「平壌宣言」(2002年に日本の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記が署名した日朝平壌宣言)は、拉致問題が明確に盛り込まれていない点が議論の的となっています。この背景にはいくつかの要因が考えられます。
1. 宣言の主目的と優先順位
平壌宣言の主な目的は、日朝間の国交正常化のための基盤を整備することでした。このため、歴史問題や安全保障問題、経済協力といった包括的なテーマに焦点が置かれていました。拉致問題はその一部ではあるものの、当時の優先順位としては国交正常化交渉全体に比べて相対的に小さく扱われた可能性があります。
2. 交渉段階での政治的駆け引き
北朝鮮は当時、拉致問題の存在自体を長らく否定しており、この問題に関しては非常に敏感でした。拉致問題を盛り込むことは、北朝鮮側にとって重大な譲歩と受け取られる可能性がありました。結果として、両国の交渉が停滞するリスクを避けるため、宣言の文言から具体的な言及が外された可能性があります。
3. 北朝鮮側の認識
北朝鮮にとって、拉致問題は「解決すべき問題」とは見なされていませんでした。むしろ、自国の体制維持や交渉上のカードとして位置づけられていた可能性があります。そのため、北朝鮮側は拉致問題を国交正常化交渉の中で公に取り上げられることを避けたかったと考えられます。
4. 時間的制約
平壌宣言の交渉は、非常に短期間で行われました。このため、細部にわたる議論を深める時間が不足していた可能性があります。特に敏感な問題である拉致問題については、慎重に扱わざるを得ず、詳細な盛り込みを見送ったのかもしれません。
5. 後の進展を見越した可能性
当時の日本政府は、平壌宣言を踏まえて後の交渉で拉致問題をさらに取り上げる意図があった可能性があります。実際、小泉首相が平壌を訪問した際に拉致被害者の一部が帰国しています。この点から、日本政府は段階的な解決を目指していたとも推測できます。
結果として
平壌宣言が拉致問題を明確に扱わなかったことは、その後の日本国内で大きな批判を招きました。しかし、宣言自体が包括的な枠組みであったことや、北朝鮮側の立場、交渉の現実などがこの選択に影響を与えたと言えるでしょう。その後の日本政府の対応は、拉致問題を交渉の主要議題として前面に押し出す方向に転換していきました。