセックスを遊びというか戯れでやっている。改めて、人間社会
 の性の安易さを気がつかされる。これまさしく、人間だけに与えられた特権かもしれな
 い。人間の多くの場合、遊びのためだけにセックスをおこない、戯れている。多分、い
 ま、人類がおこっているセックスの大半、九割以上は、性を楽しむだけで、子孫を増や
 すためにおこなっているケースは一割にも満たないだろう。もちろん、これが人類だけ
 に与えられた特権といったら、そのとおりかもしれない。これこそが、この世でもっと
 も高度ないきものである人類だけが楽しめるセックスである、という人もいるかもしれ
 ない。   
・しかし、遊びで子孫など増やす必要はないということになったら、デートの度に女性の
 秘所に男のペニスを挿入することも不要になる。遊びなら遊びに徹するべきで、性的関
 係まですすめるべきではない。では、いかにするべきか。そこで、考えられるのが、ペ
 ニスを女性にのなかに挿入しないセックスである。そう、性的関係のないセックス。男
 のペニスは挿入しないかわりに、女性に沢山の愛の言葉を囁き、女性の気持ちも和んだ
 ところで秘所を優しく愛撫し、エクスタシーに導いていく。これこそまさしく、新しい
 愛のセックス、そのものである。
・女性の秘所にペニスを挿入せず、かわりに男だけが女性を快くするため、一方的に努め
 るので不満だ、納得できない、という男たちも多いに違いない。若い人たちに受け入れ
 られないのは当然かもしれない。しかし、セックスというのは、本来、生殖のためにお
 こなうべきものである。単に、いっときの遊びのためにおこなうものではない。そうし
 た感覚は、男より、女のほうがはるかに強いかもしれない。とやかくいっても、女性に
 とってセックスは、男のように単純に射精することではなく、肉体的にも心理的にも大
 きな影響を受ける行為である。このように、男と女で重さも考え方もまったく違う行為
 を、男の欲求のまま、安易にくり返していいのであろうか。
・もし、男女とも妊娠をすることを望んでいないなら、挿入しないで楽しむ方法を考える
 べきである。女体を優しく抱き締め、ゆっくり愛撫をくり返し、満たしてやる。要する
 に、男が女に尽くす愛である。実際、そのほうが、男たちもかなり楽になるに違いない。
 さらに、セックスがうまいか下手か気にすることもなくなるし、そのことについて、と
 やかくいわれることもないだろう。こんな気楽で、のんびりできるセックスなら毎日で
 もできるはずである。しかも、女性とはペニスが関わり合わないだけに、心をこめて快
 くしてやることができる。そのかわり、子供をつくりたいとき。いまこのセックスで彼
 女に妊娠して欲しいと思うとき。そのときだけは全力を尽して彼女に挑み、射精する。 
・これからの男女は、ただやみくもにセックスを求めるべきではない。それより、男はま
 ず言葉や愛撫で、女性を悦ばせるべきでする。セックスなどは、初めからないものと思
 い、言葉と躰で女性を満たしてやる。そうすれば、女性はずいぶん安堵し、和むに違い
 ない。もちろん、このやり方は夫婦のあいだでもとりあげられて、二人のセックスでも
 男はとくに挿入しない。それより、言葉と躰で愛を表現し、満たしてやる。もちろん、
 夫がそれでは不満だ、やはり射精したいというのなら、妻はすすんで協力してやればい
 い。たとえば、妻がペニスを手にとって、愛撫してやってもいいし、さらには男が射
 精するところまで見届けてやってもいい。そのあと、二人はしっかり抱き合い、さらに
 接吻をし、愛の言葉を交わし合う。ここまでいたれば、二人の愛は万々歳。性的関係こ
 そないが、まさしく完全な夫婦愛といいきれる。
・未婚の男女のあいだで、デートの度にセックスまで求めるのはゆきすぎではないか。そ
 れより二人のあいだの、より深い心のつながりを求めることが先である。この方法は、
 比較的年齢をとった高齢の夫婦には、もっとも適した、好ましいやり方かもしれない。
 それというのも、高齢の夫婦ではほとんど性的関係をもっていないようである。
・日本の夫婦のうち、中年以降の夫婦はほとんどセックスレス状態と決めてつけて、間違
 いないようである。なぜ、日本の夫婦はこのように、極端なセックスレス状態なのだろ
 うか。「夫婦のあいだで、セックスを求めすぎるからさ」これを聞いて、「えっ・・・」
 と首を傾げる人は多いかもしれない。セックスレスなのだから、セックスを求めるのが
 当然でなないか、と反撥する人もいるかもしれない。だが違う、と思う。長年、十年も
 二十年も夫婦関係を続けてきた男女は、なにも改めてセックスを求める必要はない。そ
 れより、ともに寄り添い、軽く抱き合い、接吻をする。それで充分である。まず、そう
 いう考えで、夫は妻に接するねきである。
・夫婦が寄り添い、軽く抱き合うだけではセックスとはいえないのではないか、という人
 は多いかもしれない。だが、長年連れ添った夫婦のあいだでは、それで充分であった。   
 それ以上、しばらくセックスをしていないから、今夜はしなければ、などと考えるから、
 やる気がなくなるのである。なにごとも義務のように感じては、せっかくの気持ちも失
 せてしまう。それより、まず軽く寄り添い、軽く抱いてやる。さらに肩から背を、そし
 て気が向けばお臀から股間も軽く愛撫する。これだけで彼女は、いや妻は充分、満たさ
 れる。
・長年夫婦関係を続けてきた二人のあいだでは、セックスはもはや余計なものに違いない。
 なまじ、そんなものを求めようとするからセックスが鬱陶しく、重くなるのである。そ
 れより、優しく抱き締め愛撫する。それで充分。そのほうが妻も満たされ安堵する。
 
回春科
・とにかく、男たちの多くは自分の局所が勃ち上がり、女性と接しながら射精する、その
 ことばかり考えているようである。だが、それは女性がもっとも悦び、求めているもの
 とは異なっている。    
・女性はそれより優しく抱き締められ、沢山の愛の言葉を受けて接吻する。そうした、ど
 ちらかというとソフトな面を好んでいる。セックスは、その結果として生じる一つの行
 為にすぎない。   
・男の局所自体はなにも快くならない。しかし、好きな女性を心地よくし、満足させ、君
 自身に全身ですがりついてくる。それを実感することは、なににも勝る快感である。そ
 れで、君は彼女をしっかり、自分の彼女として保ち続けていける。下手に、局所が勃ち
 上るか否かなどと案じて、セックスにこだわる。そんなことより、このほうが、まあし
 く男冥利に尽きるというものである。
・たしかに、ペニスを見て、女性が笑ったのはまずかったかもしれない。とやかくいって
 も、ペニスは男性のもっとも重要な、大げさにいえば、命に関わる局所である。そこを、
 「可愛いね」といわれて笑われたのでは、男性が傷つくのも無理はない。その女性にと
 っては悪気はなく、可愛さのあまり、笑っただけかもしれないが、それが男にとっては、
 自信を失うきっかけになったようである。
・それにしても、相手の女性が、ペニスを見て、「可愛いね」といって、かすかに笑った
 だけで勃たなくなるとは。男とは、そしてペニスとは、なんとナイーブでデリケートな
 組織なのか。当然、女性たちは、そのあたりのことに気をつけてほしい。君の一言が、
 というより、あなたの一言が、男を生かしもし、殺しもする。といっても、各々の女性
 に、そこまで知ってもらうのは難しい。セックスに熟練しきった女性ならともかく、さ
 ほど慣れていない女性に、そこまで求めるのは無理というものである。
・若年性のインポテンツを治すのは難しい。それというのも、その発症が相手の女性との
 関係によって生じたものが、ほとんどだからである。 
・高年の不能者は、中年のそれのように、できそうで、できない、いや、できるかもなど
 と迷うこともない。それより、ペニスを完全に捨てることである。そのうえで、女性を
 悦ばすことだけに専念する。
・もうそんな、勃起するか否かわからない、不安定なペニスなぞあきらめて、最初から、
 自分は不能なのだと納得したうえで女性と接していく。そして、さまざまな愛の言葉と
 優しい女性器へ接触だけで、女性を快くしてやる。実際、そんな愛撫をくわえられたら、
 女性は驚くに違いない。五十代、六十代の初老期インポテンツの男性も、こちらの方法
 に切り換えるべきである。
  
愛ふたたび
・不能になっても、困ることなんかなにもない。それより、不能になったそのときこそ、
 女性にもでるチャンスだ。俺のいうとおりやったら、みんな自信をとり戻すことができ
 る。
・そして自信とともに、いままであきらめていた女性との愛も、そして妻との愛も甦る。
 そう、新しい愛がふたたびはじまるのだ。「そうだ、愛ふたたびだ」二人はしかと抱き
 合い、夜風のなかで互いに愛が心と躰に染み込み、溶けていくのを実感する。