湾岸戦争での日本の国際的評価

Q.湾岸戦争での日本の国際的評価は?

湾岸戦争(1990年〜1991年)における日本の国際的評価は、特に「カネは出したが、汗も血も流さなかった」という批判が象徴するように、あまり高いものではありませんでした。

日本の対応

  1. 資金支援

    • 日本政府は総額約130億ドル(約1.8兆円)を多国籍軍に提供。

    • 特に、戦費負担として90億ドルを拠出したが、感謝の意を示す声明は出されず、日本国内で不満が高まった。

  2. 人的貢献の不足

    • 憲法9条の制約により、自衛隊を戦闘に参加させることはできなかった。

    • 戦後に自衛隊をペルシャ湾に派遣し掃海活動を行ったが、戦争の最中に人的支援を行わなかったことが批判された。

  3. 国際社会の反応

    • 米国や欧州諸国から「資金提供だけでなく、人的貢献もすべきだった」との指摘。

    • クウェートが戦争後に発表した「感謝広告」の中で、日本の名前が最初は含まれておらず、後から追加される形になった。

評価のポイント

  • 消極的な国際貢献
    → 経済的支援にとどまり、国際的な評価を得られなかった。

  • 憲法9条のジレンマ
    → 軍事貢献が制約されるため、他国との協力が難しかった。

  • 教訓としてのPKO法
    → その後、日本は国連平和維持活動(PKO)協力法を制定し、自衛隊を海外派遣する枠組みを整備。

まとめ

湾岸戦争を通じて、日本は「経済大国であるにもかかわらず、国際社会での影響力が限定的である」という課題を突きつけられました。この経験が、後のPKO活動や国際貢献のあり方を見直す契機となりました。




Q.「海外で軍事力を行使しない」、という憲法を持つ日本に対して、海外で軍事力の貢献をしろという批判は、無理筋な批  判ではないですか?

確かに、日本には憲法第9条があり、「海外での軍事力行使をしない」ことを基本原則としています。そのため、湾岸戦争時の「日本は人的貢献をすべきだった」という国際的な批判は、日本の憲法の制約を無視したものだと見ることもできます。

なぜ批判されたのか?

  1. 国際社会の視点:経済大国としての責任

    • 日本は当時、世界第2位の経済大国でした。

    • そのため、「経済的な恩恵を受けているのに、国際的な安全保障には貢献しないのは不公平」という見方があった。

  2. 他の「非軍事」国との比較

    • ドイツも戦後は軍事活動に慎重でしたが、湾岸戦争では医療支援部隊や兵站(補給)支援を行いました。

    • これに対し、日本は「お金を出すだけ」に見えたため、批判が集中した。

  3. 「国際貢献」の再定義

    • 日本の憲法が戦争を禁じていることは理解されていたものの、「ならば他の形で積極的に関与できるのでは?」という期待があった。

    • 例えば、戦後の復興支援や避難民支援など、もっと人的な貢献が可能だったのではという指摘。

批判は無理筋だったのか?

無理筋な部分

  • 日本の憲法を無視して「軍事貢献しろ」と求めるのは、各国の事情を考慮しない批判ともいえる。

  • 「軍事的に関与すべき」という価値観を押し付けるのは、国際協力の多様性を否定することになる。

一定の理解ができる部分

  • 日本が「平和国家」でありながら、世界の安定に対してどのような役割を果たすのか、明確な方針を持っていなかった。

  • 「金を出すだけでは国際的な影響力が低い」という現実を突きつけられた。

  • その後のPKO(国連平和維持活動)インド洋での給油活動など、日本の国際貢献のあり方を見直すきっかけになった。

結論

湾岸戦争時の批判には、日本の憲法の制約を無視した「無理筋な部分」もありました。しかし、単に「憲法があるから仕方ない」とするだけではなく、日本なりの国際貢献のあり方をより積極的に模索する契機となったという意味では、一定の意義があったとも言えます。