日露戦争開戦のきっかけ

Q.日露戦争開戦のきっかけとなったのは?

日露戦争(1904年〜1905年)の開戦のきっかけは、満州および朝鮮半島をめぐる日本とロシアの対立でした。

主な経緯:

  1. ロシアの南下政策
    ロシアは19世紀後半から極東への進出を強め、特に満州(現在の中国東北部)と朝鮮半島への影響力を拡大しようとしていました。1895年の日清戦争で日本が勝利し、下関条約で遼東半島を得ましたが、ロシア・ドイツ・フランスの「三国干渉」により、日本は遼東半島を返還させられました。

  2. ロシアの満州支配
    その後、ロシアは中国(清国)の弱体化を利用して、満州を事実上支配し、さらに朝鮮半島にも圧力を強めました。

  3. 日本の危機感と交渉の決裂
    日本にとって朝鮮半島は安全保障上の最重要地域でした。ロシアの勢力拡大に対し、日本は交渉を試みましたが、ロシア側は満州の撤退を拒み、交渉は決裂しました。

  4. 日本の先制攻撃(開戦)
    1904年2月6日、日本はロシアとの国交を断絶し、2月8日夜、日本海軍が旅順港(現在の中国・遼寧省)のロシア艦隊を奇襲攻撃しました。これが日露戦争の開戦となりました。その後、2月10日に日本は正式にロシアに対して宣戦布告しました。

まとめ:

日露戦争の開戦は、ロシアの満州・朝鮮半島への進出、日本の安全保障上の危機、交渉の決裂などが要因となり、日本がロシアに対して先制攻撃を仕掛けたことによって始まりました。



Q.宣戦布告する前に先制攻撃をした戦争と、宣戦布告をした後に開戦した戦争では、どちらが多いですか?

歴史上の戦争を振り返ると、正式な宣戦布告をした後に開戦する戦争よりも、宣戦布告をする前に先制攻撃が行われた戦争のほうが多いです。その理由は以下の通りです。

1. 宣戦布告なしの先制攻撃が多い理由

  • 戦略的奇襲の利点
    先に攻撃することで相手の戦力を削ぎ、戦争を有利に進めるため、多くの国は奇襲攻撃を選んできました。

  • 外交交渉と時間の問題
    交渉が決裂しても、相手に準備する時間を与えたくないため、事前通告なしに攻撃するケースが多い。

  • 歴史的な慣習
    近代以前は「宣戦布告」という概念が明確でなく、戦争は突発的に始まることが多かった。

2. 代表的な「宣戦布告前の先制攻撃」

  • 日露戦争(1904年):日本が正式な宣戦布告前に旅順港を攻撃。

  • 日中戦争(1937年):盧溝橋事件をきっかけに戦闘が拡大。

  • 第二次世界大戦(1939年〜1945年)

    • ドイツのポーランド侵攻(1939年):宣戦布告なしにドイツがポーランドを攻撃し、戦争が勃発。

    • 日本の真珠湾攻撃(1941年):宣戦布告と攻撃の順序が逆転し、アメリカ参戦のきっかけに。

3. 代表的な「宣戦布告後の開戦」

  • 第一次世界大戦(1914年):オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに正式に宣戦布告した後、戦争開始。

  • 米英戦争(1812年):アメリカがイギリスに宣戦布告してから戦争開始。

  • 六日戦争(1967年):イスラエルとアラブ諸国間の宣戦布告あり。

結論

近代以降は宣戦布告前に先制攻撃する戦争の方が多いといえます。特に20世紀以降は、奇襲攻撃による戦争の開始が顕著になっています。ただし、国際法(ハーグ陸戦条約や国連憲章)の発展により、現代では形式的に宣戦布告を重視する傾向もあります。