徳川斉昭が開国に反対した理由

Q.どうして徳川斉昭は、開国に反対したのですか?

徳川斉昭(とくがわ なりあき)が開国に反対した理由は、彼の思想や当時の日本の状況に深く根ざしています。以下に主要な理由を挙げます。


1. 攘夷思想(外国排斥)の影響

  • 斉昭は、江戸時代後期に広まっていた**「攘夷」思想**を強く支持していました。この思想は、外国勢力を排斥し、日本の独立を守るべきだとするものです。特に中国(清)がアヘン戦争で欧米列強に屈服した状況を目の当たりにし、西洋諸国との接触が日本の国防や独立に重大な脅威をもたらすと感じていました。


2. 日本の伝統と文化の保護

  • 斉昭は、日本の伝統や文化を守ることに強い信念を持っていました。開国によって外国の影響が増すことで、日本の道徳や社会秩序が崩壊することを懸念しました。西洋文化が流入することで、武士道精神や儒教的価値観が失われることを恐れたのです。


3. 国防の不安

  • 斉昭は、当時の日本の軍事力が西洋列強に比べて非常に弱いことを理解していました。そのため、開国すれば軍事的に支配されるリスクがあると考えていました。特にペリー来航(1853年)に際して、強力な蒸気船を目の当たりにし、日本が武力で脅される現実を実感しましたが、それでも開国に対して慎重な姿勢を崩しませんでした。


4. 天皇中心の国家観

  • 斉昭は、天皇を中心とした国家運営を理想としており、幕府の政策が天皇や朝廷の意向と一致するべきだと考えていました。当時、朝廷も攘夷を支持していたため、斉昭はその立場を強く代弁する形で反開国の姿勢を貫いたのです。


5. 改革派としての意志

  • 斉昭は、水戸藩の藩主として「水戸学」を重視しており、これには尊皇攘夷の思想が含まれていました。また、彼は幕政においても改革派としての立場を取っており、幕府内部の腐敗を厳しく批判しました。開国を進めることで幕府がさらに弱体化し、日本が外国勢力に支配される可能性を懸念していました。


結論

徳川斉昭が開国に反対したのは、日本の独立と伝統を守るための強い使命感と、西洋列強に対する不信感によるものです。ただし、彼の攘夷思想が現実の国際情勢に対応しきれなかった側面もあり、最終的に日本は開国せざるを得なくなりました。このように、斉昭の立場は一貫していましたが、その政策が日本の近代化の遅れを招く可能性も秘めていました。