鳥羽伏見の戦い

Q.鳥羽伏見の戦いとは?

鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)は、1868年1月27日から1月30日(旧暦:慶応4年1月3日から1月6日)にかけて、京都の鳥羽と伏見(現在の京都市南部)で戦われた戊辰戦争の最初の戦いです。

背景

  • 政情不安:江戸幕府の権威が失墜し、討幕派と佐幕派の対立が深まっていました。
  • 大政奉還:1867年、徳川慶喜は政権を朝廷に返上しましたが、依然として政治の実権を握ろうとしていました。
  • 王政復古の大号令:1868年1月3日、新政府が王政復古の大号令を発し、徳川幕府の廃止を宣言しました。

戦いの経緯

旧幕府軍は、薩摩藩邸の焼き討ちを企て、新政府軍と衝突しました。兵力では旧幕府軍が優勢でしたが、新政府軍は最新鋭の武器を装備し、薩摩・長州を中心とした精鋭部隊で構成されていました。また、新政府軍は「錦の御旗」を掲げ、朝廷の正当な軍であるという大義名分を得ました。

戦いは数日間続き、旧幕府軍は新政府軍の巧みな戦術と装備の差に苦戦し、敗北しました。この戦いで旧幕府軍は多くの兵を失い、新政府軍は勢いを増しました。

戦いの影響

  • 戊辰戦争の開始:鳥羽伏見の戦いは戊辰戦争の幕開けとなり、その後、各地で新政府軍と旧幕府軍の戦いが繰り広げられました。
  • 新政府軍の優位:この戦いの勝利により、新政府軍は武力と大義名分を確立し、旧幕府軍に対して優位に立つこととなりました。
  • 徳川慶喜の立場:徳川慶喜は、この戦いの後、恭順の意を示しましたが、新政府軍は慶喜の処分を巡って対立し、その後も戦いが続きました。

鳥羽伏見の戦いは、日本の歴史における大きな転換点となり、明治維新へと繋がる重要な出来事でした。



Q.このときの旧幕府軍と新幕府軍の軍勢はそれぞれどのぐらいでしたか?

鳥羽伏見の戦いにおける旧幕府軍と新政府軍の兵力は以下の通りです。

  • 旧幕府軍: 約1万5千人
  • 新政府軍: 約5千人

兵力だけを見ると旧幕府軍が圧倒的に有利でしたが、新政府軍は薩摩・長州を中心とした精鋭部隊であり、装備も最新鋭の銃や大砲を備えていました。