Q.吉田茂内閣が電波監理委員会を潰した理由はなんですか?
吉田茂内閣が電波監理委員会を廃止した理由は、主に次のような政治的背景と権力闘争によるものです。
1. 政府による放送行政の掌握:
電波監理委員会は、1948年にアメリカの影響を受けて設立され、放送や電波の管理を独立して行う機関でした。しかし、吉田茂内閣は放送行政を政府の直接管理下に置きたいと考えていました。吉田首相は、国家の重要な資源である電波の管理を内閣の手に取り戻すことで、政策の一貫性を保ち、政府の統制力を強めようとしたのです。
2. 政治的対立:
電波監理委員会が独立性を持って放送局の免許を管理することは、吉田内閣にとって不都合でした。特に、委員会には反吉田的な勢力もおり、吉田政権に批判的な報道が増える可能性がありました。これを防ぐために、吉田首相は委員会を廃止し、権限を郵政省に移すことで放送行政を直接掌握しようとしました。
3. 冷戦下の政治状況:
冷戦の緊張が高まる中で、共産主義の影響を排除し、国内の安定を図る必要があると考えられていました。吉田内閣は、電波監理委員会が放送内容を十分に管理できていないと見なし、国家の安全保障の観点からも統制強化を図ったのです。
4. アメリカの影響:
当初はアメリカの意向で独立機関として設立された電波監理委員会でしたが、朝鮮戦争勃発後、アメリカ自身も反共政策を強化しており、日本政府による放送の管理強化を黙認するようになりました。この国際的な流れも吉田内閣の判断を後押ししました。
結果として、1952年に電波監理委員会は廃止され、その権限は郵政省(現在の総務省)に移されました。これにより、放送行政は政府の直接的な管理下に置かれることになったのです。