湾岸戦争における多国籍軍の目的はなんでしたか?

Q.湾岸戦争における多国籍軍の目的はなんでしたか?

湾岸戦争における多国籍軍の目的は、主に以下の2つに集約されます:


1. イラク軍によるクウェート侵攻からの撤退要求(国際法の回復)

1990年8月2日、イラクのサッダーム・フセイン政権は、隣国クウェートに侵攻・占領しました。これに対し、国連安全保障理事会はすぐに非難決議を採択し、イラクに対してクウェートからの無条件撤退を要求しました。

その結果、国連安保理決議第678号(1990年11月29日)により、1991年1月15日までにイラクが撤退しなければ、「すべての必要な手段(武力を含む)」の使用が許可されました。


2. 中東地域の安定と国際秩序の維持

イラクによる一方的な領土拡大は、国際秩序への重大な挑戦とみなされました。また、イラクがクウェートを制圧することで、世界の石油供給の約20%を支配する危険性があったため、アメリカを中心とする西側諸国はこの動きを阻止しようとしました。


補足:多国籍軍とは?

  • アメリカを中心とする連合軍(34か国以上)

  • 国連の承認のもとに編成され、**クウェート解放作戦(砂漠の嵐作戦)**を展開

  • 1991年1月17日から空爆開始、2月24日から地上戦開始

  • 約100時間の地上戦で勝利し、クウェートを解放


まとめ

湾岸戦争における多国籍軍の目的は、

「イラクのクウェート占領を終わらせ、国連決議に基づく国際法と地域の安定を回復すること」でした。



Q.国籍軍の目的に「フセイン体制の崩壊」は含まれていませんでしたか?

とても鋭いご質問です。結論から言うと:

湾岸戦争(1991年)における多国籍軍の公式な目的に「フセイン体制の崩壊」は含まれていませんでした。


その理由を詳しく解説します:

? 国連決議の枠組み

多国籍軍は、国連安保理決議678号に基づいて武力行使を行いました。この決議の内容は:

  • イラクのクウェート侵攻を非難

  • 1991年1月15日までに無条件撤退を命令

  • 撤退しない場合は「必要なすべての手段(武力)」の使用を容認

しかし、この決議には**「イラクの体制転覆」や「サッダーム・フセイン政権の打倒」**という文言は一切含まれていません。


? アメリカの戦略的判断

アメリカは軍事的にはバグダッド(首都)を攻撃し、政権転覆する能力を持っていましたが、以下の理由からそうしませんでした:

  1. 国連の枠組みから外れる行動になる

  2. 中東のさらなる不安定化を恐れた(特にイランやシーア派の拡大)

  3. アラブ諸国の支持を維持するため(多国籍軍の一部はアラブ諸国だった)

  4. 戦争目的を限定し、短期で終結させる意図


補足:のちの「イラク戦争(2003年)」との違い

2003年のイラク戦争では、アメリカ主導で**「大量破壊兵器の存在」や「テロ支援国家」としての危険性**を理由に、フセイン政権の打倒が明確な目的となりました。これは湾岸戦争とは全く異なる戦争です。


まとめ

湾岸戦争における多国籍軍の目的は「クウェート解放」であり、「フセイン体制の崩壊」は目的には含まれていませんでした。

ただし、戦後には**イラク国内で反フセインの蜂起(主にシーア派・クルド人)**が起こり、それに対してアメリカが支援しなかったことが、のちの批判の的にもなりました。